委員会記録・調査報告等

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土木環境委員会記録
 
令和3年 第 1定例会閉会中

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開会の日時

年月日令和3年4月9日 曜日
開会午前 10 時 1
散会午後 3 時 43

場所


第7委員会室


議題


1 参考人からの意見聴取について(陳情第47号戦没者の遺骨が混じった土砂を軍事基地建設に使わせないことを求める陳情について)
2 意見書の提出について


出席委員

委 員 長  瑞慶覧   功 君
副委員長  下 地 康 教 君
委  員  座 波   一 君
委  員  呉 屋   宏 君
委  員  照 屋 守 之 君
委  員  上 里 善 清 君
委  員  次呂久 成 崇 君
委  員  島 袋 恵 祐 君
委  員  比 嘉 瑞 己 君
委  員  玉 城 健一郎 君
委  員  新 垣 光 栄 君
委  員  金 城   勉 君


欠席委員


説明のため出席した者の職・氏名

(参考人)
 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表 具志堅 隆 松 君
(補助者)
 喜屋武 幸 清 君
 奥 田 千 代 さん




○瑞慶覧功委員長 ただいまから、土木環境委員会を開会いたします。
 陳情第47号に係る参考人からの意見聴取についてを議題といたします。
 なお、ただいまの参考人からの意見聴取につきましては、去る3月23日の本委員会での決定に基づき、陳情第47号の陳情審査の参考とするため、陳情者を参考人として招致し、説明を求めるものであります。
 本日の参考人として、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表具志堅隆松氏の出席をお願いしております。
具志堅隆松参考人から、補助者として、喜屋武幸清氏、奥田千代氏を同席させ、必要に応じて発言させたいとの申出があり、委員長として適当であると判断し、出席を許可したことを御報告いたします。
 参考人及び補助者におかれましては、本日は御多忙のところ御出席いただきまして誠にありがとうございます。
 参考人から説明を求める前に、委員会の審査の進め方について御説明申し上げます。
 まず、参考人から御説明をいただいた後、委員から参考人に対し質疑を行うことにしております。
 なお、参考人が発言しようとするときは、あらかじめ委員長の許可を得なければならず、発言は陳情の趣旨の範囲内で行うこととなっております。
 また、本日は委員会が参考人の説明を聞く場でありますので、参考人が委員に対して質疑することはできませんので、御承知おきください。
 それでは参考人から、陳情第47号戦没者の遺骨が混じった土砂を軍事基地建設に使わせないことを求める陳情について、提出に至る背景及び目的等について、簡潔に御説明をお願いいたします。
 具志堅隆松参考人。

○具志堅隆松参考人 まず、このような意見の表明の場を設けていただいたことに、皆さんに感謝申し上げます。そして、この場において私がなぜこのような陳情を出すに至ったかということを、できるだけ簡潔に述べたいと思います。
 私はこれまで、長いこと戦没者の遺骨収集をやってまいりました。その戦没者の遺骨収集の目的は、遺骨を見つけ出して家族の元へ返す。それを目的としてやってまいりました。そのため、見つかる遺骨がほとんど身元不明遺骨なので、私はそれをどうにか返す方法がないものかということで、DNA鑑定―これはもう既に先に、アメリカ等では行われておりました。このDNA鑑定をやってほしいというふうなことで、現在、沖縄戦の遺骨は、沖縄戦の戦没者との間でDNA鑑定をする。そういう、これは国家事業としてもう既に動き出しております。その最中に、あろうことか南部の土砂を埋立てに使うということを、使うという計画を沖縄防衛局が発表しました。私はこれは、南部から土砂を取ると、どうしても戦没者の遺骨が混ざることは、これを免れることはできないんです。これは後で、もし必要であれば聞いてください。どうしてそうなのかということ。そのために、私はこれは、やめてほしいというふうなことを考えて、そして、皆さんのお手元の資料があるかと思いますけども、去年の6月には、これを新聞の論壇で投稿しました。
 そして、まさに私たちが遺骨収集をやっていた現場で、それに直面する結果になったのが、去年の11月1日です。そこで私は、こういう事態になってしまったことをどうにか止めたいと思いまして、採石場を計画してる、造ろうとしてる業者を止めるよりは、これは採石場を造ろうとしてる業者は供給しようという側です。その需要をつくり出そうとしてる国、国を止めないと、1つの業者を止めても、また新たな業者が同じように、戦没者の遺骨がまだ残っている緑地帯を開発して採石場を造ろうというふうな、そういう動きになるのではないかと思って、これは国を止めるべきだと思って、11月20日には沖縄防衛局に要請に参りました。そのときは、私は国は、南部には遺骨があるということを、国は知らないでこういう計画を立てたんじゃないのかという、そういうふうに解釈してました。幾ら何でも、戦没者の遺骨があると分かっていながらやることはないだろうという、そういう善意的な解釈です。それを、11月20日に沖縄防衛局に要請に行きました。そしたら全くゼロ回答でした。私が要請したのは、現場視察の要請を行ったんです。南部には遺骨があるのでその状況を見てほしいということで、現場視察の要請を行ったのですけども、国からの回答は、まだ決まったことではありませんので、内部で共有、陳情は内部で共有したいと思いますという返事でした。それに対して、内部で共有したら行ってくれるんですかと言っても、同じことを繰り返すだけでした。それで、じゃあ私が1つだけ質問します。沖縄防衛局が南部から土砂を採取しようとする計画を立てる段階で、南部には遺骨があるという認識がありましたかと聞きました。そしたら答えないんです。再度お聞きしますよということで聞きました。答えません。3回聞いたんですけど答えませんでした。答えないということですね、皆さんが認識しながらやったのであれば、これはもう人間の心を失った行為ですよ、人の道に外れてますよと言いました。私は今きつい言い方をしましたけど、それに答えてください、反論してくださいと言いましたけど、反論もありませんでした。ゼロ回答で帰らざるを得ません。そして、2月26日には、今度はそのものずばり南部から土砂を採取するという計画を断念してくださいという、計画の断念の要請を行いました。そしたらば、そのことに対する回答は、2月の17日に赤嶺議員が国会で質問した、首相の答弁、それをそのまま読み上げるだけでした。私はそのときもゼロ回答で帰らざるを得ませんでした。そして、これはもう国に幾ら言っても限度がある。これはもう多くの人に知ってもらう必要があると思って、ハンガーストライキに入りました。そういう経緯があります。
 今の陳情に至った経緯ですけども、これを、私はハンガーストライキが終わって後、県内の41各市町村、全市町村にこのことをぜひ議会で諮っていただきたいということで、要望書を出しました。そして県にも出しました。要請はただ一点です。国に、南部からの土砂採取計画を断念させてください、それを意見書で表明してくださいという、それだけです。私、今この場にいるのは、そのことの、そのことで、今ここに呼ばれているものと承知しております。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 参考人の説明は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 なお、質疑・答弁に当たっては、挙手により委員長の許可を得てから行い、重複することがないよう簡潔にお願いいたします。
 質疑はありませんか。
 座波一委員。

○座波一委員 具志堅さん、今日は御参加いただきましてありがとうございます。
 今お話を聞いてもですね、具志堅さんの思いというものは、沖縄県民全てにひとしくあるものだと思います。大変敬意を表するものであります。そしてまた、昨日来ていただいた業者の永山さんもですね、具志堅さんに対しては頭の下がる思いだと。並みの人にはできないものだというふうに言っておりました。
 ですが、この、今出されたこの陳情の内容を、いろいろ見る限りにおいては、どうしても事実確認をしておかないといけないということがあります。これは我々も、県議会全会一致でやるべきことだと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 今最初に聞きますが、具志堅さんはいつ、この熊野鉱山内において遺骨を発見されたのですか。

○具志堅隆松参考人 11月1日において遺骨があることを確認し、それで警察に連絡して、事件性がない戦時中の遺骨だと思われるという旨を確認してもらいました。そして、沖縄県の遺骨収集情報センターにも連絡をして、現場の確認をしていただきました。

○座波一委員 その時点で、現場は伐採されていたんですか。

○具志堅隆松参考人 はい。現場は伐採されてました。
 私たちの仲間のもう1人の方によれば、その前の週にはまだ緑は残っていたということでした。

○座波一委員 そこは私有地であることは承知していましたか。

○具志堅隆松参考人 私はそれが私有地であるのか、県有地であるのか、あるいはその部落の土地であるのか、そのことは知っていませんでした。

○座波一委員 具志堅さんが遺骨を収集したということはですね、所有者は知らなかったと昨日証言していました。所有者はですね。ですので、連絡をしてなかったことになります。これは連絡しなかったことになるんですよ。知らなかったわけですから。
 ですので、熊野鉱山というのは私有地ということになりますので、これは私有地に無断で入ったということになるわけですが、それは事実として受け止めてよろしいですか。

○具志堅隆松参考人 私たちが遺骨収集をするときに、そこの土地が誰の所有なのか、県有地なのか、例えば個人有地なのかとか、そういうことを前もって調べて入るということは、これまでの遺骨収集ではありません。遺骨が見つかった段階で沖縄県の遺骨収集情報センターに連絡して、その情報センターのほうで地権者と連絡を取って、そしてそこに遺骨があるということを伝え、遺骨収集していいかというふうなことを、そういう作業を情報センターにやっていただいています。現に、情報センターは翌日の11月2日の月曜日、現場へ行って、その業者の方にその旨伝えて同意を得たというふうなことですけども、3日に新聞に出たら、逆に立入禁止になったということで聞いています。

○座波一委員 すみません、聞かれたことだけを。時間がないもんですから、お願いしますね。
 実はですね、戦没者遺骨収集についての留意事項というのがあります。これは、前もって地主の了解を得ること、あるいは市町村教育委員会へ連絡して、遺骨の確認を取るなどの指示を受けることとなっておりますが、それは御存じでしたか。

○具志堅隆松参考人 はい、これはですね、遺骨収集情報センターがつくられた段階でそのようなものが出てました。私はそれに対して、これを、今おっしゃったことを、一般の市民ボランティアにそれを要求するのは無理だと。遺骨収集しようとする人間が、自分が入ろうとする場所の地権者が誰か確認した上でやるというのはこれはできないと。それよりか、むしろ遺骨が見つかったら沖縄県がそれをやってくれということで、それで私は沖縄県にやってもらうようになりました。そういう経緯があります。

○座波一委員 そしてですね、開発業者が違法行為をして伐採したという指摘をされておりますが、これは具志堅さんの指摘ですか。

○具志堅隆松参考人 私ではないんです。

○座波一委員 分かりました。じゃなければいいです。
 開発業者さんのですね、採石工程―採石するための工程を聞く限りですね、彼らも非常に神経を使っております。で、畏敬の念を持って、戦没者の遺骨があればそれなりに対応するということを繰り返してきたという自信を持って表現しておりました。そういった部分では納得できる部分もありますが、彼らのそういう思いとか努力というものを具志堅さんはどう考えていらっしゃいますか。

○具志堅隆松参考人 それは確かに評価するに値すると思います。

○座波一委員 ですが、この開発計画を出したその事業者の方にですね、その行為は人道的問題があるという指摘されておりますが、これも事実ですか。

○具志堅隆松参考人 私は今でもそう思っています。

○座波一委員 開発をすること自体がもう人道的問題だということなんですか。

○具志堅隆松参考人 これは、例えば、遺骨があるのではないかというふうな前提で、調べてくれるというのは非常にうれしいです。そして、見つかったらそれを供養するというのもうれしいです。しかし、そこで開発を続けようというと、遺骨を含まない状態で土砂を採取するというのは技術的にも物理的にも無理なんですということで、だから私は、そこで―何ていうんですか、そこの土砂を埋立てに使うというのは、人道的に問題ありますよ、あるいは戦没者の血を吸い込んだ土砂を使うのは問題がありますよというふうな、そういう言い方をしております。

○座波一委員 それはもう具志堅さんの見解ですので。しかしながら、事実いろいろ調べていけばですね、これが全て人道的問題なのかというのは、法的にも疑問の残るところであるなという感じはいたします。
 次にですね、那覇空港に使用された可能性があるとのですね、県議会でも答弁があったんですね、可能性があるみたいな御答弁があったんですよ。ですから、その那覇空港の時点で、他の公共工事もあったと思うんですが、大分南部の土砂は、公共工事に相当使われています。民間工事も含めてですね。その頃の具志堅さんのお気持ちというんですか、そのときの具志堅さんの行動というのは、どのような行動だったんでしょうか。

○具志堅隆松参考人 私もそのことを知ったのは、たしか赤嶺政賢さんが国会で質問して、南部の土砂は既に那覇空港の建設にも使われてるんですよというふうな指摘があって、多分それが最初だったんですけども。私が思ったのは、それだったら那覇空港の滑走路の下を掘り返して調べるべきだと思いました。なぜならば、硫黄島の滑走路の下は現に掘り返して調べてるんですよ。でも、私たちの仲間が調べていると、那覇空港に使われたのは大きな岩の塊ですか、1メーターぐらいあるような、ああいうもので、遺骨が混ざるような岩ズリ、細かいのは使われてないようだということを指摘されました。そういう経緯があります。

○座波一委員 業者さんの話によると、表土は剥離して、大体10センチから30センチぐらいに剥離して、それを置いといて、本当の意味での原料となる、材料となる石灰岩が出てくるまでは、またさらにさらってですね、本当の岩の部分を使うんだと。これがいわゆる材料としての岩ズリになる―岩ズリという材料になるわけですが、その部分からは、恐らく遺骨はもう入ってないはずだと業者さんは自信を持って言っているんですね。そういう考え方について、具志堅さんのお考えはどうでしょうか。

○具志堅隆松参考人 その言い方ですけども、その指摘については、私問題が2つあるなと思ってるんですね。というのは、表土を剥ぎ取って保管しとけば、それに遺骨が含まれてるからその下からは遺骨は出ないだろうというふうな―これはですね、琉球石灰岩の特質からすると当てはまらないんですよ。琉球石灰岩は雨水の侵食を受けて、地下に空洞ができています。全部、あちこちっていうわけじゃないですけど、できて、それがガマと言われてるものですよ。表面からは見えなくても、違う場所から水平方向に行ってさらに下って行って、そこに空洞があってそこに避難していた、あるいは日本軍が入っていった。でも入り口を米軍の攻撃で爆破されて閉じ込められる。これがいわゆる馬乗り攻撃なんですけども、そういうことによって、地下の空洞に閉じ込められて亡くなった人たちってのは、これは時々出てきます。これ採石業者さんも認識してるはずですよ。そういう現場をですよ、その表土を取ったと。それからさらに、ユンボでもって岩石を取っていくと、その地下空間の天井部分というのは崩落を起こして下に落ちてしまいます。その段階で、床部分にあった遺骨は石で覆われてしまって存在が確認できなくなってしまいます。そうすると、遺骨がある状況が分からないまま採取されてしまうという、これが1点。
 もう一点が、この表面の土砂を集めて保管するというふうな、そういうときにですね、例えばここで1人の人が亡くなってる、ここで1人の人が亡くなってる。それは骨となって横たわってる。それを機械でもって土砂と一緒に集めたら、その1人の人間の骨というのと、他の人の骨っていうのが混ざり合って、個体性が失われてしまうんですよ。これは以前厚生労働省こういうやり方をしてました。ユンボでもって土砂を集めて積み上げて、それをベルトコンベヤーの前でスコップでベルトコンベヤーに少しずつ乗せて、そのベルトコンベヤーの前で作業員がそのベルトコンベヤーの土砂の中から骨やら遺品やらを取り出すんですね。そうすると、名前のある万年筆が出てきても、この万年筆、どの遺骨が持っていたのっていうそんなレベルの話じゃないんですよ。もう個体性が失われてしまうというふうな、そして実際にその見つかった遺骨を仮にDNA鑑定やって返すときでも、他人の骨が混ざってしまうおそれがあるっていうふうな、そういう可能性があります。その地下に遺骨はないだろうという、要するに表土を取ってしまえばという―それ皆さんの手元にこの写真届いてますかね。これは、青森の浜田さんという方が発掘してくれた遺骨なんですけども、これは地下10メートルぐらいのところから出してると言ってます。ですから、表土を集めればその下には遺骨がないというのは、これは沖縄の琉球石灰岩の特質からいうと、これはちょっと当てはまらないですよというふうな、そういうことを指摘させてください。
 以上です。

○座波一委員 少しその部分がですね、まだまだ議論が必要だなと思うような感じがします。
 次に移ります。南部地域に戦没者の遺骨が眠っているという理由で、採掘、これまで採掘業を営んだ多くの業者さんがいるんですね、戦後間もない頃から。沖縄の復興には欠かせない貴重な鉱山だったんですね。そういう方々が、もう採掘ができなくなる可能性があると、非常に危機感を持っているわけですが、それについてはどう考えていらっしゃいますか。

○具志堅隆松参考人 これはぜひ皆さんに知っていただきたいんですけども、私がですね、この遺骨が混ざるおそれがあるからやめて、やらないでくださいと指摘しているのは、今回の熊野鉱山のように、今まで緑地帯だった現場を伐採して、そこを採石場にしようとすると、その緑地帯にはまだ遺骨が残っている可能性が高い―現に、私熊野鉱山入れなくなったので、周りを調べてみたらそこにもあるんですよ。そういう緑地帯を開発、新たな採石場にしようとする動き、それをやらないでほしいということなんです。

○座波一委員 分かりました。それは、その意味は理解できますが、文言からはですね、南部地域の土砂と一くくりにされてるような文章に見えますが。

○具志堅隆松参考人 これは新たな、その緑地帯の開発をしないでくれということなんですけども、既に稼動してる既存の業者の―既存の業者がですよ、辺野古の埋立てに使うということに対してはどうですかと言われたら、私はこれは、辺野古には、軍事基地建設のためにはやめてほしいというのが私の願いです。これは、例えばそれ以外の民生、民間の工事―いわゆる民生に資するというか、民間の生活にプラスになるような使い方、これを既存の業者がやるのであれば、これは今までの事業の継続だと捉えてます。ただ、それまで止めるとこれ大変なことだと思ってるので、私自身はそこまでは考えていません。

○座波一委員 さらにですね、南部地域以外にも激戦は多かったんですね。中部、北谷、あるいは嘉数とか、その激戦地がたくさんあったわけですが、そこも具志堅さんはいろいろ収集活動なさったかと思います。そういった意味からいうと、沖縄県全体のですね、この鉱山から遺骨収集、遺骨が混じっているものは使わないっていうのが、本当の意味でのこの前提になるべきかと思っているわけですが、ここをですね、南部がというふうに限定しているというものが、なかなか、この整合性が見いだし切れないところがあるんですが、そこはどう考えていますか。

○具志堅隆松参考人 いわゆる激戦地と言われてるところ―例えば中城の琉大跡地である、あるいは米軍はスカイラインと呼んでるのですけども、あそこは石灰岩ではなく、クチャ質の土層です。それからあと、嘉数高地。そこは、例えば、石灰岩一部あることはあるけど、あそこが採石場―あそこから採石するという話というのは私まだ全然耳にも入ってませんし、それから前田高地、これも同様です。あそこも石灰岩質なんですけども、でもあそこが採石場というふうなことは聞いてませんし、西原の幸地とかについても同様です。
 もし、もしですよ。激戦地であった場所から、石灰岩以外の土壌も含めて採取されるとなったらば、これは大いに調べる必要があると思ってます。どういうやり方をするのか、遺骨が出た経緯がある場所であればということでですけれども。こんなもんでいいですか。

○座波一委員 採石していないから、それは該当しないというふうにお考えだということが分かりました。
 そしてですね、辺野古の埋立てに使わせないという考え方、それはそれで尊重する―意見としてはそれは尊重すべきだとは思いますが、この、他の工事という、公共工事がたくさんあるわけですね。辺野古だけに使わせないのか、この公共工事も含めて使わせないのか。

○具志堅隆松参考人 私はこのことに声を上げているのは、戦争で殺された人の遺骨、まだ家族の元に帰ることもできないで、今それを国がDNA鑑定で家族の元へ返そうとして国家事業として動き出してる、そういった対象である御遺骨を、戦争で殺された人の遺骨を今度戦争の基地を造るために使うということ自体が、これが戦死者に対する冒瀆だというふうに言ってるんです。公共事業に遺骨が使われるおそれがあるんだったら、これも、業者には何らかの、いわゆるチェックシステム、条例ででもいいですから、これを設けるべきだと思います。

○座波一委員 最後になりますが、先ほど申し上げましたが、業者さんもですね、本当にかなり神経を使って、ある意味では宗教に寄り添って、そういったものを心理的に、納得するまでやるとかですね。あるいは、家族もあることから、そういうふうないわれは受けたくないと。冒瀆するようなですね、戦没者を冒瀆するような行為は、一切それはしてませんと涙ながら訴える人もいます。私のところにも業者からも電話が来ます。我々は正当に国の許可を受けて鉱業をしてるんだということがあります。
 そういうことも含めて、先ほど冒頭、この目的、具志堅さんの目的は遺骨を御家族に返すことが一番の目的であるということについては、これに異論を唱える人は、日本国民に誰もいないと思います。それだけ崇高な願いなんですよ。ですから、それは非常に尊重するものであります。ただ、今、この陳情内容が全て通るとすればですね、私権に絡む、これまでやってきたそういったものが、どうしても法的な整合性が取れなくなる。さらに、この遺骨が本当にそこにあるかどうかという点についても、可能性ということで片づけるとなると、大変、これは、禍根の残ることになります。ですので、しっかりとそこら辺をやった上で、この件は、県民の意見としてまとめるべきではないかなと思っておりますが。

○具志堅隆松参考人 私、実はですね、この問題が起きて以来ずっとこう、何ていうんですかね、自分自身で非常にこう、業者いじめをやってるつもりではないんだけど、非常に何ていうんですか、心苦しいのがあってですね。
 例えば熊野鉱山さんだけでなくて、ほかの業者も―何ていうんですかね、業務を圧迫、あるいは生活を圧迫するようなことになってるんじゃないかとかということも考えると、非常にこうちゅうちょするのをずっと持っています。そして、この既存の業者さんは、皆さん見れば分かるんですけども、地表部分というのはとっくの昔に掘って、今もう地下10メートル、20メートル部分を掘っています。そこの部分から、よっぽど空洞でも見つかれば、それは慎重に対応していただきたいけど、そういう深いところは、もう既に戦没者の遺骨は可能性としてはもう少ないんじゃないかというふうなことも考えていて、業者さんがその業務を続けることについて、圧迫するというふうなことについては非常に心苦しく思ってるし、それを、むしろ何ていうんですか、これまで沖縄の発展にも少なからず寄与した部分もあると思ってますし。ただ、緑地帯を開発するっていう行為、これについては、その緑地帯については、戦没者の方々、御遺族にとっては、本当にそこをもう墓だと思ってると。島尻のどこで亡くなったかは分からないけども、まだそういった遺骨がある場所が、自分の親父の、あるいはお母さんが眠っている場所なんだろうと思って、そう思ってる方もたくさんいるわけなんですよ。その緑地帯については、もう開発をするというよりかは、むしろそこで遺骨をできるだけ収容する、そしてその場所を、慰霊と平和について考える、そういう場所にしてほしいと思ってます。
 だから私の願いというのは、もう、遺骨があると思われる緑地帯を開発するというふうなこと、それはできるだけ、戦没者あるいは御遺族の視点に立って、できるだけ残して、そこをこう慰霊と学習の場にしてほしいというふうな、そういうことです。既存の業者に、仕事をしないでくれというふうなのは、言うつもりは毛頭ないです。
 よろしいでしょうか。

○座波一委員 最後になりますが、昨日聞き取りした業者さんもですね、最終的には開発して、埋戻しして、そこの地域を、この地域の皆さんが訪れることができるような、ランドスケープと言ったんですかね。ランドスケープというような言葉で表現してましたが、要するに、この公園をシンボリックな公園にしてですね、それで平和を願う地にして戻したいというふうな考えがあるということも事実ですので、それがある意味では共通する部分になれば、私はいいかなと思っているわけですけども、しっかりと遺骨を取ってですね、あるものは取って、収集して、資源は開発して使う。さらにそれを元に戻して、また、平和な公園のことも可能ではないかというふうな考えがあるということも、ぜひとも御理解いただきたいなと思っております。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 次呂久成崇委員。

○次呂久成崇委員 具志堅さん、今日はどうもありがとうございます。私から幾つかですね、ちょっと確認させていただきたいと思います。
 今日の新聞報道でもありました、そして昨日の参考人招致でも業者のほうからもあったんですが、無断の立入りによる調査だということなんですけども、本来ですね、この遺骨収集作業をする場合、この一連の経緯というんですかね、それをまずちょっとお聞きしたいと思います。通常、遺骨収集をするときの流れですね。

○具志堅隆松参考人 これはですね、遺骨がありそうな場所―これは例えば、沖縄戦の中で日米の戦闘の状況。どこが戦闘の場所になったというのは、ある程度分かります。これは、例えば嘉数であるとか那覇市のシュガーローフ、あるいは西原町の幸地であるとか、あるいは那覇の天久高台ですね、天久台地、そういうところもそうなんですけども、しかし南部に来ると、これもうどこということないんですよ。本当に軍と住民とか混在になって、そこにいるところに、アメリカ軍がもう、本当に無差別に攻撃を加えているので、どこででも亡くなってます。そういう場所では、南部で探すときというのは、まだその沖縄戦当時の表土というか、残ってると思われる場所。それは、端的に言えばまだ開発されてない場所です。そういうところに入って調べています。
 そうですね、そういうふうに、南部だともう未開発の場所であれば、そういうところを調べています。いいでしょうか。

○次呂久成崇委員 陳情書のほうにもあるんですけれども、この南部に関しては、やはり未開発の緑地帯であれば、そこに目星をつけて入っていくと。そこで発見されれば、先ほどからおっしゃってる、警察にまず届出をして、財団と連携してやっていくというような流れということで、通常はそういうところでは所有者に事前に、入っていいかとかいうことはやっていないという認識でよろしいんでしょうか。

○具志堅隆松参考人 これ全くそのとおりです。遺骨収集情報センターというのが、これが2012年ぐらいに多分できたと思うんですけども、その頃、先ほど座波委員がおっしゃったような、そういう注意書というか、そういうのがあったんですけども、それに対して、私は沖縄県の援護課にも、こういうことというのはむしろ県がやるべきじゃないのかというふうなことで、その見つかった段階で沖縄県の情報センターに連絡して、情報センターが地権者と連絡を取り合ってやってるというのが現状です。

○次呂久成崇委員 昨日事業者の方がですね、遺骨は表土の部分に含まれていて、自分たちが利用するのはその下の石灰岩ということで、完全に剥離して分離するので、100%遺骨が混じることはないというふうにおっしゃっていたんですね。ところが、その剝離をするときにどういう手法でやるかと言ったら、やはり重機だということをおっしゃっていたので、そういうことであれば、私は完全に100%きちんと遺骨と土砂を分けるということは難しいんじゃないかなというふうに思ったんですが、実際に遺骨収集をなさってる具志堅さんはどのようにそれはお考えでしょうか。

○具志堅隆松参考人 私たちは、その遺骨が見つかるとその遺骨を動かさないで、その周りを掘って―ペンキを塗るはけがありますよね。あのはけで土をどけて、遺骨を浮かび上がらせるような方法をやります。そうすると、その遺骨が、例えば手足は全部そろっているのか、体は全部そろっているのか、うつ伏せなのかあおむけなのか、あるいはどういう持ち物を持っているのか、兵隊なのか住民なのか、いろんなことが分かります。そうすることによって、これが1人の、1人分だねってさらに堀り進んで行って見つかると同じようにやります。そうすると、1人の人ともう一人の骨が混ざることはないです。それのやり方が、この皆さんの手元にあるような手法で集めた遺骨です。
 そういうふうな、何ていうんですか、細かい取り方。そうすると、名前のある遺品を持っていても、明らかにこの遺骨の方がこれを持っているという指摘もできますし、またDNA鑑定をやっても、他人の骨が混ざらない状態でお返しすることができます。

○次呂久成崇委員 昨日ですね、この業者のほうは遺骨は石灰岩の中にはないんだというふうにおっしゃってました。ところが今日ですね、具志堅さんのお話の中では、やはりこの琉球石灰岩の特質として、雨水によって浸食されてそこに空洞ができて、そこにやはり戦争で避難してたと、隠れていたということもあるので、やはりそれが潰されると混ざってしまう可能性があるということで、この石灰岩の中にはないというような業者の認識とは大分違うなというふうに思ったんですけども。

○具志堅隆松参考人 今やってる別の現場ででもですね、これは糸満の伊敷なんですけども、実際に掘っていて、それが、その石灰岩の隙間に落ち込んでしまって取りようがないんですよ。固い塊と塊なんで、もう正直そこはもうどうしようかと思って、その周りから掘れないだろうかと思ってるんですけども、どれぐらい落ちたのかも分からない。しかし、小さい骨がどんどん落ちてしまってるのは分かるんですよ。だから、下に空洞があるというだけじゃなくて、上からもその隙間をつくってるというふうなのがあります。
 それと、その熊野鉱山ですけども、そこの下にはシーガーアブという、ガマがありまして、何年か前、そこを―そこは有村中将自決の壕というふうにもなってるんですけど、あれ2つありまして、2つともたしか遺骨ありますよ。だから、あれも上を工事していれば崩れるおそれがあるなと。そうすると、そのとき見ていた―細かい骨だったんですけど、歯であるとか指であるとか、そういったものも、本当だったら今のうちに収容するか、しないといけないんじゃないかなと思ってるぐらいなんですけども、上で工事して、上がこう、落ち込んだらもう収容できなくなるんじゃないかというふうに思ってます。

○次呂久成崇委員 最後にですね、昨日やはりこの事業者の方も、遺骨が混じった土砂を使用すると―埋立て等にですね、使用するというのは、やはり事業者の方もそれはあってはならないことだというふうにおっしゃってました。ところが、やはり初めてのこの事業だということでですね、この琉球石灰岩の特質なども含めて、やはり遺骨収集に関しては、実際にやっていらっしゃる具志堅さんとは大分、この知識のほうも違うところがあるなと、昨日からちょっと感じているんですけども。そこでですね、実際にこの事業者の方とこういう遺骨収集、そして琉球石灰岩の特質なども含めてですね、もし機会があれば実際にお話をして、こういうことだからぜひそこら辺も配慮しながらというようなことでの意見交換とか、そういうのは、もしそういう機会があればそれは可能でしょうか。

○具志堅隆松参考人 はい。それは、望みたいです。
 ただですね。このことが、その工事に着手する、工事に入る、踏み切る、そういうふうなものを目指してのものなのか、それとも本当にただ単純にこう、そういうふうな情報を得たいというふうなことなのか。それを考えると、私は―例えば仮にですよ、現場で私たちが遺骨収集をする。もちろんやりたいです。しかしその次の行為として、じゃあ開発していいんですよねというふうな、そういうことになるということは、私はこれは、むしろどうなのかなというのが非常に、要するに何ていうんですか、遺骨収集をすれば、そこの場所はもう埋立てに使っていいんですよねというふうになるとしたら、私はそこはやはり原点に返って、沖縄戦で殺された人の血が染み込んで、その思いが染み込んでいる、そこの土地を開発するというのは、埋立てに使うというのは違うんじゃないかと思ってます。
 ましてこのことは、国は、さきの大戦の戦没者に返したのは、遺骨箱の中に、遺骨じゃないんですよ。その戦死した地域の石を遺骨の代わりに返してます。御霊石というふうに。今回、この戦没者が亡くなった場所の石を埋立てに使おうと国が、同じ国が考えてると言ったら、さきにやった戦没者の遺族に返した石に持たせた意味を、国自ら否定することになると思いますし、そこはやはり遺族にとって、祈りをささげる場であってほしい。あるいは次世代の子供たちにとって、そこで、人が殺されたんだねというふうなことを確認できる場所であってほしい。そういう意味では、その開発するという前提でのことについては、私はちゅうちょします。

○次呂久成崇委員 はい。ありがとうございました。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 島袋恵祐委員。

○島袋恵祐委員 本日はお忙しい中、具志堅さん、奥田さん、そして喜屋武さん、来ていただいて本当にありがとうございます。
 まず2点ちょっとお聞かせください。
 沖縄防衛局は、辺野古埋立工事の設計変更申請書を県に提出しています。辺野古新基地建設については、これまで県民投票や国政選挙、そして知事選挙においても、県民はですね、新基地建設反対の民意を示し続けてきました。今回設計変更申請で、当初県外からの―多くは県外から調達するということだったけれども、設計変更計画では、県内全域からの調達が可能ということになっています。その全体の7割が南部地区、糸満、八重瀬からの調達ということになってるんですけれども、この沖縄防衛局が県に提出した辺野古埋立工事設計変更について、具志堅さんとしてどう思うのか、ちょっと聞かせてほしいと。
 もう一点はですね、辺野古埋立土砂の、これ全体の7割の調達が狙われているこの南部地区、糸満、八重瀬の地域なんですが、76年前の沖縄戦ではどのような場所だったのか。具志堅さんの見解や思いを聞かせてください。
 2つお話をお願いします。

○具志堅隆松参考人 まず沖縄防衛局が、沖縄県に提出した変更申請。それについて、私はいろんな多岐にわたってると思うんですけども、それぞれの項目については、やはり、批評できる方、判断できる方がいらっしゃると思いますし、私が言えるのは、この7か所、県内7か所から取るといううちの南部、これはやめてほしいという、ただその1点だけなんですよ。それを41市町村に、この南部からの土砂採取計画、これを断念させるよう国に声を上げてほしいということ。あと、それをさらに―先ほど座波さんがおっしゃられたように、既存の業者まで仕事が止まってしまうおそれがあるということについては、それは私の本意ではないです。しかし、ただ、だからといって、既存の業者も辺野古に埋立土砂を出していいのかとなったら、これは全く、これには反対です。なぜなら既存の業者もこれまで辺野古という事業がないまま、事業運営をしてるわけです。ここに来て、辺野古がないと生き残れないというふうな、そういう話ではないと思ってますので、これは私は国による沖縄県民の分断、対立、そういう構図が今つくられてしまってるというふうに感じております。ですから、もしかしたら私も対立の片方の人間として見られるというんであれば、私はこれを、内部で対立するべきじゃなく、我々が向かうのは、個々の業者じゃなく国だっていうことを、ここで一応はっきり言っておきたいと思いますし、それと、あともう一つの質問というのが、南部でどのような戦闘の状況ということというのは、これはですね、いろんなケースがありますけども、私ハンガーストライキをやっているときにこういうふうな声を発してました。タシキティクミソーレ、タシキティクミソーレと。これは、糸満の束辺名のワイトゥイにあるガマの中で、桃原さんというお母さんを筆頭にした子供たちを引き連れたその家族が避難してるときに、長女の方が水くみに行ってる間に、そこが米軍の攻撃で入り口が潰されてしまって、家族が中から出れなくなってるんですよ。それを水くみから帰ってきた娘さんが声をかけて、まだみんな生きてると。それで、急いで部落の人を呼びに行ってそこを開けようとしたけど開けられなかったと。外と中とで話をしていたけども、でも、何日かたつともう声がしなくなったというふうに。そのときのお母さんが、部落の人が来たときに叫んでいた言葉なんですね。タシキティクミソーリヨって。そういうケースというのはまだあります。実際に家族と思われるその構成で出てくる遺骨、もう埋没というか、入り口が塞がったようなところで。
 私は今回、南部で土砂を埋立てに採取するようになってしまうと、そういった犠牲者の遺骨まで入ってしまうんじゃないかということで、そういう人たちの声を伝えるという意味で、デニーさんに向かって、タシキティクミソーレ、タシキティクミソーレしてました。そういう、南部でどういうことがあったのかというふうなことについては、当事者が今日こちらに来ております。委員長、もしよろしければ、ここで御遺族お二方に発言させていただければと思います。

○瑞慶覧功委員長 喜屋武幸清さん。

○喜屋武幸清補助者 皆さん、こんにちは。喜屋武でございます。
 私はこちらにね、呼ばれてね、びっくりしました。何か裁判所に来てるのかなと思って。被告席に座らされているような感じがしました。
 本当に、県議会初めてなんですが、私は戦争当時6歳でした。首里の近くにうちのお墓がありまして、そこに艦砲が直撃しましてね。うちのおばあちゃんが吹き飛ばされて、30メーター下の金城ダムのところにですね、即死した第1号の犠牲者です。私は6歳でしたけれども、うちのおふくろが4名の子供を連れてですね、そこから避難して南風原に行って、南風原の壕から摩文仁まで歩いて、それ行ったんですが、その間に肉親5名失いました。うちのおじいちゃん、それで親戚のおばさん、いとこ、本当目の前で殺されてですね、それを埋めた―埋めたかどうか分かりません。私は小さくて、うちのおじとかおふくろがですね、芋畑に投げ出して、草で覆うぐらいだったかもしれないです。そういう、遺族がこういう白骨死体で発掘、発見されているかもしれないです。おじいちゃんの遺骨かもしれない。これでですね、最後に、私は6歳、弟が5歳、3歳、9か月の妹。4名ですよ。28歳のおふくろが、2人を前に後ろにサンドイッチにして、私と弟、もんぺをつかまえて、離したら知らんよ、ついてくるんだと言われてですね、本当に泣いたことないですね。痛いとか苦しいとか疲れたって一言もですね、文句言わずに、摩文仁の壕まで来たんですよ。それでそこに、壕に入ろうとしたらですね、何と中に日本兵がいましてね、銃を突きつけて、幼子は入れないと言うんですよ。泣くから入るなと言うんですよ。びっくりしましたね。おふくろはね、もう泣きながら、この2人だけは助けてください。長男ですから。沖縄のしきたりでね、嫁は長男を守らなきゃいけない。うちの親父はテニアンにまだ残っていましたから、この子だけは助けてください、中に入れてください。私と次男と2人は入れてくれて、おふくろは3歳と9か月の弟と妹を連れてですね、壕の外に出ていって、どっかに置き去りにして逃げ帰ってきたんです。それを壕に入って、入り口を石で塞いだんですよ。さっき入り口を塞ぐって、そうなるんです。中に兵隊がいますからね。もう飲むものも食べるものも何もない3日間ですよ。そしたらある日ですね、アメリカ兵が入り口を崩して、出て来いと言うんですよ。真っ先に出て行ったのは私なの。喉乾いているしね。怖いしね。私が出て行ったから、おふくろはついていくのは当たり前ですよね。それで、あれ1分間、待たなければ火炎放射器で皆殺しです。20名近くいたと思います。そしたら、私が飛び出して、それで女性が―うちのおふくろが出てきたもんですから、火炎放射器止めてですね、私がよちよち歩くもんですから抱きかかえて、水筒の水を飲ませてくれたんです。考えてください。鬼畜米兵。天使でした。日本兵は壕には入れないで、女子供を苦しめて、アメリカ兵は抱きかかえて僕に水飲ませてくれたんです。命の恩人はアメリカ兵です。私と弟は助かって、おふくろが外に置いてきた2人がどうなったか。全く分からないです。5名死にました目の前で。あと2人、弟と妹は行方不明です。生きてるか死んでるか分からないんです。これが戦争なんですよ。戦争の語り部として、私の人生これから生きていくつもりです。
 辺野古に基地を造ると聞いたときにですね、バカッタレと思ったんです。本当に日本という国はね、沖縄の戦争のあのむごたらしさ、地獄絵というの見たことがないですから、聞いたことはある、本読んだこともないんですよ。菅総理なんか言いましたよ、沖縄のこと、僕何も知らんよと。そんなことを総理が言っていいんですかと思うぐらい。勉強しようと言いたいぐらいでした。辺野古に基地ができるといったときにですね、私はね、僕命をささげていいと思った。戦争でね、生きるか死ぬかのような地獄を見てきた私がですね、まだ辺野古に基地を造る。けしからんと。僕は死んでもいいから、僕を十字架につけてくれと。辺野古を阻止しようと思ったんです。考えてみたらね、僕が死んだらね、僕の記憶も、思い出も歴史も全部消えてなくなるじゃないですか。それよりも、あと20年生きて、沖縄の戦争体験を伝えて伝えて、孫まで、絶対戦争しちゃ駄目だということを伝えていかなきゃいけない、語り部の仕事を今やってるわけです。
 要請されればどこにでも行きます。本当にボランティアで頑張っておりました。こんな話をすると涙が出ます。本当に、この戦争ってのはやっちゃいけないことなんですよ。何でまた戦争の準備をするんですか、辺野古で。考えられないです皆さん。戦争体験者、もう人口の10%も生きてないと思います。私今年もう83歳になりますよ。100まで死ねないです。子や孫まで伝えていきたい。これが私の使命です。
 今日は本当、ありがとうございました。

○瑞慶覧功委員長 発言は陳情の趣旨の範囲内で行うことになっておりますので、よろしくお願いします。
 奥田千代補助者。

○奥田千代補助者 まず、最初にですね、具志堅さんがDNA鑑定―遺骨とのね、DNA鑑定をなさっていることで、私もこのDNA鑑定を受けました。今のところ、父親は兵隊として亡くなっておりますのでね。父親の遺骨探しのためにDNA鑑定は受けました。まだ3年ほど前なんですけど、でもまだ父の遺骨探すのは諦めておりません。
 それで、戦争の話というのは、私まだ小さかったものですから、4歳だったものですからね、覚えているかと言ったら覚えてはないんですね。それで、覚えてはないんですけど、やはり身内からね、聞いてのこともあるんですけど、私この南部でのこの土砂採掘に対しまして、えっ、まさかという思いでおりましたものでね、遺族としてやはりこれは反対ですってことはね、お伝えしたくて今日宜野湾市から参加しております。
 具志堅さんほど詳しい行動はしてはおりませんけどね、やはり私がちょっと思いのままね、書きつづったことを読み上げたいと思いますけど、よろしいでしょうか。

○瑞慶覧功委員長 陳情の趣旨の範囲内ということになっています。

○奥田千代補助者 はい。すぐ終わります。
 私の父は兵隊として召集され、南部の摩文仁で戦死したと聞いています。終戦後はたくさんの遺骨を、地域の方々が拾い集めて弔ったとも聞きました。戦後76年もたつというのに、南部にはまだまだたくさんの遺骨が眠っていると思われます。月日がたてば、遺骨は土と化します。一握り、一握りの土の中に、戦死されたたくさんの方々の血や遺骨が混ざっているのに間違いありません。そういう場所の土地を採掘して、辺野古の新基地の埋立てに使うことは絶対許されません。名前を出していいか分かりませんけど、私はあえて申し上げます。熊野鉱山という1企業の金もうけのために、静かに眠ってる英霊を揺さぶりを起こすようなことはなさらないでください。阻止してください。許可しないでください。
 県議会の皆様にもお願いいたします。さきの大戦で、沖縄県民は4人に1人というたくさんの貴い命を失いました。今日生かされてる私たちはほとんどがその子孫だと思います。南部の戦跡地は、沖縄県民みんなの祈りの場です。風化させることなく、みんなで守り、次の世代に語り継がなくてはいけない場所だと私は思います。そういう場所からの採掘というのはぜひやめていただきたい。
 それと、県議の皆様にお聞きしたいんですけど、その採掘、今騒いでおります採掘の周囲に慰霊塔が何塔建っているか御存じでしょうか。魂魄の塔がどこにあるか御存じですか。いらしたことありますか。魂魄の塔は、みんなこう、今でこそコロナ禍で、観光客、修学旅行の……。

○瑞慶覧功委員長 すみません、参考人が委員に対して質疑、質問することはできません。

○奥田千代補助者 ごめんなさい。そうですね、やはりそこら辺見学なされて、またその掘った後のクレーターというんですか、これがどこの―この周りも採石場がたくさんあるんですけどね、どこがこう埋立てされ直されたところがあるんでしょうか。県議会の皆様、辺野古のほうもそうなんですけどね、前からはきれいな山に見えるんですけど、裏に回ってね、見てください。みんなクレーターというんですか、これは穴の、ダムのようなね、水たまりでもう異様な光景なんですよ。火星みたいなね、こういった場所になるんです。埋立てされている場所とは、採掘した後に埋立て直されたという場所は一件も見たことがありません。これをみんなの祈りの場である魂魄の塔近くにね、こういったのをね、つくられてよろしいんでしょうかね。これ、大事な大事な沖縄県、観光立県沖縄を目指すのに反してると思いますよ。そこに穴ぼこができることを皆さん想像なさったことありますか。
 これは一企業の、はっきり言いまして金もうけですよね。そういうことは、遺族として許されないことです。慰霊塔が何塔建っているか、そのまた道沿いに何塔あるか、皆さんはこう見られてね。この、工事がもしされた場合には、そこに大きなダンプが、辺野古みたいにもう行き来しますと、静かに眠っている英霊もね、本当に揺さぶりを起こされて困ることだと思います。
 ですから、県議の皆様お願いいたします。絶対、もうけはともかくとして、阻止してください。許可しないでください。ぜひお願いいたします。
 終わります。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 照屋守之委員。

○照屋守之委員 皆様、喜屋武さん、そして奥田さんありがとうございます。
 お気持ちはですね、よく分かります。思いはですね。ただ我々は、県議会として客観的にこの陳情者の思いも含めて今やっておりますから、今私ども非常に感情的に今なっていて、お二方のお話を聞いてですね。だから正常な委員会運営がやりづらくなってるんですよ。
 それとですね、これ昨日は実は参考人招致を聞いて、この鉱山の方のですね。彼らは初めてでいろんな行政手続をしながら、正規のそういうことをやっております。地元の自治会との連携を通してですね。どうしようああしようという―今の決まり事とかそういうのを含めてやっておりますから、それはそれぞれの、今自由主義の世の中でそれぞれの権利もあり、今思いを聞きましたけれども、それを私どもの前で、具体的にそういうふうなものをやらない、許可しないでくれという。そこはですね、これ県の対応ですから我々県議会として、いかにこういうふうなことを対応しようというかということですから。とにかくこの問題は、新たに権利を取得しようとする方と、既存のその業者の問題と、様々な県民感情があるということも含めて、非常に慎重に考えながら、全ての県民の思い、権利者、権利を侵害するというところに行き着いていきますから、そこはしっかり客観的にやっていきたいと思ってます。
 具志堅さん、先ほどもありましたけど、この具志堅さんの遺骨収集については、もう本当に敬意を表しております。我々が到底できないことを長年にわたってやっております。気になるのは、私有地であるとかそういうような県有地であるというのはこれ知らないとかですね。これは遺骨収集だから、ボランティアでやって、自分たちでやってるからということで、こういうような本人の了解も得ないでっていうことですけれども、昨日、実はそういうふうに地主がですね、権利を持っている方がこれはこれ認めてないよという、そういうようなことを言われると、我々もあれ、どうしたものかなと。これはもちろん当然地主も、権利を持っている方も、この遺骨の存在を認めた上で対応してるのかなと思ったんですけど、これあれですか。遺骨収集するときは、具志堅さんたちはそういう地主関係とか確認を取らずにやっぱり、これまでもやってきて、これからもそういうことでやられるんですか。

○具志堅隆松参考人 今おっしゃっていることは、地権者の了解を得てやるべきじゃないかというふうなことだということでよろしいですか。

○照屋守之委員 了解というか、こういうことをやるということをですね、当然地権者も理解をいただいてという。

○具志堅隆松参考人 私もそう思います。このことについて、私はむしろ我々よりも国がやるべきだと、なおさらに思ってます。私はそれを国にやってくれというふうなことを、これまで何度も声を上げてきたんですけども、国はあるんですかというふうな言い方をしてたんで、私はこれあるということを見せなきゃいけないと思ってました。
 現在やってるような場所でも、何か所か近くで出てます。ですからその緑地帯に網を、地図の上で網をかぶせて、それを一つ一つやっていくような、そういうきめ細かい遺骨収集というのを国に要請したいと思ってるんですけども、私はもうこれは個人のボランティアによる遺骨収集というのから、行政による遺骨収集、本格的な遺骨収集に変わるべきだと思ってます。そして、我々がこれまでこうやっていた遺骨収集というのは、これ戦後の遺骨収集の延長みたいなもので、やはりこれだけ個人の権利意識が高くなっていくと、いろんな場面が出てくるんだろうなということはもう、今回のことでも感じております。
 ですからこれについては、恐らく法律でというとこれ沖縄にしかない事態ですから、むしろ県の条例でということになるのかもしれませんが、遺骨収集が、そういうスムーズにいくような、行政が関わってやるような、そういうやり方というのもむしろやっていただきたい。提案したいと思ってます。

○照屋守之委員 先ほどから具志堅さんのお話をお伺いしてると、今回のこの熊野鉱山の問題提起は、今具志堅さんが言われた、この沖縄県における遺骨収集のありようとかですね、あるいはその開発等々も含めて、今私どもに非常に大きな問題提起だと思ってるんですよ。
 これ今具志堅さんがお話されてるのは、やっぱり今回のような問題で、既存の鉱山を持ってる業者も、非常に今混乱をしてるようです。ですから、そういうことも含めて、改めてこの遺骨収集のありようとかということと、開発―開発という、その地域開発、あるいはもう沖縄県が、県民がどうやって生きていくかという、そこまで問われていくんでしょうね。そういうようなことだろうと思ってるんですけど、そういうふうな思いもございますか。

○具志堅隆松参考人 私は今回の問題で感じているのは、我々ウチナーンチュが、特に戦後世代が、この沖縄戦をどう捉えるのかというふうな、それを今突きつけられてると思います。
 このことについては、私それを最初に感じたのが、チビチリガマで子供たちがそのチビチリガマを荒らしたというふうな、そういうのがあったときにそれを感じたんですけども。それは子供たちが、いわゆる度胸試しとしてやっていたというふうな、これは我々、これまで沖縄戦生き残りの人たちが中心になって伝えようとしていた、このウチナーンチュのチムグクルというのが、結局平和へのチムグクルというか、そういうのが子供たちにしっかり伝わっていなかったのかなということでがっかりした面もあったんですけども。しかしそれは、子供ゆえの未熟さから来ているということもあったということですけども。今回のように、経済的な利益、法律で許されてるからということで、経済的な利益を追求するために、これまで沖縄戦というものを必死になって伝えようとしてきてた人たちのそういう心を、我々戦後世代がどう受け止めればいいのか。それが今問われてると思ってます。

○照屋守之委員 先ほどの既存の、この辺野古の埋立てに使うのは駄目だと。既存の業者が使う民間の工事はいいと。那覇の埋立事業で、那覇空港の滑走路であれば、それは本来はきちんとやったほうがよかったという、そういうふうなことからするとですね、私は、これは遺骨の混ざった土砂は、全ての工事に、埋立てに使ってはいけないと。そうじゃないですか、具志堅さん。違いますか。

○具志堅隆松参考人 いや、これは、まさにそのとおりです。那覇空港で使われていたのは、大きな岩、石。直径1メートルぐらいあるような、そういうものだというふうに聞いていました。あれには遺骨は混じりようがないなというふうに判断しました。それ以外のものについて、公共工事も含めて使ってはいけないのかというときに、私が考えているのは既存の業者が開発してる場所から遺骨が出る可能性はというと、これは表面土砂―表面というか、あのいわゆる緑地帯からの開発とは全然比にならないぐらい、その緑地帯の開発ではまだ遺骨が現に確認をされてます。そこら辺で線を引いてるつもりなんですけども、だから業者が、例えば既存の採石場をさらに範囲を広げようとして、表土に触るような部分があれば、それはそれで、今回のようなことに該当するのではないかと思ってます。

○照屋守之委員 それとですね、やっぱりこれ可能性ではないですよ。遺骨の混ざった土砂は使ってはいけないですよ。私はそう思いますよ。可能性。ですから、可能性となるとですね、これはもう沖縄中の採石場、全部もう一回調査しないといけませんよ。全て。
 ですから、やっぱり私どもが議会として対応するのは、特定のその辺野古とか、熊野鉱山とかということを特定するのではなくて、沖縄県全体の、そういうふうな形で捉えていかないと、南部の採石場とほかの採石場の、これ公正、公平性が問われていきますから。私は、やっぱり全ての埋立事業には、沖縄県の埋立事業は、遺骨の混ざった土砂は使わないという議会意思を示したほうがいいのかなというふうな思いがありますけど。いかがでしょう、陳情者。

○具志堅隆松参考人 今の御発言、まさにそのとおりになってくれたらいいなと思ってます。ありがとうございます。

○照屋守之委員 それともう一つ、最後ですね。3月3日に具志堅さんは陳情を出していて、知事が本年2月26日、県議会で当該地域の土砂が辺野古埋立てに使われることは、悲惨な戦争を体験し多くの犠牲者を出した県民の心を深く傷つけるものであり、到底認められないと表明したと。そうである以上、熊野鉱山の開発届に対して自然公園法第33条第2項による開発中止を命じること。これ知事の発言を受けて、そうである以上ということになってますね。この熊野鉱山は、今国から県に出されている土砂の計画には入っていないんですよ。入っていませんね。入っていないということは、この辺野古の埋立てに使われることはないわけですよね。ということは、そうでなければこの熊野鉱山の開発中止というのものについては、またお考えが変わるという―現状でですね、変わるということですか。

○具志堅隆松参考人 この新規の鉱山開発が、辺野古の埋立ての土砂として採用されるかどうかというふうな、その見極めというのはどうなんでしょうか。私はこれ、国としては、そういうのも含めて使いたいということが働き出すんじゃないかなというふうに。だから、アンケートを取った対象の中には入っていませんからということだけで済む話なのか。それとも新規の開発業者が提供しようというのであれば、それも受け入れるというふうな、そういう余地を国が持った上で事を進めようとしてるのか。これはむしろ、私は辺野古埋立て、どうしても造ろうとしてる国のことを考えると、そういうところも採用されてしまうおそれがあるんじゃないかなというふうに捉えています。

○照屋守之委員 私どもはですね、昨日も熊野鉱山の関係者を呼んで確認して、一つ一つ事実関係を確認した上で判断してるんですよ。我々がですね、そうであろうと、使うからであろうということは、我々は自分の考えとして持たないんですよ。ですから今事実として、事実関係で、国の計画には熊野鉱山のものは入ってない。なぜならば、熊野鉱山はまだ、採掘の業の営業許可を持っていないということを考えていくと、この陳情で言う、そうではないわけですよね。そうすると、事実関係のみでこうやっていくと、そこはまた考えが変わっていくんですかということなんですよ。事実のみです。

○具志堅隆松参考人 はい、現時点の状況というのを捉えれば、照屋委員がおっしゃるようなことだと思います。しかし、私たちは国の動きというのがどうなるのかというのは、やはり予測というか、そういうことも考えた上でやらないと、現状だけでこう判断すると、結果として足元をすくわれたというふうなことになりかねないんじゃないかというふうな―例えばオスプレイが来たときでも、まだ決まったことではありませんということがたしか言われてたと思います。それをどこまで、現在の国の発言とかそこら辺を、どこまで捉えていいものかというときに、私たちは、やはり予防線というのは必要だと思ってます。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 上里善清委員。

○上里善清委員 具志堅さん、今日は大変ありがとうございます。
 1点だけですね。昨日業者さんとも意見を聞いて、ちょっと疑問に思ったことがあります。業者さんは表面を、もう完全に表土を取って、下の石灰岩を―さっき次呂久さんもその話をしてたんですけど、遺骨が見つかったら、人間の骨は200個近くありますよね。その一部が見つかったら、ほかの遺骨もほぼあるというふうに思われるわけですよ。この辺の確認は、ぜひ必要だと思うんですけどね、もうこれ剥ぎ取ってしまったら、どこ行ったか分からなくなりますから、実際にこれを作業するとしたらかなりの時間がかかると思うんですよ。この辺、作業してる立場としてどういうふうに思いますか。

○具志堅隆松参考人 これの比較対象になり得るかなというのが、2009年の10月9日から12月10日までの約2か月間、那覇市の真嘉比で緊急雇用創出事業として行った遺骨収集。そのときの土地の面積というのが7000平米なんですよ。多分今回もそれに近い数字だと思うんですけども、私たちやったときには、これ緊急雇用創出事業ですから、ほとんどの方、ホームレスの人たちにやっていただいたんですけども、55人で2か月間かかりました。そのとき出た遺骨が172か所から出てきたということだったんですけども。だから今回も例えばそれぐらいのことになるのか、今回の場所を見てみると、掘る深さがそんなに深く掘れないなというふうなこと―じゃあ時間的にもっと短く済むかな。しかし、そこにはガマが幾つかある。そういった場所も含めると、これもっと、かえってもっと時間がかかるなというふうな、そういうことを考えてまして、それから、確かに骨が出てくると、それだけがあるわけじゃないんですよ。そこで人が亡くなって骨になってるわけだから、その人の残りの骨はじゃあどこにあるのということで、範囲を広げて探すんですけども、今そういう、実際にガマの中で、外には拡散しようがないような場所でやってるんですけど、それでも全部見つけるのはできないです。
 子供の骨でも、何ていうんですか。赤ちゃんですよ、恐らくまだ乳歯があって、乳歯が見つかってるけど、でも、本体はまだ全部見つかってるわけじゃないし、別の場所でも、非常に困難を極めてるというか、こう探すのに。もう消失してるというか、溶けてなくなってるというか―これは人間の肩甲骨の模型です。プラスチックですけど、こういうふうになってるんですけども、この、ここの硬い部分、それから肩の、腕の関節が入る、そういう硬い部分以外は、この扇になっている部分、これなくなってしまうんですよ。とても薄くてちょうどレジ袋、スーパーのレジ袋を太陽の下に置いておくと、こうかさかさになって、取ろうとしたら崩れますよね。そういうふうになってしまってるんですよ。
 だから私は、これはもう骨がもう土になって混ざってしまったんだ、入ってしまったんだというふうに。そういうときに、そこで集められるだけの遺骨は集めるけども、集められない遺骨、指の先なんかももうほとんどなくなってる。やはりそこの土にはとっても、何ていうんですか、ここで亡くなった人が土になってしまってるという前提で考えたときに、どうしてもそれは埋立てに使わせたくないんですよ。これは私の思いなんですけどね。でもこれを、遺族の方でもそういう事情を知れば、まさに一緒だと思いますし、だからこそ現場の石を、もう何ていうんですか、遺骨の代わりに持って帰ったというふうなことがあると思います。
 今おっしゃってた、一部の骨が見つかって残りが見つからないというのは、これはもう南部の砲撃で吹き飛ばされてるような現場ではもう、ごく普通にあります。

○上里善清委員 戦後も76年たっておりますのでね、小さい骨というのはほぼ土化しているんじゃないかということが考えられるわけですよ。あるいは、そういった―石灰岩に染み込むということも可能性としてあるわけですよね。はい分かりました。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 下地康教委員。

○下地康教委員 具志堅さん、もうこれまで長い間この遺骨収集に携わられてきて、本当に御苦労さまです。頭が下がる思いでございます。
 私もですね、3日前に対馬丸の記念館に行ってまいりました。それで、その学童疎開で亡くなられた子供たちのあれを見ましてですね、やはり大変なことだったんだなというふうに感じております。
 やはり、平和というのは全ての人が希求するものだというふうに考えています。平和をつくっていくのが、やはり今、その社会を動かしてる大人たちの役目じゃないかなというふうに思っています。その平和のつくり方、その平和の求め方というのは、しかしながらいろいろな考え方があったりします。それがやはり、いろいろな多様性であったりいろいろな考え方、自由な発想であったり、そういったものがあります。やはり人道という形もやはり考えなければいけないというふうに思っております。その遺骨を収集するということは、非常に崇高な行動だというふうに私も考えております。
 しかしながら、この社会というのは、経済が動いているわけですから、そこには私権、つまり私の権利というものがありますので、それをやはり尊重しながら、その折り合いをつけながらやっていくのが、私はこれ一つの大人の役目かなというふうに思っております。
 1点だけですね。これまで、その遺骨の収集の方法なんですけれども、地権者に承諾を得ずにやってきたというようなお話を聞きました。それは、なぜそういうふうになってるのかというと、それを改善するためにはやはり行政の力が必要であるというふうに、そういうふうに具志堅さんからも御意見いただきました。これは私はしっかりとやっていただくべきだというふうに思っています。やはり、この権利を主張する方もいらっしゃるわけですから、そのあたりは丁寧にやっていく必要があるというふうに思っております。
 それと、今日しっかりと具志堅さんの思いを聞かせていただきました。つまり、南部のその土砂をですね、新しい基地の埋立てに使ってほしくない。これははっきりお聞きすることができました。これもまさに私の権利が関わる部分ではあると思いますけれども、やはりその権利の関わる中においてですね、それをやはり丁寧にやっていく必要が、僕はあるんではないかというふうに思います。やはりその思いというのも大事です。しかし、権利というのも大事です。それをしっかりと折り合いをつけていくやり方がやっぱりあるのではないかなと。
 また、それを客観的に我々議会人として、判断していく必要があるのではないかなと思っております。また、具志堅さんの陳情の趣旨も十分理解することはできます。しかし、そういった業態をなりわいとする方々もいらっしゃいますので、それはいろいろな議論を深めながらやっていければなというふうに思っております。
 これから、具志堅さんにお聞きしたいのは、これからの拾骨作業、採骨作業において、行政にどういうことをしていただければ、拾骨作業がうまくいくのかどうかを、それをお聞きしたいと思います。

○具志堅隆松参考人 この遺骨収集を今後どうするかということを考えたときにですね、沖縄県は、県の保護・援護課―私以前からこの援護課に聞いてたんですよ。援護課自体として、積極的に遺骨収集を展開するというふうな部署ではないということなんですね。見つかった遺骨を受け取るのと、それから6月23日の慰霊祭の挙行が本来の業務というふうな、そういう言い方を私何度か聞いた覚えがあるんですよ。
 遺骨が見つかって―工事現場から見つかった、そこに遺骨を受け取りに行く、じゃあそこにもっとあるんじゃないかということで範囲を広げて掘るというふうな、そういうことはしないんですかと言ったらば、そういうことではないというふうなことを聞いてました。
 じゃあこれはどこがやるべきだろうということを考えたときに、沖縄県のほうは、遺骨収集というのはそもそも戦後処理の一環でして、これは第一義的に国に責任があるんですというふうな。端的に言えば、行政が関わってほしいということです。行政が遺骨収集を行えるような、行うような、そういう仕組みをつくってほしい。
 それから、それにむしろ我々が協力するのか、我々がやることに行政が協力するのか。私たちは休みの日にしかできません。そういう意味では、むしろ行政が主体となるべきじゃないかなと思ってます。

○下地康教委員 具志堅さんのこれまでのその行動といいますか、それとまたこれからのその思いというのは、非常に理解できるものがあります。
 しかし、先ほど私が言ってたように、やはりこれは非常に私の権利も非常に関わることですので、それを十分理解をしながら今後進めていただきたいなというふうに思っております。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 呉屋宏委員。

○呉屋宏委員 具志堅さん、お疲れさまです。
 六、七年前ですか、一緒に文教厚生委員会で取り上げてきて、私は今回のものでね、具志堅さん。非常に残念なのは、これね、もう政局になりだしてるんですよ。政局にしたら駄目だと思う。今、るるいろいろな話があったんだけども、DNA鑑定のときを思い起こしてください。あのときに文教厚生委員会で一緒にやってきて、国に要請もしてきた。だからできたはずなんですよ。これを政局にしてしまって2つに割るとね、なかなか、具志堅さんが思ってるような形には僕はならないと思ってるんですよ。そんな感じしませんか。

○具志堅隆松参考人 私は今回の問題、実は声を上げ始めて、去年6月に論壇で声を発したのが多分最初だと思うんですけども、その間、ほとんど―何ていうんですかね、あんまり反応がなかったんですね。ここのところに来て、ここのところというのは11月ぐらいなんでしょうかね、宗教者の会が、やはりこれは大事な問題だということで協力を申し入れてきて、私はいわゆる、大事な―大事なというか、協力、理解者が現れたというふうに思ってました。それ以前も、新聞ではできるだけ、新聞というか、できるだけそういう声を発してきたつもりなんですけども、しかし、これは防衛局が辺野古の埋立てにというふうなことがあったので、あまり広がらなかったのかなとも思ったんですけど、私はそれについては、これは辺野古の基地の建設に賛成とか反対という、そんな話じゃなく、遺骨がある現場から、土砂が持っていかれてしまう。そうすると、遺骨と遺骨収集をする場所がなくなってしまう。これはもう人道上の問題、単に人道的な問題なんですよというふうな、そういうことを上げてきました。
 その間に―政局という、ちょっと意味が分からないんですけど、言えば与党と野党の、片方だけに声が浸透してるというふうな意味での政局という捉え方であれば、これは確かに、自民、公明さんにももっとこう声をかけるべきだったのかなと思ったんですけど、私これ声かけていいんだったら今からでも声かけたいです。

○呉屋宏委員 自民に、公明に声かけるべきだったかどうかというのは別問題として、こういうふうに脚光を浴び始めるとですね、落としどころがなくなっていくんですよね。それはね、六、七年前のDNA鑑定のときもそうだった。だから、どこを中心にして進めていくかっていうのは、中立な部分で進めていくほうが一番いいわけです。僕はそう思ってます。だからDNAは前に進んだと思ってます。
 それと今、具志堅さんの話をすると、行政、行政を動かしていくのは政治なんですよ。これは今まで沖縄県で、国の責任でやらざるを得なかったという磁気探査。これ今民間のお家を造るのも、国の事業でこれが補助されてる。だから、今具志堅さんが言うように、南部のあの地域を、この地域は絶対あるんだということであれば、やっぱり国の責任でね、それはしっかりと補助事業をそこの中に入れるべきです。僕はそう思ってる。だからそれは、沖縄県を含めて、その要請活動をしていかなければ、私はこの問題はいつもまた出てくる問題だなと思ってるんですよ。だから一緒にやってそこのところを解決していこうということであれば前向きな話になる。ポジティブな話になるので、おっしゃるような、援護課にしっかりとした、遺骨収集ができるような、積極的に関わるようなものをつくってくれということであれば、我々県議会として一生懸命それをサポートしていく。国にしっかりとあなた方でやってくれということであれば、県とタイアップをさせてやっていくというようなところまでね、踏み込んでいかなければいけないと思ってますので、るるほかの県議がやってたことも、それはそれで昨日の意見聴取もありましたから、これ誰しもここにいる人の中で、遺骨が入っている土を、どの事業だろうが、そこに使うということに賛成する議員なんて一人もいませんよ。ですから、それをどうやって解決するかというところがね、今我々に問われてるところだと思ってますから、そこをしっかりやっていかないといけないと思っています。
 僕からはもう以上です。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 玉城健一郎委員。

○玉城健一郎委員 お疲れさまです。ちょっと私から少し確認したい、質疑の中でちょっと疑問に思った点確認したいんですけれども。まずそもそもなんですけれども、国の責任で遺骨収集をして、遺骨を遺族の方に返すのが国家事業として決まっているので、なぜボランティアで、ボランティアである具志堅さんたちみたいな方が遺骨収集をしないといけないのか。この1点、まずお聞きします。

○具志堅隆松参考人 2016年に戦没者の遺骨収集の促進に関する法律というのができたんです。その中で、戦没者の遺骨収集は国の責務であるというのをまず冒頭にうたってます。そして、この法律は家族に返すことを、DNA鑑定などの方法を用いて家族に返すことを目的とするというふうに、そこまでうたわれてます。ですから、厚生労働省は、戦没者の遺骨を収容して家族に返すという、そういう方向なんです。
 これを、なぜこう、国じゃなくボランティアがやってるのかというふうなことについていうと、国の動きというのは厚生労働省の動きというのは、決して、こう何ていうんですか、小回りが利くとか、あるいは早いとかそういうふうなことはないです。例えば沖縄で、どこどこを発掘してほしいというふうなことを要請するときに、その遺骨があるということを証言できるような方が2人以上必要だとかというふうな、今ですね、これを求めるというのは、もう遺族が少なくなってることを考えると厳しいなというのを感じてます。もうそれよりかは自分たちでやったほうが早いというか、実際にやりたいなというか、やってほしいというふうな場所を、遺骨収集情報センターを通じて国に上げてる場所は何か所かあります。例えば浦添のOCCの近くの赤橋の下の病院壕と言われているところであるとか、幾つかあるんですけども、まだ実現していません。これは、むしろ沖縄県議会から厚生労働省に対して、沖縄での遺骨収集というのは、いわゆる厚労省が関わる遺骨収集というのはどうなんですかということをむしろ聞いていただきたいと思います。

○玉城健一郎委員 昨日現場視察の際にですね、担当の職員がお話されてる中で僕が聞いたのが、遺骨収集というのはどういうふうにされているのか。結局彼が、職員が言っていたのは、その証言がある、もしくは遺骨が見つからない限り遺骨収集は行わないというふうに言ってたんですね。これってやっぱりその国の方針とやっぱり矛盾している。だからこそこのボランティアである具志堅さんたちのような方々がやらざるを得ない状況があると思うので、この点はしっかりこの与野党関係なしで解決しないといけないと思いますので、ぜひこれからもやっていきたいと思います。
 もう一点質問なんですけれども、この現場を見ている中で、正直この石灰岩を見ていて、どれが石灰岩なのか、遺骨なのかというのを私は見て分からなかったんですよ。ですけれども、この遺骨を除いて搬出するだったりとか、あとは先ほど具志堅さんもお話されていましたけれども、肩の部分とかといった、薄い骨だったら粉々になって、結局土と混じって全く分からなくなると思うんですよ。そういった現状が、事実がある中で、遺骨を含まない土砂っていうのは南部であり得るんでしょうか。

○具志堅隆松参考人 一番最後の御質問ですけども。遺骨が見つかった場所で遺骨を含まない土砂というのはあり得ないです。これははっきり指摘できます。あと、遺骨か石灰岩か分からないというのはまさにそのとおりで、実際に、そういう現場で、私が、片方に遺骨、それから片方に石を乗せて、どっちが骨だか分かりますかと見せても分からないんですよ。持ってみてくださいと言って、持たせてみて、片方が軽いというふうに、その軽いのが骨なんですというふうに。それぐらいの状況で、実際に私たちも掘っていって、あれこれはと思ったら、持って、重さでもって確認して、ひっくり返して中にその海綿体があるかどうかと、そういうのを確認してというふうな、そうやって探しています。特に南部の遺骨は長い骨―今日プラスチックの模型を持ってきてるんですけども、こういう長い骨の状態で出るというのはほとんどないです。熊野鉱山で見つけたのも、この両端が欠損していて、この真ん中の部分がさらに3つか4つに割れてるような、そういう状態で出てて、ただその骨と後ろの線を見て、これ大腿骨だというふうな、そういうふうに判断してて、そういうふうな状況です。その破片だけを見たら、ほとんどもう石と区別つかないです。今の御質問の回答になってましたでしょうか。

○玉城健一郎委員 最後にもう一点なんですけれども、例えば南部の土砂を使う際に、遺骨がないようにするために―例えば、遺骨がないようにするために、もし―多分答えられない、答えるかどうか分からないんですけども、遺骨がないようにするためにどうしたらいいと思いますか。

○具志堅隆松参考人 これの参考になるのが、アメリカにDPAAという組織があります。これはアメリカの国防総省、戦争捕虜行方不明者調査局という部署なんですけども、そこは、実際に今でもさきの大戦の犠牲者を探すという作業を国家事業として取り込んでるところなんですけども、例えばですね、この飛行機が撃墜されて墜落したと。そこの場所、ある程度、そこをこう、住民からの聞き取り調査もやるんですけども、実際山の中に入ってそれを探す。そしてそれが広範囲にわたって飛行機の破片が散らばってる―たしかあの文書の中では、フットボール場の2つぐらいの広さにこう、破片がこう散らばってると。どういうことをしてるのかというと、そういうところの土砂をふるいに入れて、ふるいって―金属メッシュがありますよね、砂をこすような。それに水をかけて、土は流して残る物が石なのか骨なのか、そういうのを分けて、それを長期間にわたってそういう現場でやってるというふうに。要するに目視調査だけじゃないんですよ。そうやって細かい骨まで収容する。その部署のすごいなと思ったのは、遺族に対する説明責任がしっかりしてるんですね。行方不明者の遺族に対して。日本でいうと、ほとんどの犠牲者が行方不明です。遺骨は返ってきてません。そこに、日米の物すごい落差を見て、もう無力感にとらわれるんですけども、しかし、こちらとしてできるだけのことはやりたいと思ってますし、特にウチナーンチュはもう4人に1人が亡くなっているわけです。
 今までDNA鑑定で判明して返ったのは6人いますけども、みんな内地の人なんですよ。兵隊なんですよ。そういう意味でも、まだまだ続けなければいけないとは思ってます。

○玉城健一郎委員 ありがとうございます。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 新垣光栄委員。

○新垣光栄委員 具志堅さん、お疲れさまでした。
 それでは、質問させていただきます。
 昨年、陳情書によると昨年9月末から、現地のほうに遺骨収集に入られたということなんですけども、そのときは、遺骨が発見されたときに、県のほうに届け、警察のほうに届けてですね、県のほうで来ていただいて確認していただいたという認識でよろしいでしょうか。

○具志堅隆松参考人 9月の末頃からやっていたんですけども、見つかったのは11月の1日というふうに。そこで、警察と沖縄県に連絡をしたというふうな。

○新垣光栄委員 そのときに、連絡して、当初は地権者のほうも了解を得たということは、どうか。

○具志堅隆松参考人 その日は、11月1日というのは日曜日で業者いなかったんですよ。それで翌日、その遺骨収集情報センターが現場へ赴いて、その業者の―業者というよりも、その土木作業員の監督さんだかとお話して、非常にそのときは協力的だったというふうな。ただ翌日新聞に出たら、今度は立入禁止になってしまったというのがその経緯です。

○新垣光栄委員 分かりました。経緯のほうは分かりました。
 そして、その中でですね、先ほども遺骨収集のほうは国の責務でやるべきだということなんですけども、先ほども那覇空港の滑走路もそういう状況にあるのではないかという質問もあったんですけども、硫黄島においては滑走路をこう、取り払って今遺骨収集してるわけです。その中で、ある国会議員のほうは、遺骨の最後の一体まで残るまで戦後は終わらないという発言をする中で、硫黄島はなされています。その、硫黄島でやってる遺骨収集と沖縄の現状の違いってのはどういうふうに認識していますか。

○具志堅隆松参考人 これは本当にちょっとこう、何ていうんですかね。本当にこうちょっとため息が出るようなことで、何で沖縄では、いや、硫黄島であれだけ一生懸命やって沖縄ではやってくれないんだろうか。硫黄島では、やはりDNA鑑定で何人か判明してるぐらいなんですよ。沖縄でもですね、この小禄の海軍壕。あそこはまだ3分の1は埋まったままなんですよ。それを御遺族から掘れないかというふうなことを相談受けたんですけども、我々ができるのは本当に調査ぐらいしかできなくて、本格的な発掘というと国にやってもらわないといけないぐらいの大規模な工事になりますよというふうな話をして、それからあと、私も全然進んでないのは申し訳ないですけども、それ以外にも、情報として例えば運玉森ですかね、60人ぐらい入ったまま埋没して探せない壕があるとかというふうな、そういうふうなのもありますし、硫黄島では滑走路を掘り起こしてまでそれだけ探してくれてるのに、沖縄では、やってくれと言うと、証言者を求められる。あるいは国の言い方として、沖縄は―例えば海外は厚生労働省がやらないといけないけども、沖縄は沖縄県もできるんですというふうなことで、むしろ沖縄県に投げてしまってるんじゃないかなというふうな、そういう印象を持ってるんですけども、でもやはり、これは国が本格的に入ってもらう必要があると思ってます。

○新垣光栄委員 ぜひですね、私たち県でも、国に与野党関係なしにそういう件を要請しないといけないし、条例化が必要であれば条例も必要ではないかなと思ってます。
 私も昨日現地に行きまして、本当に範囲が、遺骨が出たとしても5メートル掛ける5メートルの範囲しか調査しないと言われたんですよ。7000平米ある開発地の中で、そういう面積しかやらないのかということを知ってもうびっくりしたんですけど、その中で、まさに今戦没者が眠るこの緑地帯をですね、この緑地帯をどうにか守っていかないといけないという仕組みづくりも、私たち県議、そして沖縄県に課された課題ではないかなと思っております。そういうのを取り組んでいきたいと思う中で、また、具志堅さんはこの戦後亡くなられた遺骨を、戦争の基地として使われる辺野古に埋立てを許してはいけないということで、そこでですけど、大浦崎収容所のほうにも遺骨が大分残ってるということなんですけども、その件に関しては。

○具志堅隆松参考人 キャンプ・シュワブは沖縄戦当時、キャンプ・シュワブができるのはもちろん戦後ですけども、沖縄戦当時は大浦崎収容所という住民収容所でした。兵隊収容所ではなく住民収容所。そこでは、幾つかの説があるんですけども、私が調べた範囲です。平和の礎に刻銘されてる人で、大浦、大浦崎、大浦崎収容所、そういったのをキーワードにして調べると、302名は確認してます。しかし、この大浦崎収容所の中で作られて歌われていた歌の中の一節に、こういうのがあります。400の魂の眠る大浦崎というのが。というのは、そこの収容者の間で400人は死んだという認識が共有されていたということですよね。私が平和の礎で調べたのが302名。でも、当事者は400と言ってる。この差が何なのかというと、例えば、1人で南部で捕虜になって大浦崎に送られて、そこで1人で死んだらそのことを伝える人いないです。遺族にとっては、いや南部に行ってて、南部で見た人もいるから南部で亡くなってるはずだよという人も。そうすると、この100人近くが、100人近くの遺族は大浦崎で死んだということを知ってないんじゃないかというふうな。だからこの平和の礎の刻銘のときに、大浦崎ということを言ってないんじゃないかというふうに、そういう判断をしています。
 それと、あとですね、実際にこれは山川さんという方が証言してることなんですけども、母親が亡くなった。それを、埋葬したと。そのときに、おじさんがどっからか石を転がしてきて、その頭のところに置いていたと。大きな石を。なぜそういうことをするのか分からなかったって言うんですけども、戦後、二、三年してから、お兄さんたちが復員して帰ってきたときにそこの現場へ行ってお母さんを埋めた場所を探そうとしたら、もう草が人の丈ぐらい生えていて、場所がどこだか全く探せなかったと。しかし、その目印に置いた石を見つけることができたので、それでお母さんの遺骨を掘り出すことができたと言うんです。そのお母さんを埋めて1週間後にお参りに行ったときに、そばには8体か10体ぐらい増えていたというんです。その人たちはそういう目印してないから、多分探せなかったはずよと言うんですね。
 そういう意味でも、この大浦崎収容所、キャンプ・シュワブの中には、未収容遺骨がまだ残ってると私は考えてます。そのことをぜひ調査してほしいというふうにして厚労省にもお願いしました。そしたらば、厚労省と沖縄県調査に入ったんですよ。そのときに言ってるのが、もう地形が変化してるのでもうないものと思われますという言い方だったんですね。地形が変化してるというのが、例えばそこに土砂が入れられて上積みされて、かさ上げされてるのか。かさ上げされてるんだったら、そこの下にはまだあるかもしれんよねという話。それともそこを削って、別に土砂を持って行ったのか。そういうところまでは踏み込んでないんですよ。
 以上です。

○瑞慶覧功委員長 参考人に対し、予定されてる質疑2時間経過しておりますので、そろそろまとめてください。

○新垣光栄委員 その件からもしてもですね、辺野古にまだ大浦崎収容所の跡地の遺骨収集もままならないまま、それに加えて南部からの、遺骨が眠る土砂を埋立てに使うということは、本当に人道的に許されないという思いだと思いますけども、その辺の思いからしても、具志堅さんとしては、ぜひ南部からの土砂を、採取をやめてほしいということでしょうか。

○具志堅隆松参考人 まさにそのとおりです。
 これは、人道上も許されないし、もしかしたら、我々は差別されてるのかなというふうな、そういう思いを抱きます。そして今回の南部から土砂を採取するということについて、我々がウチナーンチュの間で分断され始めてるんじゃないかというふうな、それを経済的な利益、いわゆる私権と法律に基づいてそれをやろうとしてるというふうなのと、あるいは人道的にやってほしくないっていうふうな、今そういう状態になってるんじゃないかということで、私もそこで、向き合うべき相手は、個々の業者じゃなく国じゃないか、国なんだというふうな、そこはもう改めて確認して、もう何ていうんですか、個々の業者に苦しい思いというか心配をかけるような、そういうふうなことよりか、むしろ国に対してもっと向き合っていきたいと思ってます。

○新垣光栄委員 はい、ありがとうございます。

○瑞慶覧功委員長 ちょっと時間取り過ぎたので、すみませんが、簡潔にお願いします。
 金城勉委員。

○金城勉委員 具志堅さん、今日は貴重な時間、県議会のために割いていただいて大変ありがとうございました。るるお話も伺いまして、その思いというものをしっかりと受け止めたと思っております。それで、その具志堅さんの思いというものをやっぱり県議会としても尊重して、先ほどお話がありましたように立場を超えて、一致できる点をお互いに見いだしてですね、その思いに応えていきたいなと思っております。
 今日は大変ありがとうございました。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。
 比嘉瑞己委員。

○比嘉瑞己委員 今日はありがとうございました。
 おっしゃられていた、私たちウチナーンチュが、特に戦後世代が沖縄戦とどう向き合うべきか、このことが今問われてるっていうことを受け止めました。
 質問1点だけお願いしたいんですが、こういった世論の広がりの中で、今県内で13市町村でこの意見書が採択されています。この動きについてですね、具志堅さんたちはどのように見ているかお聞かせください。

○具志堅隆松参考人 短く言います。これは、もっと、ウチナーンチュのトータルな考え方というか、捉え方としてもっと出てもいいはずだなと思ってるんですけども、議会の終了間際に届いてしまってるというふうな、そういう事態が多かったのかなというふうに。今後6月議会で、まだ採択してないようなところ、審議してないところが、それを審議にやってもらうために、そのままでもやってくれるのか、それとも新たに、やはり何かこちらからアクションを起こした―各議会、まだ採択していない各議会にアクションを起こしたほうがいいのか、そこら辺はまだ採択していない議会の議員の方々たちにも聞いてみて、再度陳情なり要請なり出してもらったほうがいいというのであれば、そういうふうに、できるだけ多くのウチナーンチュの民意としてつくり上げていきたいと思っています。

○瑞慶覧功委員長 ほかに質疑はありませんか。

○瑞慶覧功委員長 質疑なしと認めます。
 以上で、陳情第47号に係る参考人に対する質疑を終結いたします。
 この際、委員会を代表して、参考人及び補助者各位に一言お礼を申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず、長時間にわたり貴重な御説明をいただき心から感謝いたします。
 本日拝聴いたしました内容等につきましては、今後の委員会審査に十分生かしてまいりたいと思います。
 具志堅隆松参考人、喜屋武幸清補助者、奥田千代補助者、大変ありがとうございました。
 休憩いたします。
 どうぞ御退席ください。

○瑞慶覧功委員長 再開いたします。
 次に、意見書の提出についてを議題といたします。
 陳情第47号に係る意見書の提出について、本委員会全員を提出者とする議員提出議案として意見書を提出するかどうかについて、休憩中に御協議をお願いいたします。
 休憩いたします。
 
○瑞慶覧功委員長 再開いたします。
 陳情第47号に係る意見書を提出することについては、一旦持ち帰って検討したいとの意見がありましたので、そのようにいたしたいと思います。
 以上で、本日の日程は全て終了いたしました。
 次回は、4月12日 月曜日 午後1時30時から委員会を開きます。
 委員の皆さん大変御苦労さまでした。
 本日の委員会は、これをもって散会いたします。







沖縄県議会委員会条例第27条第1項の規定によりここに署名する。

 委 員 長  瑞慶覧   功