平成17年(2005年) 第 1回 沖縄県議会(定例会)
第 8号 3月 2日
安里  進
 

 おはようございます。
 一般質問に入るわけですが、私の1番目の質問は、これは防災対策なんですが、この件については代表質問で3名の方がやっております。そして一般質問で4名もう終わりました。私までで5名になるわけです。大体は済んでいるわけですね。だけれども、私の名前が安全・安心な里づくりを進めると、こういう名前なんです。それでどうしても今までやったものを確認しないといけません、本当にやれるかどうか。そういうことでやりますし、またきょうは最後の一般質問で、これまで7時、8時まで皆さん難儀させました。きょうは、進がこの質問をどんどんどんどん進めていきますので、きょうは一般質問も早く終わるんじゃないかと、そういうふうに思って、私の名前のとおりきょうは行きたいと思います。
 まず1番目に、台風、地震、津波等に対する防災対策とその計画についてお伺いします。
 1995年1月17日の阪神大震災から10年を経過いたしました。大災害は5年、10年というスパンで被災者をむしばんでいくことを忘れてはならないと専門家は言っております。案の定、10年後の2004年10月23日、新潟県中越地方を震源とする震度6強の地震が発生、小千谷市、十日町市で乳児ら6人死亡、8人不明、500人を超す負傷、28万戸が停電するという事態が起こりました。
 阪神大震災では、地震発生から4時間以上もたってようやく非常災害対策本部を設置したという当時の首相官邸の無能ぶりが露呈されたと新聞は報じております。そのことが新潟中越地震での迅速な初期活動に生かされたことは間違いないと言われております。
 また、去年の12月26日にはインドネシアのスマトラ島沖ではマグニチュード8.9の巨大地震が発生、最大で10メートル級の津波がスリランカなどインド洋沿岸の少なくとも7カ国を襲い、死者2万3700人を超え、1896年(明治29年)の明治三陸地震の約2万2000人死亡を上回り、地震による津波として史上最悪の惨事となりました。
 沖縄県でも1960年(昭和35年)5月23日午前4時11分ごろ、南米チリ中部の近海でマグニチュード8.5の地震が起き大津波が発生した。津波は時速720キロ(秒速約200メートル)の速さで太平洋を横断、翌24日未明には日本沿岸を襲い、死者139人を出しました。
 沖縄では同日5時39分ごろから主に名護市の久志、羽地地域、あるいはまた石川市等で数回にわたって来襲し、甚大な被害をこうむりました。名護市では真喜屋小学校が津波によって全校舎、校地が破壊されました。
 また、去る8日に古宇利架橋の竣工式があり、離島が解消して島の人たちだけでなく今帰仁村民全員が喜んでいました。それでもやはり名護市の屋我地を通って今帰仁村に行くわけです。私も1960メートルの沖縄一長い橋を歩いてその喜びをかみしめました。
 しかし、今から45年前、1960年のチリ津波によって屋我地大橋(146メートル)と奥武橋が当時全壊し、大変不便をかこったこと、また真喜屋小学校の校舎が破壊され、机、腰かけが5メートル上のモクマオウの木にぶら下がっていた光景は今でも私の脳裏から消えません。
 そこでお伺いします。
 各種災害に対する県の防災計画とその対策はどうなっているかお伺いします。
 2番目に、ワルミ架橋建設事業並びに屋我地中央線道路整備促進についてであります。
 今帰仁村古宇利島と屋我地島を結ぶ古宇利大橋が2月8日開通いたしました。架橋要請を初めて決議した1979年の古宇利区民大会から25年余を経て実現いたしました。沖縄で最も長い1960メートルで、古宇利島から今帰仁村役場まで34分で移動することが可能になったわけであります。
 この大橋は、稲嶺知事のあいさつの中でも述べられていたように北部地域の振興に大きく寄与するものと思います。人口350人の古宇利島の人々は、大橋開通を大変喜んでいますけれども、一方で古宇利小学校6年生の平田千尋さんはあいさつの中で、「橋が架かって嬉しい気持ちもあるが不安な気持ちも少しある。島の人も外から来る人もルールを守って、きれいな島がきれいなままでいてほしい。私たちも一生懸命頑張ります」と切々と訴えていました。県民皆がその声に耳を傾ける必要があると思います。私は、1960メートルの橋を歩いて渡りましたが、あの海の透き通る青さと周囲の景観は実に絵を見る思いで感動を覚えました。今後は、屋我地と今帰仁村を結ぶワルミ架橋の早期実現を目指すことが急がれます。
 古宇利架橋及びワルミ架橋建設については、平成4年2月及び平成4年11月に2回、名護市の屋我地振興会長から当時の大田沖縄県知事に陳情されております。また、平成6年には名護市長や北部市町村会からも大田県知事へ陳情されております。
 そこでお伺いします。
 (1)、ワルミ架橋建設事業のその後の経過と進捗状況についてであります。
 橋の種類が上路式RC固定アーチ型とされ、今帰仁村天底側では既に道路がほぼ完成していると聞いているが、屋我地の前垣側用地においては地権者に対する説明会はあったものの、用地買収の成果が十分得られていないという状況にあるようだが、その後の経過と工事着工のめどについてお伺いします。
 (2)番目、屋我地中央線道路建設事業(県道110号バイパス基幹施設改良事業)についてお伺いします。
 この事業は、法線については地元との調整がほぼ完了しているようだが、道路の幅員において歩道を両側に設置してほしいとの地元の意見と、片方でもよいのではないかという国の意向とに相違があって、県は再度国との調整に入ることになったと聞くが、その後、平成12年12月21日付の新聞で本事業名を県道110号バイパス基幹施設改良事業として平成13年度予算のめどがつくようになったと当時の新聞は報じているが、その後の経過と今後の見通しについてお伺いします。
 3番目に、名護市羽地地区(仲尾次・真喜屋・稲嶺区)の保安林の一部解除についてであります。
 このことについては、同地域の3自治体から保安林の一部解除の申請がなされていると思うがどうなっているか。私は、解除申請が出ている一部地域を現場視察調査をいたしました。その地域は、国道58号の改良によって旧国道と新国道の中にあって随分地形が変わってきております。
 例えば、部落の中を通っていた河川がカルバートになっていたり、また運動公園として7年も経過しているところもあります。地元の区としては、その場所を農産物及び特産品の販売施設として利用したいと計画しているようです。また、真喜屋ダム本体工事に関する覚書を平成10年3月に締結しているが、その中でもダム河口周辺の美化事業を実施し、埋立造成事業とマングローブ樹林地造成事業を実施することなどがうたわれ、国も河口周辺の盛り土造成などは国が実施すると回答しております。
 また、平成15年7月には北部土木事務所も土地の形質変更許可がなされております。その後、北部林業事務所の主幹も現地の視察調査をしているようだが、そこで国道58号の改良が済んだら保安林を解除してもよいとの返事をもらったと区長さんたちは言っておりますが、その後どうなっているか進捗状況についてお伺いします。
 4番、沖縄県のパイナップル産業についてお伺いします。
 本県のパイナップルは、明治21年、朝武士干城が小笠原から導入し、昭和2年に沖縄県農務課が台湾より改良種のスムースカイエン種300本を導入し、本部町で委託栽培。しかし、大東亜戦争で食糧増産が緊急事態となったため中絶のやむなきに至っております。その後、昭和10年、台湾における缶詰経営を断たれた台湾人が石垣島に集団移住し、土地を借り受けパイン栽培を始めたのが沖縄におけるパイナップルの由来であります。
 パイナップルは北部地域特有の強酸性土壌に適し、台風、干ばつなどの自然災害に強い作物として地域農業を支えてきました。その中にあってパイン缶詰の自由化以降関係機関による諸施策を展開してきたが、減産傾向に歯どめがかからない状況にあります。その結果、缶詰原料の不足から現在の経済連農産加工場は赤字経営を余儀なくされ、今後の継続運営が困難な状況にあります。
 しかしながら、北部地域におけるパイナップル産業は、地域農業はもとより加工場における雇用効果や観光関連産業への波及効果など、地域経済に与える影響は大きなものがあります。また、北部地域のパイナップルは酸味が強い秋実主体であることから、全量生果販売仕向けが困難であり、加工場はなくてはならない施設であります。

 去る1月12日、13日に私ども経済労働委員会は視察日程の中に名護市にある沖縄県で唯一のパイン加工場、経済連農産加工場を視察してまいりました。
 そこで、工場の説明によると、北部地域におけるパイナップルの生産は、長期にわたる原料価格の低迷、高齢化の進展と後継者の減少、機械化のおくれや貿易交渉の先行き不安等により減産傾向で推移しているといいます。
 北部地域におけるパイナップル加工用原料の推移を見ると、平成7年の約1万3500トンから平成15年には約4500トンと大幅な減少を示し、農家戸数も715戸から418戸に減少しております。
 今後の生産量の見通しについては、生産農家の高齢化への進展と後継者が減少している現状では、パイナップル農家を取り巻く環境の不透明感や不安感を払拭し得ない中では減少傾向は続くものと予測されます。
 その中にあって、産地市町村が実施する新植奨励特別支援対策事業の効果により平成15年度の新植・更新の植えつけ面積が増加していると聞きます。今後の新たな振興対策によっては減少傾向に歯どめをかけることが可能なのかどうかお伺いします。
 現在の経済連農産加工場は、1万5000トンの処理も可能な工場でありながら、近年は5000トン前後の原料しかなく赤字経営が続いており、現工場体制での継続操業は困難な状況であります。しかし、平成15年から開始している3年間の産地市町村の新植奨励特別対策事業もスタートしたばかり。JAおきなわでは、経済連との統合後も平成19年度の操業までは継続するものの、それ以降については新たな加工場の整備が必要であり、加工場の再編整備については将来のパイナップルの生産量に見合う規模と生果出荷も可能な体制としてさらに多様化する農産加工に対応する総合農産加工施設として整備する必要があると思うが、県の計画と取り組みについてお伺いします。
 以上であります。よろしくお願いします。

 
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