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平成12年(2000年) 第 3回 沖縄県議会(定例会)
第 4号 9月28日
宮里 政秋
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おはようございます。
通告に基づき知事に質問いたします。
まず最初に、地位協定の見直しについてお伺いいたします。
県議会の各会派で構成する地位協定の見直しを求める要請団は、先月8月31日と今月の9月1日に首相官邸や外務省、防衛庁などを訪ね地位協定の改定を強く求めました。
要請後、東京事務所での記者会見で宮平永治団長は、「県民の総意として抜本的な見直しを要請したが、外務省のガードは固かった。米国との交渉にもっと強く当たれないのかという気がした」と発言されました。宮平団長のこの発言は、要請団全員の一致した感想だったと思います。
今回の要請は、全会一致の意見書であっただけに与野党問わず県民の意思を十分に伝え、強力な折衝がなされたものと思います。地位協定を見直すという回答は得られませんでしたが、運動はこれからだ、第一歩を踏み出したと確認し合ったものであります。
日米地位協定は、1960年の締結から40年間一度も改定されていません。基地内でのPCBの不法投棄などがあっても、日米地位協定は米国に対し原状回復の義務を課していないばかりか、基地への立入調査も認めていません。米軍による環境汚染は、米国の責任で回復措置がとられるのは当然なことであります。
基地から派生する航空機の騒音、実弾演習、山火事や赤土流出による自然環境の破壊などは、いずれをとっても県民生活に多大な影響を及ぼしているだけに地位協定の見直しは当然な要求であります。
ところが、要請に対して中川官房長官は、基地内の環境汚染問題を解決するため日米安全保障協議委員会(2プラス2)で協議するとの考えを明らかにしました。ところが、協定の見直しについては明確な表明はありませんでした。
外務省は、協定については運用なのか改定なのかと述べ、協定の改定についてはスタンスが違うと否定しました。運用上の問題では解決できないから協定自体の見直しを求めているのに、運用の改善に取り組みたいというのが政府の一貫した姿勢でありました。
稲嶺知事も8月29日、30日、首相官邸や外務省、防衛庁、在日米大使館などを訪ね地位協定の見直しを要請されました。知事も大変御苦労さんでした。
この問題は、沖縄県だけの問題ではなく全国的な課題であり、まさに国の主権にかかわる課題であります。執行部と議会が一致して共同の要請行動を行ったことは大きな意義があったと思います。
そこで知事にお伺いいたします。
市町村では9月議会が開かれています。県内すべての市町村議会で地位協定の見直しを求める意見書が採択されるよう各市町村長に協力を要請するとともに、全国の都道府県知事にも同様な要請を行うべきと思うがどうか、知事の御決意を伺いたい。
2番目に、米軍基地の強制使用について質問いたします。
政府は、来年3月末までに使用期限が切れる米軍楚辺通信所(通称・象のオリ)と牧港補給地区の一部を強制的に使用する手続を県収用委員会に対して申請を行いました。
今回、政府が強制的に使用しようとする土地は、SACO合意で2000年末をめどに返還が合意された施設・土地であります。前回の強制使用(1998年5月19日裁決)に当たって県収用委員会は、SACO合意を理由に使用期限を2001年の3月31日までとする、このように裁決したのであります。
防衛施設庁は、通称・象のオリの知花さんの土地は強制使用の裁決申請はするが、2001年3月31日までには地主に土地は返します。それはSACO合意、すなわち日米両政府間の約束であります。このように防衛施設局は裁決申請に当たって申し立てたのであります。防衛施設局のこの申し立てを考慮して収用委員会は、強制使用期限を2001年3月31日までとする、このような裁決を下したのであります。
SACO合意というのは、国と国との合意ですから条約的な性格を持つものであります。国際的な条約も準司法機関である収用委員会の裁決も無視して、移設作業のおくれを理由に強制的手段で接収するということは到底容認できるものではありません。それは、憲法の保障する財産権を二重三重に踏みにじるものと言わなければなりません。
しかも重大なことは、この楚辺通信所(象のオリ)を管理する米海軍安全保障グループは、1997年9月10日に解任式が行われています。1998年6月には部隊は撤退しているのであります。同通信所は、現在民間に管理が委託されていると言われています。もしそのことが事実なら、日米安保条約第6条に違反することは明らかと言わなければなりません。
第6条は、日本の安全に寄与するため米軍に施設及び区域を使用することが許されると規定されています。部隊が解散し民間会社に管理だけ委託している施設は、もはや日米安保条約の提供の目的を失っているものと言わなければなりません。民間会社に管理だけを委託している施設維持のために、当該土地を強制使用の対象とすることは到底許されるものではありません。
そこで知事にお伺いいたします。
県民の財産権を守る立場に立って強制収用の中止と、当該土地を即時地主に返還するよう国に求めるべきと思うがどうか、知事の御決意を伺いたい。
3番目に、サミット問題で質問いたします。
沖縄サミットが開催されましたが、政治的な中身がない、県民に何の発信もなかったというのが実態だと思います。アメリカの軍事同盟体制全体の中でもサミットの会場となった我が沖縄県ほど米軍基地が集中している異常なところはほかにありません。その実態を踏まえて、政府は基地の縮小、返還の転機になるよう取り組むべきであったのではありませんか。
沖縄の最大の問題は何といっても米軍基地です。それについて沖縄県民の悩み、苦しみについて少なくとも政府の口からサミットで一つも問題にならなかった。日本政府が沖縄県民に対して、21世紀にどういう解決策を用意しているのかということも何も問題になりませんでした。肝心の15年使用期限の問題についても、政府はまともな交渉を何一つやりませんでした。一体何のために沖縄でサミットを開催したのかというのが改めて問われているのであります。
逆に、クリントン大統領が平和の礎で沖縄基地の重要性について述べましたが、それは沖縄に基地を置いている国の大統領としていつまでもいますよという意思表示ではなかったでしょうか。
サミット前日、2万7000人の人間の鎖で嘉手納基地を包囲いたしました。その運動は、県民の平和の心をあらわしたものとして世界のマスコミが大きく注目し報道しました。
ところが、政府は基地問題でクリントン大統領とまともな交渉はやりませんでした。このことは県民の強い不満です。知事の御所見を承りたいと思います。
2点目に、在日米軍基地の75%が集中する沖縄に米大統領を迎える以上、基地の整理縮小を要求する県民の悲願にこたえるメッセージをサミットの場からどう発信させるのか、そのような努力をすることこそが政府の責務であったのではありませんか。知事の御見解をいただきたい。
3点目に、サミット開催県の知事として基地の縮小、返還の転機にするため、サミットで基地問題が取り上げられるよう政府に要求すべきではなかったのか。どのように知事は対処されたのか、お伺いいたします。
代表質問との関連についてお伺いします。
米政府は、15年使用期限をこれまで繰り返し拒否し続けてきましたが、そのかたくなな姿勢は関係者の次の発言でも明瞭になっています。
へスター在日米軍司令官は、「国際情勢や地域の環境変化がどうなっていくかを見極めて決断していくべき問題であり、あらかじめ期限を付けるのは適当でない」。
コーエン国防長官は、「(新基地の使用で)人為的に期限を切ることはできない」。
クレーマー国防次官補は、「(15年使用期限は)1996年の日米安保共同宣言の趣旨に反する」。
ベーコン国防総省報道官は、「米国は、米軍の沖縄駐留に期限を設けていない」。
以上が米政府と米高官の発言です。
さらに、9月12日に開催された日米安全保障協議委員会(2プラス2)でも日本政府は15年問題を全く触れませんでした。
日米両政府の対応で明らかなように、15年使用期限問題は既に破綻していると見るのが常識的な見方ではないでしょうか。
「識者論評」という欄で琉球大学の江上教授は、「15年期限問題は、言うまでもなく県や名護市の受け入れ条件である。それをあいまいなままにしておいて、代替施設建設の具体的作業に入ろうとするのは、どうみても筋が通らない。県民の多くも納得しないだろう。条件が整わないのなら、代替施設問題は振り出しに戻すべきである。それが民主主義の手続きというものだろう。」、「知事の「15年期限」の選挙公約もポーズにすぎないという反対派の意見が説得力を持つ。」、このように論評しています。
このような状況下で基地の工法、規模、建設場所など具体的作業を推し進めるなら多くの県民は絶対に納得しないでしょう。それは知事の公約にも反するからであります。
私は、ここで改めて稲嶺知事に1996年9月の県民投票と1997年12月に実施された名護市民投票を想起していただきたいのであります。
当時、基地建設に反対した大田知事を政府は裁判にかけました。最高裁も県民の財産権の尊重よりも、米軍基地維持を優先する不当判決を下しました。行政や司法の壁に阻まれた県民は、沖縄の将来を決定するのは政府でも最高裁判所でもないとして、県民投票で基地押しつけの政府とアメリカを裁いたのであります。
名護市民投票で政府は関係閣僚を名護に派遣し、当時の野中幹事長代理が陣頭指揮をとりました。防衛施設局の職員、大手ゼネコンの下請業者も動員されました。まさに名護市民は国家権力と資本の横暴との闘いに勝利したのであります。それだけに市民投票の結果は全国的、国際的な意義を持つものとして今日でも名護市民の良識は高い評価が与えられているのであります。米軍基地拒否を住民投票を通じて明確にしたのは名護市民が初めてであります。
アメリカの全面占領下ならともかく、復帰後の沖縄で投票で表明された市民の意思を権力で押しつぶして新しい基地を押しつけようとすることは、民主主義の原理に照らして到底容認できるものではありません。基地なくせの県民、市民の審判は、明白だということは客観的な歴史的事実であります。ヤンバルの美しい自然を子や孫に残すことこそ今日に生きる私たち大人の使命ではないでしょうか。
岸本市長は、15年期限で新機関の設置が認められなければ代替協への不参加も辞さない不退転の決意を示しましたと報道されています。15年期限は知事の公約、15年期限が認められなければ移設に反対することもあるのか。
以上、知事の答弁によって再質問を行います。
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20000304010030