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昭和47年(1972年) 第 5回 沖縄県議会(定例会)
第 6号 8月14日
第 6号 8月14日
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議 事 の 概 要
昭和47年8月14日(月曜日)
午前10時2分開議
日程第1 一般質問
1 西田 文光君(自民党)
2 渡久地政仁君(自民党)
3 比嘉 松栄君(自民党)
4 金城 英浩君(自民党)
5 平良 一男君(自民党)
6 小橋川朝蔵君(自民党)
7 森田 孟松君(社会大衆党)
8 与座 康信君(社会大衆党)
9 宮良 長義君(社会大衆党)
10 与那覇寛長君(社会大衆党)
11 岸本 安信君(社会大衆党)
日程第2 議案第1号から議案第36号まで及び議案第38号から議案46号まで
午後5時6分散会
○議長(平良幸市君)
これより本日の会議を開きます。
日程第1
及び
日程第2
を一括し、これより直ちに
一般質問
を行ない、
議案第1号から議案第36号まで及び議案第38号から議案第46号まで
を議題とし、質疑に入ります。
質問及びただいま議題となっております議案に対する質疑の通告がありますので、順次発言を許します。
西田文光君。
〔西田文光君登壇〕
○西田文光君
3日間にわたる代表質問また各議員の格調の高い質問がなされまして、これに対しての知事の格調高い一方通行的御答弁を承りましたので、本員は、格調の低い時点での所感を申し述べて、質問を申
し上げ、残った分に対しては連合審査会において詳しくお尋ねいたすことにいたします。
まず、今日までの質問を通じて、元琉球政府屋良革新政権が毎年度の予算未執行分が40%以上であったということについては驚きである。復帰準備、かれこれと理屈はいろいろとつけるであろうが、主席や副主席が予算執行事務を直接やるわけではない。各局部課長職員が仕事をどんどん進めていけば、そのような事象は起こるはずはない。そのような事実は県民に対する奉仕者としての義務を怠った、けしからぬではないかとおっても取り返しがつくものではないが、ただ感心することは、サラリーマンの三大鉄則をよく心得ておったものだと、すなわち、働かず、休まず、遅刻せずということです。また予算を使い残し、繰り越すことはサラリーマンがサラリーを取って、なるべく使わないようにして、できるだけ始末して、貯蓄をするという考え方のように、予算を使わずに貯蓄ができたというふうに錯覚を起こしておったのではないか。繰り越し繰り越しで数字だけは昨年よりことし、ことしより来年とふくれあがる。予算規模はばく大になるので見かけは非常によい。全く複利計算で利息がふえるように思ったのではないか。復帰がきまったらすぐ復帰不安があった。それはとりもなおさず、結論を申し上げる
ならば、経済不安であった。制度の違いや通貨の問題、各人各様いろいろとあったが、政府予算の抹消化による不安が追い打ちをかけたのは事実であると思う。
2、3日前から取り上げられておる330号線バイパス問題等数えれば切りがない。そうして沖縄の復帰不安解消のために、若夏国体がきまり、さらに50年の海洋博が沖縄に決定。復帰後の沖縄開発がいよいよスタートしたのである。この二大事業は復帰後の県民に希望を与え、知事が新生沖縄県政として各面にわたり、すばらしい政策を打ち上げておる。知事も過去の実績を踏まえてとありますが、予算抹消化の実績だけは過去を見習ってはいけない。まず実行してもらいたい。百万言の美辞麗句より実行を望むものであります。知事に大きく期待し、野党の本員が多少安心いたしておりますことは、この二大事業の一番むつかしい土地の買収でございます。話し合いがつかず、最後に収用しなければいけない場合がありましてもそれはだいじょうぶということだ。理由は、土地収用委員の大方の方々が人民党員であるように聞いておるからであります。旧1号線の拡張工事の場合、あれはすぐに飛行機の滑走路になるんだといって、非常に反対されたのが当時の人民党の皆さんでした。当時の人民党さんは、まだ幼稚園生でもなかったでしょうか。今日ではおとなになり、県議会においても社会党さんをしのぎ、与党
第二党ですばらしく成長した。このような方々が土地収用委員におられる以上、ちっとも心配ないと思うからであります。この二大事業の実現は、知事の言う観光立県、沖縄開発の支柱でありまして、異民族支配最後の主席、新生沖縄県の初代知事として、政治生命を賭して実現してもらいたい。
知事は復帰に際し、基地の整理縮小を日米両政府に強く訴えてまいりました。今後も基地の整理縮小を強く要求してまいりますとありますが、本土並み基地はお認めになったのだと理解しておるものでございます。
知事は、自主県政を強く打ち出しております。それは県民が経済的にも豊かになるという意味が含まれておると理解したいのであります。ぜひ県民が、豊かに暮らしができる、暮らしが楽にならねばいかぬ、希望を持って前進する、それが政治だと思います。それで他府県においても、自己財源が30%以下のところをよく3割自治だとかいっておるように思います。本県の自己財源10%余りの依存財源では、1割自治、加えて予算の未執行率40%以上となると、1割自治で、0.6%執行能力県と言われはすまいか。基地経済から平和経済への脱却とともに、1割自治、0.6%執行能力県と言われないように努力が肝要で、強がりばかり言っても始まらないではないか、この実績では。
次に、中小企業問題について所感を述べます。
今日まで中小企業問題は、ややともすると等閑視されがちであり、またそうされてきたのではないかというふうに感じられます。このたび知事が、沖縄の企業者のうち、99.6%の中小企業者に対する抜本的対策を講じていこうという姿勢は、おそまきながら時宜を得たものであります。
そもそも中小企業が果たす役割については、本土においてもいまや国の原動力というふうにまでなっておるわけであります。沖縄においても、知事が言われているとおり、沖縄の中小企業者は99.6%を占めており、知事の一昨日の説明からして、1次産業18%、2次産業30.5%、3次産業51.5%という将来の構想からいたしましても、沖縄県における中小企業育成策として、今期予算の商工部予算29億9082万5000円という数字は、さらには議案第3号、第4号の特別会計予算案から見た場合、また施政方針から見た場合、善処した策ではないようにうかがわれる。
そこで、このような中小企業の育成策について、抜本的な解決策としてまず第1に、制度の十分なる活用と申しますか、保証協会の育成が集眉の急を要する問題だと申し上げたい。保証協会は、本土において国や都道府県からの出捐金はもちろんのこと、補助を与え、そして管内市町村、さらには地域金融機関等からの出捐金等によって、これを育成し、担保力のない、または担保不足の場合、経営能力のある者に対してはこれが保証をなし、中小企業者の保証肩がわりの役目をいたし、中小企業者の育成を国や都道府県、市町村にかわりこの業務を行なっておるのが保証協会の実態であります。
沖縄における保証協会は、過去において、琉球政府の出捐金、そして那覇市、コザ市、さらに各金融機関からの出捐によって運営してはおるものの、いまだ資本金が脆弱で中小企業、一般大衆の要望にこたえ得るところの状態じゃない。それゆえに、また中小企業者があるいは一般大衆が保証協会を十分理解し、利用できるように国や県のほうとしても、また市町村としてこれを育成強化することにおいて、沖縄における中小企業者が各金融機関からの資金手当が十分になされてはじめて中小企業対策の抜本的対策が生まれてくるわけであります。
ちなみに、各金融機関、本土商工組合中央金庫など、あとで申し述べますけれども、沖縄振興開発金融公庫等の担保貸し付け、保証貸し付け等の資料に基づいて申し上げますが、保証協会が中小企業者の保証をなし、そして代弁済ができ得るような体制に持っていくことであり、そして保証料が1%以内という低率の保証料に持っていくようにして、中小企業者の負担軽減につとめることにおいて、中小企業者対策ができ得るものだと確信するわけであります。それがためには、県として年次計画を立て、出捐金を最低年2000万円、補助金を1000万円、少なくとも3カ年継続することにおいて沖縄の中小企業者の抜本的救済策が講じられるものと考えるものであり、保証協会育成、中小企業者育成は車の両輪でございます。知事のお考えをお尋ねいたします。
次は、各種事業協同組合の育成について。
物価安定の基本政策とも関連いたしますが、業務別、業種別事業協同組合の育成をし、流通機構センターの整備を促し、そして中小企業の発展を期さなければならないが、その育成策について知事の見解を承りたい。
次に、本県の企業の大部分が零細企業であるところから抜本的な体質改善を積極的に推進する必要性を痛感しております。そのために、中小企業関係諸制度を十分に活用していく所存でありますということを申されておりますが、具体的にどのような方法で改善していかれる所存ですかお尋ねいたします。
なお、本県の伝統工芸については、またいかように指導育成されるおつもりかお尋ねいたします。この件については、戦時中、宮崎県に疎開された県人によって、いろいろな工芸品が宮崎県において普及製作され、今日では地場産業として非常に発展しつつあるんだということを宮崎銀行副頭取の井上氏からの私信、先月送られてきた書簡でこれがわかった次第であります。本場沖縄において県が強くこれをてこ入れし、今後の観光客に向けての一大産業におみやげ品として、地場産業として、海洋博に向けて県が懸命になって推進し、本気に取っ組んでいただかなければならないが、その対策あるいは資金手当や取っ組み方についてお尋ねいたします。
通貨確認による現金並びに純資産の補償。
差損補償金支払いの取り扱いについては、昨年8月28日、本土における為替相場変動制移行について、その後昨年10月9日、沖縄における通貨確認が実施され、5月15日、復帰時点における305円の差額補償金334億円の本土政府の補償の支払い事務が、現金確認に対しましては8月末日まで、純資産確認に対しては11月末までとして、その支払い事務がいま現に行なわれておりますけれども、これはいずれにいたしましても、10月9日の通貨確認というものは、日本政府の言うような投機ドルがなかった、または復帰の5月15日から20日までの通貨切りかえ時においても投機ドルがなかったということを日本政府は確認いたしております。
したがいまして、いま現在支払いをしております昨年10月9日の通貨確認の差額は、沖縄県民に対しての差額補償支払いであります。先ほども申し上げたように、いま支払いをしておりますが、その中で金額が小さいとか、その他の理由で受領に来ない人々がおったとした場合、知事が日本政府から受領しておいて、もし来年3月までに取りに来ない人々がおったならば、これは沖縄県民の所得であるがゆえに、県の所得であるがゆえに、取りに来ないこの金額に対しては県の特別会計に入れるように折衝すべきではないかどうか、これは沖縄県の所得でございます。取りに来ない、そして日本政府にまた戻るようなことがあっちゃいけないと、私はかように思うわけでございます。
沖縄振興開発金融公庫の貸し付け金利引き下げの促進方については、これは沖縄開発金融公庫の今年度貸し出し計画の294億、さらに特別資金80億、計374億円の貸し付けに対する貸し付け金利についてでございますが、沖縄開発金融公庫の貸し付け金利は最高7.5%から最低米資金の2.5%、そして5%となっております。いまや日銀の公定歩合の引き下げをはじめとし、去る7月17日預金金利の引き下げと未曾有の低金利時代を招来しております。そこで、本計画ができた当時とは非常に様相が変わってきております。
そこで問題点は、資金運用部からの貸し付けの原資の利率が年6.5%になっている。だからこの原資の利率を少なくとも沖縄に対する政策金融であるがゆえに、1.5%程度、とにかく原資の利率はどうしても引き下げをし、そして各部門貸し付けに対して、さらに引き下げをして沖縄における貸し付け金利を下げてもらうようにしなければ、せっかくの沖縄振興開発金融公庫としての政策金融にはふさわしくないんじゃないか。これに対しては、知事も議長も運営委員の1人でありますが、運営委員としてではなく、知事として配慮していただかなくてはならないと思いますが、その点お伺いいたします。
物価安定の基本政策について。
今後の対策については、盛島議員の質問に対し、答弁がありましたので省略いたしますが、ただ1点だけお尋ねしたい。議案第11号昭和47年度旧琉球政府の債権及び債務の処理に関する特別会計予算の(2)における特定物資価格安定資金勘定で、25億3250万2000円が支払いされておりますが、これは5月14日までに支払いされておりますが、これは5月14日までに支払い済みのものであるかどうかお尋ねいたします。なお、当初からの特定物資価格安定費は、合計いかほどの金額でございますか。お尋ねいたします。
為替相場変動制による落ち込みの税対策の問題は、これは税務関係の方からよく説明を個人的に聞いておりますので、取り下げいたします。
旧大衆金融公庫に対する琉球政府からの投資について。
旧大衆金庫公庫、すなわち米軍からの資金に対しては、日本政府が肩がわりしたために、当然沖縄開発金融公庫に、そのとおり引き継がれるのは当然であるが、旧大衆金融公庫に対して、日本政府からの住宅とかいうふうなものを除いた純琉球政府からの長年の投資額は、国の政策金融である沖縄振興開発金融公庫に引き継がずに、県の特別会計において、地方団体の地方の市町村団体とかの事業費の一時立てかえ資金として残しておくべき性質のものではなかったかどうかお尋ねいたします。それにあわせて、旧琉球政府から沖縄県の財産として引き継がれた財産並びに県有財産は幾らあるか、表によって提示していただきたい。
旧政府道路並びに市町村道路のつぶれ地の問題について、観光と飛行場整備計画について、いろいろと泡瀬商港の問題あるいは全軍労の時間短縮の問題、元琉球政府職員の年休買い上げの問題あるいは民生委員制度と特殊婦人の問題について、これは連合審査会においてゆっくりと御質問申し上げたい。ただ申し上げたいのは、民生委員制度と特殊婦人については、沖縄振興開発金融公庫、国においても次年度は特殊婦人対策問題として、一人当て50万円の予算を計上しようというふうに国のほうでも計画しております。それがために、民生委員の資格制度あるいはその任務というふうなものについて、これはどうしても非常に大きい次年度の問題でございますので、十二分に連合審査委員会においてこれをお尋ねしていきたいと、かように思うわけでございます。
時間がございません。20分という時間は新米議員の演説練習用みたいなもので、意を尽くしませんでしたが、どうかひとつ簡便に御答弁をお願いいたします。終わります。
〔「議長、休憩願います」と呼ぶ者あり〕
○議長(平良幸市君)
休憩いたします。
午前10時26分休憩
午前10時28分再開
○議長(平良幸市君)
再開いたします。
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
先ほどの御質問に対するお答えをいたします。
初めに中小企業の対策ということでございました。中小企業の構造高度化と設備近代化の促進を計画いたしております。復帰に伴う急激なる経済環境の変化に対処して、中小企業の構造高度化並びに近代化を積極的に推進したいと。それに必要な中小企業の投資資金の円滑なる供給を確保するため、本年度は県中小企業課に、中小企業高度化、近代化資金として8億1850万円、沖縄県振興開発金融公庫に120億円が準備されております。その他組合金融については、商工中金の活用を積極的にあっせんしたいと。また信用力、担保力の不足した中小企業者の金融を円滑にする意味で、信用保証協会を強化して、業務の大幅な拡充をはかっていくと。一つがそれであります。
それから2番目に、中小企業者の組織化と組織の強化。中小企業者の上部団体である中小企業団体中央会、それから商工会議所、それから商工会等の組織を強化するために、団体の特殊法人化を積極的に指導するとともに、商工会の連合組織を年内の早い時期に結成させたい。これが達成されると各団体に100%補助による60人前後の指導員等を配置しまして、中小企業の経営改善、普及事業並びに組織化指導に当たらせたいと思います。
一方、中小企業の体質改善をはかるには、まず組合づくりから始める必要があるので、業者のムードも盛り上がっているところで、中小企業団体中央会の協力を得て強力に組織化指導を推進してまいります。
3番目には、中小企業指導事業の拡充強化をはかりたい。
復帰と同時に県中小企業総合指導所を設置して、復帰による中小企業施策の拡充に伴う諸施策の円滑なる導入をはかるため、企業診断及び指導事業を強力に実施いたしたいと、こう思います。
それから次の御質問に保証協会の育成ということがございましたけれども、これもいまのことばにも触れましたとおり、やはり中小企業の育成のためには必要欠くべからざるものといたしまして努力をしていくつもりでございますが、中小企業者は、担保力とそれから信用力が弱い。これは仰せのとおりであります。事業資金の調達力に乏しいことは従来から指摘されておったのであります。そこで、中小企業のために各種の金融制度を設け、中小企業の金融について特別の施策が講じられています。しかしながら、担保力や信用力の弱い多数の中小企業者に対しては、さきにきめこまかい金融補完策が必要であります。したがって、担保力、信用力の乏しい中小企業者を公共の機関が保証し、金融機関の融資を受けやすくするために、信用保証制度が確立されたわけでありますから、県といたしましては復帰に伴い、従来普通保証制度だけだったのを、特別小口、無担保保証などを含め、8種類の保証制度を設けると同時に、さらに特別小口、無担保保証の保証料の引き下げ等、大幅な改善を実施しました。
一方、保証協会の経営基盤の拡充強化をはかるための予算措置として47年度予算においては1800万円出捐金及び76万円の保証料補給金を計上してあります。なお、定款の一部変更によって、役員を5人から9人にふやして内部の執行体制も強化してまいりたいと思います。
それから次には、中小企業各事業組合育成ということでございまして、これはさきにもちょっと触れましたけれども、中小企業各事業協同組合の育成についての御質問でありましたですけれども、それについて簡単に申し上げます。
沖縄の中小企業の組織化は本土と比べまして、著しく立ちおくれていると。そして中小企業等の協同組合は、本土類似県が500から1000も設立しているのが、沖縄ではまだ40の組合しか設立されておりません。事業協同組合の育成については、金融、税制指導を中心に、次のような助成措置を講じていく所存であります。
指導措置。中小企業者の上部団体であり、各種組合の組織、運営を指導することを目的といたしまして、設立された現民法法人である沖縄県中小企業団体中央会を早急に中小企業等協同組合法に基づく特殊法人へ組織変更し、同会を中小企業者の組織づくりと既存組合の指導、組合の巡回指導、個別専門指導等の強化をはかると。こういうふうにして、これも考えられております。
なおこれにつきまして、金融及び税制上の措置としまして、中小企業振興事業団法に基づく共同施設資金等による融資、高度化事業、これは組合が事業の共同化による経済的地位の向上を目ざして共同施設等を設置する場合に融資され、必要資金の65%から80%、年利ゼロから2.7%、償還期間は16年以内となっており、昭和47年度において約3億5000万円を貸し付けて予定しております。
なお資本力の弱い沖縄の中小企業者にとって、35%の自己資金の調達は負担過重で調達が困難でありますので、各種条件の緩和及び融資率の拡大等について、関係機関あて中小企業高度化制度の特別措置をしていただくように要請をしてあります。
なお商工組合中央金庫の融資、商工組合中央金庫は、中小企業等共同組合、その他主として中小規模の事業者等を対象とした組合金融機関であるが、復帰後に同中央金庫沖縄事務所が開設され、相互銀行及び信用金庫を代理店として、業務開設をしており、同中央金庫を積極的に活用するよう金融のあっせん等を通じても育成強化をはかりたいと、このように考えております。これは不十分ではあるかもしれませんけれども、お説のように中小企業というのは大事に堅実に育てていかなければなりませんので、県庁としましても、できるだけのことはいたしたいと考えております。
なお、伝統工芸のこの育成ということでありますが、これは伝統工芸につきましては、労働商工部長に説明させたいと思いますので……。
それから通貨確認の補償事務について私のほうから説明します。
通貨確認による現金並びに純資産の差損補償支払いの取り扱いについてでありますが、通貨及び通貨性資産の差損金支払い業務は、復帰後、国に引き継がれておりまして、現在、沖縄総合事務局で同業務を実施しておりますが、1971年10月9日、通貨及び通貨性資産の確認に関する緊急臨時措置法に基づき、実施した確認結果は次のとおりでございます。
現金6189万1354ドル幾らと、これが27万5435件でございます。それから純資産が5億12万9848ドル何がしあります。それが7万4800件ぐらいあります。
まず、現金にかかわる差損金の支給申請機関は、47年の5月22日から同年8月31日までの間となっており、8月10日現在の支給状況は、支給すべき総額約34億円のうち、支給済み額は約31億円で、支給率は80%となっております。
また、純資産にかかわる差損金の支給申請期間は、47年の6月1日から同年11月30日までの間とはなっておりますが、同じく8月10日現在の支給状況は、支給すべき総額約275億円のうち、支給申請額は約194億円となっております。そのうち、支給済み額が129億円で、支給率67%ということになっております。
現在、その支給業務を取り扱っています沖縄総合事務局では、約60名の職員を動員し、7月までに申請のあった分について、旧盆までに交付決定する予定努力しておるようであります。支払い業務が期間内にスムーズに完了するよう支給対象者で、まだ申請をしていない者は、早目に申請手続を済ませるよう各位の協力をお願いしているところであります。
それから先ほど少額なものについてこれを取りに来ない、これをどうするかということについては、これからひとつ御意見もありますが、どうするかということについては検討してまいりたいと、こういうふうに考えております。
それから、金融公庫の利子引き下げということにつきましては、現在の利子も大体若干は引き下げられております。復帰対策の一環といたしまして、この沖縄振興開発金融公庫法に基づきまして、沖縄振興開発金融公庫が設立されたと。沖縄の中小企業の振興育成をはかるため、本土より低金利で貸し付けされることにはなっております。いまでも、たとえば、中小零細企業特別貸し付けは本土にはありませんが、ここではあって、利子が3%と、それから一般資金の貸し付けが本土では7.7%がここでは7.3%とわずかではありますけれども、そうなっておる。それから近代化促進資金貸し付けが7.4%がここでは7%、0.4%低いということになっております。それから中小企業団地貸し付けが7.7%がこれでは7.3%。ところでがです、この前、運営委員会がございまして、公庫の運営委員会がありまして、沖縄側委員がたくさんおられまして、そのときには一緒に検討したと思いますが、ここで、これを低利長期にするような沖縄の企業界からの強い要望は、御一緒してこれは出されたと思っておりますので、この点は、開発金融公庫でも取り上げてですね、これは検討するということになって、まだ、
だいじょうぶだということはわかりませんですけれども、一応、これは沖縄側からは出されて、これは西田さんも御存じのとおりでありますけれども、このほうは出ております。低利融資にするということは出ておりますので………。
それから大衆金融公庫として残しておくべきものは、これは大衆金融公庫の資金につきましては、いまおっしゃるようなことも一応は考えられますけれども、しかし公庫のほうに引き継がれておりますので、これがいかに沖縄の開発のために、有効に使えるかというような事柄を沖縄側としては、強く要望していく以外にはないのではないかと、こういうふうに考えております。
それでは伝統工芸については労働商工部長に説明をさせます。
○議長(平良幸市君)
労働商工部長。
〔労働商工部長前田朝福君登壇〕
○労働商工部長(前田朝福君)
それではお答えいたします。
御質問の中で1点、中小企業を育成するためにどういった既存の制度を活用していくのかというふうな御質問がありましたが、これにつきましては、資金面においては、高度化資金あるいは近代化資金、さらには設備貸与資金、そして県独自の中小企業に対する融資制度あるいは商工中金の資金、さらには開発公庫にある資金、こういった既設の制度の資金を活用いたしまして中小企業の育成をしていきたいと思います。
それから組織の面につきましては、少なくとも、現在の中小企業金融という立場からいいますと、組織化というのが大きな課題になりますので、商工会議所あるいは商工会の特殊法人化、そして商工会中央連合会の結成、そういったことをいたしまして、その中に指導員あるいは補助員を十二分に配置していくといったような立場で、組織化を進めていきたいと、このように考えております。そういった立場で、現在の資金を活用しながらあるいは中小企業の組織、協同組合、そういった組織を強化させていきながら中小企業の振興をいたしたいと思っております。
それから保証協会に対しましても、なるほど保証協会は充実強化させていくということが担保力の弱い中小企業の金融を円滑にする要素になるわけでございますので、これは今年度で1800万余りの出捐金を出しておりますが、年次的に計画で出損金を増していって、信用保証協会の強化をはかっていきたいと、このように考えております。
それから次に、伝統工芸品の保護と育成についてでございますが、御承知のとおり、沖縄の伝統工芸品としては宮古上布とかあるいは久米島つむぎ、琉球かすり、芭蕉布などの織物やあるいは陶器、漆器、紅型、蛇皮線等がありますが、該業界は、伝統工芸品であるという観点から大量生産がむずかしく、その生産体系においても旧態依然としておる状況でございます。近年、この工芸品が観光関連産業として重宝され、現在、漸増する需要に追いつかない状態ですが、今後、海洋博など、国際的事業の開催に伴い、大幅な需要増が予想されるので、企業の協同化、合理化等の近代化をはかり、早急に、その供給態勢の整備につとめ、次のような施策を講じていきたいと思います。
第1点としましては、沖縄県工芸産業振興審議会を設置いたしまして、その答申を経て、伝統工芸の開発及び供給態勢の整備をはかっていきたいと思います。
第2点といたしましては、カルチュラル・インダストリアル・パークの建設を構想し、企業合理化による生産態勢の増強、試験研究機関の整備による新規製品の開発等、品質の向上につとめたいと思います。
第3点といたしましては、業界の生産人口の絶対数が不足しているので、従来行なっていますところの技術者養成事業と合わせて、職業訓練事業とのタイアップをはかり、技術者養成を強化いたしたいと思います。
第4点といたしましては、織物検査条例を制定し、織物の品質の向上、改善、他県からの模造品の防止等をはかっていきたいと思います。
第5点といたしましては、沖縄の工芸品が、品物がよくても、包装の面で劣り、見ばえがよくなかったが、それを打開し、さらに新しい商品等の開発をはかるべく、去年、日本貿易振興会、日本産業デザイン振興会、県企業団体、学識経験者等の協力を得て、沖縄県産業デザイン振興会が設立され、その機関に対する補助を今後とも継続していきたいと思います。
第6点としまして、流通面においては、海外市場へ進出すべく、物産あっせん事業を強力に推進していきたいと思います。
以上です。
○議長(平良幸市君)
渡久地政仁君。
〔渡久地政仁君登壇〕
○渡久地政仁君
本員は、先般通告いたしました質問事項によって、順を追って質問いたしたいと思います。
沖縄国際海洋博覧会開催並びに関連公共事業その他について。
沖縄国際海洋博覧会の本県における開催について、知事は説明書に、「県はその成功のために全機能をあげて取り組む所存であります。」と表明されておられます。国際的行事である沖縄国際海洋博覧会まであと2カ年と8カ月しかありません。時間は遠慮なく切迫していくのに海洋博の準備はどうなっているだろうと地元民は2カ年8カ月後に本部半島周辺を舞台にした世界的行事に期待をかけながらも、沖縄における基礎条件の整備が遅々として進まないので、その成り行きが気にかかるのであります。それに主会場の線引きされた以外の本部町、今帰仁村の土地が日増しに高騰する現状であります。これらの土地買い占めには、本土並びに県内の土地ブローカーが相当入り込んでいるのであります。
去る3月29日の琉球新報で、当時の行政府は、「用地取得など現段階で、具体的には土地の公簿調査をすでに終え、いま現地調査を行なっている。4月1日には価格評価の委託を行ない、7月31日までには買収交渉を終わり、契約を完了したい。」と述べている。本日は、すでに8月14日であります。ただでさえ、海洋博までの期間が短か過ぎると言われているのに、本会場用地取得がどうなっているか地元民はたいへん気をもんでいる次第でございます。
以上の観点から、用地取得はいつごろまでに完了する見通しですかとお伺いいたしたいのですが、この件につきましては、1昨日の比嘉議員の質問に、知事は、本月末までに用地取得したいと回答されておられました。本員が心配しているのは、本会場の用地取得がおくれればおくれるほど、本会場予定周辺地の地価が日一日と高騰し、主会場予定地の地価に影響するからであります。
よって質問いたします。県は、地主との懇談会を何回ほど持たれましたか。地主との懇談会の感触から国あるいは県が提示する価格評価で直ちに応ずると思うかどうか。今月末までに用地取得が、地主との折り合いがつかない場合に、何らかの方法、たとえば土地収用法などで解決する考えであるのかどうか。知事は、県として海洋博に全機能をあげて取っ組む所存だと所信を述べられておられますが、この国際海洋博を成功させる自信があるかどうかお伺いいたします。
また、海洋博と関連する関連事業、特に最大の問題は、道路、空港、港湾などの輸送態勢で、道路の用地買収が大きな難点とされている、その他、電気、水道、宿泊施設などについて、県として、どのような計画策定をしておられますか、お伺いいたします。
次に、角度を変えて質問いたしたいと思います。
台風が吹くたんびに農作物の被害が生じ、野菜類が高騰する沖縄で、去る台風7号の来襲で、県内の野菜類が打撃を受けまして、値段が2倍から3倍の値上がりをいたしました。沖縄国際海洋博覧会開催は、昭和50年3月2日から8月31までと聞かされております。沖縄の夏野菜は、生産量が少ない、その上、台風シーズンときているから、県民の絶対消費量の確保さえいままでの農業生産では、いつも野菜不足を来たしております。数百万人の海洋博参観者の台所をまかなうには、長期的な生産計画を立てなければ、海洋博の施設は完備しても食糧不足を来たし、それで、県内供給ができずに、隣県や、台湾、中国から移輸入するのでは、海洋博の趣旨にももとり、県内産業の開発にもつながらなくなる。海洋博のために、多くの準備や工事が行なわれ、地元では間に合わない。労力は、工事に見合うように他府県から労働者や技術者の来県も予想されると、沖縄の人口は、海洋博に向けて一時的な増加をするのであります。これに見合うだけの食料品は、来年早々から必要になってくる。大阪万国博覧会は、3年前から貯蔵食品の確保をしたというが、昔の琉球国でも中国の冊封使を迎えるために、2、3年前から食
糧を備蓄して来琉に備えたと伝えられている。遠来の客をもてなすには、計画と準備が必要なのは、今も昔も変わらないものと思います。
よって、次のことについて質問いたします。
海洋博に向けて、生鮮食料品の確保について、その計画策定がなされているかどうか。来年早々から工事に見合うように、他府県からの労働者や技術者が来県することが予想されるが、これらに対する生鮮食料品対策がなされているかどうか。野菜、くだもの、肉、魚類など冷凍食品を貯蔵するために、冷凍倉庫が必要となってくると思うが、いわゆる備蓄食糧倉庫の設置を考えているかどうかお伺いいたします。
次に、本部町の瀬底大橋架橋についてお伺いいたします。
本部町民並びに瀬底住民の多年の懸案であります瀬底大橋架橋について、瀬底大橋の架橋の実現によって離島苦は解消し、島の産業、経済の飛躍的発展が期待され、海洋レクレエーション基地としての開発及び島内の資源を生かした新しい企業の育成も可能となり、橋の果たす役割りはきわめて大きいものと確信いたす次第であります。琉球大学が瀬底島に計画している総合的な学術機関の設置も、すでに土地提供を済まして着工の段階に進み、さらに昭和50年に開催される国際海洋博覧会を機会に、世界的な学術機関の設置も有望視されているおりから、架橋の必要性はますます高くなっていると考えます。海洋博覧会会場の一部として、瀬底島周辺にいろいろの計画を立案中であると伺っておりますが、林立する博覧会施設にふさわしい、美しい橋梁が完成いたしますならば、海上連絡道路としてはもちろんのこと、海上景観にも一段と花と添え、世界中から来る観客の印象に強く残るものであろうことは想像にかたくありません。また、将来の観光開発地域として予定されている島一帯にいたしましても、これ以上の貢献はないものと思量いたします。
よって、次のことついてお伺いいたします。
県と国において瀬底大橋架橋について可能と思うかどうか。もし可能とするならば、昭和50年の国際海洋博覧会までに間に合うかどうか、その見通しについてお伺いいたします。
次は、一昨日の上江洲議員の発言に副知事が触れておりましたが、架橋の着工の段階に至って、もし町当局が対応費を負担するとなると、町当局の貧弱財政では予算がない。よって着工の時点において県道に指定し、全額国の補助で、架橋の実現をはかってもらいたいが、この点についてどう思いますか。
次は、市町村道のつぶれ地の補償についてでございます。
戦時中または講和発効前において、日本軍、米軍あるいは行政官庁によって拡張または新設された道路が129万6194坪及び河川10万3866坪、その他の道路で19万80坪が現在町村道あるいは河川として利用されている。これらのつぶれ地が現在まで何らの補償がなされずに放置され、関係地主に大きな損失を与えている。このようなことは戦後処理が考慮されなかったことに起因するものであり、県においても関係地主の私有権補償を講ずべきだと思います。しかし、沖縄における貧弱な市町村財政では、これが捻出は困難であるので、県において財政措置を講じて、住民に対する終戦処理の責任をとる考えはないかどうかお伺いいたします。
次は、環境整備の一環として野犬対策についてでございます。
昭和48年に開催される復帰記念沖縄特別国民大会、昭和50年に世界で初めての沖縄国際海洋博覧会の開催に当たり、環境整備の一環として野犬対策が取り上げられるべきだと思います。
知事は、海洋博は環境博、人間博であると言われておると説明されておられます。野犬急増の原因は、飼い主の放し飼いや米軍関係者による一般住民地域での放し飼いなどとなっております。
昨年の予算審議の場合、本院が厚生局にただしたときに、全県に野犬は約10万頭おるとの答えでしたが、現在の野犬捕獲状態から見た場合、そんなに減っているとは思われない。野犬の増加で一番心配されるのは狂犬病であります。国際海洋博覧会には、世界各国や県外から数百万人の見物人が来島されることが予想される。この場合、現状の野犬天国のまま狂犬病が発生したらお手上げの状態であります。狂犬病予防接種は飼われているところの犬、年間約五千四、五百頭にしかなされてなく、野犬になると全くの無防備状態であります。また野犬のほとんどにダニが異常発生しており、環境衛生面あるいは新聞紙上によく報道されている人畜被害も軽視されるものではない。復帰記念沖縄特別国民体育大会、沖縄国際海洋博覧会開催に向けて、環境整備の一環として、県としてどのような野犬対策をなされているかお伺いいたします。
次に、旧沖縄県町村吏員恩給組合員に対する完全補償並びに見舞い金給付について。
戦前沖縄においては他の府県と同様に、昭和18年4月1日沖縄県町村吏員恩給組合が結成されまして、その準備金も昭和18年3月に内務次官通牒で各府県知事あてに、町村吏員恩給制度にのっとって納付され、恩給組合の財源として毎月積み立て金も同様に同整備要綱に準じて、沖縄県町村吏員恩給の取得及び条例の規定により、毎月積み立てられていました。当時県地方課内にあった沖縄県町村吏員恩給組合も県及び国の責任においてなされていたが、今次大戦により当該組合が根絶したために、当該組合にかかる身分の証明事務機関がなく、戦後27カ年も当該組合員に対して、何らの補償もなされていないまま放置されています。
昭和47年4月30日現在、町村会の調査によれば、恩給需給権該当者は年金該当者120件、うち退隠科該当者76件、扶助料該当者44件、一時金該当者531件、合計651件になっている。
復帰が実現した今日、戦後27カ年も放置されているこの問題を終戦処理の一環として、早急にこれらの受給権者に恩給法上の完全補償と戦後行政分離によって不利益をこうむった者に対しては、特別措置として、見舞い金の特別措置を国及び県が講じてもらうことが当然だと思いますが、この問題に対して、知事の見解をお伺いいたします。
次に、畜産課の獣医師及び畜産技術員配置についてでございます。
復帰時点で、畜産課の獣医師は大量に減員になっておりまして、市町村ではたいへん困っている現状であります。畜産振興の方針として、生産基盤の整備をはかるとともに、家畜及び畜産物生産の流通対策を強力に推進すると知事はおっしゃっておりまするが、獣医、技術員を減員して畜産の振興はあり得ないと思うのでございます。特に、南大東村、多良間村をはじめといたしまして、離島に獣医師の配置がないのは、公務員獣医師の絶対数が足りないのだと思われます。
よって、次の点についてお伺いいたします。
琉球政府時代は、獣医師が畜産課に107人いた。県政移行後は85人になっております。22人の減でございます。その減った理由。
二つ目、今後業務量の増大していくことと思いますが、これに対応して、増員していく考えはないかどうか。
三つ目、欠員が生じた場合、直ちに補充する考えはあるかどうか。
以上六つの点について簡潔にお答えを願いたいと思います。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
お答えいたします。
海洋博覧会の用地取得の件についての御質問でございましたけれども、これはいままでにもたびたび出ておりましたけれども、大体スケジュールにのっとりまして、そのようにいっておるということをお答えしておきます。そして8月中に買収のめどをつけまして、10月中には買収完了の予定であります。
それから次には、地主との懇談会を何回持ったかと、これはちょっといま答えかねますけれども、これは何回も非常に回多く持っておって、この話し合いを進めておりますことは事実であります。それからそのことについては、なお協力局長にもちょっと答えさせたいと思いますが、さよう御了解くださいませ。
それからこの関連の道路の問題でありますけれども、これはきのう副知事からもお話がありましたとおり、大体方途はついております。那覇から嘉手納まで、また嘉手納から仲泊まで、仲泊から北部の道路、これは4車線にして、東に出て、その東線の既存の道路を4車線に補修すると同時に、そこから高速道路で名護までつなぐというようなことも大体計画をして、ただ東にするか、西にするかということはきのうも申し上げましたとおり、いろいろ専門的な意見も求めて決定するということになっておりまして、この道路の問題についても、大体そういうふうに着々進んでおりますことをいままでもたびたび申し上げましたけれども、申し上げておきます。
それから港につきましても関連施設として大事なことでありますから、浜崎港、運天港の整備、これは適確にやるということになっておりますが、なお、那覇空港も整備強化してこれとつなぐというようなこと、浜崎港とつなぐというような事柄も大体関係大臣もたびたび見えまして、この問題については、いま質問せられました渡久地議員もお聞きのとおりでございます。
それから次には、瀬底大橋のことにつきましては、これは先ほど御質問がありましたとおり、非常に地元からの要望があるし、また海洋博覧会のためにもぜひ必要であるということから、本部町浜崎から瀬底島への架橋については、市町村道として47年度国庫補助で調査費2350万円が計上されておりまして、今回調査するのは、土質調査、水深測量、あるいは潮流測定等の基本調査となっておりますので、本部町当局とも調整の上、早急に調査に着手し、架橋の早期実現をはかりたいと思います。
なお、県といたしましては、本格的な架橋工事に当たっては、技術的にも、財政的にも町当局では問題があると思いますので、本部町と協議の上、県道への認定または県代行を検討したいと思います。といいますのは、先ほどの渡久地議員のお話の中にも、市町村に負担をかけてはいけないと、こういうことでありましたが、そうしますというと、市町村道ということになるというと、幾らかの負担ということになりますので、県道ということになれば、これはまた10分の10ということになりますので、そこらあたりはどういうふうに調整していくかというようなことを話し合いをして、市町村には、できるだけ負担をかけないようにしていきたいと、こう思います。そしてこの問題は、この海洋博覧会が開催されるまでにはやれるかということでありますが、私は専門的な知識はありませんが、ただ要望といたしましては、そのためにやるのであるから、この問題は、ぜひ実現するようにと。この前、建設大臣も見えておりましたけれども、これはだいじょうぶ、やろう。ぜひ、やれというようなことをハッパをかけておりました。事務当局にも。したがいまして、その御要望の線に沿うてこれは実現できるというふう
な、その方向に進めていきたいと、こういうふうに考えております。
それからつぶれ地の問題ではありますけれども、これはもうつぶれ地問題は、きのうからもたくさんの方々から御質疑があがっておることであるし、また、いわゆる請求権のうちの最も大事な問題であると、それはいまの渡久地議員のお説までもなくして、われわれも非常に心のあせりを感じておるのでございます。
県道のつぶれ地の全面積は、これは181万5013平方メートルであります。そのうち1967年度から1972年度までに買収したつぶれ地は65万3031平方メートルございまして、全体の36%になっております。残りの116万1982平方メートルの処理につきましては、これは昭和49年までに完了するように努力をすると、こういうことになっております。
市町村の村道のつぶれ地の分は、つぶれ地のこの権原の取得がなされていない市町村道は延長約221万4271メートルで、面積にしまして565万2900平方メートルと推定されております。市町村道のつぶれ地は、その実態がいまだに把握されていないため、本年度から昭和51年度までの5年間で調査を完了する計画でございます。なお、本年度調査費は2900万円で、5年間の総額は、これは2億8800万円を予定しております。また用地の補償につきましては、昭和50年度を初年度として、昭和56年度に渡る7年間で完了するような計画をいま持っております。
次には野犬の対策でございますが、専門的立場からいろいろこの問題については先ほどお話がありましたけれども、沖縄のこの犬について、昭和47年3月、市町村からの報告によるというと、登録された犬が約4000頭、登録されていない犬が1万8600頭、飼い主のない犬、いわゆる野犬が約5万2400頭で、総数からしますというと、7万5000頭となっており、このうち捕獲の対象となる犬は7万1000頭、こういうふうに出ております。
県は、これが捕獲のために職員を置き、ほかに委託契約によりまして、狂犬病予防技術員を指定して、捕獲と登録、それから予防注射につとめていますが、捕獲頭数は年間約6600頭で野犬による住民からの苦情は絶えない現状でございます。
将来計画といたしまして、海洋博、国体に向け、野犬による人畜への被害の防止、それから環境衛生向上の方策として、県及び市町村に飼い犬条例を制定せしめる計画を進めており、また犬管理所の増設―北部、宮古、八重山に、捕獲頭数の増加、不用犬の買い上げ、予防注射頭数の増加、県民へのPR等により逐次野犬の減少をはかりまして、昭和54年までにはこれを一掃する考えでございます。
昭和47年度において、犬の管理所としてコザ地区に500頭の収容施設を建設の予定で、それに要する経費として2000万円が計上されております。
捕獲頭数は1万3000頭、不用犬の買い上げ1140頭、予防注射が1万頭を予定しており、これに要する経費として565万8000円を計上しております。
それから旧沖縄県町村吏員恩給組合員に対する完全補償並びに見舞金給付についてでございますけれども、戦前沖縄県においても、他府県と同様に昭和18年4月1日に沖縄県町村吏員恩給組合を設立いたしまして、資金を積み立ててまいりましたが、今次大戦によりまして当該組合が消滅し、27年間も当該組合員に対し、何らの補償もされないまま放置されております。
復帰が実現した今日、なお放置されていることはゆゆしことでありまして、戦後処理の一環として、早急に当該組合員の救済措置を講じなければなりません。この件については国に対し、再三要請はしてまいりましたが、今後は当該組合員約800人の実態調査を早急にまとめまして、国に対して具体的に法律並びに財政的措置を講じていただくように折衝してまいりたいと思うのでございます。
それでは、あとの獣医師の定員に対する御質問は農林水産部長に簡単に答えさせますので、御了解いただきたいと思います。
それから海洋博協力局長にちょっとその関係の説明をさせます。
○議長(平良幸市君)
沖縄国際海洋博覧会協力局長。
〔沖縄国際海洋博覧会協力局長野島武盛君登壇〕
○沖縄国際海洋博覧会協力局長(野島武盛君)
海洋博関係について補足いたします。
先ほど御質問の用地取得について県と地主との懇談会を何回持ったかという御質問でございましたが、これは組織としては数回持っております。なお事務段階としては、そのつど、たびたび持っておりますので、回数は申し上げられません。
さらに地価の評価が地主と県のほうの評価が折り合うかということでございますけれども、現在の周辺地価の状況からいたしますと折り合うとは考えておりません。折り合わない場合はどうするかということでございますけれども、地主が納得のいくように誠意をもって努力いたします。
それから食料対策でございますが、特に生鮮食料品がその時期に不足するが、その対策はあるかということでございますけれども、特にその時期を考えての生鮮食料品だけの対策は考えておりませんが、主管部である農林水産部としての計画の中には、3カ年間、いわゆる海洋博が開催される時期までに、できるだけ年次計画をそこまで寄せてもらうということで話し合いを進めております。
例を申し上げますと、野菜対策につきましては、前にも回答がございましたけれども、現年度の大型産地の計画が20ヘクタールで5カ所あります。なお48年度は、1300万円の2カ所で、5カ所計画をされております。さらに食肉鶏卵対策、魚介類の対策としては、前に知花議員からも御質問ありましたし、台風期に差しかかる場合の対策として、生産と流通面から特に冷凍冷蔵庫については、離島対策としての、離島への設置等も計画されております。
以上でございます。
○議長(平良幸市君)
農林水産部長。
〔農林水産部長比嘉行雄君登壇〕
○農林水産部長(比嘉行雄君)
畜産課の獣医師の配置の問題についての御質問にお答えしたいと思います。
確かにお説のとおり、畜産課の獣医師は107名から85名に減っております。この定数配置は、県行政の総体的な需要とバランスの中で県財政とのかね合いを見た上で配置し、一応スタートしておるわけでございますけれども、具体的にこの減少した理由を見てみますと、まず第1点は、動物検疫所、それから総合事務局等の国の機関に引き継いだ職員がございます。
さらにもう一つは、新たに機構が新設されたという点、すなわち、八重山肉用牛育成センターとそれから中部種畜育成センターの2機関が新たに設置されたために、そこに配置しなければならなかったといったような点で、一応は減員になっているわけでございます。
そこで、この配置が行政需要に見合って適切かどうかといった御指摘の質問かと存じますか、これを各府県の配置状況をまず一応例としてみますと、近県の12県のを例に取ってみますと、獣医師の数は全体で773人でございます。そうしますと平均して64人となっております。そうしますと平均して64人となっております。そうしますとわが県の獣医師の配置状況は全体で85人ですから、これらの各県平均以上に配置がなされておると、一応こういうふうに見ることができるのじゃないかと、かように考えます。
ところで御心配の点は、各離島等の家畜保健衛生上のいわゆる要員としてのことだと思いますが、家畜保健衛生所という新しい制度はこれからでございまして、当面はこれらの現在の配置人員の中で市町村の畜産農家の需要に対応できるように機動的に職員が動いていくように一応督励してみたいと、かように考えてございます。
これらの増強問題については、今後の畜産の行政需要の実態を十分に把握しまして、それを見きわめた上で、適切に対処していきたいと、かように考えてこざいます。
以上でございます。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
協力局長の説明にちょっと補足いたしますけれども、土地取得につきましては、皆さまが御心配してくださいますように、非常に大事な問題でございます。そして私どもといたしましては、関係市町村と土地を収用できるような、取得できるような促進協議会を持って、絶えず話し合いをしております。これは関係関連道路の問題、それから用地の問題、あわせましていたして、これは非常に成功させなければならぬ宿命的な課題でございますので、これからも非常に激励して、この協会の皆さんの良識ある御協力も期待いたしまして、一生懸命にやってまいりますので、これは今日皆さん、たびたびこの問題については出ておりますことを私どもは非常なるこれは激励だといって、正しくとらえておりまして、御心配をおかけしないようにやりたいと思いますので、どうかひとつこの点につきましては、皆さんも、やはりこの海洋博を成功させたいという御一念、また沖縄を愛するという御一念で、それぞれのお立場からの御協力もお願いを申し上げたいと、こう思います。
○議長(平良幸市君)
比嘉松栄君。
〔比嘉松栄君登壇〕
○比嘉松栄君
時間の制限があるようでありますし、それから質問は時間を短縮せよという声がだいぶあるようでございますので、私は予定しておりました質問事項につきましては、ごく簡単にお聞きしたいと、そして時間の都合で残るものは次の連合審査に持っていきたいと、こういう気持ちであります。
まず最初に、自主県政と本土政府の援助についてでございましたが、この問題につきましては、屋良知事のその基本政策に対する自由民主党の代表質問大田議員の質問がありまして、それとも関連しますし、また平良哲議員、それから小底貫一議員の質問とも関連いたしますので、重複を避けまして、私はこの質問は中止いたします。と申しますのは、平良哲議員及び小底議員の質問の趣旨は、真の地方自治を唱えながら、一方で中央集権化に反対しておると、国と対決するという姿勢は、これは矛盾しておるんだと、こういうふうな話でございました。また国と対決して、沖縄の県政ができるか。いま85%の国庫依存である現実に、はたして知事の方針が国と対決して財政ができ得るだろうか。これは反対に他力依存である。国家依存である。また陳情県政であると、こういうふうな強い批判でありました。また小底氏の質問は、自主県政と言いながら、一方では国との対決をして、しかも、新生沖縄県ができるのか。こういうふうな批判でありました。それが85%の国庫に依存しながら、沖縄県が自主的にこの財政が可能であるか。国の現在の体制に反対しておる。これは矛盾ではないか。こういうふうな趣旨の質
問がありまして私の質問せんとした問題点も全く同様でありますので、私はこれを省きましてこの質問は終わります。
それで、これに関連しましたところの問題を資料として要求いたします。
まず資料としまして、1、本土政府援助金について、これは306億5996万8000円、これのこの支出金に対して援助金、負担金、投融資金額、この別に分けまして、金額は幾らか、また各款項目別の金額、この資料をひとつお願いいたします。でき得るならば、その資料の中に各項目の金額の説明をも含めていただきたいと、こう考えます。
それから資料第2としましては、昭和47年度の沖縄開発関係費用、これは沖縄開発庁の一括計上した分であります。これの区分、金額、項目及びそれに対する説明書。こういうものを含めた資料をひとつお願いいたします。これは総務か企画だと思います。
それから第2の質問に移ります。
学校備品の問題でございまするが、今度の基本政策の中に、屋良知事は、いろいろと教育の基本方針について16項目の説明がありますが、この学校備品の整備というものに対しては何ら触れておりません。これに、私は非常に疑問を持つのであります。もちろん、しいて認めまするならば、基本政策の中で、第4項に、「教育、文化、芸術、スポーツの民主的発展をはかる」ということはあるのでありまするが、その中でも、教育備品の問題は触れておりません。非常に遺憾に存じます。
沖縄要覧の71年度の要覧を見ますと、文教の主要施設の具体的事項としまして、4番目に、学校備品の充実を掲げております。その資料によりますと、学校備品は、本土と比較しまして、だいぶ格差がある。その達成率は、理科備品のほうでいいますと、小学校が40.6%に対して、本土は49.2%、それから中学校において、沖縄が33.7%に対しまして、本土が44%、高校は28%に対し39.2%、こういうふうに理科備品のほうがだいぶ格差があります。また教材におきましては、36.7%に対しまして45%、中学校においては26.8%に対しまして43.9%、高校においては30.2%、こういうふうになっております。だいぶ格差があります。
それで、こういう立場から知事のほうに質問いたします。
教育水準を推進するためには、各方面から検討する必要はもちろんでありまするが、その中で最も重要な教育課題としまして、学校備品の整備をはかることは非常に重要だと私は考えております。だのに何ゆえ、その学校備品の問題につきまして、知事は触れていないか。これは学校備品の充実の必要はないのであるかあるいは記載漏れであるのか。こういうふうな点で政策中にもしあるとすれば、どこに書いてあるか御教示をお願いしたいと思います。
それから2番目につきまして、学校備品について、幾ら国へ要請したか。そして国は幾ら査定して援助してくれたか。沖縄県一般財源から学校備品に対して幾ら支出してあるか。そして学校備品の総額は幾らになるか。その学校備品の予算によって、本年度は、本土とどういうふうな格差が縮まってくるか。それについて、これは別にお答えじゃなくて、書類でひとつ御提出をお願いしたいと思います。
それから知事は、学校備品の充実と学力の向上についてどういうふうなお考えを持っておられるか。どんな方針をお持ちであるか、お答えをお願いしたいと思います。
それから教育長のほうに質問いたしまするが、備品の積算単価、これは本土と同一になっておるか、差額があるか。それから物価の上昇とドル交換に関して、この備品の単価をどういうふうに処理されておるか。これをお答えお願いします。
それで、ついででありますので、教育長のほうに要望申し上げます。この学校備品というものはこれは国のほうへ強く要求してもらいたいと思うのであります。国の責任においてやるべきだと思います。
それから備品費は、教育予算の中においては優先して増額し、そして早急に本土との格差をなくしていただく、こういうふうな考えで処理してもらいたい。
それから教育は、国と県の責任でありまするが、国のみにたよらずに、自主的に考えていかなければいかぬと思う。すなわち、現場の教員は、自分の給与の場合にはいろいろヨッサヨッサでストをやるんでありまするが、子供のためのこの備品費については、値上げせよとかあるいは少ないとかという一つの文句もない。それで教育長としては、今後この教育備品というものを重点目標に置きまして、これは教員はもちろん、PTAあるいは父兄など大衆を動員しまして、そして学校の要求ストライキでも起こすぐらいの熱意でやってもらいたい。こういうふうな気持ちを持つのであります。
それから3番目は、名護支場の移転整備に関する問題でございます。
この問題は、2、3年来立法院議会でもいろいろ問題になりまして、論議されておる問題でありますので、部長は十分御承知のことだと思います。本員も強くこれを要請してまいりましたが、いまなお現在、これが実現できないことは非常に残念であります。
御承知のとおり、現在の名護支場は、農事試験場としては不適地であります。というのは、都市の中心地にあり、また都市計画を阻害する。また敷地が狭い。しかも、不適地であるということは万人が認めております。そしていまの建物も老朽であるということからしまして70年の6月に、名護支場の移転整備推進協議会が設置されまして、その規則の中で、移転整備の方向が明らかになっております。その移転計画の概要の中で、これは年次計画になっておりまするが、4カ年計画で、1971年度を第1年次とし、1974年度で完成すると、こういう予定になっておりまするが、年次計画の内訳を簡単に申し上げますと、71年度内には、移転整備計画の策定、用地の選定及び買収、第2年次、72年度は、用地買収及び測量、設計、本館の建設、用水及び水道施設、本館の建物の敷地の造成、道路及び排水工事、こういうふうにしまして、第3次、4次と計画されております。それから資金のほうも計画書にありまして、総額で161万2000余を計上しておりまして、72年度において50%を施行する。それから73年度におきましてその予算の30.5%を実施する。それから4年次におきましては19.2%
を実施すると、こういうふうな緻密な計画があります。そういう立場からしまして、私は農林水産部長にお尋ねいたします。
一つ、47年度予算措置はありますか。そして何カ年計画を考えておるか。本土の援助と一般予算の負担はどうなっておるか。本土の援助と一般予算の負担はどうなっておるか。移転計画につきまして、ごく簡単に御説明をいただきます。
まだ時間があるようでありますので、名護市の新市計画の問題についてお尋ねをいたします。
この問題は、名護市は1970年の8月1日に誕生しました。その経過につきましては、詳しく申し上げませんが、市ができましてから、ここに満2カ年になります。われわれ名護市民、5万の市民は名護市が合併すると同時に、この新市計画の事業が実施されることができまして、素晴らしい名護市ができるんだというふうに期待しておったのでありますが、今日まで何ら実施されてなく、全く裏切られたような気持ちであります。
新市建設計画は、これは年次計画で、6カ年計画になっております。71年度を第1年次としてりっぱな計画が主席の許可を得まして立法院でも承認されておるのであります。年次計画の詳しいことは省略しますが、第1年次、第2年次において、政府補助が255万1000ドルの中において、わずかに40万足らずしかこれが支払われていない。そのために毎年議会で、本員は予算要求をし、あるいは要請をしてまいりました。その際に総務局長は、現在の出納長だと考えますが、72年から日政援助を得て必ず実施するんだと公約されております。これまで公約を守らない。何らの誠意のないところの屋良政府に対して、市民も市会も全く失望して、いわゆる政治不信を来たしておるような状況であります。しかも72年度は復帰を迎えて、われわれ市の合併と同時に復帰記念事業としまして、この事業が完成されるように、市民も非常に大きな期待を持っておるのであります。また復帰と同時に、日本政府においても、必ずや名護市の建設計画をやってくれるだろうというところの信頼をわれわれは抱いておるのであります。また50年の海洋博に向かっても、どうしても関連市町村としまして、この名護市建設計
画というものが非常に必要であるという気持ちから、われわれは今度の予算において、知事の決断をもってこの計画を実施してもらいたいというふうな、大きな期待とまた希望を持っておる次第であります。
そういう立場からしまして、私は知事のほうにお伺いいたします。この計画は、本年度から実施される予定でございますか。そして国の47年度の予算の中に、これが計上されておりますか。ぜひやっていただきたいと私は希望を申し上げます。特に復帰記念事業としてまた海洋博の関連事業としてぜひお願いしたいと考えます。その点、よろしくお願いいたします。
いろいろありますけれども、時間の都合がありますので、名護の漁港の問題あるいは名護病院の整備拡充の問題については、連合審査のほうにおいてお尋ねしたいと思います。
終わります。答弁は時間の都合上、ごく簡単にお願いいたします。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
比嘉議員の御質問にお答えいたします。
学校備品の教育における重要なウエートを占める、あるいは学力向上にも非常に効果的に見て重要なウエートを占めるということはお説の通りであります。
この問題につきまして、学校備品は、私の予算説明の中には一つも触れてはないんじゃないかといったような御意見でございますけれども、これは私の説明書の中の「教育環境を一層整備する」という中に一括して含めておるつもりでございます。「教育環境を一層整備する」と、これは、このことばはもちろん校舎あるいは特別教室、雨天体育館、プールといったような施設も含めますけれども、やはり備品もこの中に含まれておりますことを御承知いただきたいと思います。そして今度の予算といたしましては、大体市町村の小中学校のことは、あとで教育長に資料を整えさせてお届けいたしたいと思いますけれども、高等学校のほうは県立でありますからして、県予算にはっきり出てきますが、それは1億4000万予算化されております、備品といたしまして。そしてこれは前年度の5倍になっております。前年度の5倍になって、相当力を入れていくんだといったような、具体的にはそうあらわれております。そしてまたあとでこれは教育長に計画についても御説明させますけれども、力を入れてまいります。教育環境の整備という一環で、そう長い時間を待たずにやっていくというようなことにいたしますので、
そのように御了承をお願い申し上げたい。ことしの文教予算というものは、予算総ワクに対して占めるワクも30数%という非常に上昇しておりまして、この問題は力は入れられておりますことを重ねて申し上げたいと、こう思います。
それから農業試験場の件は部長に答えさせます。試験場移転の問題につきましては。
それから学校備品と学力向上でありますが、このことについては先ほども触れましたように、これはきわめて重要な関係がございます。教師の同じような努力をいたしましても、やはり備品が充実しておりますというと、その努力が2倍にも3倍にもなって、効果となってあらわれてくるということはお説のとおりでありますから、この方面は非常に重大な関係があるということはお考えのとおり私も理解いたしております。
それから名護市の建設計画についてでございますけれども、先ほどもお話がありましたように、1970年の8月1日に名護、羽地、久志、屋部、屋我地と5町村が合併いたしまして、われわれも非常に感謝しておるのでありますが、71年度を初年度として76年度までの6カ年にわたる新市建設計画を策定してその実施に当たっておるわけでございますけれども、1971年度は合併初年度でもあったし、合併実現の8月1日には、新予算は成立していたので、十分な措置をすることはできませんでしたが、1972年度におきましては、日政2億7383万1000円、琉政1億419万4000円、合計3億782万5000円の援助を行なっております。これと合わせて一般財源である交付税の合併補正でも十分に考慮されております。
また復帰後の予算である昭和47年度の予算につきましても、国が2億8324万3000円、県が835万1000円、合計2億9159万4000円の援助が予定されております。一般財源である交付税の合併補正につきましても、復帰前同様、十分に措置するように考慮中でございます。
来年からの措置については、復帰に伴う特別措置法及び沖縄の復帰に伴う自治省関係法令の適用の特別措置に関する政令の趣旨に基づきまして、新市建設計画が十分に施行できるように国に対しても強く要望していきますとともに、県としても積極的に財政措置をしていきたいと思います。
以上でございます。
それでは農林水産部長。
○議長(平良幸市君)
農林水産部長。
〔農林水産部長比嘉行雄君登壇〕
○農林水産部長(比嘉行雄君)
農業試験場名護支場の移転問題に関する御質問にお答えいたします。
お説のとおり、名護農業試験場は、非常に地域が都市化いたしまして、研究機関としての環境条件は非常に悪化しております。また試験圃場も非常に狭うございます。また施設も老朽化いたしておりまして、このような状況下で効率的な試験研究が推進しにくいと、こういうことで県といたしましても、早急に移転整備を考えております。
具体的に申し上げます。昭和47年度予算に計画しておるかという第1問でございますが、これはそのとおりでございまして、当年度からこの移転整備事業を開始いたしたいと存じます。そして昭和51年度まで、5カ年計画で、この移転整備事業を完了したいと、このように考えています。そこで第1年次、ことしは予算措置といたしましては、用地購入費といたしまして、2億8490万円を含めまして、総額2億8734万円を計上いたしております。
そこで、今後の移転整備計画ですが、これを資金計画と合わせて簡単に御説明申し上げます。
47年度、ことしから51年度までの5カ年計画の総額が9億6900万円でございます。まずことしは、先ほど申し上げましたとおり、土地の購入費が2億8490万、それで48年度から49年度まで、いわゆる用地造成、基盤整備、これをやります。これの費用が国庫負担で10分の10、1億6100万円が計画されております。
それから試験場の各種施設費が4億6343万円の10分の10の国庫補助が約束されておりまして、これは49年度から51年度までで完成する予定でございます。その他備品につきましても同様の2分の1の国庫補助がございます。
以上のような計画で、この移転整備事業は完成いたしますが、少なくとも3カ年後には一応ある程度の施設が完了しましたならば、実質的に前もって移転しまして、この支場の今後の運営に当たれることだと、かように考えております。
以上で説明を終わります。
○議長(平良幸市君)
教育長。
〔教育長津嘉山朝吉君登壇〕
○教育長(津嘉山朝吉君)
学校備品の整備充実の問題についてお答えしたいと思います。
1点は、国に要求しておるかということですが、教育の諸条件の格差是正の問題につきましては、非常に重要なことでございまして、振興開発計画、教育の計画として。これは要求してございます。校舎等施設、あるいは設備、備品の充実は、教育の問題につきまして、基本的な重要な事項として考えております。それで5カ年以内に、昭和51年までには本土の水準に達するように要求してございます。これは文部省も十分了承しております。
資金量は、備品だけで約11億を要求しております。教育長は、そのようにぜひ努力せよということでございますが、引き続き努力したいと、こう考えております。
さらに積算単価等につきましては、資料を手持ちでございませんので、資料でお答えしたいと。
前年度予算の執行等の問題、単価の問題等につきましては、これも資料でお答えしたいと、こう思います。
○議長(平良幸市君)
休憩いたします。
午後0時3分休憩
午後1時2分再開
○議長(平良幸市君)
再開いたします。
午前に引き続き質問及び質疑を行ないます。
金城英浩君。
〔金城英浩君登壇〕
○金城英浩君
本員は、知事の施政方針並びにこれに関連する問題について4項目ほど御質問を申し上げます。
まず第1に、教育施策と教育行政について申し上げます。
知事は、「沖縄の開発創造に備えるには人をもってする。」「教育に沖縄の運命を託する」とおっしゃっています。これはしごく当然なことであり、またけっこうなことであって、何人もこれに異存をはさむものではないのであります。
さらに本年度の教育重点施策としまして、学校教育の充実、社会教育の振興、芸術、文化の振興、私学の振興、青少年の健全育成をあげておられます。これは琉球政府が創立以来、教育行政の基本的な重点政策でありまして、何も屋良知事が新しく取り上げられた問題ではないのでございます。
そもそも沖縄の戦後の教育は、27年にわたって異民族の支配にありながら、しかも、廃墟の中から立ち上がりまして、よく今日の程度まで引き上げました。これは県民の教育に対するところの教育尊重の理念と、また教育関係者の努力と、並びに特に教育行政におけるところの教育の中立、政治的中立、こういったようなものがその原動力となったと考えます。さらにその背景においては、異民族支配にありながら、わが国の、本土の教育法と全く同じ内容の教育法規を実施したという点であります。このようにして沖縄の教育は、現在の程度まで引き上げられております。もちろん格差は相当ございます。けれども、最近におけるわが沖縄の教育の現状を見ました場合に、特に屋良知事がその基本政策、就任のあいさつに、県庁職員に配られたところの就任のあいさつの中のパンフレットにその教育に対するところの基本姿勢、政策というのが盛られているのでありますが、これを見ました場合に、どうも知事の教育に対するところの基本姿勢というものが左翼的イデオロギーに固まったところの日本教職員組合の流れをくむ沖縄教職員会の路線をそのまま知事の教育に対するところの基本姿勢としてとっておられる点
に問題があると考えます。
その1、2の例を取り上げてみますと、中教審の路線に対するところの反対、あるいは教育委員会制度の公選制を守り、それを守る基本姿勢を貫く、そのほか例をあげますとありますが、まずこのような姿勢というものは、これは全く沖縄教職員会の教育に対するところのイデオロギーをそのまま知事がとっておられると思います。
ところで知事は、まず憲法並びに教育基本法に沿う教育を行なうとおっしゃっています。これは当然のことでございます。ところが現実の沖縄の教育はどうでしょうか。憲法に反するところの教育あるいは教育基本法に反するところの教育が実施されているところもあります。その1、2の例を指摘して知事の御見解をお伺いしたいと思うのであります。
まず第1に、11・10ゼネストあるいは5・15ゼネスト、そのほかたびたびの10割年休、5割年休、これは公務員法に反し、また教育者が全体の奉仕者として、まじめに教育をやる行為に対し、違法行為をあえて一方的に行ない、憲法に定められているところの児童生徒の教育を受ける権利を踏みにじっているところの事実であります。ゼネストの際、前日子供たちに対して休校を言い渡します。あるいはそれを聞き落とした子供たちが教育を受ける権利を行使し、教育を受けに学校に行った場合に、門前においてこれを家に帰すと、こういったような事実はどうでしょうか。子供たちが教育を受けるところの憲法に定められた、すべての国民は教育を受ける権利を有すると、この子供たちの基本的な権利を教職員会の一方的な違法行為によって踏みにじっているところの事実を何と見ようか。この事実は、明らかに憲法に反するものだと本員は考えるが、知事は、どのようにこれをお考えになっておられるか。また教育基本法には、その第10条において、「教育は、不当な支配に服することなく、住民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである。」と、このように規定されております。
ところが、現実の沖縄の教育の中には、教職員会の一方的な考えによって、いまのように教育委員会が定めたところの学校の授業時間等をかってに変更し、これに対して不当な支配を加えているのであります。不当な支配とは何か。これは政治的支配もありましょう。また思想、イデオロギーを押しつけるところの支配もありましょう。組合、団体の圧力、支配、これもありましよう。このように現在の沖縄教職員会の教育に対するところの不当な事実はおおうべくもないと思うのであります。知事は、このようなことに対してどうお考えであるか。
次に、地方自治団体におけるところの教育行政は、御承知のように、地方教育行政の組織及び運営に関するところの法律によって地方自治団体に行政委員会として教育委員が置かれて、これがつかさどることになっております。その中において、教育委員は、地方自治団体の長が議会の承認を得て任命することになっています。これは厳然として、わが国の教育に関するところの行政組織の基本になる法律として残っています。知事は、このような国の定めたところの、教育に関するところの法規を、法律を守ることなく、教育委員会委員の公選制を守る姿勢を貫こうとおっしゃっています。
しからば、沖縄だけに教育委員の公選制をしこうというお考えであるか。その基本的な姿勢をどのように、具体的にはどのようにして貫かれようとされるか、この点をお伺いしたいと思います。
次に、中教審路線に反対するとおっしゃっています。御承知のように、わが国の教育が明治初年及び第2次世界大戦において改革を見、27年余り実施されています。けれども、時代の急激なるところの変動に即応するところの教育を行なうためには、何としても学校教育をはじめ、もろもろの教育制度を改革せねばならないということで、昭和42年7月、中央教育審議会にわが国の教育改革に対するところの諮問が出されています。これらの委員の方々は、御承知のように、東京大学学長の大河内先生などをはじめ、学者あるいは教育行政、実践家、報道、実業家、評論、わが国の各界のエキスパートをもって組織し、回を重ねること240回、そのうちには特別委員会159回、小委員会72回、公聴会を開くこと5回、また諸団体から意見を徴すること72団体、総会を開くこと10回、慎重に慎重に審議をされてわが国におけるところの教育の改革の方向を示しているのでございます。
そこで知事にお伺いいたしますが、中教審の路線のいかなる部分に対して反対か、全部反対なのか、部分的に反対なのか、この点をお伺いしたいと思います。
教育に関する問題についてはこの程度にいたしまして、次に、先島の過疎化問題と産業基盤の整備につきましては、小底議員、盛島議員の質問によって大体了解をしましたので、干ばつの対策に含めて申し上げたいと思います。
昨年襲った先島の干ばつが、まことに未曾有なものであり、その被害は推計1000万ドルをこえるところのものでありました。先島の住民は、昨年疲弊こんぱい、生活が困窮におちいり、まことに惨たんたるところのものであったことは知事もなお記憶に新たなことだと思います。行政府時代に緊急対策として計画の4割程度の足らない予算をもって、瀕死の重病人に対する一時的な延命策みたいな対症療法をごく申しわけ的に実施し、先島の住民は不満と政府に対するところの不信を持っておったとは事実であります。
さらにこれに関して、先島の干ばつの被害というものは、昨年1年で終わるべきもんではなくして、むしろことしがたいへんであるということは皆さん御承知のとおりでございます。試みに71、72年度のサトウキビの収穫を宮古を例にとってみた場合に、わずかに平年の8%、その価格は、金額は農家平均192ドル、多良間村のごときは4ドル、まことに惨たんたるものでございます。ために、特に農民は、もう農業ではだめだ、農業では食えない、離農し、畑地を手放して沖縄本島や他府県に行っている人も相当あるのであります。農政はどこにあるのかというような声はまことに先島住民の間に、いまなお叫ばれているのであります。
そこでお伺いをいたします。昨年緊急対策として行なわれたところの金額、措置というものは、まことに、これは焼け石に水を注ぐようなものでありました。そこで県とされては今年度、どのような対策を講ぜられようとするか。なお、恒久対策として、もっとも先島の住民がこいねがっているところのものは、産業基盤、特に畑地かんがい施設の整備拡充でございました。日本政府の援助によって、3万8171ドルがかんがい施設の整備調査費として計上されました。これは石垣島、多良間島の地形測量、石垣島、宮古島の土質調査等、これをすることになっていました。これがどのようになっているのであるか。今後、先島の住民が熱望しているところ畑地かんがい施設の基本整備というものを今後どのように進められようとするか、これをお伺いしたいと思います。
次に、さらに関連いたしまして農政を抜本的に改善し、農業でも食えるんだと、文化的な、豊かな生活ができるような農政をどのように実施されようとするか。特にいまいろいろのサトウキビやあるいは養蚕団地、蔬菜団地をやろうと計画しておられますが、あるいは肉用牛の振興というようなものでも、あるいは肉用牛の振興というようなものでも、これはいかにして生産しても流通機構の整備というものがとられなければならないのであります。知事は、大型の冷凍庫をつくられようとおっしゃっておりますが、大型冷凍庫をつくることもたいへん必要なことでありますが、それと同時に、いわゆる輸送機関の整備というものが大切でございます。われわれが昨年、一昨年来主張しているところの本土、沖縄、宮古、八重山を結ぶところの国鉄快速船の就航を実現するということが一番大切なことであります。このようなことに対して、知事は、どのように考え、また実現されようとされるか。この点をお伺いいたします。
次に第3点は、土地の買いあさり、それから買い占めの問題でございます。
観光産業開発に名をかりて、最近本土企業資本家が沖縄の土地を、農地を含めて、あちらこちら買い占めているという事実があります。宮古の例をとってみますというと、確実な面積の把握はなかなか困難でございますが、下地町100町歩、平良150、また城辺が150、計400町歩程度がすでに売り渡されてあるということを聞いております。法務局宮古平良支局の登記件数は、年々、毎年5552程度ございますが、ことしはすでに昨年、例年の件数を500も上回っているということであります。それには土地の売買移転の件数が相当あると聞いております。いま城辺町の裏城辺と申しまして、東海岸から北海岸に至るまで約10キロ余りの町有地がございます。これがある企業に売買されております。この中には、町民によるところの小作農地がございます。このようにしていま問題を惹起しているのでございます。真に観光施設をつくるために、土地を買うことは、これはまず協力するとしましても、宮古においては海岸地帯、特にいわゆるながめのよい景勝地、これがほとんど売られているということでございます。いまに宮古は、海岸地帯は全部資本家や企業に売り渡されて、島の人々は中に押し込められ
ることになるであろう。砂も使えない、海水浴も十分はできないだろうと、このように心配をされております。
このようなことに対して、現在、いま農地法が適用されております。農地は、農業者及び農業法人のみが取得することができるわけでございます。このようなことは農林大臣の承認を得て、知事が許可するようなことになっておりますが、知事は、このような事実を御存じであるかどうか。もしお知りであるならば、これに対してどのような措置を講じられようとされるか。いま観光行政を、観光政策を推進するにしてもあるいは県の考えていらっしゃる農政を進める面からも、このように一部の資本家やまた企業家に、ただ安いからというように買い占められるということは大きな問題であります。このようなことに対するところの、どのような措置を講じられるかということに対する知事の御見解をお伺いしたいと思います。
次に、地下資源の開発についてでございます。
知事は、主席時代、70年、71年度に石油開発、それから天然ガスの開発についてメッセージに取り上げられ、また予算化されました。けれども、現在は全くこれに対するところの政策というものがあらわれていません。これに対して知事は、どのような御見解を持たれるか。またこのような資源開発について今後どのような方針で臨まれようとされるか。
以上の点についてお伺いいたします。
質問を終わります。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
いまの御質問にお答えいたします。
教育行政の面につきましては、基本姿勢ということでございましたけれども、私はやっぱり憲法あるいは教育基本法に示されておるその理念に沿って施策を進めていき、また教育の目的あるいは方法、教科課程というようなものを実施していくべきものであると思っております。
それから中教審路線とかあるいは公選制を守るということについての御質疑がありますけれども、私はやはり教育基本法の精神が教育は、県民に直接責任を負うて行なうべきであるといって基本理念が示されておりますからして、その理念を追求していくというと、やはり中央教育委員という、県の教育委員というようなものの公選制は、その教育基本法の理念に沿うものであると思っております。沿うものであると思っておればこそ、これは沖縄の教育委員会公選制も堅持し、かちとってきたわけでございます。そこで今度復帰することによって、これが他府県の例にならって、任命制に切りかえられていくということです。そしてそのときに、姿勢を堅持して、沖縄だけでこれができるかと、沖縄だけではこれはできないと思います。したがいまして、この姿勢を堅持しながら、われわれとしては、この主張を、どうもわれわれの世の中には、こういうようなこともありまして、われわれは、こういう方向を持っておりながら、その姿勢のとおりの実現が行ない得ないようなこともいたし方ない面もあるわけでありまして、この教育委員会制度というものは、沖縄ばかりでなくして、国の機構の中においても、これには非
常に批判的であり、公選制にすべきであるということは、非常に強く根に私は流れておるものがあると思いますので、そういったような意味合いで、これは国全体として、そういうような方向を確立できるような、そういうふうなことしかできないと、こういうふうに考えております。
それから中教審路線に反対すると、これはいま非常に先ほどおっしゃったように、非常に検討されてはきたでありましょうけれども、検討されてきたからといって、問題がないのではなくして、問題は多い。そうして、あっちこっちでこれに対する批判があるわけであります。たとえば、どういうことが反対かというと、教育の国家統制するような面があるとするならば、これは反対しなければならない。教育が国家統制されすぎた結果がどうなったであろうかということは、お互いがこの太平洋戦争を通してよく経験するところでございます。だから、教育の国家統制というようなことがあれば、それに反対しなければならないし、平和と民主教育を推進するということは、これはだれも否定することはできないと思うのでありますので、したがって、その民主教育を基本政策とするからには、教育に対する権力の不当な干渉や支配あるいは管理権を強化してこれを監督するというようなこと、強化してこれを監督するというようなこと、強化されるというようなこと、そうするというと、これは教職員の自主性というようなものをそこねる。教職員の自主性というようなものをそこねるというと、教育の創造性というものを
そこねる、画一的なものになるわけであります。あるいはまた中教審路線には、いわゆる能力別にこれを、教育制度を打ち立てようとする面もありまして、したがって、能力によって差別するといったようなものも十分検討されていかなければならない、こういったような問題が、なおあるやに思っているわけでありまして、そういう意味に対することを言っておるのでございます。
それから干ばつ対策ということにつきましては、これは何もしなかったと、こういうふうに言ってきめつけておられますけども、確かにあのおそろしい宮古、八重山の9カ月、10カ月にわたる大干害に対しては、これはどうやってもこれで足りるということはない。われわれも非常に頭を悩まし、やれるだけのことはやったつもりでございます。当時の立法院も、何回もごらんになって、またやれるだけの努力をなさった。私たちは乏しい当時の琉球政府の財政であとう限りのことはやったし、できないのは国に持ち込んで、何とかしてもらいたいというて、大臣までも来てもらって、このことはやったつもりでございますので、確かにやったことに対して焼け石に水と、こう言われますというと、それはもう否定はできないぐらい被害は非常に大きかったわけでございます。そこで、この問題につきましては、農林水産部長にいま簡単に答えさせますから、そういうふうにひとつ御理解いただきたい。
それから土地の買い占めということでございますけれども、近年、金融経済の動向を反映して、全国的に土地取得を目的とした不動産投資が問題になっておりますが、沖縄においても特に海洋博等の大型プロジェクトをきっかけにいたしまして、土地の売買がなされ、将来の計画的開発が阻害されるんではないかと金城議員が言われたように懸念される向きがあるわけであります。
県といたしましては、関係市町村等を通じて、土地の売買には慎重を期するよう協力を求めているところであり、また振興開発計画で土地の長期利用計画を策定する中で、関係者に対し、行政指導を進めている実情であります。しかし、自然環境の保全や観光開発計画との関連する地域については、自然公園法の区域拡張、または県立自然公園条例の制定等により、自然保護の強化をはかるとともに、地主の協力をここにいま切望しつつ行政を進めておるわけでありまして、仰せのとおり非常にこの点は心配になるところでありますけれども、そういうことにおちいらぬように、自粛自戒、また市町村当局とも協力して、自主的にこの問題は解決の方向に向かいたいと、こう考えております。それでは農林部長、ちょっと。
○議長(平良幸市君)
金城英浩君。
○金城英浩君
時間がないようでございますので、文書でいただくことにいたします。
それから地下資源の問題についても、その後の経過措置等を文書でいただきたいと思います。
農林水産部長の干害対策についての説明は文書でいただくことにいたしまして、連合審査会でひとつまた答弁をお願いしたいと思います。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
そういたします。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
〔平良一男君登壇〕
○平良一男君
歌の文句ではないけれども、しゃれた文句に「地方自治体の区長は苦労する。村長は損する。知事はユクンチジだ。」とありますが、まさにそのとおりであります。
本員は、時間の制限がありますので、問題を琉球政府時代のずさんな陸運行政の一点にしぼり、質問をいたし、残りは連合審査に回します。
知事、とかく権力の座にある者は、絶えず批判の対象になるのは常であり、批判があって前進あるのも百も勝承知だと甘んじたらいけません。ことわざにも前轍を踏むなとありますが、いままで同じ問題について、前者誹謗批判してきて、立場が違っても、また同じことを繰り返し、かえって悪い結果を生むようでは、それこそ前者よりなお愚か者だと言われても言い過ぎではなかろう。これが今日まで陸運行政を取り組んできた屋良政権であり、なおまた、知事を取り巻く支援団体の行動でもあったのでございます。このことは、先日わが党の盛島議員のタクシー増車の質問に対し、当時の赤嶺運輸部長の答弁でもおわかりのとおり、運輸審議会にも67年にもちまして、それを基礎にして、いかにも当を得たような言いぶりだったのでございますが、言いのがれで、ナンセンスな答弁だったのでございます。
御承知のとおり、67年といえば、いまから4、5年前です。日進月歩の世の中で、あの時点と今日では人口の推移、車両の増加、町の形態等180度の変貌を見ております。しかし、その当時は、保守政権時代のときで、革新政府屋良政権になってからは、増車についての聴問も、公聴会も、運審も一度も開催されず、その場限りで、自分かってに増車やったのが今日のタクシー増車の実情でございます。これこそ、政治の私物化であって、何をさして政治の私物化というのか疑問に思うのでございます。
また知事は、施政方針の冒頭で、常に県民との対話を深め、その声を県政に反映せしめ、真の地方自治体を築いていくと、でかでかと打ち上げておりますが、これでは言うことなすことがまる反対で、矛盾だらけで、先が思いやられるのであります。
本員は、立法員時代の総括質問の際にもタクシー増車は、業者の声も、県民の声もあらゆる各界、各層の意見も聞き、慎重に取り計らってもらうように要請しました。というのは、あの当時、八重山業者代表から、いま増車されたならば既存業者がたいへんなことになる。いまでも実車率が45・6%で、特に、また南西航空が欠航するときには30%以下にも下がる。また南西航空が欠航するときには30%以下にも下がる。また知事選挙も間近に控えておるし、一部の人では、屋良さんが勝てば、あなた方に新免をやるからとの風評も流れておりますので、増車には絶対反対ですとの陳情があり、また政府は、全軍労の離職者対策として新規免許を交付するとの計画だというが、失業対策としてタクシー免許を与えるということは原則的にも間違っておるが、いまの革新政府ではやりかねないので、本員は、それでは民間企業等の離職者、たとえば通関業者等はどうなるのかと、同じ県民で、憲法にも照らし、ひとしく公平に取り扱うよう強く要請しました。しかし、ふたをあけたならば、全軍労だけ30台やって、残りは全部ぱーです。
本員は、そのときにも何社申請があって、その会社名と代表者名を質問いたし、1、2社聞きましたが、時間がなかったので、後ほど資料提出をお願いし、了解を得たのでありますが、今日までなしのつぶてで何一つとも送っておりません。全く議会無視もはなはだしいのでございます。明るい沖縄をスローガンに打ち立てておる屋良政権が、くさいものにはふたをせよというようなことをみずから行ない、何で人から疑われるようなことをやるのか、与党の議員の方々もさぞかし困惑しておるものだと推察しております。
政府が認可した全軍労タクシーは、軍の離職者対策は表向きで、運転者も既存業者の1、2会社から引き抜いて運行しておるのが実情でございます。このことは、新聞にも、このようにはっきりと出ておるのでございます。今度の増車については、政府の確固たる方針がなく、二転三転業者に先を見透かされ、笑止千万の種になっております。
それは第1に、与党連絡会議で、与党議員の方々と政府の意見が合わなかったとのこと、それで5月11日に業者代表は政府に呼ばれ、今回の増車は見合わすようになったから増車はやりませんとの通達を受けておる。しかし、また一夜明けてすぐ翌日の5月12日には、今度は増車をやるからとの通達を受け、すぐまた翌日、5月13日には個人のタクシーと法人にタクシーを認可しておるのが現状でございます。明らかに官僚特権をフルに活用し、我田引水、党利党略にのっとったやり方で、全く火事場どろぼうと同じで、これこそまさに食い逃げ増車だ。これが革新政府のやり方かと思うと情けなくチルダイします。これまでは序の口でございます。
政府は、沖縄の夜明けと琉球の日暮れの分かれ目であるせとぎわに、琉球政府最後の最後の5月14日の晩、しかも、あと1時間せば復帰というぎりぎりの午後11時に、一般小型貨物自動車運送事業と琉球政府創設以来はじめてのハイヤー業7社を認可しております。私の調査に基づけば、小型運送免許は84名が認可され、34名が認可から除外されております。今日まで、同じ免許を持って、同じ条件で運行をしていたのが、何で34名除外されたのか全く常識からは考えられないことでございます。また、小型運送は昭和46年6月1日法律第96号で改正され、軽自動車の貨物運送が届け出制になっておりますので、100台でも何百台でもいまは可能なことでございます。このことはすでに、このように新聞に運送業界、貨物出現で混乱、ガードマンを雇い、互いに監視し、いがみ合う新旧組合、県はそのことに対して法的規制がなく傍観していると、でかでかと報じられております。
また、沖縄で初めてハイヤー業も中身を調べたら7社のうちに2社が10台ずつ、あとの5社はおのおの5台ずつ認可されております。企業の合理化合併が叫ばれておる今日、はたして実際に10台や5台で、しかも、ハイヤーオンリーの事業が成り立つのかと不思議なぐらいでございます。ただ全軍労に30台をやるためには、その抱き合わせで10台や5台も馬のくそをたらすみたいに与えたような気がするのでございます。
そこで、質問の第1点、何ゆえに小型運送免許をこんなにしてまで与えなければいけなかったのか、その理由。
2点、小型運送免許は、全部に認可せず、なぜ34名残したのか。
3点、ハイヤー業を実際に5台、10台で経営できるものと思って認可しましたのが、その3点を明確なる御答弁をお願いします。
終わり。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
ただいまの御質問にお答えいたしますが、運輸行政につきましては、いまは国の管轄下になっておりますが、いまのいろいろの御批判の中にです、政治を私物化しておるとか、党利党略とかあるいはいろいろこの屋良が勝てばどうするとか、こうするとかいったようなことがありますけれども、これは、私はそういうことは全然党利党略、そういうものとは関係はないということははっきり申し上げるつもりであります。やはり、皆さんともお約束いたしましたように、やはり、清潔な政治、行政というようなことは、これは非常に大事に考えておりますが、こういう大事な行政はですね、そういうようにからましているのではないかというような疑惑めいたおことばがありますけれども、そういうことは毛頭ないということをはっきり申し上げます。それでです……。
○平良一男君
ちょっと質問の趣旨が、私は時間の問題でですね、タクシーの問題は質問してなく、小型運送免許……。
○知事(屋良朝苗君)
だから、答えます。答えますけれども、しかしちょっと私として……。
○平良一男君
再質問しますよ。
○知事(屋良朝苗君)
一言言わなければならないようなことですから、そのまま聞き逃すわけにはいかないから、そういう立場は言っておかなければいかぬと思います。
それでは最後の御質問です。これは当時の通産局で取り扱いました。いまの企画部長、当時の通産局長の喜久川君にここで簡単に説明させますから御了解ください。
○議長(平良幸市君)
企画部長。
〔企画部長喜久川君登壇
○企画部長(喜久川宏君)
御質問3点ございますが、その前の前提として、一般の当時の業務用運送の車についての一般的な事情をちょっと触れておきたいと思います。
67年の運輸審議会以降増車が全然なかったわけでございまして、復帰直前になりまして、業務用の運送車について需要が高まり、それにかかわる申請がなされたのでございます。当時、琉球政府としましては、この種の業務用乗用車、これについての一般的な状況分析を行ないまして、ほぼ3点から増車すべきだということを結論づけたのでございます。
第1点は、復帰前後の業務用乗用車についての需要の増加、これが確実に見届けられたこと。それから第2は、この種の業務用乗用車について、本土の方向がほぼ需要があった場合には、ほとんど自動的にこれを認めていくと、いわゆる自由化の方向が長期的にではありますが、打ち出されたということ。第3点は、業界及び既経験者の強い要望があった。こういった3点ほどを総合的に判断しまして、当時、1500台の増車ワクがあったものをほぼ500台以下のワクでこれを認めようということで、増車を実行したわけでございます。
次は、御質問の3点でございますが、小型運送免許をなぜ行なったか、これは御指摘のとおり、復帰後になりますと、単に届け出をするということで軽自動車及び小型運送業務のほとんどが認められることになりますが、これを特に復帰前に処理したことにつきましては、当時の申請者が琉球政府の時代におきまして、いろいろ苦労した末、この小型運送の免許を確保したんだと、復帰後においても、この種の苦労を一応自分たちの納得のいく範囲で確保しようと、そういう事情もございまして、強い要望がございまして、で、これは、別に免許を与えずとも、復帰後は一応届け出によって許可が認められるので、そう制度的に大きな混乱、違いは生じないというような判断からこの小型運送の免許を出した次第でございます。
第2番目、なぜ34名残したかということにつきましては、この申請の方々が次第にふえまして、それで復帰時点までに、どうしても必要な書類が整わないあるいは必要な手続がなし得ないというような方々が出てしまいまして、この方々が34名ほど残ったわけでございます。
第3点、ハイヤーは実際やれるということで認可したのかということについてでございますが、確かにおっしゃいますように、現在の企業経営では、ある程度適当な、適正な規模がなければ労務費、その他コストに引きずられまして経営がなかなかむずかしいと、そういう状況はございます。そういう点で、沖縄におけるタクシー保持の適正規模がどの程度かということをいろいろ検討はしたわけでございます。しかし、これまでにタクシー業務についての実績もございませんでしたし、またこの申請者の意向など、そのほか関連する業務用乗用車の事情などを総合しまして、一応現時点では、この程度の認可規模でよろしいだろうということで、2社に10台、5社5台ずつの25台、合計45台の免許を交付した次第でございます。以上。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
前の通産局長の喜久川さんの説明によりましても、あまり納得がいかないのでございます。
2番目の小型運送免許の34名を残しておるというのは、いま現に運輸部のほうで聴聞をしておるということを聞いておりますが、その真意はいかがなもんですか。
○議長(平良幸市君)
企画部長。
〔企画部長喜久川宏君登壇〕
○企画部長(喜久川宏君)
総合事務局の運輸部からは公式な御連絡はございませんけれども、琉球政府から総合事務局への引き継ぎとして、こういった取り残しの件数につきましては、よろしく善処していただくように、で申請者の要望を十分くみ取っていただきたいというふうな趣旨の引き継ぎをしてございまして、その処理の状況については、正式な御連絡を受けてございません。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
いま運輸部のほうでは聴聞を開こうということははっきりわかっていないと言いますが、いま、やりつつあります。しかし、ここには、また難問題を控えまして、トラック協会のほうからしわ寄せがくるので公聴会を開いてくれと待ったをかけております。なぜこういう混乱を招くことは予想しておりながら、復帰時点において、知事は県民福祉を優先にしておりながら、この34名に不利益を与えたか、万が一この34名が永遠に免許を失った場合、一方の業者はすでに免許を受けて3カ月有余にな
る、この34名が屋良政権に行政訴訟を起こし、損害賠償を訴えたならば知事はどのような措置をとるか、伺いたいのでございます。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
不利益を与える意図でやっておるのではないと、そのいきさつ、経緯については前通産局長の喜久川氏からいま説明があったとおりでございます。そして、この問題については、先ほど喜久川部長から言っておりますとおり、善処するように要望をしておると。また、この人々は引き続き仕事はいま聞くところでは、技術的なことは詳しくは私はわかりませんけれども、仕事はできると、こう言っておりまして、その人々をしいて、そういう立場に立たすためのこれは措置ではないということを申し上げておきます。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
知事は、不利益を与えてないと答弁なさっておりますが、現に不利益を与えておるじゃないですか。軽自動車だったならば、届け出制でいつ何どきでもできる。この34名というのは、じゃ届け出制だったならば、何で運輸部と関係ありますか。聴聞会とも関係ないんじゃないですか。すぐ届け出制で運行できるんじゃありませんか。その点を伺いたいのでございます。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
ただいま申し上げますように、復帰前にやっておいた仕事は、復帰後も続け得ると、こういうことを言っております。続け得るわけでありますから、不利益は与えておらないと、こういうふうにいま言っております。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
知事、その場でけっこうです。
こういうぐあいにして復帰もスムーズにいかない。一部の業者に対して完全に現在不利益を与えておる。しからば、ずっと前に、復帰時点において、全部公聴会を開き、運審も開き、何ゆえに業者を納得させ、県民も納得させてりっぱな陸運行政ができなかったのか、この原因は何ですか。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
○知事(屋良朝苗君)
運輸審議会の答申も前にあったわけであるし、そしてその問題は、ただ一時の思いつきじゃなくして、いろいろ研究、検討された結果であると、そして、あの当時においては、その道が一番適切な道であると、こういうふうに判断された行政だと、こういうふうに考えます。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
ちょっと、いまの答えはあいまいな答えですが、この小型運送免許と運審と関係あるんですか。せんだっての赤嶺次長の答弁によりますと、運審は67年の自由民主党時代の運審を基礎にしてやったと、はっきり答弁なさっておるんじゃありませんか。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
○知事(屋良朝苗君)
ちょっとそれ、小型の免許は別のようであります。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
知事、はっきり聞いてからりっぱに答えてください。もとの赤嶺運輸部長の答弁と知事の答弁とあいまいです。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
〔総務部次長赤嶺武次君登壇〕
○総務部次長(赤嶺武次君)
小型免許については、運輸審議会の答申とは別です。タクシーについてが運輸審議会の答申の結果でございます。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
知事、その席で答弁なさってもけっこうですから。
次に、進みます。ハイヤー事業を7社認可しておりますが、前の赤嶺運輸部長でもけっこうです。すぐ会社名、出身名、台数、答弁願います。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
〔総務部次長赤嶺武次君登壇〕
○総務部次長(赤嶺武次君)
実は、これは国の事務となっておりますので、復帰直前に陸運課から国の機関に引き継いでおります。したがって、その明細な書類をこちらに持っておりませんので詳しくは申し上げられません。先ほど企画部長がお話したように、2社については10台、それから5社については5台ずつという程度の記憶しか持っておりません。あと、どういった会社名か、それは資料によって提示して、提示することもいまのところできかねます。沖縄総合開発事務局の運輸部の陸運課で所管しております。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
わかりました。前の赤嶺運輸部長、そんなにあいまいなむつかしいような答弁はしなくてもけっこうですよ。わずか7社しか認可与えていない。これを中頭郡か、島尻郡か、都市地区か、それをわからないとなればもってのほかだ。そうだからこそ陸運行政は今日まで、まずい行政をやっていたというのが実証のあらわれである。琉球政府時代において認可を与えておって、何をいま国家事務にいっておるからと逃げ口上をやってからに、県民はだまされませんよ。
じゃ、私がちょっと言いますが、出身がわかりませんので、そこだけ答弁願います。
中部から何社ですか。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
○総務部次長(赤嶺武次君)
私の聞くところによりますと、中部は2カ所じゃなかろうかと思いますが、ちょっと詳しいのはあとで御報告したいと思いますが……。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
あえてそれほどまで私は究明はしませんがね。わずか7社を認可しておって、これがわからぬということは何をかいわんやですよ。これはいまからでも資料でも配付できますか。この7社について。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
○総務部次長(赤嶺武次君)
調べた上、報告します。
○議長(平良幸市君)
平良一男君。
○平良一男君
早目に資料提出願います。では知事…。
○議長(平良幸市君)
休憩いたします。
午後2時8分休憩
午後2時9分再開
○議長(平良幸市君)
再開いたします。
平良一男君。
○平良一男君
早目に願います。その場でけっこう。
知事、ほんとに企業の合理化、合併を叫ばれておる今日に、ハイヤーの5台、10台で実際運営できるか。あなただったら実際にできるか。それを非常に私は不思議に思うのでございます。といいますのに、ハイヤーは車種が2000cc以上、これはすなわち中型以上、大体94万円。またそれにつきましてはクーラーもいれなければいけないとなると約15万円。流し稼働も全然できない。そしてまた来る11月運行開始だということでございます。ここで問題は、運賃設定もまだしてない。運賃も策定してないで認可したのはどこの県をさがしてもなく、わが沖縄県だけじゃないかと私は思います。その七つの業者の中には、申請書の中に、はなはだしいのは運賃申請もしてなかったということでございます。こういうずさんな業者に対して認可したのは明らかに屋良政権の無能力と言われても過言ではないでしょう。
以後、こういうことがないように要請して質問を終わります。
○議長(平良幸市君)
小橋川朝蔵君。
〔小橋川朝蔵君登壇〕
○小橋川朝蔵君
質問を始めます前に、去る土曜日に急いで本会議を切り上げましたのは、水害が恩納村にあったからでございまして、いち早く私も行きましたけれども、金武の伊芸部落、安富祖部落、名嘉真部落、3カ部落を回りまして、知事もお見舞いを視察をかねて行かれたのでございますが、この席からたいへん要領を得ませんけれども、早急な災害に対しての援助の手を差し伸べていただきますようにお願いいたします。
かねて通告がありましたように、私は観光問題にしぼりまして、自分の見解を述べながら質問を申し上げます。
知事が、提案事項の説明書の中に、観光はたいへん重要な産業であり、そして買いもの、自然、特有な文化が沖縄観光を誘発する原因であると唱えて、そして観光立県を唱えられておりますことにつきましては敬意を表します。
ところが、知事のこの提案事項の説明書を見る限りにおいては、知事は、観光の本質を見失っている面があるように見受けられるのでございます。
元来、観光というのは、ブルジョア産業であり、ひまと金のある人々が、あるいは桜を見に、あるいはまたモミジを見に出かけていって酒を飲み、女と戯れて遊んで帰ってくる、こういったような行為が観光であるというふうに解釈されておったのでございます。
ところが、1967年に、国連において観光年間を打ち出して、「観光は、平和のパスポートである」と、宣言して以来、各国では、この観光をたいへん重大視して、見直してきたのでございます。
日本におきましても総理大臣は、観光開発審議会に対しまして、日本における望ましい観光とはどんなものであるかという諮問をしてあります。それに対しましての答申書を一部、二部に分けて読んでみますというと、観光というのは、鑑賞、知識、体験、活動、休養、参加、精神のこの七つの目的のために、常日ごろ生活圏を離れて行為する一切の行動ということに定義されております。
そこで、知事の言うところの観光産業、すなわち買いもの、自然、特有な文化で外国からいわゆる観光客を呼んで金もうけをするということは、本来、その国におけるところの観光問題のかぎであって、沖縄における観光活動人口、すなわち、100万人の県民の中の7分の5に当たる約72万人の勤労大衆の観光活動人口に対するところの、この観光事業に対する答えにつきましては、提案事項のどこにも説明を受けていないわけでございます。そして、こういったような沖縄県民72万人の観光活動人口が要求する観光需要にこたえるものが観光産業であり、72万観光活動人口の活動が観光の光であって、その光にこたえて陰の方向となってあらわれたのが観光産業であるということを考えてみるというと、知事は、もう一度観光問題を掘り下げて考え直す必要があるんではなかろうかと思います。
そこで、知事の言う目に見えない貿易としての観光産業、これは沖縄におきましては、先導的役割りを果たすものであると称賛されておりますけれども、これは国際観光の分野から見た場合にはそうであるかもしれませんけれども、地域観光の発生しないところに国際観光はなく、沖縄県民の遊ぶところさえ充実されないところに、国際人を呼ぶわけにはいかないのでございまして、そういった配慮が全然この提案事項にはなされていないのでございます。
そこで私は、知事に向かいまして所見を述べさせていただきます。
知事は、その提案理由の中に、自然を守る項目の中に、14ページでございますが、その中で、沖縄には観光資源があると、恵まれていると書いてあります。その恵まれていると思うところから、そもそも沖縄の観光の原点が間違っているわけでございます。沖縄のどこを見回しても沖縄は観光資源に恵まれておりません。
まず、その地域に来て、この地域は観光地であるかどうかということを評価するためには、沖縄に単独価値があるかどうかということを見きわめなければなりません。ハワイにおけるところのキラウェア火山、そしてラハイナ、マウイにおけるところのハイヤカラ、日本における富士山、別府におけるお湯、そして鹿児島におけるところの桜島、そういったような単独でお客を呼ぶ価値が沖縄にあるかというとありません。しいて求めるとするならば、サンゴによってつくられましたところの海中景観の神秘のみが沖縄におけるところの観光評価をするときの唯一の資源でございます。
だから、これは海洋博によって醸成されていくかもしれませんが、こういったような沖縄は観光資源に恵まれていないというところの発想から沖縄の観光の問題を考えていただけなければなりません。たとえば、宮崎県黒木知事は、周囲は熊本に阿蘇山がある、別府にお湯がある、そして鹿児島には桜島がある、わが宮崎県は何にもないという皆無の確認の上に立って、ああいった日本一の観光県を作り上げていったのであって、恵まれているという幻想に立つというと、全然沖縄の観光は発生しないわけでございます。
知事も言われておられるように、沖縄は、戦前すばらしい自然があったことを思い出す必要があります。そこで私は、宮崎県と比較することは、ある意味において当を得ないかもしれませんけれども、知事の観光政策の中で、極端に言えるものは、まず予算がない、予算を計上してないということでございます。その次に知事に意欲がないということでございます。それからその次には、知恵がない。この三つのことについていまさき申し上げたものを踏まえて質問をいたします。
そこでメモがわりに先日からたいへんお疲れのようでございますので、メモがわりに、ここに当事者にこれをお上げしておきますので、これに目を通してください。私は、これは宮崎県と沖縄県の観光予算の比較表をいま知事に手渡したところでございます。
まず宮崎県の観光予算は、宣伝制作費が714万ある。沖縄では851万計上されておりますが、これは宮崎県の100に対して119%。国体と海洋博に対するところの費用が大きいからでございます。その次、県観光連盟補助金、これは宮崎県が650万あるが、沖縄県はゼロにしてあります。昨年がそうでございました。九州地方観光協会負担金、これは宮崎県が100に対して沖縄は4、日本観光協会負担金その他宮崎県が100に対して沖縄は230。PATAに対する負担金を余分に持っているからでございます。
米国、ハワイ派遣費、沖縄はゼロ。一般観光誘致費沖縄はゼロ。宮崎県が100。それから観光宣伝誘致強化費、これは沖縄が268%も持っておりますけれども、いろいろとよく見ますいうと、消耗食糧品になっているわけでございまして、比較になるのに非常に苦しむものがあります。
まず一応総合してみまして、時間がありませんから要約しますと、宮崎県が6657万8000円に対して沖縄は1179万2000円であって、宮崎県が観光課に計上しているところの予算100に対しまして、沖縄はたった26%。これは比較になるものでございますけれども、比較にならない分野で申し上げますというと、たとえばいろいろとありますけれども、それを集約するというと、宮崎県が100に対して沖縄が75%。総計、宮崎県の観光課と沖縄県の観光課は同じような人員を持っておりますけれども、そういったような人件費は差し引きまして、宮崎県が100に対して沖縄ではたった45%しか予算はないのでございます。
そこで、この問題を指摘いたしますというと、知事は、私たちには予算がないのだといってまず逃げられると思うわけでございます。しかし、優秀なる役人であるものは、予算がないといって逃げてはいけないのでございまして、大体、私たちがいつもしかけられておりましたことは、役人の逃げ口は予算がないということであるそうでございます。私はかつて予算がないというために、国際観光振興会の堀木鎌三、元厚生大臣でございますけれども、それは能なし役人のいうことだと言われました。
そこで私は、この予算の組み変え方に対しまして、知事に一つの提案を申し上げます。
知事は、沖縄が素晴らしい自然が残っていたことを御存じだと思うはずでございます。たとえば、ここにありますところの沖縄県の林業誌によりますというと、沖縄の戦争前は、老樹名木145点が指定されておったわけでございます。ハンタン山の赤木がそうであり、あるいはまたガジャンビラの山々をおおうた琉球松がそうであり、そうしてあの那覇の町に、強烈な紫外線を避けて陰をつくっておったガジュマルもそうでございます。それから宜野湾の並み松もそうでございます。ところがそれらの自然景観は、現在、八重山と宮古、そうして国頭、そこに少々残しておりますけれども、現在では、その90%が死んでおります。生あるものは死し、形あるものはくずれるの原則に従えば、当然枯れてしまうわけでございますけれども、これは戦争によった一つの犠牲でございます。
そこで知事は、この問題をどうお考えになるか。十分に御検討していただきたいと思うわけでございます。ちなみに、戦争に対してこれらの自然資源は、有形文化財とともに、枯渇してしまったのでございますけれども、この問題を、いまだ日本政府に対して屋良知事がその代償を請求したということは、はばかりながら聞き及んでおらぬわけでございます。
そこで私たちは、戦争によって起こった犠牲は、恩給であれ、あるいは戦災復興であれ、多くのものが要求されておるでございましょうけれども、この自然資源に対する要求がなされていないわけでございますので、屋良知事は、これに対して今後どのような形で行動日程をつくって、日本政府にこれを要求するか。これの説明を願いたいと思うわけでございます。
そこで、もう一つのことにつきましては、知事は、過去主席時代から今日に至るまで、まず十分な観光問題に対して意欲を持っておられない。その第一の証拠は、任期中、私たちに観光審議会の辞令を交付して、私はその審議会の会長でございますけれども、一回も屋良知事から諮問を受けたことなく、辞令を受けたまま、そのまま復帰を迎えて、辞令をかかえて沖縄県を迎えておることでもわかります。もちろん、それは屋良知事は忙しいから、みずから発想して起案するひまがないとするならば、指示によって観光課のほうで好ましい沖縄の観光開発の姿はどうであるかあるいは好ましい宿泊、特に民泊のあり方はどうであるべきかあるいは海洋博に向かって沖縄県の観光政策はどう展開されるべきか、わずか1、
2行でございます。そういった諮問が一ぺんさえなされていないことは、意欲の問題を問われてもやむを得ないでしょう。
そこで、知事の意欲というものが、その国の観光開発にどのような大きな影響を与えるかについて、私はその例証を申し上げます。たとえば、ハワイは現在多くの花が咲き誇って、太平洋におけるところの、いわばオアシスといわれております。ハワイの人々はプレミアの花の下で生まれて、プレミアの花の下で死のうという合いことばもあるぐらい、撩乱たる花が咲き誇っております。その裏には、ハワイ州知事のカメハメハ三世がヒルブラントというところの医学博士がドイツから来たときに、その人に、約6000種にわたるところの植物をわざわざ世界に集めにやって、王室みずからが、花を咲かすのに非常に苦労して、みずから先頭に立っております。これがその一例である。
またなお宮崎県に行ってみれば、宮崎県の知事は、沿道修景美化条例を制定いたしまして、あの国道10号線をつくるときには、ものすごい力をもって国の建設省に体当たりしておきます。まず観光道路をつくるときには、土木的な道路のつくり方と観光的道路のつくり方があるわけでございます。観光的道路のつくりかたというのは、膨大な道幅をとって、その次にグリーンベルトをつくって、その次に歩道をつくって、側溝をつくって、この側溝からが土木でございまして、路肩をとるという、いわゆる路傍植栽の点におきましては、これは観光的な要素でございます。そういったような形で、知事みずからが大きな道路をつくるために、その予算を建設省から取っております。建設大臣は、予算は幾らでもあるからくれると言うておるので、これから海洋博に向かって観光道路を建設するのに、知事は、これからそういったような配慮をどうするかという問題、そうしてそこに植える木をどのような形で配慮されるかという問題をまず検討していかなくちゃならぬであろうと思います。
まず私たちが一番心配しておりますのは、路傍植栽のことを考えても、沿道一つを考えて、沿道では沿道景観地区、沿道保存地区、沿道修景地区の三つに分けて、沖縄の沿道を飾り立てていかなければならぬが、そういったような査定さえもまだなされていない。そこで、宮崎県の知事は、その車の中に無線を積んでおります。自分が先頭になって路傍植栽をしてございますから、どこか各方面に出張するときは、一本の木が倒れるというと、直ちに第何号の木が倒れたからというので観光課に電話をします。その日に、観光課は土木部にありますから、すぐ出動して、木を植え直しております。
まず知事は、そういったような形で、宮崎県のたった45%の予算を持つだけでなくて、宮崎県の県知事が意欲的に取っ組んでいる姿に対しまして、いろいろと御勉強をして、沖縄観光に対して十分な配慮をしなければならぬのではなかろうかということを私はいろいろと示唆を受けております。
なお沖縄には、一つの観光の問題をとらえまして、知事がその配慮がされていない。いわば工業地にも、農業地にも一番最初に先行しておるのは、観光政策であることを忘れておられる。まず観光政策を打ち立てるには、沖縄県を指定しなくちゃならない。その指定には、第1種観光地、すなわち、与那覇岳とか、古見岳とか、近寄りにくくて自然であるもの、これが第1種観光地です。それから南部戦跡みたいに近寄りがたくて、そうして人工物であるのは第2種観光地、それから与儀公園みたいにあるいは首里全域みたいに、近寄りやすくて自然であるもの、これは第3種観光地、それから桜坂みたように近寄りやすくて人工物であるのは第4種観光地、それから恩納海岸みたいに開発か、保存かで人間の知恵を悩ましているのを第5種観光地でございます。沖縄県は、そういったような形で、各市町村と協力して、沖縄県全域に対して指定をするところの手法を考えなくちゃならぬが、知事は、まだその作業をやっておられない。
それから今度は、観光政策の確立も、観光目的物の保全という問題を取り上げてなければ、さらに観光事業に対する供給の手段も確保されていない。政府立海岸公園として指定しておりながら、上水道さえ恩納村の海岸に引く、すなわち観光需要に対する供給の確保もまだ何もなされていない。それから基準を作成して民間の誘致を促進するというところの創意も不足である。それから観光教育という、いわゆる観光啓蒙運動にも率先して出ておられない。これは運輸省主催のこの間の観光週間における主席の態勢を見ればすぐわかるとおりでございまして、十分な意欲を県民の先頭に立っておられない。それから観光客の保護育成という問題は、これはこれからの問題だと思うわけでございますけれども、こういったような形で、沖縄では、あらゆる観光政策の組み立て方がまだなされていないのに、そのなされていないことに対する諮問さえもしてくれない。
これではいかに知事が、知事提案事項の中に、沖縄県は観光立県だと唱えられましても、なかなか観光でもって県を立てることはいかないでしょう。だから私たちは、ここにまたもう一つ時間もありませんので、知事に提案をいたしますが、沖縄の子供は27万人、学生が27万人おります。その27万人が10本のハイビスカスを今年植えますというと、これは来年のいまごろになりますと、270万本分という撩乱たるハイビスカスの花が咲くという、こういうような県民運動の展開を婦人会も提唱しているわけでございます。
私は、一番最初に、ハワイを視察したときには、冬でございますが、驚くだけでございました。ところが第2回目行ったときに、なぜこのように花が咲いているかについてつぶさに検索したのでございます。ハワイ大学に行き、政庁に行き、ビジターズ・ビューローに行きまして、いろいろとその原因を突きとめてみましたら、ハワイでは、道路をつくるということと、花の土手を道ばたにつくるということと、花の土手を道ばたにつくるということは一緒でございます。いわゆるアスファルトを敷くときには、道ばたには撩乱たる花が咲いております。それはハワイのホノルルからカマハに至るまでの8線の道路を見ればよいわけでございます。なぜ道をつくると同時に花が咲いたかという原因を突きとめてみたら、ハワイ州立の植物園がありまして、全くこれは学校の運動場のようなものでございます。この学校の運動場のようなところに、ハワイじゅうのカンカラが全部集まっている。10斤かんからドラムかんに至るまで。そうして、そういったカンカラに、植物に適する土を入れるだけ。それにさし木をさして、夕方になると噴水がある。沖縄県出身の宮城さんが、その園長をしておりますけれども、従業員まさに
150名、トラック50台、そこで何10万本というところの花木がつくられておる。幾らありますかと言うたら、毎日のように持ち運んで、ハワイの道ばたに植えているのであるから、いまこれを何本だといって君に報告するわけにはいかないと。しかし、この膨大なる花を見ればわかるだろうということを言うておりました。こういうふうな知恵、こういったようなものが沖縄の県民運動の母体となって海洋博を迎えなければならない。
そこで私は、ここで教育長もおられる。教育委員長もおられる。そういったような方々と知事が率先垂範されまして、学校全体を動員し、沖縄の婦人を全部動員いたしまして、撩乱たる花を来年の今月まで咲かすとするならば、県民運動の方向によっては、金も要らずに沖縄全体を熱帯植物園にすることができる。そうして、海洋博までには、沖縄は雪も降らなければ、そうして霜も立たない。47都道府県では特異な県である。いま日本の国民はアスファルトとコンクリートの中で呻吟しておりますので、この日本国民のレストアンドレクリェーションの場所は沖縄であるというふうな形で知事みずからが、沖縄県全域熱帯公園を宣言しなければならない。宮崎県におきましては、昭和38年に、県知事みずから宮崎県全県公園を宣言しております。
ところが、現在みたような知事が意欲がなければ、沖縄県にいまの調子で、海洋博に向かって、沖縄県は熱帯植物公園を宣言するとしたならば、世界のもの笑いになるでしょう。久茂地川にはテラピアの魚が浮き、そして人工廃棄物は那覇港と泊港に浮上している。こういったような状況で、知事が海洋博を迎えたら、百万県民は、まさに世界のもの笑いになる。これは火を見るよりも明らかである。だから、この先ほど提示しました予算書を全部説明することができなかったから、文書で提示いたしましたけれども、沖縄県の知事は、このような形で観光立地県を唱えて、自然を守るとおっしゃっておりますけれども、きのうの知花議員の総括質問にやられたように、沖縄は今次戦争によって、戦い敗れてもはや山河ない。この山河なくして、あれほどの老樹名木の90%を失っておって、この現実を見失って、提案事項の中に、自然は恵まれているというこの原点に立ったならば、沖縄は、どうにもならないような観光地になってしまうわけでございます。
そこで知事は、私がここまで申し上げたことに対しまして、十分配慮いたしまして、沖縄県には守るべき自然はないんだ。沖縄県は守るべき自然はただ海中公園の神秘のみであって、ないということを前提に踏まえて、これから公園づくりをしなければならない。そうして宮崎県に追いつけ、追い離せではない。追いつけ、追い離されたとなっているのが現在の予算のパーセンテージ、たった27%しかありません。宮崎県が100あるならば150%ぐらいの予算を計上しないというと、沖縄は海洋博に向かって、日本国民に対しまして、レストアンドレクリェーションの場所として、いばって観光客を呼ぶことができないだろうと思っております。
そこで私は、観光問題は、いろいろのことにつきまして、予算だけではなくて、あらゆる面から知事に対しまして、私は、そのお答えをいただきたいと思うのであるが、時間がありません。
そこで私は、観光問題は、いろいろのことにつきまして、予算だけではなくて、あらゆる面から知事に対しまして、私は、そのお答えをいただきたいと思うのであるが、時間がありません。
そこで私は、いま知事にお問い合わせしましたところのあの宮崎県との観光予算の本県との比較表をよく目を通されまして、私のこの質問に対しまして、来年の3月に提案される一般予算の数字でもって答弁していただきたい。そのときに、このような宮崎県との間にそういったような貧弱な予算を組むようでございましたならば、私は再び屋良知事には観光問題は意欲がないというふうなことを決定的に言わなければならぬでしょう。そこで、この席でもし知事が私に答弁するというならば、言い訳にしかならぬと思いますので、この席から知事の答弁を承りません。
その次に、意欲がないと言いましたけれども、意欲があるとおっしゃるならば、私がここで提案いたしましたように、教育、いわゆる27万人の子供たちと、あるいは沖縄の婦人会とその先頭に立って、これは屋良先生ではできない。屋良知事ならばできる。これは小橋川ならできないけれども、小橋川が知事だったらできる。それほど知事には先導力があるわけでございますので、屋良先生が単なる屋良先生ではなくして、屋良知事であって、沖縄で一番の力強い先導力があると言うことに対して自負をもちまして、沖縄全県民の先頭に立って、沖縄を海洋博に至るまでには、沖縄全県熱帯公園を宣言するにふさわしい郷土づくりに邁進してもらう。そのためには、金がなければ知恵を出す。そうして金がなければ日本政府に要求する。要求の基礎は、私が先ほど申し上げましたとおりに、沖縄の自然文化在に対するところの賠償であって、当然の要求であって、お願いではない。こういったような要求事項に対して、知事が向こう10カ月に対して、どのような行動をとったか。その行動記録を提示することによって、私が意欲がないと言ったことに対するところの答弁書を、これもさらに加えて来年の3月に行動記録
をもって答弁していただきたいと思います。
12時にちょうど終わりました。人民党から動議が出まして、ちょっと休みました。いまさっきまた議長からの動議がありまして、ちょっと休みましたので、その間約10分延長させていただきたいと思います。与党の御協力をお願いいたします。
知事にお願い申し上げますが、海洋博に向かいまして、上江洲君が西海岸からも、東海岸からも道を通してくれというふうなお願いがありました。これは観光の原則でございまして、二つの道の観光というのは決定的な原則でございます。一方から道を通すということは、これは観光では考えられないことでございまして、非常に基本的な考え方でございます。
それから観光するときにおいては、一日観光圏を忘れるといけないということになっております。一日観光圏とは、8時間の中で1時間は行く時間、帰りが1時間、観光する時間が6時間というのが理想でございます。ところが日本では、新幹線や飛行機を使っておりますので、1日観光圏は500キロに延びております。10年前まで100キロでございました。そこで、本部に海洋博を設定しておるとするならば、あの本部にすばらしい海洋博の博覧会場にもっていくとするならば、那覇から1日観光圏のところに設定しなければなりません。
そこで、これだけには答弁していただきたいと思いますが、私は屋良知事は、大好きなんです。なぜか。いつも思想信条ですか、これを乗り越えるからでございます。ところが、私は屋良知事に対しては、御賛成できないのは、ときどき信条を乗り越えない場合があるからではないかと思います。
私はここで、ひとつ非常に基本的な問題を自衛隊にからまして提案しますが、屋良さん、自衛隊の工兵隊が2万名来れば、その経費は4分の1、スピードは3倍になるそうでございます。自衛隊が言うております。そこで、海洋博は、この間の日琉経済懇談会におきましては、本部まで道をあけるのには金はあるが時間がないと言っておりますので、これをスピードアップするために、自衛隊の本質とは離れまして、約2万名の工兵隊を呼ぶ御意思はございませんか。ありますか。
それからそれに対してブルドーザー約300台、そうすれば、沖縄は、知事が心配されるような時間切れで海洋博に道をつくることは難なくできるわけです。そこで、自衛隊に反対される、これは個人のお考えでありあるいはグループの考えでありますけれど、これは理解いたします。ところが自衛隊に反対するからといって、自衛隊を沖縄県民のために利用するということについては、これは自衛隊に反対することとは全く別の問題でなければならぬでしょう。
私は、いつも考えることでございますけれども、屋良先生に投票しなかった人々がたくさんおって、屋良先生の考え方に賛成しない人もまたおるということに対して十分に知っていただきたい。たとえば、政治力学上、与党はたくさんの議員を議会に送っているからといって、独壇場の決議ができないで、少数野党の意見も聞きながら議会を進めていくというその基本原理を考えれば、屋良先生を支持する多くの人々をよりよく考えることはよいとして、屋良先生を支持しなかった、いわゆる屋良知事を支持しなかった人々のことも考えてもらわぬといかないだろうと思います。そして私は、もう一つここで、見解の相違を申し上げたいのは、自衛隊は請負業者ではない。株式会社ではございません。そこで、この自衛隊は、国税を納めている沖縄県民全体の国税によってまか
なわれており、せっかく国税を出して自衛隊を養っておるとするならば、これが戦争につながらずに、海洋博の大きな行事につながるとするならば、その国税を納めて自衛隊を養っている沖縄県民の幾ばくの人間の期待に対して答えるような行為を知事がなされることもたいへんよいことだと思います。私は、これはある意味においてへ理屈だと言
われるかもしれませんけれども、与党の諸君がもし私に対してへ理屈だというならば、私はそのような形のへ理屈の見解の相違でございますので、知事が信条を乗り越えて、この問題に決断していただくことをお願いいたします。
断わりましたように、私は、ここで、知事の答弁を承りません。次の機会に堂々と予算の記録でもって御答弁していただきますようお願い申し上げます。以上です。
○議長(平良幸市君)
10分間休憩いたします。
午後2時44分休憩
午後3時再開
○議長(平良幸市君)
再開いたします。
森田孟松君。
〔森田孟松君登壇〕
○森田孟松君
本員は、わが党の知花英夫議員の代表質問を踏まえまして決意を表明し、なお各党の代表質問、一般質問を聞き、県民の一人として、また議員の一員として感じた諸点の中から、特に真の地方自治体を創造し、県民福祉の向上を願う立場から痛感した点を今後の検討すべき問題点として提起しながら、質問を展開したいと思うのであります。
屋良知事は、昭和47年第5回沖縄県議会定例会で、新生沖縄県建設のスタートに当たり、反戦平和、人間尊重を基本理念として、異民族支配のため他県に27年間ものおくれを余儀なくされたわが沖縄県は、自主主体性をもって健全な地方自治の確立をはかり、真の復帰を達成し、合わせて政治の中央集権化を排し、常に県民との対話を深め、その声を県政に反映せしめて、真の地方自治体を築き上げていかれる旨の御決意を表明されたのであります。
本員ももちろん、県議の一員として、また与党の一員として屋良知事の示された基本路線に立って、自民党政府のために、われわれ沖縄県民は、自己の意思を無視されて、異民族支配のもとに27カ年という長期間も放置され、あまつさえ復帰に当たっては、また県民意思に反した沖縄協定の鎖のもとで新たな禍根を背負わされて、核抜き、本土並みという反県民的姿で復帰したこの現実を的確にとらえ、沖縄県再建への大事業遂行の基礎づくりのため、その責任と義務を果たす決意であります。
先日来行なわれてきた各党の代表質問や一般質問の中で、屋良知事は、政府から相当の財源を受け入れながら中央集権化に反対し、自主主体的な県政を確立するということは県民をだます行政態度だとの論評をしておられた方が2、3名ほどおられるようでございました。依存財源におんぶされて、なんの地方自治かと言われる考えかもしらないのでありますが、国は、地方財政運営の基本として、地方財政法にはっきりと国の義務がうたわれておるのは御承知のとおりだと思います。
あえて申し上げますと、地方財政のなかつ健全な運営を助長することにつとめ、いやしくもその自主性をそこない、また地方公共団体に負担を転嫁するような施策を行なってはならないという義務づけがうたわれておるのでございます。
かかる地方自治の精神を踏まえながら、さっき申し上げました発想の背景をなすものは、ややともすれば金さえもらえれば与えられた権利、すなわち自治権は放棄し、日本政府の政治権力のもとで隷属化もいたし方ないという地方自治の精神に反するような考え方ではなかろうかと疑わざるを得ないのであります。
そのことは、われわれ県民が異民族の支配下で金も出すから口も出す式の高等弁務官資金などのために、27カ年、政治の正しい方向を誤らされたことがしばしばあったが、質問者の考え方であるならば、日本政府がアメリカ民政府の姿になりかねないようなことも予想されるのであります。いまこそわれわれは、憲法の精神をしっかりと把握しなければならないと思うのであります。
われわれは、決して新生沖縄県の地方自治の精神を金で売ってはならないのであります。しかも、少しもよごしてはならないのであります。まさしく世変わりの重要なときに当たり、わが県民は、初の公選知事に真の地方自治の精神に徹されたよき行政責任者として、よくぞ屋良朝苗氏を選任してくださったとあらためて主権者たる県民に敬意を表せざるを得ないのであります。
現在の地方自治は、憲法の中で国家組織の基本原則たる地位が与えられて、極端に中央集権化しがちな近代国家に対する歯どめの役目をもち、国民の基本的権利を守るために欠くことのできない機能を有するからであります。真に地方公共団体の機能を身に体する努力を果たさないと、せっかく与えられた条例制定権も地方自治体のためよりも、国の指導によって全国的に画一化され、法律の代用品として悪用されかねない傾向を他の都道府県の中からわれわれは誤った姿を見出すのでございます。
その極端な例は、占領中の米軍指導によって、地方ごとに一斉につくられた公安条例であります。それは国民の監視の強い国会ではつくり得ないという客観情勢によって集会、示威行進などの制限令を民主化のおくれておる地方議会を利用したものであると指摘されておるのであります。われわれ議会人は、他の都道府県などの誤った道を二度と繰り返さないよう心すべき大事な問題ではなかろうかと思うのであります。
次に、知事の経済の振興開発構想については、先般来発表されておりますので了といたしますが、沖縄振興開発計画については、十分なる時間と県民のできるだけの参加を得て地方自治の精神にのっとった、りっぱな案を策定していただきたいことを特に要望申し上げながら、次の質問点について、中小企業の振興についてお伺いしますので、担当部長の答弁を求めます。
第1点、復帰後の中小企業の動向は一体どうなっておるのであるか。調査をなされたことがありますか。復帰ショックや通貨調整、通貨切りかえ等の難問の中に飛び込んだ沖縄の中小企業界は、激しい経済環境の変化の中で、どのように適応しようと試みておるのか、その実態が知りたいからでございます。最近、とみに中小企業の業者の側からの声が新聞でたびたび報じられておるので、お聞きいたすのでございます。
質問の第2点、沖縄振興開発金融公庫の業務開始に伴い、また他県で施行されていた数多い法律などの施行に伴って生じておる事態があるんじゃないかと予想されるのでございます。県としては、いかような措置をとろうとお考えになっておられるのか。たとえばハム、ベーコンかん詰めの関税率が暫定措置法では5%ののがなんでも25%になっておるというような報道もあるようでございます。金地金の輸入ワクの問題もしかりでございます
。あるいは開発公社の旧債肩がわりの特殊融資の取り扱い等についても、業界の要望が取り上げられていないとう報道もあります。
そこでお伺いしておるわけでございます。
質問の第3点、新聞報道によりますと、県独自の中小企業の振興資金貸し付け制度の創設がうたわれております。まことにけっこうな構想でございます。かよわい中小企業、零細企業等は資金の手厚い手当もその育成の一つの方便だと思います。沖縄県中小企業振興資金特別会計5億7480万余円の予算との関係で、皆さんが独自になさろうとするこの貸し付け金の内容は、どういう関連をもっておるのでございますか。あわせて琉球政府時代、流れた印刷工業団地の事業は一体現在どうなっておるのか。その後の状況をお聞かせいただきたいと思うのであります。
4番目、沖縄県中小企業近代化資金特別会計2億7130万余円の資金貸し付けは、同法第12条第2項の規定によって貸し付け事業計画案がなければならないと思うのでありますが、予算書には、そういう資料が添付されていないのでございます。計画案がなければ主務大臣の認可は得がたいんじゃないかと思うのでありますが、この貸し付け事業計画案があれば、それの御提示をお願いしたいと思うのであります。これは資料としてでもけっこうでございます。
5番目に、地場産業を含め、中小企業、零細企業の保護育成策の一環として、官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律の第7条の規定は、国だけではなくってこれは地方公共団体も国の施策に準じて、中小企業者の受注の機会を確保するために必要な施策を講じ、中小企業者の供給する物件等に対する需要の増進をはかって、もって中小企業の発展に資するよう義務づけされておると本員は解釈しておるのでありますが、沖縄県庁として沖縄県の中小企業者の、こういう製品の買い付け、利用、その他中小企業育成のための具体策があるのかどうか。どのくらいの予算を検討しておられるのかどうか。その辺について説明を承りたいと思います。
次に、都市交通の緩和対策についていままで各議員からの質問もありまして、県当局の構想を一応お伺いいたしておりますので、私は都市交通緩和対策に対する問題は取り上げないことにいたします。その中でただ1点だけお伺いしたいのでございます。申し上げたいのは、現在、新聞でもたびたび報道されておりますが、那覇市の都市モノレールの事業を計画して、いま本土政府といろいろ折衝を重ねて、いろいろな難関が予想されるように報道されております。特に、那覇近郊に住む者として、那覇市の都市交通の混雑さは目に余るものがあるのでございます。こういう現状を打破して、都市機能をもっと充実させ、地域住民に安心して仕事ができるような交通体制を確保していかなければならない立場から、県といたしまして、那覇市のこの計画にどういうような協力体制をおとりになろうとしておられるのか。また那覇市との話し合いが進んでおるなら、その発表できる範囲内で那覇市の都市モノレールの事業に対する県の考え方をお聞かせいただきたいと思います。
以上、この問題については、土木部長のほうに御回答をお願いしたいと思います。
○議長(平良幸市君)
労働商工部長。
〔労働商工部長前田朝福君登壇〕
○労働商工部長(前田朝福君)
ただいまの御質問にお答えいたしたいと思います。
まず第1点は、復帰後の中小企業の能動調査の有無と、その状況についてということでございますが、これにつきましては、復帰に伴って各種の中小企業関連法規の適用を受け、きめこまかい中小企業施策も進めております。
中でも、中小企業近代化促進法の指定業種の実態並びに沖縄振興開発特別措置法に基づく指定可能な業種の実態を調査いたしまして、それぞれ業種別に近代化がはかられるよう推進しております。
労働商工部の調査によりますと、近促法指定業種が印刷業、建築工事業、土木工事業等、71業種、3300企業、特別措置法に基づく指定可能な業種は分蜜糖、冷凍パイン、貴金属製品等、約23業種、496企業となっております。また復帰後の中小企業の動向と実態を把握するために、現在調査を準備いたしております。
それから質問2点目の中小企業の金融対策につきましては、復帰に伴う急激な経済環境の変化に対処し、中小企業の体質改善をはかるため県といたしましては、次の資金を予算化しております。
設備近代化資金2億円、無利子で貸し付け限度が500万円で、貸し付け限度が50%でございます。それから高度化資金といたしまして3億5000万円、それから高度化資金といたしまして3億5000万円、それから設備貸与公社資金といたしまして1億4000万円、季節資金1億円を準備し、それを中小企業に貸し付けする予定でございます。その中で、県独自の貸し付け制度といたしましては、季節資金といたしまして、県の特別会計で1億円を準備して、それを信用保証協会から銀行のほうへ預託いたしまして、そしてそれの約10倍の限度で季節資金を貸し付けていくといって計画を持っております。さらにこれにつきましては、現年度で1億円でございますが、将来とも拡充いたしまして、中小企業向けの金融の緩和をはかっていきたいと、このように考えております。
それから印刷工業団地などの状況につきましては、前から計画いたしておりますが、現年度におきまして、印刷工業団地をはかっていくという立場で実施していきたいと思います。そしてそれにつきましては、高度化資金のほうから資金を融資して印刷工業団地の実現をはかっていきたいと、このように考えております。そのほか予算上の数字あるいは資料につきましては、後日資料として提出いたしたいと思います。
以上です。
○議長(平良幸市君)
土木部長。
〔土木部長安里一郎君登壇〕
○土木部長(安里一郎君)
モノレールの計画について説明いたしたいと思います。
モノレール建設は、那覇市都市交通打開策の一環といたしまして、那覇市の玄関としての空港、業務地域、住宅地域を運行するに適切な都市交通対策でございますので、その実現に協力していく考えでございます。
それで県としましては、昭和48年度予算で、これの設置計画に対する調査費用の国庫補助を要請しております。したがいまして、このモノレールの都市交通としての位置づけ、路線の選定、事業計画等を樹立いたしまして、那覇市への協力を惜しまないつもりであります。
また具体的な市との話し合いについては、現在、市当局の説明を聞いておる段階でございますけれども、実際の計画に当たりましては、河川の改修計画、道路の改修計画、計画面で国、県、市の間で今後進めなければならぬ問題が多々ございますので、そのような詰めをいたしたいと考えております。
○議長(平良幸市君)
森田孟松君。
〔森田孟松君登壇〕
○森田孟松君
前田部長にもう一応お伺いして確認しておきたいと思うのは、例の印刷工業団地は部長もおわかりのとおり、最初は、浦添市のほうに設置する段取りで仕事を始めた。それがたまたま住居地域に該当することで、都市計画上いろいろな問題が出て執行できない状態になっておったと理解しております。だから、こういうようないわくつきの仕事でありますので、県当局としては適当な業者のほうが適当な敷地等を求めて、その仕事のできるような状態になっておるかどうかあるいは県としてどういうふうにこれを行政指導しておるのか。現在の失敗を繰り返させないように十分その敷地については、皆さんも積極的に当たってあとでまた都市計画上のいろいろのトラブルを発生しないように指導してもらわなければならないからお伺いしておるのでございます。
質問の第5点は、これはたぶん志村議員もお聞きになっておられたのではないかと思うのでありますが、中小企業者をですね、いわゆる沖縄の業者を保護するという立場から、こういう法律もあるのに、国は毎年ある一定の予算のワク内で、ある一定の資金を確保して中小企業の、わかりやすくいったら製品の活用、こういうようなあたたかい手を差し伸べておる。地方公共団体、県においてもその法律の第7条の規定によって義務づけされておると本員は理解しておるんですがね。そういう意味で、県としては、そういう対策をとろうという姿勢があるのかどうか。復帰によって、そういう法律が施行されておるので、当然中小企業、特に沖縄県の中小企業に対しては、本土の大きな企業の侵入等について、いろいろな問題が予想されるので、あたたかい計画を立てて、早急に立てていただきたいと思うからお伺いしたいんですが、これについては、まだ御回答がない。いまから御計画をしていかれるのかどうか。その辺をあらためて御説明をお願いしたいと思います。
○議長(平良幸市君)
労働商工部長。
〔労働商工部長前田朝福君登壇〕
○労働商工部長(前田朝福君)
印刷工業団地の件につきましては、当初の浦添からの予定地を変更しまして、南風原のほうに新しい敷地を選定いたしまして、そこで着工するという段階になっております。その段階におきましては、県当局ともあるいは業者とも十分調整をいたしまして、そして効率的に運用ができるようにという立場から十分連絡をとって、印刷工業団地の造成に取りかかっており
ます。
それから次の質問につきましては、私どものほうとしても、十分検討いたしまして、これからの中小企業対策という立場から十二分な計画をつくっていきたいと、このように考えております。
○議長(平良幸市君)
与座康信君。
〔与座康信君登壇〕
○与座康信君
本員は、知事提案事項説明書16ページの土地調査、これは代表質問で知花議員からも提起された問題でございまするが、この点について、いま少しだけ掘り下げて質問をいたします。御答弁は担当部課長のほうにお願いいたします。
この土地の調査は、戦後処理の問題として、当然国の責任においてなされるべきである。これはわれわれは、一貫してこのような考え方に立っております。ところで、この沖縄における地籍の調査は、1950年4月10日、特別布告第36号によって確認された所有権が非常に誤りが多い。むしろ、ほとんどが誤りである。それを正確なものにするために、調査がなされているものでございます。これは57年の立法第105号土地調査法によって今日までこの仕事が進められてまいっております。たぶん、63年度予算あたりからこれが本格的に実施され、今日に至っておると思うわけなんですが、この土地調査が非常に重要なことであり、早急を要するということは申すまでもないものでございます。
そこでお伺いしたい第1点。
この沖縄における土地調査が施行されて以来、今日までに土地調査に要した経費、確定された面積、調査終了したけれども確定できない面積、この3点を、面積の場合においては割合でもよいのですから、この点をお答え願いたい。
それと質問の第2点。
残されたこの部分については、軍用地あるいは原形を失った筆界不明の個所が非常に多いと思いますが、いかがでしょうか。
1957年に制定された土地調査法そのものは、沖縄の実情に沿うてでき上がった法律であったと思っております。ところが復帰により、この法律が効力を失ってしまったわけで、それといって暫定措置もなされてないと思います。となるというと、現行法でこの沖縄の土地調査が可能であるかどうか。はなはだ疑問があるわけでございます。土地の調査を規定するものには、国土調査法がございます。不動産登記法17条の規定がございます。ところがこの不動産登記法の17条では、とうていできるようなしろものではありません。といって、国土調査法を見た場合、その立法の趣旨あるいは目的、定義からして沖縄の土地調査にはこれはそぐわない。沖縄の土地調査というのは、この国土調査法以前の問題であると理解するからでございます。となるというと、現行法令で沖縄におけるところのこの土地調査が実施完了できるとは思われないのであります。また従来の国の支出を見ても、大体3分の2を国が負担する。3分の1を琉球政府あるいは沖縄県が負担する。こういったような仕組みになっているようでございまするが、これも現行法の国土調査法に基づいて行なっているようなことではなかろうか。そういう
ことになると、これは全然意味が違うんではなかろうか。こういうふうな疑問を持つものでございます。
そこで、お尋ねいたします。
沖縄におけるこの土地調査が、現行法規でもって実施可能と見られるのであるかどうか。もし、これが不可能であるとする場合、当然立法制定が必要となってくるわけでございます。この点について県は、どのような見解を持っておられるか。また今後の措置について、対策についてどのようなお考えを持っておられるか。この点をお答え願います。
それと現在土地調査が振興しておるところでございまするが、調査が完了した。確定した。こういったところにまた問題があるわけでございます。それは測量の最も大事なところの多角点、三角点、基準点、こういったようなものは成果を確保する面からも、永久保存でなければならないと考えます。当然永久保存でございます。ところが特にこの中部地域においては、御承知のとおり、団地やあるいは宅地の造成あるいは低地の埋め立てあるいは山の整地、こういったような工事によって、このような三角点あるいは図根点が棄損、消滅、滅失、これが非常に多いと見受けております。これは非常に重要なことでございます。この図根点等の管理責任はどこにありますか。今後、この図根点や三角点、これを管理確保するためにどのような考えを持っておられますか。
以上、質問を終わります。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
〔総務部次長赤嶺武次君登壇〕
○総務部次長(赤嶺武次君)
お答えいたします。
現在までの土地調査実施面積は1396平方キロメートルに及んでお
ります。そのうち、998平方キロメートルは確定した面積となっております。それに要したところの経費は、これまでに303万65ドルに及んでおります。なお、未確定となっている地籍は、57.75平方キロメートルとなっております。この地域を申し上げますと、那覇、浦添市、宜野湾市等外13カ所市町村にわたっております。
次の質問でございますが、特殊地域調査の立法の必要性がございます。戦時中あるいは戦後に及んで米軍が使用し、または戦前、日本軍は使用していた広範囲にわたって敷きならされた土地、それから一筆ごとの筆の境界が不明になった地域は、現行の国土調査法の範囲内では調査不可能な状態にあります。この解決には、法制面における措置を講じなければ処理が困難だと思量されておりますが、立法については、沖縄の実態を反映した解決の方法を採用し、有効な資料を整備するとともに、その効果を期待できるようにするために、立法権者である政府との密接な連携をはかっていきたいと考えているところでございます。
次に、基準点の問題についてでございますが、復帰前基準点の管理保存については、土地調査庁の所轄業務でございましたが、復帰後は建設省国土地理院の沖縄支所に移管されております。地籍図根三角点及び地籍図多角点は、土地調査の成果が確定した地域については、その管理保存の主管は、法務省の所轄になるわけですが、土地調査事務所としても、関係機関の土木部、農林水産部並びに市町村等ともに連携を密にして、この地籍図根点の滅失、破壊、棄損等がないようにつとめていきたいと考えているところでございます。
以上4点だと思いますが、お答えいたします。
○議長(平良幸市君)
宮良長義君。
〔宮良長義君登壇〕
○宮良長義君
本員は、国際問題化しつつある尖閣列島について、内外の情勢と同列島の資源を守る県民運動の経過をたどりながら、領有権を主張し得る根拠と今後の問題処理に対する知事の基本的見解をお聞きしたいと存じます。
尖閣諸島は、八重山の北約200キロの地点に点在する八つの島々で、総面積約1000ヘクタールとなっております。
その海域には、兆ドル級の石油が埋蔵されているとのことであります。この尖閣列島が県益優先の開発ができますならば、沖縄の産業経済の構造を一変するであろうと、実に魅力に富んだ島であり、かつ国際紛争の火種を持つあぶない島でもあると言えましょう。
この尖閣列島は、明治28年、日本の領土であるとの閣議決定をされて、翌29年に勅令第13号によって、名実ともに日本の領土となり、八重山石垣市に所属することとなりました。日本の領土に編入されて、すでに76年にもなりますが、いまなお公式の島々の呼称が定まっておりません。神聖なる日本の領土と主張しながら、黄尾嶼が久場島とも呼ばれ、赤尾嶼が大正島、久米の赤島とも呼ばれ、沖の北岩が沖の北島、沖の南岩が沖の南島とも呼ばれておるのであります。また尖閣列島、尖閣諸島、尖閣群島、尖閣諸嶼とも呼ばれておるのであります。沖縄県としては、同島の名を呼称されているか。群島名及び各島々に対する呼称を明らかにしてもらいたいと思うのであります。
2番目には、地元八重山では、沖縄の石油資源は、沖縄人民のものである。この立場から超党派的立場に立って、各界各層の代表者で尖閣列島の資源を守る会を結成し、県益優先の開発をするよう当時の琉球政府に要請してまいりました。さらに中央におきましては、1970年沖縄県の尖閣列島石油資源開発促進協議会を結成し、1970年の7月に、台湾政府がアメリカ合衆国のガルフ社に対し、鉱業権を与え、さらに尖閣列島の領有権を主張していることは不法であり、県民の尖閣油田に対する自主的、民主的開発を阻害するものであるとして、琉球政府に対する要請事項を決定いたしました。その大会には私も参加しておりましたので、当時決議されたことは一つ、琉球政府は、尖閣油田が県民意思によって、主体的、自主的開発ができるよう鉱業権を県民に認可すること。
一つ、日本政府は、開発計画を策定すること。
一つ、日本政府、アメリカ政府は、尖閣油田開発に不法行為をせず、またさせないように万全の措置を講ずること。
一つ、米政府は、沖縄の県益を擁護することとなっておるのであります。当時の琉球政府は、県民の主張を受け入れまして、70年に定例局長会議を開いて尖閣列島の海底油田をめぐる鉱区権問題について話し合い、尖閣列島の領有権及び大陸だな資源の開発権は琉球政府にあるとの統一見解をまとめ、内外にアピールするとともに、これを具体的に裏づけるために、鉱区権申請書の処理を急ぎ、第1号の認可をすることになったと、その当時の9月11日の新聞は報道しております。
当時の新聞記事によりますと、現在接受しておる三氏の鉱区権申請を受理し、年内には認可することをきめた。そのため現在の通産局工業課の陣容では足りないので、本土通産省の専門官を受け入れ、審査を急ぐことにしている。また多額の資本を要するので、行政府としては公社あるいは事業団のような開発機関を設置することも検討すると報じられていました。
そこでお聞きします。鉱区権申請者はいままでに3名ほどあると承っておりますが、1969年の2月3日に先願者が申請をしており、本日まで約3年余になるが、鉱区権の処理ができておるかどうか。もし、できないのだとすれば、その理由は、国際的にあぶない島嶼であるので、この問題を凍結せよという日本政府の指図があったのであるかあるいはできなかったもろもろの事情を承りたいと思います。
2点は、本土からの専門官を受け入れると報道していましたが、受け入れることがあったかどうか。また公社や事業団等の関係機関の設置計画は、その後どうなっているか。その2点をお聞きしたいと思います。
そこで住民がややもすると疑問を抱くようなことが報道されたのでありますが、それは1970年8月17日、日本経済新聞が、国府が尖閣列島の領有権を主張したことに対し、外務省、通産省、総理府は検討を急いでいるが、次のような方針を固めたと、
一つ、日本政府は、琉球米民政府を通じて、尖閣諸島が現在米民生府の統治下にあり、沖縄とともに、日本に返還されることを再確認すること。
一つ、琉球政府に対し、尖閣諸島の領有権を表明するよう要請する。
一つ、現在琉球政府に対し、鉱区権の申請をしている石油資源開発株式会社側の者に対し、早急に鉱区権を認めるよう琉球政府に働きかけるという記事が発表されたのであります。この方針に基づく本土からの働きかけが公式であれあるいは非公式であれ、琉球政府にあったかどうかお聞きします。
それから琉球政府の領有権に関する声明発表は、70年9月17日でありました。領有権の主張根拠は、要約いたしますと、尖閣列島は1884年、古賀氏によって発見された島であるんだということ、
一つ、1895年には日本領に編入されたすなわち勅令第13号であります。
一つ、戦後、平和条約によって、沖縄が日本から分離されたあとも、民政府布告27号、琉球列島の地理的境界によって沖縄に属することになっている。これが琉球政府の声明の内容であります。
これに対し、中国外交部の魚釣島などの島々は中国の領土であるとの声明発表は、琉球政府の声明発表後の1971年12月30日であります。中国の領有権を主張する歴史的根拠は、魚釣島などの島々は昔から中国の領土である。早くも明朝時代からこれらの島は、すべて中国の海防の区域内に入っており、中国の台湾の附属島嶼であって、いま沖縄と呼ばれる琉球に属するものではない。中国と琉球のこの地区における境界は、赤尾嶼と久米島の間にあり、中国の台湾の漁民は従来から魚釣島などの島々で生産に携わっていた。そしてさらに中国側の説明によると、中国の明朝は倭寇の侵略攬乱に抵抗、反撃するために、1556年に胡宗憲に倭寇討伐の軍事責任を持たせ、そして魚釣島、黄尾嶼、赤尾嶼の島々は、当時中国の海防の範囲内にあった。中国の明、清の二つの王朝が琉球に派遣した使者の記録が地理、歴史の文献は、具体的にこれらの島々が中国に属するものであり、中国と琉球の境界は、赤尾嶼と久米島の間にある。
二つ、1879年中国の清朝の洋務大臣李鴻章が日本と琉球帰属問題について談判をした際、中日双方は、琉球が36の島からなっていることを認め、魚釣島などの島々は、この36の島に全く入っていない。日本人が魚釣島等を発見したのはその後の1884年のことであると説明しております。声明書の最後には、こう強く出ております。
中華人民共和国外交部は、厳正に次のように声明する。
魚釣島、黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島などの島々は、台湾の付属島嶼である。これらの島々は台湾と同じように、昔から中国の領土の不可分の一部である。返還協定の中で、魚釣島等の島々を返還区域に入れたことは全くの不法である。中国人民は、必ず台湾を解放する。中国人民は、魚釣島等、台湾の付属島嶼を必ず回復すると声明をしております。
そこで本員は、中国の主張におそれをなす必要はないのでありますが、少なくとも、国際法上の立場に立って、対等な立場に立って、おのおのの主張の根拠を明らかにするということが、この国際紛争を解決する唯一の態度であると信ずるからであります。
そこでお聞きします。中国の領有権声明後、中国の主張について、知事は、真実性があるかないか、謙虚に検討されたことがあるか1点。
それとも今後日本側の主張の根拠を明らかにするためにも、中国側の主張とも比較対照して、その主張の真実性があるかないかを確かめられる謙虚なお考えがあるかどうか。この2点をお聞きするのであります。
さて、1972年3月3日の国連海底平和利用委員会で中国代表は、尖閣列島は中国固有の神聖なる領土であると主張し、日本代表は、日本以外のいかなる国もその領有権を主張し得ないと激しく国連の場で対立を見るに至りました。
1970年7月台湾政府がアメリカのガルフ社に鉱業権を与え、さらに尖閣列島の領有権を主張するに至り、国府の晴天白日旗を掲げ、日本と中国、中国と台湾の関係は、きびしく対立する事態に立ち至りました。
日本における国会質問の場において、1970年の9月の衆議院外務委における外相の答弁、1970年9月12日の沖縄北方問題特別委における愛知外相の答弁、71年1月の参議院本会議における首相答弁では、尖閣列島の領有権問題については、どこの国とも交渉する筋合いのものではない。これは外相の答弁であります。またその次には、いかなる国の政府とも交渉する考えはない。それから総理は、当面いかなる国の政府とも交渉することは考えないと答弁されております。この問答無用の態度の中から、尖閣列島による国際問題が平和的解決への道が開けないということは当然であります。
さて、尖閣列島の領有問題は、各国の波紋を描き、国民間の感情対立を深める情勢下にあることを本員は憂えるものであります。1971年1月から4月にかけて、米国各地における中国人学生は、尖閣列島を守る会を組織しました。米国におきましては、ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、この六大都市を中心に、1月から4月にかけて、2500名、3000名、5000名、6000名と動員され、抗議集会やデモがなされ、米国務省、日本大使館、領事館、国府大使館等に抗議文を突きつけております。さらに、運動を発展いたしまして、香港、台湾、英国、西ドイツ等でも日本軍国主義反対、日本軍国主義復活反対等のスローガンを掲げ、日一日と激しい運動が展開されていることを報じられているのであります。
領土問題は必ずといってもいいでしょう。国民感情を刺激し、冷静かつ理性的な解決を困難にします。国交関係を悪化させる危険な要素をはらんでおるのであります。領土権を主張するあまり、日本軍国主義が朝鮮を略奪し、中国を侵略し、戦争遂行の必要から石油を求め、ゴム、すず、鉄鉱石を求め、東南アジア全域に侵略の手を伸ばし、醜い、罪深い歴史を残したことを忘れてはなりません。身がってな国益論や防衛論に国民を引きずり込んで、戦争の惨禍をなめた歴史を振り返り、この大事な時点に立って、憲法前文の「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、一応他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」とおごそかに述べております。この憲法精神を原点にして、日中国交が回復され、尖閣問題が両国の話し合いの中から平和的に解決を見出し得ることを全県民は期待するでありましょう。
最後に、沖縄の平和と安全のために、尖閣列島問題の解決を拒む条件となる問題点に対し、知事がどう対処するか、この2点を質問して終わります。
1972年3月21日参議院の外務委で防衛局長の答弁の中に、「日本政府は、尖閣列島を防衛識別圏に含めることをこの時点でさらに確認する。」1972年3月9日、自民党の沖縄問題特別委員会では、「復帰後は、海上自衛隊による同列島周辺の海域パトロールを強化するべきである。」、こういう意見が一致しているのであります。ここで、現在尖閣列島の赤尾嶼と黄尾嶼は、基地のA群に入って、アメリカの爆撃演習地となっております。それから尖閣列島を防衛圏に入れるということでありますが、知事は、この赤尾嶼と黄尾嶼からすみやかに基地を撤去することを堂々と主張するお気持ちがあるか。もう一つは、防衛識別圏に入れたことをやめさせ、海上自衛隊による同列島海域パトロールを即時取りやめさせることを強く要求される意見があるかどうか。
以上を申し上げまして私の質問といたします。
○議長(平良幸市君)
屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君)
尖閣諸島の問題についての御意見なり、いろいろの御質問なりでありますけれども、尖閣列島の問題は、その領土権と資源開発の問題という二つの側面があります。
領土問題については、外務省は、わが国古来の領土であり、沖縄県の所轄に属することをたびたび言明しております。この点は、前の外務大臣のときにも、また愛知外務大臣のときにも、福田外務大臣のときにも、私はたびたびお聞きしておりますけれども、これには日本の領土であるということについては、わが国の領土であるということについては、1点の疑義もないと、こういうことを言っておられました。本県は、尖閣諸島を当然、したがいまして、石垣市の行政区域として、同市に管理させてまいりました。
ところで、この尖閣諸島に台湾漁船がたびたび不法侵入し、また漁労とともに、野鳥あるいは海鳥の卵を乱獲しているとの訴えがありました。特に、石垣市の漁民から対策強化について強い要請がありました。県といたしましては、同諸島周辺の保安について、警察当局並びに海上保安庁に依頼しております。
次に、東シナ海大陸だなの海底石油資源開発の問題については、本県経済開発にとっては、重要な問題であり、その開発にはばく大な費用と高度の技術を必要としますので、国とタイアップして、その早期開発努力したいと、こういうふうな所存であります。
なお、過去におきまして、琉球政府単独で、琉大に委託して調査し、1971年6000ドル、1972年に5000ドル、これは2回実施しており、また政府が東海大学に委託して調査し、これは71年、72年各年、800万円をいたしております。
今年度は、通産省に大陸だな石油資源調査費が組まれており、その中で、沖縄周辺の調査費として、1億4000万円が計上されておるのであります。
なおこの鉱業権の申請があったにもかかわらず非常に時間がかかったのではないかと、こう言われますが、この問題については三者からこれが出されておりますが、これが重複しておりまして、どうしても調整ができない。三つ折り重なっておりまして、それで非常に困難をして、時間もかかったと。そして結局、その琉球政府時代には、そういうふうな調整をして、認可、許可といったようなことまでには至らなかったと、事務処理について指導に来たかと、こういうことでありますが、地質調査は3回ほどやったと、そしてその事務処理にもいろいろ協力をするために見えました。そして見えましたけれども、先ほどのこの難関は、重複しておりますところの難関の解決はいたしかねたのであります。それから業者からの呼びかけがあったということは、これはなかったということでございます。
それで領土権については、私はこれは国のほうに、結局国の問題であって、ただ一地方自治体の問題じゃないと、こういうふうに考えまして、中国の声明を当時の琉球政府として、いまの沖縄県として、これを検討してどうこうというようなことよりも、また日本側の主張をこれはまた検討してどうこうするというよりも、これを先ほども御指摘がありましたように、両国の間で話し合いをして、これは解決してもらうよう沖縄県といたしましては、わが国の政府に要路の人にこれは要請していく以外にはないと、私は考えております。
それからこの防衛権だとか、それからその他のパトロールは海上保安庁もやっておりますけれども、こういう高度の問題につきましては、私とやかく簡単に、ここでどうこうというようなことは申し上げかねると、こう思います。この問題につきましては、あくまでも私たちがいま言い得ることは、領土権は日本にあるということははっきりしております。これは一点の疑義もないと、こういうことを言われますから、あと残っておる一面、これが大陸だな問題になりますが、これが開発ということについて、やはり話し合いによって解決されていくということを要望すると同時に、沖縄がまた損害をこうむるようなことのないようにやっていくということを要求し、また、要請していく以外にはないと考えております。ただいまのおっしゃるような気持ちはよくわかりますので、この問題につきましては、関係要路には、絶えず、われわれとしては、その筋道を通して折衝してまいる所存でございます。
なお、この領土問題につきましては、ここに尖閣諸島についてといって、1972年に外務省の情報文化局からも出ております。いろいろな歴史的な事柄も出ておりますので、どうぞひとつ、これはお持ちとは思いますけれども、あとでごらんになっていただきたいと、こう思います。
以上であります。
○議長(平良幸市君)
与那覇寛長君。
〔与那覇寛長君登壇〕
○与那覇寛長君
私は、教育問題にしぼって卑見を述べながら、質問をしたいと思います。
27年間、沖縄の教師たちは、異民族支配と戦いながら、日本国民育成の目標を掲げ、沖縄の教育を守ってきました。沖縄の教師たちに、この戦いがなかったならば、子供たちは、日本語もろくに話せず、復帰を拒否し、小笠原のように、復帰の時点で混乱を起こしたかもわかりません。沖縄の子供たちに関する限り、復帰が円滑にいったのは27年間の沖縄の教師たちの戦いの成果だといっても言い過ぎではないと思います。沖縄の教師たちのこの成果は、高く評価されてしかるべきではないでしょうか。
日本の教育は、1950年ごろまでは、200万のしかばねのなかから、また夫を失った未亡人の涙の中から、生まれたなまなましい憲法の中で、その中立性が維持されてきましたが、朝鮮戦争を境に、アメリカの圧力によって、が然、180度の転換をいたしました。それまでは文部大臣も教育者であり、学者でありましたが、教育の転換と軌を同じくして、文部大臣は、自由党代議士に置き変えられ、文部省は自民党の政策を進める機関に堕落し、権力の不当な圧迫に屈して、教育の中立性をみずからの手で放棄してしまいました。初めて自由党代議士として文部大臣に任命された岡野清豪氏は、「私が自由党の代議士であり、また文部大臣であるということは、時の与党である自由党の政策を進める教育番頭としてやっていきたいという意味だ」と第一声を放ちました。
この考えは、それ以後の党人文相に引き継がれて、次々に打ち出された反動立法としてあらわれ、具体的には指導要領に法的拘束性を持たしめ、教科書の検定制度を強化し、教育を軍国主義の方向へ推し進めていく力となっていくのであります。「復帰しても沖縄の基地には、いろいろ問題が残る」という教科書一文を削除させ、太平洋戦争を大東亜戦争と改めさせ、大東亜戦争必然論から肯定論へと傾斜の速度を早めさせている文教政策も、中国を仮想敵国と幻想した安保体制下に教育を組み入れた保守政党のしわざであります。さらに、昨年は中教審の答申案が発表され、日本の教育は、ますます反動のあらしの中に吹きまくられております。沖縄の教師たちにとって、復帰とは、このあらしの中にほうり込まれることを意味するのであります。
それで沖縄の教師たちは、これからますます管理体制が強化され、これまで守り育ててきた自主性も、創造性も奪われてしまうのではないかという不安に襲われております。このような本土教育の状況の中で、教育のあるべき姿を杉本裁判長は教科書裁判の判決文の中で次のように述べています。「教育は、国民が自主的に考えるべき事柄であって、国家が指図すべき事柄ではない。国家は、学校の設備を整えて、教育が十分に行なわれるようにする義務を負っているけれども、教育の内容まで決定する権限はない。教育の内容は、国民の委託を受けた教師が子供の魂の触れ合いを通じ、自主的に定めていくべきである。しかも、教育は真理に基づいた教育でなければならないから、教師は、学問の自由を保障され、どのような教材を選ぶのが一番適当であるかは、直接に子供の教育に当たる教師の判断にまかせられなければならない。」
これは杉本判決文の一節を要約したものでありますが、この杉本判決が最高裁でどういう結果になったにしてもこの判決文は、教育永遠の普遍的原理だと私は考えております。この普遍的原理が知事の施政方針にどうあらわれているか。それは学校教育の充実の項目の中の「教職員の自主的研修活動の促進」という短いことばの中に圧縮されていると私は考えております。現場の教師もこれで学問の自由、研修の自由が保障され、自主性と創造の意欲を盛り上げ、生き生きとした教育活動ができることを喜んでいることと信じております。それで教育長は、「自主的研修活動の促進」の施政方針を受けて、どのような自主研究を進めようとしておられるか。教育長のお考えをお伺いしたいと思います。
本土法の適用によって連合教育委員会が廃止になり、県教育委員会の出先機関として、各地区に教育事務所が置かれました。この教育事務所は、単なる出先機関として位置づけずに、所長に大幅な権限を委譲して、教育の地方分権の趣旨にのっとり、機能を十分に発揮させなければ、現場の教育にマイナス面が出てくるのではないかと心配しております。現在も委員会規則によって一部は委任されておりますが、もっと拡大して、補充教員の任命権、教科書採用の助言手続の権限、校長会の招集権限を委任するお考えはないのか、教育長の御見解を承りたいと思います。
これまで教科書は県一円が採用地区となっていましたが、今後は、各地区の教師の意見を尊重され、幾つかの採用地区を指定されるお考えを持っておられるかどうかお伺いしたいと思います。このことは委員会との関係もありますので、お答えを求めるのは無理かと思いますが、教育長としての御見解でけっこうでございます。
3番目は、高校進学率を引き上げる対策について。
昭和46年の高校進学率は、沖縄で67.9%、類似県で79.2%、全国平均で85%となっています。その差は類似県と約10%、全国平均だと約20%となっています。本県の合格率は約74%となっておりますので、私立学校に入学した生徒を差し引いても約4000人の生徒が希望を抱きながら入学できないことになっております。これらの生徒も国民として、能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利があるにかかわらず、他府県には見ることのできない中学浪人として暗い人生を送っています。
少年犯罪が一番多いのは15歳の少年というお話が警察当局からありましたが、この辺にも非行化の要因があるのではないかと思います。財政の関係で急には高校の新設は望まれないにしても、学級増加によって入学難を緩和する道を講じなければならないと思いますが、教育長の御見解をお伺いしたいと思います。
なお、普通コースをふやすか、実業コースをふやすかは富山県の例もありますので、慎重に御検討する必要があります。それで、このことは問題提起にとめておきたいと思います。
次は、公立学校勧奨退職について。
去る3月、公立学校の勧奨希望者の中には該当者でありながら、予算の都合で、他の政府公務員と同様に扱われず、相当切り捨てられましたが、これについては先日、3年以内に解決したいという知事の御回答がありましたので了解したいと思いますが、教員希望者でまだ未使用のものが300名も残っております。それに来年の卒業生を加えれば、およそ1000名若者が就職できずに遊ぶことになります。せっかく希望を抱いて大学を出てきても、これを受け入れる体制ができないことは、社会の大きな問題でありますので、このこともあわせお考えになり、早急に解決していただきますよう要望申し上げます。
教育長にお伺いしたいのは、予算案では公立学校の勧奨退職は71名予定されておりますが、学級減により、教職員が余ることはないのか。そういうことが去る3月のように、ごたごたが起こらないよう配慮されつつあるか、その点についてお伺いいたします。
次は、学校の校舎及び施設についてでございますが、これについては対応費の都合でせっかく体育館やプールは割り当てられても、返上する市町村が多くなるのではないかと心配して質問したいと思いましたが、先日の質問で他の施設にも同様のことがあることがわかりましたので、この問題については、各市町村が返上することがないよう御検討をお願いしたいと思います。
次、県立高等学校はこれまでほとんどPTAに依存して運営されていましたが、今度の予算ではどうなっているか。また教職員の福祉面の向上はどのように措置されているか、教育長にお伺いしたいと思います。
最後に、これは書いてありませんですけれども、はなはだ恐縮ですけれども、ことし沖縄で全国僻地教育振興会が催されると聞いておりますが、僻地教育の重要性についてはいまさら申し上げる必要もないのであります。今度適用になりました僻地教育振興法の中に、都道府県の義務として、僻地の先生方に研修の便宜を与えるように、そして旅費を潤沢に計上するように各都道府県の知事に義務が負わされておりますけれども、予算面で僻地教育の旅費がどうなっているか、教育長さんにお伺いして終わりたいと思います。
○議長(平良幸市君)
教育長。
〔教育長津嘉山朝吉君登壇〕
○教育長(津嘉山朝吉君)
質問に教育長お答えいたします。
第1点、教職員の自主研修を教育庁はどう育てていく考えかということについてお答えいたします。
御承知のように、教職員は絶えず研修と修養につとめなければならないと、さらに研修を受ける機会が与えられなければならないというふうに法の上でもちゃんと裏づけされております。すなわち、教職員にとって研修は職務遂行に不可欠の要素であると考えられます。
そこでこの研修は、少なくともあくまでも自主研修であり、これがサークル活動であり、あるいは県教委の計画する研修に参加するにしても、少なくとも、自主的な態度で参加しないというと研修の効果は期待が薄いものだと考えられます。
そこで教育庁として次の点について今後努力したいと考えております。自主的、積極的に研修に取っ組むように教師の自覚をこれからも促すよう教育行政の上で努力したいと。
第2点は、自主的な研究団体の活動を育成していきたいと。これは現年度の予算でも79団体に対して約1000万補助を予定しております。
さらに県教委の計画する研修でも、現場教師の要求する内容を把握しまして、これを組織計画していきたいと。さらに研修に十分参加できるように旅費等において予算上措置しなければいけませんので、これは僻地の先生方の旅費もそれの中に包含されますが、全体、小学校から高校までを含めまして、予算の上では1億8000万旅費が措置されております。
第2点は、教育事務所の権限の拡大についてでございますが、教育事務所は復帰後、連合区の構成区域をそのまま教育事務所として6つの教育事務所が置かれております。教育事務所の機能は御承知のように、市町村の教育委員会の指導あるいは連絡調整等、十分な行政が円滑にいくように設置されているわけでございまして、権限の一部は教育庁の事務を一部所掌分担しているわけでございますが、教育庁の権限の一部を事務所長に委任したのもございます。
さらに補充教員あるいは教科書採択の地域も、これからは全県同一教科書の採択ということは、そういうふうにはいかないと考えております。採択地区はさらに検討されます。
そのほか校長研修等の招集、これはおっしゃるとおり、さらに検討しまして、われわれとしても教育学校地域あるいは学校に密着している教育事務所の機能が十分に果たせるように検討したいと、こう思います。
第3点は、高等学校の進学率との関係でございますが、沖縄の中学生が高等学校に入りたいと、いわゆる希望する志願率84.2%でございまして、全国平均も86.8%で、志願率においては全国にほぼ似ておりますが、いろいろの都合で高等学校の進学率は47年度が71.1%、全国平均は85%でございまして、高等学校に入りたいけれども、入れない生徒がだいぶおるということは事実でございます。
それで振興開発計画の教育の長期計画としまして、昭和51年までに85%程度引き上げるような計画を持っているわけでございます。まず現在ある既設校の整備あるいは再編、拡充と、さらに新設校をあと5校つくるということによって進学率を85%に持っていきたいと考えておるわけでございます。47年度には1校学校を新設いたします。
教職員の福祉関係でございますが、教職員の福祉関係につきましては、復帰前共済組合がやっておった仕事は、県教育庁の福利課が所掌します。それで共済組合の支部の支部長は教育長が職名でやっておりますので、福祉関係について簡単に御説明申し上げます。
特に大きい問題から申し上げますと、貸し付けの問題は、いわゆる貸し付けの資金ワクは従来の約3倍から4倍ぐらいに資金の措置もできております。大ざっぱに申し上げまして23億と。その中身は簡単に説明申し上げますというと、大学に入るときに二口までは貸せますので、これは約60万は貸し出しできると。さらに住宅建設につきましては、1種が100万円、2種は新しくつくる場合には400万円の限度で貸し付けをし、目下受け付けておるわけでございます。そのほかに保健事業等によりましてドック入り等の個人あるいは一般、そういうのも約250人ぐらい想定しておりますし、復帰記念事業としましては、いま2000万適当な品物を組合員に配布したいと、こう考えておるわけでございます。さらに教職員の住宅等につきましても将来の計画に備えまして土地等の取得調査もしたいと考えております。
それから僻地教育の旅費につきましては先ほど申し上げました小中学校への旅費補助金等の旅費の中で、これはいろいろ内部で操作しまして、僻地教員の研修に必要な旅費は生み出したいと、執行の段階で出したいと、こういうふうに考えております。
それから勧奨退職のことにつきましては、71名分しか予算上の措置はされておりません。しかし、勧奨の該当者は義務教育だけで249名、約250名おりまして、71名勧奨してはいわゆる新陳代謝等について幾らか懸念される面もございますが、御承知のように、沖縄の教職員は高齢者が相当おりまして、この普通退職でも60カ月に、いわゆる限度額の60カ月に満つ人もおるわけでございます。そういう人は普通退職でも、いわゆる勧奨に近いような退職手当が与えられますので、そういうのもかみ合わせまして措置したいと考えております。けれどもが、児童生徒等は毎年沖縄の場合に4000人から5000人ぐらい減になりますし、児童生徒の減少に伴って教員減が70名内外いつも予想されます。そういうのとかみ合わせました場合には、新規採用のめどはなかなか全途が暗いということは予想されるわけでございます。
それからもう1点、県立学校の運営費等につきまして、これはこの県立学校の運営費は、PTAに依存する度がたいへん高かったわけでございまして、それは公費負担の原則に照らしまして好ましい状態じゃないわけなんで、特に、ことしの予算では教職員の旅費、消耗品、備品の購入額等は増額されておりまして、前年度の高等学校につきましては約3・3倍、予算額にしまして約2億7000万措置されております。特殊学校につきましても前年度の約1・5倍、2700万措置されておりまして、これによって経費の父兄への負担の肩がわりを大幅に少なくすることができるものと期待しているわけでございます。
以上で説明を終わります。
○議長(平良幸市君)
岸本安神君。
〔岸本安神君登壇〕
○岸本安神君
これまでの先輩諸公の代表質問、さらに、一般質問を拝聴いたしまして、実に私たち新米議員がこの議事堂に参加いたしまして、残念なことが1点あるわけであります。
それは、私たちが長年念願を続けまして、その戦いからかちとりました本土復帰の実現とともに、私たち沖縄県民が日本国憲法の下に沖縄がその位置づけをされたということであります。
その間題を取り上げた場合に、実に民主主義を否定したような質問のやり方があるということは、私にとってしごく残念にしてならないわけであります。
ここに沖縄が5月15日に復帰と同時に、沖縄県日本国憲法の普及協議会というのが設立されたわけであります。その協議会によりまして、沖縄のこれからの自治をいかにやっていくかというその基本的な理念のもとに、その憲法手帳が沖縄県民に普及しなければいけない。その日本国憲法が沖縄県民個人個人に徹底的に普及されて、その時点に立って、これからの沖縄の解決に沖縄県民がともどもに前進しなければいけないということを理念に持ちまして、発行した憲法手帳を持っておりますので―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――
そこで、私は今回の県知事の施政方針の中で5月15日の復帰とともに反戦平和、そして主権在民、地方自治の確立を保障した日本国憲法が県民の生活にすべての面をその憲法、都市の建設を目的にして、これからの県政運営に邁進するというその施政をお聞きいたしまして、実に感慨無量のところであります。
ここで、私たち県会におきましても、地方自治体制度における地方議会は、まずその根源を日本国憲法に求められ、すなわち第93条には「地方公共団体は、法律の定めるところにより、その議決機関として議会を設置する。」と規定されているわけであります。そのことは、地域住民の意向に基づいて地方の自治行政を執行しなければいけないというその理念が明記されているわけであります。
ここで私は、知事にお尋ねいたしますけれども、その沖縄の日本国憲法普及に対し、知事はこれからどのような体制で臨んでいくか、また逆に、それに伴う予算措置はどのような形態になっているか、2点をまず最初にお尋ねしたいと思います。
次に、都市問題と軍用地解放についてお尋ね申し上げます。
私は、いまや人類は世界的に最も苦難に立つ新しい問題に直面していると解釈するわけであります。これはすべての国においても、それぞれ多様な形で進行している都市問題解決があるわけでありますけれども、その都市問題の解決こそは、平和への努力とともに、人類を生活の根拠と本来の人間生活を回復する重要な問題と私は信じております。
ここで、人類が巨大なエネルギーを戦争のために費用を使い、かつまた生活を守るとする最も重要な仕事においては、努力をしてないということは歴史の示すとおりであり、私たちは、ここに大きく反省しなければいけないと本員は考えます。
われわれは、世界的な観点からそのいまの都市の現状が進行するならば、戦争や人類にももたらす大きな問題がこれからもまた続くことを創造されるわけであります。すなわち21世紀に向けて私たちはこれからの全人類が特に政治家、行政家、科学者、その他の問題解決に大きな輪を開き、ともに手をつないで、その都市問題の解決に私たちが知恵を結集する時期じゃないかと本員は考えるわけであります。
ここで私は、知事に特にお尋ねしたいことは、都市自治を実体的に、制度的に確立することは、都市において人間回復の基本的な出発であることを私は思っております。
都市問題の基本的な解決はあり得ないで、これからの沖縄の住民の生活とは生まれてこないんじゃないかと、かように思うわけであります。
ここで知事の施政方針を見まして、十大政策、七つの統一綱領はありますけれども、そこに私たちがいま沖縄の必要になってくる都市の綱領が必要になるんじゃないかと、そう思っております。この観点について、まず質問をしたいと思います。
ここで軍用地解放についてでありますけれども、知事の施政方針の中で、平和で豊かな県づくりを目ざすということであります。また軍用地の解放も各市町村においては必要になっているわけであります。県民生活を確保し、さらに都市施設を整備するための地域開発、都市計画、具体的な区画整理事業の支障となっている軍用地の解放は絶対的に必要であることは本員が申し上げるまでもないと思っております。
御承知のとおり、沖縄全面積の2388平方キロのうち、現在、軍用地には、その14.8%、353平方キロであります。返還協定に基づいて復帰時点で解放された土地が確かに2.5%、すなわち、59平方キロで、残り12.3%、294平方キロは復帰後も米軍が引き続き使用することになっており、私たち沖縄県民の要求とはほど遠いのであります。
特に南部、中部、都市においては、他府県との格差是正のために、立ちおくれた都市施設の整備拡充のために大きな問題になっているのは軍用地の解放であります。ここに市民生活はじめ、県民生活に大きな影響を及ぼしている、すなわち公園、学校、保育所等、その他幾多の問題がその軍用地解放を解決するならば、すぐさまにできることであります。
ここで私は、知事にお尋ね申し上げますけれども、これから革新知事といたしまして、その軍用地解放にどのような姿勢をもって対処していくか。ただ日本政府、アメリカ政府に文書だけの陳情では、私はその解放は不可能と考えております。ここに革新知事を先頭にいたしまして、沖縄県民が一丸になって、その解決にするならば、あわせて私たちの念願である都市解決はおふくろの愛情であるとともに、その私たちの目的が達成できると本員は考えております。その姿勢をまずお聞かせいただきたいと思います。
さらに3点目に、御質問いたします。本土復帰に伴いまして、消防行政の強化が必要になってくると本員は考えます。過去の27カ年にわたって、沖縄の消防行政はどのような歩みをしてきたかということは、私が申し上げるまでもないと思います。過去に基地から発走いたしました飛行機の墜落、燃える井戸の出現、軍用地のガソリンパイプから漏れた火事、軍事演習のための山林火災、その他、幾多の問題があるわけであります。さらに現在では、高層建築をはじめ石油コンビナート、そして港湾の新設、拡充、空港の拡張など、いろんな問題が山積みされているわけであります。
ここで私は現在、県のほうで私が特に希望したいことは、消防の防災課の設置であります。話をお聞きしてみますと、現在消防関係の職員が3名定員化され、その3名でいろんな問題を解決をしているということであります。
私は、現在、いままで警察当局がやっておりました救急業務、それが市町村におりられまして、その中で過去の、46年度の沖縄の消防白書を拝見した場合に、4億余りの、沖縄の人々がだいぶ害をされているわけであります。それは現在、やはり消防行政というのは、火事をすぐ消すだけでなく、その火事が起こる前にいかに防止していくかということが大切じゃないかと本員は考えます。その点について、まずお聞かせ願いたいと思います。
さらに部ならば条例化しなけばいけないと思いますけれども、課は規則で決定できるわけであります。私はその知事の権限によって、規則で課の設定をぜひお願いしたいと、かように考えております。その点の見解をお聞かせ願いたいと思います。
○議長(平良幸市君) 屋良知事。
〔知事屋良朝苗君登壇〕
○知事(屋良朝苗君) 御質問にお答えいたします。
第1点は、平和憲法をどのように普及していかんとするかというようなことを聞きたいということでありましたが、これについて。
4世紀半にわたる異民族支配下に沖縄県民は日本国憲法のらち外に置かれてまいりましたが、復帰の実現により、日本国民として憲法の庇護のもとに、権利を回復したわけでございます。
日本国憲法は、主権在民、恒久平和、人権尊重が基本となっており、平和民主憲法として世界に誇る憲法であることは申すまでもありません。しかしながら、ややもすると憲法改正論や民主的条項の空洞化が叫ばれておる今日、私どもといたしましては、あくまでも現行憲法を守る、その完全実施のために万全の努力を払う、そういう決意であります。したがって、憲法の適用が立ちおくれた県民に、憲法の精神を徹底させ、暮らしの中に定着させるために、これは従来もやっておったわけでありますけれども、後援会とか、学習会とか、展示会、出版物の刊行等を行なうとともに、憲法普及協議会など民間団体とも相提携いたしまして、普及運動を強力に推し進めていく所存であります。なお、今年度は広報予算の増額等憲法普及協議会への助成のために100万円が計上せられております。
次に、基地の解放の問題についてでありますけれども、これはたびたび申し上げましたとおり、やはりお互いが望んでおることは、基地のない平和の島としての回復ということを念願してまいったわけでありますが、しかしながら、その念願とはほど遠いのが沖縄の現状であるということでございますが、急激な都市化と過密化の中で、県民の生活環境を整えるための公共施設の整備と都市の再開発は今日的な重大な課題であり、これは急務とされております。
ところが御承知のように、沖縄は土地が狭い上に、その主要地の大半が軍用地になって占められ、特に那覇市及び中部地区の市街地においては、軍用地と民間地が複雑に入り込んでおって、基地の存在は都市の外延的拡大及び健全なる都市の形成をも阻害する要因ともなっておるのであります。このことは土地の効率的利用を妨げ、また基地の存在が地域社会にもたらす影響からも、まことに憂慮するものであります。基地の返還及び整理統合は、その健全性を回復するという見地から急務であると思量いたします。
これまで復帰前、市町村の都市計画、経済開発の上から21市町村が931万2000坪の軍用地の返還要求に対しまして、米軍当局はこれらの要請には配慮することなくして、米軍側の遊休地化した基地の返還が主でございます。そこで要請面積のわずか1.7%に相当する15万7000坪が返還されたに過ぎません。大半の基地が安保条約と地位協定下の提供基地として引き継がれたことはまことに遺憾でございます。
そこで沖縄県においては、平和で豊かな沖縄県づくりを推進する見地からあるいは社会の健全性を回復する上からも、今後とも基地の返還及び整理統合については積極的に取り組んでいく所存であります。
なお、従来も沖縄の基地問題につきましては、各市町村は市町村で、市町村の今後の経済開発あるいは産業立地という点から、それぞれの計画を持っておられます。こういうところを解放してもらいたい。こういうところはこういうふうに利用したいと、こう言ってやっておりますからして、そういったような自主的な要求ともあわせ考えまして、一つには、政府も復帰したならば要求もしやすいことである。またきのう、おとといも申し上げたと思いますけれども、サンフランシスコ平和条約発効後20年そこそこたっておると思いますが、その当時の国の基地の状況といまの状況を比較いたしまして、たいへん大方向をたどって整理縮小されたのであるからして、沖縄のほうもその例にならうと、こういうことも言っておられるわけでありますから、これはひとつ国にも一はだ脱いでもらわなければならぬ大事な問題でありますので、強くこれを要請してまいりたいと思います。
また沖縄の基地問題に対しては、たとえばB52についてもそうでありまするし、それから毒ガス問題についてもそうでありましたし、いろいろかつての立法院議会のお力になっておりますが、そういうふうな御意思等も私は背景として、この問題にはともどもに特っ組んでいって整理縮小の方向にたどらしむるべきものであると、このように考えております。
なお、この事柄は、整理縮小さるべきものとして、われわれ経済振興開発計画の中にも織り込んでいって、それも国のほうにも、政府のほうにも、これは提出してまいるわけでありますから、それも理解の上、国のほうにも力をかしてもらうようにいたしたいと思います。
第3点の消防、防災行政の充実策ということにつきまして、総務部のほうにこの説明をしてもらいたいと思いますのでそう御了承をお願いいたします。
○議長(平良幸市君)
赤嶺総務部次長。
〔総務部次長赤嶺武次君登壇〕
○総務部次長(赤嶺武次君)
消防防災行政についてお答えいたします。
火災、その他災害から県民の生命、財産を守るために、消防体制、防災体制を充実強化しなければならないという考え方に基づいて、その組織、財源措置、その方針、計画等を立案計画しているところでございます。
まず第1点目に、組織でございますが、御指摘のとおり、職員は3名で当たっております。これはいろいろと課数の制約を受ける中でそのようないきさつになっているものでございますが、他に係を、防災係を設置することについても検討してまいりたいと思っております。御指摘のとおり、課の設置は規則事項でございます。その中の係制度についても検討してまいりたいと思っております。
なお、47年度の国庫補助については、消防施設整備費としてポンプ自動車8台、化学車1台、防火水槽21基、消防無線20機、小型動力ポンプなどが予算措置されております。現在、その交付申請手続を進めているところでございます。
なお、県といたしましては、防災体制については、沖縄県災害対策本部要領及び細則あるいはそれに伴う対策本部、関係部あるいは地方支部などの組織をつくり、分掌事務を明確にして、今後の災害対策に万全を期す考えでおります。
その充実策につきましては、災害対策基本法に基づく県及び各市町村の地域防災計画を早急に作成し、それに基づいて指導し、災害の予防、応急、復旧対策等に十分なる対策を講じていく所存でございます。
なお、通信網についても、災害対策時における県及び全市町村に防災行政無線を設置し、災害時における被害状況、応急対策が敏速かつ適確に把握され、対策が臨機応変にとれるようにする考えで、県としては、5カ年計画をただいま策定中でございます。
なお、市町村の消防対策の整備充実としては次のような方針をもって臨んでおります。
まず第1に、消防力の整備をはかるため、ポンプ自動車、はしご車、化学車、救助工作車等の機動力の整備と消防水利等を整備していきたい。
第2番目としては、常設消防機関の設置及び消防職員の増員を促進し、消防組織体制の強化につとめるとともに、消防無線通信施設を充実していきたいということです。
第3番目には、消防行政の広域化を進めるため、一部事務組合、事務委託、相互応援協定等の行政指導を行なって、消防活動の円滑なる推進をはかっていきたいと考えております。
以上で説明を終わります。
〔「議長、休憩願います。」と呼ぶ者あり〕
○議長(平良幸市君)
休憩いたします。
午後5時4分休憩
午後5時5分再開
○議長(平良幸市君)
再開いたします。
本日の一般質問及び議案に対する質疑は、これにて終了いたしました。
次会は、明15日定刻より会議を開きます。
議事日程は、決定次第通知いたします。
本日は、これにて散会いたします。
午後5時6分散会
前発言
次発言
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