委員会記録・調査報告等

1つ前に戻る



 
土木環境委員会記録
 
令和5年 第 1定例会閉会中

2
 



開会の日時

年月日令和5年4月13日 曜日
開会午後 1 時 10
閉会午後 3 時 0

場所


第2委員会室


議題


1 参考人からの意見聴取(陳情第2号公有水面埋立申請に対する免許・竣功認可に関する陳情について)
2 視察・調査日程について


出席委員

委 員 長  呉 屋   宏 君
副委員長  下 地 康 教 君
委  員  仲 里 全 孝 君
委  員  座 波   一 君
委  員  玉 城 健一郎 君
委  員  瑞慶覧   功 君
委  員  島 袋 恵 祐 君
委  員  比 嘉 瑞 己 君
委  員  崎 山 嗣 幸 君
委  員  新 垣 光 栄 君
委  員  金 城   勉 君
委  員  照 屋 守 之 君


欠席委員


説明のため出席した者の職・氏名


(参考人)
 陳情者代理人 公認会計士  樫 谷 隆 夫 君
(補助者)
        弁 護 士  中 島 玲 史 君




○呉屋宏委員長 ただいまから、土木環境委員会を開会いたします。
 陳情第2号に係る参考人からの意見聴取についてを議題といたします。
 なお、ただいまの議題につきましては、去る3月23日の本委員会での決定に基づき、陳情第2号の陳情審査の参考とするため、陳情者の代理人を参考人として招致し、説明を求めるものであります。
 本日は、参考人として陳情者代理人樫谷公認会計士事務所所長樫谷隆夫氏の出席をお願いしております。
 また、樫谷隆夫参考人から、補助者として弁護士中島玲史氏を同席させたいとの申出があり、委員長として適当であると判断し、出席を許可したことを御報告いたします。                   
 参考人及び補助者におかれましては、本日は御多忙のところ御出席いただきまして誠にありがとうございます。
 参考人から説明を求める前に、委員会の審査の進め方について御説明申し上げます。
 まず、参考人から御説明をいただいた後、委員から参考人に対し質疑を行うことにしております。
 なお、参考人が発言しようとするときは、あらかじめ委員長の許可を得なければならず、発言は陳情の趣旨の範囲内で行うこととなっております。
 また、本日は委員会が参考人の説明を聞く場でありますので、参考人が委員に対して質疑することはできませんので、御承知おきください。
 それでは参考人から陳情第2号公有水面埋立申請に対する免許・竣功認可に関する陳情について、提出に至る背景及び目的等について、簡潔に御説明をお願いいたします。
 樫谷隆夫参考人。

○樫谷隆夫参考人 今日は本当にお忙しいところ大変ありがとうございます。
 今日の資料からちょっと御説明させていただきます。この説明資料というのが――一覧表がございますが、これが添付されているものでございまして、基本的に今日は本件埋立地の解決に関する説明等について、概要をここで御説明させていたただきたいというふうに考えています。
 委員長、マスクを外してもよろしいでしょうか。

○呉屋宏委員長 どうぞ。

○樫谷隆夫参考人 ありがとうございます。
 それでは御説明させていただきたいと思います。よろしいでしょうか。
 まずこの本件埋立地の解決に関する説明書について、1ページをめくっていただきたいんですけれども、この本事案の概要を書いてございます。これは戦後に米軍基地に膨大な面積を徴収された云々と書いてございますが、ここで写真にありますとおり、この黄色に書かれた部分を奥間さんと宮城さんという方が共同で開発されたということでございます。
 それで今何が問題になっているかというと、この部分の扱いについて今問題になっておりまして、この全体、それ以外については認可を得ていますので、問題にはなっておりません。
 まず、また概要書に戻っていただきまして、趣旨としては奥間さんらは当時の通達とか琉球政府の御指導に基づきまして、免許された地域に今本件土地面積を増加して、実施設計を申請認可を受けて、それを完成したわけでございますが、そのときに監督官の指導に基づきまして免許申請を改めてしたわけです。その免許申請がそのまま放置されてしまったという事案でございまして、その次にめくっていただきますと、まずこれが出たのは浦崎副知事からの依頼というのがございまして、ある方を通じましてこの事案に――たまたま私は政府の委員などをたくさんしておりますので、そこで役所の人間も知っている人が多いだろうということで浦崎副知事に呼ばれました。これが平成28年1月24日でございまして、この県庁に呼ばれまして、浦崎副知事室でもって依頼を受けました。
 その内容はどういうことかと言いますと、この本件埋立地、この小さな部分、この部分について、いまだに認可されていないのは当時の沖縄県の担当部署のミスであると思うと。この土地は本来奥間さんのものだと思うので、可能ならば奥間さんのものとしてあげたいと。ところが本件は紛争中である辺野古の担当窓口、県は土木建築部海岸防災課と国土交通省水管理・国土保全局水政課であるということから、恐らく十分な意思疎通ができていないんじゃないかということもございまして、担当課に直接確認するなど、できることがあったらやってもらえないかというような依頼を私は浦崎副知事から直接受けました。
 これを受けまして私は国交省と財務省を訪問いたしました。国交省は直接の所有者になっておりますし、財務省は国有財産の管理全体を行っているということから、両方を訪ねました。国交省はここに書いてありますように、無願かどうかは国が判断する立場ではないと、つまり何が言いたいかというと無願と言ったのは、県が言ったので国が受けていると、こういう話ですね。それを国交省が改めてこれが無願であったとか、無願でなかったというような判断をする立場ではありませんと。結局それについては沖縄県が判断する事案であるということとか、財務省は汗をかいて――合法的という意味ですけどね。汗をかいたものを取り上げることはしないということでして、この詳細は下に書いてございますように、水政課長の話では公有水面埋立法の解釈適用は法定受託事務として沖縄県が主体的に行う業務であり、国は原則として県の行う行政行為に対して意見や異議を述べる立場ではないと。県の行う本事案における処分等は国土交通省、財務省の許可を得る必要はなく、沖縄県の裁量で行うことができるというお話でした。ただ結果は報告してもらいたいというお話しでありました。財務省のほうは国有財産審理室長、当時ですね、本件の本質は、当時の沖縄県の公有水面埋立法に基づく処分であるから、国有財産法ではなく公有水面埋立法の解釈適用の中で解決するほうが直截的であるというようなことを言っておりました。
 なぜ国有財産法ではないかと言いましたら、払下げとかしてくれないかというようなことも申し上げましたので、これは払下げの話ではなく公有水面埋立確認法に基づく処分であるから、その中で解決するほうがよろしいんじゃないですかというようなアドバイスだったと思います。県が判断すれば国は問題なしということでございます。
 その次のページに行きますと、事実の確認というのがございます。
 私どもは可能ならばという浦崎副知事の言葉、これは合法ならば――できるということは合法ではないとできませんよね。合法ならばというふうに理解をいたしました。合法かどうかの判断というのは私はできませんので、まず合法かどうかの前に事実がどうだったんだということを確認する必要があるんじゃないかというふうに思いまして、現存する資料――裁判の資料とか情報公開を請求した資料がございます。これが今このファイルに、提出させていただいておりますが、そのファイルに綴ってあるとおりでございます。それをフローチャート化したのが、この説明資料の――すみません、ページ数が書いていないので申し訳ないのですが、こういうフローがあると思います。四、五枚目になるんですかね。当該土地における公有水面埋立の推移というのがこういうものでございます。よろしいでしょうか、写真の次です。これは奥間さんらサイドですね。琉球政府・沖縄県サイドになっておりまして、まず奥間さんが1966年3月25日に公有水面埋立免許を申請しましたと。これを第1申請と呼んでおります。この面積は下に書いてあるとおりになります。それを1966年9月22日に埋立の免許の許可が指令建第666号で認めていただいたということです。そのときに――実はこれ証拠はないんですけれども、当時の松岡主席から奥間盛行さんという方がおっしゃるには当該土地を埋めるように進言されたんだというようなことをおっしゃっております。そこで少し面積を広めて、申請の面積よりも御指導いただいた分を含めて、面積を増やして1966年11月21日に実施設計認可申請をしたと。これはおかしな話ですねと。確かに免許申請をして、実施設計で増やすというのは通常はあり得ない話ですよね。ところが、その当時の通達の中でこういう通達があって、こういう取扱いは結構されていたということでございますので、多分琉球政府の御担当もこの制度にのっとって、通達なんですけれども、のっとってこれを御指導に基づいて認可申請をして1967年2月21日に実施設計の認可、指令建第112号で面積の増加は認めていただいた。その上で今度は第1申請の時から何か月か以内に工事を着手しなければならないんですけれども、この申請を、実施設計の認可に若干手間取ったと思うんですね。そこで左の赤枠のすぐ下に書いてありますように、当該土地を含めるため工事着手延期申請をしました。若干時間がかかったので、まず延期の手続をしなければならない。延期願いをした上で1967年2月14日に着手をしたと。延期をした後に着手をしたということですね。その後、その下にあります、左側にですね、1967年2月28日に埋立工事を奥間さんらは着手をしております。これは何を意味しているかと言いますと、つまり無願埋立というふうに主張されているわけですけれども、これを見る限りちゃんと実施設計ではありますけれども、認可申請をして、認可申請の許可をもらって、それから工事延期願いを出して、それから工事着手しておりますので、県が知らないうちにこの土地を埋めたということはちょっと考えられないということでございます。
 それからもう一つ。ちなみにこの赤字の文。赤で枠をかけたものが2つございますが、これは裁判の時には提出されておらず、後ほど情報公開の手続をもって新しい資料が出てきたということでございますので、これがあるのとないのとでは確かに無願かどうか、つまり県が知らないうちにやったのか、知っていてやったのかによって、天と地の差という表現がいいのかどうか分かりませんが、天と地の差が出てきますということを意味しております。それの途中の段階では米軍下水道パイプの施設の使用許可を出したり、つまりこれはどこかと言いますと、この部分ですね。この今の部分ではなくて、この部分について米軍の水道の管が通っていたんですね、パイプ施設が。これについて米国の政府からクレームがあって、一旦これを取消をして、また申請し直して、改めて許可をもらって、これを埋めていると、こういう状況ですので、こことこことは一切関係ございません。
 その後、左側の下から少し上ですかね。1968年10月30日、公有水面埋立免許申請ということで第2申請と書いてございますが、これは当時の琉球政府から御指導をいただいて、実施設計に含めていたんですけれども、これを分離して改めて申請してくれというような依頼が――経緯はちょっと分かりませんが、あったということで、今の通称ゼロ番地と言われているらしいんですけれども、そのゼロ番地のこの部分だけをここと切り離して申請を――これを第2申請と呼んでいます。第2申請をしたということでございます。なぜしたかと言うと斜め上にちょっと書いてあります、当該土地につきまして琉球政府の監督官から速やかに免許申請をするように指導されましたというふうに書いてございますが、これは竣工検査復命書というのがございまして、その復命書をつくるときにこれが発見されて申請するようにというふうに書いてありましたけれども、実際は改めて復命書の検査の段階でこれが分かったというよりも、これはもう初めから書類の整理があったと思いますけれども、この赤枠でありますように、もう既に認知されていたということでございます。その後、竣工認可を申請するのですけれども、これは一定の手続が必要ですと。つまり北谷村に意見聴取をしないといけないということでございまして、公有水面埋立法に従った手続を県は――このときはまだ琉球政府ですけれども、開始をいたしました。北谷村はそれを受け取りまして、議論をしまして1972年6月22日に北谷村から、今度は県のほうに原案どおりと答申したと。その間に本土復帰というのがございました。その約2年後に公有水面埋立法が改正されまして、追認制度が廃止されてしまって、あとどうすればいいかということで放置されてしまったのかどうなのかちょっと分かりませんが、なかなかどうすればいいのか御担当としても御苦労されたのではないかなとこういうふうに思っております。これが廃止までの経緯です。
 その後は今の裁判があったり負けたり、いろいろしておりますというのが経緯で書いてございます。
 元に戻っていきます、この概要書のほうの3ページでございますが、事実の確認に戻りますと、先ほどのフローチャートで見たり、これは説明書も別途についておりますが、この説明書を説明したとおり、このファイルは情報公開法に基づくものとか、裁判の資料から入手したものでありまして、当然ですけれども、問題となっているような、森友学園のような偽造とか捏造したものでは一切ございませんので、事実そのものの資料をそのまま添付させていただいております。
 この事実から分かることは何かと言いますと、埋立人は琉球政府の指導に基づいて申請免許認可等を受けた後に埋立を実行していると。これは無願で埋立てたものではなく、琉球政府の指導に従ったことにより――忘れられてしまったのか、放置されてしまったのかちょっと分かりませんが、結果的に無願扱いになってしまったというものであります。
 これを見る限り、埋立人の奥間氏らの過失は認められません。恐らく、これは推測ですけれども、本土復帰事務は相当煩雑だったということは後の書類などから分かりますので、奥間さんらの免許申請に諾否の応答をしていなかったということで、沖縄県の応答義務違反が認められますということで、これは後述いたしますけれども、東京大学の教授であられました宇賀先生の意見書にそのような4ページから5ページにかけて記載をされております。つまり県に義務違反があったけれども、埋立人はないということであります。
 そのことを前提に合法的な判断もしないといけないということで、問題なのは何かと言いますと、確かに県に応答義務違反があったんだろうなということはこの書類から私のほうも理解したんですけれども、ただし、2回の裁判に負けているという表現がいいかどうか分かりませんが棄却などをされていると。もう一つは50年もたっていますということですね。それから追認制度も廃止になっていますというようなことで、これは応答義務違反、直ちにやっていいということにはならないと私は理解いたしまして、1、2、3、この3つのハードルをクリアしないといけないというところで、これをやることによって初めて合法的な解決ができるんだという理解をいたしまして、2ポツにありますように宇賀教授に意見を求めることが最も適切というふうに私は判断いたしました。私はたまたま宇賀教授と政府の委員会等で同席――うんと親しくはないんですけれども、何回か同席したことがありますし、やはり衆議院の参考人に私も呼ばれたときに宇賀先生も参考人にいらしていましたので、そういう関係だったので、非常に本事案が極めてまれな事案であると。恐らく我が国ではこの事案だけじゃないかと思うようなものですけれども、これは行政法の大権威だけではなくて、各府省からの信頼も極めて厚いんですね。行政法の関係については宇賀先生の意見をほとんどの府省が聞いており、こういうことなんでこの東大法学部大学院政治学科の宇賀先生に聞くのが最も適当だというふうに判断をいたしました。ちなみに、御存じかも分かりませんが、宇賀先生は平成31年3月20日――令和の直前ですね、最高裁の判事になられております。宇賀先生に合法的解決の意見を求めることが適切と判断しました。
 その当時、東大の先生でしたので、私と中島弁護士の2人で行きまして、宇賀先生に浦崎副知事の依頼の内容とか経緯等を説明した後、このような資料を全部提出いたしまして、その上でお願いしたのは事案の性格から公平公正なこの事案の解決によって誰も傷つくことのない意見、これを依頼しました。こういうことを言っておりますけれども、これはどういう意味かと言いますと、このときは森友学園の問題はもちろんなかった。その前なのでなかったんですけれども、そういうことは起こってはいかんと、これは県を傷つけてはいけないし、国を傷つけてはいけないし、私も傷つきたくないですしね、奥間さんもそうだろうというようなことで依頼をいたしました。その結果が添付してあります、宇賀意見書でございます。この意見書は裁判の結果と50年の時の経過と追認制度の廃止等を検討した上で、合法的な4つの解決策を提示していただきました。これは後で口述いたします。これに対する県の対応でございますが、当時宇賀先生のお名前を御存じなかったということもあって、単に一学者の意見にすぎないと、これが法的な根拠とはならないとの御発言があったと間接的ですけど聞いております――発言があったという確認はしておりません。というように聞いておりますが、これは宇賀先生は判例とか学説を検討した意見であって、宇賀先生個人の意見を述べたものだけではございませんし、また平成30年5月10日だったと思いますが、10日に謝花副知事、浦崎副知事の後任の謝花副知事に面会をさせていただきました。そのときに謝花副知事は浦崎副知事から引継ぎを受けたという旨の御発言と、宇賀意見はそちら側の意見だろうと。したがって県としても学識者のほうから意見を聴取して、公正・公平に判断して、こういうことでごく当然の判断だと思いますので、それは分かりましたというお話をいたしました。ただし、私そのときに、私どもにそれを開示をしていただけませんかねということを言いましたら、御了解いただけました。ただこれはいまだ提示していただいておりません。
 それから宇賀意見書の内容なんですけれども、まず裁判の結果に対する意見でございますが、意見書2ページの下段に書いてありますが、一番上にちょっと書いてありますように、裁判の判決において実施設計認可――先ほど情報公開法で裁判には提出されていなかったという話をいたしましたが、それが当然ないので審理の対象となっておらず、奥間氏等が本件埋立地の埋立を実施した背景が検討されていないという大きな問題がありますと。このようなことも意見書の中に記載してあります。しかし、既に確定した判決ですので、判決について以下に検討しますということで、行政事件訴訟法の拘束力というのがあるらしいんですけれども、これは処分を、または裁決を取り消す判決のみに生じるという。請求棄却判決である最高裁判決には拘束力は生じません。したがって、県は最高裁判決を矛盾する行動をしないという実態法上の義務が行政庁――これは県です。生ずるわけではありませんというのが、まず1つ拘束力の話と。
 それからもう一つは既判力というのがあるらしいんですけれども、既判力は判決主文に含まれる内容についてのみに生じるもので、本件高裁判決によって1の処分、つまり原状回復義務の免除、国に帰属が適応であることはもう既に判決で決まっているので、これは訴訟が提起されたときには当事者や裁判所を拘束するもので訴訟外で行政庁を拘束するものではありませんということで、この裁判の結果は――何を言いたいかというと、沖縄県がこれを判断するに当たって裁判の結果に拘束されるものではありませんということをおっしゃっております。
 それから2ポツは50年の時の経過。時効などの問題もあるんではないかということだと思いますが、損害賠償に関して当人が主張しております。いろんなことを述べた上で百歩譲って第2申請に対する処分が長いことほったらかしにしておいたことがという意味ですね、追認に対する世論の変化に鑑みて法改正の動向を注視していたために、必ずしも違法と言えないまでにしても最高裁判決に照らして、奥間氏等に生ずる損害を補塡する措置を講ずることなく、追認に対する政策の変更を行うことは違法になる。つまり百歩譲って遅くなったとしても、少なくとも損害賠償の措置をするべきではないかというふうなことはおっしゃっております。
 後述する解決策、つまり4つの解決策を示していただいておりますけれども、1から3のいずれの措置も取られないと最終的に判断した段階で損害賠償請求権を行使する以外にないと、これは全て措置がされなくて、奥間さんは損害賠償請求を行使する以外ないと御判断されたときには、その行使に踏み切った場合には民法724条後段を除斥期間と解釈しても、除斥期間の規定の適用は制限されるべきと考えられます。信義則上、本埋立地の埋立費用を補償しないことは信義則に違反し不法行為となるのですというふうに言っていらっしゃいます。
 また時効のことで不法行為のときから20年以上経過したときも損害賠償請求権は消滅するとされているが、かかる違法な不作為により住民の権利の実現を妨げた地方公共団体が消滅時効、つまり時効だということは信義則に反して許されないと考えられますということで、時効についても地方公共団体は抹消ができないということであります。これは私のほうも何となく長年パブリックに関わっておりまして、この主張というのは個人的には理解できるものであります。
 それから3ポツは追認制度の廃止でございます。これは意見書の6ページの下段のほうに記載されてございます。申請に関しては行政庁は諾否の応答を行う義務を負うと。たとえ制度の変更があったとしても本件のような特殊な事情がある場合には申請時説がとられるべきであると。その裁判例もありますということですね。旧制度の中で行われた申請が当然に失効すると解するべきではありません。申請時の法律に基づいて追認を行うことが正義にかなうと、こういうようなことをおっしゃっております。
 実際にこれを見て、私はパブリックに関しまして法律を変えてしまってできないとなってしまったら、権力者と権力を持たない住民の話ですので、それが自由にできるとなったら、これは国民の財産を収奪できるということで、もちろん憲法違反なのでそんなことはありえないというふうに思っていまして……。

○呉屋宏委員長 樫谷隆夫参考人、10分程度と申し上げてありましたけれども、もう30分になっておりますので、その分だけ質疑ができなくなっていきますので。予定時間は2時間でございますから、その辺を考慮してください。

○樫谷隆夫参考人 分かりました。
 じゃもうちょっと要約して説明させていただきたいと思います。
 あと少しいただきたいと思います。
 4つの解決策を提示しております。1、2、3、4つでございます。この4つのどれでもいいと、こういうようにおっしゃっております。
 5つ目、じゃ4つ出していただいたのはいいけれども、じゃどれなんだということだと思いますよね。これはいずれにしても県が決めた話なので私がとやかく言う話ではございませんが。いずれにしても損害賠償は県民の税金から払いますし、財産は国だということはあまり合理的じゃないのでこれは採用すべきではないと個人的には思います。
 1についてもいろいろ課題もありますが、3の第2申請の追認をするということが一番いいのかなというふうに思っておりますが、これは本当に県が御検討いただきまして採用されるべきであります。
 あとは予想されるリスクですね。リスクについては実行したときのリスクと、実行しないリスクの2つあると思いますが、実行したときに国交省等が何か訴えられる可能性があるのかということなんですけれども、これはできれば事前に方向性を決めた段階で沖縄県から正式に確認していただければいいのでこれは問題ないと考えております。
 宇賀意見の解決策の4の損害賠償については、先ほど申しましたように国の財産で、県民の財産から損害賠償をするということで非常に合理的ではありません。北谷町からもこれはいろんな協力をするというふうに奥間さんもおっしゃっているのでこれについても問題ないと思いますし、また実行しない場合、先送りにした場合も宇賀先生の意見にもちゃんと書いてございますが、損害賠償請求はできますので、これをされるリスクと――宇賀意見によりますと、結構高いリスクになります。負けたときには県が負担しないといけないと。まあ廃棄物もありますので、これの撤去を県がしないといけない。
 あと最終回答についてでございますが、これはあまり細かく説明いたしませんが、最終回答を去年の11月14日に行って受けました。1、2、3、4、5、6とございますが、いずれも反論を横に書いてございますが、やはり合理的じゃない説明かなというように私は判断をさせていただきました。
 最後に総括でございますが、これまで説明してきましたように浦崎副知事の依頼を受けてもう5年以上たっておりまして、まだ事案が解決されていない状況でございます。これも本当にいろんな資料を整えて何度も何度も説明をしましたけれども、非常に合理的で納得できる説明であればよく分かったんですけれども、どうも我々の主張についてもほとんど言及されていないし、何が問題かも分からないということでとても納得がいかないということでありました。
 しかし、本案の性格上は県の担当部署で判断がちょっと難しいのかなというように私は思っております。担当部署の責任にするべきものではなくて、最終的には選挙によって県民の付託を受けた県知事の判断によるべきであり、同じく選挙により県民の付託を受けた県議会の議員の皆様において真摯な御議論をいただきまして、県民に寄り添った県民のための県政となるような御指導をいただきたいということで陳情するものであります。ただし、当然沖縄県の担当個人の責任を追及するものではありませんということは言うまでもありません。
 以上でございます。ありがとうございます。
 すみません、長々と申し訳ないです。

○呉屋宏委員長 参考人の説明は終わりました。
 これより、陳情第2号に係る参考人に対する質疑を行います。
 なお、質疑・答弁に当たっては、挙手により委員長の許可を得てから行い、重複することがないよう簡潔にお願いいたします。
 質疑はありませんか。
 仲里全孝委員。

○仲里全孝委員 お疲れさまです。
 何点かちょっと確認させてください。
 1966年11月21日、実施設計認可申請――指令建第112号、その認可を受けたのはいつですか。

○樫谷隆夫参考人 認可を受けたのは1967年2月21日。この推移表にございますように、実施設計の認可の申請をしたのは1966年11月21日で、認可をいただいたのは、それから3か月ぐらいあとの1967年2月21日でございます。

○仲里全孝委員 その認可書というのはありますか。

○樫谷隆夫参考人 ございます。ファイルの中に入ってございます。

○仲里全孝委員 検査証を見てみると、免許指令書及び工事実施に伴う設計書に基づく検査の検査資料があるんですけれども、これと日付が違うんですよね。

○樫谷隆夫参考人 こちらの手元の資料でございますが、公有水面埋立工事実施設計認可についてという文書がございまして、その決裁欄に建設局、当時だと思いますが、建設局の印鑑が押されていまして、1967年2月21日になってございます。

○呉屋宏委員長 休憩いたします。

○呉屋宏委員長 再開いたします。
 仲里全孝委員。

○仲里全孝委員 分かりました。
 竣工認可と実施設計認可を受けた日付は違うということですね。
 そこでちょっと確認したいのが、これを竣工するときの免許面積の平米数、今回の許可をいただいたときの平米数と違いますよね。そこはなぜですか。

○樫谷隆夫参考人 確かにおっしゃるとおり、違います。
 どれぐらいの違いかと申しますと、第1申請の場合と竣工認可申請して、実施設計認可した場合の差というのは全体の0.2何%だと思います。追加した分は4%強でございます。だから面積の違いというのは全体の0.2何%ですかね。

○仲里全孝委員 一般論から言って、竣工して、検査を受けて、この数量とか構造物の面積だとかというのと、許可を受ける数量というのは面積であっても、建物であっても、高さであっても、そういうのは一致するんですよね。

○樫谷隆夫参考人 確かにその設計の段階と竣工した後、工事が終わった後のことについては本当は理論的にはぴしゃっと一致するべきだというふうに思いますが、やはり土木工事でございますので若干の差があるだろうと。言いますのは、添付した資料の中の何ページかちょっと、真ん中ぐらいで――これは県が出した、実は県も追認申請書を出しておりまして、その中の記述としてこの面積は実施測量の結果、多少変更することもあり得ることを御了解願いたいという、県もそのようなことを書いておりますので、土木工事なのでぴったりと入っていないんじゃないかなと、これは私の推測ですけれども思っておりますが。確かに土木工事ですので、なかなかぴったりというわけじゃなくて何%かは違う可能性はあるのかなというふうに理解はしております。正しいかどうかは分かりません。

○仲里全孝委員 ただ一般論から言うと、例えばいろんな設計の誤差だとか面積の誤差だとか、これは技術的なこと――これを許容誤差と言うんですけど、それはあるんですよ。はるかに違うんですよね。
 それともう一つ。そこで実施設計をするときに免許指令書に基づいてやっているんですよ。中身を読んでみると免許指令書に基づいて書いてあるんですよ、中の下のほうにですね。

○樫谷隆夫参考人 この公有水面埋立の推移という、これがございますよね。これを見ていただきますと、赤で囲んだところがあります。赤で囲んでまず認可申請をして許可をいただきましたと。その上で左側の枠の下に当該土地を含めるために工事着手延期願を出します。つまり、第1申請の着手だと少し時間がかかって駄目なので、まず一旦延期願を出したと。延期願を出して願いが認可されたのが、その右側のちょっと下の1967年2月14日に着手延期許可をいただいております。着手延期許可をいただいた上で1967年2月28日、それから10日、2週間後ぐらいですかね、埋立工事に着手しておりますので、実施設計認可をいただく前に工事をしたということはこの書類からは伺うことはできないと思います。

○仲里全孝委員 実際はどうだったのかなということを確認しているんです。これはペーパー上での申請書なんですよ。実際はどうだったのかなとちょっと確認しているんですよね。

○樫谷隆夫参考人 実際がどうだったかということについてはちょっと確認はできませんが。公有水面埋立工事竣工検査復命書というのがここにもファイルされておりますが、そこでは着手年月日を1967年2月28日にしたということを当時の琉球政府の御担当の判こがずっとありまして、そこにちゃんとここに着手年月日ということで1967年2月28日と書かれておりますので、ただ実態がどうだったかとおっしゃいますと、ひょっとしたらそうではなかったかもこちらでは分かりません。ただ書類上は全て県が作成した書類につきましても、これは琉球政府の建設局の土建部の土木課の検査官のほうの書類でございますので、それを信用するしかないかなというふうに思っております。

○仲里全孝委員 以上です。

○呉屋宏委員長 ほかに質疑はありませんか。
 座波一委員。

○座波一委員 県が無願申請として判断したということについては、今の説明を聞いていますとその額面どおりには受け取れない、無願というには無理があるという感じはします。
 それで実施設計認可を受けて、その結果を当時の担当者の指導により1968年10月に免許申請がなされたわけですよね。その後、1972年3月に県は免許するに当たって当時の北谷村に諮問しているんですね。それが原案どおりと北谷村から回答があったということ、これは事実ですよね。事実ですか。そちらに聞くの変ですけれども。

○樫谷隆夫参考人 御指摘どおりでございます。

○座波一委員 これは北谷町は今でも認めていますか。

○樫谷隆夫参考人 北谷町からは特にその後フォローはしておりませんが、正式な書類でございますので、村議会で議論をされて決議をして、正式な書類になっておりますので、これを否定するというのはよほどのことがない限り難しいのかなというように思っておりますので。フォローはしておりません。

○座波一委員 これを証明することはできるということで考えていいですね。

○樫谷隆夫参考人 はい。正式な書類はございます。

○座波一委員 しかしながら、その後の1974年の法改正があったわけですね、追認を認めないとする旨の。そのときまでに県――要するに当時の琉球政府が動かなかったということが、具体的に言えばこの法改正前までに免許しなかったというのが結局無願埋立につながったというふうなことになるわけですよね。

○樫谷隆夫参考人 委員の御質問のとおりでございまして、ここでいろんな理由は分かりませんが放置されてしまったと。これは宇賀意見書にはもっと早くできたのではないかと、相当早くできたのではないかというような記載がございますので、結局そこが応答義務違反ということで違法になるというような御指摘がございました。

○座波一委員 表現は悪いんですけど、当時の沖縄のこの情勢、あるいは政府の問題も含めて、悪意のある埋立も多かったと聞いています。悪意というか、その当時の状況を見てやっちゃえというようなところもあったと聞いております。それから考えますと、今回のケースはその当時しかるべき手続を取っているのではないかなと考えられます。なので、今県が無願埋立として判断して、裁判も結果が出ている、50年もたっている、でも追認制度はありませんという3つの論点でこれをなしとするのはちょっと無理があるのではないかなと私個人は思っています。

○樫谷隆夫参考人 私個人的にも政府に長年関わっておりまして、そのように思いますけれども、ただ私の思いはこれは法律の問題ではありませんので、そこで宇賀先生に今――これについても大権威でございまして、今最高裁の裁判官をやられているような方ですので、大権威でございます。私は情報公開検討委員会の委員をしておりますときに同じ委員会であったし、その後もいろいろ若干のお付き合いがありましたので、その先生に聞けば――人間だからひょっとしたら間違う可能性はないわけじゃないでしょうけれども、この先生に聞いて従って実行する分には誰も傷つけることがないだろうなと――宇賀先生は傷つくかもしれませんけれど、ないだろうなというように理解をして、御説明をいたしましたようにあくまでも中立的な、公平な意見をお願いしますということをお願いをして、1か月ちょっとぐらいでこの意見書をつくっていただいたということでございます。

○座波一委員 これも沖縄の悲しき歴史に翻弄された政府、政治の在り方の一つの例なんですよね。ですから、復帰当時のそういった手続の問題で言うと宇賀先生は申請時説を採用したほうがいいのではないかと示唆しているのですけれども、これを申請時主義に沿って言えば、これはある意味裁判で出なかった書類、非常に重要な部分です。赤で囲われてね。あれがなくて裁判が判断されたということも非常に大きなもの、これ重大なものだと考えております。であれば、先ほどから申し上げたとおり申請時に立ち返ってやるということもやはり考えなければいけない。これは行政としてはできるのではないかというのが宇賀先生の考えなんですよね。

○樫谷隆夫参考人 今御指摘のとおりでございまして、行政として誰に寄り添うかということだと思います。ノーということを前提に、よそはないかと前提に判断をするのか、いや、できることならやりましょうという、可能ならばという当時の浦崎副知事のお言葉に私は感銘を受けてて、本当はもっと早く解決するかなと思ったらもう5年もたってしまったんですけれども、そういうことでちょっと抜き差しならなくなって今に至っているんですけれども、私個人的にも。やはりスタンスというんでしょうかね。特にこれはもう選挙に選ばれた方しか御判断できない、住民の声を聞いて、そして主張もして、選挙に選ばれて、その方でしか寄り添い方の程度はですね――これはもちろん県の職員も思想は変わらないかも分かりません。具体的には県知事とか、あるいはここにいらっしゃるような県議会議員の皆様方のお考えによって処理するべきものじゃないかなと、こういうふうに私は個人的には思っております。

○座波一委員 沖縄県としては、合法的な解決策というのはなかなか見いだしきれないと思うんですよね。だからこれは今言うような話でもありますけれども、その当時歴史に翻弄された事案として救済すべきかどうかの問題になってくるのではないかと。だから政治の問題だと今訴えていると思うんですよ。そこら辺は我々議員として、しっかりそこら辺を考えてこの問題に対応しないといけないだろうと思っておりますけれども。県側はやっぱり仕事、県の事務として、やはり表面的な一部の側面からしか判断していない感じがするんです。そこをどう理解を重ねるかだと思いますけれども。皆さんが書いてあるとおり、最終的には損害賠償問題ですよというわけですが、なるべくそこまでいかないで解決する方法を見いださなければならないと私は思っています。ですので、やはり知事、あるいは三役クラスとの粘り強い交渉は続けるべきでしょうねと私は思っています。これは本当に沖縄の歴史に翻弄された典型的な例だと思います。そこも強調したほうがいいと思います。
 以上です。

○樫谷隆夫参考人 当時の琉球政府から沖縄県に移行するときに、本土復帰のときに多分膨大な作業がいろいろあったと思うんですね。そのときに、それこそ誰かが意図してやったのではなくて、恐らくそういう翻弄という言葉をいただきましたけれども、そういう背景があって初めてこれが失念されたのか、逆に言えばもうこれは認可してしまった後だったんだという解釈も実はできないことはないんですね。というふうに解釈されたのか、それは分かりませんが、誰かの個人の責任にするようなものではないことは明らかでありますし、それからもう一つ。ごく最近の例で言えば、これは土木建築部、あるいは海岸防災課の御担当からの御説明も受けているんですけど、これはどなたがどうされたのかちょっと分かりませんが、海岸防災課とか土木建築部で判断するものをはるかに超えているんではないかと。と言いますのは、やはりこれは50年前であろうと、誰かが一旦ミスをしたと。特定の人ではなくてもミスをしたと判断をしなければいけない。それから、かつ裁判の結果も判断しなければいけない。それから50年も判断しないといけない。制度もなくなった――現行法では別として。それもなくなったことも踏まえて判断するのは、これはもう土木建築部は現法律については本当に熟知されていると思いますけれども、そこを判断して、いや、これは宇賀先生の意見を採用しようというふうに判断するのはいい意味での政治判断というんですかね、いい意味での政治判断でしかできないのではないかなと、こういうふうに私は思っておりますので、今座波委員のおっしゃったことに賛同でございます。

○呉屋宏委員長 ほかに質疑はありませんか。
 照屋守之委員。

○照屋守之委員 よろしくお願いします。
 この埋立に係る経緯の中で昭和41年に埋立免許を取得、43年に追加申請、それができずに今公有水面埋立法の改正があって、結局追認制度が廃止されてできない。それを不服として裁判になるわけですよね。
 今の、先ほどの説明も含めて全部これは裁判で主張し合って判決が下りたという。私は客観的に見るとそういう感じがしますけど、違うんですか。

○樫谷隆夫参考人 裁判で2回棄却と……。

○呉屋宏委員長 休憩いたします。

○呉屋宏委員長 再開いたします。
 中島玲史補助者。
 
○中島玲史補助者 裁判を2つ起こされていまして、最初は不作為の違法確認という、要するに免許しないことは違法だという裁判を起こしたんですけれども、それはもう追認制度はなくっているので免許することはできないので違法だと確認する意味がないということで、訴えが不適法だということで却下という結論が1個出ています。
 もう一つは、こちらはクリティカルだと思うんですけれども、無願だということを前提に、無願埋立の場合には、その無願埋立部分の土砂を撤去するか、または国有地化するというのを県が選べるんですけれども、県は国有地化するということを選択して、原状回復義務の免除処分というのをしまして、要するに原状回復をしなくていいよという処分――イコール国有地化しますという処分ですけれども、それを行ったのでそれを違法だというので取消訴訟を起こしています。これは要するにその処分自体は適法だということで請求棄却という判決が出ています。

○照屋守之委員 私が言っているのは、違法確認訴訟のときに、この法改正があって、それが追認ができないという、それだけのことじゃないですよね。
 だから、そこは申請者は先ほどありましたように県の指導とか、こういうのをやりながらやって、追認してちゃんと認めるべきなのにそれができていないという、そういう論法を含めてやって、この裁判の判決になるわけでしょう。違うんですか。

○樫谷隆夫参考人 これは基本的に最初に申し上げましたように、実施設計認可という書類がない段階で、これは先に埋立てて、後から追認申請していると、その追認申請を受けるかどうかというのは、言ってみれば裁量権の中に入っているわけですよね。もともと無願だったわけです。というような論理になっていますね。これはもともと実施設計認可をいただいて、それから埋立てを開始したと。その後御指導があって、分離して申請しようと、こういうようにおっしゃったので、それは御指導に従ってやった話であって、奥間さんのほうには瑕疵がないのではないかなと。そういう意味でそれが裁判長の文章の中にも、もしこれが追認制度がまだ残っていれば認可されたというようなことの文章も書いてございますので、そういう趣旨ではないかというふうに私は理解しております。

○照屋守之委員 裁判というのはそういうものですか。
 これは追認しないということで、公有水面埋立法が変わって追認制度はなくなったという。だから、それができないから不服だから裁判を起こすわけですから、これの経緯も含めて訴えて、裁判所の判断を伺うということなんだけど。だからそこは追認できないような行政の何らかの対応、そこでしっかり指摘して、それで最終的に裁判所の判断を仰ぐというのがこの裁判じゃないんですか。違うんですか。だから私はこの問題はここである程度決着がついているんじゃないかと思うんですけどね。だからそこが決着ついていなくてずっと続けていって今抱えているから。だからここの裁判がポイントだと思うんですけどね。

○中島玲史補助者 決着済みであるという面と、残っているという面があると。一番大きく残っているのは、これは奥間氏は県に対して損害賠償請求をしていません。これは裁判所の判断がまだ出ていない部分です。ですから、免許してくれとか、あるいは原状回復義務の免除処分というのは違法だという行政訴訟ではなくて、国賠法上というか、損害賠償請求訴訟を県を相手にするということをまだしていません。その根拠となるものが恐らく応答義務違反にあると思います。要するに県が応答すべき期間をはるかに超えて応答していないと。その期間内に法律が変わってしまったと。なので免許を受けるべき地位が失われた。従って損害賠償請求しますと。この判断はまだ出ていません。
 もう一つは先ほどから樫谷参考人が言っているとおりで、裁判の中で出ていない証拠というのがあったと。それはこれから争うとすれば再審という手続にならざるを得ないので、そういう意味では一旦解決した裁判をひっくり返せるかという問題になると思います。
 以上です。

○照屋守之委員 ですから、今の応答義務に違反していますよというのは、この埋立の不作為の裁判の中で争ったんじゃないんですか。争わないんですか、こういうの。

○樫谷隆夫参考人 おっしゃっている意味はよく理解した上で申し上げておりますが、もともと訴えの利益がないということでこれは棄却だと……。

○中島玲史補助者 今の話は恐らく棄却の判決のほうを言っておられると思います。要するに、原状回復維持の免除処分が違法か適法かという裁判のほうについての話だとすると、少なくとも直接の対象になっていません。そこは。応答義務違反があったのかどうかというのは直接の判断対象になっていません。

○照屋守之委員 ですから、これが例えば那覇地裁で1963年に原告敗訴、高等裁判所に控訴、1963年に敗訴、それで最高裁にということですよね。
 実は私もこの辺がポイントだろうなと思っているんですよ、この追加のね。これ何でわざわざ追加してやったのか。最初から一遍にやればいいことでもあるし。じゃあ琉球政府はそれは出せと言って何で認めなかったのか。だから、問題はそこら辺ですよね。だから、これが解決しないからずっと引っ張っているんだけど、この後に裁判を起こしているんだけれど、この根本的なものが解決できていないから、応答義務違反のものがまだ残っているという御指摘ですけど、これから応答義務違反についての訴えをするんですか。

○中島玲史補助者 ある意味で交渉といいますか、県とのお話合い、今回の手続も含めて完全に駄目だとなれば、それは損害賠償請求するしかない、最後はもうやるしかないかと思っていますけれども。できればそうならないようにとの話もありましたけれども、裁判という手続じゃなくて、これは県に違法なことがあったというか、不作為があったと認めていただいて、県がこれはやりたいと思っていただければできることなので解決していただきたいというのが今の陳情の趣旨です。

○照屋守之委員 だから、我々は議員という立場で、利害関係も何もないんですよね。50年経過したものを我々がそれを審査して、言い分を聞いてどうしろああしろというのは非常に難しい話で。これだけ県にも訴えて、裁判も起こして、それが結果的に厳しい状況になったという。もうそれ以上の手だては何があるんですかというのを考えているわけですよね。
 これを振り返っていって、この辺のところがポイントかな。何で追認するという方向ができていないのかな。だから、そこは何か問題があったんでしょうねと私は思っているんです。個人的に。何か追認できなかった部分がある。そこは裁判とかでも明らかになっていないんですか。

○中島玲史補助者 なっておりません。
 何があったのかというのは、今さら分からないところはあります。例えば第2申請というのは1968年に申請されていますので、そこから法律が変わるまでは6年ぐらいずっと放置されているものです。そこから計算すればですね。何があったのかというのが分からないとおっしゃるんですけど、何があったのか確かに分からないんですけど、もし追認すべきじゃないという何かがあったのであれば、追認しないという処分を県はしないといけない。それが応答義務というものです。何もしていない時点でやっぱり県の落ち度だと。それは県と県民の関係にそういうものだと……。
 以上です。

○照屋守之委員 ですから、そういう追認していないというのが県の落ち度だということがあれば、これは裁判の中でしっかり主張して、裁判官もそれはそうだと、これはもう和解しなさいというふうな案とかですね。私はいろいろとあるんじゃないかなと思うんだけど、非常にこの辺が今の応答義務違反とかの部分とかがやっぱり裁判の中でそれをきっちりそういういろんな議論があって、それぞれの主張があってというふうなことが既になされていたと私は理解していたんですけどね。それがまだ解決していないということになると……。
 先ほど質疑がありましたように追認の申請を出して、じゃあそのときに工事をやっていたのかどうかとか実態は今となっては分からないというふうな言い方ですけど、やっぱりそれはそうですか。分からないんですか。

○樫谷隆夫参考人 それは分かりません。今となっては分からない。ただ書類上は認可いただいた上でやっている。これは奥間さんらが言っているわけではなくて、県の書類にもそう書いてあると、こういうことでございます。

○照屋守之委員 その50年前、様々な埋立ても含めて軍用地の境界、あるいは塩田とかのそういうふうな権利の問題も含めて、沖縄県全体がいろんな課題をそれぞれの地域で抱えていますよ。
 この埋立申請そのもの自体を、これだけの広大な土地をお二方の名前で埋立申請免許を取るというのも、これもやっぱりその当時ならではと思うんですよね。今となってはあり得ませんよ、これ。組合をつくるなり、何をするなりというそういうような組織になりますけれども。
 そういうふうな混沌としている中でその書類の出し方、県の対応、それぞれの市町村の対応も含めてなかなかやっぱり行政、あるいはまた申請書も含めて決まりどおりにこれがきちっとやられていたかというふうな部分もよく分からない部分があって、そこはお互いにそのときに、これはああしようというふうな形で何とか折り合いをつけていたと思うんですよね。だから本来はこれも折り合いをつけられる内容だと思うんですよ。つけられたと思うんですよね。それができないのはやっぱり根本的に何かあるからそれができなかったんだろうなというふうに推察しますけれども。
 こういうふうな中で何十年もかけてやってきたものを、先ほどの説明にあるように誰も傷つかない、そういうふうな解決策でこれを県知事が判断するという部分が果たして本当に傷つかない、それぞれの立場を尊重して県知事が責任を持ってそれは解決するという、これもなかなか厳しい話ですよね。

○樫谷隆夫参考人 ちょっと突っ込んだ話になって――こういう発言をしていいのかどうかちょっと分かりませんが、正直な話もう少し賢い訴訟をしていれば勝てたかも分かりません。というのは、所有権を争うとか、あるいは損害賠償の請求をすれば勝っていたと思うんですけど、それはむしろ実施設計による延長もあっての話ですけれどもね。
 結局は一番最初のやつは、要するに不作為を確認したと、違法を確認したと。それはあなたに何かどういう意味があるのと、こういう門前払いをされたんですね、まず。つまり県が違法をしたと言ったって、あんたそれどうなのと。だったら、じゃあ損害ですねとか所有権が違いますねと言えば、それは裁判官は判断したと思います。ところが違法ですねと、違法かも分からないけどひょっとしたらそれがあなたにどう関係あるのということで門前払いなんですよ、実は。されたんです。決して負けた勝ったという表現をすれば引き分けみたいな表現のほうが、ちょっと法的な根拠は分かりませんが、もしそれだったら中島弁護士のほうに発言していただいたほうがいいと思いますけれども、これは負けた勝ったというよりも、あなた意味のない訴訟しているじゃないのというようなことだと私は理解をしておりますが、違っているかどうかちょっと分かりませんので、中島弁護士のほうから説明していただけたらありがたいと思います。

○中島玲史補助者 最初のほうはもちろんそういうことです。門前払いという、訴えの利益なしということなので、訴え方を間違えたと言わざるを得ないと思います。
 2つ目のほうは特にそんなおかしなことではないんですけれども、損害賠償請求とはやっぱり性質が違いますし、判断対象も違うと思います。要するに制度が今も確かに、その当時法律で――制度はないものに対して免許することはできないというか、実際行為として免許処分というのはないので、免許処分というのがなかった時点ではそれを前提に原状回復免除処分をしたのは違法とは言えないという判断をしただけなので。解決済みとはちょっと言えないと思うんですけれども。

○照屋守之委員 だから先ほど言いましたように、このお二方のものでこれだけ広大な埋立申請をしているわけですよね。この二人は――私は分かりませんけど、この地域に非常に大きく貢献していると思っているんですよね。これだけ貢献しているからやっぱり県も北谷も含めて、その人たちの立場って非常に重く受け止めていると思っているんですよ。そうすると、こういう方々が追認を出したというようなことになれば、それはよっぽどのことがない限りは、まあ法改正はあるにしても、その前までにはお互いの話合いというか、そういう連携が当然あってしかるべきだし、その当時だったらなおさらのこと、それができた時代背景だと思うんですよね。だから何でそれができなくて、これだけ五十数年も――御本人がお亡くなりになりまたその遺族にそれが引き継がれてということまでね。そこが非常に分かりにくいんですよ。本当にすごい人だと思っていますよ、この方々。これだけの――今の北谷を見ても、こういう人たちがこれだけ頑張ってこうやってくれているのかと。だからそうすると、この方々の存在というのは非常に大きかったはずだし、今のようなこういうトラブルでこれだけ数十年も引っ張るなんていうのは多分その当時は思っていなかったと思いますよ。だからこれは県との信頼関係とか村との信頼関係も含めて相当あって、多少のそういうふうな行き違いとか、あるいは解決できたと思うんですけどね。そういう経緯はないんですか。

○樫谷隆夫参考人 おっしゃる意味もよく理解できますけれども、もし何か奥間さんに問題があれば、これは県は何か正式に指摘しないと――不利益処分ですので、していかなければならなかったと。またあるいは認可をするかどちらかを相当の期間内にしていないというのがまず原点としてあります。
 ただ、おっしゃっている意味で、話は終わっているではないかというのはあるかも分かりません。しかし今となって考えたときに、それを話合いの中で解決できなかった何かがあったのかも分かりませんが、もしそれならば不適切なことがあれば県は正式に奥間さんらに通知をしなければならなかった。これは応答義務なんですね。応答していなかったということは応答義務違反でありますということになる。応答義務違反なので、あとは損害賠償を請求するか、なかなかハードルは厳しいとは思いますけれども、再審請求をするかどちらかなんです。再審請求というのは物すごくハードルが高いので恐らく損害賠償の請求になるというふうに思いますし、宇賀意見書の中にもそのような記述が出てくるということでありますので、損害賠償を請求したときに訴訟費用も大変ですし、これは裁判が決める話なので勝つか負けるかは分かりませんが、もし県が負けたとなったらこれ住民の税金から払うわけですし、そんな少ない金額では恐らくないと思うのでね、やはりこれはおっしゃっていただくように今となっても本当はちゃんとお互いに話し合って決めるべきというのが、私もそう思っております。裁判で決めるような事案ではないというふうに照屋委員がおっしゃるとおり私もそう思いますので、ぜひそのようになっていただけたらいいんですけれども。去年の11月14日の日にお邪魔しまして、御説明いただいたんですけれども、全く納得いただけないというか、数人の弁護士に口頭で確認したと、どういう確認をしたか分からない。これ反論のしようがないわけですよね。宇賀意見書の内容に対する意見を求めていないとおっしゃったんです。いや、これちゃんとして出しているのに、意見を求めていないで、これ無視されるのかと。あるいは浦崎副知事から依頼を受けたとのことであるけれども、正式に依頼したことを示す資料はないとおっしゃっていますけれども、これは間違いなく受けましたし、あと数か月、二、三か月後ですかね。謝花副知事にお会いしまして、謝花副知事からも依頼の引継ぎを受けていますということを明確におっしゃっていただいたので、それが書類で残っているかどうかはちょっと分かりませんが、その回答については、えっと言うしかないということであります。

○照屋守之委員 はい、以上です。

○呉屋宏委員長 ほかに質疑はありませんか。
 新垣光栄委員。

○新垣光栄委員 今日はどうもありがとうございます。
 今ちょっと分かりにくい部分があったので確認の意味でもう一度、この2度の裁判で不作為の違法を確認請求事件として裁判所は訴えの利益を欠くものとして不適合ということなんですけど。もう一度具体的に――多分その申請者は許可をしてくれということで訴えたと思うんですけれども、もう少し分かりやすく説明してもらえませんでしょうか。

○中島玲史補助者 不作為の違法確認のほうは、たしか免許しないことが違法なんだと、その状態を確認してほしい。裁判所は、いや追認制度はなくなってしまったので、もう陸になっているという時点で追認しかないんだけれども、追認制度はないので免許する手段がないと。したがってその状態が違法かどうかと確認しても意味がないので不適合ですというのが、その裁判の中身です。

○新垣光栄委員 分かりました。
 もう追認する制度がないから、今さら裁判をしても何の利益もないし、そういうのを欠くものだということで。制度がないということで。

○中島玲史補助者 免許していないという状態が違法か違法じゃないかというのを確認しても意味がない。

○樫谷隆夫参考人 制度がなくなったから意味がないんじゃなくて、制度がなくなって、適応かとか言ったってあなたにどれだけ利益があるのかと、こういう意味だと思います。

○新垣光栄委員 そしたらもう一つ、その埋立ての部分で原状回復とか無願の部分で却下されたということですけれども、裁判の内容でですね。

○中島玲史補助者 棄却判決のほうですね。
 そちらのほうは要するに無願埋立での場合ですと、公有水面を勝手に埋めた状態なので、その土砂を撤去しなければいけないという義務が埋めた人にはあります。それを撤去させるか、あるいはもう撤去しなくていいから国有地にするというのを両方県のほうが選べるので、県としてはそれ国有地化しますと。なので撤去しなくていいけど国有地化しますという処分をしました。これが原状回復義務免除処分というものです。それに対してその処分はおかしいので取り消してくださいと、それで取消訴訟を起こしまして、それはその処分は適法なので請求棄却しますという判決が出ています。

○樫谷隆夫参考人 言い替えれば、第一審で実施設計の旨がなかったということもあって、もう無願だという認定をされてしまった。そうなるとまたも手続だけの問題で、それを今から言ってみてもしようがないんじゃないかという棄却判決だったというように認識しておりますので、第一審で実施設計で認可をして拡張されたと。それから、その後で工事をしたとなったらこれはもう無願というのは言えませんのでね。そのことであるならば、次の判決も違っていたかも分かりません。ボタンの掛け違いというか、訴訟戦略の間違いと言うか、そうではないかというふうに私は個人的には思っておりますが、違うかも分かりません。

○新垣光栄委員 それで当時ですね、この宇賀意見書にもあるように当時の――今だと無願で埋立ててしまったらもう相当悪意なんですけれども、当時のこの行政の判断からすると面積の変更、実施設計を変更しようということが認められ、大体行われたということで意見書の中にあるんですけれども、その当時の法的解釈としては追認の面積変更というのは多々行われたということで理解していいのか。

○樫谷隆夫参考人 まず実施設計の段階、ここで言う第1申請の場合とか。それで奥間さんのお言葉を借りるならば、当時の行政主席、松岡主席とお話をして、そして増やしたんだと。本来ならば申請をもう一回やり直すべきではないかというのが本来なんですけれども、当時の通達がございまして。通達はここにありますけれども、通達によりますと工事の都合上、途中であれば、これは工事面積を増やすことができるという通達がございました。ただそれが、どうもあっちこっちで濫用されたらしくて、後でこの通達は廃止されたそうでございます。そんな経緯もあって、当時の御担当としてはそういう通達でやるんではなくて、それじゃあ追認という制度があるから、追認制度に乗るかどうかは別として、別途その分を申請してもらいたいという話になったのではないかというふうに――これも推測ですけれども、そのほうが流れとしては確かにお互いに納得できる話かなというふうに理解はしております。

○新垣光栄委員 そういう背景からしても、やはり先ほども座波委員からありましたように本来であれば政治的に判断しないといけないと思っておりますし、一担当ではやっぱり厳しい面があるのかと思いもありますけれども、この土木部の判断としては今、そういう竣工認可を行うことは法律上不可能であるという答弁等があると思うんですけれども、その辺はどういうふうにお考えですか。

○樫谷隆夫参考人 一般的に言うと不可能です。
 ただ、宇賀先生もこういう事案――つまり琉球政府、県のほうにそういう義務違反がありましたと。それを前提に構築されていますので、それがなければもともと違法なのに、それを今さら、例えば申請時説を採用するとしても不可能だというふうに思っています。前提――御説明いたしましたように事実関係がこうなので、その上で構築されたのが宇賀意見書でありまして、それなしにこの意見書を出したわけではないというふうに私は理解しております。

○新垣光栄委員 その応答義務違反というのがあるから、不可能ではないということか。

○樫谷隆夫参考人 県のミスがあったものを、それを――これは私の個人的な意見でございますが、権力者と権力者じゃない人の間でやっていただいて、法律を変えてしまって、もうできないよと言ってしまえば、これは県民の財産を収奪できるわけですね、これは明らかに憲法違反ですけれども。そんなことをやったわけではありませんが、多分それもできてしまうことになってしまいますので。これはやっぱりミスがあった場合には、そういうような――意図したミスかどうかは別として、そういうふうに構築すべきではないかというのが宇賀先生の御意見であり、それはほかの判決もあるらしくて、あるいはかなりの学説がありますということの中で、御説明いただいているということでございます。

○新垣光栄委員 最後に、それでは今県のほうでは不可能だと言われていることが、そういった事実に基づいてそういう事例とかもあって、可能ではないかということで理解してよろしいでしょうか。

○樫谷隆夫参考人 私も委員がおっしゃったような理解をしておりまして、その前提が狂ってしまえば――何をか言わんやというか、あなた違法をしておきながらね、何か後からということは――不可能だと思いますし、そんなことを許すべきでは私はないと思っておりますが、おっしゃったように背景はよく分かりませんが、現在の段階で残っている資料を見る限り、そういう理屈は通っているし、彼らにミスはないし、その間に何かあったかも分からないと。あったとしても、それは県が何かやっぱり指摘しておかないといけない。指摘はされていないということ。ましてや、北谷村もちゃんと認めていると。そこまで来ていると。その後放置していたのは宇賀先生の意見を顧みるまでもなく、それはもう違法であるということの構築をされておりまして、その前提で裁判の問題とか、50年の問題とか、あるいは制度の問題を十分に整理していただいて、4つの解決案を出していただいているということでございます。

○新垣光栄委員 ありがとうございました。

○中島玲史補助者 県のおっしゃっている見解というのは、ある意味原則的なものをおっしゃっていまして、ただ法解釈というのは幾つかあって、その解釈する前提というか、非事実があるので、事実が変わればこう読めるという場合もあります。
 宇賀先生は本件の事案は、今制度がないと、法律が変わったということを県はおっしゃっているわけですけど、県が違法な不作為をしているときに法律が変わったのであって、その違法な不作為をしている間に法律が変わったという事案に照らせば、これは法律が変わる前の旧法に従って処分すべきだと、こうおっしゃっているので。そういう意見の相違というか――そうだと思います。

○新垣光栄委員 どうもありがとうございます。

○呉屋宏委員長 ほかに質疑はありませんか。
 下地康教委員。

○下地康教委員 この埋立てですけれども、参考資料に竣工検査の復命書の最後に総括のほうで、これはっきり言っているんですね。総括の7行目辺りですかね。故意に無願埋立工事を実施したことに起因するものであると、その誤差はですね。つまり、もう故意に無願埋立をしてあるよということを検査で指摘しています。誤差が4.7%と言っていますけれども、これ今の埋立法でやると誤差のパーセンテージというのはないんですね。当初の埋立てが膨大ですので、その無願埋立てしたものがパーセンテージで表していますけれども、これ実際問題かなり大きな土地ですよ。これはゆゆしい問題だというふうに恐らく検査官は思っていると思いますよ。それと、あの当時は埋立に関する考え方というのが、例えば今最新の埋立ては辺野古ですよ。辺野古が大学院レベルの埋立てであるとすれば、これは幼稚園生レベルの埋立てですよ。あの当時と今を比べるとね。そういうレベルにあったというものでしてね。
 それでもう一つ、資料の航空写真で見ると、最後のページですね。これは無願埋立の場所を拡大したものですね。それで無願埋立のエリアをちゃんと護岸が回っているんですよ。しかし、この従来の埋立てのこの護岸、これが見えないんですよ。構造物がない、この写真で見る限りですよ。ということは土地を造成するに当たって護岸を造らないというのはありえないですね。これを見る限りですよ。だけどこの大きな写真を見ると、ちゃんと埋立て区域になっていますね。この線ですよ。ですが、これで見ると護岸が見えない。

○樫谷隆夫参考人 ここですね、赤いところですね。

○下地康教委員 いやいや、これです。ここ陸地ですよね。多分、こう線が引っ張られるはずなんです。

○樫谷隆夫参考人 ここは海ですが、ここはたしか海ではなかったように思います。

○下地康教委員 これはちゃんと埋立て区域に入っていますよね。

○呉屋宏委員長 休憩いたします。
 
   (休憩中に、下地委員から資料の内容について参考人に確認があった。)

○呉屋宏委員長 再開いたします。
 下地康教委員。

○下地康教委員 分かりました。
 これはちょっと細かいところで見解が違うようですので、それはもう私は結構です。
 それと、要はあの当時でやっている追加申請をしてくださいということ自体も、それも今から考えれば、この行政指導もあまり適切なものではなかったというふうに私は思います。なので、あの当時にはっきりと追加埋立て、追認という形ではなくてしっかりとした埋立願書を提出する必要があったのかなというふうに、そういう指導があるべきだったと思います。それをせずに追認という形を取ったことが大きな原因ではないかなというふうに私は考えます。
 なので、結論からしますとやはり今の埋立法による、その手続においてやはり行政というのはやっているはずですので、その辺りを最終的に裁判がどういうふうにして判断するかというのは、議会人としてはそれに対してはいい悪いという判断はしかねるというふうに思います。そういう意味でやはり現実の法律と、それと裁判所の判断ということにやはり委ねるべきではないかなというふうに私の見解を述べて終わります。

○樫谷隆夫参考人 2つ御指摘いただきました。ありがとうございます。
 1つは工事の復命書の中の総括のところで、故意に無願埋立工事を実施したことに起因するものであるというふうな記載がありますが、この故意と言えば故意ですけれども、実施設計認可で拡張してから埋立てをしておりますので、それを故意と言われれば故意でありますが、ここはその故意というのはあくまでもこの追認というか、申請を出すための書類の整理じゃないかと私は個人的には思っております。悪質な故意でないことは実施設計認可で拡張してから工事をスタートしているということから見たら、どう見ても悪質な故意とは感じられません。
 それからもう一つ、第2申請の話を御指摘いただきました。
 これは正式には追認申請ということではなくて、別途分離して申請しているだけであって、追認と言っているのは実は県なんですね。県が追認だというふうに認識しているので追認になっておりますが、実質的には第2申請は追認申請ではなくて、宇賀先生もおっしゃっておりますけれども、あくまでもこれは追認申請ではなくて実施設計で増やしてしまったので、その分を後で書類の整備のためにこれを出させたんじゃないかというふうな記載もございますので、この追認申請――奥間さんの主張は追認申請ということではなくて、追認申請という書類もありません。ただ、県のほうはそれを追認申請として扱っていると、その後ですね。そういう意味では追認申請かどうかそれは分かりませんが、奥間さんの意図は追認申請ではないことは聞いております。

○呉屋宏委員長 ほかに質疑はありませんか。
    
   (「質疑なし」と呼ぶ者あり)

○呉屋宏委員長 質疑なしと認めます。
 以上で陳情第2号に係る参考人に対する質疑を終結いたします。
この際、参考人及び補助者に対し、委員会を代表して一言お礼を申し上げます。
本日はお忙しい中にもかかわらず、長時間にわたり貴重な御説明をいただき心から感謝いたします。
 本日拝聴いたしました内容等につきましては、今後の委員会審査に十分生かしてまいりたいと思います。
 樫谷隆夫参考人及び中島玲史補助者、誠にありがとうございました。
 休憩いたします。

   (休憩中に、参考人等退室)

○呉屋宏委員長 再開いたします。
 次に、視察・調査についてを議題といたします。
 休憩いたします。
  
   (休憩中に、事務局より視察・調査日程案について説明)

○呉屋宏委員長 再開いたします。
 お諮りいたします。
 視察・調査につきましては、国立自然史博物館の誘致及び道路植栽管理に関する調査のため福岡県及び宮城県を訪問することとし、議長に対し委員派遣承認要求をしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○呉屋宏委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 なお、委員派遣の日程及び経費等の詳細な事項及びその手続につきましては、委員長に御一任願いたいと思いますが、これに御異議ありませんか。

   (「異議なし」と呼ぶ者あり)

○呉屋宏委員長 御異議なしと認めます。
 よって、さよう決定いたしました。
 以上で、本日の日程は全て終了いたしました。
 委員の皆さん、大変御苦労さまでした。
 本日の委員会は、これをもって散会いたします。






沖縄県議会委員会条例第27条第1項の規定によりここに署名する。

 委 員 長  呉 屋   宏