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昭和60年(1985年) 第 9回 沖縄県議会(定例会)
第 6号 10月16日
第 6号 10月16日
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議 事 の 概 要
昭和60年10月16日(水曜日)
午前10時5分開議
日程第 1 特別委員辞任の件
日程第 2 乙第1号議案(総務企画委員長報告)
日程第 3 乙第2号議案(文教厚生委員長報告)
討 論 乙第2号議案 沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例
日程第 4 乙第5号議案(文教厚生委員長報告)
日程第 5 乙第3号議案、乙第4号議案、乙第6号議案及び乙第7号議案(土木委員長報告)
日程第 6 甲第1号議案(総務企画委員長報告)
日程第 7 甲第2号議案(文教厚生委員長報告)
日程第 8 国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議
討 論 議員提出議案第1号 国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議
日程第 9 農業、水道用水等に対する流水占用料等徴収構想撤回に関する意見書
日程第10 陳情21件(総務企画委員長報告)
日程第11 陳情11件(経済労働委員長報告)
日程第12 陳情38件(文教厚生委員長報告)
日程第13 請願1件及び陳情5件(土木委員長報告)
日程第14 陳情4件(米軍基地関係特別委員長報告)
日程第15 陳情1件(国民体育大会対策特別委員長報告)
討 論 陳情第165号 国民体育大会の民主化等に関する陳情
日程追加 会期延長の件
日程第16 閉会中の継続審査の件(議事延期)
午後7時32分散会
○議長(志村 恵君) これより本日の会議を開きます。
日程に入ります前に報告いたします。
10月7日の会議において設置されました決算特別委員会の委員長から、10月8日の委員会において、委員長に桑江良逢君、副委員長に金城重正君を選任したとの報告がありました。
また昨日、外間盛善君外11人から、議員提出議案第2号農業、水道用水等に対する流水占用料等徴収構想撤回に関する意見書の提出がありました。
○議長(志村 恵君) 日程第1 特別委員辞任の件を議題といたします。
10月11日、岸本忠三郎君から、都合により決算特別委員を辞任したい旨の願い出がありました。
お諮りいたします。
岸本忠三郎君の決算特別委員の辞任を許可することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、岸本忠三郎君の決算特別委員の辞任を許可することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 次に、お諮りいたします。
ただいま、岸本忠三郎君の決算特別委員の辞任が許可されたことに伴い、その補欠委員を選任する必要があります。
この際、特別委員選任の件を日程に追加し議題といたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、この際、特別委員選任の件を日程に追加し議題とすることに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 特別委員選任の件を議題といたします。
決算特別委員の選任については、委員会条例第5条第1項の規定により田場盛徳君を指名いたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、決算特別委員に田場盛徳君を選任することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 日程第2 乙第1号議案を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
総務企画委員長。
〔総務企画委員長 儀間光男君登壇〕
○総務企画委員長(儀間光男君) おはようございます。
ただいま議題となりました乙第1号議案について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、総務部長の出席を求め慎重に審査を行ってまいりました。
以下、審査の過程における執行部の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
本案は、恩給法等の一部が改正されたことに伴い、旧沖縄県県吏員恩給規則の規定による恩給受給権者に対する恩給支給条画第6条の規定に基づき、同条例をこれらの法令の改正に準じて改正する必要があり、並びに国民年金法等の一部が改正されたことに伴い、条例附則第13項の字句等を改める必要があるとの説明がありました。
本案に関し、種別ごとの受給権者数及び引き上げ額についての質疑がありました。これに対し、昭和60年3月末日における受給権者の数は、退隠料受給権者が11人、公務扶助料13人及び普通扶助料23人で、合計47人である。条例改正による平均年額引き上げ額は、退隠料106万6582円を110万1527円に、公務扶助料147万9869円を155万1192円に、普通扶助料64万74円を66万4587円に引き上げられるものであるとの答弁がありました。
次に、条例改正による予算措置はどうなっているかとの質疑がありました。これに対し、条例改正による増額見込み額は125万6419円を必要とするが、受給権者の1人が死亡し失権したことにより、既決予算の範囲内での支給が可能であり補正の必要はないとの答弁がありました。
以上で委員会における審査の経過を申し上げましたが、審査の結果、全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより乙第1号議案を採決いたします。
お諮りいたします。
本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、乙第1号議案は、原案のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第3 乙第2号議案を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
文教厚生委員長。
〔文教厚生委員長 伊良皆高吉君登壇〕
○文教厚生委員長(伊良皆高吉君) ただいま議題となりました乙第2号議案沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、教育長の出席を求め慎重に審査を行ってまいりました。
審査の過程における教育長の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
本案は、沖縄県立中部工業高等学校の住居表示の変更及び沖縄県立開邦高等学校の設置のため、条例を改正するものであります。
本案について、県立開邦高等学校は、高校への進学率の上昇に伴い、生徒の個性、能力等が多様化している状況にあって、このような生徒の実態にこたえ、生徒の個性、能力の伸長を図るため、専門教育を施す学科を置く高等学校として設置しようとするものであり、来年4月に開校を予定しているとの説明がありました。
本案に関し、まず最初に、開邦高校の設置計画の経過についての質疑がありました。これに対し、県立学校編成整備計画を円滑に処理するために設置された協議会から、昭和56年に、望ましい学科の構成、生徒の多様化に対応するための学科の新設等を検討すべきとの報告を受け、具体的な計画を立て学校を新設してきた。開邦高校の設置もその一環であるが、昭和58年、当時言われていた那覇H高校を特色ある学校として設置するための事務的な検討に着手したとの答弁がありました。
次に、昭和58年に、特色ある学校は、単独独立校としてつくった方が望ましいと2年前から計画されていながら、本県の高校教育を大きく変えていく重大な高校の新設が秘密裏に進められ、教育の主権者である県民に知らされていないのはどうしてかとの質疑がありました。これに対し、開邦高校の設置を秘密裏に進める考えはないし、特色ある学校とはいえ、高校の新設がこれだけ問題になるとは当初予想していなかった。高校の新設は、過去の例からしてもその設置手続は大体1年前からやっており、今回も従前の規定、手続に従ってやったとの答弁がありました。
次に、開邦高校の通学区を全県一学区にすることは、高校教育の三原則の1つである小学区制に相反しないかとの質疑がありました。これに対し、開邦高校の学科設置は全県に1つしかない学科だから、地教行法第50条の趣旨に基づいて教育の機会均等を図る上からもその通学区域は全県域でなければならない。そのほかの浦添工業の調理科、那覇高校の看護科、首里高校の染織デザイン科等の特色ある学科についても全県域で生徒を募集しており、小学区制とは直接的な関係はないとの答弁がありました。
次に、今急がれているのは、多くの議論がある特色ある学校の設置でほなく、教育諸条件の改善とマンモス校を解消して、一人一人の生徒に行き届いた教育ができるような条件整備のために最大の努力をすべきではないかとの質疑がありました。これに対し、過大規模校の解消についてはこれまでもやってきているし、これからも引き続きやっていくために過大規模校解消計画を立てている。特色ある学校づくりについては他県では17年前からなされており、本県はその面でかなりおくれている。生徒一人一人に行ぎ届いた教育を行うことは大変重要なことだが、それはそれとして別途に進めていくとの答弁がありました。
次に、首里地区は、他地区に比べて高校合格率が低いので、首里地区に普通高校を増設してもらいたいとの要請がなされているが、これに対する対策はどうなっているかとの質疑がありました。
これに対し、首里地区は、首里東高校が設置された昭和59年度から特に普通科志向が高く不合格者がふえる傾向にあるので、その対策を講じていかなければならないが、首里地区、那覇地区の中学校卒業者は昭和60年をピークにして漸次減る傾向にある。したがってピーク時の当面の対策はどうしても講じなければならないが、従来もそういった場合には既設の高校のクラスを増減して対処してきているので、今回もそういった対処の仕方をしていきたい。その場合に、今でさえ過大規模校を抱えているという議論が出ているので、こういったことにならないような形で進めていきたいとの答弁がありました。
そのほか、県立高等学校新増設計画、開邦高校の名称、学校教育における指導の努力点、開邦高校の寄宿舎設置計画、特色ある学校づくり、中学校における進路指導の問題点、能力、適性、進路等の多様化した生徒のニーズと父母及び社会のニーズ、高校教育の三原則、小学区制の評価、教育機能と集団の持つ教育力、学力の学校間格差、普通高校への理数科設置、県出身中高校生の他府県への留学状況等について質疑がありました。
以上が委員会における審査の概要でありますが、採決に入る前に本案に対し、社大党所属委員、社会党所属委員、共産党所属委員及び公明党所属委員からそれぞれ反対の意見表明、また自民党所属委員から賛成の意見表明がありました。
審査の結果、本案は、多数をもって原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより討論に入ります。
討論の通告がありますので、順次発言を許します。
嘉陽宗儀君。
〔嘉陽宗儀君登壇〕
○嘉陽宗儀君 日本共産党県議団の一員として、乙第2号議案の開邦高校の設置に関する条例の一部を改正する条例に反対する討論を行います。
県教委は、来年4月開校予定で開邦高校の建設を急速に推し進めています。しかしこの高校設置は、手続の面で県民世論を納得させるという点でも、学校の教育内容でも、さらに県教育の抱えている課題を解決するという点でも大きな問題を含んでいます。
県教委の打ち出した方針は、高校への進学率の上昇に伴って高校生の個性、能力、進路等が多様化してきたことと、社会的要請に基づいて特色ある学校づくりとして開邦高校を設置するというものであります。
まず、その方針について、これまでの議会の論議を通じて明らかになった問題点について指摘したいと思います。
個性、能力、進路が多様化しているという問題でありますが、これは高校の授業についていけない生徒がふえていること、つまりはできる子供とできない子供がいるということがその内容だということが明らかになっています。
確かに今の高校生の中では、数学の分数計算さえできない生徒、小学生で習う漢字さえ読み書きできない生徒、入学試験の問題が全く解けない教科があっても入学している等、既に小学校や中学校の段階でしっかり学習し身につけておかなければならないのに、それを克服しないで、わからないものを引きずったまま高校生になっているという状況もあります。しかしこれはこれまでの9年間の義務教育に重大な欠陥があるということを示すものであり、その欠陥が高校教育段階に噴き出ているにすぎないのであります。できる生徒とできない生徒がいるから、それに合わせて学校をつくるという多様化政策は、本当に子供たちの発達を保障するものでないことは明らかであります。
今、教育行政としてやるべき大切なことは、落ちこぼれを出した義務教育に欠陥はなかったのか、それを点検し直し、本当にすべての子供たちに行き届いた教育、すべての子供たちが伸びる教育のためにこそ最大の努力をすべきであります。
岩手県では、全国的に後期中等教育の多様化が推し進められる中で、義務教育の充実こそ大事だということで運動に取り組み、大きな成果を上げた経験を持っています。各家庭で子供たちが自分の勉強机が持てるようにという運動を通して、年間10%から80%に引き上げさせ、それによって生徒の家庭学習をしっかりさせたとか、子供に勉強部屋を与えようと運動し70%が持てるようになったとか、それぞれの市町村で教育環境の問題点を掘り起こし、住民総ぐるみで実り豊かな実践活動へ盛り上げています。そして教育振興運動として、1、児童生徒の学習意欲を高め、2、学校教育と家庭教育の振興、教育条件の整備拡充、4、地域社会の教育環境の醸成等に取り組んで大ぎな成果を上げています。
沖縄の生徒たちは、本土と比較して知能は同じだが、学力で立ちおくれているとよく指摘されています。それであれば、それはいかに沖縄の子供たちが勉強しにくい悪い条件に置かれているかということを示すものでしかありません。マンモス校ですし詰め学級になっているために、教師が子供一人一人に本当にわかる授業、行き届いた教育をすることができない状況にあります。そのために生徒の学習効果もなかなか上がらず、わからないことがそのまま持ち越され、それが積み重なり、ついに落ちこぼれていくという状況になっています。しかも教育内容も超過密となり、教えにくさ、学びにくさが大きくなってきています。ま
た教材、教具についても改善はされたというものの、まだまだ本土との格差があり、学校図書館には司書教諭も配置されず、図書の内容も極めて貧弱な状況が放置されたままであります。また地域における社会教育施設の整備も大きく立ちおくれています。各地域に利用しやすい図書館はなく、美術館、芸能館など、あるいはまた健全な子供の遊び場がほとんどないために不良遊戯場が出現して子供たちをゆがめるという状況もあります。さらに県民所得が全国平均の73%でしかなく、子供の教育のための支出も制限され、おまけに公教育費の削減によって父母負担はますますふえる中で、通学させることさえ苦痛になっている親もふえています。
このような沖縄の教育の置かれた劣悪な状況だからこそ落ちこぼれの問題もあり、本土との格差の問題も出てきているわけであります。したがって落ちこぼれを出さない教育で本土との格差をなくすためには、これらのもろもろの諸条件の整備を早急に解決することこそ緊急な課題であります。それをやらずに子供たちのペーパーテストの結果によって輪切りにされ、進路を決定するという現在のやり方は高校教育をゆがめる大きな要因になっています。落第すれば元も子もない。何はともあれ高校に合格することが先決だ。合格したいなら、君の学力ではこの高校だと言われたら従うしかないような状況もあります。
そういう中で、子供たちはどうすれば自分がよりよい高校へ入れるのかで頭がいっばいになります。ある生徒は、友を理解者としてではなく、一人の競争者としている。毎日の会話もとげとげしく、相手の腹の探り合いである。そして相手を少しでも負かすことによってとても満足感を覚える云々。でも、なぜ大切な友情も忘れて勉強する必要があるのか、入試というものはこれほどまで心を暗くするものなのか、こんなことで本当の立派な人間がつくられていくのだろうかと告白している生徒もいます。
志望から外された生徒は、学校に対する意欲を失い、テスト、テストで追い立てられる授業、家庭の過大な期待に押しつぶされそうになります。
私が教員時代に、生徒に教育に関するアンケートをとったことがありますが、その中には実に現在の高校教育の矛盾を鋭く告発するものがたくさんありました。何の時間でもそうだが、授業に対して全然熱が入らない。ただポカーンとしている。近ごろは余計にそれがひどくなっているみたい。卒業して社会に出て自分に何ができるだろうか。自動車科に進んできたが、その専門に対して興味がない自分、あと少しで社会に出る自分、その社会に出ることがとても怖い。自信の持てるものが一つもない。何でも失敗するんではないか。そういうことを考えると頭が痛くなる。それで近ごろは考えることをしない。そうすると頭は軽くなる。どうにでもなれという気持ちだが、それでもあせりというものか何かを感じる。僕は一生、整備工場で生きていくのかと思うと自信をなくして学校にも行ぎたくなくなる日もありました。油で汚れた作業服、機械の熱がムンムンして暑そうな作業場、一日中、一生こんな所で働くのか。このように、テストの成績で進路を決定された生徒たちが高校生活の中でいかにゆがめられ、傷つけられているか、この悲痛な叫びを真剣に受けとめなければなりません。
そもそも、戦後の高校制度は、戦前の中等教育が中学校、高等女学校、実業高校などの種別によって教育内容も卒業後の資格も違うという明確に差別的な制度であったことの反省に立って、教育の機会均等を保障する憲法と教育基本法の精神に基づいてつくられました。大単位制で6教科38単位の共通必修の上に、個人選択制を大幅に取り入れて共通必修科目をしっかり身につけることを高校教育としての最低の共通、共同の学習内容とし、その上に個人の適性、進路に応じて各教科を自由に選択することができるようにしておりました。そしてたくさんの学校をつくり、一学区一高校として高校も住民の手に届くものとし、学校差をなくする小学区制、男女の教育上の差別をなくする男女共学制、多くの教育課程を用意して共通な基礎の上に立って、希望や進路に応じて課程を選択し得るようにする総合制という高校教育の三原則も強調されました。
しかし、アメリカ占領軍と日本の反動勢力は、高校教育のこうした方向での発展を保障しようとしないで、少数のエリートと大多数の低賃金労働者をより分けて育成するという独占資本の要求にこたえて、差別教育を強める政策を一貫してとってきています。
1956年実施の高等学校学習指導要領では、選択制の原理が廃止されて、普通科の教育課程を進学、就職、家庭向きなどに細分化して生徒を振り分ける類型制、コース制を採用し、1963年には国語、社会、数学、理科、英語などの普通教科の中のかなりの科目に学習の内容、程度を異にするA、Bの2種類をつくって教育課程の一層の細分化と多様化を推し進めてきているのであります。それによって共通必修科目の共同の履修を基盤として国民的教養の拡充に資する、まさに国民的教育機関としての高等学校の性格は根本的に変えられたのであります。
工業、農業、商業などの職業を主とする学科では、普通教科の学習内容が普通科よりも低くされて、大学進学の道が阻まれるだけでなく、職業に関する専門科目を正しく学ぶのに必要な基礎的知識さえ不十分となり、就職目当ての細切れの技能を詰め込む教育となり、普通科においても少数のエリート育成を目指す理数科や理科コースと他のコースの生徒との間に差別をつくり出す教育が強化されてきています。
このように、高校生は高校のある学科、コースに押し込まれたならば他の道の選択は事実上許されず、一人一人の能力、進路が限定されてしまっています。そしていずれの学科やコースにしても自発的な学習意欲を失わせ、真の科学的な思考力、批判的精神の育成を弱め、誤った優越感や劣等感、個人主義を植えつけて高校生自身からも授業内容がつまらないとか、授業についていけないとかの矛盾が大きくなってきています。
現在では、この多様化は実に二百数十の学科が設けられるまでに至っています。
1975年には、全国的には普通科と職業科の割合は6対4となっていましたが、各地からの多様化反対の教育運動が大きく盛り上がる中で、現在では普通科7、職業科3までになっています。ところが我が沖縄は普通科57対職業科43の割合で全国的に見ても多様化が推し進められている状況にあります。
多様化した職業科へ生徒たちを振り向ける今の県教委のやり方は、生徒たちを劣等感に突き落とし、無気力に追いやるものになっています。そのため高校職業科は、中学の選別教育のしりぬぐいをさせられているわけであります。この子供たちはできが悪い、だから学校が選んだ職業科で教育する、それが幸福につながると言ってあきらめさせておいて進路指導をするという状況があるわけであります。
もともと、学校教育法の「高等学校の目的」は、「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」とうたい、その解説書には、「高等普通教育と専門教育の両者をば必ず併せ施さなければならないのであって、一方のみを施す高等学校は認められないのである。
それには2つの理由がある。1つは従来の高等学校のように大学予科的な性格をもち、高等普通教育のみを施してきた特権的な高等学校を排除するということ、1つは学校体系はその何処を切ってみても完成教育でなければならないということである。」とあります。また同法の「高等学校教育の目標」では、「個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。」とあるように、基本的な諸事実に関する知識によってあらゆる学習の能力を発達させ完成させることが必要であります。
客観的真理をあらわす知識や技術をそれとして学び、その上でそれを自己の仕事や当面の必要に応じて再編し応用することこそ科学的思考力と創造性の源泉となるし、広く深い教養を持った人間こそが求められているわけであります。そのことからも明らかなように、細切れ化した生徒の全面発達につながらない多様化は否定されなければなりません。
現在、多様化教育は、不断に進む設備更新、新技術の導入、職業構成と労働内容の高度化変化といった事態に対応する能力を育てることができず、合理化の進展の中で細分化、固定化された技能や熟練が前より低く評価されるようになり、さらにはすぐに役立たないという状況もつくり出されてきています。より狭い範囲に細分化され、それだけ基礎的教養の面での突っ込みを浅くさせられた職業教育が、高校生自身にとって彼の将来をより安定させ、能力を生かしていけるものとならないことは明らかであります。
職業科高校と職業訓練所の違いは、一体どこにあるのかという現場からの疑問も出されています。
社会が複雑になり職業が多様化しているとき、中学を卒業の時期、つまり15歳でできる子供の能力の限界を早期に選別決定し、教育課程を細分化し、学校体系を戦前のように複線化して将来の進路を決定するということは無理であるということが世界的にも教育者の間では共通の認識になっています。
教科の望ましいあり方は、中学校の段階で自主的に自分の進路を決定することがほとんどできない、そういう現状を踏まえて決定すべきであります。むしろ高校教育の3年間にじっくりと将来の進路を考えさせ、その進路に必要な教科を自由に選択させることが望ましいものであり、そのためには1つの高校に普通科とある程度の職業科が併設されていて、生徒が学科にとらわれないで自由に好きな教科が選択できるようにする。生徒の進路を特定の職業に向かって固定するものではなく、生徒が各自の性向や興味に従って志向する傾斜として設定する総合技術教育を重視することこそが大切であり、社会にも対応していける力を身につけることにつながります。
ある自動車工業の会社の人は、ほとんど工業科から採用しているが、必要なのは基礎理論だけで、専門的知識が必要な分野はどれだけもない。分野が広いので適応能力さえつけておけばよいと高校教育への要望を語っていますが、これは大切な指摘だと思います。
現在、全国的に見たら、多様化反対の父母や教育関係者の運動の発展する中でこの多様化が見直されてきています。
多様化の先進県であった富山県では、かつて普通科3割、職業科7割のいわゆる3・7体制が、今では6・4となり逆転しています。職業科に普通科を切りかえ、新しく設置するのは普通高校というように普通教育重視に転換させてきています。呉羽高校では、特色ある学校づくりの一環として音楽コースを設置していましたが、その施設設備は実に立派なものでありました。ところが音楽に関する単位は3年間で17単位でしかなく、35単位が必要である学科にはしていませんでした。なぜ音楽科にしなかったのかという質問に、高校教育の段階ではあくまで一般教科をしっかり学習させることが大切で、その上に専門を学んでこそよりすぐれた人材も育成できるのであり、専門だけを追求するとどうしても一般教科が少なくなり、それではより高い音楽を理解することは難しくなるという内容の話をしていました。この学校では、あくまで1年生は共通必修科目とし、2年から自分の適性に合ったコースを選択するようになっていました。
埼玉県の伊奈学園は、全国的にも特色ある学校づくりで注目を浴びていますが、そこの教育内容も中学卒業の段階で差別、選別するのではなく、1年はほとんどを共通必修科目とし、2年からは学系の中での自分の好きな科目を自由選択するという総合選択制になっていました。その中で生徒は自分の適性に合った進路を決め、生き生ぎ学習していて、大きな社会問題になっている中途退学者もほとんどいないという状況でありました。
ところで、現在進めている開邦高校は、全国的に見直しが進められている多様化を一層推し進める内容のものになっています。特色あるということで理数科、英語科、芸術科を設定することになっておりますが、このような学科の設置についても全国的に見たら成功していないというのが現状であります。
県教委の理数科設置の方針は極めてあいまいなものであります。科学的能力と自然と人間のかかわりについて意欲を持っていどむ態度を培い、となっていますが、現在でも普通高校では理数、数学合わせると平均で32単位にもなっています。35単位以上あれば専門学科になることを考えたら、単位数をあと3単位ふやせば、各普通高校でも理数科の設置する目標の教育は可能ということになります。教科の内容も理科、数学と理数とを比較した場合ほとんどが同じで、その指摘されている分野だけなら、現在の高校でも教育課程の編成で幾らでもやれる内容でしかありません。したがって全県一区の理数科を設置する特別な教育的理由は全く見当たらないのであります。
理数科の教育内容により優秀な人材が育成されるというのであれば、それこそ現在の高校でこそそのような教育をすべきであります。そのことが多くの県民の成長につながることは明らかであります。そうしないで、多くの県民の反対を押し切ってまでもこれを設置しようとするところに大きな黒い政治的意図を感じないわけにはいかないのであります。しかもこの理数科は、本土の多くの県では既に失敗してきているのであります。理数科に入ってみたが、途中で数学が嫌になったとか、大学の理数系に入るつもりでいたが、一生その分野が適しているか疑問だとか、いろいろな理由で思いどおりになっていないなど、早期に選別された弊害はどこでも出ているようであります。
そのような先例から教訓を学ばずに進めるということは、全県的にいい生徒だけを集める大学進学用の特定高校とそうでない多様な高校をつくる。つまり差別と選別のエリート高校づくりが目的になっていて、それは現在本土の中学、高校に進学している子供たちの対策でしかないと思われても仕方のないものであります。
しかし、よくできる子供だけを集めて教育すれば、みんながひとしく伸びるかというと、必ずしもそうではないということがこれまでの多くの教育実践は教えています。子供たちは、できる子もでぎない子も同じ教室で学ぶことが大切であります。でぎない子はできる子からいろいろ学び、成長し、でぎる子は教えることによってより数倍も学習し、一層伸びるという集団の教育機能というのは、全体として子供たちを大きく引き上げるというのは、従来の那覇市一円が通学区になっていたときの結果からも明らかであります。またそのようなすぐれた教育実践は全国的にも数多く実証されております。中学校のときにできない子と言われた、芳しくなかった生徒が、高校に入ってめきめき伸びた例は教育現場では無数にあります。
高校生の時期は、人生における最も希望に満ちた輝かしい時期です。肉体的にも精神的にもこれほどしなやかで、強靱で、うちから満ち満ちてくるものにあふれ,、それに絶えず突き動かされながら自分自身を新しく形成し、前進させ、また可能性に富み、生命力にあふれた時期はまたとありません。そして新しい知識や真理を内発的にどん欲に追い求め発展していくという、そういう特質を持っています。
開邦高校が本来の高校教育の目的や目標を投げ捨てて、ただ大学受験のみを目的とするならば、もはや公教育の場を進学塾化することにしかほかなりません。どこの親でも自分の子供にはよりよい教育を受けさせたい、できることなら有名大学へ入れたいと願うのは当然であります。その親の願いにこたえるのは、一部のエリートだけの高校をつくることではなしに、すべての子供たちが伸びるような教育行政の充実、教育諸条件の整備確立こそが決定的に重要であります。
今、年間1700名にも達している中途退学者の問題を解決することやマンモス校の解消は急務であります。とりわけ那覇地区の普通高校は2000名を超す学校があるなど、ほとんどがマンモス校化しています。そこでは教えにくさ、学びにくさが累積し、そのことと学力の問題は無関係ではありません。また首里、真和志地区には、高校に進学したくてもできない生徒が多数もおり、その地域への普通高校の新設はPTAや地域、多くの教育関係者の一致した大きな要求になっています。事実、この県議会にも普通高校を設置してほしいという陳情や多くの署名も寄せられています。教育行政は、まず何よりもこのような関係者の声を生かした施策こそ最大限に尊重して取り上げてしかるべきであります。このような大きな地域住民や教育関係者の声や要求を抑えて、あえて賛否渦巻くこの開邦高校をつくる必要がどこにあるというのでしょうか。私は、この開邦高校の設置をやめて、普通高校として切りかえるよう改めて要求するものであります。
この高校が全県一区というのも重大な問題であります。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」では、第50条で、高等学校は小学区制を原則にすることが明確にされています。その解説書では、「高等学校の教育の普及及びその機会均等を図るために、都道府県委員会は、当該都道府県内のすべての公立の高等学校について通学区域の指定を行うべきこと」、「世人のいわゆるよい高等学校に子弟を入学させようとするので、いきおい入学競争が激化したり、通学上のむりな負担を生徒に負わせて、生徒の就学に無理や困難を生ぜしめる結果となるとともに、各都道府県内の各高等学校が平均的に向上することの妨げともなっている。こめような事情にかんがみ、高等学校の普及及び機会均等のために、通学区域を採用することが必要である」と強調しています。
小学区制を原則としていますが、その場合に職業科などの専門学科などについては全県一区も認められていることをもって、この開邦高校も特色ある学校で全県一区にしないと教育の機会均等を失するということで、これまでの学区制をなし崩しにする方向まで打ち出しています。もし全県に1校しかないという理由で全県一区制を認めるということになれば、それこそ重大な問題であります。
現在、文部省は、学習指導要領でそれぞれの学校の特色づくりを強調していますから、各学校がそれぞれの地域に根差した特色ある学校を行えば、それはすべて全県一区ということになり、これまでの学区制が根本的に破壊されてくることは明らかであります。そのことからも開邦高校の通学区は首里、真和志地区に限定すべきであります。
ことしの4月のある週刊誌に、東大の入学式の光景を写真で報道しているものがありました。それには、自分ひとりでは入学式に参加できずに母親に連れてこられている学生も多数おり、またパンダのぬいぐるみを抱えているとか、これが全国から選び抜かれた東大生かと疑いたくなるようなものが画面にあふれていました。受験競争に打ちかった学生が必ずしも生き抜く力は持っていない、いわゆるエリートと言われる人々の問題もかなり深刻になっています。エリート大学に入ったが、後は余り勉強しない。一番漫画を読む人数が多いのも有名大学が多いと言われている状況もあります。
私は、これらのことからも、沖縄の高校教育はどうあるべきか改めて深く分析し、百年の大計に悔いを残さないような教育行政の確立は重大な課題であると思います。それだけに全国でも全く例がないこの開邦高校を、一部のエリートのための高校に設置することに反対を表明します。またそういう立場から、昭和60年度沖縄県一般会計補正予算(第2号)の甲第1号議案には開邦高校に関する件が含まれておりますので、あわせて反対を表明して討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 金城 宏君。
〔金城 宏君登壇〕
○金城 宏君 本員は、自由民主党所属議員団及び新生クラブ所属議員を代表して、ただいま議題となっております乙第2号議案沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例について、賛成する立場から討論を行います。
県教育委員会においては、現在、昭祁61年4月開校に向けて開邦高校の設置を準備検討していることは御案内のとおりであります。
そこで、開邦高校設置の基本的考え方や必要性について見てみたいと思います。
近年、中学卒業者の90%以上が高校へ進学している状況を反映して、県立高校にも能力、適性、興味、関心、進路等の面で極めて多様な生徒が学んでおります。県教育委員会は、これらの現状を踏まえて教育課程の弾力的編成など教育内容、方法等に一層の創意工夫を加え、人間尊重の精神を基盤として創造性に富む豊かな人間性を培い、郷土の自然と文化を尊重し、国際的視野に立って進展する社会に対応し得る心身ともにたくましい県民の育成を目指し、次のような基本的考え方に立って開邦高校の設置を検討しているわけでございます。
すなわち、第1番目に、昭和57年度から改訂された高等学校学習指導要領の教育課程改訂の基本方針として、イ、学校の主体性を生かし特色ある学校づくりができるようにすること及び生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすること等が明確に打ち出されたことであります。2番目に、社会の変化により高校への進学率の上昇に伴って、高校生の個性、能力、進路等が多様化してきたこと及び社会の進展に伴い生徒の要求、時代のニーズが変わってきたこと。3番目に、第2次振興開発計画における国際交流の推進及び県立芸大設置との整合性が必要であること、以上の観点から、本県の教育理念を達成し、あわせて時代に即応した教育を施すために同校の設置が検討されてきたわけでございます。
特色ある学校づくりについては全国的に数多く行われており、多大な成果をおさめております。本県においても職業学科で特色ある学科を置き、大きな成果を上げていることは御承知のとおりでございますが、さらに今回新しく、進展する社会にあって主体的目標を設定し多様な情報を的確に選択、整理する科学的能力と自然と人間とのかかわりについて意欲を持っていどむ態度を培い、自己教育力のある有為な人材を育成するため理数科が設置されます。また本県の立地条件を生かして、本県が国際交流の重要な拠点となるためには、国際社会において活躍できる有能な人材を育成することが必要であります。国際間の理解と協力がますます重要となる中で、外国語、とりわけ英語教育を通して国際社会を理解させ、自信と誇りを持って国際交流の発展に寄与できる人材を育成するため英語科が設置されます。さらに多様な生徒の個性、能力、多岐にわたる進路に応じ、将来の芸術文化の創造に貢献できる人材を育成するため芸術科が設置されることになっております。これらの学科は県内で初めて設置されるので、教育の機会均等の上からも通学区制は全県区域としなければなりません。
以上が特色ある学校、学科設置の概要であります。
そこで、本員は、本県における高校教育の現況について所見を述べてみたいと思います。
本県の高校教育は、幾多の困難に遭遇しながらも、県民の理解と協力に支えられながら発展を遂げてまいりましたが、本土との格差はいかんともしがたいものがあったことは御案内のとおりであります。ちなみに昭和47年の復帰時点における高校への進学率を見ますと、全国が87.2%に対し本県は71.1%、その格差は16.1ポイントであり、教育の機会均等を保障する教育の諸条件の整備は大きく立ちおくれていたわけであります。一方、著しい社会の変化及び経済発展が進む中で県民の生活意識が向上し、それに伴って生徒や父母の価値観の変化や地域への高校設置の要求も高まり、昭和60年までには高校が18校新増設されたため進学率も92%と引き上げられたわけでありますが、学区制については昭和53年に、高校教育の地域性や入学競争の弊害等の排除等を理由に、時の革新県政下のもと、我が党の反対を押し切って時代のニーズに逆行する小学区制に移行させたのであります。その結果、生徒の個性、能力、興味等がますます多様化する中で提供さるべき教育内容が画一化し、その改善についての社会的要請が高まったことは御承知のとおりであります。
そこで各学校においてはそれにこたえるため、選択制の採用や習熟度別学級編成、類型等いろいろ試みられたわけでありますが、一部の学校を除き、そのほとんどの学校においてその目的を達成できず挫折し、生徒や父母のニーズにこたえることもなく現在に至っているのであります。確かに小学区制は学校間の格差はなくしたものの、反面、我が党の平良哲議員が学区制移行の際に代表質問でいみじくも指摘したとおり、学校内での格差を拡大し、学校選択の自由を制限されたことに対する生徒や父母の不満を増大せしめ、学校の均質化に伴う特色の喪失及び生徒の質の低下を招き、学区外の学校へ入学するための脱法行為等の問題が惹起しているのであります。
そもそも生徒は、ひとしくその能力に応じて教育を受ける権利があり、また個性を尊重する教育を重視しなければなりません。かかる意味においては、現在の小学区制は前述したもろもろのひずみが指摘されており、時代の要請に応じて見直し、改正すべぎであると考えるものであります。
ちなみに小学区制を堅持している県はほかになく、他府県においては中、大学区制がほとんどであります。特に本県においては本土との格差の是正を図ることが県政の重要な課題であり、とりわけ学力の差をなくし21世紀の国際化、情報化時代に役立つ有為な人材の育成が急務であると考えるものであります。
そういう意味においては開邦高校の設置はぜひ必要であり、多くの県民が待望しているのであります。
例えば去る10月11日付琉球新報の報道によりますと、那覇中学校3年生430人を対象に開邦高校についてのアンケート調査を実施していますが、実に92%が設置に賛成しており、その父母乙61%が賛意を表したと報じられております。さらに県内の中学、高校に飽きたらず、県外の中、高校に進学している約1000名の生徒がいる事実もあり、この種特色ある学校設置のニーズは極めて高いものと見るべきであります。現在のマンネリ化した高校教育に活を入れ、切磋琢磨するためにも必要だと思うものであります。また近年の県内私立高校のすばらしい成果は高く評価さるべきものと考えます。
これに対して一部の反対者の中に、開邦高校の設置が学校間格差を広げるとか、差別、選別につながるとか、あるいは受験競争の激化を招くとかいう意見もありますが、開邦高校は特色ある学科を置く本県唯一の学校であるので、他の学校や学科と一概に比較できるものではありませんが、本員は、よしんば比較の対象になり得るとしても、既設校に対する一種のカンフル剤の役割を果たし、学校間の競争意欲の喚起につながれば一挙両得であり、全体のレベルアップにも資するものと確信するものであります。また今日の激動する社会においては、適正な競争はむしろ必要だと考えるものであります。したがって能力による選別は差別ではなく、いたし方のない現実の一側面として厳正に受けとめるべきであり、私は、いかなる国家や社会においても、その能力等を公平かつ客観的に図る手段としては試験以外にないわけでありますし、現実に受けとめるべきであるとこう確信するものであります。
以上の観点から、開邦高校の設置は県民が強く望んでいるところであり、本県の未来を開く学校として期待していると信じて疑いません。
最後になりましたが、本開邦高校設置の目的を達成するためには何と申しましても適正な人事配置が肝要であり、労を惜しまない、真にやる気のある教員を配置するよう御希望を申し上げ、賛成討論といたします。
○議長(志村 恵君) 本盛 茂君。
〔本盛 茂君登壇〕
○本盛 茂君 私は、沖縄社会大衆党議員団を代表して、ただいま議題となっている乙第2号議案沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例に反対する立場から討論を行います。
まず最初に、開邦高校問題に対する我が党の取り組みについて述べますと、我が党は、去る8月22日に県教育委員会並びに県教育長に対して、次のような内容の要請をいたしました。
我が党は、去る3月15日、マスコミ報道以来、県民多数が注目している、いわゆる那覇H高校問題について、将来の沖縄教育全般に重大な影響を与えるものとして深刻こ受けとめ、代表質問や委員会審議等で教育長の姿勢をただし、その後は教育関係者の意見を聴取するとともに、広く県民世論の動向をも見定めながらあらゆる角度からこの
問題を検討してきた。その結果、教育長の那覇H高校設置についての基本的な考え方、学校設置の趣旨及び学科設置の概要、さらにはその計画の進め方等々、すべてが教育基本法の精神を逸脱し、民主的手続にも反するばかりか、地域の実情さえ無視したものであることが明らかになった。それゆえに教育長は、戦後教育改革の主柱でもある高校三原則を崩す那覇H高校設置計画案を即時撤回し、真に地域のニーズにこたえる普通高校の新設計画に早急に取り組むことを要請すると。
さて、県教育委員会において、那覇H高校が開邦高校としてその設置が決定されるまでの経過を文教厚生委員会の審議を通してたどってみると、昭和56年の8月に、県立学校編成整備計画協議会長から、進学率の上昇に伴う生徒の多様化に対応するため教育内容、方法の改善を検討すること、学科の新設を含め高等学校における教育のあり方を検討するなどを内容とする報告書が提出され、県教育庁は、同年の10月に、66年度までに普通高校10校、職業高校2校を設置するとの県立高等学校新増設計画を策定しました。同年の12月には、知事部局からの要請もあって、全県一区の特色ある高校として那覇H高校を61年度に開校する計画が策定されました。この計画は、報告書の提出後、わずか3カ月の間に極めてスピーディーになされております。
私たち県民が初めて那覇H高校について知らされたのは、去る3月15日の沖縄タイムスの暴露記事によってでありましたので、56年12月17、計画策定から60年3月までの3カ年余の長い期間、この計画は、県民の目に触れることなく担当者の手によって密室の中でひそかに温められていたことになります。県教育庁がこの計画を県民に公表せず、秘密裏に事を運ばなければならなかったのはなぜか。それは多分、彼らが計画策定の当初からそのことが県民の反発を買うであろうことを恐れたからではないのか。だとすれば、では一体だれのための学校設置か。臨教審の先取りだと批判されるゆえんであると思います。県民の十分なコンセンサスを得ず、一方的に事を進める県教育長並びに県教育委員会のこのような県民無視、独断専行の非民主的教育行政は断じて許すことのできないものであります。
県教育庁の県立那覇H高校設置計画案によると、設置についての基本的な考え方として、1、昭和57年度から改訂された高等学校学習指導要領の教育課程改訂の基本方針として、学校の主体性を生かし、特色ある学校づくりができるようにすること及び生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすることなどが明確に打ち出されたこと。2、社会の変化により、高校への進学率の上昇に伴って高校生の個性、能力、進路等が多様化してきたこと及び社会の進展に伴い生徒の要求、時代のニーズ等が変わってきたこと。3、第2次沖縄振興開発計画における国際交流の推進及び県立芸大設置との整合性が必要であることの3点が挙げられています。
このことに関連して、文教厚生委員会での私の質問に対し、県側は、特色ある学校づくりについては本土では昭和44年ごろから叫ばれていたが、沖縄へは47年ごろに入ってきた。そのことについて県がはっきりと打ち出したのは55年からで、校長研修会でもテーマとして取り上げられたと説明しています。この答弁から言えることは、前にも述べた県立学校編成整備計画協議会が多様化に対応する教育についての報告書を提出した1年も前から、県教育委員会では既にこのことが取り上げられており、同報告書もそのこととの関連でとらえれば、行政の舞台裏の複雑な事情がいろいろと伏在していることがうかがわれます。教育長が報告書を受けて、特色ある学校づくりについて内部で検討してきたという答弁は、事実に即していない疑いがあります。
県教育委員会が学校現場を指導するために、毎年度初めに作成している「学校教育における指導の努力点」に、特色ある学校づくりということが本格的に取り上げられたのは、あれから5年後の昭和60年度、すなわち本年度からであり、開邦高校が開校されるという時期に時を同じゅうし、足並みをそろえて特色ある学校づくりが打ち出されているように思えてなりません。これは偶然の一致でしょうか。しかしこの努力点は、既設の学校における創造的な学校運営によって教育活動を充実させ、特色ある学校づくりに努力するというものであって、開邦高校のような独立した単独校としての特色ある学校づくりというものではありませんでした。
伸びる子も伸ばし、普通の子も伸ばす特色ある学校づくりは、全県下のすべての学校でなされるべきものであり、人材育成は都市でも地方でも平等に行われなければなりません。おくればせながらも特色ある学校づくりを打ち出した県教育委員会ですが、その面での本年度の努力については残念ながら評価するものはなく、彼らがひたすらに打ち込んできたものは、エリート教育を目指す開邦高校設置へのひたむきな努力だけであったというほかはありません。しかしながら県民不在の非民主的な非公開の意見聴取会の持ち方などでも明らかのように、開邦高校設立の手続を見ると、そこには一般行政から独立した教育行政機関としての自覚の欠如が感じられ、多数与党をバックにした数の力で押し切る論理と姿勢が見えるだけであります。教育基本法にのっとり、国民全体に対し、直接に責任を負って行われなければならない教育行政の独立性を守り、真の民主教育が正しく発展していくためには、どうしても教育委員の公選制が復活されなければならないことを痛切に思い知らされた開邦高校問題であります。
去る10月11日の琉球新報によれば、先ほどもありましたが、那覇中学校3年生430人を対象とした開邦高校についてのアンケート調査の結果は、賛成92%、反対8%で、父母92人についての結果は、賛成61%、反対2296、わからない7%となっており、また同校の文化祭を見学に来た他校の中学生300人の結果は、賛成74.3%、反対25.7%と報道されています。
賛成派の人々の中には、このアンケートの結果を見て我が意を得たりとばかりに、開邦高校設置の必要性を強調される向きもあるようですが、今日の学歴社会に生きる子供たちが、本土でも例のない超一流の高校として開邦高校にあこがれ、父母が我が子の将来を夢見てハイタレントたらしめようと必死になる気持ちもわからないではないが、私たちがここで深く考えてみなければならないことは、今、高校教育の理念が厳しく問われているということについてであります。
文部大臣の諮問機関である中教審よりも、はるかにハイレベルであると言われる総理大臣の諮問機関である経済審議会が、初めて能力主義という言葉を使い、1963年の1月に行った「経済発展における人的能力開発の課題と対策」の答申は、高校教育において高い水準の知識や技術を持った人材を一定数きちんと確保して産業界に供給することの重要性を強調し、高校や中学においては、能力に応じた処遇に徹し、ハイタレントと呼ばれるそうした少数の人材をえり分けて送り出すよう主張しました。
ハイタレントとは何か。選び出された少数のエリートとしてのハイタレントに要求されるべき能力と資質等についても注目すべき説明がなされているが、ここではそれには触れずにハイタレントの数について述べると、ハイタレントの数は狭く考えて同一年齢の人口の3%程度、これに準ハイタレントの層も入れて5ないし6%程度と述べられています。答申以後、今日まで明らかに授業についていけない子の激増が予想される厳しい状況の中で大量の教科内容、教材の受け入れを要求された学校現場においては、果たせるかな、落ちこぼされた子供の急増を初めとする教育荒廃、青少年の発達の荒廃などの憂うべき事態が惹起しています。これはできる子、すなわちハイタレントは3ないし5%でよい。わかる授業は全員に必要ない。できない子、落ちこぼしもあって当然という非教育的、非差別的な考えを根底に持っている政府、独占資本の人的能力開発政策、つまり人づくり政策にその因があったと言われているとおり、できない子は政策的につくられたものであり、教育における諸悪の根源はまさにここにあるのであります。
先般、文教厚生委員会では、3・7体制で有名な富山県の高校教育について調査をいたしました。
富山県の教育事情は、「よみがえれ地方自治」という本で、文部省の政策である高校の多様化を先取りした産業に奉仕し、産業に従属する教育として数々の話題を生み、全国に広く紹介されたことは御承知のとおりであります。1970年の暮れの知事選挙後、世論に押されて71年度からこの比率は幾らか緩和されてきているとのことですが、では、あの当時の富山の中学校女子3年生の「隣の生徒は敵」という作文から、3・7体制のすさまじさを見てみましょう。
現代は、人を踏み台にして勝利をかち取る。それが一番今感じられる。なぜなら、私は今、受験生だからだ。友達を引っ張っていく前に自分の合格を願う。今、友達も、強い言葉で言えば敵である。彼女が合格するか、自分が合格するか、こんな状態で今の私には友情を育てる心のゆとりがない。
次に、岐阜県の高校生が編集した「月刊考える高校生」から、理数科がつくった差別の壁。私たちは、学級別編成に反対ですという見出しのもとに書かれている「理数科を見る眼」という普通科の生徒の文章を引用してみることにいたします。
私たちは、高校に入った時点で既に選別されている。理数科、普通科、結局は能力で分けてあるのだ。普通科と理数科で影響し合うことは何もない。私たちにとって、理数科とは遠い存在である。教室へさえ近づきがたい。休み時間の雰囲気も全く違い、普通科の前の廊下ではみんな騒いでいて教室内もにぎやかなのに、理数科の方は静まりかえっているみたい。人間を比べても全然感じが違う。理数科は、イメージとして暗く冷たい印象を受ける。人を見ても何となく理数科だなあとわかるのだ。それにやはり私たちは、理数科の人からエリート意識みたいなものを感じる。理数科の子から、優越感ぐらい持っていないと理数科でやっていけないという言葉を聞いた。それももっともなことである。でも、ここで問題なのは、私たちは差別されているということである。先生たちは、理数科を特別視していると思う。いろんなことから考えて、理数科と普通科の間にははっきりと溝がある。
編集後記にも次のような注目すべきことが書かれています。
受験に追い立てられているきょうこのごろ、2年間の生活を思い返す余裕もない。そんなとき、新聞紙上で、文部省、学力別クラス編成を公認という記事が目についた。私は、学力別クラス編成には絶対賛成できない。そのためには、今の私たちの様子、3年間、理数科というエリートクラスで生活してぎたことによる複雑な感情を訴えねばならないと思った。理数科設置による弊害は、学力別クラス編成の未来をそっくりそのまま示唆しているのではないだろうか。
今、文部省の政策である多様化による差別選別の教育、能力主義教育の実態について、その渦中に巻ぎ込まれていった本土の高校生の生の声の幾つかについて見てまいりましたが、開邦高校の開校によって、本県の高校教育はどのように変わっていくのでしょうか。エリート教育、臨教審の先取りと批判され、民主教育の重要な柱である高校三原則を根本から否定しようとする開邦高校の設置によって、本県でも今後激しい受験戦争が展開され、県下の中学校が受験対策の予備校化することになるのでしょうか、憂慮にたえないところであります。
しかし、そのような競争によってこそ沖縄の低い学力を高めていくことができるという立場の考え方もあり、それを期待する向きもあるようですが、ペーパーテストによるいわゆる受験学力だけが幾ら高くなっても、それがそのまま郷土の発展につながる生きた学力になるとは考えられません。私たちが目指す真の学校教育とは、地域に根差し、児童生徒の全人的発達を保障するものでなければならないからであります。本土で既に試され済みのエリート教育を今沖縄が猿まねする必要はありません。しかしそれを県教育委員会という教育行政機関が強力に推進しようというのですから、問題は極めて深刻であります。
これまでの日本の教育は、政府の指図によって動かされることが多かった。元来、そのとき、そのときの政策が教育を支配することは大きな間違いのもとである。政府は、教育の発達をできるだけ援助すべきであるが、教育方針を政策によって動かすようなことをしてはならないと、これは文部省の著作である「民主主義」という本に記述されている文言であります。今こそ私たちは、戦後教育の初心に立ち返るべきときであります。憲法、教育基本法の精神を受けて、学校教育法も言うように、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的としている高等普通教育とは、主権者としての必要な教養を中等教育最終段階のすべての高校生に対して与えることを任務として課したものであります。社会のニーズ、生徒の要求の多様化に応ずる教育といういかにももっともらしい名のもとに、今、国民的教養の切り捨てがなされようとしており、日本の高校教育の理念が厳しく問われています。教育臨調下の我が国の教育が重大な岐路に立たされているさなかに、本県においては、県民世論を二分する開邦高校問題が論議され、本議会において強引に議決されようとしています。そして今、首里地域にあと1校の普通高校の設置が必要であるとして、万に及ぶ人々の要請の署名が寄せられています。
私は、声を大にして訴えます。
今、本県の教育行政にとって緊急かつ最大の課題は、一部のエリートの育成ではなく、高校の新増設によって過大規模校を解消し、その適正化を図って子供たちの進学を保障し、行き届いた教育を施すことであります。県教育委員会は、即刻開邦高校の設置を求める条例の一部改正案を撤回し、地域の父母や関係諸団体の要請にこたえて、普通高校の設置に切りかえるよう強く要望して討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 宮城健一君。
〔宮城健一君登壇〕
○宮城健一君 社会党県議団を代表して、乙第2号議案沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例のうち、県立開邦高校の設置に反対する討論を行います。
本件については、設置構想がマスコミにすっぱ抜かれて以来県民の大きな関心事となり、賛否両論が渦巻いており、また本県議会においても論議の焦点になってきたのは御承知のとおりであります。この件は、単に特色のある高校が1つできるということだけでは片づけられない問題であり、本県の高校教育を根底から覆しかねない重大な問題が内包されていると思うのであります。かつまた、中曽根総理が強引に推し進めている反動的な臨教審とも深くかかわっていると思うのであります。
まず、手続の問題でありますが、従来の高等学校と全く変わった新しい試みであるにもかかわらず、行政側の独断と偏見でなされ、県民のコンセンサスを得ず、否、コンセンサスを得る努力もほとんどなされていないということができると思います。事が公にされるまでの経過を教育庁の資料から見てみると、このことが県立高等学校整備計画の中に位置づけられたのが57年4月から58年4月までとなっていて、58年5月には既に学科編成が理数、音楽、美術、学校規模が4ないし6学級、通学区域が全県区という現在のものに近い構想が事務局案としてでき上がっているのであります。要するに既に2カ年前からこのH高校は高校三原則を大きく逸脱し、本県が進めてきた高等学校教育施策の大きな変更を伴うものであることがはっきりしておったことになるのであります。それにもかかわらず教育庁の内部だけで秘密裏に進められ、関係団体との意見交換もない、正式な機関である県教委にもかけていない。事が明るみに出たときは既に開校の運びになっている。事の重大さに驚いた関係者から、直接、間接に意見具申が噴出しているけれども、もはや教育長には意見や世論に耳を傾ける姿勢もなければ、いとまもないという状況にあったのであります。それこそ民主主義のルールを逸脱した独善的な教育行政であるとのそしりを免れないのであります。
さらに、世論に耳を傾けるための唯一の機会であった意見聴取会についても全くお粗末であり、世論を聞くというよりも、世論を操作するための手段にすぎなかったということが結論として言えると思います。既に実態が明らかになって県民の間に大ぎな論議を提供している時期であり、かつまた教育というガラス張りの中で進めなければならない性質のものであります。そのことをどうして非公開にしなければならないのか極めて疑問であり、非公開にした方が意見が述べやすい云々では全く理由にも弁解にもならないのであります。当然、公開にして代表者たちの意見を県民の前に明らかにすべぎであったと思うのであります。
また、意見陳述者の人選にも問題があると思います。どちらかというと、当局側の考えに同調しそうな人に偏った人選という感が濃厚であります。
このことについてマスコミは、次のように報じています。
意見聴取会のメンバーについては、特に一般学識者の構成において教組のみならず、大きな疑問の声がある。10人のメンバーのうち、7人までが経営協、青年会議所、銀行、商工会議所、開金、デパートという経済界、財界の関係者である。第2次振計の経済問題の意見聴取会に切りかえたらどうかとか、バランス感覚に乏しいなどの陰口が報道人の間からもささやかれた。メンバー個々の問題というより、構成が県教育長の言う、賛否両論がある中で広く県民の声を聞くというバランスあるものになっていたかは疑問と言えると報じています。
以上の点から明らかなように、この聴取会はその内容や方法から推して、H高校の問題については県民の意見を聞いていると見せかけ、みずからの非民主的な手法を隠ぺいするための手段であったと思うのであります。
次に、学区制との関係についてでありますが、御承知のように高校三原則の主要な柱をなす現在の小学区制は、1978年から県立高等学校学区域研究委員会の答申に基づいて実施されているものであり、実施に至るまでには机上のプランだけでなく、現場教師の集団である沖教組、高教組の代表を含め、多数の教育関係者を網羅して4カ年にわたって検討を重ねています。特筆したいのは、県教育長みずから地域に赴き、学区域の変更に際しては父母の意見を反映させたり、理解を得るための地域懇談会まで数多く実施してきたのであります。いわゆる新しい施策を行うに当たっては、時間をかけて可能な限り関係者のコンセンサスを得てから実施に踏み切るという配慮がなされていたのであります。今回の開邦高校設置の手法とは極めて対照的であります。そのように苦心の末実施された小学区制に当初戸惑いのあった関係者も、次第にそのよさがわかるようになり、現在ではほとんど定着した状況になっているのであります。実施の目的であった教育の機会均等、学習権の保障、父母負担の軽減、学校間格差の解消、地域社会との連携等が徐々に効果を上げ、教育基本法の精神が本県の高校教育により具現されつつあるやさきであります。このような時期に小学区制を突き崩して、その長所をことごとく否定するような開邦高校の新設とは全く不可解であり、暴挙であると思うのであります。
次に、那覇市を中心とした過密校の問題は、関係者から大きな問題として指摘され、早急な解決が待望されているのであります。
また、近年、特に首里、真和志地域において普通科志望の受験生がふえ、普通高校が少なく入学できずに浪人を余儀なくされたり、他の科目や他の学校等に意に沿わない進学を強いられる実情にあります。したがって首里、真和志地域における住民のニーズは普通高校の増設であり、特色ある高校ではないのであります。学校用地の取得に困難を極めている現状ともあわせて考えるならば、開邦高校予定地を普通高校に切りかえてこそ合理的であり、地域住民の要求に沿うものであります。
次に、有能な人材育成についてであります。
5月8日の新聞は、学区制研究委員会の調査結果として、小中学区制高校と大学区制高校の学業成績の伸びを比べた場合、小中学区制高校がよいという結果が数字で示されていると報じています。昭和49年度の高校入試の成績と2年後の昭和51年度に行われた全琉模擬試験の成績を、当時小中学区制であった中南部地域と大学区制であった那覇、浦添地域の生徒たちの追跡調査の結果を比べたものであります。したがって成績のすぐれたものだけを1カ所に集めるよりも、その生徒たちを普通高校に散らした方が成績の伸び率がよいということになるのであります。
また、特色ある学校づくりでありますが、むしろ現在の普通高校の教育課程の基準を緩和し、学校長の自由裁量を多くすればその目的は十分達せられるのであります。他県にある特色ある高校を見ても、理数科が置かれているところは総合高校が多く、高校三原則の趣旨を生かしながら特色を出しているところがほとんどであります。要するにこの開邦高校の設置については、手続上の非民主性、秘密性、さらに機関無視、高校三原則のなし崩し、地域住民の要求無視等、多くの問題点を残したままになっています。
そのような状況にかかわらず、強引に推し進める教育長の本音は何であるかを考えてみると、諸般の状況から明らかなことは、全県一区のエリート校であり、進学校を目指しているということであります。私学ならいざ知らず、いやしくも教育行政が公教育全般に目を向けるのではなく、一部エリート集団に目を向けることは許されるべきではないと思うのであります。仮に県民の一部から開邦高校の要求があったにしても、教育は百年の計と言われるように長期的な展望を持ち、現在の高等学校教育について綿密な科学的検証を行い、その上に立って改善の必要があれば改善していくという慎重な態度が肝要であると思います。教育に失敗は許されないのであります。単に流行や夢を追うようなことではいけないと思います。また教育のねらいは人格の完成であります。教育行政みずからの手で公教育に差別と選別を持ち込むことは厳に慎むべぎであります。
開邦高校を改め、普通高校を設置するよう強く訴えて、反対討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 宮城清順君。
〔宮城清順君登壇〕
○宮城清順君 本員は、公明党県議団を代表して、乙第2号議案沖縄県立高等学校等の設置に関する条例の一部を改正する条例の沖縄県立開邦高等学校の設置について反対する立場から、我が党の高校教育に対する基本的考えを述べながら討論を行います。
教育は、一人一人の可能性を開き、人間としての成長を支え促進する営みであります。また教育の事業は、当面の効果と大きな展望が必要です。したがってどのような社会、どのような時代においても、この教育の事業は百年の大計でなくてはなりませんし、この百年の大計は、当然のことながら歴史的基盤に支えられ、未来展望を土台としたものでなくてはならないでしょう。
その観点に立って、我が党は、高等学校教育は適性、能力に応じて学習し、内面的成熟を図る教育として提唱しています。
特に、高等学校教育は、最近に至り、高校への希望者全入がほぽ実現をし、かつての進学率の低さから見ても、高校教育は国民教育機関となったと言ってよいでしょう。
ところが、現実の高校は、一部エリート層を対象とした教養主義的な伝統が依然として残されています。また今では、大学受験の予備校的な機能を優先し、高校のランクづけは有名大学への進学率によって判定されるという状況になっています。そのために大学への進学率が高い高校を頂点として、順次、中学校時の偏差値順に同じ程度の生徒たちが集まり、それがそのまま高校格差を生んできました。しかもどの高校に入るかによって、その子の一生が決定されるかのような評価づけが社会、学校と家庭、そして本人自身の間に共通の認識として受け入れられるようになっています。そして一流大学に多くの卒業生を送り込む高校は一流との評価を得ることと結びつき、大学受験に有利となっている普通高校を頂点に、普、商、工、農というような序列づけが行われてきました。このような理由から中学校における受験教育を激化させると同時に、落ちこぽれ、校内暴力問題等を引き起こさせ、他方では、高校に入学したものの、中途退学者の問題を深刻化させつつあると言えまししょう。
以上のような現実の中で、親は受験体制に順応し、我が子を受験戦争に勝利させることに狂奔していると言っても過言ではありません。もちろんこうした親の高校教育への関心の底には、義務教育を終え、思春期発達を通して少年期から自立してきた青年たちに、現代社会において生きる力を保障するために、せめて高校まではという切なる願いが込められていることは否定できません。
今、全国各県において、高校教育のあり方を質的に変革し、新しい高校像を追求していく試みがなされ、高校を国民大衆の教育機関として再構築していくことが追求され始めるようになっていることは歓迎すべきであります。高校は、後期中等教育という性格とともに、前期高等教育の性格を合わせ持っていると言われています。この意味において、一方では、中学校との緊密な連携のもとに、一貫した中等教育ができるような工夫がなされるべきであり、他方では、大学を初めとする各種高等教育機関との連携を深め、専門教育的色彩を強めるような工夫がなされなくてはなりません。さらに高校卒業後の進路の多様性を考え、生徒の能力、適性を重視することを、今後の高校教育においては中心課題としなければなりません。
このように考えるならば、高校教育全体の改善、改革を進めていくと同時に、それぞれの高校が個性を持つものとなり、また同じ高校の中でも、生徒によって興味、関心や能力、適性に合った教育プログラムを選択できるようになることが必要でしょう。
新しい高校像を追求していく中で、まず第1に、これからの高校は、受験のための、また職業準備めため教え込み教育の機関としてではなく、長い生涯にわたって自己教育を進めていく力と態度を身につけ、幅広い教養を持った生活者を育てることのできる人間教育の場につくりかえられるべきでありまず。
第2に、さまざまな個性と生活歴を持った友人たちとの切磋琢磨と協同の場として構成されなければなりません。そのためには現在の多様化された教育課程の中で、基礎的であって共通な部分を重視すると同時に、互いの個性や個人史の違いを認識し合う場をつくっていくことが必要であります。またこのためにも、教育の内容や活動のあり方をより生活的、実践的なものにしていくことが課題となります。
以上、我が党の高校教育に対する基本的な考えを述べましたが、本県においても高校中途退学者がかなり多い現状から、県立高校の改善に向けて教育行政側はもちろん、すべての人たちが最大の努力をしていかなければならないと思います。
今、求められている本県の県立高校の改善の重要課題は、何といっても、いかに中途退学者をなくし、魅力ある高校づくりをするかということであります。そのためにも現在の県立高校の中に特色ある、あるいは望ましい学科編成を取り入れ、各普通高校がそれぞれに特色ある学校づくりを進めることが最重要課題であると思います。
開邦高校は、その設置に向けての過程の中で、教育長答弁もあったが、同校だけが特色ある学校として開校されようとしています。勢い、他の普通高校と異質な要素のみが先行しているところに問題があると指摘せざるを得ません。
我が党は、代表質問、委員会質問において、特色ある学校づくりは結構だが、県の県立高校のビジョン、理念なりを明確にすべきである。そのために県立高等学校編成整備協議会の中で十分討議し、多くの世論を結集し県民のコンセンサスを得て決めるべきではなかったかとただしました。教育長はこのことについて、これほどまでに問題になるとは予想しなかったと答弁をしましたが、これこそ高校新設に向けての意識、認識の甘さを露呈したものと指摘せざるを得ないのであります。
開邦高校は、第2次振計の中で、理数科、英語科、芸術科を有する特色ある学校づくりとして計画されたが、これは事務局段階だけにおける発想であります。特色ある学校づくりとなれば、これまでの高校づくりとは違うわけでありますから、学校編成整備計画協議会をきちっと明確に位置づけ、その中での討議、答申を得て進められるべきものであったと指摘しなければなりません。それを得ずして、いかにも開邦高校だけが特色ある学校として出てきたことは、他の普通高校とのランクづけにさらに拍車をかけるものと指摘せざるを得ないのであります。特色ある学校づくりに向けての手順と方途を明確にしなければならなかったし、また教育現場の声を十分に反映させることと、県民的合意を得て行われることが教育の上で不可欠であることから、それが十分達成されていないところに問題があります。
次に、開邦高校を設置することによって、他の県立高等学校または私学への影響を十分くみ取らなければならない。開邦高校志願率が高まるものと予想され、進学校として突出した高校であると指摘せざるを得ないのであります。従来の受験戦争に一層の拍車をかけ、受験戦争の低年齢化を招くおそれが生じるのであります。また各高等学校間の均質化、均等性を著しく侵害し、開邦高校だけが、特定エリートづくりという事態に発展しかねないのであります。
高校教育は、前にも述べましたとおり優秀な者も、優秀でないのも、お互いに切磋琢磨して人間的成長を図ることが主眼であります。もちろん今の高校の中で、改善すべき課題も多々あるものと思います。よって我が党は、首里地域における普通高校増設の必要性から、開邦高校は、英語科、芸術科の設置はともかくとして、普通科を設置し、その中で理数科を1コースとして位置づけ、普通高校として開校すべきであると主張しているのであります。教育長は、既設校の中に学級増をして対応すると答弁しているが、これは既設校のマンモス化を一層助長するものであると思います。そして特色ある学校づくりは、既設の高校に特色ある学科を編成することによって特色ある学校づくり、魅力ある学校づくりが可能であり、そのことによって各高校間の均質化、均等性をもたらし、深刻化しつつある中途退学者の問題の解決にもなるものと思われます。
県民のコンセンサスもないまま、また県の高等学校改善のための理念、構想のないまま、またそのための協議機関、答申機関を得てない開邦高校の設置は大きな疑問であり、反対を表明し、討論を終わるものであります。
以上であります。
○議長(志村 恵君) 以上で通告による討論は終わりました。
これをもって討論を終結いたします。
これより乙第2号議案を採決いたします。
本案に対する委員長の報告は、原案可決であります。
お諮りいたします。
木案は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、乙第2号議案は、委員長の報告のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第4 乙第5号議案を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
文教厚生委員長。
〔文教厚生委員長 伊良皆高吉君登壇〕
○文教厚生委員長(伊良皆高吉君) ただいま議題となりました乙第5号議案「工事請負契約について」について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、教育長の出席を求め、慎重に審査を行ってまいりました。
審査の過程における教育長の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
本案は、沖縄県立教育センター本館建築工事の請負契約の締結に当たって議会の議決を求めるものであります。
本案について、工事量が2700平方メートルで、契約金額は3億4000万円、工期は昭和60年10月から昭和61年3月までとの説明がありました。
本案に関し、現在、那覇市にある教育センターの施設の状況と、沖縄市に新築移転される教育センターの施設の状況はどうなっているか。また指名競争入札には何社が参加し、1平方メートル当たりの建築費は幾らかとの質疑がありました。これに対し、現在の教育センターの敷地は1958平方メートルだが、移転後は2万3000平方メートルとなる。建物の面積は現在4284平方メートルだが、新築するのは7942平方メートルで、研究室は現在の19室から、新築後は26室となる。講座数は現在160講座だが、新築後は224講座となり、収容定員も、現在の2264名から3104名となってかなり規模が拡大される。また指名競争入札に参加したのは特Aクラス10社で、1平方メートル当たりの建築費は12万5000円であるとの答弁がありました。
以上が委員会における審査の概要でありますが、審査の結果、本案は全会一致をもって可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。-
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより乙第5号議案を採決いたします。
お諮りいたします。
本案は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、乙第5号議案は、委員長の報告のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第5 乙第3号議案、乙第4号議案、乙第6号議案及び乙第7号議案を議題といたします。
各議案に関し、委員長の報告を求めます。
土木委員長。
〔土木委員長 伊集盛元君登壇〕
○土木委員長(伊集盛元君) ただいま議題となりました乙第3号議案、乙第4号議案、乙第6号議案及び乙第7号議案の4議案について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、土木建築部長の出席を求め慎重に審査を行ってまいりました。
以下、審査の過程における執行部の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
まず、乙第3号議案及び乙第4号議案の2議案は、工事請負契約について議会の議決を求めるものである。乙第3号議案は、宜野湾市大山地内に県営大山高層住宅を建築するもので、当該建築物の概要は、鉄骨鉄筋コンクリートづくりの10階建てで、建築戸数は1種が75戸、2種が40戸で、計115戸となっている。また乙第4号議案は、昭和62年第42回海邦国体開催時に主会場となる沖縄総合運動公園に建設される総合運動公園陸上競技場第2期建設工事で、陸上競技場一周400メートル、8コース、直線100メートル、8コース2カ所及びメーンスタンド内の雨天舗装路70メートル、5コースの全天候舗装で、舗装面積は1万3745.5平方メートルとなっているとの説明がありました。
乙第3号議案に関し、住宅需要の面から、1種及び2種のうちどちらが高いかとの質疑がありました。これに対し、県全体の募集状況を所得の階層から見ると2種が高いとの答弁がありました。
次に、2種の需要が多いのに1種を多く建設するのはどういうことか。また県がつくる1種の県営住宅は、募集は不足することにならないかとの質疑がありました。これに対し、沖縄県全体として、毎年度の戸数の種別は2種が6割ないし7割であるが、今回のように1種が多いのは市町村の事業を優先にし、市町村が要望する2種を割り当てている。したがって県は、都市地区が主であるため、結果的に1種が多くなる。また1種の建設地域は主に都市地区であるので、不足が生ずることにはならないと考えられるとの答弁がありました。
次に、住宅用地の面積は何平方メートルか、宜野湾市の土地開発公社から、平方メートル当たり幾らで購入したかとの質疑がありました。これに対し、取得面積は8000平方メートルで、住宅供給公社は、宜野湾市の土地開発公社から取得し、土木建築部は住宅供給公社から再取得した。平方メートル当たり、3万4057円となっているとの答弁がありました。
次に、乙第4号議案に関し、沖縄でアスファルトコンクリート舗装、ウレタン樹脂舗装の事業をしている業者は何社あるか、入札に参加したのは何社かとの質疑がありました。これに対し、この種の業者はいないため、ウレタン系統の本土業者4社に県内業者4社、計8社でジョイントベンチャー方式で応札させ、ジョイントベンチャーとして4社になっているとの答弁がありました。
次に、東京、大阪の業者は、雪に対する考え方、暑さに対する考え方、いろいろあると思うが、どうかとの質疑がありました。これに対し、東京、札幌及び関西と地域的に陸上競技場の整備を施工している業者がよいと言われているが、ウレタンの場合は硬度があって、試験配合を行うことで対応できるので問題はないと考えられるとの答弁がありました。
次に、乙第6号議案は、宮古本島と池間島を架橋による現在の平良から狩俣までの道路を、池間島まで延伸することによる池間大浦線の認定、またリゾート地域としての恩納村は、唯一の交通道路である国道58号線が2車線であるため交通渋滞が慢性化し地域の振興開発等に大きな支障を来しているため、金武町屋嘉の国道329号線と恩納村の国道58号線を連結し、交通量の分散化を図ることによる屋嘉恩納線の認定及び池間大浦線の認定に伴う平良狩俣線の廃止について、議会の議決を求めるものであるとの説明がありました。
本議案に関し、道路の面積は地方交付税め算定基礎になることから、道路台帳の整備は大きな課題と考えられるが、道路台帳の整備状況は何パーセントになっているか。また市町村の道路台帳の整備状況はどうなっているかとの質疑がありました。これに対し、路線数が134、整備済み路線数118で、整備率、59年3月末で93%となっている。また市町村の台帳の整備状況は把握してない。今後は把握する方向で対処していきたいとの答弁がありました。
次に、乙第7号議案は、急傾斜地崩壊対策事業執行に伴う負担金徴収について、その利益を受ける那覇市、座間味村及び沖縄市に対し、費用の一部を負担させるため、議会の議決を求めるものであるとの説明がありました。
これに対し、急傾斜地で早急に対策を講じなければならない箇所は、県全体で何カ所あるか、対策はいつごろ完了するかとの質疑がありました。これに対し、急傾斜地崩壊危険箇所は154カ所、そのうち指定済み25カ所、着手済み24カ所である。危険箇所は、現在、国庫採択で4カ所ないし5カ所のペースで行っているが、採択の度合い、順位及び予算の面から採択できないものは県単事業として検討し、極力早急に対応していきたいとの答弁がありました。
以上、委員会における審査の経過について申し上げましたが、審査の結果、いずれも全会一致をもって可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより乙第3号議案、乙第4号議案、乙第6号議案及び乙第7号議案の4件を一括して採決いたします。
お諮りいたします。
ただいまの議案4件は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村、恵君) 御異議なしと認めます。
よって、乙第3号議案、乙第4号議案、乙第6号議案及び乙第7号議案は、委員長の報告のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第6 甲第1号議案を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
総務企画委員長。
〔総務企画委員長 儀間光男君登壇〕
○総務企画委員長(儀間光男君) ただいま議題となりました昭和60年度沖縄県一般会計補正予算(第2号)について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、総務部長の出席を求め慎重に審査を行ってまいりました。
以下、審査の過程における執行部の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
今回の補正予算は、当初予算成立後の事情変更等により、緊急に予算措置を必要とする事務事業及び国庫支出金の内示増に伴う追加等必要最小限度の補正である。補正予算総額は歳入歳出それぞれ28億8305万3000円の追加で、改予算額は3448億6905万3000円になるとの説明がありました。
本案に関し、特別養護老人ホームの建設は、当初予算で見積もることができなかったのか。また同老人ホームが新設、増設されることによって収容率はどうなるかとの質疑がありました。これに対し、今回の補正は、当初予算ではゼロ査定であったものが、国の2次内示によって玉城村に新設する70人収容の1カ所と、具志川市にある既設の「平和の村」に30床追加するものである。補正後に整備することによって30カ所となり、収容定員が2449人になる。昭和66年の2次振計終了時における入所見込みを推計すると3300人ほどになり、それまでには70人収容の施設を6カ
所設置する計画であるとの答弁がありました。
次に、高等学校施設整備費に計上してあったものを、特殊学校に事業変更した理由と事業内容についての質疑がありました。これに対し、当初予算では高等学校施設整備費として計上してあったものを、養護学校の方が緊急度が高いとの理由で事業変更したものである。那覇養護学校は復帰前に取得した建物で、検査の結果、危険度が高く、早急に改築しなければならないことによるものである。島尻養護学校については、必要度の高い家庭科教室を新設するものであるとの答弁がありました。
次に、開邦高校に通学路として使用される道路は、那覇市の清掃工場への専用道路であって通常の一般道路ではないが、どのように理解しているかとの質疑がありました。これに対し、昭和59年10月に、那覇市と南風原町に対し、通学路の整備方について要請しているところであるが、今後、通学路の環境整備について関係機関で調整していきたいとの答弁がありました。
次に、北谷町桑江地区の原状回復工事については、総事業費が約8億円見込まれているとのことであるが、前に原状回復補償金として受け入れたものが6億6229円であり、その差額についてはどのように対応するかとの質疑がありました。これに対し、北谷町桑江地区においては、ボーリング等の基礎調査を行い実施設計がなされるが、その結果によって予算額に不足を生じた場合は、防衛施設局と協議することの同意を得ているとの答弁がありました。
次に、緊急地方道路整備事業費について、沖縄県では特措法によって補助率の高い道路整備費があるのに、50%と補助率の低い道路整備事業費を採用した理由について質疑がありました。これに対し、普通の道路整備事業費の基準に該当しないものである。この趣旨は、早期に事業効果があらわれ、かつ道路整備5カ年計画に照らして緊急に必要がある道路整備等に係る補助事業である。したがって当該事業は、那覇糸満線及び首里崎山町にある高速南伸の道路帯に駐車場を整備するものであるとの答弁がありました。
次に、工芸産業育成対策費の芭蕉布関係補助に関する事業内容について質疑がありました。これに対し、芭蕉布振興に係る補助事業であるが、事業主体は大宜味村で、建築面積が383.25平方メートル、総事業費が4705万円で、県の補助が2000万円、村費が2705万円である。なお、運営は、村が芭蕉布組合に委託することになっているとの答弁がありました。
次に、大雨によって浸水があったが、その原因と対策について質疑がありました。これに対し、浸水の原因は河川のはんらんによるものであり、河川の整備状況は16%である。浸水罹災者は国場川及び安里川沿いに多いので、都市河川を重点的に整備していきたいとの答弁がありました。
次に、河川情報センターへの出損金について、沖縄県では1級河川もなくその効果も期待できないのに、行革の趣旨に反して加入しなければならないことについて質疑がありました。これに対し、河川情報センターは47都道府県、政令指定都市及び民間団体が出資し、国が補助して設立す
る財団法人である。目的は、河川流域に関する情報の収集、処理、加工の提供を行うことにより、防災機能の向上及び河川の適正な管理利用の増進に貢献しようとするものである。なお、河川情報業務を一元的に行うことによって経済的、効率的な情報伝達が可能になるとの答弁がありました。
なお、共産党所属委員古堅実吉君から、今回の補正は、県民の切実な要求を反映し早急に執行を必要とするものであることは認めるが、開邦高校設置に関する予算が計上されているので反対である旨の意見の表明がありました。社大党所属委員島袋宗康君、社会党所属委員崎浜盛永君及び公明党所属委員白保台一君から、全県一区とする開邦高校の設立には反対であるが、他の高等学校の施設整備費も含まれており、さらに県民要求に沿った予算であるだけに問題を指摘して賛成する旨の意見の表明がありました。
なお、崎浜委員は、河川情報センターについて、行革に反し、地方自治体に財源を求めて設置することに問題があるとの意見がありました。
以上で委員会における審査の結果を申し上げましたが、採決の結果、多数をもって原案のとおり可決すべぎものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより甲第1号議案を採決いたします。
本案に対する委員長の報告は、原案可決であります。
お諮りいたします。
本案は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、甲第1号議案は、委員長の報告のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第7 甲第2号議案を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
文教厚生委員長。
〔文教厚生委員長 伊良皆高吉君登壇〕
○文教厚生委員長(伊良皆高吉君) ただいま議題となりました甲第2号議案昭和60年度沖縄県病院事業会計補正予算(第1号)について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、病院管理局長の出席を求め慎重に審査に行ってまいりました。
審査の過程における執行部の説明及び質疑の概要等について申し上げます。
本案は、国庫支出金の追加内示等に伴い、建設改良事業について所要の補正を行うものであります。
本案について、今回の補正は国庫補助金の内示増によるもので、その内容は、県立病院の医療機器の購入費の補助で2億3100万円を補正増するものであるとの説明がありました。
本案に関し、県立病院の整備計画はどうなっているか、また医療機器の耐用年数は何年かとの質疑がありました。これに対し、県立那覇病院の整備が急がれているが、旧琉大附属病院の譲渡について国と折衝中であるので、それが実現すればその整備を図りたい。医療機器の耐用年数は通常5年だが、中には耐用年数が過ぎても十分使えるのがある。しかし医療機器の開発が日進月歩でなされているので、病院側としては耐用年数がくれば買いかえる方針であるとの答弁がありました。
以上が委員会における審査の概要でありますが、審査の結果、本案は、全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより甲第2号議案を採決いたします。
お諮りいたします。
本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、甲第2号議案は、原案のとおり可決されました。
休憩いたします。
午後0時13分休憩
午後1時45分再開
○議長(志村 恵君) 再開いたします。
日程第8 議員提出議案第1号 国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議を議題といたします。
本案に関し、委員長の報告を求めます。
総務企画委員長。
〔総務企画委員長 儀間光男君登壇〕
○総務企画委員長(儀間光男君) ただいま議題となりました議員提出議案第1号について、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
委員会におきましては、提出者代表平良哲君を招致し慎重に審査を行ってまいりました。
以下、審査の過程における質疑の概要等について申し上げます。
本案に関し、日の丸の掲揚及び君が代斉唱によって国の繁栄がもたらされるとは思わない。日本が経済大国になったのは人材育成による教育の力に負うものが大きいと思うが、提案者の考え方はどうかとの質疑がありました。これに対し、我が国が自由世界第2位の経済大国に発展した大きな要因は、勤勉なる国民と教育水準の高さにあることは事実である。国旗、国歌を国のシンボルとして敬愛することが精神的な支柱となり、ひいては国の永遠の繁栄と恒久平和につながることだと信じ、決議文にもその旨の表現をしたとの答弁がありました。
次に、県下の小中高校における日の丸掲揚の実施率が低く君が代斉唱がゼロだということは、これに対する県民の拒否反応のあらわれである。このことを整理しない状態において日の丸掲揚、君が代斉唱を定着させようとすることは、県民の意思を無視し強制することにならないかとの質疑がありました。これに対し、沖縄県全体から見た場合、大多数の県民が日の丸掲揚、君が代斉唱に賛同していると理解している。小中高校における実施率の低さは、教育現場の教師が反対していることによるのが大きな要因だと思う。したがって県民の意思として、あるいは議会の意思として決議をし、沖縄県においても定着させるように努めるべきだと考えるものであるとの答弁がありました。
次に、国体を推進するには学校の教員を中心に市町村職員、そして多くの県民の協力が必要であるが、現在の中曽根内閣の政治姿勢は戦前回帰を指向しているように見受けられ、それらが緩和されない限り県民の抵抗があり、国体に大きく影響することが予想されるので、その結果、勢い強制というととにはならないかとの質疑がありました。これに対し、中曽根内閣は戦後歴代内閣において最高の支持率を得ている。これは中曽根内閣が平和を希求し、国の繁栄をもたらす内閣であるとの国民の信頼感のあらわれでもある。もし国体が御指摘の混乱があったとしても、提案者としては決議もしてひたすら国旗、国歌に対して深い理解を賜りますようにお願いをし希望するものであるとの答弁がありました。
次に、法律の制定もない。また法例第2条で言う慣習法としての拘束力を持つものではないとの主張であれば、ただ国民の一部、ある程度のところにおいて日の丸を掲揚し国歌が斉唱されているということかとの質疑がありました。これに対し、イギリスを中心に数多くの国においては成文法より慣習法が上位にあり法律的効果を持つものである。我が国においては国旗、国歌が100年余にわたり国民に定着しており、慣習的にも国際的にも認められているとの答弁がありました。
次に、新憲法のもとにおいて天皇の地位が変わったにもかかわらず、帝国憲法のもとで天皇をたたえたところの君が代を今なお国歌だと主張するのかとの質疑がありました。これに対し、新憲法における天皇の地位が変わっていることは十分承知してしいる。大方の国民は、新憲法における君が代は、平和を愛する日本国民全体が天皇を日本国の象徴として仰ぐということで理解し歌われていると思うとの答弁がありました。
次に、国民体育大会開催要綱にもあるとおり、スポーツが個人の健康と幸福な生活を実現するためのものであって、それ以外の目的に利用されてはならないとの統一見解がある。国体を成功させるために政治の場において強引に決議しようとすることは、政治の介入にならないかとの質疑がありました。これに対し、それは受けとめ方の違いによるものである。捉案の趣旨は、国体を控えて国旗を掲揚し国歌を斉唱することは望ましいことであり、議会の意思として宣言決議をすることは極めて好ましいものと信ずるからである。また言われるような政治的な意図は毛頭ないことを明言するとの答弁がありました。
次に、知事がヤマトゥンチューになろうとしてもなり切れない面があると言われたように、県民の心の中にはいまだ整理のつかない面もあろうかと思うので、決議を取り下げることはできないかとの質疑がありました。これに対し、この決議は強制もしなければ拘束力もない。25人の県議会議員が各面から論議して提案したものであり、望ましいことは大いに実施していただきたいとの願望を込めてのものであるとの答弁がありました。
なお、社大党所属委員島袋宗康君、社会党所属委員崎浜盛永君、共産党所属委員古堅実吉君及び公明党所属委員白保台一君が反対討論を行い、自由民主党所属委員仲松昌彦君が賛成討論を行いました。
以上で委員会における審査の結果を申し上げましたが、採決の結果、委員長裁決をもって原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報皆を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより討論に入ります。
討論の通告がありますので、順次発言を許します。
古堅実吉君。
〔古堅実吉君登壇〕
○古堅実吉君 日本共産党県議団を代表して、議員提出議案第1号国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議に反対する討論を行います。
この決議案は、日の丸と君が代を発議者諸君が勝手に国旗、国歌であると決めつけて、海邦国体を2年後に迎える時期をも利用して、県内のすべての公的機関並びにすべての県民に対してその掲揚と斉唱を県議会の名において強く要望するという形で押しつけをはかろうとするもので、極めて政治性の高い反動的意図に基づいて提出されているものであります。
それに反対する理由を述べるに当たり、まず最初に日の丸、君が代に対する日本共産党の見解を明らかにしておきたいと思います。
君が代については、日本共産党が1977年7月1日、「国民の期待にこたえる教育改革への提言」として発表した文書の中で次のように述べています。
現在の「君が代」は、明治のはじめに天皇にたいする 礼式曲としてさだめられ、その歌詞は主権在君の天皇制 の永続を願望する内容のものである。たとえば太平洋戦 争を前にした小学校修身用教科書には「君が代」の歌 は、「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も 万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えにな るやうに」という意味で、まことにおめでたい歌であり ます。私たち臣民が「君が代」を歌ふときには、天皇陛 下の万歳を祝い奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱい になります」 (昭和12年尋常小学修身書巻4)と記述 されている。このように「君が代」は、国民主権の民主 主義国家にまったくふさわしくないものである。わが党 は「君が代」を「国歌」とすることにも、それを学校教 育におしつけることにも絶対に反対する。民主主義の日 本にふさわしい国歌は、名実ともに主権在民の原則をい かした日本を国民の手でつくりあげていく歴史的事業の なかで、国民の中からかならず生みだされるであろう。
と、このように述べているのであります。
次に、日の丸については、「季刊教育法」という雑誌の1985年8月臨時増刊号へのアンケート回答の中で以下のように述べています。
日の丸は古くから扇に使われたり、江戸幕府も外国船と区別する船印として使うなどしており、デザイン自体も主権在君とか天皇制を意味するものではなく、その点では君が代とちがいます。しかし、日の丸にたいする国民感情は大きくわかれています。戦後、沖縄がアメリカ軍の占領下に長年おかれたとき、日の丸が沖縄県民の祖国復帰運動のシンボルに使われたことなどに示されるような面があるいっぽうで、日の丸をかかげて推進されたあの悲惨な戦争の思い出や、右翼団体が日の丸をふりかざし、騒音をまきちらして天皇制復活を叫んだりしていることなどから、日の丸に軍国主義的イメージを強く感じ反対する人たちも少なくありません。このような歴史的経過や国民感情からも、日の丸を国旗としてふさわしいとはいえないと考えます、と述べております。
以上で明らかなように、日本共産党の見解は、君が代と日の丸の内容上の違いは認めながらも、それを国歌、国旗とすることにはふさわしくないというものであります。
さて、決議案発議者25人の諸君は、この日の丸、君が代を国旗、国歌として定着しているなどと主張しておられるが、何を根拠にそう言い切るか。総務企画委員会におけるこの決議案の審査において、発議者代表は私の質疑に答えて、次の諸点を明確に認めたのであります。
1、日の丸が国旗であり、君が代が国歌であると定めた法律は制定されてないこと。2、日の丸は国旗であることを、また君が代は国歌であることを認めるよう強制でぎる法的根拠は何もないこと。3、日の丸を国旗として掲揚することを強制したり、君が代を国歌として斉唱することを強制することのできる法的根拠もないこと。4、国民が、日の丸について国旗であると考えるのも国旗でないと考えるのも、また君が代を国歌だと考えるのも国歌でないと考えるのも、何ぴとからも強制されるような法的根拠は存在しないこと。以上の諸点を認めた上、提出者代表は、日の丸、君が代は明治時代から長い間国旗、国歌としで慣習的に用いられ定着しているとの主張を繰り返し表明しているのであります。
何らの法的根拠も存在しないことについては、決議案発議者が認めているだけではありません。国会においても明確にされている問題であります。すなわち1984年6月21日の衆議院内閣委員会において、共産党の三浦議員の質問に対して文部省の高石邦男初等中等教育局長は、法律上、君が代を歌わなければならないというような法律上の根拠はないわけでございます、と答弁しているのであります。
そこで発議者の主張する慣習で定着云々ということについて、その言い分は明確ではないが、慣習法的という言葉も使っていますので、法律論的に論及しておきたいと思います。
慣習が慣習法として認められれば、成文の法律ではないが、法定されたと同様の法的効力を持つことについては、法例第2条「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セサル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ヒ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効果ヲ有ス」と定められていることにより明らかであります。
しかし、長い慣習であっても、成文法に抵触するものは慣習法として成立し得ません。君が代のごときは帝国憲法のもとであらゆる権限を一手に握り、専制支配をほしいままにした現人神、天皇とその治める世が千年も万年も永遠に続くようにとたたえた歌で、帝国憲法のもとでは国歌としてふさわしいと言えたであろうが、主権在君が根本から否定され、主権在民を明確にし、天皇が治める世がもはや存在しない日本国憲法下において、その君が代を相変わらず国歌として押しつけること自体、国の最高法規たる日本国憲法に真っ向から反するものであります。したがって現憲法のもとでは君が代を国歌とする慣習法など全く成立の余地のない問題です。
それでは、このように法的根拠のない日の丸、君が代を、一官庁が国旗、国歌と決定することができるでしょうか。
著名な憲法学者奥平康弘教授は、1978年5月2日発行、ジュリスト誌増刊号「憲法の争点」の中で次のように論及しておられます。
文部省は、1977年7月、小、中学校の新学習指導要領 (省令)を告示した。その中で、「君が代」を「国歌」と規定した上で、国民の祝日の儀式などには「国歌」を斉唱するのが望ましいとした。文部省は、「君が代」が 国民のあいだに「国歌」として定着しているという認識にもとづいてそうした、というのだが、もとより文部省には、「国歌」を決定する権限はない。国歌は、国旗と同様、国および国民の統合を象徴する役目をはたすもので あって、もしこれを正式に決定するのだとしたら、国民主権をとる日本国憲法のもとでは、憲法制度上民意を反映するなんらかの手続をふんだうえで、おこなうべきである。 「国歌は、憲法付属的な制度といってもよいの であって、一行政機関が、非公式な世論調査を一方的 に認定して、決定でぎるすじあいのものではない。」
このように明快に述べておられることでも明らかなように、文部省が新学習指導要領の中で国旗、国歌云々と規定してみても、それが直ちに法律的効果を生むものでもなく、またそのことによって国民に向かって国旗、国歌として決まってしまうものでもありません。
以上により、この決議案で日の丸、君が代を国旗、国歌だと決めつけていることが何らの法的根拠もなく、かつかかる断定的言い方をもってあまねく県民を拘束できる何らの論拠もないことが明らかにできたと考えます。したがってこの決議案は、発議者諸君が多数をもって強行可決しようとするその根本の論拠を欠くものであって、本県議会の議決になじまぬ案件であると申さねばなりません。
それでは次に、なぜ提出者諸君はかくも強引にこの決議案を可決しようとされるのか。なぜ、今国旗、国歌なのか、その政治的背景にかかわる点について論及しておきたいと思います。
あの忌まわしい第2次世界大戦が終結してからことしは40周年を迎えました。15年にわたった侵略戦争は、2000万人以上の他民族の命を奪い、310万人の国民の命をも犠牲にしました。沖縄は戦場となり、広島、長崎には悪魔の原爆が投下されました。1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して日本は無条件降伏を行い、第2次世界大戦の終結となりました。日本国民は、天皇、君が代、日の丸に象徴されたあの侵略戦争と筆舌に尽くしがたい国民弾圧の天皇制ファシズム、専制政治の暗黒の時代からやっと解放されるときがきたのでありました。悲惨きわまりない深刻な体験を経てやっと生き残ることのできた私たち国民は、このような戦争を繰り返すようなことだけは二度と再び絶対にあってはならないと固く決意して戦後の出発となったものでした。国政においても主権在君を定めた大日本帝国憲法は否定され、国民主権の日本国憲法が制定されました。憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と格調高く宣言したのであります。
このようにあの侵略戦争の深刻な反省の上で出発した我が国の戦後の政治であったが、不幸にもアメリカ帝国主義とそれに従属的に協力加担する日本独占資本の支配する反動的政治の展開によって、憲法の指向する民主的、平和的国政の方向が大きくねじ曲げられ、踏みにじられるという事態に至っています。憲法違反の軍隊、自衛隊は世界屈指の軍事力を持つに至り、日米安保条約のもとで沖縄を初め100余の全国に散らばる米軍基地は、紛れもなくアメリカの戦略的核戦争の基地として深く組み込まれ、民族的存亡のかかる重大な危機に立たされるに至っています。
戦後40年、重大な歴史の節目の中で迎えた8月15日、自民党中曽根内閣は、平和を願い求める国民に対して何をもってこたえたか。
中曽根首相は、ことし7月27日の軽井沢セミナーでの講演の中でこう述べています。
戦後、長い間の懸案であった問題について1つ1つ今区切りをつけている。今までばらばらであったり、扱わなかったことをあえてさわり、合意を形成して国家としての締まりとまとまりをつけて21世紀に向かって日本国家、日本民族として世界に堂々と歩み、国家の発展に資する、そういう屈曲点に来た。これが私が言う戦後政治の総決算ということだ。このように述べるとともに、首相は靖国神社公式参拝に関して、どの国でも、国に命をささげた人に対して国民が感謝をささげる場所はある。これは当然のことだ。さもなくしてだれが国に命をささげるかと述べています。これは中曽根首相の靖国神社公式参拝のねらいが、日米軍事同盟体制国家づくりの中で、国に命をささげる新たな英霊づくりをはかるものであることを示すものであります。
そして去る8月14日、政府は、これまで国務大臣の靖国神社参拝について、政府としては、従来から内閣総理大臣、その他の国務大臣が国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法20条第3項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。右の問題があるということの意味は、このような参拝が合憲か違憲かということについてはいろいろな考え方があり、政府としては違憲とも合憲とも断定してはいないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないということである。そこで政府としては、従来から事柄の性質上慎重な立場をとり、国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを一貫した方針としてきたところである。
こういう政府の統一見解を投げ捨て、内閣総理大臣は、靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行うと発表し、戦後40周年の8月15日、中曽根総理大臣以下各大臣が公然と大臣の資格において靖国神社を公式参拝するという憲法違反の暴挙を敢行したのであります。
周知のように、靖国神社は、明治の天皇制政府が国策遂行のために建てた神社です。この神社は、戦前、戦中の国家神道のもとで絶対主義的天皇制の暗黒支配と侵略戦争、軍国主義推進の精神的支柱としての極反動的な役割を負わされてきました。そこには天皇のために命をささげた者だけを英霊として祭り、事もあろうにあの侵略戦争の直接の責任者である東条英機元首相を初め、広田弘毅元首相、板垣征四郎元陸軍大将らA級戦犯14人も神として合祀されているのであります。戦後政治の総決算を叫ぶ中曽根首相は、国のために倒れた人に感謝をささげる場所がなければ、だれが国に命をささげるかと軽井沢講演で打ち上げ、このような靖国神社への公式参拝という違憲行為をついに公然と強行し、平和と民主主義を求める広範な国民の気持ちをじゅうりんして、東条英機ら戦争犯罪人に対しても感謝をささげたのであります。
戦後40年、沖縄戦の悲劇、広島、長崎の被爆40周年を迎えて、今こそそれらの歴史の教訓を生かすべき今日、平和と民主主義を願う国民にも挑戦して、自民党・中曽根内閣は時代に逆行する軍事大国への道を突進し、日米安保体制の強化のもとで我が国を西側同盟の一員と位置づけ、日本列島不沈空母化、日米運命共同体路線を推し進め、日本を核戦争に巻き込む危険な日米軍事同盟体制づくりをはかろうとしています。そのために国民の言論の自由、報道の自由、国民の知る権利を圧殺する国家機密法、すなわちスパイ防止法の制定を急ぎ、政党を自民党政府の統制下に置くことをねらう政党法をも制定しようと策動を強めています。これらは日本の軍国主義の全面的復活を目指す方向であり、憲法改悪による天皇の元首化、軍事力の公然たる保持、有事立法、そして暗黒と国民犠牲への道にほかならないのであります。この恐るべき反動的政治の方向を突き進むためにこそ再び天皇を利用し、国民に国家意識を強力に押しつける具体的な手段を必要としたのであります。この日の丸、君が代決議案は、まさにその任務を負わされ、その反動的使命が求められているものであります。
政府・自民党は、我が国の軍国主義復活強化を推し進める中で、日の丸、君が代を国旗、国歌として反動的に利用し、その掲揚と斉唱の推進を地方議会や教育の現場に持ち込むなどによって執拗に強めてまいりました。
自民党は、1985年2月18日、党の教育問題連絡協議会長、文教部会長、文教制度調査会長、文教局長の連名により、「卒業式・入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱について」と題する通知を各都道府県支部連合会長及び幹事長あてに送り、引き続き都道府県、市区町村教育委員会を御指導いただくとともに、友好団体、PTA、同窓会等に対し、関係当局への要望活動を御依頼くださるなど特段の御指導をお願い申し上げます、との指示を行っています。自民党は、昭和60年度国民運動本部活動方針の中で、国民の祝祭日を啓蒙する運動の項目を掲げ、本年は各家庭において日の丸を掲揚するなど国を愛する心を養い、祝祭日の意義を国民に啓蒙する国民運動を展開するとの方針を明らかにしています。自民党はまた、本年4月22日付で、金丸幹事長、佐藤全国組織委員長の連名による各都道府県支部会長、幹事長あての通達を出し、国旗掲揚、国歌斉唱の励行を指示しています。その内容は、我が党は、かねてより祝祭日及び儀式等における国旗の掲揚、国歌の斉唱が励行されるよう、その運動の指導徹底を図ってきたが、特に天皇陛下御在位60年を迎え、これを機会にこの運動を一層推進したい。そのため4月29日の天皇誕生日を初めとする国家の祝祭日には、各家庭は国旗を掲揚することはもちろんのこと、官公庁、企業、学校等における式典及び諸行事においても国旗の掲揚及び国歌の斉唱が励行されるよう、さらに市区町村支部、職域支部等の党組織及び地方自治体、友好団体等にも強力に徹底されるよう特段の協力をお願いする、というものであります。
自民党のこのような一連の動きの中で、次期通常国会に議員立法で、祝日国旗掲揚法案(仮称)を提出する方針であるとの報道もなされています。
また文部省は、去る8月28日付で、全国都道府県と指定都市の教育委員会に対し、入学式及び卒業式において国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底することとの通知を高石邦男初等中等教育局長名で出しました。このような国旗、国歌の徹底をはかる通知は戦後初めてのものであります。
文部省は、1977年7月23日の小学校学習指導要領の改定によって、初めて君が代を国歌と記述する告示文書を出したが、その実施に関しては、国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し国歌を斉唱させることが望ましいと記述しています。この望ましいという言い分は、ねばならないという義務的規定ではありませんが、学習指導要領に国歌君が代と明記し、教育現場でその指導を義務づけ、教育の自主性を破壊しようとする政府のねらいであっただけに極めて重大な問題であったことは申すまでもありません。しかも重大なことは、学習指導要領は文部大臣の諮問機関である教育課程審議会の答申をもとに作成されることになっているが、当時の新学習指導要領の作成作業の過程の中で、教育課程改定問題を審議した教育課程審議会でも君が代国歌化問題は全然出なかったとされている上に、新学習指導要領の2つの文部省原案、すなわち「2月案」にも「4月案」にも君が代国歌化の記述は全く入づてなかったのであります。それが発表直前に突如挿入された裏には、当時の三原防衛庁長官が海部文部大臣に会い、やはり有事を考えると平素から教育の場でそれら――国旗、国歌のことであります――を教えることは必要なので、ひとつ教育指導要領に入れられないだろうかということを申し上げたと三原防衛庁長官自身が語っていることや、また当時の福田首相が学習指導要領案が発表された1977年6月、自民党支持の婦人たちの集会で君が代の国歌化について、国家に対する忠誠心を養うためであり、堂々と歌わせると述べていることなどで明らかなように、この国歌君が代の記述は、学校教育を通じて自民党と政府が軍国主義的、反動的国家体制を目指す重大な教育への介入をはかるものであったことは疑う余地のない問題であります。
このような意味合いを持たされた国旗、国歌について今回文部省がその徹底をはかる通知を出したこと自体、学校現場における教育的扱いを甚だしく逸脱するもので絶対に許すことのできない問題であります。
今回のこの決議案について発議者は、自民党中央の指示に従ったものではなく、あくまで自主的に提出したものであることを強調し、あたかも何らのやましい政治的背景がないかのごとく装ってみせたのでありますが、以上申し述べただけでもそのねらいとかかわりは明らかであり、県民を欺き通せるものでないことは断ずるまでもない。
さて、自民党と政府の一連の反動的策動の中で国旗掲揚、国歌斉唱を推進する立場からの陳情も出てまいりました。その1つは、日本を守る国民会議、沖縄県民会議議長松川久仁男氏からのものであります。この日本を守る国民会議は全国組織で、その中央における国民会議運営委員長は作曲家でもある黛敏郎氏でありますが、その黛氏が「季刊教育法」という雑誌の1985年8月臨時増刊号で、憲法学者の星野安三郎教授と「日の丸・君が代と天皇制」というテーマで特別対談をされています。その中で黛氏は、星野教授から自衛隊の対米従属性に関して、「今日統帥権はほぼ米軍が握っている。それに従属させられているのです。」と指摘され、それに答えて、「私、いまの意見には全く賛成です。統帥権を米軍に握られていることは反論できない。ですから憲法を改正して、日本はプロパーの軍隊を持って、統帥権をアメリカから取り返し、天皇が統帥権を持たれて、立派にやればいいじゃないですか。」と言われ、ずばり、天皇についての考え方の本音を表明しているのであります。
決議案発議者も、また日の丸、君が代を推進しているほとんどの人たちも、現憲法下での君が代は、国民の総意に基づく平和な日本の象徴としての天皇の御代を意味するものであるから、現行憲法に何ら反するものではないと強調し、君が代励行に何ら反憲法的政治指向のねらいもないかのごとく装っています。しかし自民党の改憲派の人たちが繰り返し明らかにしているのは、改憲によっても象徴天皇が存続するということではなく、文字どおり国家元首の地位を確立しようという方向であり、天皇の治める日本の再現の方向です。
今日、主権在民の日本国憲法のもとで成り立つ余地のない主権在君の歌、君が代をあえてあまねく国民に押しつけようとしてきている真の政治的意図は、この君が代の歌の本当の意味にふさわしい政治体制をつくり上げ、君が代をそのままにしておいて憲法上の矛盾を解決していこうとしていると言えるのではありませんか。つまり君が代を押しつけ、君が代に国民の思想も憲法もあわせようという反動的ねらいであります。
発議者は、日の丸、君が代の学校における実施率の低さを嘆き、憂慮すべき実態であり、まことに遺憾であると強調し、恥ずかしいことだとも述べています。しかしこれまで述べてきたことで明らかなように、教育の反動的統制と国家権力による不当な教育現場への介入、支配を許さず、沖縄戦などの悲惨な体験や歴史に学びつつ、日本国憲法と教育基本法を守って再び過ちを犯さないために必死になって頑張っておられる沖縄の教師たちこそ、日の丸、君が代問題についての真の誇りとすべき姿だと申すべきであります。
今回の文部省の通知こそ恥ずべきものであり、即時撤回すべきものであります。
入学式や卒業式などの学校行事は、それぞれの学校の教育目標に沿って、それぞれの学校が創意工夫を凝らして自主的に行うべきであり、教育行政が強制する画一的な方式で行われるべきものではありません。父母、教師などの共通の願いに基づいて教職員、生徒、父母がよく話し合い、一致点を大切にし、国民主権の民主的な時代にふさわしく、子供たちの気持ちにも合致した行事として成功させることが大事ではないでしょうか。教育委員会は、こうした学校行事が行われるよう援助すべきであって、法的強制力を持たない文部省通知をそのまま学校に強制するような非自主的な態度であってはならないのであります。
発議者諸君は、海邦国体に向けて日の丸、君が代の実施を強調しています。しかし海邦国体の成功のためにという大義名分を掲げて、日の丸、君が代を国旗、国歌としてすべての県民に認めさせようとすることは全くの暴挙というべきことで、そこには一片の大義もありません。海邦国体はスポーツの精神に照らしても、民主的論議を通じて県民世論を結集し、広範な県民が参加できるように配慮ある運営を考えてこそ県民の協力も期待でき、ひいてはその成功も可能だと考えるものであります。ところが西銘県政と自民党は、海邦国体を機会に国旗も、国歌も、自衛隊も、天皇来県も、県民の気持ちや意向も無視して反動的に処理し、一方的に片づけていこうとしているもので、かかる政治姿勢は断じて許されないものであります。
以上、基本的な問題点について申し述べましたが、最後に国旗、国歌にかかわる決議案について、今回のように多数をもって強引に押し切るべきものかについて触れておきたいと思います。
1つには、憲法に照らして地方議会でこのような決議が許されるかという問題、 もう1つは国旗、国歌という重大な案件について、予算やその他の普通の案件と同様にそのときどきの議会構成の多数派が、その数をもって押し切って処理するというあり方であってよいかという本県議会の良識の問われている問題であります。
以上の理由により、本決議案には断固反対であることを重ねて表明して討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 西田健次郎君。
〔西田健次郎君登壇〕
○西田健次郎君 議員提出議案第1号国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議に、与党の自由民主党及び新生クラブ会派所属の議員を代表しまして同決議案に関する賛成の討論を展開申し上げますが、ただいま共産党の代表から、憲法違反云々とか、自衛隊の否定の問題、あるいは平和と民主主義を願う国民と真っ向から対決するとか、あるいは県民意思を無視した県議会とか、とんでもないことがありました。とりあえずその点について申し上げるのですが、平和と民主主義を願う国民と真っ向から対決するというのはですよ、共産党の言っていることが国民に受け入れられないひがみからくる言葉でありまして、日本国民は戦後40年間、我が自由民主党を支持をして、自由民主党に国政をゆだねてきた。この国民の選択に、天につばをする行為なんです。余りいいかげんな勝手なことを言いなさんな。それから憲法違反の云々を言っておりましたが、現行憲法が国会で審議された場合に、憲法に反対をしたのは共産党の皆さんだけなんですよね。それで現行憲法に反対をして、いずれは憲法は改正するんだということを野坂さんは宣言をした。そのときに重要なことは、自衛権というのが放棄されていると、自衛権が否定されるような憲法を認めるわけにはいかぬ。そういうことを国会で言っておいてだ、今、自衛隊を否定するというのは論理の矛盾も甚しいんですよ。
今、あなた方は自衛隊のことを言えば、国民から支持を得られなくなるから、今とりあえず自衛隊は反対しておこうと。共産党の勢力が大きくなった場合は、赤い赤軍、人民軍をつくるということを皆さん、公の場所で言ってきているでしょう。そういう、うそをついちゃいかぬですよ。そういうことを皆さん、国会で言ってぎているんだよ。それからね、県議会において我々がこの問題を決議することは、憲法との問題とか、県民意思の問題を言っておりますが、これからるる申し上げてまいりますが、沖縄県民は圧倒的に私どもの立場を支持をして選挙で選んでぎているんですよ。これが民主主義の原則なんです。余り独善的な発想で、言葉の遊びでこの日の丸国旗を否定するような発言をされては困ります。
さて、この日の丸が日本の国旗なのか、でないのか、あるいは君が代が日本の国歌であるとか、ないとかですね、こういう論議されること自体が国際的な常識で異常なことです。また我が沖縄県において、他県になかった戦争体験と戦後27年にわたる米軍占領下に置かれた歴史があったにせよ、日の丸、君が代に関する県内の実態というのは、日本人の国民常識からすると、これまた奇々怪々な現象であると申し上げざるを得ないのであります。
なぜ、国際的に非常識である国旗、国歌論争の混乱が生じてきたのか。その背景には我が国の政治状況が国家と国民の存在と将来にとって極めて重要な基本課題である国家体制の問題、防衛と自衛隊の問題、日米安全保障条約の評価についての不幸な対立があることと、さらに我が国の最高法規である日本国憲法に対する見解の対立の存在、そして今後の国際社会における日本はどうあらねばならないか等々について国論が不幸ながら二分されていることであります。
この思想的な混乱の原因の第1の理由は、昨今ではほとんど日本の言論界で注目されなくなった進歩的文化人と称されたにせ学者たちが、えせ学者たちが、知識界における戦前からの流れをくむ共産主義への強いあこがれの噴出であり、共産革命への強い情念の横いつであります。第2番目の理由は、東京裁判に象徴されるように連合占領軍が日本の歴史や伝統をすべてを悪しき過去として断罪しようとしたその歴史観が、昭和27年の日本国独立後もそのまま日本社会の中に浸透し、継続されてきたのが大ぎな要因であります。
国旗、国歌に対する反対運動もこれら戦後の誤った思想が色濃く残滓しているのであります。
日の丸、君が代に反対する左翼の諸君は、日本の政府が共産主義体制にしようとたくらんでいるわけですから、そうでしょう、皆さん方は赤旗とか、労働者階級の歌、例えばインターナショナルとか、こういうのを国旗、国歌として望んでいるわけでしょう。自分たちの共産主義、社会主義思想と相反する日の丸、君が代は、あなた方は打ち倒すべきものと見ているわけですよ。日教組がしつこく日の丸、君が代に対し、あらゆる中傷とレトリックを持って学校教育の場から取り除こうとする闘争を続けるのは、日教組、沖教組も共産党、社会党のような左翼階級革命団体として同じねらいを持つ集団であることをみずから立証しているということを断定するものであります。(傍聴席にて発言、拍手する者あり)
さらに、我が沖縄県では、第2次世界大戦の唯一の地上戦の……
〇議長(志村 恵君) 傍聴人は静粛に願います。
○西田健次郎君 惨禍を経験させられたことと、復帰闘争の経緯も加わっている上に、全国で一番過激な左翼革命階級団体の沖教組の存在が、混乱、混迷に大きな拍車をかけているために、日本の国なのか、先ほどの討論者のようにソ連の国なのか、わけのわからぬ非常識な議論がさも当たり前のように惹起されているのであります。共産党や社会党が唱える共産主義、社会主義体制の国ならば、全くこういう議論は、共産党が望むソ連や社会主義の国なら、こういう議論自体が許されないんですよ。すぐ死刑ですよ、あんたたちは。
このような論議も我が党が責任を持つ自由と民主主義体制の社会と議会であるからこそ、あなた方、こういう議論ができるんですよ。
日本の国で、何も今ごろ国旗、国歌がこんな大騒ぎになるのかと、外人の記者もいらっしゃいますが、目を丸くしていますよ。何で今ごろ日本は日の丸が国旗なのかな、君が代は国歌でないのかなと議論しているだろうと、腰抜かすようにびっくりしています。
こういうまさに不毛な騒ぎでありますが、沖縄の大変な実態と、正しい日本人の自覚を、反対派の諸君に促すために論争の争点を5点に具体的に整理をしまして、少々長時間になりますが、私どもの立場と見解を紹介をしながら、また私見も含めながら反対派の諸君のいわれなき、根拠なき批判に反論を申し上げてまいります。
昨今の争点というのは、国旗と国歌とは何なのか、2点目は日の丸、君が代と先ほど出ておりますその法的根拠について、3点目が君が代の解釈と現行憲法との関係について、4点目が学校行事及び教育の自主性との関連について、最後に沖縄県の状況について、大体この5つが国旗日の丸論争の争点になっておりますので、これについて具体的に説明を申し上げてまいります。
まず初めに、国旗、国歌とは何ぞやであります。
先ほど申し上げましたように、自分の国の国旗、国歌について議論をしなきゃならないのは不毛な論議そのものでありますが、しかしあたかも国旗、国歌をも否定するかのような左翼政党の諸君や、傍聴席で陣取っている非国民のごとき諸君はもとより、県民各位に国旗、国歌に対する正しい理解を得るためにあえて御説明申し上げたい。
講談社の辞書によりますと、国旗とは、「国を代表する旗で日本では日章旗である」、国歌とは、「国を代表する唱歌であり、日本では君が代である」。岩波辞書では、国旗とは、「国家の象徴として定められた旗」、国歌とは、「国民的祭典、国際的行事等で、国民および国家を代表するものとして歌われる歌」とあります。またその国の独立のシンボルとして一目でその国の特色を象徴するものである国旗は、国際法やオリンピックなどの国際的祭典及び国際的な通商、運輸などを行う場合は国を明示することが必要であります。したがってどこの国でも国旗、国歌は論ずるまでもなく国家、国民にとって必要十分な条件であることをまず御理解いただきたいのであります。
参考までに、最近のオピニオン誌に発表されたある著名な文化人の声を紹介申し上げましょう。
世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識の話を申し上げましたが、このことは日教組、沖教組の3ない主義、君が代を歌わない、君が代を弾かない、起立をしないということが如実に示しております。この教育を受けた子供たちが成長して外国へ行き、外国の国歌斉唱に国際人としてのエチケットをわきまえてないわけですから、外国に行った場合に、外国の国歌斉唱がある場合にあぐらをかいて起立をしないような事態が出てぎた場合に、大変なこれは国際マナーを知らないものとしての大きなトラブルが出てまいります。場合によっては外交上の大問題に発展することも最近あちこちでこの事件が頻発してきているんですよ、最近の特に若いのは。国際人への育成とは、まず国際常識を身につけた人物の養成をしなきゃならない。反対派の諸君は、この辺もしかと肝に銘じてほしいのであります。
第3点目に、国旗日の丸、国歌君が代について、法律で一度も決めたことがないからとか、先ほどるる申し上げておりましたが、あるいは国民的合意が得られないからとか、君が代が国歌として制定されたことはないんだとの批判が特に共産党からなされておりますので、この点について国旗日の丸と国歌君が代の歴史と法的根拠について御説明を申し上げます。今ごろになって法的根拠がない云々と騒いでいる諸君は、目のうろこをはがして正しい理解をしていただきたいのであります。
まず、国旗日の丸が我が国で使われ出したのは、続日本紀によると、およそ1200年前の大宝元年(西暦701年)に文武天皇の時代であります。その後、後醍醐天皇を初め、戦国武将や豊臣秀吉、支倉常長、山田長政あたりが使っていたようでありますが、本格的に日本の国の象徴とする旗として公的に使われたのは、江戸時代後期に入ってからであります。江戸幕府も後期になりますと、外国船の来航が多くなってきた中で、嘉永6年(1853年)に薩摩藩が日の丸を国章とするよう幕府に建議をし、それによって幕府は、異国の船と紛れることのないように日本の船は日の丸を上げることを定めたのであります。さらに文久3年(1863年)に日本の軍艦は、国の旗として日の丸を上げよとの幕令が出され、それによって日の丸が公式に日本の国の御国旗となった、皆さん、よく御承知のとおりですね。さらに明治3年(1870年)に太政官布告第57号において、日本国船に上げる国旗は白地の日の丸と定められ、その後、明治32年(1899年)の船舶法、昭和29年の自衛隊法は、太政官布告を前提にして日章旗の掲揚を義務づけているのであります。この太政官制度が廃止されているから日の丸は国旗としての法的裏づけがない、無効であるとのけちをつけて騒いでいる者もおりますが、太政官とは当時の最高行政庁であり、いわゆる現在の内閣に相当するわけであります。当時の政府が布告したものであると判断するのが通説であります。また帝国憲法第76条の規定は、大日本帝国憲法施行後も、憲法に違反しない法律、規則、命令は有効であると明記されております。日本国憲法、現行憲法第98条によっても、憲法に違反しない法律、命令は効力がある旨規定されておりますので、太政宮布告第57号は現在でもしっかりと生きているのであります。また国際的視野から日の丸を考えてみると、日の丸は外国の元首の訪問等の国際間の儀礼、国連などの国際会議、オリンピックなどの国際行事の場で日本の国旗として世界中から承認されており、明治3年以降100年余にわたって、さらに戦後40年継続し繰り返し、繰り返し使われてきた事実からして、既に確立された国際慣習法であることは何人たりとも否定することはできないんです。また日本国憲法第98条によっていわく、日本が締結した条約及び確立された国際法規は誠実に遵守するとうたわれておりますので、国旗日の丸は国内法上も国際法上も十分過ぎる根拠があるのであり、しかも長きにわたる歴史を有し、幅広く国民に定着している愛すべき、誇るべき日の丸であるにもかかわらず、法的根拠がないから国旗じゃないんだと騒ぐ諸君は、反対するがための理由なき反抗者であると断言せざるを得ないのであります。国民の各紙調査においても、圧倒的多数が日の丸を国旗として認めており、ふさわしくないとか反対というのはわずか1ないし4%、この数字を持ってしても、国民の意思は日の丸を認めてないということをよくもまた暴言するものですね。
さて、次に国歌君が代の歴史と法的根拠についても少し触れてみたいと思います。
君が代は、古今和歌集に、「わが君は千代に八千代にさゝれ石のいはほとなりて苔の蒸すまで」とあるのが出典の始まりであります。その後、わが君が君が代に変わり一般に愛唱されるようになり、広く歌われ出したのは鎌倉時代以降のようであります。明治21年に、大日本礼式として国内の官庁と条約国に「君が代」が配布をされ、これを契機に国内的にも、国際的にも日本の国歌は君が代が定着したのであります。しかしながら現在、国内法上、もろもろの論議があるのは我々御承知のとおりでありますが、君が代が法律上の国歌である理由を説明申し上げたい。
明治31年(1898年)5月の法例第2条、先ほども古堅先生が出しておりましたが、この法例第2条は慣習法の要件として次のとおり定めております。事実上の慣習法になるための条件というのは、1点目が公の秩序や善良な風俗に反しない慣習であること。まさに日の丸、君が代はそのとおりであります。2点目は、既に法令で認めたり、規定していないものであり、君が代というのは法例第2条の要件を満たしておりまして、実質的に国歌君が代は慣習法という法律上の国歌の要件を十二分に満たしていることを申し上げておきます。
仮にだ、国旗日の丸、国歌君が代を認めないとか、あるいは認めがたいという諸君は、国旗掲揚、国歌斉唱に反対や邪魔をしたり嫌がらせをするだけではなく、日の丸にかわる国旗は、じゃこれだと、皆さんならソ連の旗を持ってくるかもしれません。あるいは赤旗を持ってくるかもしれない。こういう旗にしたいんだと。
それから君が代にかわって、君が代を国歌として認めないから、それなら「若人の歌」を歌えとか、あるいは学校現場で、およげ、たいやきくんを歌わせたはね上がり教員もいるんですよ。およげ、たいやきくんですよ、事実なんですよ。あるいは、立て万国の労働者の歌を日本の国歌にしようじゃないかと。また沖縄で「てぃんさぐぬ花」を歌わしているところもある。こういう、君が代にかわる国歌を国民に具体的に提示をして、国民の合意を得る国民運動を強力に継続的に展開するなら、あなた方の反対運動も筋が通るし説得力もありますが、この戦争中の軍国主義者の進軍ラッパのごとくですよ、沖縄は最後のとりでに死守せよ、戦争中の言葉でしょう、皆さん、好んで使っている言葉ですよ。沖縄を最後のとりでに死守せよ、これを平和を言う人が使っている言葉ですか。こういう空威張りをせず、あなた方代表の国会議員もいるんだから、国会やあるいは上部団体、日の丸を変えましょう、日の丸を赤旗に変えましょうとか、君が代をインターナショナルの歌に変えましょうという運動をやってくださいよ。そうすれば説得力も出てまいります。
また、神奈川県議会で昨年、社会党もこの決議に賛成しているんですよ。この社会党内部の内部矛盾を皆さん得意の弁証法的論法で説明できるかな。社会党さん、次、反対討論出るはずですから、神奈川県の社会党は賛成してだ、沖縄の社会党は反対する内部矛盾の説明をしていただきたいものであります。
次に、現行憲法の主権在民との関連で、君が代の歌詞は、憲法違反との左翼陣営の諸君に反論を展開しながら私どもの所見を申し上げたい。
君が代のルーツは、およそ1000年前に、紀貫之が編さんをした古今和歌集のお祝いの歌に君が代が歌われているのが文献による資料でありますが、我が琉球でも、天皇陛下と直接かかわりのなかった1600年ほど前ですか、よく出てまいりますが、具志川王子の作と言われる「かぎやで風節」の中に、「イシナグヌ石ヌ、ウフシナルマディン ウカキブセミショリ、ワ、ウシュガナシ」と歌われている歌は、皆さん、御承知のとおりでありましょう。また外国の国歌が中国、ソ連、フランス、イギリス、ほとんどの国歌が攻撃的で戦争中の軍歌よりも激しい歌詞であり、民族の独立と敵に対する徹底的な戦いの歌であるのに比べると、君が代は、実に平和的で厳かで情緒あふるる美しい詩情に満ちた比類なきすばらしい歌詞とメロディーであります。
左翼の諸君は、君が代の「君」は天皇陛下を意味するものであり、反対であるとか、憲法違反だとのたまわっておりますが、いま一度日本人として冷静に考えていただきたい。確かに第2次世界大戦当時、君が代は天皇陛下との関連で解釈され、戦争への士気鼓舞に利用された経過はあります。しかし明治の欽定憲法の時代になるまでは、本居宣長の解説にもあるように君が代の君は天皇陛下はもちろんのこと、親族、恋人、友達などの広い意味で使われていたのであります。大日本国憲法のもとで神聖にして侵すことのできなかった日本国の元首、天皇を意味するものとして歌われたのもこれは否定でぎない事実ではあります。しかし現在は、大日本国憲法の時代ではないんですよ。日本国憲法のもとにおける国歌君が代であります。天皇陛下は日本の元首ではなく、日本国の象徴としての天皇へと国民の総意によって変えられたんですよ。国民全体の総意によって象徴天皇として憲法で規定をされた。このことは天皇陛下を日本国民統合の象徴として敬い、お慕いする日本国民の心情は、共産党を除いては変わることがなかったことを如実に証明しているものであります。したがって君が代は国民の総意に基づく新生日本、平和な日本の象徴としての天皇の御代を意味することは明白であります。
現行の日本国憲法は、皆さん、すぐ第9条から言いますけどね、日本国憲法は第1条から始まっていますから、第1条から第8条まで読んでいただきたい。第1条から第8条までの条文は、天皇陛下に関する規定なんですよ。あなた方、9条からしか読まないからこうなるんだ。この条文を8条まで素直に読んでいただくならば、君が代が憲法違反云々と騒ぐことはいかに的外れの誤解であるかがわかるはずです。憲法上、明確に規定されている象徴天皇を無視したり、じゅうりんする行為は憲法違反になることを御承知でしょうね。
さて、じゃ現在の君が代の解釈は、私どもはこのように解釈しております。
平和を愛する日本国民全部が天皇を日本の象徴として仰ぐ、これは現行憲法第1条から8条までの規定でこうあるんですから、この日本の国は、小石が砂などと積み重なって大きな岩となり、その上に美しいコケが一面に生えるまでいつまでも栄えますようにとの意味であります。私も草花、盆栽を趣味にしておりますが、特に盆栽が一面に青いコケがむすことができた場合のあの平和な喜びと心を1つにするものであります。
君が代をもっともっと皆様方にわかりやすく説明を申し上げると、日本の国は、天皇も国民もみんな幸せで小さなさざれ石が積もり積もって大きな岩になって、なおその上にコケが生えるように千年も万年も長々と栄えますように、このように理解をするのが現行憲法下における国歌君が代でございます。
皆様方、ヤジを飛ばしておられる方々や傍聴席の沖教組の先生方にも申し上げたいんですが、このすばらしい民族性、世界中からうらやましがられている優秀で勤勉な日本民族の誇りを正しく子供たちに教える義務があなた方、あるんですよ。戦争中のことは、お互いの反省点として正しくこれを教えなきゃなりません。正しい日本人の教育を子供たちにやっていただきたい。子供たちは、親の後ろ姿を見てしつけを覚えます。学校現場では、先生方の教える後ろ姿を見て学ぶんです。将来の我が国を担う子供たちに、まかり間違っても日の丸は戦争の旗だからとか、知らんふりしなさいとか、君が代は天皇陛下を褒めたたえる歌だから歌うななどと、みずからの国を忌み嫌うような教育をあなた方はしているんじゃないでしょうね。民族の存立の基盤は、国家社会なんです。お互いの地域社会、ふるさと、そして家庭であり、日の丸否定、君が代否定をいたずらに増長することは、将来の我が国日本にとって極めてゆゆしき事態を招くことになることを強く指摘をし、反対派諸君の猛省を促すものであります。
この君が代の解釈との関連で実にくだらんことと私は思いますが、さざれ石は風化作用で小さくなっていくのであり、コケは生えないから非科学的であると、こういうことを反対派は言っていますね。小学生並みの陳腐な発言をする御仁であります。小さい石や砂が重なり合って土になるんです、山になるんです。そして国になっていくんですよ。そういう国民の一人一人の心と心を合わせてすばらしい日本の国をつくりあげ、青いきれいなコケが生えるまで未来永劫に日本民族の繁栄、我が日本が栄えるようにとの民族の願いを込めた歌が、この君が代なんですよね。この君が代の詞は、日本の歴史の営みの中で自然に培われてぎた我が民族の伝統文化であります。この民族の文化遺産に難癖をつける諸君は、精神的欠陥症候群の患者と言われてもやむを得ないでありましょう。お互いの沖縄で考えてみてください。あの祖先崇拝、「トートーメー」ね、法律、規則であれ決まったことはないですよ。琉球のお互いの中で自然に生成してぎた文化なんですよね。トートーメーのことは、学校で教えなくても、家庭、地域社会の中の行事から「親ファーフジ」の位牌等に毎日のように接触することで自然にその中に我々は入り込んでいく。国旗、国歌も日本の歴史であり、文化遺産であるので、全国民が尊重するような機会を常時創造していくのは当たり前のことであります。
また次、こんなこともあります。国民の祝祭日でもない学校行事で国旗、国歌の指導は必要ないとの批判もありますので、私どもの見解を申し述べたい。
今さら申し上げるまでもなく、世界中の独立国には国旗、国歌があるのは世界の常識であります。世界連邦、世界国家が実現し得ない世界の現実の中では、それぞれの地理的、歴史的環境の相違や風俗、習慣、意識、価値観の違う国民から成る多数の国があり、それゆえに世界各国はそれぞれの国情の違いを、相手の立場になってお互いに認め合い、これを尊重し、互いに譲り合い、助け合って共存共栄への努力を続けていくのが世界平和への道を確立する姿勢であります。そのためにはそれぞれの国家を認め合い、尊重するべく、その国のシンボルたる国旗、国歌を尊重することが国際化時代にふさわしく、かつ必要な姿勢であります。今後、国際化社会の中で活躍することが多くなる日本人が、自分の国の国旗、国歌も知らず、その正しい扱い方も知らないのでは、立派な日本人、国際人にはなり得ません。正しい日本人として国際化社会の中で通用する日本人をはぐくみ、なおかつ家族を愛し、ふるさとを愛し、国を愛する人間こそ平和を語る資格があるのであり、そのような日本人を育てるためにも国旗、国歌を正しく理解させる教育を、義務教育のときから教えるのは至極当然のこととして行われるべきことであります。
さらに、小中学校の指導要領において、国旗を掲揚し国歌を斉唱することが望ましいとある。この望ましいとあるのだから、強いて教える必要はないんだと。教える、教えないは、現場の教師の意見に任せる、すなわち職員会議の多数意見にゆだねるのが民主的であるとの主張を、野党の皆さん、何名かやっておりますね。これは一見して、学校の先生方が集まって議論をして、多数決でもって国旗、国歌を教えるか否かを決めましょうとか、これは表向きは非常に民主的には見えるんです。しかし沖教組の組織率100%に近い沖縄の学校の職員会議の実態は、沖教組分会の集会に実態はなっているんですよ。分会の集会と変わりません、職員会議は。学校行事も教育も、沖教組の勝手にさせるということになってしまうのです。職員会議、分会に国旗を掲揚するか、君が代を歌わすかということを判断を任せるということは、一見民主的に見えるけれども、沖縄の実態というのは、職員会議は、沖教組の分会の集会になっていて、校長以上に分会長が実権を握っている、これが実態です。そういう実態にありますから、私が、本議会において数回にわたって指摘してまいりました。沖縄を頂点とする日教組政治集団は、あの悪名高き倫理綱領の規定で、教師は、社会主義革命を目指す労働者であるので、自分たちの教える子供たちを、社会主義革命の担い手たる兵士として教え込むような趣旨の宣言をしているんでしょう、皆さん。この事実からして、日常の政治、選挙運動等の実態からしましても、学校運営や教育を、自主性という名目のもとに沖教組分会にゆだねるということは、階級革命主義の教育を放任するという恐ろしい結果を呈するのは火を見るよりも明らかであります。
現実の問題として、教師の中に、第2次世界大戦当時の日の丸のみを意図的にキャンペーンをして、日の丸イコール戦争と教えている事実があるんですよ。またこのことは日本の歴史的、文化的伝統のすべてを否定せんとする自虐的な行為と言われても仕方がありません。このような悪しき教育現場を放置しておくことは、我が国の将来を担う日本人の子供たちが、みずからの国を恥ずかしい国と忌み嫌うようになり、ひいては日本社会構成の基礎である家族、家庭をも否定することになっていくのであります。だからこそ日教組の分会が強い所と非行児の数が正比例するのだとの指摘も出てくるのは、むべなるかなと思われるのであります。
国民的祝祭日が単なる休息日である今日、義務教育段階の卒業、入学式、運動会等の学校行事において国旗掲揚と国歌斉唱は単なる望ましいものではなく、むしろ現場を預かる学校の先生方の責任として明確にすべきであるとの意見も多いことを申し上げておきたい。
次に、日の丸、君が代と学習指導要領の問題について申し上げます。
学習指導要領によって国旗日の丸、国歌君が代を教えなさいということは、教育への政治介入であり、憲法第19条の「思想及び良心の自由」に反するものであり、また教育基本法第10条に言う教育の自主性に反するものであるとの批判がなされております。これから反対討論に出てくるかと思います。極めて重要なことでありますので、教育行政と教育の自由について私どもの見解を申し述べ、諸賢の御理解を賜りたいのであります。
日教組や左翼の皆さんは、教育基本法第10条、いわゆる教育の自主性が規定されているので、教育行政当局は校舎をつくったり、運動場をつくったりする外的な作業だけやっておればいいのであって、教室で教える学習内容にまで立ち入るなと主張していますよね。このことは学問の自由と教育の自由を混同している解釈であります。御案内のとおり、憲法第23条で確かに学問の自由はあまねく国民に保障されております。しかし教育基本法第10条にうたう教育の自主性は、学問の自由のように無制限のものではないんですよ。教育基本法第1条をお読みください、いま一度しかと熟読をしていただきたい。教育基本法第1条「教育の目的」は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とうたわれております。この中で重要なことは、国民の育成を期すことが「教育の目的」に明記されていることであります。すなわち法律で定められた学校において行う公教育は、日本語を話し、日本人の心を持った国民の育成を行うことであります。ソ連人や中国人、アメリカ人を日本の学校で育成しなさいとは言っておりません。また憲法第26条で、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定められております。よって教育は、教育基本法を頂点とする法律、命令によって行われるのは論ずるまでもないことであります。とりわけ教育基本法第1条の、「日本人」を育成しなさいとの根本目的は揺るぎない大原則でありますから、どう皆さんが説明しようとも、この大原則を逸脱することは許されません。したがって学校の先生方は、個人としての学問の自由を有してはおります。学校の先生個人として、どういうことを勉強しようが、学問の自由、これは自由です。しかし自分の国を否定し、自分の国を忌み嫌うような精神的無国籍者を教育することは、教育基本法第1条、日本国憲法でも許されてはないということです。しかと理解をしていただきたい。教師の持つ自主性とは、日本人を育成するという範囲の中においてのみ尊重されることを理解すべきであります。
さらに、教育公務員は、憲法第15条第2項の「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部め奉仕者ではない。」の定めに従うべきであると同時に、国民の圧倒的な多数の声を最大に尊重する倫理的な責任を自覚すべきであります。
国旗を上げ国歌を歌うのは、個人の内面、心の問題だから、学校でわざわざ教える必要はないとの説も野党の反対論の大きな柱になっておりますが、先ほどからるる申し上げてまいりましたが、公明党さんは、日の丸、君が代は認めるが、議会で決議することは好ましくないということで、私に言わせれば、お人よし的だなという感じがするんですが、先ほどからるる申し上げてきたとおり現在の日教組、沖教組の思想的な意図を持つ戦術によって支配されている学校現場では、教えられるチャンスは、国旗、国歌については全くない。そういう事態をそのまま放置できないんです。文部省も深くそのことを憂えておりますし、私どもも県民意思の表明として県民各位に、今のままでは大変なことになるぞとの警鐘を鳴らすべく、今回の決議を提出したのであります。
最後になりますが、沖縄県の状況について、私どもの所見を申し上げさせていただきたい。
沖縄の国旗掲揚、国歌斉唱の実施率は惨たんたるありさまであります。全国一強い日教組が頑張っていらっしゃるとか、野党勢力が他県に比べて強い本県の政治、社会風潮があるとはいえ、これはもう日本国民としてまことに恥ずかしいことであり、ウチナーンチューが逆差別をみずからつくり出していることにもなるものと私どもは深刻に憂慮しております。野党の中に、学校で日の丸、君が代がゼロに近いのが沖縄のマジョリティーである、県民世論に自民党は従うべきであるとの支離滅裂な論理のすりかえをする人もおりますが、冗談じゃないですよ。自由民主党所属議員や新生クラブの議員たちは、選挙中に、国旗、国歌の推進を訴え、海邦国体でも当然のこととして日の丸を掲揚し君が代を斉唱し、天皇陛下の御臨席を歓迎申し上げる立場を、選挙で訴えて当選をしてまいりました。 (「そのとおり」と呼ぶ者あり) そのとおり県民代表であります。現在、26対20。基本的には公明党さんも、決議すること自体を除いては同じような見解とするならば、28対18となりまして、圧倒的大半の賢明なる県民は、また我々の立場を支持している事実、これが真の県民世論の証左であることを申し上げておきたい。
実施率ゼロは、都度都度申し上げてまいりましたように沖教組が日教組の沖縄支店に成り下がった後の日の丸、君が代に対する180度の戦略転換の結果の悪しき悲しむべき惨状であり、偏向教育の恐ろしい実態を露呈しているのであります。日の丸は悪夢のシンボルだと決めつけることは、何人といえども、平和を願い愛する素朴な心情を利用した行き過ぎた平和主義そのものであります。戦争中に日本の軍部は、アメリカ憎さの余り、英語をしゃべることを非国民扱いしたそうであります。これはまさしく行き過ぎた国家主義の典型的な事例であります。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」方式の戦術でありますから、平和主義も行き過ぎると国家主義の行き過ぎと同じような結果を招き、みずから民主主義を崩壊させることになることを皆様方、冷静に理解すべきであります。
復帰以前の沖縄教職員会が、先頭に立って日の丸運動を展開した事実、その会長がおっしゃったじゃございませんか。日の丸がかつて戦争に利用され、血塗られた軍国主義のシンボルとして利用されてきたことが、いまだにその幻想に取りつかれているのではないでしょうか。血塗られた日の丸は、昭和20年8月15日の無条件降伏とともに崩壊し消えうせた云々。我々は平和憲法のもと、新生日本のシンボルとして、日の丸は既に質的に清められ変わっていることを知るべきである。これは自由民主党が言ったんじゃないですよ。あなた方のドン、親分の喜屋武真栄先生が言ったことでしょう。この矛盾はどんな説明をしても、どんな詭弁を弄しても、また弁証法的な弁解をしても、県民各位を説得するのはどだい無理な話なんですよ。いま一度、名実ともに日本人に戻りたかった復帰前の初心に、反対派の皆さんは立ち返るべきであります。あのころ、私をも含めて日の丸を買わされた多数の県民は、まるで訪問販売の詐欺師にだまされたようなもんじゃないですか。そうでしょう。皆さんが、また日の丸と君が代は軍国主義復活に利用される云々と言っておりますが、余り国民意識をばかにしちゃいかぬですよ。現在の日本国民の意識の高揚というのは、政治意識、社会意識というのは戦前とは話にならな
いです。今の日本で本当に軍国主義の復活ができると思っているのか。いつ軍国主義復活をやろうとしたことがあるのか、その辺についで……。また被害妄想的な発想で、いわれなき批判だけはやめていただきたい。
昨日の琉球新報の社説に、こんな文章が入っていました。福田元総理が、政治家にとって最大の教科書は、何といっても歴史であると。そのとおりであります。政治の衝にあるお互いは、戦争体験を真摯に学び、再び戦争を繰り返さないための政治体制、社会体制を築き上げる努力を展開しているのであります。御承知のとおり戦後40年、毎日のように発生している地上戦に、国際紛争にも、我が日本は一度も巻き込まれることなく、新生日本、平和な日本の今日の繁栄を築き上げてまいりました。この事実は、我が自由民主党を中心とする自由主義政治体制の誇るべき実績であります。共産党、社会党は関係ないよ。
共産主義、社会主義体制国家の理想がもろくも崩壊している現実を、そしてまた15年戦争後の社会主義陣営の惨たんたる歴史の歩みを正しく把握をし、この社会主義、共産主義陣営の歴史の間違いを、素直に学ぶことが歴史を学ぶことなんです。
反対派の皆さんは、本来の日本人に戻る頭の体操をしていただいて、真の日本人として、日本国の発展に一緒に頑張って行こうではありませんか。その精神的基盤が国旗日の丸、国歌君が代であります。
どうぞ、みんなで、誇らかに喜びにあふれる笑顔で、日の丸を掲揚し君が代を斉唱していく契機となる今回の決議案に、皆様方、全会の御賛成、御賛同をお願いを申し上げまして、賛成討論といたします。
○議長(志村 恵君) 島袋宗康君。
〔島袋宗康君登壇〕
○島袋宗康君 討論する前に、先ほどの西田議員の発言にいささか問題点があるような感じがいたしまして、議場の傍聴者の皆さんに対して非国民だとか、あるいは神聖なるこの本会議場の中の議員に向かって死刑呼ばわりするというようなことについては、非常にこれは、そういったことについては厳に慎むべぎであるというふうなことを申し上げて討論をいたします。
ただいま議題になっております国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議案について、沖縄社会大衆党県議団を代表して反対討論を行います。
まず、一般論として、国にそれを象徴する国旗と国歌があるということを否定するものではありません。問題は、日の丸や君が代を国旗、国歌として認知したかどうかということであると思います。これは御存じのように戦前からのものでありますが、戦後は憲法も、帝国憲法から平和憲法に変わって、天皇中心の君主国家から、主権在民の民主国家になり、国の制度も大きく変化したのでありますから、民主主義国日本にふさわしい国旗と国歌が制定されるべきであったと思うのであります。ところが日の丸や君が代は、何ら法的根拠がないし、反省も総括もないがままに今日に至っていることに問題があると思うのであります。また君が代は、その内容からしても明らかに君主賛美の歌であり、現在の平和憲法下における主権在民という民主主義の国日本の国歌としては適当ではないと考えるのであります。
本土において定着していると言われておりますが、そうではなく、賛否両論、多種多様であります。識者の見解によりますと、日の丸を掲げるとか、君が代を歌うとか歌わないとかというのは、一人一人の人間の内面にかかわることであり、掲げよとの呼びかけは、その内面への権力者の側からの介入だと言えます。日の丸、君が代が国旗、国歌だという前提に立っても、国あるいは自治体、学校などを初めとする公的機関の場で強制的にこれを掲揚、斉唱する形をとるべきではないということであります。
日の丸、君が代は、昔も今も愛国心のシンボル的性質を持っております。愛国心は一概に否定されるべきものではありませんが、それはあくまで国民個々人の思想、信条、良心の自由に基づくものであり、単一のシンボルを介して画一的に強制されるものであってはならないと思うのであります。その点で今日、極めて意図的に推進されている地方議会の日の丸掲揚、君が代斉唱決議は、手続において一見、民主主義を装いながら、実質的には戦後民主主義の意義と精神をあえてじゅうりんし、国民に戦前型の愛国心を押しつける役割をねらうものというほかはありません。
私たちは、なぜ、今政府や自由民主党が強引に日の丸掲揚、君が代斉唱を推し進めなければならないのかという強い疑問があります。
それは恐らく中曽根自民党内閣が、戦後政治の総決算を唱えて靖国神社の公式参拝、防衛費のGNP比1%枠突破、スパイ防止法制定の動き、教科書からの戦争体験記録等の削除等々、一連の軍事大国志向、戦前回帰の策動と大きな関係があると思います。したがってこれらの一連の動きに、私たちが無関心、無批判な態度をとるならば、近い将来、教育勅語も押しつけられ、軍事大国への道へと突き進むことが予想されるからであります。私たちは、今こそこの動きに反対し、平和と民主主義を守らなければならないと思います。
去る太平洋戦争において、沖縄が唯一の地上戦を体験し、悲惨な目に遭ったこと、敗戦後、日本が独立するために結ばれたサンフランシスコ平和条約は沖縄を犠牲にし、司法、立法、行政の三権をアメリカの支配にゆだね、27年間という長期にわたって異民族アメリカの軍事優先、植民地主義的な抑圧に呻吟せしめられ、県民は逆境にもめげず熾烈な復帰運動を展開し、ようやく復帰をかち取ることができました。しかし施政権返還に際し、あくまでも軍事基地撤去、無条件全面返還が県民要求であったにもかかわらず、返還協定の内容は安保条約を優先した協定となり、政府が唱えていた核抜き本土並み返還はまやかしであったのであります。復帰13年を経ても依然として米軍基地は強化され、アメリカの世界核軍事戦略の中に組み込まれ、軍事演習による被害は続出し、県民の命と暮らしが脅かされている実態であります。そうした歴史的経緯と現状を見るにつけても、今何ゆえに沖縄の、自民党までが日の丸掲揚、君が代斉唱の決議を強行しようとしているのか、我々は理解に苦しむものであります。
いみじくも西銘知事は、62年国体に天皇陛下をお招きし、日の丸を掲げ君が代を斉唱して沖縄の戦後を終わらしたいと述べている。果たして沖縄の現状は、戦争は終わったと宣言できるような状態にありましょうか。対国土の面積比1%弱の県土に全国の米軍専用基地の75%が集中し、その上、政府は米軍基地のための土地の強制使用期間を、62年以降は20年に大幅延長する計画を進めております。極めて理不尽なやり方ではありませんか。これは絶対に容認することはできないのであります。沖縄の戦後は、終わるどころか、再び戦前に回帰していると言わざるを得ないのであります。
また、ここで指摘しておかなければならないことは、明治政府時代から天皇権威のシンボルとして日の丸、君が代を小学校にまで強制し、日本を軍国主義化した権力者たちは、国民を戦争へ駆り立て、日の丸を振りかざしてアジア諸国民の朝鮮、満州、中国、東南アジアの国々の人民を侵略、殺傷した歴史的な汚辱について何ら反省することなく、今日に至って自国の国旗、国歌を敬愛することが他国の国旗、国歌を尊重することにつながるともっともらしいことを述べているが、敗戦後の日本政府の責任者たる歴代の総理大臣が、侵略、殺傷したアジアの諸国民に対し、罪を犯して申しわけなかったとわびを入れた話を聞いたことがないのであります。その証拠には、1974年、当時、田中角栄首相が東南アジアを訪問したとき、タイのバンコクなどで激しい反日デモに遭い、大使館や日系企業の日の丸が焼かれたことによってこれが証明できるのであります。他国の国旗、国歌を尊重することにつながり、平和に貢献する云々は、汚辱の部分を軽視した表現としか言いようがなく、政府並びに自民党に対し猛省を促すものであります。
以上の理由から、ただいま議題となっております国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議案に反対であることを表明して、討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 岸本忠三郎君。
〔岸本忠三郎君登壇〕
○岸本忠三郎君 社会党県議団を代表いたしまして、議員提出議案第1号国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議に反対をする立場で討論を申し上げたいと思います。
自民党及び新生クラブに所属する諸君は、このたびの議会に、突如として日の丸、君が代問題を持ち出し、その決議を本県議会に求めてきているのでありますけれども、これは明らかに議会の権能を超えた越権行為であり、いわばそれは議会制民主主義の範囲を超えた暴挙であるとこういうふうに私は申し上げるわけであります。同時に、与党なりあるいは自民党の諸君が、数を多数だというふうなことを頼りにして、数に物を言わせてこれを強引に可決をする。その結果、何が起こるかというと政治に対する不信であり、議会制民主主義に対する土台を大きく揺るがすことになりかねない。したがってそのことに対していま一度皆さんが真剣に考慮を払っていただきたいと、こういうふうなことを考えたいと思うのであります。
特に提案者の諸君は、海邦国体に向けて日の丸掲揚と君が代斉唱の機運の醸成が必要であるとこういうふうに主張するのでありますけれども、いわば県民全体で成功させなければならないはずの海邦国体を、なぜあえてそこに君が代だとか日の丸だとかを持ち込んで、わざわざそこに混乱の種をまき散らそうとするのか、そのことに対して私たちは理解ができないんです。
海邦国体というのは、47都道府県、各県から全部参加をし、そしてそのことを成功させようということで全国から集まってくるわけです。沖縄県民もそのことについては反対するものではありません。戦後初めての国体です。全国から集まる皆さんを温かく迎えてそのことを成功させよう、そのことに対しては沖縄県民だれ一人として反対する者はないはずであります。だけど、なぜそこに日の丸や君が代をあえて持ち込もうとするんですか。
国体の基準要綱の中に、なるほど君が代あるいは日の丸を掲げなければならない、あるいは斉唱しなければならない、掲揚しなければならないというそういう要綱があるということを私たちも知っていますし、同時に君が代それから日の丸に反対する諸君もそのことを篤と承知をしています。承知をしながらも、なおあえて日の丸が何なのか、君が代が何なのかということを国体を通して沖縄の過去歩んできた歴史を通しながら学びとろうというのが今回のこの議論じゃないですか。それをあえて自民党なり新生クラブの諸君は、国体という国民的なお祭り、国民的な祭日、そのことを利用してそこにあえて君が代や日の丸を持ち込もうとする、そういう政治的な意図こそが一体何を諸君は考えているのかということを私たちは言いたいわけであります。
そういう立場で日本社会党は今日までこの国体に対していろんな角度から議論をし、同時にまた皆さんに対してもそのことを提起してきたわけでありますけれども、残念ながら今日に至るまでなお私たちの考えている日の丸、君が代に対して皆さんは賛同する立場に至っていませんので、あえてここでいま一度我が党の立場を皆さんに明らかにしておきたいのでありますけれども、いわば私たちがこの決議案に反対する第1の理由は、国家権力といえども良心の自由あるいは表現の自由としての基本的な人権、このことは日本国憲法によって保障されているということなんです。そのことは皆さんも認めていただけると思うんです。
基本的人権としての表現の自由あるいは良心の自由、そのことは侵すべからざる権利として日本国民が持っている固有の権利である。そのことを日本国憲法では犯すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられると、こういうふうに憲法は規定をしたのであります。具体的には良心の自由であるとか、あるいは表現の自由であるとか、こういうことが保障されているのがありますけれども、いわば日の丸の旗を見て、この日の丸の旗に対して国民個々人が何を思うのか。あるいは君が代の歌を聞いて、この君が代の歌に対して日本人個々人が何を考えるかということは、全くその人個人個人の自由なんです。そのことは皆さん認めると思うんです。
日の丸を見て何を考えるのか、あるいは君が代を聞いて何を考えるかということは、まさに個人個人の、自由です。なぜその自由を個人個人が日の丸を見て、君が代を聞いて考えるそれぞれの自由を、なぜ皆さんは議会の決議でもって沖縄県民全体に押しつけようとするんですかということを私は問いたいわけです。
なるほど私自身、日の丸に対して、あるいは君が代に対して、小学校のときからずうっと君が代を歌わされ、あるいは日の丸を掲げさせられ、直立不動の姿勢でもって日の丸に対する挙手の礼を強制させられた時代があった。そういう時代があったということは事実です。だけど今日、新しい日本国憲法のもとで君が代を聞いて、日の丸を見て何を考えるかということは全く自由であるにかかわらず、それを議会の議決でもって皆さんは、公共の施設もしくは祝祭日に対して君が代を斉唱し国歌を歌いなさいとこういうわけでありますけれども、それは皆さん御承知のように、先ほども申し上げたんですけれども、憲法で保障するところの表現の自由として、良心の自由として保障された基本的人権そのものを侵す行為じゃないんですかと。ですからそのことは皆さんも御承知のように、いわば人々の心の中に入り込んでいく、人々の良心の中に入り込んでいくということを、なぜ県議会議員という立場で、県議会という立場でわずか3000か4000、あるいは8000か9000、あるいは1万かその辺の票を取ったかしれませんけれども、そういう人たちが沖縄県民の良心までなぜ踏み込む権限があるんですか。皆さんは7000か8000か、あるいは1万ぐらいの票を取ったかもしれませんけれども、なるほど7000から8000の票を取った、あるいはそういう人たちの心を代表する皆さんかもしれません。しかしそのことを盾にして人々の良心にまで立ち入るところの権限はありませんよ。
人々の良心というのは、人々の心というのは、中世における宗教裁判というのがどういうことだったか、皆さん御承知のとおりです。人々の良心に対して政治が幾ら押しつけたって、そのことは政治的な成果として上がらなかったということは歴史の教訓が示すところであります。そのことをまず皆さんは、提案者の諸君は理解をしなければいけないんです。
私たちは、私たちが生きているこの社会から自由が奪われていく。日の丸を上げる、君が代を歌う、歌うか歌わないかは自由であります。それを県議会の決議でというふうな形で奪い去ろうとする、そういうことに対して私たちは反対をしなければならないのであります。
皆さんは、今度の決議はいわば要請であり、そしてそれは提案者の諸君の希望だとこういうことを言うのでありますけれども、しかし県議会という公の立場で決議をするということが、一般公務員に対して、あるいは学校の先生方に対してどういう拘束力を持つかということは、すなわち倫理的にはそのことを拘束するんです。皆さんは、希望だ、皆さんはそのことは要望だ、あるいはこのことは宣言決議だとこう言うわけでありますけれども、しかし県議会という場で決議をするということは、一般公務員に対して、あるいは学校の先生方に対して倫理的に拘束しようと、そういうねらいがあるからこそ皆さん、このことを決議しようと、こういうことじゃありませんか。
そういうことであれば、いわば沖縄県民の一人一人の良心を縛りつける、沖縄県民一人一人の心を縛りつけるような決議を本県議会がやるべきでないということは当たり前のことじゃないですか。そのことをまず第1点として皆さんに申し上げたいと思います。
第2点、提案者の諸君は、しきりに今回の決議案は、提案をした全員の皆さんの自発的な意思だとこういうことを言うのであります。ところがこれは明らかに自民党本部の指示を受け、そして自由民主党の国民運動本部の指導のもとに出された議案であるということを私たちは断定するものであります。もちろん自由民主党がどのような運動をしようが、あるいは自由民主党がどのような運動を展開しようが日本社会党とは関係ありません。しかし今回のこの事件が日本国民全体の将来、あるいは日本の将来に対して大きく影響するということであれば、私たち日本社会党としても黙っているわけにいきません。
御承知のように、今日の日本国の憲法の精神である平和、人権、民主主義、そして地方自治の尊重、これが今日の日本国憲法の精神であったはずであります。ところがこの精神が今大きく曲げられ、同時に政治反動化への動ぎというのがいまだにやむことを知らずに、右へ右へとなだれ込んでいる。特に中曽根内閣が誕生して以来、中曽根政治は戦後政治の総決算、こういうことを言いながら軍備の拡大、憲法の改正、こういう体制づくりを一歩一歩進めているのであります。
中曽根総理は、就任すると直ちに韓国へ行きました。その足でさらにまたアメリカヘ参りました。韓国に行って何をやったかというと、いわば軍事費絡みで40億ドルの借款を全斗煥に与える。アメリカに行って何をしたかというと、レーガンに対して四海峡封鎖はおれがやりますと、日
本を不沈空母にしますと、こういうことをアメリカで言ったわけであります。同時にそのことが足かせになって今日、防衛費にかかわる予算がGNPの1%をはるかに飛び超えるという、こういう状況を今招いているのであります。
非核三原則、これも揺らぎ始めているわけであります。武器輸出三原則、そのことも揺らぎ始めているわけであります。中曽根総理は何を言っているかというと、行革で大掃除をしてお座敷をきれいにして立派な憲法を安置をしましょうということを、生長の家で、かつて選挙遊説のときに言ったわけであります。そしてそれが中曽根総理が目指す自民党政治のコースだと、こういうことを言ったわけであります。憲法改正に向けたコースを明確にしながら中曽根政治は今展開をされているわけでありますけれども、自民党の内部に対しては何を言ったかというと、憲法見直しの段取りをつけながらいわば世論の熟成をはかる。憲法改正への世論の熟成を運動しながら、それをはかりながら、そしてそれを積極的につくりながら中曽根内閣というのはそれを進めようじゃないのかと。こういうことを言いながら、自民党の党員集会の中で自民党の諸君にハッパをかけているのであります。
皆さんも御承知のように、国会の場で総理大臣という立場にありながら憲法を改正をするというふうな改憲論を主張したのは、かつて20数年前に岸信介が言ってのけました、岸信介が言いました。そして岸信介に次いで今回の中曽根が初めてなんです、憲法を改正するという。そして同時に、先ほど共産党の古堅議員も言っておりましたけれども、靖国神社に対して公式に総理大臣として参拝をするというふうなことを言った者は中曽根総理が初めてであります。言うなれば憲法を改正し軍事大国へ進む、靖国神社に総理大臣として公式参拝をする、そのために何をしなければならないかということを考えた中曽根総理大臣は、皆さん御承知のように平和問題研究会を総理大臣の私的諮問機関として設置をしたのであります。
この平和問題研究会、何をねらっているのか。いわば今までの自民党の安保防衛政策、防衛一点張りの日本の軍事政策、自衛隊政策を、安保一点張りの日本の自衛隊政策を、安保ではなくて積極的に不沈空母そのものに日本を仕立てようという論理がこの平和問題研究会の中に入っているということを、自民党の諸君だって御了解をいただかなければならないと思うんです。
防衛費が今、GNPの1%ということが守られない。防衛費の1%が今日守られないというふうなことが風前のともしびになり、こういう状況にあります。同時に、自民党の中曽根内閣の言うところの安保、防衛政策が不沈空母路線に入っていくということは、まさに専守防衛政策そのものも風前のともしびになっているという今の事実を自民党の諸君は理解をしなければならないというのであります。
○議長(志村 恵君) 岸本忠三郎君に申し上げます。ただいまの討論は議題外にわたっておりますので、注意をいたします。
○岸本忠三郎君 こういうふうなことを言いながら自民党の諸君、中曽根内閣は何をしているかというと、国外問題、防衛問題、そのことに対して国民が批判をすると、こういうふうなことは気がついたら、今度、土光さんに目刺しを食わしながら、土光さんに目刺しを食べてもらいながら行政改革だと、こういうわけであります。
行政改革の中身とは何かというと、地方の権利を中央にさらに集権をしていこうというのが今度の行政改革の中身じゃないんですか。行政改革に対して、行政改革に反対するのは非国民だと、こういうことをマスコミを利用しながらあおっているのはだれですか。国民生活を無視しているのはだれなんですか。国民精神の方向を無視しているのは一体だれなんですか。(発言する者多し)
○議長(志村 恵君) 静粛に願います。
○岸本忠三郎君 そのことを行政改革の中では自助努力だと、こういうふうなことに対して、政府はもう行政の中で引き上げる、だから国民自身は自分自身で努力をしなさいと、政府に対して救済を求めるのではない。政府に対して自助努力を求めるというふうなことをやめなさい、こういうことを言う。
自治体に対しては何を言っているんですか、自民党内閣は。選択と負担という理論の提起をしながら、自分が福祉を求めたければ、国民自身が政府に対して、政治に対して救済を求めたければ、自分自身で負担をせよというのが今日の行政改革の中身じゃないですか。いわば行政改革を通して再び権力を中央政府に集中をし、国民支配のための権力機構をさらに強く大きく死守していこうというのが今日の行政改革の中身ではありませんか。このような自民党政治の……
○議長(志村 恵君) 休憩いたします。
午後3時57分休憩
午後3時58分再開
○議長(志村 恵君) 再開いたします。
○岸本忠三郎君 いま一度申し上げますけれども、自民党内閣、中曽根内閣が行政改革を通して何をたくらむのか。それは中央政府に対して権力を集中し、国民のための権力機構をさらに強く大ぎくしていく、これが今の中曽根内閣の目指す行政改革の中身じゃありませんか。それに対して国民が何を求めているかというと、金権腐敗の政治の一掃こそ政治に求めているんです。
このような自民党政治の、あるいはそのような意図を持った自民党政治の流れの中で出てきたのが今度の日の丸、そして君が代問題であります。すなわち憲法改正して日本を不沈空母に仕上げる、そうするには行政改革を通して権力を政府に集中をする。そういう一方で、日の丸、君が代を通して国家への忠誠心を国民の中につくり上げていく、そういう動きが諸君の出している今度の日の丸、君が代だということであります。憲法見直しの段取りをつけ、世論の熟成をはかるという中曽根総理の方針を、今皆さんはそのことを中曽根総理の言ったことに対して、そのことを忠実に実行しているのが皆さんじゃありませんか。
先ほども申し上げたけれども、今政治に対して求められているのは日の丸や君が代ということではありません。法治主義の根っこにあるところの憲法が今形骸化をされている。そして金権腐敗による議会制民主主義を立て直すことが今大事じゃありませんか。同時に教育の荒廃、そして物質だけがすべてであると。極端な拝金主義とエゴイズム、そのことが政治によって直されなけれぽいけない当面の急務じゃないですか。そこへなぜ日の丸、君が代が今日出てこなければならない、政治日程として出てこなければならない理由があるのか。私たちはそのことを理解できませんし、いわば今日の集権構造を改革をして……(傍聴席にて発言する者あり)
○議長(志村 恵君) 傍聴人に申し上げます。傍聴人は議事について可否を表明し、または騒ぎ立てることは禁示されておりますので静粛に願います。
○岸本忠三郎君 集権構造を改革をして、分権と自治の地方自治を進めることこそが今政治に求められている課題ではないのかということを問いたいのであります。
今なぜ日の丸なんですか、今なぜ君が代なんですか。そのことに対して諸君は答えてないじゃないですか。国家主義への、日の丸を通して国家に回帰する、君が代を通して天皇に対して回帰をする、こういう国家主義は社会党は真っ平であります。
第3点は、沖縄県民の背負ってきた歴史を私は指摘をしなければならない、こういうことであります。
提案者の説明によれば、小中高校での日の丸掲揚あるいは君が代斉唱の比率がほかの県に比べて低い、こういうことを挙げて、そのことを残念だとこういうことであります。しかしそのことを残念だとこう言う前に、いわばお互い沖縄県民が歩んできた過去なり、歴史ということをいま一度やはり考えたとぎに初めてこの実施率と沖縄県民の過去というのが結びつくのではなかろうか、こういうふうに考えます。日の丸の掲揚と君が代の斉唱を提案者の皆さんが沖縄県民に求める前に、そして沖縄の人たちに日の丸を上げなさい、君が代を歌いなさいとこういうことを言うときに、皆さんは、何を沖縄の人たちに求めようとするんですか。沖縄県民に君が代を歌えよと、日の丸を掲げよとこういうことを皆さんが提案する。そのときに、皆さんはそのことによってただ日の丸を上げるだけじゃありません。ただ君が代を歌うだけじゃないはずであります。何で、何をそのことによって求めるのか。まさに今おっしゃるように正しい日本人、言うなれば国家への忠誠心じゃありませんか。国家への帰属意識、そして天皇への忠誠心、そのことを皆さんは沖縄の人たちに求めようというそういうことでありましょうけれども、この場合、沖縄と日本の国家、そして沖縄と天皇との間に余りにも多くの事件や時間が悲劇にすぎるほどあったのではなかろうか。
皆さんも御承知のように、戦前の沖縄県が、法律や諸制度も含めてほかの他府県と一緒になったのは大正8年なんです。明治100年の間で沖縄の県民がほかの県民と同じような権利を与えられたのは大正8年だということは皆さんも御承知。つまり大正8年から昭和20年までのわずか25年の歴史を共有したにすぎないわけであります。戦後は昭和47年の復帰からわずか13年であります。戦前、戦後を通して沖縄県民が日本人として名実ともに歴史を共有した期間は、明治維新100年から数えてその期間わずか40年であります。まさに60年は疎外をされ、差別をされてきたというのが沖縄の歴史であり、沖縄県民の歩んできた道ではなかったのか。
こういう歴史の重みを、沖縄県民一人一人から直ちに今すぐ取り去れとこういうことを言ったって取り去ることはできないのじゃないのか。そのことは皆さんだって御承知のことだと。
加えて、戦争と米軍支配からくる傷跡をいまだにお互いの社会生活、個人生活、その中で引きずったまま生きているのが沖縄の人たちじゃないんですか。絶えず国策の犠牲になり通してきた沖縄県民が国家を見る目、天皇を考える視点、そういう立場において他府県人とは大きくかけ離れた立場にあったとしても、それはいたし方のないことじゃありませんか。そのことがまさに沖縄県民の世論じゃないですかと、そういうことなんです。
小中高校において日の丸掲揚、君が代斉唱の実施率が低いのを、皆さんは素直に沖縄県民の心としてとらえ直してみることこそが政治に携わる皆さんの心じゃないのかというふうに私は考えるのでありますけれども、皆さんがそういう沖縄の人たちの心を逆にとらえていたけだかに、しかも恫喝をしながら日の丸を掲げろ、君が代を歌え、国家に忠誠を誓え、天皇に忠義を誓えとこういう言い方を、いわば今度の決議によって沖縄県民に求めようとするこの立場こそ糾弾をされなければならないというふうに私は考えるのであります。
それからいま1つ、第4点でありますけれども、教育長は、今回の決議案が可決されることを政治的な後ろ盾としながら、文部省通達の一層の指導強化を学校現場に指示する姿勢を見せております。これを受けた学校現場の教師の皆さんは、君が代を生徒に教える、こういうことになるのでありますけれども、提案者も文部省も、しからば君が代というのはどういう意味なのかということは一切触れてないのであります。
戦前、文部省は、君が代の意味を、天皇陛下のお治めになる此の御代、これを歌う、祝う歌であるとこういうふうにしたのでありますけれども、戦後になって君が代の斉唱を学校現場に指導する文部省は、生徒に対して、ただ歌いなさい、歌わせなさいとこういうことを言っただけであって、その君が代の意味するところは一切触れてないというのが今日の文部省の態度であります。おおよそ文部省は、君が代が国歌だとするならば、その国歌の意味はあいまいで、公式見解は何も示さずに学校の先生方に強要する。こういう無責任な態度であってはならないと考えるんです。文部省が見解を示さないのは、君が代の歌詞が明らかに主権在民を規定した今日の日本国憲法に抵触をするということを明確に文部省自身が認めている、そういう歌だからであります。いわば天皇といいます。天皇陛下といいます。天皇に対して日本国憲法の中で言っていることは何を言っているかというと、天皇は、主権の存する日本国民の総意に基づいて日本国の象徴なんだとこういうことを言っているわけであります。言うなれば国民の総意がなけれぽ天皇はその地位につくことができないはずであります。それを日本の国歌、日本の国民の国歌として君が代は、何とかかんとか、さざれ石のと、こういう形でいわば天皇にあたかも主権があるような形の国歌を今日なお日本国民がいただいている。そのことは天皇の御代だけを歌い、主権の存する国民は、ひたすらに天皇に対して忠義を奉るとこういう立場だけを国民に求めている、それが今日の君が代ではないのか。だれの目から見ても、明らかにこの君が代というのは、今日の主権在民を歌った日本国憲法からしてみればふさわしくない、当然今日の社会において変えられなければならない国歌の中身であろうというふうに考えるんです。
先ほど、どなたか、君が代の「君」というのはちゃんと説明をしているとこういう言い方をするわけでありますけれども、君が代の君というのは君と僕との君だと、こういういんちきな説明が一体成り立つんですか。君が代の君というのは君と僕との君だと、こういう説明が一体沖縄県民に対してそういう説明が成り立つんですか。少なくとも歴史の批判に耐え得るような説明があって初めて沖縄県議会といういわば立場になるんであって、君が代の君は君と僕との君だと、こういう説明で一体そのことを学校の先生方に子供たちにそうなんだということを教えなさいといって成り立つんですか、あり得ないことだと思う。そんなことを学校の先生方に教えなさいといったって、学校の先生方はそのことを教えるわけにはまいりませんよ。
そういう立場で日本社会党を代表して、日の丸、君が代、このことに対していわば強制することに対して私たちは反対をすると、こういう立場で反対討論を終わりたいと思います。ありがとうございました。
○議長(志村 恵君) 白保台一君。
〔白保台一君登壇〕
○白保台一君 議員提出議案第1号国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議に対し、反対の立場から討論を行います。
まず、公明党の立場を明らかにしますが、既に我が党は代表質問におきましても、本会議における本議案の質疑におきましても、また委員会における審議においても立場を明らかにしてまいりましたが、今整理をしてみます。
1、日の丸が国旗として、君が代が国歌として広く国民の間に定着している。このことはかつての総理府調査でも明らかであるが、去る10月8日、9日の両日、朝日新聞のアンケート調査でもほぼ同様の結果が示されていることからも、国民の多くは国旗、国歌に定着した考えを持っているということであります。したがって我が党も、国民の間に広く定着している国旗、国歌はふさわしいものと考えております。
2点目に、 これら国民がふさわしいものとしている国旗、国歌は小中高校の学校や公的機関において使用されるのが望ましいとの判断に立っております。
第3点目、ただし官公庁や学校においては一般的に望ましいと考えるが、地方議会の決議等によって一方的な押しつけになるようでは好ましくないとこのように考えます。学校教育の中で、日の丸の掲揚や君が代の斉唱を義務づけることは、学校行事に対する教育現場への強制と受けとめられ、本来の姿である学校の自治や教育の自由という面から混乱を招くおそれがあります。ゆえに日の丸の掲揚や君が代の斉唱については、学校の自主的運営に任せるべぎであると考えます。
第4点目に、個人においては憲法の保障する個人の信条の自由に任せ、最もとうとい個人がみずからに忠実であるという姿で判断せられるべきであります。愛国心、敬愛の念といっても、しょせんは個人の心の問題であります。心の問題には、議会の決議などによる強制力はなじまないものであります。
第5点目に、したがって国旗の掲揚、国歌の斉唱については官公庁、学校、個人に限らず、それぞれで自主的に判断すべき問題であって、議会の決議によって掲揚や斉唱がなされるものであってはならないと考えます。
第6点目、我が党は、掲揚や斉唱を励行させる決議にも反対します。一方、掲揚させない、斉唱させないという考え方にもくみすることはできませんし、これらは信条の自由に任せられるべきものと考えます。
さきに引用した朝日新聞の調査によれば、日の丸が国旗としてふさわしいという人が86%でありました。ただし、お宅に日の丸がありますかとの問いに、あると答えたのは56%、国旗としてふさわしいと認めつつも、30%の方が持っておられない、これが実情であります。認めたからとい
って直ちに掲揚するとは限らないし、掲揚していないから認めていないとも言い切れない。今やまさに自主的に判断していく時代であります。
戦後40年平和憲法のもとで再び戦争を起こさないことを誓い、進んで憲法の精神を広く世界に宣揚し、世界恒久平和達成に貢献していくことが大切であります、そのための不断の努力を積み重ねていくことにより日の丸、君が代も新たな日本のシンボルとして国民にも、特に沖縄県民にも定着していくものと信ずるものであり、あえて議会での決議は必要ないものと考えます。
以上、国旗掲揚、国歌斉唱に関する決議に反対の立場からの討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 以上で通告による討論は終わりました。
これをもって討論を終結いたします。
これより議員提出議案第1号国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議を採決いたします。
本案に対する委員長の報告は、原案可決であります。
お諮りいたします。
本案は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、議員提出議案第1号は、委員長の報告のとおり可決されました。
休憩いたします。
午後4時22分休憩
午後6時38分再開
○議長(志村 恵君) 再開いたします。
日程第9 議員提出議案第2号 農業、水道用水等に対する流水占用料等徴収構想撤回に関する意見書を議題といたします。
提出者から提案理由の説明を求めます。
外間盛善君
〔外間盛善君登壇〕、
○外間盛善君 ただいま議題となりました議員提出議案第2号農業、水道用水等に対する流水占用料等徴収構想撤回に関する意見書について、提出者を代表いたしまして提案理由の説明を申し上げます。
現在、建設省は、昭和61年度の概算要求の中で、河川水を利用している農業用水、水道用水等から、新たに流水占用料を徴収するために制度を改正しようとしております。
農業用水は、その重要性から、明治29年以来、流水占用料が免除されてきた長い歴史的経緯があり、新河川法においてもその歴史的背景や国民の食糧供給に果たす役割から、流水占用料徴収の対象から外されております。また水道水も国民生活に不可欠で公共性が高いということでこれまで流水占用料の微収は免除されており、工業用水や発電用水も軽減措置がとられております。しかし建設省は、河川の水量の確保、水質の保全等河川整備財源を充実させるため、制度を改正して流水占用料を徴収する構想を持っており、また林野庁も水源税を新設し、すべての水道利用者から水源税を徴収し森林整備の財源に充てようとしております。これらの制度が改正されますと国民に新たに負担を増すばかりでなく、農業の発展に支障を来すものと非常に憂慮されております。
また、農業基盤整備のおくれている本県の農業は、ここ数年、農業用水を活用して生産性を著しく向上させている地域もあるが、沖縄県全体から見た場合、農業用水の活用はまだ緒についたばかりであり、この流水占用料等徴収構想は、本県の農業発展にも支障を来すものと思料されます。
以上申し述べました理由から、これら制度の改正がなされないよう関係省庁に要請する必要があるとの意見の一致を見て、本案を提出した次第であります。
意見書を朗読いたします。
〔農業、水道用水等に対する流水占用料等徴収構想撤回に関する意見書朗読〕
以上で提案理由の説明を終わりますが、慎重御審議の上、よろしく御賛同賜りますようお願い申し上げます。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
この際、お諮りいたします。
ただいま議題となっております議員提出議案第2号については、会議規則第37条第2項の規定により委員会の付託を省略いたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって本案については委員会の付託を省略することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) これより議員提出議案第2号農業、水道用水等に対する流水占用料等微収構想撤回に関する意見書を採決いたします。
お諮りいたします。
本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、本案は、原案のとおり可決されました。
○議長(志村 恵君) 日程第10 陳情21件を議題といたします。
各陳情に関し、委員長の報告を求めます。
総務企画委員長。
〔総務企画委員長 儀間光男君登壇〕
○総務企画委員長(儀間光男君) ただいま議題となりました陳情21件につきましては、慎重に審査いたしました結果、お手元に配付してあります審査報告書のとおり処理すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
体憩いたします。
午後6時46分休憩
午後6時47分再開
○議長(志村 恵君) 再開いたします。
これよりただいま議題となっております陳情21件の採決に入ります。
まず、陳情第219号、第232号、第234号、第237号、第241号及び第242号を除く陳情15件を採決いたします。
お諮りいたします。
ただいまの陳情15件は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、ただいまの陳情15件は、委員長の報告のとおり決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 次に、陳情第219号及び第234号の2件を一括して採決いたします。
ただいまの陳情2件に対する委員長の報告は、採択であります。
お諮りいたします。
ただいまの陳情2件は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、ただいまの陳情2件は、委員長の報告のとおり採択することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) ただいま陳情2件が採択されましたので、同一事件に対する陳情であります陳情第232号、第237号、第241号及び第242号は、その議決を要しないものとなります。
○議長(志村 恵君) 日程第11 陳情11件を議題といたします。
各陳情に関し、委員長の報告を求めます。
経済労働委員長。
〔経済労働委員長 外間盛善君登壇〕
○経済労働委員長(外間盛善君) ただいま議題となりました陳情11件につぎましては、慎重に審査いたしました結果、全会一致をもってお手元に配付してあります審査報告書のとおり、処理すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもらて質疑を終結いたします。
これよりただいま議題となっております陳情11件を採決いたします。
お諮りいたします。
各陳情は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、ただいまの陳情11件は、委員長の報告のとおり決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 日程第12 陳情38件を議題といたします。
各陳情に関し、委員長の報告を求めます。
文教厚生委員長。
〔文教厚生委員長 伊良皆高吉君登壇〕
○文教厚生委員長(伊良皆高吉君) ただいま議題となりました陳情38件につきましては、慎重に審査いたしました結果、お手元に配付してあります審査報告書のとおり処理すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
休憩いたします。
午後6時51分休憩
午後6時52分再開
○議長(志村 恵君) 再開いたします。
これよりただいま議題となっております陳情38件の採決に入ります。
まず、行政改革に関する陳情1件、国旗掲揚と国歌斉唱に関する陳情3件及び県立開邦高等学校の設置に関する陳情13件を除く陳情21件を採決いたします。
お諮りいたします。
ただいまの陳情21件は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、ただいまの陳情21件は、委員長の報告のとおり決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 次に、陳情第166号の3を採決いたします。
本陳情に対する委員長の報告は、不採択であります。
お諮りいたします。
本陳情は、採択することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立少数であります。
よって、陳情第166号の3は、不採択とすることに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 次に、陳情第215号を採決いたします。
本陳情に対する委員長の報告は、採択であります。
お諮りいたします。
本陳情は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、陳情第215号は、委員長の報告のとおり採択することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) ただいま陳情第215号が採択されましたので、同一事件に対する陳情であります陳情第237号の2及び第238号は、その議決を要しないものとなります。
○議長(志村 恵君) 次に、陳情第209号を採決いたします。
本陳情に対する委員長の報告は、採択であります。
お諮りいたします。
本陳情は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立多数であります。
よって、陳情第209号は、委員長の報告のとおり採択することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) ただいま陳情第209号が採択されましたので、同一事件に対する陳情であります陳情第136号、第140号、第147号、第159号、第167号、第177号、第185号、第186号、第198号、第218号、第220号及び第225号は、その議決を要しないものとなります。
○議長(志村 恵君) 日程第13 請願1件及び陳情5件を議題といたします。
請願及び各陳情に関し、委員長の報告を求めます。
土木委員長。
〔土木委員長 伊集盛元君登壇〕
○土木委員長(伊集盛元君) ただいま議題となりました請願1件及び陳情5件につきましては、慎重に審査いたしました結果、お手元に配付してあります審査報告書のとおり処理すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い中し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これよりただいま議題となっております請願1件及び陳情5件を採決いたします。
お諮りいたします。
請願及び各陳情は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、ただいまの請願1件及び陳情5件は、委員長の報告のとおり決定いたしました。
〇議長(志村 恵君) 日程第14 陳情4件を議題といたします。
各陳情に関し、委員長の報告を求めます。
米軍基地関係特別委員長。
〔米軍基地関係特別委員長 嘉数知賢君登壇〕
○米軍基地関係特別委員長(嘉数知賢君) ただいま議題となりました陳情4件につきましては、慎重に審査いたしました結果、全会一致をもってお手元に配付してあります審査報告書のとおり処理すべきものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これよりただいま議題となっております陳情4件を採決いたします。
お諮りいたします。
各陳情は、委員長の報告のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、ただいまの陳情4件は、委員長の報告のとおり決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 日程第15 陳情第165号を議題といたします。
本陳情に関し、委員長の報告を求めます。
国民体育大会対策特別委員長。
〔国民体育大会対策特別委員長 照屋忠英君登壇〕
○国民体育大会対策特別委員長(照屋忠英君) ただいま議題となりました陳情第165号につきましては、慎重に審査いたしました結果、お手元に配付してあります審査報告書のとおり処理すべぎものと決定いたしました。
よろしく御審議のほどをお願い申し上げまして報告を終わります。
○議長(志村 恵君) これより質疑に入るのでありますが、ただいまのところ通告はありません。
質疑はありませんか。
〔「質疑なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 質疑なしと認めます。
これをもって質疑を終結いたします。
これより討論に入ります。
討論の通告がありますので、順次発言を許します。
桑江良逢君。
〔桑江良逢君登壇〕
○桑江良逢君 本員は、沖縄県教職員組合委員長比屋根清一氏より提出された陳情第165号国民体育大会の民主化等に関する陳情について、本件は、到底採択することはできないという立場から討論を行います。
まず、本件陳情の趣旨の第1点は、「太平洋戦争において、最大の惨害を受けた沖縄県民の「平和を願う心」を尊重し、海邦国体で「皇室、皇族」を利用しないこと。」ということであります。
国民体育大会への天皇陛下の御臨席については、昭和22年の第2回石川大会からでありまして、大戦後、民情視察のため北陸御巡幸の折、立ち寄られたのがその始まりで、第3回大会(昭和23年福岡県)においては、国民体育の普及奨励に最も顕著な成果を上げた都道府県に授与する趣旨で天皇杯、皇后杯授与がなされるようになり、以後、どの先催県でも天皇陛下の御臨席のもと、国体を開催することが慣例化し定着したものであります。このような経過を経て、国民体育大会開催基準要綱にも、式典には、天皇陛下のお言葉を取り入れなければならないことが規定され、そのことはこれまで例外なく、どの大会においても実施されてきております。
沖縄県は申すまでもなく日本の一県であり、沖縄県民はとりもなおさず日本国民の一員であります。しかるに、ことごとに本土並みを唱え、あるいは本土各都道府県との格差の是正、差別の撤廃を唱えていながら、本土各先催県において何ら問題なく実施されてきたことが、いまだに本県の特殊事情云々ということで他の都道府県と同一歩調をとることに反対し、みずから求めて本土各都道府県と差別をつけ、殊さらに差別を求めようとする考えがあることはまことに残念と言わざるを得ません。
御承知のとおり、天皇陛下には、先ほども述べましたが、終戦後間もなく昭和21年から29年にかけて9年間をかけて、北は北海道から南は鹿児島まで全国御巡幸になられ、敗戦で打ちひしがれた国民に対して慰めのお言葉を賜ると同時に、励ましのお言葉を賜ってきたのであります。このことが戦後日本の再建復興にどれだけ大きく寄与したか申すまでもございません。しかるに、本県においては、当時の状況からして、戦後40年、全国でいまだに天皇陛下が御来県されたことがないのは本県だけであります。海邦国体においては、国民体育大会開催基準要綱に従って、先催県と同様、天皇陛下の御来県を仰ぎ、あわせて本県の御視察をいただくことはむしろ至極当然のことであり、本県だけ例外であってはならないと思うのであります。
次に第2点は、「県民手づくりの国体として成功させるため、運営に当たっては自衛隊の参加を求めないこと。」とのことでありますが、国体における自衛隊の支援協力についてはこれまで再三本会議等でも質疑等がなされておりますが、これまでの先催県の状況からして特殊な分野については、自衛隊の支援を受けなければならないとのことであります。特に大規模かつ複雑で精度の高い通信網の構成や人命救助、特殊な機器、用具等を使用しての大会運営に係る特殊業務についてはほとんどどの先催県においても行われており、自衛隊の支援を受け、大会運営に万全を期すことは開催県として当然のことだと考えておるわけであります。地元での対応が困難であるにもかかわらず、単に自衛隊そのものに反対だからという理由のみで支援を求めるなということは、まことに無責任なことだと言わざるを得ないのであります。
また、自衛隊法第100条の3の規定によれば、自衛隊は、国体について関係機関からの要請があれば必要な協力を行うことができる旨定められており、この点については法的にも何ら問題はありません。
次に第3点は、「日の丸掲揚、君が代斉唱を強制しないこと。」とのことでありますが、これは本県議会代表質問、一般質問を通じ、先ほど採択されました決議案を通じて賛否両論討論がありましたので重ねて重複することを避けます。
一言、今まで討論中にもなかったことで国旗がいかに沖縄県に定着しているかと。復帰前、沖縄教職員会が主導をとって、当時の調査によりますと、小学校、中学校における国旗の掲揚率70%であります。それが現在では、この前、文部省通達があったように6%ですか、そういう昔話は抜きにして、最近の事例を申し上げましょう。
私、一般質問で申し上げたように、喜屋武真栄先生が7月にソ連を訪れ、キエフ郊外で行われた日ソ不戦の誓い集会に参加され、沖縄戦の実情あるいは戦後の沖縄の実情を話された中の1項に、沖縄では6月23日を慰霊の日と定めて、県主催の慰霊祭が摩文仁で行われ亡くなった物故者の霊を慰めるとともに、永久の平和を誓っておると。また正午は、全県民が1分間の黙とうをささげて慰霊の誠を尽くし、平和を祈っている。その次です、言いたいのは。各戸に、沖縄県民が各家で弔旗を掲げて慰霊の誠を尽くし、平和を祈っている。その場合に、喜屋武真栄先生が考えられておる弔旗とは一体どんな旗だろうかと。皆さんも疑問ありますまい。日の丸を掲揚台から少しおろしたいわゆる半旗に掲げるか、あるいは各家ごと竿頭には黒いきれを何した日の丸を掲げるのであります。日の丸がそのように定着しておるわけです。
さらに、もっと端的な身近な例でこの前行われました那覇大綱引き。那覇大綱引きのヨーイ・ドンの旗は去年まで平良那覇市長、この前のが15回ですか、前14回は日の丸ですよね、ヨーイ・ドンの合図は。それがですね、その侵略主義の象徴だ、軍国主義の象徴だという日の丸を、革新那覇市長が、那覇の行事の大きなイベントの1つである綱引きのヨーイ・ドンの合図に使っておると。ことしは、さすがにテレビで見ましたら、何か言いわけをして別の旗を使っておりますが、同じ日の丸が去年までは平和のシンボルであったのに、何でことしになってから、この軍国主義だ、何の主義になるかと。これはもう異論なく、日の丸が沖縄県民にもそれだけ定着しておるということの何よりの証拠だと思うわけでございます。ただ、先般文部省の通達で出されたように、沖縄県における実施率が非常に低いということは嘆かわしいことでございまして、その趣旨で先ほどの決議もなされたわけでございます。
次に第4点は、「生徒、教職員の選手強化、マスゲームの練習及び諸動員等による教育への弊害が起きないよう留意すること。そのため関係団体との協議を行うこと。」との陳情の趣旨であります。
国民体育大会は、県民総参加のもとに県民スポーツの振興と社会基盤の整備を図ることにあり、とりわけ児童生徒にとっては集団演技等への参加を通して体育、スポーツ活動と社会行事への参加、情操を豊かにする等、特に集団生活に必要な自主、協力、公正、責任等の社会的態度を育てることができるなど、教育目的の達成上極めて意義深いものがあると考えます。しかしながら国体のために学校本来の教育活動が損なわれることがあってはならないと。当然それらに対して配慮することが十分になされるべきであると思います。
以上述べたとおり、陳情の趣旨1号から3号までについては反対であり、陳情の趣旨4号については賛成でありますが、総体的に見て陳情第165号については、到底採択できるものではないことを申し上げまして討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 伊波広定君。
〔伊波広定君登壇〕
○伊波広定君 私は、陳情第165号国民体育大会の民主化等に関する陳情の採択に賛成する立場から討論します。
私は、今定例会の一般質問で、日本近代史の中で、天皇政府によって沖縄県民に加えられた屈辱的な差別について、4つの歴史的事実を挙げて知事の認識をただしました。
その1つは、1879年、明治政府は、欧米列強並みに清国から最恵国条項を獲得するのと引きかえに、宮古、八重山を譲ることを提案した琉球処分条約案を清国に提案し交渉を始めました。いわゆる宮古、八重山分島問題であります。2つは、太平洋戦争も敗色が濃くなった1945年、天皇は、近衛文磨を特使としてソ連に派遣して和平交渉を依頼することになっていたが、その和平交渉要綱の中身は、第1に、国体の護持は絶対にして譲らないこと。第2に、固有本土、最下限は沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島南半分を保有する等6項目であったが、これはソ連の拒否で果たすことができませんでした。3つは、アメリカの国立公文書館にある米外交文書によると、天皇は、戦後の全面占領時代の1947年9月、ちょうど天皇の戦犯問題が論議されていた時期に、マッカーサー元帥の政治顧問シーボルトから国務長官あての文書、これはこうです。天皇のアドバイザー(宮内省御用係)が、同氏自身の要請で当事務所を訪れたと述べ、その際、米国が沖縄その他琉球諸島の軍事占領は、日本に主権を残したままの長期租借、25年ないし50年あるいはそれ以上、擬制に基づくべきであると考えてい
ると述べ、シーボルトも国務長官あてに、それは疑いもなく天皇の私利に大きく基づいている希望である、ことだと書いています。まさにみずからの地位の保全のためには、沖縄県民のことなどどうでもよかったわけです。
これらのことから言えることは、日本の支配層は、みずから引き起こした侵略戦争の責任を逃れるために沖縄県民を代償としてアメリカに売り渡したのであります。
しかもなお許せないことに、1951年10月の国会で、天皇は、沖縄をアメリカの全面占領下に置いたサンフランシスコ平和条約が調印されたことに、まことに喜びにたえないと感謝の意を表明しています。しかもこの条約は、社会主義国はもちろん、インドやビルマ等アジアの主要な国は調印しませんでした。これらの歴史的事例を挙げて知事の見解をただしましたが、知事は、過去の歴史の暗い面だけを強調してばかりはおられないとまともな答弁を避けておられました。しかしながらこの歴史の事実は、米軍専用施設の75%が沖縄にあり、しかもその沖縄基地が核基地としてますます強化されているという厳しい現実として現在に至っているのであります。過去の歴史の暗い面の強調だけでなく、沖縄の近代史の原点であるわけです。
また、沖縄戦における天皇の軍隊による県民虐殺、戦後は、サンフランシスコ平和条約によってアメリカに沖縄を売り渡し、県民は、司法、立法、行政のすべての権限を奪われ、27年にわたる屈辱的軍事占領支配下に突き落とされたのであります。
しかしながら沖縄県民は、米軍の軍事監獄的占領統治のもとでアメリカの軍事占領支配に反対し、サンフランシスコ条約第3条の撤廃、基地撤去、安保条約反対、即時無条件全面返還を掲げて闘い、県民の闘いはついに祖国復帰をかち取り、日本の支配層がアメリカに売り渡した領土主権を、祖国復帰民主統一戦線の壮大な闘いで取り返した愛国の闘いであったわけであります。ですから日本民族の歴史の中でまだかつてだれも経験したことのない異民族支配、そのもとで展開された27年にわたる県民の祖国復帰の闘いは、民族の一大叙事詩であり、日本近代史の重要な構成要素をなすものであります。この原点を踏まえて私たち沖縄県民は、君が代、日の丸、天皇、自衛隊を考察しなければならないわけです。
今、中曽根首相は、戦後政治の総決算を叫び、その一環として天皇制復活をねらった天皇在位60年が利用され、自民党は2月18日に、続いて4月22日は金丸幹事長、佐藤全国組織委員長の連名で、天皇在位60年を迎えて、これを機会にこの運動を一層推進することを通達、今回の自民党や新生クラブによる決議案となったものと思われます。全国的には、来年は天皇在位60年であり、沖縄では、それに加えて2年後の第42回国民体育大会がその大キャンペーンの場にされようとしているのであります。
西銘知事は、天皇の来沖で沖縄の戦後を終わらせ、戦後の総決算を行うと中曽根首相もどきのことを言っておりますが、認識の甘さと歴史への見識を疑われるものであります。
しかも、国民体育大会の根拠になっているスポーツ振興法は、その第1条に、この法律は、スポーツの振興に関する施策の基本を明らかにし、もって国民の心身の健全な発展と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的とする。2項では、この法律の運用に当たっては、スポーツをすることを国民に強制し、またはスポーツを、前項の目的以外の目的のために利用することがあってはならないと厳しく政治などに利用することを禁止しております。しかしながら自民党政府・文部省は、法的には強制できないとみずからも認めながら、君が代、日の丸を、教育基本法の10条に反し、教育政策の判断から学習指導要領でそういう位置づけをして、指導の徹底を図っているというのが現状でございますと、自民党の政策として君が代、日の丸の強制を法的拘束力を持つと言われる学習指導要領に取り入れたことを、ことしの6月21日の衆議院内閣委で我が党の三浦議員の質問に高石初等中等局長は答えているのであります。
県は、自民党は、国民体育大会開催基準要綱を盾に、天皇の出席と日の丸の掲揚、君が代の斉唱を不動のものとして強行する姿勢を明らかにしております。
私たち沖縄県民は、かつて革新屋良県政のとき、復帰を記念して若夏国体を開催しました。若夏国体は、スポーツ振興法の第1条目的に沿い、県民の中に意見の異なる日の丸、君が代、自衛隊についてはこれを棚上げして、全県民が心を一つにして参加できる国体を実現させた経験を持っています。また国際オリンピックでは、国の称号や旗などをめぐるトラブルが絶えないこともあるが、1968年のメキシコ大会では、国際的な競技をしている中で国旗など取り除こうとの意見も出て、1980年の総会で規約改正が行われ、国歌、国旗という言葉も削られて、各国選手団の旗、歌と表現されるようになっております。
国民体育大会における君が代の斉唱、日の丸の掲揚は、沖縄の児童生徒に強制され、教師の教育の場において君が代の指導教授を学習指導要領と職務命令によって強要される可能性が出ております。歌いたくない自由、掲げたくない自由は完全に押しつぶされてしまうことになります。
今の現憲法が制定されようとしていたとき、世界の民主勢力と日本の民主勢力の大きな力で、アメリカ占領軍もポツダム宣言の条項にある程度沿って一連の民主化措置をとりました。しかしアジア支配をねらっていたアメリカは、日本独占資本と反動勢力を目下の同盟者として復活させ、民主主義革命を流産させる一連の方策を打ち出してきた、対日理事会も極東委員会も、ポツダム宣言の厳正実施を要求する世界の民主勢力の主張との論争の舞台となりました。その中で我が党は、憲法草案を発表して民主憲法実現のため奮闘した。議会では野坂参三議員を先頭に主権在民の原則、他国征服の戦争に反対、他国間の戦争に絶対参加しないことや、また議会での野坂議長の民族の独立をあくまでも維持することの重要性を強調し、中立を守る立場を主張した議会の小委員会で共産党の修正案は否決されましたが、我が党が一貫して主張した主権在民の原則は憲法の前文に追加して書き込まれ、我が党は憲法改正案の制定において反対の態度を表明したが、この理由は、この憲法が天皇の地位その他非民主的な条項があるなどで日本の民主主義変革を徹底させる立場から見て不徹底なものとなっており、それが将来の侵略と反動の方向を復活する足場となる憲法改悪の拠点にされる危険性を洞察して、私たちはこの当時、憲法草案に反対したものでございます。これが私たちの洞察のとおり、今、象徴天皇の問題がこういうふうな形で天皇制の復活として出てきているのであります。
そして皆さん、ことしの5月8日、西ドイツのリヒャルト・ヴァイツゼッカー大統領がドイツの連邦議会で、敗戦40周年に当たり演説をいたしました。大統領は、5月8日は思い起こす日であると前置きをして、ナチスがポーランドにおいて、その他において600万人のユダヤ人の虐殺、それからドイツ国内においては、ドイツ人の純潔を守るということで同性愛あるいは精神障害、こういう人たちを殺し、占領地においても幾多の他国人民とそして共産主義者を殺した。これについてるる実例を挙げて述べ、そしてドイツ国民は、当時子供だったのも、今から生まれる人たちもこの事実を忘れてはいけないということを演説して、3カ月後ではあるけれども、これは大きく我が国でも報道されたのであります。
念のため申し上げておきますけれども、 ドイツ、イタリアは、あの戦前の国旗、国歌は変わっております。変わらないのは日本だけです。これがいわゆる国際的良識というものでしょう。
私は、再来年行われる第42回国民体育大会を迎えるに当たり、私たち沖縄県民は、日本の支配層によって押しつけられた屈辱の歴史や、沖縄の厳しい現実を認識し、国民体育大会開催基準要綱を改正して、全県民の英知を結集する可能性をつくり、復帰記念若夏国体の経験を生かして、不一致点は保留して民主的体育大会にすること、そのために今、陳情第165号国民体育大会の民主化等に関する陳情、これに賛同するものであります。
討論を終わります。
○議長(志村 恵君) 以上で通告による討論は終わりました。
これをもって討論を終結いたします。
これよりただいま議題となっております陳情第165号を採決いたします。
本陳情に対する委員長の報告は、採択であります。
お諮りいたします。
本陳情は、委員長の報告のとおり決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(志村 恵君) 起立少数であります。
よって、陳情第165号は、不採択とすることに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) この際、申し上げます。
先刻開かれました各派交渉会及び議会運営委員会において、不法な暴力行為の糾弾に関する件について協議が行われました。その結果、本件につきましては会期を1日延長の上、今会期において議会としての意思表示をすべぎであるとの与野党の意見の一致を見ております。
よって、お諮りいたします。
この際、会期延長の件を日程に追加し議題といたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、この際、会期延長の件を日程に追加し議題とすることに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 会期延長の件を議題といたします。
お諮りいたします。
今期定例会の会期は、本日までと議決されておりますが、議事の都合により10月17冒まで1日延長いたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、会期は、10月17日まで1日延長することに決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 次に、お諮りいたします。
日程第16 閉会中の継続審査の件につきましては、議事の都合により明日に延期いたしたいと思います。
これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(志村 恵君) 御異議なしと認めます。
よって、さよう決定いたしました。
○議長(志村 恵君) 以上で本日の日程は終了いたしました。
次会は、明10月17日午後1時より会議を開きます。
議事日程は、追って通知いたします。
本日は、これをもって散会いたします。
午後7時32分散会
前発言
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19850906000010