平成11年(1999年) 第 6回 沖縄県議会(定例会)
第 2号 9月30日
新垣 哲司
 

 新進沖縄を代表いたしまして代表質問をいたします。
 台風18号で多くの被害を出しました。お見舞いを申し上げたいと思います。
 それと、台湾大地震に際しまして多くの方々が犠牲になりました。哀悼の意を表したいと思います。
 知事の平和行政に関しまして伺いたいと思います。
 これは、「護郷隊」ということで、当時新聞記者であった上地一史さんがその実態を本にして当時の戦争の模様を書いてあるものでございます。発行は1965年でございますが、立派な本でございますので、一部御紹介をしたいと思います。(資料を掲示)
  太平洋戦争で、日本にとって、もっとも悲惨な戦いは沖縄戦であったと思う。「国土に敵を迎えての大戦争」。日本歴史にはないことだった。そして、少年護郷隊は、この国土戦、すなわち老幼男女すべてを戦士とする悲情な戦争の一つの象徴であった。顔にニキビもまだふき出ない少年達、食糧もなく、鉄砲もない兵隊。その少年護郷隊の、またの名を「ハブ部隊」と称した。沖縄の山野に生息する毒ハブ。北部タニュー岳に陣する少年たち。毒ハブを焼いて食う、ということより、住んでいる場所、その潜行性(夜行性)、身に危険を感ずると飛びかかる、そういった共通なものを思わせた別名である。私がこの少年護郷隊と行動を共にしたのは、いよいよ米軍が、沖縄に上陸作戦をかけるという切迫した情勢になって、軍部から新聞社を二分し、一つを首里の本拠において前線向け新聞を、一つは 住民が疎開している北部で住民向け新聞を発行するようにとの命令が下り、私がその北部班のキャップとなっていたからである。米軍は伊江島を制し、本部半島に上陸。設営完了したばかりの山中の印刷所も戦車砲に吹き飛ばされてしまった。一瞬にして「万事休す」である。そこで私は連絡員の案内で少年護郷隊の村上隊長に会い、列外ながら生死を共にする許しを得たのである。 負傷を癒していた剣隊の北隊長と共に、待避1分差で直撃弾を免れたり、あるいは米兵の軽機掃射をまともに食いながら山腹の死角をぬって命拾いしたり、移動中、数歩の間隔で歩いていた連絡員が迫撃砲弾の破片で脳天をそがれるといった危険な状況で、私は少年兵たちの活躍をみつめていた。 もともと米軍上陸せば、その戦力を、ゲリラ戦法をもって滅殺するのが、この護郷隊の使命だったが、北部地区の本職の兵隊は敗走を余儀なくされて、決定的な不安と食糧欠乏で動揺する一般避難住民となんらかわらず、しかも全島の戦況われに利あらず一路潰滅へと陥ちていった。こうした情勢下で幼い少年たちの立場は、追いつめられてノビたハブのようなものでしかなかった。 しかし、それでもなお、彼らは隊を崩さず、天皇の「終戦宣言」まで、その使命に生き抜いた。彼らにとっての救い、それは実の兄貴みたいに、頼りきれる村上隊長、その豊かな人間性に結びついた少年たちの純情、それが支えであったと思う。
というふうに上地一史先生は言われているわけであります。
 そこで質問をいたすわけでございますが、新平和祈念資料館について伺います。
 ア、新平和祈念資料館の基本理念を変更したのか伺いたい。
 イ、監修委員の承諾を得ずに展示内容を変更した報道がなされているが、監修委員の意見を尊重するという県の方針から、こういうことはあり得ないと思うがどうか。
 ウ、新聞報道によると県は乃村工藝社に展示変更の指示をしたということがあるが、このようなことがあるのか。
 (2)、八重山平和祈念館について知事の見解を伺いたい。
 ア、展示内容の決定に関して、県と監修委員会及び委託業者の関係はどうなっているのか。
 イ、新聞報道によると監修委員会の承諾を得ずに展示内容を変更したと報じられているが、開館までの県の手続及び今後どのように対応していくのか伺いたい。
 ウ、八重山住民の戦争からの避難に関する説明で、軍命による強制退去であった説明が避難状況に変更されたとなっているが、なぜこのようなことになったのか伺いたい。
 エ、県が展示内容案を八重山地域の監修委員に説明した際に意見が出されたと聞いていますが、これを説明願いたい。この意見に対してどのように対処してきたのか伺いたい。
 次、農業試験場についてお尋ねをいたします。
 (1)、基本構想は平成5年に策定され、基本計画の策定、用地購入、基本整備設計計画、施工、移転完了についてどのようになっていますか。
 (2)、農業を続ける農家に対してどのような話し合いをしてきたのか。
 (3)、代替地の確保はどのようになっていますか。
 (4)、おくれている理由は何ですか。
 (5)については次回に回したいと思います。場合によっては委員会でやるかもしれません。
 3、普天間基地について伺います。
 9月20日の地元紙新報、タイムス夕刊の記者懇記事における知事のコメントは、稲嶺知事が同飛行場移設問題で具体的に言及し、名護市東部のキャンプ・シュワブ移設を軸に検討しており、知事は公約に沿った移設案を検討していることを強く示唆したとのことでありますが、知事は選挙のときに、私は解釈するのではなく、解決する知事になるとのキャッチフレーズを掲げていたとおり、危険な状態の普天間基地を一日も早く移設をしなければならないとの使命を着実に実行する意欲のあらわれであり、高く評価をするものであります。
 そこで伺います。
 (1)、知事がキャンプ・シュワブにこだわるのはむべなるものと理解をしますが、工法とかは別にして、キャンプ・シュワブに絞って普天間ヘリポート移設作業を進めるのが問題解決が早くなると思いますが、知事の御所見を伺いたい。
 (2)、反対派の動きも活発になり不気味な雰囲気になりつつありますが、反対運動はどのように展開されると思いますか。どのように対応しますか。事によっては機動隊導入などの強い姿勢で解決する意思を持っておられますか、お尋ねします。
 (3)、激しい反対運動に加えて、いずれの市町村長も拒否をしている。現実に変化がなければ地元の頭越しにはやらないという政府の姿勢などから、県が泥をかぶり強権力を発動することもあり得るか。普天間ヘリポートの県内移設に取り組まなければ普天間ヘリポートは凍結されることになるのですが、知事はどう思いますか。
 (4)、普天間ヘリポート移設が凍結されると21世紀の自立を目指す本県の経済振興事業に大きなダメージになり、4次振計事業とか知事の目玉政策である経済新法などすべておかしくなる。すなわち本県の経済振興の夢が消え、米軍基地の整理縮小もストップする最悪の事態を迎えることになり憂慮すべき問題であります。
 時間でございますので、終わります。

 
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