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平成11年(1999年) 第 6回 沖縄県議会(定例会)
第 3号 10月 1日
文化国際局長(金城勝子)
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伊波議員の御質問にお答えいたします。
平和祈念資料館につきまして、担当部局では展示見直しは担当者の勉強会の資料として見え消しの資料の公表を拒み、何事もなかったようにしようとしているが、県は工事業者に変更指示を出してガマの日本兵像を改ざんしたのだから、見え消しの資料の公表を含めすべての事実関係を明らかにすべきであると、それから平和推進課が展示業者に変更を指示したのはガマの銃だけか、それともほかにもあったのか、どうなっているのか、すべてを説明してもらいたいということでございます。
御指摘の部分については、県と展示業者の間で行われた検討段階において県から出されました考え方の一つの案でございます。
県は、展示内容については監修委員の意見を尊重して決めていく方針をとっております。
ガマの展示につきましても、監修委員の沖縄戦拡大部会において話し合いを行い、それに従って展示作業を進めているところであります。
次は、沖縄戦体験者の映像記録の現状と編集、展示、対象人数、予算、委託先及び展示計画について説明をしてもらいたいということでございます。お答えをいたします。
沖縄戦体験者の証言の映像記録については、平成7年度から平成9年度までに280名が収録されております。
そのうちの100名分については、平成9年度に締結された展示委託契約の中で、第4展示室、これは「証言の部屋」で活用する分として展示工事業者において編集されることになっており、現在、サンプルを作成しながら編集方針を固めつつあるところであり、最終的には監修委員会に監修をお願いすることになります。
なお、残りの180名分については、年次的に編集に努める予定でありますが、当面は新資料館の情報ライブラリーのAVブースで未編集のまま活用することを考えております。
それから、戦争マラリアの実相についてでございます。1992年に出された県の調査報告、戦時中の八重山地域におけるマラリア有病地への強制撤去を明らかにし、国の戦争マラリア慰藉事業の根拠となった重要な報告書であるが、その報告書についてでございます。
当該調査報告書については、沖縄戦中のマラリアの被害がその異常に高い罹患率と死亡率によって激戦地にも劣らぬ多数の犠牲者を出し、マラリアの悲惨な実相を詳細にあらわした貴重な調査報告書であると理解しております。
それから同じくマラリアの実相についてでございます。同報告書は、昭和19年8月閣議決定の総動員警備要綱に基づく八重山地区での計画における疎開、避難、緊急避難、退去等についての定義を明らかにしているが、昭和20年4月から実施された波照間、黒島等住民の西表島への移動と6月1日から命令された石垣、大浜地区住民の第3避難所への移動をどれに該当するとしたのかとのお尋ねでございます。
八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によりますと、昭和20年4月から実施された波照間島、黒島等住民の西表島への移動、それから6月1日に命令された石垣島(石垣町、大浜村)住民の第3避難所(於茂登岳山麓一帯)への移動がこの退去に該当すると記述されています。
同様に、戦争マラリアの実相についてでございます。この強制退去によるマラリア罹患者数、死亡者数は石垣町、大浜村、波照間島それぞれ何名だったとしているか、当時の各地区総人口及びパーセンテージはどうかというお尋ねでございます。
平成4年2月に発刊された八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によると、石垣町総人口1万3531名、罹患者数が5130名、罹患率は37.91%です。そのうち死亡者が1388名、死亡率は27.06%です。
大浜村におきましては総人口5519名、罹患者は4930名、罹患率が89.33%です。
波照間島は総人口が1590名、罹患者が1587名、罹患率は99.8%です。死亡率が30.6%という報告になっております。
なお、死亡者は罹患者数に対する割合でございます。
同じく戦争マラリアの実相についてでございます。同報告書は、波照間島住民の強制退去に伴い、すべての家畜を軍の命令で殺し、住民の持っていける分以外のすべてを日本軍の食料として軍人を派遣し挑発した、このことから同報告書は石垣島に駐屯する日本軍の食料確保のために波照間島住民の強制退去が行われたとしているがという御質問でございます。
八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によると、波照間島は牛、馬、豚等の家畜の豊かな島として記述されており、また、日本軍としてはみずからの食料を確保するために住民を西表島に強制退去させたとも記述されています。
同じく戦争マラリアの実相についてでございます。山下軍曹が1945年3月下旬には正体をあらわし、日本刀を抜剣してマラリア有病地の西表島への退去に反対する者はこの日本刀で切るとした記録が沖縄県史にあるかというお尋ねでございます。
山下軍曹がマラリア有病地の西表島への退去に反対する者は、この日本刀で切るとした記録が沖縄県史にあるかということについては、その当時の住民の証言により沖縄県史に記録されております。
それから、八重山平和祈念館についてでございます。
1つ目に、八重山平和祈念館の開館間際になって戦争マラリアの展示物をどうして変更しなければならなかったのか、監修委員会で決定した波照間小学校児童慰霊祭の写真パネルを開館直前に展示を取りやめたのはなぜか、年表の展示を取りやめたのはなぜか、消防法に抵触すると言って偽ったのはなぜかというお尋ねでございます。一括してお答えをいたします。
展示業務につきましては、本来的には監修委員の先生方と意見交換を行い、展示方法等の調整をしなければならないものであります。
しかしながら、5月28日の開館に間に合わせるには管理運営体制に関する条件整備や開館式典に係る諸準備等があり、先生方とのきめ細かな協議を行うことができませんでした。
このことが先生方と県の間で意思の疎通を欠く結果となり、展示内容全般に関する問題提起として取り上げられてきたものと受けとめております。
八重山平和祈念館の展示公開までの経過について、その概要を申し上げますと、平成11年2月に監修委員会が終了しており、その後、委託業者において専門委員会が設置され、展示細目の検討調整がなされ、その展示内容案については事務局で検討を進め、その結果については5月10日に本島在住のお2人の委員の先生方に説明し、また5月13日には八重山在住の5名の委員に説明したところでございます。
その結果、波照間小学校児童慰霊祭の写真大パネルは展示しており、また年表については小冊子として印刷し祈念館に備え置くことになったのであります。
なお、展示写真の説明文の検討に当たりましては、正確であること──これは明確でないものは除くということです。出所・根拠を十分に確認すること、推量的表現は避けること、簡潔な表現とすることに留意して実施したものであります。
しかしながら、展示経過に関しまして修正方法やその他の経過について十分でなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分に生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
同様に八重山平和祈念館についてでございます。
八重山平和祈念館展示内容説明資料に修正された複数の見え消し資料は、「強制退去」を「避難命令」に変更しているが、変更の理由について示していただきたいというお尋ねでございます。
「軍命による強制退去」を「避難状況」としたことについては、展示内容が避難場所を示す地図であったことからそのように表示したものであります。
なお、印刷物として祈念館に備え置くこととしたマラリア関係略年表では、「軍命による強制避難はじまる」と記述されております。
次も八重山平和祈念館についてでございます。
戦争マラリアに罹患した人々は体が焼けるような高熱で苦しんだ、患者の熱をさますために井戸水が使われ、芭蕉の幹が水まくらの代用として使用されたを削除し、「マラリア患者の看病風景」に変えたのはなぜか、見え消し資料の削除された言葉は、「黙祷を捧げる」、「あやうく一命をとりとめた」など何らかの指示もしくは基準に基づいた言葉狩りではなかったか、資料説明の変更の根拠は何かというお尋ねでございます。一括してお答えをいたします。
写真の説明文の検討に当たっては、1つ目に正確であること、2つ目に出所・根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現とすること、このことに留意をいたしまして文章を検討してきました。その結果、現在の説明文になったものでございます。
同じく八重山平和祈念館についてです。
監修委員会などの決定した展示内容の変更に携わった職員は何名か、その職員の専門性、学識経験は監修委員会の決定を覆せるだけのものであるかとのお尋ねでございます。
展示内容に関しましては、1つ目に正確であること、2つ目に出所・根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現をすることに留意して文章を検討してまいりました。その結果、現在の説明文になったものでございます。
しかしながら、展示の経過に関連し修正方法やその経過について十分でなかったという指摘もあることから、今後、地元の意向が反映されるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
同じく八重山平和祈念館についてでございます。
展示制作を受託した業者が展示資料の見直しや基本理念の見直しもあると県から説明を受けたのは事実か、展示内容の修正案については監修委員会に諮るよう提言したと言っているが、なぜ変更を監修委員会に諮らなかったのか、着任早々の平和推進課課長補佐はだれの指示で基本理念そのものの見直しも必要であると言ったのか説明をということでございます。一括してお答えいたします。
展示については、監修委員会に検討をお願いし、その検討結果を監修委員の先生方に説明し、また開館の前に最終案を説明するなど監修委員会を尊重して進めてきたものでございます。
この作業過程の中で展示制作業務委託業者との連絡調整を図ってきたものであり、展示内容の具現化や全体の構成に関する意見交換を行ってきました。
展示内容案については、このような委託業者との共同作業を通して積み上げてきたものを最終的に監修委員の先生方にもお諮りし展示案を決定していただいたものでございます。
なお、基本理念の見直しについて発言したことはないとの報告を受けております。
同じく八重山平和祈念館についてでございますが、展示改ざんは戦争マラリア問題の根幹をゆがめるものであり、長年にわたり戦争マラリア問題を取り組んできた多くの関係者の怒りを買っている、県はこの責任をどのようにとるかというお尋ねでございます。
展示内容に関しては、八重山平和祈念館の監修委員会は平成11年2月に終了しておりますが、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から展示内容の最終案を5月10日に本島在住の2名の委員に、また5月13日に八重山在住の5名の委員にそれぞれ報告いたしました。
その結果、集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関して意見が出されました。そのことについて再度監修委員にお諮りをするために6月11日に八重山地域の元監修委員に御検討をいただきました。その結果、同意が得られたものと理解をいたしまして展示業務を完了したものでございます。
しかしながら、展示の経過に関して修正方法やその経過について十分ではなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
以上でございます。
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19990603040030