委員会記録・調査報告等

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文教厚生委員会記録
 
平成30年 第 8定例会

3
 



開会の日時

年月日平成30年12月13日 曜日
開会午前 10 時 1
散会午後 3 時 29

場所


第2委員会室


議題


1 甲第5号議案 平成30年度沖縄県病院事業会計補正予算(第1号)
2 乙第4号議案 沖縄県北部地域及び離島緊急医師確保対策基金条例の一部を改正する条例
3 乙第17号議案 指定管理者の指定について
4 乙第18号議案 指定管理者の指定について
5 陳情平成28年第37号の2、同第50号、同第51号、同第54号の2、同第61号、同第69号、同第72号、同第79号、同第85号、同第96号、同第111号、同第133号、同第139号、同第141号から同第143号まで、同第157号、陳情平成29年第7号、同第26号、同第34号、同第36号、同第55号、同第65号、同第67号、同第68号、同第71号、同第72号、同第84号、同第94号の3、同第96号、同第97号、同第103号、同第104号、同第109号、同第111号、同第118号から同第121号まで、同第127号、同第131号、陳情第2号、第7号、第15号、第16号、第19号、第22号、第24号、第32号、第33号の2、第45号から第47号まで、第48号の2、第50号、第52号、第54号、第56号、第66号、第67号、第77号、第86号、第88号、第93号、第97号、第101号、第102号の3、第104号から第111号まで、第116号及び第127号
6 参考人からの意見聴取について(陳情第56号)
7 閉会中継続審査・調査について
8 参考人招致について(追加議題)


出席委員

委 員 長  狩 俣 信 子 さん
副委員長  西 銘 純 恵 さん
委  員  新 垣   新 君
委  員  末 松 文 信 君
委  員  次呂久 成 崇 君
委  員  亀 濱 玲 子 さん
委  員  比 嘉 京 子 さん
委  員  平 良 昭 一 君
委  員  金 城 泰 邦 君


欠席委員

照 屋 守 之 君


説明のため出席した者の職・氏名

(陳情第56号について) 
(参考人) 
 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表  具志堅 隆 松 君
(補助者)
 対馬丸記念会会長                髙 良 政 勝 君
(補助者)
 対馬丸犠牲者御遺族               又 吉 正 子 さん
子ども生活福祉部長     大 城 玲 子 さん
 生活企画統括監      上 間   司 君
 福祉政策課長       金 城   賢 君
 高齢者福祉介護課長    長 浜 広 明 君
 子育て支援課長      久 貝   仁 君
 障害福祉課長       大 城 行 雄 君
 平和援護・男女参画課長  大 濱   靖 君



○狩俣信子委員長 ただいまから、文教厚生委員会を開会いたします。
 陳情第56号に係る参考人からの意見聴取について、甲第5号議案、乙第4号議案、乙第17号議案及び乙第18号議案の4件、陳情平成28年第37号の2外76件及び閉会中継続審査・調査についてを一括して議題といたします。
 本日は、陳情第56号に係る参考人として陳情者である沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の代表具志堅隆松氏の出席をお願いしております。
 また、本日の説明員として、子ども生活福祉部長の出席を求めております。
 まず初めに、陳情第56号に係る参考人からの意見聴取を行います。
 お手元にあります事務局配付の資料をごらんください。
 当該陳情については、具志堅隆松参考人から、補助者として対馬丸記念会の会長髙良政勝氏及び対馬丸犠牲者の御遺族又吉正子氏を同席させ、必要に応じて発言させたいとの申し出があり、委員長として適当であると判断し、出席を許可したことを御報告いたします。
 参考人及び補助者の皆様、本日は御多忙のところ御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 参考人等から説明を求める前に、委員会の審査の進め方について御説明申し上げます。
 まず、参考人等から御説明をいただいた後、委員から参考人等に対し質疑を行うことにしております。
 なお、参考人等が発言しようとするときは、あらかじめ委員長の許可を得なければならず、発言は、陳情の趣旨の範囲内で行うこととなっております。
 また、本日は委員会が参考人等の説明を聞く場でありますので、参考人等が委員に対して質疑することはできませんので、御承知おきください。
 それでは、陳情第56号魂魄の塔内部の遺骨の確認に関する陳情について、参考人である沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の代表具志堅隆松氏から提出に至る背景及び目的等について簡潔に御説明をお願いいたします。
 具志堅隆松参考人。

○具志堅隆松参考人 私はこれまで遺骨を家族のもとへ帰そうという目的で、沖縄戦没者の遺骨収集をやっておりました。家族のもとへ帰す方法として、DNA鑑定を国に要請して、今沖縄県内で見つかった遺骨と沖縄戦の御遺族との間でDNA鑑定が行われております。
 そして県内各地にある慰霊塔の中に遺骨が残っているところがあります。それらの慰霊の塔の中にある遺骨もぜひDNA鑑定の対象にしてくれという要請を去年の12月15日に厚生労働省の高木副大臣に行いましたところ、御意向に沿ったものにするようにという指示が事務方に対して行われました。それで県内の慰霊の塔の象徴である魂魄の塔の中にまだ遺骨が残っているのであれば、ぜひDNA鑑定の対象としてそれを確認したいということで今回魂魄の塔の遺骨の確認の陳情に至りました。
 その背景としてもう一つ、余り知られていないことですが、魂魄の塔には地上戦の犠牲者だけではなく、1950年に奄美大島から105柱の対馬丸犠牲者の遺骨が沖縄に帰ってきました。そのうち氏名が判明して御遺族が引き取ったものがありますが、大多数は氏名不詳や引き取り手がいないということで魂魄の塔に移されたのです。ですから魂魄の塔には対馬丸の犠牲者の遺骨も入ったということです。その資料はお手元に配付してあります。このため遺骨が残っているのであれば、ぜひとも対馬丸の御遺族の中で希望する方とのDNA鑑定に結びつけたいと思い、陳情を行いました。そうしたらば県からは遺骨はないものと思われるという回答でした。その根拠としては、文献等によって魂魄の塔の遺骨は国立沖縄戦没者墓苑―国立墓苑に移されたということをおっしゃっていたのですが、その中を知っているのかと聞くと、いわゆる復帰直後の話ということで誰も見た人がいないと言うのです。それならば今回の問題はふたをあけて中を確認すればよい話なのです。それによって遺骨が確認できなければ、私たちはないという結論を受け入れます。遺骨があればこれは遺族にとっては大変大事なことであり、中を確認することはぜひとも必要なことだと思います。
魂魄の塔の内部を確認することについて予算的な措置が必要ということであれば、そこの構造は私もある程度知っています。我々がふたをあけて内部を確認することをボランティアでやってもいいと思ってます。

○狩俣信子委員長 参考人の説明は終わりました。
 これより、陳情第56号に対する質疑を行います。
 なお、質疑・答弁に当たっては、挙手により委員長の許可を得てから行い、重複することがないよう簡潔にお願いいたします。
 質疑はありませんか。
 新垣新委員。

○新垣新委員 本当に戦争がなければこのようなことはなかったと。また具志堅さんもボランティアとして遺骨収集のために県内各地をめぐっていると。まずは感謝と敬意を表したいと思います。
 私は糸満市出身です。実は翁長前知事の本を読んでみると、現在の魂魄の塔は平和創造の森公園内にあるのですが、その前は喜屋武地区にあったと聞いているのです。本の中でそれは翁長前知事のおじいさんがおつくりになったということで、先ほど言われたように県内各地の方々の遺骨を全て入れたと。私も糸満市民ですから、その話を聞いたことがあります。
 喜屋武地区にあったものが平和創造の森に移ったということですが、その状況等について認識されていますか。

○具志堅隆松参考人 それについてはある程度聞いたことはあったのですが、例えば喜屋武地区のどこであったかということまでは確認していません。あと摩文仁に真和志村の人たちが集められていたときに、摩文仁周囲の遺骨を全部集めたということは一応聞いております。

○新垣新委員 たしか魂魄の塔は沖縄県遺族連合会が管理していると同連合会の宮城会長から2年前の慰霊の日が終わった後にお話を聞いております。
 具志堅参考人は宮城会長と意見交換とかを行ったことはありますか。

○具志堅隆松参考人 沖縄県遺族連合会長との意見交換は行っておりません。

○新垣新委員 今、納得がいかない、魂魄の塔には遺骨があると。なければ諦めるという意見もはっきりとおっしゃっていましたので、まずはお願いしたいことがあります。管理については沖縄県遺族連合会が行っているものですから、ぜひそこの宮城会長ともお会いになられて、その後にまた沖縄県にという形で再度検討していただけませんか。

○具志堅隆松参考人 わかりました。確かにそうするべきだと思います。

○新垣新委員 実は糸満市には110基近く、沖縄県の400基余りの中の約3分の1が糸満市に集中しているという形で慰霊の塔や石碑等があると。その中で遺骨があるものとないものがあると。今、困っていることは、御遺族の高齢化によって遺族会などがみんな解散しています。実は糸満市の遺族会も解散して、慰霊の塔などを管理できない状況になっています。現在直面しているそのような問題についてはどう思いますか。

○具志堅隆松参考人 それについては私たちも非常に問題だと捉えています。
慰霊の塔を管理する者が生き残りの人たちであったという経緯もよく知っているだけに、非常に大事に管理していたということを考えると、沖縄戦の継承というものの中に慰霊の塔の継承も含むべきではないかと考えています。これをどのようにもっていくかというときに、基本的には地域が管理、継承していくということで、地域がかかわってくれれば一番いいと思うのですが、これを地域だけに任せるということはもしかするときつい部分があるのかという。ですからやはり行政もかかわってほしいと。このことはまさに沖縄戦を語り継ぐという意思のある人たちで、対馬丸の御遺族も直面している問題です。

○髙良政勝補助者 新垣委員から慰霊碑の継続の問題をどうするかという質疑があって、ガマフヤーの具志堅代表は遺族に任せていたらもうどうにもならない、これは沖縄戦の戦後処理としてやるべきではないかというようなことを回答されていましたが、まさに対馬丸も全く一緒だなという気がいたしました。ですからこれは遺族だけに任せていてはだめだと。私は78歳で、傍聴席にいる外間理事も80歳です。私たちがあと10年、対馬丸記念館を継続できるかというと、それはまず不可能だと思います。これは行政の責任として何とか真剣に考えていただきたいと思います。

○新垣新委員 具志堅参考人にお聞きします。実は新たに遺骨が出てきて、それを管理しないといけないこと。また管理者がいないということも、今直面している問題なのです。私も一般質問でよく聞いているのですが、管理者が不明な石碑や慰霊の塔とかがあるという状況です。戦争がなければそのようなことはなかったと。これは国が起こした戦争ですから全て国に責任をとってもらわないといけない。そういうことも含めて厚生労働省等への要請なども行ったと。厚生労働省からのバックアップについても、ぜひ沖縄県や各遺族会も含めた形で働きかけていただけませんか。

○具志堅隆松参考人 確かに私はこれまでいろいろな要請をじかに厚生労働省に行ってきました。それは現場の声をじかに伝えたいという思いもありますし、御遺族を伴って要請したことも何度もあります。今、新垣委員がおっしゃっているように、県内には建立した人が不明な個人や部隊の慰霊の塔があります。これは確かです。実際に山の中、ジャングルの中につくっているようなものもあって、もう何十年も誰も来たことがないのではと思われるようなものがあって、そういうものも沖縄戦の大事な記録だと思ってます。ここで誰かが亡くなったんだ、殺されたんだというような。そういう意味では、沖縄戦の生き残りの次世代である我々がそのことを継承していくことは大事なことだと思っています。それを具体的にどうやるのかというときに、そこで必要な部分、例えばどうしても予算措置が必要であるというときに、県がそれをやるのかといったときに、本来ならば国の責任であるということを考えると、やはり国にも入ってもらわなければいけない。新垣委員が今おっしゃったことは非常に大事なことだと思います。
 要するに、私はこれまでは見つかった遺骨を御遺族に帰すという視点での活動にほとんど終始してしまっていたのですが、個人の慰霊碑や部隊の慰霊碑、あるいは学徒の慰霊碑などいろいろな慰霊碑がありますし、それらはつくった人の思いが込められていて、それらを墓と同じように捉えていくということであれば、これにかかわった人だけの責任とか範囲であるというものを超えて、我々県民がかかわるべきだという時代に入らないといけないと思います。それをどうするのかとなったときに、やはりこれからはさまざまなところでいろいろな人たちとの話し合いが必要になると思います。国に対しては、新垣委員がおっしゃっていたようなことについて要請したいと思いますし、そのときにはできれば文教厚生委員会の力をおかりしたいと思います。はっきりと言えることは、もうすぐ沖縄戦の生き残りの人たち、体験者は確実にいなくなります。それを我々がどう継承していくかということを考えるときに、その現場の証拠である慰霊碑、それが個人の建立であれ、団体の建立であれ、そういったものは県民として継承していく必要があるのではないかという議論をこれから起こしていただきたい。それにも私はかかわりたいと思いますし、これからも国に対して要請していきたいと思います。

○新垣新委員 この戦後処理はまだ終わっていないという問題について、ボランティアでやっていただいて、本当に感謝を申し上げます。
 まずは当事者である具志堅参考人が沖縄県遺族連合会の宮城会長と意見交換をなされて、その後に沖縄県とやっていただいたほうがいいと思います。ただしひっかかっている問題があります。当初は喜屋武地区の荒崎にあったものが今の場所に移ったと。たしか荒崎だったと思います。私も協力しますので、そのときの状況について喜屋武地区、糸満市教育委員会とか、地域の方々にお目にかかって調べたほうがいいのではないのかと。ぜひともこの問題については頑張ってください。これからもサポートしていく立場として応援したいと思います。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 西銘純恵委員。

○西銘純恵委員 長い間、具志堅参考人が遺骨収集で御遺族の皆さんと直接かかわって、厚生労働省に何度も何度も要請して、県議会にも何度も陳情を出されて、本当に個人的に頑張ってきたと。さらに対馬丸記念会の皆さんを初めとする多くの方たちが慰霊のために頑張って取り組んでいることに対して敬意を表します。
 先ほど新垣委員もおっしゃっていましたが、これは戦争を起こした国の責任が最も問われなければいけないと思っているのです。しかし、これまでの説明にあったとおり国は全くそれにさわらないで、慰霊の碑も住民たちがつくってきたと。遺骨収集にしても御遺族のもとに遺骨を帰したいという思いで、DNA鑑定も行われていなかったのを国に行わせていくというような努力が積み重なってきて、今ここに来ています。今後その問題をどうするのかということは、先ほど予算の話もされたのですが、私はちゃんと国が戦後処理ということで明確に責任をとって、沖縄県のこの問題に対してしっかりと予算をつけて、遺骨収集も今の部分だけではなくて、県内のどこに日本軍がいたとか、住民がどこに避難したとか、収容所がどこにあったとかということもあわせて行うべきだと思うのです。県議会も力を合わせて、これを国に要請していきたいということを表明します。
 先ほど対馬丸の105柱の遺骨が戻ってきたが、その中で身元が判明したのは全員ではないという説明がありました。まず又吉補助者にその思いをお尋ねしたいと思います。

○又吉正子補助者 私はことしで87歳になります。そして弟は3つ下です。今元気でいればと。前もっておわびしますが、私は両親が亡くなった話をするときにはこうして涙は出ません。90歳余りで逝った両親のことですから。だけど、ごめんなさい。弟の話をするときはいつでもどこでも涙から先に出てきます。それは新垣委員と具志堅参考人がお話ししていたような事務的なことではございません。私がこれから申し上げたいのは、本当にその側面である遺族の気持ちを察していただきたいのです。
 私の実家は国吉と申します。弟の国吉眞英は、甲辰国民学校の4年生で逝きました。それで70年余り、私はずっと弟はあの冷たい海の中に船と一緒に寂しい、怖い思いでいると思っていたんです。それが去年、奄美大島に対馬丸の慰霊碑を建ててくださるということで、そのときに私は初めて弟が奄美大島の海岸に遺体としてたどり着き、そして島の方々によって手厚く葬られたことを知ったのです。向こうに行きましたが、本当にありがたいことで、海の底にいた弟がだんだんと土の上に上ってきて、そして奄美大島から昭和二十何年かに105柱の遺骨として一緒に帰ってきております。その中に私の弟の名前もございました。だけどそのとき、私どもは終戦のどさくさで多分新聞をとっていなかったんだと思います。それでこれを見逃してしまって、この新聞を対馬丸記念館で読ませていただいたときに、105柱帰ってきていて、それを何人かはお受け取りになり、魂魄の塔に入れたというちゃんとした新聞記事がございます。それは沖縄タイムスさんでした。それで弟の国吉眞英の名前がついた遺骨として一緒にこちらへ戻ってきたんです。それを私どもは知らずに、そのまま魂魄の塔へ行ったと。これを聞いたのが一、二年前です。早速、魂魄の塔へ行って、戦後生まれの妹たちを連れて弟の前にまいりました。ああ、弟は海の底から奄美大島へ行き、そして奄美大島からこの沖縄に来て、ちゃんと名前も遺骨も一緒にここへ入っているんだと思うと、一日も早く両親のお墓で一緒にさせてあげたいと思います。それができるのは、やりたいと思うのは、私たち80代の人たちです。70代からはもう戦争を余り知らない人たちが多いと思います。私はとにかく事務的なことは何もわかりませんが、遺族として弟をお墓の中に入れてあげたいのです。今、小さい骨壺の中に小さい石が1つ入っているだけです。だから魂魄の塔をあけていただいて、具志堅参考人がおっしゃるようにDNA鑑定ができればそれにこしたことはありません。天国にいるであろう父や母もそれができれば本当にさらに上に成仏してもらえると思います。どうぞお願いです。皆さんのお力をおかしいただいて、どうぞ魂魄の塔をあけていただけるように、よろしくお願いいたします。

○西銘純恵委員 又吉補助者のお話を聞いて、御遺族の思いが、本当に周りの親戚縁者の皆さんも多分そういう思いで70年以上も過ごしてきたのだと思います。きょうは又吉補助者にお話をしてもらったのですが、このように皆さんや具志堅参考人が頑張っているということは、たまに報道で出るくらいで一般的には県民にも余り知られていない。先ほど国に対してという説明もありましたが、今のような御遺族の皆さんとのつながりで頑張ってこられた具志堅参考人の気持ちと活動内容を聞くことができました。また6月議会で執行部とこの陳情についてやりとりしました。この部分について具志堅参考人の思いをお聞かせください。

○具志堅隆松参考人 なぜ遺骨収集をやるのかというと、亡くなった人と御遺族のためだと思っています。確かに戦争責任というもの、いわゆる戦争の犠牲者というのは国策の犠牲者だと思います。そのことを直近の行政機関である沖縄県に協力してくれ、どうにかできるようにしてくれとお願いしても、まさに同じようなことを言われるのです。遺骨収集は戦後処理であり、戦後処理は一義的には国に責任があるのですというような。私はこれについては少し違和感を持っているのです。というのは、何でもかんでも国にという以前に、自分たちでできることを沖縄県はもっとやってもいいのではないかということです。今回の件は魂魄の塔ですから、まさに沖縄県内の問題であって国に言うまでもない話なのですが、もし遺骨があればそれはDNA鑑定につながる話だということで、これをどうにか実現させたいと思っているわけです。実際にこれまで私は県に要請するよりも、回数からすると厚生労働省に要請しているほうが多いのです。県に要請しても、これは国が行うべきことですからということで国に振ろうとするのですが、私が沖縄県に要請したものが国に伝わるときに、私の要請プラス沖縄県の思惑があって、それがしっかりと伝わるのかと思ったら、余りそのような感触は得られなかったと。国と会ったときには、むしろトーンダウンしているのではないかと思われるのです。そういうことで、これは間に何かを挟むよりもじかに伝えるべきだと思いまして、それで国に対しても、私は間接民主主義よりも直接民主主義がいいと思っていますので、議員も介さずにこれまでやってきました。ですから沖縄県はもっと当事者としての意識を持ってほしいと思います。戦争責任だからこれは国に責任があるのですということは理解できます。しかし同じウチナーンチュとしてやることがあるのではないのかということです。確かに県にはいろいろと協力してもらいました。そこら辺についてはだんだんと関係もよくなっていて、協力関係もできつつあるので、余り文句を言うよりも、むしろお互いに協力して進めるという関係をこれから構築していきたいと思います。これは何も私のためではないのです。戦没者と御遺族のためなのです。そういう意味では、県議会議員の皆さんもぜひそこら辺を踏まえた上で、まさに沖縄戦の戦後処理については沖縄県における矢面に立って、一番の当事者だという認識を持って、一緒に協力ができればいいと思ってます。これについては保守も革新も全く関係ないと思ってます。
 要は亡くなった方への慰霊、そして亡くなった人が一番何を望んでいるのかということを考えたときに、私が今まで聞いたことは、いまわの際の言葉は、天皇陛下万歳ではなかった。みんなお母さんだったということです。やはり母親のもとに帰してあげるという、親と一緒のお墓に帰してあげるという、最低限それだけでもやってほしいと思っています。それは御遺族、生き残りの方々がいなくなっても私は言い続けていきたいし、やり続けていきたいと思ってます。

○西銘純恵委員 私たちも同じような思いで、県政としてできることをやっていくという気持ちを強く持ちました。
 6月議会で、執行部と陳情に対するやりとりを行ったところ、魂魄の塔を管理しているのが沖縄県遺族連合会であると。沖縄県遺族連合会の意向があれば対応していきますというようなことを一応答えているのです。また全県で440基の慰霊の碑がありますが、県はこの管理の状況も含めて調査すると。今年度中にその調査を行うということで、前向きに陳情に対しても応えていくという答弁をしているのです。国立墓苑に遺骨を移した際に一緒に移されたので、もう魂魄の塔の内部に遺骨はないということになっているが、沖縄県遺族連合会が遺骨調査に応ずれば県としてはやりますということになっているのです。皆さんは沖縄県遺族連合会との話し合いは行っていますか。沖縄県遺族連合会に対しても、県が調査をしたいということであればできるだけ応じてほしいというようなやりとりが大事ではないのかと思うのですが。

○具志堅隆松参考人 実は沖縄県遺族連合会が魂魄の塔を管理しているということについて余り把握していなかったのです。私はずっと沖縄県が管理していると思っていました。これをつくるときに金城和信さんとか沖縄県遺族連合会が初期にかかわっていたということは何かで読んで知っていました。
 皆さんは、魂魄の塔の正面にある説明板に分骨と書かれていることを御存じであると思いますが、分骨であれば、これは分けたということで残っているという意味ですねということです。県に対してもそのことについて聞いていたのです。
 そういうこともありましたが、確かに沖縄県遺族連合会が管理しているのであれば、沖縄県遺族連合会もぜひ加わってもらわなければいけない話だということですね。そのことについては少し見落としていたと思います。早速それについては、先ほど新垣委員からも指摘があったようにかかわっていきたいと思います。
 それと、ことしから県内各地の慰霊の塔の調査が始まるということを聞いてはいるのですが、そのことについて県に確認したら、実は聞き取り調査を行うということなのです。目視調査ではないのです。例えば各地にある慰霊の塔を管理している地域の区長さんなどに、この慰霊の塔の中に遺骨はありますかと聞いたら、恐らくほとんどの方がわからないと答えるはずです。そうなると不明という結果しか出てこないというようなことになります。これについては目視調査に変えてほしいと思います。要は慰霊の塔などをあけて中に遺骨があるのかどうかを確認をする。遺骨があればこれはDNA鑑定の対象になって、遺族のもとへ帰すための検査の対象になりますというようなことです。ただし、実際にこれをやるときには物すごい膨大な作業になります。本当に膨大な作業になるのですが、戦争の犠牲者、国策の犠牲者である亡くなった人たちを御遺族のもとへ帰すということは、それだけの作業が要求されることなのです。今、沖縄県が保管している御遺骨は600柱余りあると言われています。実際にはまだあるのですが、このうちDNA鑑定の対象になっているのは、たしか84柱です。これは歯がある遺骨のみが対象になっていたので、私は国に対して残りの516柱はやらないのですか、帰すための検査すらやってくれないのですかということで、せめて手足までは使ってくださいということで要請して、いわゆる四肢骨というものですが、手足の骨もやりましょうという話になったのです。ところが実際に600柱と言われている遺骨の中から手足を選び出すという作業だけでも物すごい作業なのです。なぜかというと人間は12本の手足の骨があるのです。国が12本全部やるのですかということに対して、私からは全部使わなくてもいい、大腿骨と上腕骨のどちらかを使えばいいんですというような。5人分として60本の手足の骨があれば、60本全部やるのですかというとそうではないのです。例えば右大腿骨だけにしましょう、そうすれば5本で済みますという話なのです。そのときはそれを聞いてどうやら納得したみたいな感触はあったのですが。だからこの見つかった遺骨のどこから特定しましょうかという、これを現場でやるときは物すごい作業量になります。でもこれは戦争犠牲者を家族のもとへ帰すという戦後処理として避けて通れる話ではないのです。たとえどれほどの作業量があっても、これは国がやらないといけない作業なのです。これが戦没者に対するせめてもの罪滅ぼしです。赤紙1枚で呼び出して、この方が戦地で亡くなっても、ずっとそのままほったらかしにしてきて、それを今から帰すとなったら、これだけの作業が必要だということは当然のことなのです。でもこれは国に行わせなければならないことなのです。

○西銘純恵委員 今、DNA鑑定のあり方についても問題の指摘がありました。遺骨については五体満足でみんな一緒にあるわけではないですから、1つの部位だけで検査、調査をするということになれば、一緒になっている別の骨が漏れるとか、いろいろな問題点について聞くことができました。県に対して今の具志堅参考人が説明された中身をしっかりと伝えて―DNA鑑定を行うことまで答弁しているものですから、聞いている調査の中身も違うと思いましたので、そこら辺は私たちでただしていきたいと思います。今後も協力してやっていきたいと思います。

○具志堅隆松参考人 そういう作業には、例えば形質人類学者などの専門家も必要です。1つの袋に何人分か、五体満足ではなく入っている場合には、私たちもやることなのですが、同じ部位の骨がどこか、何人多いものがあるかというような、その一番多いものをもって人数を、少なくとも右上腕骨だけで5つはあるから最低5人はいたのだというやり方をするのです。実際にはもっといたのかもしれないのですが、恐らく現状でできることは多分そこまでだと思います。だから形質人類学者というか、そういう方たちも入った上で作業を行う必要があります。厚生労働省にはそういう人材もおります。あるいは県内では琉球大学にもおります。そこら辺についてしっかりと根拠のある選び方ということがこれから必要になると思います。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 金城泰邦委員。

○金城泰邦委員 これまで戦後70年以上ほったらかしにされているこの遺骨の問題について、こうやって具志堅参考人が陳情を出してきたということは、先ほど来からのやりとりでわかるように戦後処理はまだ終わってない。その終わってない戦後処理をスタートさせるためには、沖縄県が一緒に協力しないと進まないということが、きょうの訴えの趣旨だと思っているのですが、いかがでしょうか。

○具志堅隆松参考人 まさに御指摘のとおりだと思います。当事者というときに口はきけませんが、まず戦没者がいらっしゃいます。そして御遺族がいらっしゃいます。そして沖縄戦であれば我々も当事者なのです。いわゆる生き残りの次世代なのです。さらに行政のかなめである沖縄県もまさに当事者です。そういうみんなが協力体制をつくっていければということです。戦没者遺骨というものがあるのですが、対馬丸についても同じような問題を抱えていて、本当にこれから四苦八苦するのが目に見えている状況で、これからどうやって継承、維持していこうかというような問題もあります。
 いろいろな問題を抱えているのですが、この戦後処理について私が一番懸念していることは、当事者がいなくなった後に日本の戦後も終わったという言い方が出てこないかということです。それをとても心配しています。しかし、これはまだ終わってないのです。戦地に送られて戦死した方はまだ帰っていないのです。これは沖縄県だけではないのです。南方はもっとひどいのです。そういう意味でも戦後は終わっていません。それではどうすれば終われるのかというと、やはりそこには行政の協力というものが絶対必要なのです。そういう意味でも、きょうの機会が委員の皆さんにとってもこれから沖縄県の戦後処理に向かい合うという、先ほど金城委員がおっしゃったスタートになるということにつながるのではないのかと思います。

○金城泰邦委員 遺骨を御遺族の方々に帰すという運動については、県としてもアイデンティティーを大事にするという考えがあるわけですから、そこは皆さんの思いをしっかりと酌み取って、具体的な動きをしないといけないということをきょうの話を聞いていてより実感しています。
 驚いたのは、先ほど来、魂魄の塔の管理者について具志堅参考人は県だと思っていたと。沖縄県遺族連合会が管理者であるということをきょう聞いたということです。これを聞いて私は非常に驚きました。この陳情の日付を見ると、6月には出されているのです。そこから日にちがたっているのですから、県から皆さんに対して魂魄の塔の管理者は沖縄県遺族連合会であって、管理者の了解がないとあけることができないという説明等々がなかったのかなと驚いています。そういった説明はなかったのですか。

○具志堅隆松参考人 沖縄県とも電話でやりとりしていたのですが、どうも私の記憶の中で主たる部分というか大きな要素として残っていることは、遺骨がないと思われる根拠として北村毅という沖縄戦の研究者が書いた「死者たちの戦後誌」で、関係者に聞き取りを行っていて、魂魄の塔の遺骨を中央納骨堂にトラックで移したと。だからもう中には残ってないというようなくだりがあって、それを沖縄県は根拠にされているということだったのです。北村先生がそのように言っているということではなく、移した当事者から聞いたということであれば、そうなのかなと思うところもあるのです。でも確実にないということを確認したいのです。そこで対馬丸の御遺族の方たちにとっては本当に残念なことですが、遺骨は国立墓苑に移されたものと思われますというような返事をしないといけないと思っているのです。ただし今の段階では確認していないので、それがまだ言えないのです。遺骨があればぜひDNA鑑定に結びつけたい。済みませんが、沖縄県と電話でやりとりをしたときも、私は管理者が沖縄県遺族連合会なのですという部分の記憶がないのです。県は言われたのかもしれないのですが。むしろ私は遺骨がないという根拠は何かという部分にほとんどの神経が集中していたので、魂魄の塔の管理者が沖縄県遺族連合会だということをきょう知るに至ったということです。

○金城泰邦委員 DNA鑑定についても、これまで歯でしかできなかった鑑定を四肢骨まで広げるということは、直接、具志堅参考人が厚生労働省にかけ合う努力があってこそ、今このようにできているのです。条件を広げたので、あとは遺骨があるのか、それともないのかという一縷の望みを御遺族の方々はかけていらっしゃいます。それを実現するために必要となる沖縄県遺族連合会の了解については、現時点の県の答弁を聞いていますと、管理者と具志堅参考人らとの話し合いをコーディネートするというようなことがまだ見えないものですから。そこは恐らく、きょうの文教厚生委員会に参考人として呼ばれている思いとしては、県に対しては管理者が沖縄県遺族連合会であったとしても、皆さんと一緒に魂魄の塔の中を確認するための段取りといった調整役を担ってほしいという思いがあってのことなのだろうなと思っています。いかがですか。

○具志堅隆松参考人 まさに先ほどの新垣委員の質疑から、沖縄県遺族連合会と話し合わなければいけないという認識に至っております。直接、沖縄県遺族連合会に行くべきか。あるいは県や文教厚生委員の皆さんに仲立ちをしてもらったほうがいいのかと先ほどからずっと考えていました。そこら辺については、できるだけ多くの人がかかわってやるべきことであると考えておりますし、対馬丸の関係者、それから御遺族の中には、あそこにうちのおやじが入っているんだということをおっしゃる方々も実はいるのです。でもその方々が言うのは、あの近くで亡くなったからということで、明確に誰々がそこに遺骨を持って行ったのだということではないので、具体的に証拠のある話として言えるところまでは至っていない。したがって今回は記録のある対馬丸に関する遺骨ということだったのです。このことについて委員の皆さんもかかわることが可能なのかどうかを含めて、できれば委員の皆さんの御協力や県の御協力をいただいた上で、沖縄県遺族連合会との話につなげられればと思っています。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 比嘉京子委員。

○比嘉京子委員 具志堅参考人と御一緒に厚生労働省にも伺ったことがあります。それから歯のDNAしか認めないときにも、具志堅参考人がいろいろと地道な活動を積み重ねて、きょうまでやってこられたということに対して、本当に感謝申し上げたいと思います。
 先ほどからのやりとりの中で遺族会のお話がありました。私はことし魂魄の塔に行きました。翁長前知事の四十九日に、小沢一郎さんを初めとする各政党の代表が四十九日の法要とお墓参りということで結集したのです。そこで翁長前知事のおば様というか、お父さんの妹さんからの情報なのですが、いわゆる魂魄の塔の成り立ちというか、そこは旧真和志村長でいらした翁長助静さんが、真和志村民が眠る墓ということで生前からそこを非常に大事にされていました。それで翁長前知事も選挙のたびに、必ず告示日には魂魄の塔に御夫婦で早朝に手を合わされてから選挙に入られるということはかねがね聞いておりました。四十九日にそこにみんなで相まみえて、そのおば様からお話を聞いたのです。ですから現在の遺族会が400基余りもの塔の管理をどうやっているのかわかりませんが、一番魂魄の塔に近いといいますか、お参りをし、守っているのは翁長家ではないのかなとお話を聞きながら思っていました。したがって御健在であるおば様ともお話をされて、沖縄県遺族連合会を通して魂魄の塔の管理というような段取りを踏むのもいいでしょうし、どうすれば今の問題が解決できるのかということをお聞きになるのも一つの方法であると思っています。翁長家との強い結びつき―助静さんの時代から皆さんが慰霊の日にはそこに行かれるというぐらいですから、そこは一つの情報であると思います。
 先ほどからおっしゃっているように戦後処理はまだまだなのですが、又吉補助者のお話を聞いていて、みんなが感銘を受けたと思います。その御遺族の思いを具志堅参考人がずっと以前から我々に伝えておられて、私も厚生労働省に御一緒させていただいて、それを訴えたこともありました。きょうそういう方がお一人でも沖縄県におられるということがすごく誇りだなと感じました。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 亀濱玲子委員。

○亀濱玲子委員 先ほどから質疑されている中からの確認ですが、私もこの陳情は、国がDNA鑑定を行って御家族に遺骨を戻すというようなことが趣旨であるとこれまで受けとめていましたが、きょうのお話を聞いて、むしろ県が積極的にかかわって、戦争の記憶、戦争の記録として残していかなければいけないんだなと改めて感じました。ですから管理者が沖縄県遺族連合会だとしても、県はその間に立ってしっかりとそこを調査ができるような動きを積極的に行っていくべきだということを改めて感じました。具志堅参考人と対馬丸記念会会長の髙良補助者にもう一度御意見を伺いたいと思います。これは文教厚生委員会で決めて、事業として厚生労働省に要請をする。またここに専門家も入れていかないといけない。もし遺骨があるとすれば大きな事業になっていくということを考えると、そういった視点でこの陳情に対する理解を深めていく必要があると思いましたので、ぜひお二人の御意見を伺いたいと思います。

○髙良政勝補助者 我々もガマフヤー代表の具志堅参考人と一緒になって、県や沖縄県遺族連合会に働きかけて、何とか実現していきたいと思っています。
 そこで、先ほどから説明があるDNA鑑定は膨大な費用がかかると思います。私は本当に具志堅参考人の洞察力、努力に感謝いたします。彼の著書である「ぼくが遺骨を掘る人『ガマフヤー』になったわけ」で一番感銘を受けたところが、アメリカと日本の違い、そして国の責任だというのを、この本を読むとよくわかるのではないかと思います。これを読ませていただきたいと思います。「よくアメリカ兵の遺骨は出てこないのですかと質問されますが、米兵の遺骨が出てきたことは一度もありません。戦死者の遺体を収容することはアメリカ軍の伝統で、どんな危険を冒しても収容して本国へ送り、慎重な調査を行って、身元を特定して家族のもとへ帰すと言います。朝鮮戦争のとき、敵の侵攻に押されて撤退する前に収容できない遺体を急いで仮埋葬して、何年か後に掘り起こして収容しているくらいです。アメリカ軍には行方のわからない戦死者を捜索、収容する専門班が、第二次世界大戦で行方不明になっている兵隊をいまだに捜し続けております」。
 映画「ハクソー・リッジ」でも、浦添の高地で弾が飛び交う中を、遺体を引っ張って味方の手に渡すという、本当に自分の命をかけて犠牲になった兵隊を祖国へ帰すために頑張っている。それくらいアメリカは兵隊、国のために戦った人たちを大切にしていると。それと比較して、時代の差などいろいろとありますが、日本の遺骨収集を見ると、いつも具志堅参考人が言いますが、バーンと掘って、そしてガババババとふるいにかけて、残った、ああこれは遺骨だと。これは国のために命を捨てた人に対する冒瀆ではないか、失礼ではないかと思います。それを見ても、DNA鑑定は当然国がやるべきだと思っています。

○亀濱玲子委員 実は私の身内にも沖縄戦によって摩文仁あたりで亡くなって遺骨が戻っていない者がおりまして、写真が1枚残っているだけなので、御遺族の又吉補助者のお話も、本当にどうすれば戻すことができるのかというお気持ちもよくわかります。
 陳情の処理方針を見ると、県の対応が、「以前に」と書かれていて、これがいつかということがよくわからないのですが、以前に県が調査を実施しています。その調査によりますと、内部には遺骨がないという結果になっております。しかし県の言っている「以前に」が、いつどういう形で調査して、その結果に至ったのかという―先ほど文献の話をされておりましたが、そういったことを私たちがきちんと文教厚生委員会でも詰めて、県がやれること、あるいは国の責任というものを私たちが厳しく求めていく。私たち自身がやれることは何かということを改めて考えさせられたと思っています。これから文教厚生委員会で一致してやっていけたらいいなと思っています。

○又吉正子補助者 先ほどからのお話を伺っておりますが、いろいろと政治の中でのこうやらなければものが通らない、これを備えていないとものが通らないというようなことをそちらでやっていると、私はそれをしみじみと感じました。ですが私の弟をとにかく早く戻していただきたのです。沖縄タイムスには、国吉眞英という名前がついた遺骨が帰ってきていると載っているのです。それを私たち家族は知らずに、弟はそのまま魂魄の塔へ行っております。だから、そのように名前がついた遺骨が来たということは、これはもしあけて何にもありませんということになると、この名前のついた遺骨をまたごちゃごちゃにしたのか。私はまさかそういうことはないと思うんです。ですからいろいろなルールがあって、いろいろなところへ行かなければできないということがございましたら、それを県議会議員の皆さんと具志堅参考人とでやっていただいて、とにかくあそこに入っているということは確かですから、すぐにでもあけていただいて、調べていただきたい。そしたら納得できます。だけどあけたこともなくて遺骨はありません、わかりませんでは。申しわけないのですが、何の力もございませんが、遺族としては、ああ何とかしてほしい。あけてくだされば、はっきりとすとんと落ちるものがあると思います。だからぜひそこのところをどうぞよろしくお願いいたします。

○具志堅隆松参考人 今のお話は、非常に大事な要素を含んでいるのです。それはどういうことかと言いますと、魂魄の塔の中にあった遺骨を仮に火葬して、それから国立墓苑に移したとして、そのときに名前のある遺骨はどうしたのかという話なのです。その名前のある遺骨は個別にとって、個別の骨壺なり箱なりに入れて、それが国立墓苑にあるのですか。それともたくさんある中に全部こぼしてしまったのですかという話なのです。ですから魂魄の塔の中にあった名前のある遺骨をどのように対応されたのかという新たな問題だと思います。ぜひそれだけでも調べる必要があります。どういう対応が行われたのかということです。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 平良昭一委員。

○平良昭一委員 今の件が一番大事だと思います。その当時、遺骨と名前がしっかりとあって奄美大島から移されてきたと。それが魂魄の塔の中に入っているということが大事であり、身元不明の方々だけが国立墓苑に移っている可能性は十分にあると思うのです。そのような確認がなかなかできていないという状況の中で、今いろいろとお話を聞いていて、恐らく文教厚生委員会のメンバーは同じような感情を持っていると思います。
 これは絶対にあけるべきです。それを主導するのが沖縄県遺族連合会なのか、それとも県なのかということだけです。先ほど又吉補助者のお話を聞いていて、本当につらい思いだなというのがありました。
 私もこれまでこういう方々のお話をたくさん聞いてまいりました。対馬丸だけではなくて、それ以外で疎開船ではありませんが、私は嘉義丸の生存者の方々と交流があるのです。その方も弟さんとお母さんを一緒に亡くしてます。いまだに頭から水をかけて髪を洗いきれないらしいのです。もう80歳を過ぎています。その方々は遺骨もない。ただその船に乗っていたことだけは事実であるということはわかっているわけです。ましてや先ほどのお話の中で、南方で亡くなった方々は遺骨さえもない。御遺族もそこには行けない。実は私の関係者もいるのですが、島に行って石を持ってきて、それを形見がわりに墓に入れたことを伝え聞きました。そういうことから本土の方々と沖縄県の方々の祖先の崇拝の仕方は違うと思います。本土ではほとんど檀家という中でそれぞれが祖先崇拝とは違ったような形での宗教がありますので、沖縄県は特異性があるのかもしれません。先ほど言われた、お父さんとお母さんがいる墓の中に弟さんを一緒に隣で寝かせてあげたいということは、本当に切実なものだと思います。純粋な考え方だと思います。一番大事なことは本当に名前と骨が一致していて、魂魄の塔に残されている可能性があるということです。そこを確認するためには絶対に県が動かないといけないのです。沖縄県遺族連合会と交渉するのは県です。これは国の責任ではなく、県の責任です。きょうそのことについてわかりましたので、これを文教厚生委員会として執行部にしっかりと要請しながら、県が責任を持って御遺族の方々の要望に応える努力をしないといけないということを突きつけないといけないのです。

○髙良政勝補助者 ぜひあけてほしいという理由は、魂魄の塔の全部の遺骨を国立墓苑に移したわけではないのです。魂魄の塔から象徴遺骨を残してと書いてありますので、ここに名前と骨が一緒になった又吉補助者の弟さんの遺骨が残っている可能性は十分にあると思います。ですから本当に一日も早く魂魄の塔をあけて中を調べさせていただきたいと思います。

○平良昭一委員 まさしくそのとおりです。これは急ぐべき問題ですので、文教厚生委員会の一致した考えの中で、また我々も動いていきたいと思います。
 具志堅参考人に伺います。6月議会における陳情のやりとりの中で、県は各地の慰霊塔の中について調査をすると。でも以前にも調査したが遺骨はないという報告を受けていると言っていましたが、これが目視ではなくて、いわゆる聞き取りだということを初めて知りました。具志堅参考人は、各地に多数ある慰霊塔には遺骨がまだたくさん入っているという感覚を持っていらっしゃいますか。

○具志堅隆松参考人 実際に遺骨が残ってる慰霊の塔を幾つか知っています。ちなみに健児の塔の中にも残っています。あれは表が石で組まれていて、サイドも石で組まれているのですが、その端っこから中の一部を見ることができるのです。遺骨は残っていました。ですからもし健児の塔の関係者あるいはあそこで亡くなったと言われている人で―私がぎりぎり見える範囲で確認してみても頭蓋骨は見えないのです。遺骨はもっとたくさんあったと言われているのですが、国からの指示で、県内各地にある慰霊の塔の遺骨を集めて国立墓苑におさめるという作業が復帰後に行われているのです。そのときに遺骨の全部を出していないところが幾つかあるというのです。それは御遺族がそこにお参りに来るので、お参りになる対象として遺骨があるべきだという考えでやったということを聞いてます。糸満市の真栄平地区にある南北之塔も、実は国からそういう指示があったときに遺骨を出さなかった慰霊の塔なのです。というのは、真栄平地区の人たちにとって、その慰霊の塔には部落の人も入っているから、我々はそこを墓として拝んでいるのだということで出さなかったのです。しかし、おととしになると思いますが、2年前のちょうど今ごろにこれを出したのです。それがどれだけあるのかということは、まだカウントに入っていないのです。だから県が保管している遺骨の600柱の中には入っていないのです。この真栄平地区の遺骨が実際にはどれだけあるのかということで、慰霊の塔のハンドブックみたいなものがあるのですが、それにはたしか1000柱以上と記されていると思うのですが、実際には600柱ぐらいだろうと言われてます。それだけの数が県に移ってるのですが、これについてはまだカウントに入っていないのです。このカウントする作業も実は大変な作業なのです。専門家がこれを調べるのですが、遺骨収集で集められた遺骨というものは個々に袋に入っていますので、その袋をあけてこれは2人分入っている、これは3人分入っているというような作業で累計を出していくのですが、1カ所の慰霊の塔の中に―野積みと言ったら失礼ですが、積まれている遺骨をカウントするのは非常に膨大な作業になってしまうのです。しかしこれはやらないといけないことです。
 あと自分が聞いてる範囲でお話しすると、渡嘉敷島の白玉之塔にもまだ遺骨が入っていると言われてます。それから読谷村喜名にある梯梧の塔もそうだと言われてます。それから伊江島から沖縄本島に遺骨が来たという記録はないと言われているのですが、伊江島は島内で独自に火葬したという記録があると聞いたので、伊江島にある遺骨のDNA鑑定は無理ではないのかと考えていますが、これも実際にはまだはっきりとはわからないのです。それ以外にも国の指示によって県内各地の慰霊の塔から遺骨を出したと言われていても、そこを拝む対象として、これは象徴遺骨という言い方をよくするのですが、そういう遺骨は残っているのではないかと推測してます。
 一方で、遺骨を残すという作業を私は非常に評価しているのです。御遺族や沖縄戦の犠牲者に思いを託する方々が、そういう場所に来て手を合わせて、亡くなった人を慰めるという気持ちはとても大事なことだと思っています。そういう意味では、私としては各地の慰霊の塔に遺骨があることはいいことだと思っているのです。そこからDNA鑑定をするときに、果たして全部の遺骨を出す必要があるかというと決してそうではないのです。先ほど言ったように、たくさんある遺骨の中から人数の特定に役立つ部位だけを選び出してそれをDNA鑑定すると。そうしないと1人で2本やってしまうことになるので、そのように人数の特定に役立つ部位だけを取り出して、それをDNA鑑定の検体とするということであれば、そこに遺骨を残すことは可能です。だから県内各地の慰霊の塔に遺骨が残っているのであればこれは大事なことだと思いますし、先ほど言った健児の塔に遺骨があるというのであれば、健児の塔の関係者や御遺族の方たちは、そこへ行けば自分の身内がまだそこで眠ってるんだということで手を合わせるということは、戦争を知らない我々が沖縄戦を継承していくという上では大事なことだと思っています。

○平良昭一委員 きょうの陳情の件だけではなくて、今言われた各地の慰霊の塔がその地域で大事にされてきたのは、戦争で亡くなった方々を地域の皆様が1カ所に集めてきたところに慰霊の塔を建立しているところなのです。そういうことから地域の方々の思いもありますが、できればその遺骨の身元を判明していただきたいということも事実でありますし、再度調査していかないといけないと思います。
 大変貴重なお話として、健児の塔の中にもまだ遺骨があるということですが、こういう事例が沖縄にはまだまだたくさんあるということが、きょうよくわかりました。これは国の事業であるのかもしれませんが、沖縄県の果たす使命だという意識もしっかりと持ちながら我々はやらなければいけないと思います。
 高良補助者の説明の中でも、米兵との違いがありました。たしかドイツもそうです。他国にありながら自分たちのために戦争を強いられてきた犠牲者を、国から予算を出しながらほかの国の中で慰霊をしているというようなこともあります。そういうところは日本には足りないところですね。そのようなことを他国に学びながら、しっかりと戦後処理をやっていけるような状況をつくっていけるように県議会議員として自覚していきたいと思います。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 次呂久成崇委員。

○次呂久成崇委員 少し基本的なことをお聞きします。火葬した遺骨については、もうDNA鑑定はできないのでしょうか。

○具志堅隆松参考人 現在の技術では無理だと言われています。ただし野焼きによる火葬であれば、まだDNA鑑定できるのではないかという意見もあります。火葬場で火葬するのと、終戦直後にまきを積んで行った野焼きに近い火葬では違うと言われています。
 それから、この機会に一つ知っていただきたいのは、DNA鑑定以外にも安定同位体元素の検査というものがあるのです。これは最近出てきたものです。牛肉の産地偽装の問題がありました。それで使われているのですが、これは人間においてもその人が成長し、骨が形成される段階でとっていた水や食事とかでその人の地域が特定できるというものです。これは47都道府県ほぼ100%で特定できると言われてます。DNA鑑定以外にもそのような検査があります。だからこれは例えば大量の遺骨があって、DNA鑑定に加えて安定同位体元素の検査であれば、この人は北海道の出身だとわかれば北海道に帰してあげる。あるいは東京の人だとわかれば東京に帰してあげるというようなことまでできるのではないか。安定同位体元素の検査の費用は、それこそDNA鑑定の5分の1ぐらいだと。またDNAは抽出できなくても安定同位体はできると言われています。これについてもこれから使えるものの一つになると思っています。 あと今質疑された火葬した遺骨についてDNA鑑定はできないのかと問われると、現時点では火葬場で火葬されたものについては高温であることから難しいと言われています。

○次呂久成崇委員 DNA鑑定の費用は大体どれくらいかかるのでしょうか。

○具志堅隆松参考人 遺骨自体と御遺族で異なります。遺骨は1件当たり5万円くらいです。それから御遺族の場合が3万円くらいになっています。しかしこれについても、福岡県にこの検査を民間でやっているところがあり、そこに聞いてみると価格はもっと安かったです。
 ちなみに、現在のDNA鑑定の現状を見ると、国は11カ所の大学に分散してこれを発注しています。そのことについて私は問題だと思っており、国に対しても1カ所でできないのかということを何回か言っているのです。というのは、同じようにアメリカ兵の遺骨を捜している米国防総省の戦争捕虜及び行方不明者確認局―DPAAからも厚生労働省は指摘されています。11カ所に分散発注するとDNA鑑定を行う技術者や機械が違うし、統一した結果が出るのかということで、それは1カ所でやるべきではないかということです。これについて私は国に対してばらばらにやるのではなく統一したところでやってくれないかと言ってます。専門家に聞くと、三、四人ぐらいのスタッフがいる1カ所のラボ、研究所をつくればそれができるということです。
 あと参考として聞いておいてほしいのですが、実は沖縄科学技術大学院大学―OISTから2カ月ほど前に連絡がありまして、DNA鑑定で我々が協力できることはありませんかという投げかけがあったのです。それでぜひこれにかかわってほしいと。今、沖縄県で見つかっている遺骨をDNA鑑定するためには本土へ送らないといけないのです。今後、手足の骨が対象になって県が保管している600柱もの遺骨をDNA鑑定するときに、これだけの遺骨を全部本土へ送るよりも、むしろ地元でできることについて大きく期待しています。実際にOISTが遺骨の状況を見てみたいというので、私から県にお願いして、仮安置所に行って遺骨を研究者に見てもらいました。そうしたら思っていたよりも状態がいいということなので、OISTを11カ所あるDNA分析施設の12番目にするのか、あるいは県内の遺骨はOISTにやってもらうという考えがいいのか、そこら辺はこれから詰めていきたいと思います。実はOISTには、このことは県や県議会にも私から要請を出して、OISTの力をかりて沖縄県のDNA鑑定を進めるような方向を探れないかやってみるということでお話をしています。図らずもきょうが先になってしまいました。

○次呂久成崇委員 安定同位体元素の検査については、県外で実施されているというものがほとんどですか。そこら辺はどうでしょうか。

○具志堅隆松参考人 これが県内で行われているのかということについてはまだ承知していません。ただ県外では行われています。県内で去年ですかね、実はアメリカ兵の遺骨が見つかったのです。そのときも安定同位体元素の検査によって日本人ではないということでアメリカ側に引き渡されています。そういう意味では実施例はあるのです。

○次呂久成崇委員 先ほどから具志堅参考人のお話を聞いていて、県内各地の慰霊塔にもまだまだ遺骨があるということであれば、目視による調査を専門家も含めてしっかりと実施していくこと。なおかつ県が中心になって、DNA検査に加えて安定同位体元素の検査についてもOISTに協力していただいて、県内でしっかりとやっていくという体制づくりを行うことが、沖縄県からの積極的な平和行政の発信ということにもつながるものと思っております。そこら辺は、恐らく文教厚生委員会のメンバーもできるだけ早い時期に御遺族の皆様に遺骨を帰していきたいという思いは一緒だと思いますので、そういう体制づくり等についてもしっかりと連携してやっていきたいと思います。

○髙良政勝補助者 去年の11月13日に県の平和援護・男女参画課と対馬丸記念館学芸員の慶田盛さんが話をしているのですが、その中でDNA鑑定のことが少し出ていました。国立墓苑に納められてる遺骨は全て焼却されていると。DNA鑑定の技術が高くなってきた現在になって、鑑定が見込める遺骨に関しては仮安置所で一時保管し、身元調査、鑑定作業等を進めている状況だということで、焼骨したものでもDNA鑑定が可能なものも含まれていると。それはまた別に保管しているということですので、ぜひDNA鑑定を実施していただきたいと思います。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。
 新垣新委員。

○新垣新委員 県から魂魄の塔の内部に遺骨はないとの結果になっているとの言い分がありました。しかし私は地元ですから、喜屋武地区、米須地区、三和地区一帯の聞き取りをしていて、昔ここで亡くなられて埋葬されたと。そして門中墓の中のように遺骨があったという地域住民の声も聞いているのです。ですから全く遺骨がないということはおかしいと思います。

○狩俣信子委員長 ほかに質疑はありませんか。

   (「質疑なし」と呼ぶ者あり)

○狩俣信子委員長 質疑なしと認めます。
 以上で、陳情第56号に対する質疑を終結いたします。
 この際、参考人及び補助者各位に対し、委員会を代表して、一言お礼申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず、長時間にわたり貴重な御説明をいただき心から感謝いたします。
 本日拝聴いたしました内容等につきましては、今後の委員会審査に十分生かしてまいりたいと思います。
 具志堅隆松参考人、髙良政勝補助者、又吉正子補助者の皆様、大変ありがとうございました。
 休憩いたします。

   午前11時40分 休憩
   午後1時29分 再開

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 委員長の指名により、副委員長の私が委員長の職務を代行いたしますので、よろしくお願いします。
 次に、子ども生活福祉部関係の陳情平成28年第37号の2外25件の審査を行います。
 ただいまの陳情について、子ども生活福祉部長の説明を求めます。
 なお、継続の陳情については、前定例会以降の新しい事実についてのみ説明をお願いいたします。
 大城玲子子ども生活福祉部長。

○大城玲子子ども生活福祉部長 それでは、陳情の処理方針について、お手元に配付しています陳情に関する説明資料で御説明申し上げます。
 表紙をめくりまして、陳情一覧表をごらんください。
 子ども生活福祉部関係では、継続の陳情が26件となっております。
 継続分の陳情につきましては処理方針に変更がありませんので説明を省略させていただきます。
 以上で、陳情の処理方針についての説明を終わります。
 御審査のほど、よろしくお願いいたします。

○西銘純恵副委員長 子ども生活福祉部長の説明は終わりました。
 これより、各陳情に対する質疑を行います。
 質疑に当たっては、陳情番号を申し述べてから重複することがないよう簡潔にお願いいたします。
 なお、質疑・答弁に当たっては、挙手により委員長の許可を得てから行うようお願いいたします。
 質疑はありませんか。
 新垣新委員。

○新垣新委員 陳情に関する説明資料の51ページ、陳情第56号について質疑します。午前中にガマフヤー代表の具志堅さんにお話を聞いております。処理方針の「『魂魄の塔』の内部には遺骨はないとの結果となっております」という中身についてです。私は糸満市出身ですが、翁長前知事の本にも書いてあるように、最初は喜屋武地区にあったものが今の場所に移っていると聞いているのです。電話でその当時の関係者に聞き取りをしています。地域の住民、三和地区の関係者、糸満市のお話も聞いております。その中で亡くなった方の遺骨を門中墓のようにばっと入れていたという証言もありました。ですから遺骨がないということはありません。それはどういうことなのかお答えください。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 沖縄県遺族連合会の50年記念誌に、遺骨を魂魄の塔から那覇市識名に建立された中央納骨所へ転骨されたとの記載があります。それから、「死者たちの戦後誌」という北村毅氏の著書の中で、魂魄の塔から中央納骨所への転骨に携わった職員の話によると、魂魄の塔の中から遺骨と遺品をより分けた上で、全ての遺骨を運び出し、焼骨した後、中央納骨所におさめた。焼骨した灰の一部を象徴遺骨としてかめに入れて塔内に戻したという記述がありました。そこでこの遺骨の運び出しに携わった職員と当時の県援護課の職員2人に聞き取りを行ったところ、魂魄の塔内部の遺骨は全部運び出しており遺骨は残っていないという証言がありました。それらのことから遺骨はないという内容になっております。

○新垣新委員 魂魄の塔は、最初どこにありましたか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 県が知っている限りでは、県の発行した「沖縄の慰霊塔(碑)」の中でも説明がありますように、糸満市米須にいた真和志村民が遺骨を収集して納骨堂をつくって、それが魂魄の塔になったということは承知していますが、その前にどこにあったのかというところについては承知しておりません。

○新垣新委員 たしか今の場所の前は荒崎にあったのです。糸満市の喜屋武地区あたりだと聞いています。翁長前知事の亡くなったお父さんの証言も本の中に書かれているのです。実は魂魄の塔は2回移っているのです。先ほど述べたとおり、現在の場所の前に喜屋武地区にあったという話もあるのです。それはなぜかというと、翁長助静さんのお父さんがあそこで戦争によって亡くなられたという証言があるからです。
 現在、糸満市にはどのくらいの慰霊塔や石碑などがありますか。県内全体では四百幾つかだと思いますが。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 県内は440基です。糸満市内には125基あるものと承知しております。

○新垣新委員 糸満市の慰霊塔などについては、午前中の参考人招致の中で、あちこちに遺骨があると。外国では亡くなった方の遺骨を御遺族に帰すことは当然のことなのです。
 今、県は沖縄県全域で聞き取り調査を行っていますね。所在不明の遺骨がどれくらいあって、それが慰霊塔などの中にあるのかそうでないのかとか。現時点における状況はどうなっていますか。その聞き取りは行ったのか。以前にも質疑しているのですが、糸満市から優先的にやってくださいと。糸満市が一番の犠牲者ですから、戦争がなければ慰霊塔や石碑などはなかったと。次男や三男が帰って来られなくて、ホテル―来たい人が来られないというような戦争の被害がまだ糸満市にはあるのです。糸満市の戦後処理はまだ終わっていないのです。戦争がなければそんなことはないのです。そこをしっかりと所在不明の遺骨も摩文仁の国立墓苑に持っていってほしいと。遺族会などの関係者も高齢化でリタイアしていきます。その現状はどうなっていますか。一般質問でも何回も聞いています。これが片づかないと糸満市は市街化調整区域などの手続ができないのです。糸満市は被害者なんです。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 この調査は委託をしておりまして、全県的にやっています。委託先の整理、取りまとめについては本年度いっぱいかかる見込みになっております。

○新垣新委員 強くお願いするのは、糸満市から先にやってほしいのです。その後に糸満市外をやってほしいのです。糸満市のおじいさんやおばあさんとか、地域の人からの切実な声があります。戦争がなければそのようなことはありません。次男や三男も帰って来られないし、ホテルや企業も来られないという、こういう戦後処理がまだ終わっていない。これについては毎回言っています。こういうものはまず先に糸満市から行うべきです。ですから糸満市の125基についても国立墓苑に全てしっかりと移す。以前に国の補助金は2分の1であると教えてもらっています。これは国が起こした戦争ですから、100%移せるように我々県議会議員も心を一つにして、各政党に呼びかけますから。この聞き取り調査を行うことについて強くお願いして、早くその結果を報告していただきたい。
 もう一点、先ほどの説明について確認します。魂魄の塔からどこに転骨したのですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 那覇市識名の中央納骨所というところで、これは昭和32年に建設されています。

○新垣新委員 午前中、ガマフヤー代表の具志堅さんにお話を聞いたときに、県の説明でわからなかったところもあったと。まず魂魄の塔を管理しているのが沖縄県遺族連合会であるということ。さらに魂魄の塔から中央納骨所に骨を移していることもわかっていなかったのです。県はきちんと具志堅さんと向き合って説明すべきだと思うのですが、いかがですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 8月21日に陳情者である具志堅隆松氏にお会いして、魂魄の塔内部の遺骨が全部運び出されたという証言もあるという説明をしました。そのときには理解されているように受けとめました。

○新垣新委員 確認します。昭和32年に中央納骨所ができた。この魂魄の塔は、平成何年に今の場所に移りましたか。今新しくなっていますね。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 昭和21年に建立されております。

○新垣新委員 それは建立です。今の場所にはいつかと聞いているのです。新しく壁などが変わっていますね。その時期を聞いているのです。いつごろリニューアルされましたか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 先ほども御説明いたしましたが、県で把握しているのは、糸満市米須地区で遺骨を集めて納骨堂をつくって、魂魄の塔を建立したということで、それが昭和21年ということです。

○西銘純恵副委員長 休憩いたします。

   (休憩中に、新垣委員から、魂魄の塔がリニューアルされた時期について答弁するよう指摘があった。)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 大濱靖平和援護・男女参画課長。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 平成元年に補修されております。

○新垣新委員 もう一点、魂魄の塔から何らかの形で中央納骨所に移したという証言があるとのことですが、それは何年ですか。
 地域住民は、遺骨がたくさんあるというイメージなのです。あそこで亡くなられた方を全て入れたという証言があるのです。これまでも確認をとってきているのですが、糸満市民は門中墓みたいなイメージでいるのですよ。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 中央納骨所には昭和50年に転骨されております。

○新垣新委員 それでは昭和50年、今から43年前に中央納骨所に遺骨を移していて、今の魂魄の塔内部には遺骨がないということで理解していいのですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 当時運び出した職員2名の証言があり、それは確度の高い情報だと考えております。

○新垣新委員 確度が高いと言いました。中央納骨所にあると。先ほどの説明では具志堅さんにも伝えたということですが、なぜこのような食い違いがあるのですか。魂魄の塔にあった遺骨が何らかの形でなくなったとかといった誤解や懸念があるのではないかと思っています。何らかの形で証言について事実確認をしたいのです。全ての遺骨が転骨されたのかという確認です。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 中央納骨所に全て運び出したという証言になっております。

○新垣新委員 それでは現在、中央納骨所に遺骨があるのですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 遺骨については、中央納骨所から国立墓苑に移されています。

○新垣新委員 国立墓苑に移されたのはいつごろですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 昭和54年に中央納骨所の遺骨を国立墓園に移しております。

○新垣新委員 今から39年前にそういう形で移しましたと。遺骨の管理等を含めて、県はDNA鑑定とかといったもろもろを沖縄県遺族連合会などと連携したと。ここで米国、日本、韓国、フィリピンなどの多くの方々が亡くなっています。そういうDNA鑑定等の対応の仕方はどうなのですか。今、県が把握しているのは600柱ぐらいの遺骨があるということですよね。それは実態からかけ離れていると思っているのです。その実態はえたいが知れないのかもしれませんが、DNA鑑定等を含めてそれはどのようにやっていますか。遺骨を御遺族に帰すことが大事なのです。それは海外では当たり前のことなのです。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 平成24年度までは収骨した遺骨を焼骨して国立墓苑に納骨しておりましたが、平成25年度以降は焼骨せずに仮安置室というところに、現在700柱余りの遺骨を安置しております。

○新垣新委員 700柱余りの遺骨を安置している場所はどこですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 国立墓苑の近くになります。

○新垣新委員 それでは摩文仁にあるということで捉えていいのですね。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 そのとおりです。

○新垣新委員 最も大事なことを強く言っておきます。700柱余りの遺骨がありますが、まさかこれらを処分するために焼いて灰にするとかということは一切やめてほしいのですが、そういうことはないですよね。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 DNA鑑定など遺骨を御遺族に帰すためのことが進められておりますので、今は焼骨を行わずに仮安置室で管理しているところでございます。

○新垣新委員 700柱の遺骨について、午前中に具志堅さんから県はOISTと連携をとってDNA鑑定を行ってほしいという大変いい提言がありました。OISTはゲノムという、DNAについてもスーパーコンピューターみたいなもので調べられる。すぐに鑑定できる。速いということです。ですからぜひ県も連携をとってほしいのです。その件に関して県の意欲をお聞かせください。

○上間司生活企画統括監 県はOISTに対しまして、戦没者遺骨収集事業の概要などを説明いたしました。それとあわせて国に対しても、OISTの意向を伝えているところでありまして、現在連携を図っているところであります。

○新垣新委員 連携を図っていると言いますが、それでは700柱の遺骨はどうなっていますか。まだ具体的に踏み込んでいないのではないですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 現在、県内10地域から収骨した遺骨に対するDNA鑑定の作業を実施している状況であり、まだ仮安置室の遺骨についてのDNA鑑定は行われておりません。

○新垣新委員 700柱もの遺骨があります。ぜひ早くOISTの世界的なレベルにあるゲノムの高い技術力の活用をお願いしたいと。もちろん費用がかかるときには、国が起こした戦争ですから全て国に出してもらうという気持ちを持ってほしいのです。我々自民党から共産党まで心を一つにして、これが本当のオール沖縄というのです。そういう保守から革新、共産党までという形で対処していきますので、これについて県の負担がないようにぜひ頑張っていただきたいのです。子ども生活福祉部長の答弁を求めます。

○大城玲子子ども生活福祉部長 現在、もちろんDNA鑑定は国の責任において実施されているところでございます。今、DNA鑑定をできるところは11機関となっておりますが、県としても、例えばその中にOISTを含めていただくとかといった取り組みについて、ぜひとも国に相談していきたいと思っております。

○新垣新委員 この11カ所あるDNAを鑑定する機関は窓口を一つにしたほうがいいのです。レベルの高いゲノムの技術をDNA鑑定の中に入れていただきたい。ぜひ窓口を一つにしてほしい。先ほど具志堅さんからいいアドバイスもいただきました。沖縄県にはOISTがあるのです。ぜひこれを一つにするという考え方はどうでしょうか。

○大城玲子子ども生活福祉部長 貴重な御意見であると思います。ただし、国で実施しているということもございますので、国には先ほどの御意見があったことをお伝えし、相談してみたいと思います。

○新垣新委員 この問題を早く解決していただきたい。あれから73年もたっていて大変きついかもしれませんが、生きている御遺族のもとに帰すことも沖縄県の務めだと。これについては国や県、我々県議会議員も責任があると思っておりますので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
 続きまして、同じく28ページの陳情平成29年第104号です。陳情者はうるま市与那城の金武川さんで、沖縄県出身特定失踪者の救出に関する陳情です。これは北朝鮮による拉致の問題ですが、この件に関して政府や国連機関などとの連携はどうなっていますか。県はこの陳情者のお気持ちを訴えていくべきです。私は知事が立ち上がるべきだと思っているのです。これについては翁長前知事も一向に応じなかった。この拉致問題、特定失踪者の問題です。実は私の義理のおじが拉致されているものですから。その証言もあるものですから。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 沖縄県知事と全国の知事と一体となって、全国知事会から政府に対して、関係諸国や国際機関等と連携・協調を図りながら、最優先課題として主体的に取り組み、全ての拉致被害者等の一刻も早い帰国の実現に向け、目に見える形で具体的な成果を出すことについて要望しているところです。

○新垣新委員 玉城デニー知事あるいは県当局にお願いしたいのですが、翁長前知事は基地問題について国連で訴えた。デニー知事はこの拉致問題について、沖縄県にも犠牲者がいるということをぜひ国連の場で訴えてほしいのです。子ども生活福祉部長から知事に伝えていただけませんか。いかがですか。脱北者からの証言もあるのです。特定失踪者は拉致の疑いが高いということで済まされているのです。でも証言があるのです。これは日本国内で1000名以上いるのです。公にはなっていないが、事実であろうと断定されている問題なのです。誰ひとり取り残さないと言っているのですから、デニー知事はやるべきですよ。

○大城玲子子ども生活福祉部長 北朝鮮による拉致の問題につきましては、非常に大変な問題だという認識でございます。県としましても、年明けの3月に、「拉致問題を考える国民の集いin沖縄」を本県で初めて開催することになっております。そういった取り組みを通じて、拉致問題にかかわっていきたいと考えております。

○新垣新委員 陳情者の金武川さんを初めとする遺族会みたいな沖縄県の団体がこれから立ち上がろうとしています。その方々との連携はどうなっていますか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 子ども生活福祉部長から説明があった「拉致問題を考える国民の集いin沖縄」で、御家族の方などとかかわることができないかということを考えています。

○新垣新委員 ぜひかかわってほしいのです。人ごとではないのです。この拉致については平成の時代になっても行われているのです。公安が未遂、水際でとめたという実例もあるのです。これについては表立って沖縄県の新聞は報道してくれないのですが、実際にあるのです。だからこうやって強く言っているのです。人ごとではないものですから。あすは我が身になるかもしれない。その可能性が高いものですから、関係者や特定失踪者の家族を巻き込んで、ぜひこの問題に係る連携の強化をお願いします。

○西銘純恵副委員長 ほかに質疑はありませんか。
 金城泰邦委員。

○金城泰邦委員 陳情に関する説明資料の51ページ、陳情第56号について質疑します。この陳情者から午前中に意見聴取をさせていただきました。魂魄の塔の管理について、陳情者は県の管理だと思っていたそうで、きょうのやりとりでは、県ではなく沖縄県遺族連合会の管理だという話を初めて聞いたような状況でした。この陳情は6月に出されていますが、これまでに県から陳情者に対して管理者が沖縄県遺族連合会であることとか、陳情者が要望している魂魄の塔の中を見るということについて、今後どうすればできるのかなどといったやりとりはなかったのですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 県から陳情者に説明している中で、管理者は沖縄県遺族連合会であるという話は出ていたと思います。それから魂魄の塔の中に遺骨があるのかどうかということで、陳情者と意見交換をしていたところであります。そういうことで今に至っているところです。

○金城泰邦委員 しかしながら、この処理方針を見ると、「慰霊塔(碑)は建立者等関係者の所有であり、その管理等については、建立者の意向により行われるものであると考えております」という文言になっており、この「遺骨のある慰霊塔(碑)につきましては、管理者の意向があれば、国に情報提供し、対応してまいります」とあるのですが、県のかかわり方というものについて、この文面では全然見えてこないのです。ですから陳情者の意向があるにもかかわらず、管理者のことについては陳情者御自身が調べないといけないのかと。処理方針には「国に情報提供し、対応してまいります」とあるのですが、何か県の関与の仕方がこの文面では全く見られないのです。
 きょうの午前中に陳情者等から意見を聞いてみましても、そのやりとりの中で、国に対してさまざまな要望も直接お願いしているが、これは戦後処理の一環なのだという思いから、DNA鑑定の仕方についてはこのように変えてもらったというお話がありました。今、対馬丸の御遺族の方々の思い、そこに合祀されている御遺骨も調べたいという要望については、一番最初の突破口となる慰霊碑の中をあけて見るというスタートの部分において、県のかかわりが全然見えてこない。ここはしっかりと県が主導してあげる必要があると思います。皆さんの処理方針を見ると、民と民で自分たちでやってくださいという形にしか映ってこないのです。これについて県としてどのようにやっていくつもりがあるのかをお聞かせください。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 魂魄の塔は、民間の建立による慰霊塔になります。したがって私有財産ということで、行政が立入調査を行うには、戦没者の遺骨がそこにあるという確度の高い情報が必要であり、情報なしに行政として立入調査のようなことは行えないということで、これまで答弁させていただいております。しかし身内の遺骨を捜している御遺族のお気持ちはよくわかりますので、県としても管理者である沖縄県遺族連合会に対して、魂魄の塔の中を見せてもらえないかということについて相談したいと考えております。

○金城泰邦委員 きょうの参考人招致にお呼びした対馬丸の御遺族の皆さんは御高齢でした。自分が生きているうちにきょうだいであったり、亡くなられた身内の御遺骨をしっかりと預かりたいという思いが強いのです。しかしながら、その御高齢の方々に、自分たちだけで動いてはということはかなり無理があります。やはりそこは県が戦後処理は国に求めるとしても、具体的に県が国にこういうことを御遺族が望んでいるのでこのようにさせてもらうと。管理者との調整などについても県の皆さんが行ってもらうという。高齢化した御遺族のことを考えると県の早急な対応が求められていると思います。迅速にです。御遺族の方々の思い、早急な対応という部分がどのくらい伝わっているのかなという部分が気になっているのです。これについてはいつかは対応するということではないですよね。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 早いうちに管理者とお話をしてみたいと思います。

○西銘純恵副委員長 ほかに質疑はありませんか。
 平良昭一委員。

○平良昭一委員 同じく、午前中に大変貴重な意見というか新たな事実もわかったものですから、陳情に関する説明資料の51ページ、陳情第56号の件について質疑します。午前中に御遺族の方がお見えになって、切実に御自身の弟の話をしてくれました。その中で1950年に奄美大島で埋葬されていた対馬丸の犠牲者の方々の105柱の御遺体をお迎えに行ったということがありました。その方の弟は遺骨に氏名まで記載されて戻ってきたことを確認しているそうです。その当時の状況が沖縄タイムスに載っていたらしいのですが、戦後のどさくさの中でその記事を見ることがかなわなくて現在まで至っていると。その記事を見て、氏名が記載された遺骨を引き取りにきた御遺族もいたらしいということなのです。しかし本日お呼びした補助者自身はそれを知らなかったものですから、その遺骨が魂魄の塔の中に入っているということで、今まで自分の弟が眠っていると信じていて、いつもそこに行っているらしいのです。中央納骨所から国立墓苑に移されたときにも、氏名など遺骨の所在がはっきりしているものがあれば当然引き取り手がいたのでしょうが、仮に御遺族などがあらわれなかったという事実があれば、そこに入れられている可能性があると思います。そうであれば、これは具志堅さんの言い分ですが、身寄りのない遺骨が国立墓苑に入っている可能性がある。でもはっきりしているものは中央納骨所に残されている可能性があるのだということも言っていたものですから、御遺族の方はそれを聞くと、どうしてもこの中に自分のきょうだいがいるということを信じているわけです。これに一縷の望みをかけているわけです。そういう状況の中での陳情であることも大きなポイントだという説明を受けました。
 そこで判明したのは、先ほど金城委員の質疑にあったように、具志堅さんは、魂魄の塔については沖縄県遺族連合会の管理だということを初めて知ったと。そこで段取りをしないといけないということになりました。これは国や県レベルの話です。個人のボランティアとして、これは限界に来ている状況だと思うのです。確かに文献などを見てみると、全ての遺骨が国立墓苑に移されたということを県の担当職員は考えたのかもしれません。一方、御遺族は確実に中央納骨所等に眠っている、それが100%に近いのだという思いを持っています。現在御高齢にあって、その望みを託したわけです。お父さんとお母さんがいるお墓に自分の弟を一緒に寝かせてあげたいという思いを受けとめるということもこの陳情の願意だと思います。ですから皆さんは、既に沖縄県遺族連合会が管理者であるということをわかっていたわけですから、その思いを受けて交渉しておかなければならなかったのです。6月に陳情が出されていたにもかかわらず、きょうまでやっていないということが不思議でたまらない。きょう午前中の参考人招致を受けて、皆さんが主張している文献から出した答えだけで判断していいのかということについて非常に疑問を持っている一人であります。先ほどからのやりとりを見ていて、もう少しスピーディーにやらないと大変なことになると思っています。本当に魂魄の塔の中には100%遺骨がないと思っているのですか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 先ほども説明いたしましたが、魂魄の塔から中央納骨所に全ての遺骨を運搬して、象徴遺骨だけを残したということについて2人の職員から証言が得られているところです。その情報から、恐らく遺骨はないだろうということではありますが、やはり身内の遺骨を捜している御遺族のお気持ちはわかりますので、管理者である沖縄県遺族連合会に県からお話をして、中を見せてもらうことについて対応したいと考えております。

○平良昭一委員 これは事実かどうかわかりませんが、御遺族の方は遺骨とその氏名があったという情報を聞いているわけです。そうであれば当然、中央納骨所あるいは国立墓苑の中にもこの遺骨と氏名が一緒にセットされているはずなのです。当然、国立墓苑の中にそういう状況の中で置かれている可能性があるわけです。全部の遺骨を運び出したと言うのであれば、今後はその対応について考えていくべきです。私は両方の中を確認すべきだと思います。御遺族の方が言うように、沖縄タイムスに名前がついた遺骨が一緒に来たという記事が載っていたという事実があるわけですから。

○上間司生活企画統括監 先ほど来、対馬丸の御遺族の方からのお話がございました。私どもは昨年、沖縄県遺族連合会とも意見交換をいたしました。それとは別に対馬丸の御遺族の方にも説明をいたしました。ただ、きょう参考人招致に来られた方々がその中にいらっしゃったのかはわかりません。しかし私どもからは対馬丸の遭難に関する経緯等を説明しております。
 少しその経緯を申し上げますと、まず対馬丸の遭難が昭和19年です。魂魄の塔は昭和21年に建立されました。その4年後の昭和25年に沖縄民政府事務次官と遺族代表が奄美大島から105柱の遺骨を持ち帰りました。そのうちの31名の身元が確認され、個別に埋葬され、その他は不明なまま一緒に埋葬ということをお伝えしております。その後、昭和28年になりますが、対馬丸遭難者慰霊祭を挙行いたしました。その後、御遺族の引き取りがない遺骨は魂魄の塔へ合祀することを取り決めたということで、それは琉球政府社会局がその旨を新聞公告で掲載しているということで説明しております。その後、先ほど来、平和援護・男女参画課長が説明していたように、昭和32年に中央納骨所が建立されまして、昭和50年には魂魄の塔から中央納骨所へ納骨するのために焼骨して、それを転骨したということです。さらに昭和54年には中央納骨所が手狭になったことから、国立墓苑の建立後、象徴遺骨を残してその国立墓苑に転骨したという経過を昨年沖縄県遺族連合会にお伝えしているところであります。

○平良昭一委員 今、説明しているとおりであれば、1950年11月11日に氏名が判明した遺骨の31名ははっきりとわかっているわけです。連絡がついた御遺族のもとには帰ったが、31名全部が帰ったわけではないのです。帰っていない方の中に参考人招致の補助者である又吉さんの弟がいるわけですよ。そうであればこれをどう帰すのかという新たな問題も出てくるわけです。その氏名が判明している遺骨がどこかにあるわけです。

○上間司生活企画統括監 午前中の参考人招致のお話をお聞きしまして、県が昨年度から説明してきたことも踏まえて知る限りでは、まず先ほども経過のことで申し上げましたが、105柱のうち31名が明確にされたということですので残りは74名ということになります。それが昭和25年です。先ほども説明いたしましたが、昭和28年に引き取り手がいない遺骨は魂魄の塔へ合祀するということについて琉球政府が新聞公告の掲載を行いましたが、そのときにきょうの午前中の参考人招致の方は残念ながらごらんにならなかったということで、非常に心の痛い話ではあります。私どもが把握している限りでは、それがどうなったかということまでは承知しておりませんので、今の経過から推察するとそのまま合祀されたのではないのかなということしか、今のところ申し上げることができない状況であります。

○平良昭一委員 恐らくこの帰郷してきた遺骨、奄美大島から戻ってきた105柱の中には明らかに氏名と遺骨が合致している方がいらっしゃるわけですよね。きょうそれがどこにあるのかという新たな疑問が生じたわけです。大体、沖縄県の風習からすると、火葬するにしても絶対に氏名と火葬された遺骨を別にするわけがないのです。ましてや行政が絡んでいることについて粗末にするわけはありませんから。そうであればその御遺族はたまたま公告を見なかったのかもしれないわけですから、そこは100%手を差し伸べないといけないのです。6月に出されたこの陳情に関して新たな状況が出てくるのであれば、この対応についてどうするのかということをお聞きします。

○上間司生活企画統括監 平良委員のおっしゃることも十分理解できますので、県としましてはもう一度対馬丸の御遺族、きょうの参考人招致に関係する方々も含めて意見交換をしながら、県が承知している経過についても説明しながら対応していきたいと考えております。

○平良昭一委員 これについては、ぜひ早急に対応していただきたいと思います。
 DNA鑑定の問題ですが、たしか国内で11カ所でしたか。それを委託している状況があるということでしたが、参考人はこれを11カ所に分けてばらばらにやることが一番問題であると。1カ所に集中してやるべきだということを言っておりました。アメリカの例を挙げてみると、1つのところで扱っているということで、それによって結果が照合しやすいということが出てくると思います。午前中の説明を聞くと、県内の1カ所ができるわけです。有能な機関があるわけですから、そことタイアップして県内の遺骨を全部集約するような協力体制について県が主導しながら構築していくべきだと思います。1カ所に集中したほうが身元を判明しやすいし、時間もかからないということがありました。その辺の対応については、今後どうしていきますか。

○上間司生活企画統括監 まず基本的に押さえておきたいのは、遺骨収集と戦没者遺骨に係る業務は、厚生労働省設置法に基づいて国の責任となっていることです。今、DNA鑑定の流れの中では、国が大学など11機関で鑑定人会議を開いてDNAによる検体の確認をやっています。一定程度そういったDNA鑑定の流れができているところであります。あわせて先ほどOISTの話がございました。県内には今までそういった機関がなかったものですから、先ほども御説明したように、その状況をOISTに説明し、国にも報告しているところでありますので、引き続き本日の委員会の審査を踏まえて相談していきたいと考えております。

○平良昭一委員 唯一、現地住民を多数巻き込んだ地上戦があった沖縄県ですから当然そういう遺骨が出てくる。OISTにはそういう専門的なものがあるということであれば、今後大いに生かしていくべきだし、協力体制を構築していくことは当然だと思います。国の責任であるという中で国がやるとは言っていますが、やはり地元として丁寧に対応していくべきだと思います。当然、県が間に入りながらできる限りやっていただきたいと思っています。戦争体験者は御高齢であり、皆さん80歳以上になるわけですから、その方々がお元気なうちに、これからも明るい未来に向かって生きていけるような状況をつくっていただきたいと思います。

○西銘純恵副委員長 ほかに質疑はありませんか。
 亀濱玲子委員。

○亀濱玲子委員 陳情に関する説明資料の51ページ、陳情第56号について質疑します。ガマフヤー代表の具志堅さんは直接厚生労働省に何度も要請をされていて、その中で去年の12月15日には厚生労働副大臣から、この陳情書の意向に沿って検討するというような返事をもらっているということです。これを受けて、県は厚生労働省と具体的にこの陳情書の要求についてどのようにして対応していくのかというやりとりなどは行っているのでしょうか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 ガマフヤーの具志堅氏による高木厚生労働副大臣への要請ですが、慰霊塔内部における遺骨のDNA鑑定を要望する内容になっており、その意向に沿うよう検討するようにとの指示があったようなのですが、県としては、慰霊の塔の管理者からその旨の相談等があった場合には国と連携して取り組んでいこうと考えています。

○亀濱玲子委員 きょうの参考人招致で来られた方々、特に対馬丸の御遺族の方々の要望は、とにかく慰霊塔の中をあけて確認できればすとんと落ちるものがあるのだという本当に素朴な願いなのです。確かにこれは予算もかかるので、国の責任については言い続けなければなりませんが、沖縄戦の実相とかといった記憶を記録していくという観点からすると、せっかく厚生労働省が積極的にこれに応えてくれているわけですから、今こそここに力を入れていかなければなりません。県は今のこの動きを大事にして、むしろ自分たちがやるべき事業であると認識して積極的に取り組んでいただきたいと思います。それについてはいかがでしょうか。

○大濱靖平和援護・男女参画課長 DNA鑑定の事業は国が行ってはおりますが、御遺族のもとへ遺骨を帰すという思いは同じですので、県としても国と調整し、その取り組みを検討したいと思います。

○亀濱玲子委員 続いて、同じく23ページの陳情平成29年第36号です。24ページの2で、沖縄県の盲聾者に対する支援について、陳情者は盲聾者を支援する総合的な拠点となる盲聾者支援センターの設立を希望しています。これに対する処理方針の2で、全国にある盲聾者支援センターの取り組みについて調査研究していきたいと書かれていますが、県はどのように取り組んでいるのかを伺います。

○大城行雄障害福祉課長 現在、盲聾者支援センターの設置状況については鳥取県が設置主体となり、その運営を盲聾者団体に委託していることを聞いております。また、ほかの2都県は盲聾者団体が同支援センターをみずから設置し、運営しているということを把握しております。

○亀濱玲子委員 他県の取り組み状況に加えて、沖縄盲ろう者友の会あるいは関係者が何を求めているのかについての聞き取りや意見交換などを行いたいとも書いていますが、これについて十分なやりとりはできているのでしょうか。

○大城行雄障害福祉課長 そういった面も含めて、県は日ごろから沖縄聴覚障害者情報センターと連携して意見交換を行っております。また盲聾者支援センターの設立を含めた今後のあり方についても意見交換を行っているところであります。

○亀濱玲子委員 盲聾者支援センターの設置については、具体的な形になるものがまだ見えていないのかもしれませんので、これについては引き続き課題として調べていただきたいと思います。
 引き続き、同じく33ページの陳情平成29年第111号について質疑します。その要旨の3番目で、もし県が把握しているのであれば教えてください。生活保護が申請されて、それが決定されるまでのいわゆる法定期間というものがあります。その期間中にきちんと処理されている割合について伺います。申請はどれくらいあるのか。処理方針では大体14日の法定期間内にちゃんと処理していると書かれています。その割合について沖縄県はどれくらいですか。

○金城賢福祉政策課長 生活保護については、生活保護法第24条第5項において14日以内にこれを決定するというものがございます。ただし保護の要否と程度の決定、保護の要件等の確認に時間等を要する場合には30日以内というのが法律の規定となっております。
 御指摘の14日以内の処理については27%相当になります。それから30日以内には95%の申請に対して保護の決定がなされているところでございます。

○亀濱玲子委員 これは11市は除いたものですか。

○金城賢福祉政策課長 少し答弁が漏れていました。委員の御質疑では件数もございました。手元にある資料が少し古くて申しわけありませんが、平成27年度の数字で申し上げますと、申請件数については郡部が938件、市部が3626件で、合計4564件となっております。これに対して14日以内で処理されているのは、県が所管する郡部の福祉事務所が120件、市部が1126件で、合計1246件です。したがって法定期間である14日以内の処理は27%でございます。また30日以内の処理については、引き算に時間を要するので全体の割合で申し上げますと、約95%が30日以内の処理ということになっております。

○亀濱玲子委員 おおむね30日以内で処理されているということですが、特異なケースを除くとしても法定期間内に処理できないということは―調査内容などとの相違があると言われればそうかと思うのですが。法定期間内に決定できないという課題について、県としては11市も含めてどのように見ていらっしゃるのですか。

○金城賢福祉政策課長 原則としては14日以内に決定すると。あと30日以内の処理で見ると95%ということなので、残りの5%についてです。生活保護制度については生活保護法第4条に保護の補足性の原理が規定されております。これは使用可能な資産とか稼働能力です。例えば預貯金を持っているとか、民間保険等に入っているとかといったものの活用を含めてです。加えて同法第4条第2項において、さらに扶養義務者の扶養などの要件がございますので、その調査に時間がかかった場合、それから県所管の郡部福祉事務所に離島町村からの進達が上がってくることから、離島においては一定期間の時間を要するといった場合などに結果的には時間がかかっております。

○亀濱玲子委員 それにしても法定期間内の処理が27%というのはとても低いと思います。これは対前年度で比較すると改善されてきているのですか。それとも沖縄県は大体これで推移してきているのですか。

○金城賢福祉政策課長 今、年度別の推移についての数字を持ち合わせておりませんので、この場で改善しているということについてはなかなか申し上げにくいのですが、毎年度の監査、福祉事務所における新任のケースワーカーや査察指導員等などを対象とした研修等を実施しております。これによって事務処理についてはおおむね向上しているという観点から申し上げると、改善傾向にあるのではないかと考えております。

○亀濱玲子委員 現場からマンパワーが足りないというような声は上がっていませんか。

○金城賢福祉政策課長 御指摘の人員体制については、郡部の福祉事務所については65世帯につき1人。それから市部については80世帯につき1人のケースワーカーを配置するということになっております。これについて平成30年4月1日現在で申し上げますと、配置標準数である361名に対して242名が配置されており、充足率は67%ということです。配置標準数と配置数を比較してみると、ケースワーカーの数が不足しているという状況がございます。

○亀濱玲子委員 法定期間内の処理が27%ということは余りにも低いなと思いますので、少しずつ改善していただくことを希望します。やはり人的にも十分に充足させることを視野に入れてぜひ改善していただきたいと思います。
 同じく34ページの要旨の記の4です。沖縄県はとても高温多湿なところですから、他県に比べてもクーラーの設置というものが生活保護の対象者にはどうしても必要であると思うのです。「一時扶助による支給が可能となったところであります」という処理方針が記されていますが、現実にどれくらいの申請があって、どれくらい支給されているのか教えてください。

○金城賢福祉政策課長 今年度、障害者の方あるいは特別にクーラー等の設置による支援を要する方などを対象とする新たな制度が創設されました。クーラー設置の申請に係るものは、平成30年10月末現在で24世帯に対して一時扶助による支援を行ったところでございます。

○亀濱玲子委員 新しい制度なので、これについてはきちんと周知をして、必要な方に行き届くように配慮していただけたらと思います。
 続いて、同じく34ページの要旨の記の6、移送費の問題です。意外にも移送費で通院対象者に交通費が支給できることについて、その当事者が知らないということがあります。当然知っている方は申請するのですが、相談を受けているとそういうことを知らなかったという話が結構出てきます。これももちろん改善されているとは思うのですが、移送費の申請者数と支給件数について教えてください。

○金城賢福祉政策課長 移送費に係る支給実績は、平成29年度で郡部の福祉事務所が3197件です。それから市部が1万479件で、合計1万3676件支給されているところでございます。

○亀濱玲子委員 申請数と支給率は出せますか。申請されているものは全て支給されていますか。いわゆる支給を控えるいうことにはなっていませんか。

○金城賢福祉政策課長 移送費の要件については、医師の意見等を踏まえて内容を審査していますので、要件に該当するものについては決定後に支給されているものと理解しております。

○亀濱玲子委員 移送費を利用するということに関しては十分に周知されているものと考えていますか。陳情の内容は、窓口で申請をしてきた方にちゃんと説明していますかということなのです。私はしっかりと周知されていないので、それを必要とする方が申請していない事例が多いのではないかと受けとめているのです。しっかりと伝わっているのかということを教えてください。

○金城賢福祉政策課長 福祉事務所のケースワーカーにつきましては、担当世帯の状況等を丁寧に把握しているということが基本としてございます。移送費の支給対象者になると思われる方については、個別に適宜ケースワーカーなどから周知が図られているものと考えております。

○亀濱玲子委員 申請件数はふえているのですか。

○金城賢福祉政策課長 過去3カ年度の件数で申し上げます。合計でございますが平成27年度は1万138件、平成28年度は1万4196件、平成29年度が1万3676件ということで、平成27年度と比較するとかなりふえている状況でございます。

○亀濱玲子委員 県はぜひ必要な方に必要なものが届くという視点で窓口の対応ができるように配慮していただきたいと思います。
 同じく45ページ、陳情第16号の医療的ケアが必要な幼児の件についてお聞きします。医療的ケア児保育支援モデル事業が創設されました。小・中学校に関する事業はきのう聞いたところですが、県下の保育所における同モデル事業の実施状況について教えてください。

○久貝仁子育て支援課長 平成30年度に医療的ケア児を受け入れている保育園は3市町の3カ所で、そこで5名の児童を受け入れております。

○亀濱玲子委員 県は同モデル事業のニーズについて41市町村の状況を把握されていますか。

○久貝仁子育て支援課長 これは未就学児ということですが、県では全県的な調査をしております。その中でゼロ歳児から3歳児までが57名、3歳児から6歳児未満が45名で、合計102名の医療的ケア児がいるものと認識しております。

○亀濱玲子委員 現在実施している3カ所は何名受け入れていることになりますか。

○久貝仁子育て支援課長 5名でございます。

○亀濱玲子委員 県は各市町村の保育所に医療的ケア児を受け入れさせるために、どのようにこの事業を進めていきたいと考えていますか。

○久貝仁子育て支援課長 これは100名を超える対象者がおり、県では市町村の担当課長会議や担当者会議とかでも呼びかけております。先月、待機児童を抱える市町村と県で構成する沖縄県待機児童対策協議会を開催いたしましたが、その中でもこの医療的ケア児の取り組みについて県から周知しました。そこで宜野湾市から来年度以降における同モデル事業の実施について検討したいということがありましたので、その内容を御紹介させていただきました。あと保育園の運営主体のほとんどが社会福祉法人です。これは1法人で1園ということで運営的に見るとかなり小さいのですが、その中には高齢者施設や障害者支援施設とか、広域的に保育園を運営している法人もございます。そういった中で、例えば障害者支援施設を有している法人があれば、その施設に在籍する看護師等を活用して同モデル事業ができないかというような提案もさせていただきました。すぐにこれが広がるとは思いませんが、これについては県としても機会があるたびに、市町村に説明をし、実績をどんどんつくっていきたいと思っております。

○亀濱玲子委員 医療的ケア児を受け入れしやすい体制の構築が必要です。ドクターや看護師であったり、あるいはどういう病状であれば保育所は受け入れしやすいとか、例えばたんの吸引は少し苦手というか保育所としては少し厳しいとかという傾向のようなものについて、受け入れていく中で出てくると思うのです。ぜひ県としても適切なアドバイスをしていただいて、できるだけ希望するお子さんが医療的ケアを受けながら、保育園、集団の中に行くことができる環境づくりについて、ぜひとも力を入れていただきたいと思います。

○西銘純恵副委員長 ほかに質疑はありませんか。
 次呂久成崇委員。

○次呂久成崇委員 陳情に関する説明資料の30ページ、陳情平成29年第109号について質疑します。これは有料老人ホーム建設の件ですが、実際に今のところ届け出とかはあるのですか。その状況を教えてください。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 これは北丘ハイツ新川側の斜面の老人ホームの建設に係る制限行為が平成27年度に許可されて、法律上は許可の期限が1年間となっており、これまで更新をされてきたところでございます。しかし、ことしの6月2日に期限を迎えたのですが、更新されなかったので許可が失効したということでございます。

○次呂久成崇委員 次に、同じく43ページの陳情第7号について確認させてください。これは各市町村が需要等の調査を行って、市町村介護保険事業計画を策定すると。それでこれに基づいて、例えば小規模多機能型居宅介護事業所を設置していくとか、どの地域に幾つ設置していくとかということを市町村が実施するわけです。処理方針では県がこの整備の実施を支援していくということですが、具体的にどういったことを支援しているのか伺います。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 同計画は3年ごとに見直していくのですが、まず市町村において需要調査というものをやります。その需要を踏まえた上で、必要量を出して、それを市町村が計画の中に盛り込んでいきます。これを積み上げる形で県の計画を策定しています。この県の計画における支援策については、今、小規模多機能型居宅介護施設に関しては、施設整備費として1施設当たり3200万円の補助がございます。それから施設開設の準備に係るものとして、開設の6カ月前から定員1人当たり約70万円の補助を行っております。これは、例えば準備のためのオフィス、備品や車といったものを購入する際に補助するものです。

○次呂久成崇委員 沖縄県でも、2025年には75歳以上の高齢者が4人に1人となるわけです。そのような中で、今いろいろな介護サービス事業所があります。現在一番不足しているものとしては、やはり介護従事者の離職がかなり多いということで、介護支援専門員―ケアマネージャーがかなり不足しているということを聞いています。ことし実際に県内においてケアマネージャーの試験を受験した人は、昨年度と比べると6割ぐらいしかいないと。このケアマネージャーを受験される方が減っている。だからケアマネージャーの資格取得者もさらに少なくなっているという現状も聞いたのですが、今ケアマネージャーは県に登録することになっていますね。どれくらいの資格取得者がいて、また登録している方はどれぐらいいますか。さらにケアマネージャーとして従事している人数についても把握していますか。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 現在、何名の方がケアマネージャーとして従事しているかという数字は持ち合わせておりません。これまでケアマネージャーの試験を受験して合格した方は6442名ということで、それらの方々がケアマネージャーの資格を持っているということでございます。

○次呂久成崇委員 これは沖縄県に登録されている方ということで理解していいですか。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 はい。

○次呂久成崇委員 現在、ケアマネージャーの離職というものがあって、各サービス事業所間によるケアマネージャーの取り合いがあります。この小規模多機能型居宅介護施設はデイサービスに加えて訪問、ショートステイの3つのサービスについて24時間いつでも提供できる施設になっているのです。そこで、例えばこの補助事業を受けて事業を開始したが、ほかの事業所との取り合いの中で、ケアマネージャーがいなくなってこの事業ができなくなったとかという事例はありますか。補助金の話もあったものですから、実際に事業ができなくなった場合にこの補助金はどうなるのか。あくまでも想定の話ではあるのですが。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 県内において、ケアマネージャーを確保できなくなったことで事業もできなくなったという事例については把握しておりません。ただし、委員がおっしゃるようにケアマネージャーの人材を確保することが厳しい状況にあると聞いています。このため全国に募集をかけたり、例えば離島ですとその島が好きで何回か来ている方がたまたまいらっしゃって、そういった方が偶然情報を見て島に移ってきたとか。また県としても、介護支援専門員、看護師、介護福祉士の資格を有する方について、例えば島外、本土からでも就労先として事業所に採用される場合には、その旅費や敷金、礼金に対する補助を行っております。これは上限20万円です。特に離島における人材の確保が厳しい状況にあると思いますので、こういった人材を確保するために、引き続き補助を実施していきたいと考えております。

○次呂久成崇委員 今、保育士の確保と同じように渡航費についても支援があるということで少し安心しました。やはりケアマネージャーを育成、確保していくためには定着型を目指したほうがいいと。特に離島に関しては、沖縄県内の高齢者率に比べるとどうしても高くなっていますね。そこでこの介護従事者についてはやはりその離島に住んでいる人たちにしっかりと資格を取ってもらって、その職に従事してもらうというような定着型が必要であると思います。実際にサービスを受ける方たちも安心してその地域で過ごしていけるような体制づくりが必要かなと。外から来ていただくのももちろん大切なことですが、実際に育成していくというところで県としてどのような取り組みがあるのかということをお聞きします。

○長浜広明高齢者福祉介護課長 ケアマネージャーの法定研修は更新制になっており、その負担が大きくなっています。更新のための研修期間については通常の研修よりも長くかかりますので、県としてはその辺の負担も勘案して支援をするということで、今年度から上限を10万円として旅費や宿泊費の補助を実施しております。また委員がおっしゃるように、地元の人材育成ということで、ことしから宮古地域と八重山地域の高校がある島と久米島で介護職員の初任者研修を無料で実施しています。これはテキスト代も含めて無料になっています。実際に宮古地域で25名、八重山地域で20名、久米島で7名程度の高校生が初めて夏休み等を利用して研修を受けています。ことしから始めたばかりですので、引き続き地元の人材育成も含めた人材確保に力を入れていきたいと考えております。

○次呂久成崇委員 この旅費の支援についても上限で10万円あるということで、一般質問でも聞かせていただいたのですが、研修の仕方についてはいろいろなやり方があると思います。例えばインターネットなどを使った方法で旅費の軽減を図るという取り組みなどを行って、しっかりと介護事業、ケアマネージャーの問題に取り組んでいただきたいと思います。

○西銘純恵副委員長 ほかに質疑はありませんか。

   (「質疑なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 質疑なしと認めます。
 以上で、子ども生活福祉部関係の陳情に対する質疑を終結いたします。
 説明員の皆さん、大変御苦労さまでした。
 休憩いたします。

   (休憩中に、執行部退室)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 議案及び陳情の質疑については全て終結し、採決を残すのみとなっております。
 休憩いたします。

   (休憩中に、議案及び陳情の採決方法等について協議)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 これより、議案及び陳情の採決を行います。
 まず、乙第4号議案沖縄県北部地域及び離島緊急医師確保対策基金条例の一部を改正する条例を採決いたします。
 お諮りいたします。
 本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、乙第4号議案は原案のとおり可決されました。
 次に、乙第17号議案指定管理者の指定について及び乙第18号議案指定管理者の指定についての2件を一括して採決いたします。
 お諮りいたします。
 ただいまの議案2件は、可決することに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、乙第17号議案及び乙第18号議案の議案2件は可決されました。
 次に、甲第5号議案平成30年度沖縄県病院事業会計補正予算(第1号)を採決いたします。
 お諮りいたします。
 本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、甲第5号議案は原案のとおり可決されました。
 次に、陳情の採決を行います。
 陳情の採決に入ります前に、その取り扱いについて御協議願います。
 休憩いたします。

   (休憩中に、陳情の取り扱いについて議案等採決区分表により協議)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 お諮りいたします。
 陳情については、休憩中に御協議いたしました議案等採決区分表のとおり決することに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 次に、閉会中継続審査・調査事件の申し出の件についてお諮りいたします。
 先ほど、閉会中継続審査・調査すべきものとして決定した陳情70件とお手元に配付してあります本委員会所管事務調査事項を閉会中継続審査及び調査事件として、議長に申し出たいと思いますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 次に、お諮りいたします。
 ただいま議決しました議案等に対する委員会審査報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと思いますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 休憩いたします。

   (休憩中に、陳情第127号に係る参考人招致について議題に追加するか協議した結果、追加することで意見の一致を見た。)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 お諮りいたします。
 陳情第127号学校におけるLGBTへの配慮に関する陳情に係る参考人招致については、休憩中に御協議いたしましたとおり、議題に追加し、直ちに審査を行いたいと思いますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 陳情第127号学校におけるLGBTへの配慮に関する陳情に係る参考人招致についてを議題といたします。
 陳情第127号学校におけるLGBTへの配慮に関する陳情の審査のため、参考人の出席を求めるかどうかについて、休憩中に御協議をお願いいたします。
 休憩いたします。

   (休憩中に、参考人の出席を求めることについて協議した結果、参考人招致を行うこととし、その日程等については委員長に一任することで意見の一致を見た。)

○西銘純恵副委員長 再開いたします。
 お諮りいたします。
 陳情第127号について、本委員会に陳情者を参考人として出席を求め意見を聞くことについては、休憩中に御協議いたしましたとおり決することとし、その日程及び人選については委員長に御一任願いたいと思いますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○西銘純恵副委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 以上で、本委員会に付託された議案等の処理は、全て終了いたしました。
 委員の皆さん、大変御苦労さまでした。
 本日の委員会は、これをもって散会いたします。







沖縄県議会委員会条例第27条第1項の規定によりここに署名する。

   委 員 長  狩 俣 信 子