平成11年(1999年) 第 6回 沖縄県議会(定例会)
第 4号 10月 4日
具志 孝助
 

 こんばんは。
 一般質問に入る前に一言意見を申し述べたいと思っております。
 今議会は、新平和祈念資料館の問題でこのように野党の皆さんが出席しない片肺のまま今本会議が開かれております。
 この議会は、申すまでもなく来年4月1日からスタートする介護保険制度の問題だとか、あるいは来年7月に行われる九州・沖縄サミット、あるいは緊急雇用対策、これも大変重要な課題でありまして、これらの補正予算についての議案も出ております。
 それから、かねてからの重要な問題である普天間飛行場あるいは那覇軍港の移設の問題、これだって相当の議論を要するような問題かと思っております。
 このような重要な課題が山積しておりながら、片肺飛行で本会議が開かれるというのはまことに残念のきわみであります。
 そこで、議長にお願いを申し上げるわけでありますが、これから実質審議に入ります委員会に移っていくわけでありますが、ぜひ議長は議会正常化に向けて一層の努力を果たしていただきたいと。必要であれば執行部と野党の皆さんの橋渡し、そういうようなこと等も検討しながらぜひとも議会正常化が一刻も早く達成できるよう御努力をお願い申し上げたいと。多くの県民がこんな重要議題の中で片肺で議会を運営するということには相当の不満があろうかと思っておりますので、私どもは声なき声、これをしっかりと受けとめて議会の正常化に御努力をお願いしていただきたい、このように御要望を申し上げておきたいと思っております。
 では質問に入ります。
 私は、2点について通告をいたしております。
 1点目は、戦争末期旧日本軍による那覇飛行場の拡張用地として強制接収された民有地についてであります。
 これは私は那覇飛行場と特定をいたしておりますが、実は全く同様同質の問題が嘉手納飛行場あるいは読谷補助飛行場においても若干地主の間においてはまだ同様な不満が残っていると、このように承知をいたしております。
 本件につきましては、私も平成8年9月議会に取り上げて質問をいたしました。
 当時大田知事は、私の本件の質問に対しまして以下のような答弁をいたしました。この旧日本軍による接収用地問題は、基本的には国と当事者間の問題であると。2点目に、嘉手納飛行場用地の所有権問題は平成7年に最高裁判決がおりており、再度の国における調査というのは大変厳しいんではないだろうか。3点目に、私は那覇飛行場を指して質問いたしましたが、那覇飛行場については当事者である那覇市の方がどういう考え方であるのか聞いてみたいと、こういうような答弁でございました。
 この問題は、御案内のとおりことしの2月に那覇市の市長親泊康晴、あるいは時を同じくして2月に嘉手納町の旧飛行場権利獲得期成会の会長からも請願という形で問題の解決に協力をしてもらいたいと、こういうような陳情、請願が出されております。
 もう既に御案内のことと思っておりますが、本件の土地は昭和16年から19年の間に、戦時下でありますので国家総動員法によっていわゆる軍事統制が最も厳しい時代に行われた接収用地であると。しかも政府が答えているもう既にこれは売買契約のもとに代金も支払われて所有権の移管は正当に行われたと、こういうぐあいに言っておりますけれども、このことについては実は県においては昭和53年に調査をしているんです。
 これは御承知のように、時間の範囲内で申し上げますが、そのときに調査の概要というのがこれは昭和53年の、議員の皆さんにも見てもらいたいんですが、本件について調査されている。(資料を掲示)
 このときにも、この調査の結果についてこのように言っている。
 「当時は全て軍事優先の時代であり、土地取得に際して民法上の売買、双務契約に基づく取得とは言えず、旧日本軍による威圧的、強制的命令により接収したものであることは、元第32軍参謀陸軍中佐神直道氏の証言でも明らかである。 更に、土地代や補償金の額の算定についても当時住民の間で一般的に認められていた時価額とは程遠く旧日本軍によって一方的に決定されたものである。」と。
 あるいは、「土地代金や補償金を受領した人達でも、戦時資金調達に協力せよと言って強制的に貯金や国債購入をさせられ、その挙句が敗戦で貯金通帳や債券の紛失、焼失、更に米軍による払い戻しの凍結があったとのことで、結局、旧地主に残ったものは何もないという惨めな状態となっている。」と、こういうふうな調査の結果を皆さんが出しているんです。
 こういうような経緯を持った問題であるわけなんです。
 今日まで戦後処理問題というのはたくさんありまして、いわゆる戦争マラリアとか厚生年金の格差是正、あるいは対馬丸、不発弾の処理問題、これはまだ続いているわけですが、懸案事項がたくさんあって、こういうような民事上の問題はとてもじゃないけれども取り上げる時間がないと、こういうようなことであったわけでありますが、これら申し上げたマラリア問題だとか厚生年金問題も一通り片づいたところであるし、ぜひともこの地主会が言っている、もう50年来の悲願でありますので、ぜひ誠意ある対応をしてもらいたい。どういうようなことができるのか、慎重に検討して、単に国と当事者間の問題であると、こういうぐあいに片づけないで、真剣に検討を願いたいということをお願い申し上げます。
 知事の御所見を賜ります。
 もう1点目は、これもまた行政区の一部編入問題とここにかかわる通学区の問題ですが、実はこの問題は本来は那覇市と豊見城村の問題であるわけですが、今編入問題で両市村が必ずしも穏やかな状況でない。そこで今冷静に話ができるような状況でないので、何とか県の方で調整をしていただいて、そのために関係地域の住民あるいはそこの児童生徒がそのために犠牲にならないように何とか御努力をお願いしたいというような問題であります。
 豊見城村字我那覇後原地区の那覇市への編入と通学区についてと、こういうことで通告をいたしておりますが、この豊見城村我那覇後原というのは昭和54年に那覇市宇栄原南土地区画整理事業区内に開発された豊見城地番を持った住宅地なんです。まさに那覇市宇栄原の中に豊見城地番が面積にして4万5000平米、約1万3600坪程度です。そこに豊見城地番に386名、109世帯の方々が住んでおります。そこに児童生徒が小学校37名、中学校29名、合計66名が住んでおりまして、かねてこの地域は申し上げましたように那覇地番の中にあるものですから、豊見城と那覇市の間では将来的にはこれは那覇市に編入した方が地域の方々も、また行政の効率と、行政を執行する上でもその方が望ましいということでもって双方間で基本的に合意をして文書も交わされている。当然編入がなるものというようなことで期待をしながら今日を迎えている。
 実はこの同地区については、この地域住民から那覇市や豊見城村に再三再四にわたって編入の問題を陳情要請をしてまいりまして、そのことに対し最終的には那覇市が区画整理事業が完了した年に編入受け入れの意思表示をしたんです。
 豊見城村は若干時間がかかったわけですが、昭和62年に那覇市に対して、該地域については行政執行上も豊見城がやることについては不都合な点が多いので那覇市の方に編入しましょうと、そういう同意を62年に表明したんです。62年ですからもう10年間経過しているんですが、この豊見城の同意を受けて、那覇市は、それでは子供たちのいわゆる通学というのは前倒しで、編入問題は後で解決するとして、該地域の児童生徒は那覇市の学校の方に受け入れましょうということで高良小学校と小禄中学校の方に通学を許可されたわけです。今日まで来たわけですが、那覇市はもう10年間も経過しているのでそろそろこの問題に決着をつけてもらいたいと、こういうような申し入れをしたんです。
 実は、那覇市も今財政的に大変厳しい環境下にあって、議会からどんどんどんどんきちっと財政をやっているかと、こういうような質問が出されて、行政にむだがないかと、こういうような中で豊見城のいわゆる編入問題は10年前に片づいていながら、子供たちは我が方に受け入れているのにこの問題は解決しないと。一体全体これだけの教育費はどうなっているかと、我々の負担になっているじゃないかと、この辺のけじめをつけなさいとかというようなことも議会の中で言われたんです。

 そこで、那覇市は豊見城に対して早急にこの問題に決着をつけたいというような申し入れをしたわけなんです。ところが豊見城村はまた豊見城村で、平成14年にかねてからの市制昇格、この目標を持っていて、人口規模が5万人に達しないといけないと。来年は国勢調査があって、来年の10月1日に5万人達成をしないと基準に満たないという事情があるんです。今実は4万9000人余りだそうです。微妙なところで、先ほどから問題になっている地域の386名、400名近くの人口がごそっと減ったら、これまた豊見城村もこの基準に満たなくなるかもしれないと。だからこれをきょうあす編入をしてくれと言っても今できるような状況じゃないので、何とかもう少し待ってくれと、こういうようなことであったわけですが、那覇市にそういうような時間的な余裕がないために早目に決着しないと我々はもう子供たちの通学を受け入れるわけにはいかないと、こういうことになったわけなんです。
 そこで、豊見城村は改めて昭和62年に一部編入について合意をして那覇市に回答したわけですが、もう一回議会に非公式に議員全体協議会を開いて相談をしましたら、議会は平成14年に市制昇格の問題があって今それはできないと。今返事をしなさいというんであれば、もうできないと、編入には応じられないということしか言えないと。
 こういうようなことで全会一致で決まったものですから、執行部・村長は議会に編入の議案を出すことはできませんと、だからもう編入はできませんという回答をしたわけです。
 それぞれ豊見城村と那覇市に別々の問題を抱えたために編入問題ができない。そのために子供たちはもう豊見城村に返せというようなことになって、一番迷惑したのはこの地域に住んでいる方々が、将来は那覇市に編入されるというような期待と同時に、そこの子供たちと一緒に教育を受け、地域社会での活動もやっているにもかかわらず、来年4月1日からは豊見城村に行きなさいと、こういうことになったら大変なことになると。
 今、その子供たちの中には、新聞ざたにもなったものですから、私たちは本来豊見城に行くべきなのに那覇市にお世話になっているのかと。那覇市の財政的な負担になっていると。給食で食べているこのパンは那覇市のお金で買ったパンを私たちは食べているのかと、こういうことをおうちに帰ってきて子供たちは言うそうなんです。周辺でそういう話になったわけです。これはいじめの始まりじゃないかなと。
 こういうようなことを心配をして、地域住民はまた一生懸命になって何とか穏便に解決をしてもらいたいと、こういうようなことで両市村に一生懸命訴えているし、恐らく県の教育庁に対してもそういうような陳情が出されているものと思っております。いじめにも発展しかねないような問題であります。
 この件については、義務教育というのは本来は公費で賄うと、こういうような憲法の定めもあるし、教育基本法の定めもあると私は承知をいたしております。したがいまして、当然那覇市の負担にはなってないんだということをきちっと明らかにしないと子供たちが大変困る状況になると、こう思っておりますので、この義務教育費の問題だとか越境入学の問題、あるいは編入問題、私は編入問題については少なくとも豊見城村が市昇格を実現した後に改めて那覇市と豊見城村の間でその後に地域住民あるいは両市村でどの方が得策なのかということを冷静になって協議を開始すると、こういうような方法が望ましいと思っております。
 そういうような私の意見をしんしゃくしながらこの問題についてどう解決を図っていくか、どう調整をしていくのか、県のあっせん方をお願いを申し上げまして私の質問といたしたいと思います。
 よろしくお願いをいたします。

 
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