平成15年(2003年) 第 4回 沖縄県議会(定例会)
第 9号 10月16日
比嘉 勝秀
 

 今、当山全弘先生のお話を聞いておると、本当に情けない話だなと。────────────────────────────率直に申し上げなければなりません。
 同時に、私は今回のこの案件につきましては、6月の定例会の前からお互い議論に議論を重ねて、そして知恵を出し合って、もう9月の定例会でしっかりと県民に提示をして決着をつけようということで努力をされてまいりました。関係者の方々に心から敬意を表します。
 同時に、私みずから反省もしなければなりません。与党会派・自由民主党、公明党、県民の会、この与党の足並みをそろえ切れなかったこの責任、そして48名の中の21名を擁する大会派の党を仕切る幹事長として私は深く責任を感じております。
 ところが、先ほど吉田議員からも言われましたとおり、私はやはりこういった問題はとにかく理屈で通していいものかどうか。私は、やはりみずからの身分をお互いで決めるということはちゅうちょするものじゃないですか、皆さん。それを何の法律でこうやるからということで切り捨て御免のやり方でやっていいんですか。やはり議論の府であるならば、しっかりと例えば第三者に任せて賢明な選択を受けるとか、そういう手法があってもいいんじゃないですか。私は、心からそういう気持ちを持っております。
 北部振興、弱い地域です、皆さん。大正9年(1920年)、82年たちました。そのときの大正9年からの沖縄県の人口は45万人。時のヤンバルの人口は12万人。45対12、極めて比率の高い地域であります。ところが82年たった今日、人口はふえて130万5000人、ヤンバルは依然として12万人。復帰して32年目を迎えます。それでも第4回目の振興計画を迎えますけれども、10年単位のこの計画をもって3回の振興計画を立てたけれども、中南部に人口が集中して北部がふえていかない。この現実は、ヤンバルで生まれ育った子供たちが中北部に全部流出をしていって、ヤンバルで親子で生活できないという実態があるんです。弱い地域です。極めて我々はこれを深刻に考えております。
 したがいまして、平成11年、閣議でもって振興計画は進めてやったけれどもなかなか効果が上がらない。とするならば、沖縄県の計画を北部地域にスポットを当てて国の計画にして北部振興策というのを立てたんです。全部全会一致でお互いで決めた話なんです。そういうことからすると、やはり今回北部が果たしてきた役割、例えば戦前から戦後の復興期にかけましてもヤンバルの材木を出して住宅産業に寄与する。本土からなかなか材料を入れることができない時代、しっかりと役目を果たしましたよ。
 それから木炭、まき、竹、資材、これもヤンバルはしっかりと供給しましたよ、中南部に。
 それから、近年はあの立派な、子供たちが川に飛び込んでフナやエビと遊んだあのヤンバルの川という川がなくなった。ダムをつくった。水資源開発するために水をせきとめて中南部に水を供給している。それもわかってくださいよ。
 そういうことで北部地域は面積は大きくて人口もふえない。水はくれ、3議席から2議席にしてもいいんじゃないのということじゃ、これは通りませんよ、これは。私は、このことはやはり北部切り捨てにつながる。弱い地、弱い者の立場を、県民代表であるならばこれをもう一度踏みとどまってしっかりと私は考える必要があると思っております。
 私は、やはり先ほどこれも吉田議員がおっしゃっておりましたけれども、やはり混乱したときには、心を痛めているときには全部が知恵を出さぬといけません。歴史に学ぶ必要があると思います。
 例えば、18世紀にあのイギリス帝国からアメリカに移民をしたアメリカの今の国民、これは植民地でございましたけれども、弱い地域の植民地の方々が人口がふえていくとやはり代表者を出してくれと。この地域の、弱い地域のことをこっちに住んでいる方々じゃないとなかなかわからぬ。これを国政に訴えたいと、イギリス本国に強く訴えたいということで請願・要請行動を行いました。ことごとく当時のイギリス帝国はこれを切り飛ばしていった。聞かない。そこで内戦に発展し、とうとう18世紀の後半にアメリカが独立をいたしました。弱い者をいじめたらやはりしっぺ返し来ますよ。今のイギリスはやはり衰微をして、この植民地国であったアメリカが世界のトップリーダーとして今やっているこの事実、これにお互いは学ばないといけません。
 私が言いたいのは、北部地域はお互いの、皆さんの残された宝だと私は思っております。そこをぜひ御理解をしていただきたい。私は、やはりこういった問題を簡単に切り捨てて通れるものだとは思っておりません。48名の議員の中で10名のヤンバルの出身の県議団がいらっしゃいます。名護の玉城義和君を筆頭に私と國場幸之助君と新垣米子さんは国頭村の一番へんぴな弱い地域の出身です。それから宮里政秋さんも名護の出身です。平良長政さんも出身です。そして安里進さん、上原吉二さんも羽地の出身です。吉田君、私もヤンバルの出身です。この10名、心を痛めておりますよ。稲嶺知事もどうにかできぬかということで心を痛めておりますよ。そこを御理解を願いたいと思っております。
 最後になりましたけれども、今、衆議院選挙が終盤戦を迎えております。私は、ヤンバルに住んでおりますので、我が党の嘉数知賢さん、我が党の國場幸之助さん2人おりますけれども、その中でも社民党の東門美津子さん、熾烈な戦いをいたしております。
 私は、東門美津子さんがヤンバルで、名護の街角で北部振興を一生懸命やりますと言ってもこれは通用しない。今回は通用しない。これは、今回こういった北部切り捨ての……

 
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