平成12年(2000年) 第 2回 沖縄県議会(定例会)
第 5号 7月 7日
外間 盛善
 

 これより一般質問を行いますが、改選後初めての定例議会であると同時に、自民党復党後の初議会でもありますので、少しはドゥーフミーも交えて自画自賛も加えながら質問の前に所感を述べさせていただきたいと思います。
 本員は、昨年の秋、叙勲・褒章で当時の現職仲間中、初の藍綬褒章を受賞させていただきました。
 また、去る6月11日の県議会議員選挙において県下の最高得票というおまけつきの6期連続当選を果たさせてくださった県民の皆様に、まずはこの壇上をおかりいたしまして厚く厚く御礼を申し上げます。
 さらに、執行部並びにともに頑張ってこられた議員諸兄にも長きにわたる御厚情を心より感謝申し上げます。今後とも初心を忘れることなく初陣の気持ちで一生懸命頑張る所存でありますので、叱咤激励と御指導、御鞭撻を賜りますようお願いを申し上げます。
 さて、顧みまするに、私は、中央で38年も続いた55年体制、いわゆる自社対決の時代が終えんし連立政権・細川内閣が誕生したころ、仲村代議士を支持する仲間たちと一緒に1994年、新生党を経て新進党沖縄連合支部を結党した者の一人であります。
 1997年12月、新進党は解党しましたが、上原吉二、新垣哲司の両氏と私はたった3人で保守中道のローカル政党「新進沖縄」を結党し、以後2年半に及びました。これは一言では言い尽くせないいろいろな事情があってのことでありましたが、後援会を初め多くの皆様からの、早々に自民党へ戻った方がよいのではないかという声も多く、小さな政党ゆえに苦しい思いの連続でありました。しかし耐えること、我慢、隠忍自重も政治の一つという思いで頑張ってまいりました。
 さらに言えば、新進沖縄に残った最大の理由は、新進党時代に構築された公明党並びにその関係団体幹部との友情や信頼関係を持続し、一層連携を密にすることが県政の奪還、そして安定につながると考えたからであります。熟慮の末のこの決断こそ新進沖縄の存在意義であったのではないかと、当時を振り返り自負の念を強くするものであります。
 自公協力の出発点は、豊見城村の村長選挙からでありましたが、県知事選挙について申し上げますと、時の大田県政は基地問題や経済振興策などすべて八方ふさがりの状態に陥り、「県政不況」とも言われておりました。
 ところが、マスコミの調査結果によると、大田知事に対する県民の支持率は依然として高く、不動とさえ言われていたのであります。こうした状況の中で公明党の協力なしで県政を奪還することは厳しく、沖縄の政治の流れを変えるためには県知事選挙と衆議院選挙を一体的にとらえ、自公協力体制を確立することが県政の奪還・安定につながるという思いが我々にはありました。
 自民党と公明党の橋渡し役といいますか、仲介的な役割を果たす意味で新進沖縄は保守中道という立場上、最も適した団体でありました。したがって、新進沖縄が公明党との10回前後にわたる協議で常に念頭に置いたのもこの1点、すなわち自公協力の方向づけができないものかということでございました。
 当初、自公協力など実行不可能なことと一笑に付す向きがあり邪道だという意見もありましたが、しかし一方では真剣に耳を傾ける者もおり、話し合いを重ねるたびに自公協力に前向きな人がふえていったのはまことに喜ばしい限りでございました。
 特に県知事選挙において、県内経済界の幹部や自民党の代表などが手を携えてこの問題をともに真剣に検討し、最終的には中央政党の理解と強力なバックアップのもとに発信することができたのでございます。そして県知事選挙、衆議院の選挙区、比例代表、すべてに自公協力が功を奏し、稲嶺県政を運営する上で理想的な形になっていることは御案内のとおりであります。
 現在は中央でも沖縄の政党の動きを範として「自自公」を経て「自公保」体制が確立され、与党の安定多数で国政が運営されていることも御案内のとおりであります。
 以上の推移から、県内における自公協力の接着剤的な作業を終え、稲嶺県政を支える形で県議選、衆議院選を勝利したことで新進沖縄は十二分にその役目を終えたと判断いたしました。
 その結果、無所属にとどまる上原吉二さんは御一緒できませんでしたが、新垣哲司さんと2人しばらく離れていた古巣・自民党へ復党させていただきました。
 客観的に見て自公協力体制には不完全燃焼というか、まだ不十分な面がなきにしもあらずの感がありますので、今後は自民党内にあってこれまで築いた信頼関係をもとに公明党のよき理解者としてもろもろの問題にともに対処してまいりたいと考えております。
 今回の復党に際し、自民党の仲間の皆さんには快く迎えてくださったことに深く感謝し、今後は県政与党の立場から皆さんとともに一緒に県勢発展と安定のために頑張ることをお誓いいたし、さきに通告した質問事項に移りたいと思います。
 まず1番目、漫湖周辺の環境問題についてであります。
 漫湖は平成11年5月15日、中米コスタリカで開催された第7回ラムサール条約締約国会議で世界の優良湿地として登録され、国際的重要性が認められたところであります。
 我が国では11番目の登録になりますが、全国でも都市部における登録は漫湖だけだそうでございます。加入国103カ国という国際的にも重要な湿地に関する条約に我が国も加わり、県は那覇市、豊見城村とともに漫湖を世界の優良湿地に推奨しました以上、国、県ともに湿地の保全を促進する義務があります。
 ところで、質問の第1点は、最近の漫湖周辺はマングローブの蔓延とともに陸地化が進み、水鳥や渡り鳥の生息数も年々減少し環境に著しい変化が起きておりますが、その対策と展望をお聞かせいただきたい。
 2番目に、国は今年度予算で漫湖の左岸側に環境庁の直轄事業として水鳥・湿地センターの整備を決定されましたが、その事業概要について極力詳しい御説明を願いたいと思います。
 3つ目、同地域は饒波川が漫湖に合流する左岸側あたりで、今では10ヘクタール内外のマングローブが群生しており、その中を水際まで遊歩道を整備すれば水鳥・湿地センターとの一体性が生まれ、観光施設の少ない都市部にエコツーリズム型の新たな観光資源の形成が図られ、観光沖縄の名所にもなると思われるがどうか、御所見を願います。
 4番目、さらに当該地域は饒波川下流の左岸側、石火矢橋のたもとから那覇市字小禄へ通じる道路が戦前から戦後の一時期まで「どぅ村・下原道」として利用されてきましたが、火葬場ができてからこれに遮断される形となり、人通りも現在はありません。水鳥・湿地センター完成の暁には豊見城東サイドからのアクセスも重要であり、火葬場の移設も考慮に入れながら当該旧道を一日も早くマイカー時代に対応できる自動車道としての整備・復元が望まれておりますが、この点についてどのような御所見をお持ちでしょうか、賜りたいと思います。
 なお、国場川水系の饒波川、国場川の都心地域で護岸工事も施さず河川事業が放置されているのは当該地域だけであります。幸か不幸か公共事業の処女地であり、おくればせながらも場所が場所だけに環境に優しい親水性のある護岸工事を、前問の道路復元工事と並行して推進すれば国場川と饒波川を結ぶ一周道路が完成し、漫湖周辺はより明るくなって観光沖縄にふさわしい景観が実現できると思われるがどうか、御所見をお聞かせいただきたいと思います。
 この件に関する質問は以上で終わりますが、土木建築部河川課とそれから文化環境部自然保護課の皆さんの御努力に対し、この場をかりてお礼を申し上げたいと思います。
 このことについては今、漫湖周辺の環境問題が問われてから久しくなりますが、特に饒波川の河口付近のマングローブの蔓延は陸地化を進め干潟を失うばかりではなく、通水障害のおそれがあることから、本員はこれまでその撤去方について大田県政時代から何度となく取り上げてまいりました。しかしながらなかなか実現を見なかったのでございますが、稲嶺知事にかわりましてから早速対策会議を設置されまして、目下この撤去作業の推進中でありまして、まだ半ばしか終わっておりませんが、やはりこの整備がつけられたところと残っている部分では環境に大きな変化が出て大変明るくなっている。これを最後まできちっと進めてくださいますことをあわせてお願いしながらお礼の言葉にかえておきたいと思います。

 本当に御努力、大変感謝申し上げます。
 それでは進行します。2番目に基地問題についてであります。
 本員が去る選挙で特に強調したのは、1つには普天間基地移設の条件整備として北部12市町村に向こう10年間で1000億円の振興予算が約束されたこと。あと一つは、沖縄県米軍基地所在市町村特別事業いわゆる島懇事業として例えば嘉手納町の約250億円の再開発事業、北谷町での生涯学習支援センター、沖縄市の子ども未来館、中の町再開発事業などおおむね40項目の事業に対し総額1000億円という、実質的には100%全額補助による事業予算が米軍基地の所在する中北部を中心とする25の市町村に約束されていることの2点であります。
 その両者のトータルでは、向こう10カ年間で米軍基地が所在する中北部に2000億円の予算が約束されたことになり、中北部の発展は約束されたも同然であります。これは沖縄県にとって大変ありがたいお話でありますが、比較して米軍基地のない南部、離島、先島などは全く予算の枠外に置かれております。
 沖振法の理念は、自立経済の基礎条件整備は均衡のとれた発展を遂げることを目指しておりますので、国と県の責任においてしかるべき振興策を示すべきだと思いますがどうか、まだ見えておりません。
 そこで一考すると、南部には米軍基地はないが自衛隊基地はたくさん点在し配備されております。これらの基地は、去る大戦で占領されたものと後に強制的に接収されたものでありますが、復帰を境に沖縄県に対しても自衛隊配備の関係から一部自衛隊が引き継いで使用しているという状況であります。
 基地機能と県民の生命財産を守るという目的は同じでも、米軍基地所在市町村には思いやり予算等たくさんの予算が投入されておりますが、自衛隊基地周辺に対する予算的な配慮は十分ではないように思われます。
 そこでお尋ねいたします。
 (1)、米軍基地と自衛隊基地はどこがどう違うのか、相違点を明らかにしていただきたい。
 (2)番目、基地にまつわる国の特別予算は米軍基地の所在市町村に傾斜し、自衛隊基地の所在市町村には配慮が足りないように思われるがどうか、その実態と理由を御説明願いたい。
 沖縄県は、全島的に基地の被害やそのあおりを受けており、米軍基地のない南部や離島、先島にもそれなりの国の特別予算や振興策が必要と思われるがどうでしょうか。
 また、県は国に対してそのことについて強く要請すべきと思われますが、この点についてもあわせて御所見を賜りたいと思います。
 大きい3の那覇空港の沖合展開についてはさきに行われた代表質問、一般質問で出尽くした感がありますのでやめます。
 それから4番目の我が党の代表質問との関連についても特にありませんので、以上で質問を終わります。
 ありがとうございました。

 
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