平成14年(2002年) 第 3回 沖縄県議会(定例会)
第 5号 6月24日
伊波 洋一
 

 通告に従って一般質問を行います。
 昨日は「慰霊の日」でした。県民の一番の願いは、何といっても沖縄の地を再び戦場にしないことです。そのことを念頭に置いて沖縄戦の教訓について質問いたします。
 なぜ沖縄戦が起こり、20万人を超えるとうとい命が亡くなったのでしょうか。沖縄戦が始まってからの筆舌に尽くせないほどの多くの悲惨な出来事を私たちは知っています。しかし、なぜ沖縄で戦争が起きたのか十分には知られていません。
 沖縄戦は突然に始まったように見えますが、沖縄戦に至るまでに15年もの準備期間がありました。始まりは、満州事変の勃発した1931年のこの沖縄県議会における沖縄分遣隊・憲兵隊の設置要望の意見書の採択であります。
 戦争の準備の始まりとなった1931年、沖縄県議会意見書の要旨は、沖縄は、奄美大島とともに要塞地帯として指定されているにもかかわらず、1つの軍事施設もないので常設部隊を設置すべきである。同時に、要塞地帯の沖縄を監視するために憲兵隊を設置することは急務であり、将来の国防と県民の国防思想の養成は有事のため、また経済上の利益のためにも施設建設を切望するというものでした。同時に、沖縄県での最初の沖縄県振興15箇年計画の県案がつくられました。最終的には県案どおり、沖縄県振興15箇年計画が1933年に閣議決定されます。翌1934年には陸軍次官に沖縄防備対策が陸軍内部から具申されるのです。稲嶺県政の進める県内移設の推進と、ことしスタートする沖縄振興10年計画、15年問題など、まさに状況はその当時の状況と似ていると言わざるを得ません。
 その後の占領地の拡大とともに、1943年9月に皇土防衛すなわち天皇の国土を守るための絶対国防圏の後方に位置する南西諸島と台湾の防備強化、とりわけ沖縄県全体における航空基地建設が計画され直ちに着手されます。住民を根こそぎ動員して飛行場づくりをし、10数カ所もの飛行場がつくられるわけであります。さらに1944年3月には第32軍沖縄守備軍が創設され、続々と部隊が沖縄に結集し、6万人もの部隊がこの沖縄で陣地を構築するわけであります。
 そのような中で沖縄で行われていたのは、まさに沖縄を戦場にする準備であります。まさに沖縄を戦場にし、住民を巻き添えにして戦闘を長引かせ、「出血持久作戦」という名目で多くの戦闘が生まれたわけであります。
 そこで質問いたします。
 戦争は、基本的に軍隊と軍隊が戦うものであり、前線は敵軍の要塞や陣地に沿って移動していくわけであります。沖縄戦は、沖縄防衛のための戦争ではなく、沖縄住民を犠牲とすることを前提に本土防衛のために行われた戦争だったのではないか、知事の見解を伺いたいと思います。
 沖縄戦では住民を巻き込んだ戦争が3カ月も続き、12万2000人の沖縄住民を含む20万人余の戦死者が出ました。沖縄に日本軍の駐留がなく陣地の構築がなければこれほどの戦死者を出す沖縄戦にならなかったと考えますが、知事の見解を伺いたい。
 1895年以降、実戦部隊のいなかった沖縄県に軍隊を駐屯させる端緒となった1931年の沖縄県議会の意見書について、知事の所見を伺いたい。
 沖縄戦の教訓は、軍隊は住民を守らないということと、戦争は軍隊のいるところにやってくるということだろうと思います。知事の所見を伺いたい。
 ブッシュ米大統領の先制核攻撃、戦争政策は、米国が敵視する国家や集団が広大な米軍基地のあるこの沖縄を核攻撃することを正当化させるものであります。沖縄県民に壊滅的な被害を与えることになると思うが、知事の見解を伺いたい。
 ウルフォウィッツ米国防副長官は、「米軍駐留は「県民に有益」」、「負担を最小限に、利益を最大限にするように、常に努力している」とワシントンでの記者会見で述べていますが、米軍駐留で沖縄県民や自治体、地域が受けている利益が知事としてあると思うならばどのようなものがあるのか挙げていただきたいと思います。
 脱基地宣言について質問いたします。
 長野県の田中知事は「「脱ダム」宣言」を行ったように、21世紀の沖縄の未来のために沖縄県は脱基地宣言を行うべきだと考えるが、行う考えはありませんか。
 沖縄振興特別措置法と普天間基地返還について伺います。
 那覇新都心は、公共インフラ整備や公共建築、商業建築、マンション・住宅などの建設ラッシュです。これまで建築確認を受けた建物の総件数及び延べ床面積はどうなっていますか。また、全面積の何%が未利用地になっていますか。
 那覇新都心地区の公共インフラ整備にどれだけの予算が投入されてきましたか。また、商業建築や公共建築、マンションなどの建設にどれだけの資金が投入されていますか。工事契約額もしくは建物評価額で明らかにしてもらいたい。
 沖縄振興特別措置法は「開発」の文字が消えましたが、沖振法には「駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用」が明確に位置づけられました。特に、大規模跡地については国と県が責任を持って跡地整備の方針を定めなければならなくなりました。今後の沖縄における開発は基地跡地の開発、すなわち基地跡利用にシフトするべきだと考えますが、知事の所見を伺います。
 沖縄振興特別措置法は、平成24年3月31日に効力を失う10年の時限立法です。大規模跡地の開発について特別措置法はできたんですけれども、普天間返還が10年以内にできない。以降になるとすれば、釣り具はできたが釣る魚がないということになりかねない、知事の所見を伺いたい。
 私は、2005年ごろから2020年ごろまでのこの15カ年は、普天間基地跡地が県内の土木建設業者の事業の中心になるだろうとこのように考えてきました。知事の進める財産づくりの辺野古移設では、2020年ごろにならないと普天間は返還されない。普天間開発が消えるとなれば、この空白の15カ年は県内の土木建設企業にとってほぼ壊滅的なダメージを受けるだろうことは間違いありません。知事の所見を伺いたい。
 2年前には移設15年、使用期限15年を合わせて2030年までの海兵隊駐留を主張していた下地衆議院議員が、普天間飛行場の5年以内の早期返還、早期跡利用着手を目指して新基地建設ではなくて、嘉手納基地統合案を打ち出している。知事の所見を伺いたい。
 名護市長も海上基地が来ないのならば一番いいと答えているが、知事は県民の財産づくりのために海上基地建設は推進するべきだという考えか。それともつくらずに済むのならばその方がよいと考えるのか。
 普天間基地移設のSACO合意期限である1996年から5年ないし7年の期限は来年に迫っています。2月定例会では親川前知事公室長が普天間基地の辺野古沖移設までには15年程度かかると答弁したが、知事の認識も同様か答弁を願います。
 知事の言う県民の財産となる軍民共用飛行場というのは、いつから県民の財産になるのでしょうか。軍民共用空港ができたときか、それとも15年期限が過ぎて民間空港になったときか、明確にお答えをいただきたいと思います。
 平和賞と平和行政について伺います。
 稲嶺県政の平和行政を示すものとして沖縄平和祈念資料館の歴史改ざん問題があったように、軍隊を肯定し基地を維持する姿勢は稲嶺県政の本質であると私は考えております。今回の沖縄平和賞にもそのことが如実にあらわれています。すなわち、稲嶺県政が沖縄平和賞を創設する理由として基本構想で述べているのは、みずからは沖縄の米軍基地の存在を肯定し、平和への努力をせずに沖縄への基地集中がもたらす危険性を緩和してくれるアジア・太平洋地域での平和貢献活動に平和賞を与えるというものであります。既に選考委員も選任され、平和学の視点も強調されていますが、平和祈念資料館の歴史改ざん問題についての知事の釈明と軍隊に対する知事の見解を示していただきたいと思います。
 新那覇病院、県立高度・多機能病院、子ども病院について伺います。
 病院管理局が現在進めている新那覇病院、県立高度・多機能病院は、19万人の県民署名が建設を求めた子ども病院や、平成12年に県内医療関係者有識者が参加した高度多機能病院検討委員会で答申した高度多機能病院、そして県病院管理局がコンサルタントに依頼して作成させた高度多機能病院基本構想・基本計画のどれからもかけ離れて、高度多機能病院とは名ばかりの県立那覇病院の建てかえにすぎなくなろうとしています。このままでは子ども病院機能も、県人口の過半数の60万人の命を預かる南部医療圏の救命救急も、災害拠点病院機能も、離島医療支援機能も、その他の要望の実現も不十分なままに単なる那覇病院の建てかえになろうとしていることを指摘したいと思います。

 稲嶺知事や担当副知事、議会与党の責任は重いと言わざるを得ない。そのことを質問を通して明らかにいたします。
 延べ床面積の縮小に伴う困難な問題がたくさんあります。知事としていま一度高度多機能病院、子ども病院建設の原点に立ち戻って、病院管理局はもちろんのこと、福祉保健部や財政担当の総務部に査定の再検討をするよう指示してもらいたいが、知事の所見を伺いたい。
 整備基本計画で挙げている6つの新病院の機能とその他の機能で挙げている4つの機能について説明をしてもらいたい。
 臨床研修機能について、建設検討委員会では臨床研修のための図書室、病歴室、会議室、研究室、講堂など合わせて867.8平方メートルもとられていたが、5月15日のレイアウトではすべてなくなり、臨床研修機能として挙げられているのは185平方メートルの6階の研修医宿舎に附属する学生控え室だけである。当初3階にあった図書室や会議室、講堂等はどこにいったのか、臨床研修機能と言えるのか説明を求めます。
 なくなった講堂については、災害拠点病院としての機能を果たすためにジャンボ機事故での100名から150名の緊急な急患を収容する機能を付与されていたのですが、5月15日のレイアウトでは災害拠点病院としての災害時の緊急な急患収容を行う上ではどこに何名分設定されていますか。
 離島医療支援機能については、基本整備計画では重く位置づけられ、建設検討委員会では「離島・へき地遠隔医療支援情報システム」と合わせて180平方メートルが確保されていましたが、5月15日のレイアウトではわずか20平方メートルにすぎません。果たして離島医療支援センターと言えるのでしょうか。
 国際医療支援機能について、5月15日のレイアウトではどこに位置づけられていますか。
 整備計画で挙げられている「その他機能」のうち、精神障害者身体合併症の診療のためのエリア、重度心身障害者の歯科治療のためのエリア、さらに感染症の患者の診療のための隔離病棟はレイアウトでどのように確保されていますか。
 5月15日付の建家レイアウトでは、現県立那覇病院や中部病院との面積比較表が示されていますが、今回建設するのは母子総合医療センター・子ども病院を包含する新たな構想に基づく高度多機能病院であります。新たな高度多機能病院の面積比較は、高度多機能病院検討委員会での検討及び報告書に基づき県病院管理局が依頼した基本構想・基本計画、あるいは子ども病院関係者並びに県立病院の関係者が建設検討委員会を経てでき上がった病院管理局最終案との比較をすべきではありませんか。県の見解を求めます。
 病院管理局最終案と5月15日の建家レイアウトの部門別面積の増減を明らかにしてもらいたい。
 臨床研修機能としては、平成16年4月からの臨床研修の必修化に対応しながら、医師を確保し、離島医師確保や救命救急センターを円滑にする。救命救急センターは、67万人の南部医療圏の現在実現されていない1日24時間の二次、三次救急を確立します。全離島からの二次、三次救急も対応できます。母子総合医療センター・子ども病院機能及び総合周産期医療機能は、県民の求める子ども病院実現と全国に比して高い乳児死亡率の改善に大きな役割を持つものであります。離島医療支援機能や地域医療支援機能、国際医療協力機能もまたおのおのに重要な役割があります。さらに、災害拠点病院の役割とこれらのものを満たすためにはやはり面積が必要なのであります。これらの面積を確保するためには年額約9000万円の増額で済むのであります。
 この病院機能の充実による収益の増と県民が受ける医療利益の増分の方がはるかに何倍も大きくなると思うのだが、知事の見解を伺いたい。
 最後に、政治献金について伺います。
 稲嶺知事が毎年けた外れの1億円を超える政治献金を集めていることは、沖縄県政にとって大きな問題と思うので伺いたい。
 前回知事選挙のとき、稲嶺知事の資金管理団体「沖縄・未来をひらく県民の会」及びいなみね惠一後援会、沖縄政策研究会──現在の資金管理団体であります──の過去4年の毎年の収入とその内訳を明らかにしてもらいたい。
 平成10年、11年に企業献金した会社が献金した時点に県と請負契約があればどうなるか。
 稲嶺知事関係の特定パーティー届けはどうなっているか。明らかになった5回について、おのおののパーティー券料は幾らか。対価の支払いとはどういうことか。
 平成8年及び9年の政治団体の事業収入報告書では、パーティー収入は1人1万円程度の妥当な額だが、稲嶺知事のパーティーは1人5万円以上にもなっている。特定パーティーが企業献金の隠れみのになっているのではないか、県選管の所見を伺いたい。また、企業購入の場合に企業の一括購入かあっせんかどうか、どう見分けるのか。
 県と契約関係にある企業でも特定パーティー券の購入をすることができるのか。
 前回の知事選挙の法定の選挙費用の限度額と、ことし予定される知事選挙の法定限度額はどの程度になるのか。
 稲嶺知事は、毎年1億3000万円もの政治献金をどのように使っているのか、明確にお答え願います。
 答弁を聞いて再質問を行います。

 
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