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平成23年(2011年) 第 5回 沖縄県議会(定例会)
第 7号 7月 6日
知事(仲井眞弘多)
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浦崎唯昭議員の御質問に答弁をさせていただきます。
まず第1に、知事の政治姿勢の中で、国政と県政の違いは何か、県民と国民の幸せのために全力を挙げることについてという、質問は易しいんですが、実は答えが非常に難しい中身になっておりますが、結論から申し上げますと、私の実感としては、恐らく国政も県政も基本は変わらないというふうに思います。両方とも国民・県民の福祉の増進、幸福の実現という基本的な理念は全く変わってないと思います。
ただ、私は、国の機関にはいましたが、いわゆる役人としての仕事をやってきました。そういう意味で、国政に参加と言うのもおこがましいぐらいのポストにしかいませんでしたので、私がコメントするのもどうかと思うんですが、ただ我々の時代は、もはや戦後ではないと言われていた経済白書が出た昭和32年から4年、私は昭和32年に大学に入り、36年に卒業と同時に官庁に入ったわけで、その時代はまだ敗戦後で欧米諸国に追いつき追い越せという強烈な思い、まさしく心を一つにした感があるぐらいの強烈な思いを持って、私は産業関係の政策の一端を担当していたんですが、皆同じ思いを持って、産業界も学会も官庁も同じ思いで、一種の心を一つにした感じで取り組んでいた感がありますが、基本的にこの国政と県政の差というのは、私、今知事を2期目、4年半やらせていただいて、基本的には変わりないのではないかという気がいたします。そして、特に沖縄県を例にとりますと、外交・防衛にも直接かかわっておりますし、地理的な位置から言っても、地図の上で左に中国、上に日本、右に太平洋を挟んでアメリカ、下にと言っては変ですが、フィリピン、インドネシアに続くこのクロスロードにいて、この位置的関係は永遠に変わらぬという中で、恐らく沖縄県の県政というのは、これから先も国政とほとんど変わらない課題へのチャレンジの連続なのではないかという気がします。
どうも卒業論文にもならない答弁で恐縮ですが、これが第1問に対する答弁です。
それから第2に、今度は、リーダーシップを発揮して県民の心を一つにして、この国難とも言うべき東日本の大震災へ沖縄県知事としてもリーダーシップを発揮すべき点があるのではないかという御趣旨の御質問だと思いますが、これも一通りまとめてみたんですが、なかなかきょうお話をまた改めて伺いますと、どうもちょっと違うなというところがあります。
ただ、県民の心を一つにしてという、沖縄の中ではいろんな点で実際にいろんな行動をとってきた歴史があろうかと思いますが、日本の場合は、先ほどおっしゃった「第一」、「第二」、「第三の敗戦」といいますか、それから後の展開というような堺屋太一さんのとらまえ方をするとすれば、私が若いころ、20代に体験した敗戦後の日本の産業を中心とした部門だけの経験ですが、文字どおり心を一つにして、日本が所得倍増計画もあっという間にクリアしたり、どんどんどんどん世界のナンバー2のGNPの大国になっていくプロセスを体験した感じでいきますと、この東日本の大震災対策において、逆にそういう議員のおっしゃった日本全体、国民が心を一つにしてというのが、むしろ必ずその思いとか力というのが出てくるのではないかという予感がいたします。これも答えになっているかどうか恐縮ですが、私の答弁でございます。
そして最後にもう一つですが、石原東京都知事の発言を引用されておられます。そして、日本国がむしろ崩壊の道をたどっているのではないかという、非常に警鐘を発する発言をやっておられますが、無論石原慎太郎知事は、もう御存じのように芥川賞作家でもあり、そして国会議員をやり、大臣をやり、今や都政の3期目を担っておられるというこの経験と厚みと感性がまるで違うもんですから、この石原慎太郎氏の発言について私が特にコメントする能力は持っておりません。そのまま受けとめたらどうかというのが私の感じでございます。
そして最後に、我が党の代表質問との関連ということで、日米両政府の普天間の辺野古への移設、私はこれは事実上不可能だということを言っているんですが、両政府が政府機関として、つい先ほどやはり辺野古ということを決めた。したがって、今度は辺野古が事実上不可能であるとすれば、逆に普天間は固定化されるのではないかということですが、これはまさしく考えられる一つの現実的なシナリオでもあると思います。ですから、これが非常に胸の痛むところで、基本的にどのようにしてこの固定化を防ぐかということですが、これまでのところ、いろんな議員の先生方に答弁しましたが、日米両政府とも辺野古ありきというか、辺野古以外にちょっと弾力的に物事を解決する三方一両損でも三方一両得でも、いい形でおさめる解決の方法というのは本来あるはずだと私は信じておりますし、そういう中で辺野古が現実には事実上不可能だということであれば、やはり日本国内のいずれかへ、余り国際問題化させないで持っていくというのが一番いい方法、要するに一番日本政府が中心になってまとめられ得る選択だと私は思っております。
ですから、結局は辺野古を考えると遅くなりますよというのを前から言ってきているわけでして、私も1年半以上前は条件つきとはいえ辺野古だと、こういうことをやってきております。ですから、賛成の方も一番多い地域だとは思います。しかしながら、現実に今進めようとしてもなかなか前へ進めないだろうという感も強くあります。したがって、これはむしろ県外の大きな空間に解を求めるほうが早い、この点を日米両政府にこれからどう説いていくか、ここのスピードとの競争になるだろうと思います。
ですから、一日も早く普天間の危険性の除去というのは基本的には移設・返還、これに尽きるわけで、ぜひこれは何とかめどをつけたいというのが私の今度2回目の知事選挙に出た理由の大きな一つでもありますので、そんなに物すごいいい方法が見つかっておりませんが、両政府の担当のところに早い解決は日本国内のいずれかだということで説得をしていくしかないというふうに考えております。
その他の御質問につきましては、副知事、部局長等から答弁させていただきます。
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20110507080040