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平成15年(2003年) 第 4回 沖縄県議会(定例会)
第 2号 9月30日
企画開発部長(花城順孝)
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知事の政治姿勢についての中の、廃藩置県と分島案、さまざまな見解についてどう考えるかという御質問に一括してお答えします。
沖縄県になった経緯は、明治政府が中央集権国家の形成を目指してとった一連の過程であります。明治政府は、明治2年に版籍奉還、明治4年に廃藩置県を行いました。この廃藩置県に際して琉球王国は鹿児島県の管轄下に置かれました。明治5年に琉球藩を設置し、明治12年に廃藩置県が通達され沖縄県が設置されました。また、明治13年には清国との外交交渉の過程において宮古・八重山を割譲する分島案が交渉の議題に上りました。
このような経緯は、19世紀後半の欧米諸国のアジア進出という状況の中で、我が国が近代国家に移行する過程で生じた歴史的歩みであったと承知をしております。
同じく戦前の沖縄県振興計画についてでございます。
昭和初期における沖縄県民の生活レベルは、本土の各地域と比べるとかなりの格差があったため、政府は昭和8年に計画期間15年の沖縄県振興計画を実施しました。しかしながら、当該計画は戦争の開始とともに達成率が低いまま有名無実化し、所期の目的を達成することができなかったものと認識をしております。
同じく米軍統治下での不利益及び戦後の沖縄経済についてでございます。一括してお答えします。
戦後27年間の米軍の統治下においては、基地建設に伴う土地の強制収用、選挙権の制限、渡航の自由の制限など日本国民としての基本的人権が制限されたことなど、他の都道府県とは大きく異なる状況下にあったと認識をしております。米国施政権下の沖縄経済の戦後復興は、まず大規模な基地建設に依存する形で始まりました。その後、農漁業や基地建設に関連する製造業が立ち上がり、社会資本整備も徐々に進みましたが、本県経済は我が国経済の発展過程から切り離され、総じて第2次産業が振るわず基地依存の消費型経済の構造が形成されたものと認識をしております。
同じく政府の支援についてでございます。
政府から地方への支援は、大きく分けて国庫支出金と地方交付税があります。本県に投入された平成12年度の国庫支出金額を県民1人当たりの額に換算すると全国一高い水準となっております。
一方、地方交付税は、地方公共団体がひとしくその行うべき事務を遂行できるよう一定の基準により交付されるものであります。その結果、平成12年度の国庫支出金、地方交付税を合わせた県民1人当たりの国費投入総額は全国で7番目の水準となっております。
次に、道州制についてでございます。
近年、地方分権が進められている過程で道州制の導入が将来の検討課題として挙げられております。その背景には、交通手段の発達や地域経済の広がり等に伴い、より広域化する行政需要にこたえる観点と、行政の効率化を図り地方分権にふさわしい受け皿づくりの観点があると考えております。このようなことから、沖縄県の独自性については、第1点には、本土から遠隔地にあり県域が広大な海域に散在する多くの離島から成っている地域であること、第2点には、近隣県との経済的なつながりが他都道府県に比較して弱いことが今後道州制を議論していく場合の検討課題になると考えております。
次に、交通運輸行政についての鉄軌道系の交通についての御質問にお答えします。
軌道系を含む交通システムの整備は、効率的な公共ネットワークの形成や魅力的な交通環境の創出のためには重要な課題であると認識しています。しかしながらその整備に当たっては、軌道系の交通システムの技術の進展や今後の交通需要の動向、地域開発との整合性など検討すべき要素が多岐にわたります。そのようなことから、軌道系を含む交通システムの整備については、沖縄自動車道や幹線道路などの既存ストックの活用、今後のバス網の再編やモノレールの延伸など多様な視点から検討を進めてまいりたいと考えております。
以上でございます。
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20030402110070