○議長(友寄信助) これより本日の会議を開きます。
日程に入ります前に報告いたします。
説明員として出席を求めた教育委員会委員長砂川朝信君は、別用務のため本日、4日及び5日の会議に出席できない旨の届け出がありましたので、その代理として本日の会議に教育委員会委員翁長孝枝君、4日の会議に同照屋義実君及び5日の会議に同高江洲義英君の出席を求めました。
また、公安委員会委員長尚弘子君は、別用務のため本日、4日及び5日の会議に出席できない旨の届け出がありましたので、その代理として本日の会議に公安委員会委員湖城英知君、4日及び5日の会議に同比嘉良雄君の出席を求めました。
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○議長(友寄信助) 日程第1及び日程第2を一括し、これより直ちに一般質問を行い、甲第1号議案から甲第4号議案まで、乙第1号議案から乙第9号議案まで及び認定第1号から認定第3号までを議題とし、質疑に入ります。
質問及びただいま議題となっております議案に対する質疑の通告がありますので、順次発言を許します。
島田 力君。
〔島田 力君登壇〕
○島田 力 おはようございます。
通告に沿って質問をいたします。
私は、沖縄戦の実相がゆがめられようとしているゆゆしき問題について、去る5月28日にオープンをした八重山平和祈念館の展示内容を中心に、八重山平和祈念館に絞った形で質問をいたします。
なぜ八重山平和祈念館に絞るかといいますと、八重山平和祈念館は既にオープンをし、監修委員会や専門委員会の先生方の論議内容とは違った形で展示されているからであります。それは、とりもなおさず来年3月に開館予定の平和祈念資料館の危惧されている展示内容を示すものとして考えるからであります。
私は、せんだって八重山平和祈念館を見てまいりました。感想はと聞かれますと、一口で言って八重山地区におけるマラリア撲滅資料館という感じがいたしました。
八重山平和祈念館基本計画に記されている戦争マラリアの犠牲者は、直接戦闘による死亡者178名の数をはるかに上回った。八重山郡の全人口3万1671人のうち戦争マラリア罹患者1万6884名、死者3647名、罹患率は約53.3%、罹患者の死亡率は21.6%に達している。住民の過半数が戦争マラリア被害に巻き込まれた状況こそが八重山における戦争の最大の特徴と悲劇であるということが伝わってこないのであります。
そこで質問をいたします。
知事は、八重山における戦争マラリアに対する認識とその実態をどのようにとらえておられるのか。あわせて八重山平和祈念館が建設されるに至った経緯についてもお伺いをいたします。
「八重山平和祈念館のあらまし」には漢字が間違ってはいるものの、政府のマラリア慰藉事業の一つとして建設することがうたわれています。慰藉という言葉を辞典で引いてみますと、「なぐさめいたわること」、「なぐさめあやまること」と書いてあります。
八重山平和祈念館の建設は、慰藉事業の一つとして一人一人への遺族補償はできないものの、犠牲になった方々のみたまを慰め、遺族の方々に謝り、平和を祈念することを形であらわしたものと言えます。だからこそ県は展示に当たっては、1つ、戦争の悲惨さ、残酷さ、不条理さを八重山住民の視座から訴える、2つに、アジア・太平洋戦争に起因する沖縄戦と戦争マラリアの実相を後世に正しく伝える、3つに、恒久平和の基本原理である人権についてその普遍的な価値を地域及び世界に伝える、4つ目に、平和教育・平和学習の場として活用できる展示とする、5つ目、子供たちを含め国内外からの来館者に対してもわかりやすい展示とするとの方針をつくったのではありませんか。
そこで、具体例でお尋ねをしますので明確にお答えください。
その1つは、八重山の住民が軍の退去命令を受けて移動を余儀なくされた状況の地図についてであります。
私が調査をし把握しているだけでも4回書きかえられています。最初のタイトルは「戦時中のマラリア有病地への強制退去」となっており、「強制退去は石垣島の住民のみならず波照間、鳩間、新城、黒島、竹富の住民にまで及び、マラリア有病地帯であった西表島への移動を余儀なくされた」との説明文がついていたはずであります。
ところが、2回目はタイトルを変えていないものの説明文が削除されています。それ以降は説明文はないままタイトルが「戦時中のマラリア有病地への強制避難状況」、そして「避難状況図」へと書きかえ展示されています。八重山平和祈念館については、事務部局内での勉強過程という言いわけの通じない問題であります。
そこで確認をいたしますが、書きかえは何回行ったのか、あわせて監修委員会は、委員会の既決事項の細部検討は専門委員会にゆだねるとして、ことしの2月22日の会議をもって一応の論議を終えたのではありませんか。
さらに、専門委員会からキャプション、つまり表題や説明文の原稿をいただいたのはいつか。この会議等の日付は極めて重要でありますので、はっきりと答弁をしてください。
私がこれらの日付にこだわりますのは、県が監修委員会に諮ることなく行政用語である「見え消し」を何度か行い書きかえをしているからであります。だれかの指示がなければできないことであり、考えられないことであります。
私が入手した資料で日時を追っていけば、3月の下旬に何らかの指示が出され、そのための陣容が4月の人事異動で整えられ、4月20日以降作業が急ピッチに進められたことが容易に推察できます。
そこで伺いますが、書きかえの指示はだれが、いつ出したのか。既に展示されていますので、事務レベルでやったということでは通用しません。ましてや私は日付を追って質問をいたしているわけでありますから、明確な答弁を求めます。
八重山平和祈念館の問題点は、八重山住民の視座から訴えるとしながら、この視点が全く見えないことであります。それは、監修委員会の論議内容を無視しているということと、地元の監修委員に対して変更内容の説明が全くなされていないこと等々であります。
ましてや重要なことは、いつの間にか「強制退去」という言葉が「避難」という言葉に書きかえられていることであります。避難ということは、ある程度の自由意思でもって災害を避けてほかの場所に移るということでありますが、八重山の場合は移された場所そのものが被災地であり、住んでいる場所を無理やり追い出されています。果たしてそれが避難といえるのでしょうか。私は、八重山平和祈念館の根幹にかかわる問題だと思っています。八重山の皆さんは、だれ一人として避難させられたとは思っていないし、死のふちに追いやられたと思っています。
私は、沖縄戦の資料改ざんに関する県の本音は、この八重山平和祈念館にあらわれていると思います。それは、戦争の悲惨さ、残酷さ、不条理さを訴えることが見事に薄められ、沖縄戦と戦争マラリアの実相を後世に正しく伝えるということがゆがめられていることであります。
そこでお聞きをしますが、「避難」と「退去」という字句の違いについてどう解釈しているのか、言葉を変えた意図は何なのか。きのうの答弁では、避難図になっていたからというだけの説明をしているわけでありますが、明確に違う言葉でありますので、その意図も含めて答弁をいただきたい。
さらに、この地図の下には当初は各字の住民の退去地の説明文があったはずですが、それを省いた理由は何か、お聞きをいたします。
次に、マラリア患者の様子の写真についてであります。
当初はマラリア罹患者の苦しみぶりが戦争のためマラリアに罹患した人々は、体が焼けるような高熱に苦しんだ、患者の熱を冷やすため井戸水が使われ、芭蕉の幹が水まくらの代用として使用されたと説明されていたはずですが、単なる看病風景として説明されています。
この写真の重要性は、看病の大変さもありますが、患者の苦しみを伝えているところにあると思います。なぜ変えたのか、その理由をお聞きします。
あわせて、「忘勿石(ワスルナ石)」の説明文の中にあった「刻銘は、戦争への批判と鎮魂とを盛り込んだものだと言われている」との記述を削除した理由についても説明を求めます。
戦争マラリアの実相は、年表を追うことによって明らかになります。言うならば八重山平和祈念館の生命線と言っても過言ではありません。県は、年表を掲示しなかった理由として消防防災上問題ありとしておりますが、消防法上何条に該当すると考えこのような措置をとったのか。そして来館者の数にその問題点があるとするならば、1日の来館予定者は何人か、明確に答弁を願いたいと思います。
その他の写真のキャプションについても説明を求めたいところでありますが、時間の関係上それもできません。ただ、「集団死」のパネルについては説明を求めておきたいと思います。このパネルは、当初の「折り重なるように倒れている住民たち。米軍の砲弾に倒れたともされているが、一説には「集団死」とも言われている」との説明が単なる「戦争で犠牲になった人々」という表現にとどまっています。なぜそうなったのかの説明を求めます。
八重山平和祈念館の展示内容の変更に当たっては、簡潔にする、本館、つまり平和祈念資料館との整合性をとるということが盛んに言われたといいます。
そこでお聞きをいたしますが、本館との整合性というのは何か。本館との整合性をとるということであれば、既に本館の展示物のキャプションができていて、それとの整合性をとるということになるが、監修委員会のあずかり知らないところで県独自のキャプションができていたということなのかどうか、明確にしていただきたいと思います。
八重山平和祈念館を調査してわかったことは、一定の歴史観をもって内容が変更されていることであります。なぜならば、監修委員会の論議が終了していたにもかかわらず、しかも開館まで一月を切った段階で展示資料の見直しもあり得るとしていることからも明らかであります。見直しの方針はいつ、どこで決まったのか、お伺いをいたします。
知事は、9月29日の記者懇談会で、批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないとの調査結果を受けたとして、今後基本計画や監修委員会の議事録等を公開するとしていますが、問題認識が甚だずれています。資料の公開は当然であります。問題になっておりますことは、多くの県民が知っている事実が監修委員の知らないところで変更ないしは変更されようとしていたことであります。にもかかわらず必ずしも事実を反映したものではないと断言している以上、どれどれが事実を反映していないのか、ここで明らかにしてもらいたいと思います。
県は、一連のマスコミ報道や監修委員会の指摘に対して、県首脳を含め言った言わなかった、知った知らなかったという責任のなすり合いをしています。それは許されません。現に八重山平和祈念館は住民が納得しない内容でオープンをいたしているわけでありますから、その責任の所在をはっきりとさせるべきであります。そして監修委員会の論議を踏まえるとともに、住民の視座に立った展示内容に変えるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
宮古病院の質問を予定いたしたところでありますが、これはきのうも検討委員会については答弁をいただいているところでありますので割愛をさせていただきたいと思います。
ただ、1つは、宮古病院の、行っていただいたらわかりますが、トイレがじゃくじゃくして汚いんです。新聞紙が敷かれています。そういうところだけはせめて改めていただきたいということをお願い申し上げて、これは原稿を書いていただいた皆さんには申しわけないんですが、割愛をさせていただいて、その1点だけお聞きをしたい。
そして、残りは答弁を聞いた上で再質問をいたします。
○知事(稲嶺惠一) 島田力議員の御質問にお答えいたします。
最初は、八重山における戦争マラリアに対する認識と実態についてでございます。
「戦争マラリア」とは、去る太平洋戦争末期の1945年に八重山地域において軍命により一般住民がマラリア有病地帯へと強制的に避難、あるいは退去させられて多くの住民がマラリアに罹患し命を落とした痛ましい出来事であると認識しております。
その被害の実態は、罹患率が実に当時の八重山地域の全人口の54%、死亡者は全人口の1割にも上るものであったと聞いております。
個人的に言いますと、私の父も過去インドネシアでマラリアにかかりまして、ずっと帰国後もかなり長い間後遺症にかかっておりまして、その意味ではその被災者に対しては深い思いを持っております。
次の、八重山平和祈念館が建設されるに至った経緯について。
八重山平和祈念館は、国の「八重山地域マラリア死没者慰藉事業」により県が事業主体となって平成8年度に建設されました。
同慰藉事業については、平成元年5月に遺族らが「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」を結成し国に対して国家補償を要請してきたことから始まったものでありますが、その際に援護法の適用に必要な根拠として「軍命による強制疎開」の事実を国に訴えてきた経過があります。
八重山平和祈念館は、その援護会の熱心な要請活動の結果、国家補償としては認められなかったものの、慰霊碑の建立や資料収集及び追悼誌の編さん、追悼式の実施などとともに慰藉事業の一つとして建設されたものであります。
次に、記者懇談会で必ずしも事実を反映したものではないとの調査結果の報告を受けたとしているが、何が事実でないかを明確にしてほしいということでございます。
政策参与の調査は、八重山のみでなく八重山平和祈念館及び新平和祈念資料館の展示問題についての事実関係を整理し県民の前に明らかにすることでありました。
調査の結果、報道されている現県政への批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないこと、そしてこれらの批判や懸念を払拭するためには広く情報の公開が不可欠であると報告されております。そしてこの事実でないということは、沖縄戦の実相を必ずしもゆがめたものではないということを受けております。
私としては、県民の批判や懸念を払拭していくためにも広く情報の公開をしていきたいと思っております。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○文化国際局長(金城勝子) 島田力議員の御質問にお答えをいたします。
まず、「避難状況図」のキャプションは何回書きかえたかというお尋ねでございます。
局内での確認作業の中で、原案から4回修正、書きかえを行っております。
それから、八重山平和祈念館の監修委員会の最終の会議はいつ行われたかでございますが、お答えいたします。
八重山平和祈念館の監修委員会は、ことしの2月22日に最終の会議が行われております。
それから、専門委員会からキャプションの原稿はいつ受け取ったか、また書きかえの時期はいつ、だれが出したかというお尋ねでございます。2つ一括してお答えいたします。
キャプションの原稿をすべてまとまった形で委託業者から受け取ったのは4月下旬で、そのころより局内で検討を行ってまいりました。
八重山平和祈念館の展示写真パネルの説明文の検討に当たっては、1つ目に正確であること、2つ目に出所、根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現をすることに留意いたしまして文章を検討してまいりました。
その結果、現在の説明文になったものでございます。
それから、「避難」と「退却」の字句の違いについて、また「退去」を「避難」に変えた意図とは何かというお尋ねでございます。
「避難」とは、災難を避けて安全な場所へ逃げることであり、「退去」とは立ち退くことでございます。問題になっている箇所は、展示内容が避難場所を示す地図であることからそのように表示したものでございます。
「避難経路及び避難地」の写真で各字の避難地の説明文を削ったのはなぜかというお尋ねでございます。
このパネルは、単に避難地を示す地図であることから、詳細な説明は省くことにいたしたものでございます。
次に、患者の苦しみをあらわす説明文を削除し単なる看病風景としたのはなぜですかというお尋ねですが、八重山平和祈念館の展示写真パネルの説明文の検討に当たっては、1つ目に正確であること、2つ、出所、根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現とすることに留意いたしまして文章を検討してまいりました。その結果、現在の説明文になったものでございます。
「忘勿石」の説明文の中にあった「刻銘は、戦争への批判と鎮魂とを盛り込んだものと言われている」との記述を削除した理由は何かというお尋ねですが、局内で確認作業を進めていく中でこの記述の出典が明確でないこと及び推量的な表現であるためにこの部分の記述を削除したものです。
それから、年表を掲示しなかった理由として消防防災上を理由に挙げているが、1日における来館予定者は何名かというお尋ねでございます。
1日当たりの来館者は、約50人を見込んでおります。
それから、「折り重なるように倒れている住民たち。米軍の砲弾に倒れたともされているが、一説には「集団死」とも言われている」とのキャプションが「単なる戦争で犠牲になった人々」に変わった理由は何かというお尋ねでございます。
この写真の説明については、各文献によって説明が異なり、集団死や集団自決の写真としての活用が困難であることから、「沖縄戦で犠牲になった人々」とのキャプションをつけることにより、当該写真の展示を図ることができると判断したためであります。
八重山平和祈念館の展示について、本館との整合性ということが言われているが、本館との整合性は何か、また県独自のキャプションはあるかというお尋ねでございます。
八重山平和祈念館は、「沖縄県立平和祈念資料館及び平和の礎の設置及び管理に関する条例」において平和祈念資料館の分館に位置づけられております。したがって、分館としてその機能や管理形態において整合性を図ることが必要であります。
また、展示内容については平和祈念資料館が沖縄戦を中心に展示しているのに対して、八重山平和祈念館は戦争マラリア関係を中心としており展示の中身は異なりますが、沖縄戦及び戦争マラリアの実相を伝えることに関しては整合性を図る必要があります。
それから、監修委員会の論議を無視し展示内容を変更した責任の所在と住民の視座に立った展示に変えることについてのお尋ねでございます。
八重山平和祈念館においては、2月22日に最終の監修委員会が開かれ、その後は専門委員会での作業が進められて最終の案が県に提示されたのは4月の下旬であり、県としては県の立場で確認作業をする必要があり、また開館も間近に迫っていたため5月10日と5月13日にそれぞれ本島と石垣市在住の監修委員の皆様へ説明を申し上げたところであります。
しかしながら、監修委員への十分な説明がなされなかったことから、その後の混乱を招いていることについては申しわけなく思っております。
今後は地元の意向が十分に生かされるように協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
以上でございます。
○病院管理局長(古謝昇) 宮古病院の新築移転問題について、その中で宮古病院のトイレ等の改修についてお答えいたします。
県立宮古病院の施設につきましては、常日ごろから患者や利用者の皆様へのアメニティーの観点からも改善を行ってきたところでございますが、必ずしも十分ではなかったと思っております。
したがいまして、今後とも御指摘のトイレを初めとしまして施設の適正管理を行い、快適性を確保していきたいと考えております。
以上でございます。
○島田 力 議長、答弁漏れ。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前10時32分休憩
午前10時37分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
展示内容の整合性についてのお尋ねでございますけれども、本館と分館におきまして例えば同一の写真を用いますと表現も同一にするとそういう趣旨でございます。
それから消防防災上のことにつきましてでございますけれども、私どもは電話がありましたときに、年表を掲示する場所が廊下ということでまず第一にお年寄りとか高齢の方もお見えになりますし、それから万が一のときの、場合のことを保安上のことについてということでお電話、お返事をしたものだそうなんですけれども、これを消防法上第何条とかとそういうふうな言い方でお答えは申し上げておりませんで、保安上危ないと、万が一のことを考えてということでやったそうでございます。
○島田 力 ちょっと、休憩願います。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前10時39分休憩
午前10時41分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
島田 力君。
〔島田 力君登壇〕
○島田 力 再質問をいたします。
私がこれをまず皆さんにお伝えしたいのは、こうして「八重山平和祈念館のあらまし」と書いてある。(資料を掲示) そしてせっかくこの会館はこういうことでできましたという「慰藉事業」なんですが、「慰籍事業」になっているわけです。
きのう知事は、政策参与の報告として知的緊張感がないとこうおっしゃったわけですよ。それはまさしく事務方にあるんじゃないですか。そしてこういうことは誤っていれば気づいて張りつけでもいいんですよ。オープンをしてもう何カ月になるんですか。この間そのままなんですよ。ここに、僕は今回の大きな問題点があるとこういうふうに思っているんです。
ですから、そこでやりますが、きのうから少し副知事の補足があったんですが、5月10日に本島在住の監修委員、13日には地元の監修委員に了解を得たものとして認識をしたとこう答弁されていますね。
そこでお尋ねをしますが、この10日、13日にはキャプションを含めた形の説明をされましたか、そうはなっていないと思うんです。口頭ないしはこの展示物がただここに置くと、張りつけるという平面図を持ってそれだけの説明になっていませんか。それを再度お聞きします。
それから先ほど私の質問に対して、要するに専門委員会からキャプションがいつもらえましたかとこう質問したら、4月の下旬だとこうおっしゃっている。恐らく4月の20日前後じゃありませんか。その後においてすぐ後に見え消しがされている。そして多分これは確認をしますが、5月の7日に副知事との調整に入っているはずですね、入っているはずですね。そのときの原稿も違う、内容も。そして最終的に展示された内容も違う。副知事に見せた後も変わっているわけです。
その責任はどこで、だれがやったんですかということを聞いています。
以上、お聞きをしておきます。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前10時45分休憩
午前10時47分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
リーフレットの字につきましては、校正ミスでございまして、気づきませんで大変申しわけありません。すぐ訂正をするようにいたします。
それから原案を受け取ったのはいつかということでございますけれども、平成11年の4月28日に委託業者である地域工学研究所から受領いたしております。
それから5月7日でございますけれども、そのときは副知事に対しましては28日にオープンを予定しております日程とか、それからどういう持ち方をやる、それからどういう方に案内状を出すとそういったふうな確認の業務の説明でございます。
それから5月10日に本島在住の監修委員の方に御説明しております。
それから13日には八重山の在住の方に御説明しておりますけれども、説明文のついた写真のコピーをいたしました資料をお持ちいたしまして、事務方の検討の結果こうなりましたですけれどもよろしいでしょうかということで御説明をしたと報告を受けております。
以上でございます。
○島田 力 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前10時49分休憩
午前10時53分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
5月13日に県から持っていきまして御説明を申し上げましたけれども、その5月13日の時点でまた地元の監修委員の方から御意見がございまして、例えば八重山農学校の教練風景ですとかそういったものにつきましても、これは農学校だけではなくしてほかの高等学校の生徒も入っているということでこのキャプションはおかしいんではないかとそういったこともございまして、個々の実際の説明文について何カ所か地元の監修委員の方の御意見で修正があったということでございます。
○島田 力 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前10時55分休憩
午前10時58分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
「避難状況図」につきましては監修委員にお見せしたとき、あの避難状況図、地図でございます。そういうことでございまして、あれは地図でございますので、避難状況図ということで色つきの地図ですから説明をして、下のキャプション分につきましては2行か3行かにまたがっておりましたので、それは全部カットいたしまして、この地図を生かして色分けであれはたしか有病地とそうでないのとがあって、それから移動した矢印でわかるようになっておりましたものですから、事務方としては避難状況図ということでこれは参観者の方にはおわかりになるのではないかということでカットしたものでございます。
○島田 力 私は、あえて避難と退去というものの違いは何ですかと、戦争マラリアとは何ですかとお聞きをしたわけです。
皆さん方は説明をしたというけれども、現に監修委員、地元の監修委員、それが現に申し入れをしているんじゃないですか。内容と違う、住民の視点と違う、視座と違う、遺族を二度殺すつもりかと、こういう抗議を受けているわけです。
ですからあえて私が内容にこだわっているのはですね、皆さん方は立派な展示方針があるんですよ。住民の視座から訴えると書いてあるんですよ。わかりやすくすると書いてあるんですよ。
私も行ってきましたけれども、避難図だけを下げておいて、これがわかりますか。わかりやすくするということは、長く書く必要はないんですよ。皆さん方が簡潔にすると言ったのは、削除することなんですよ。そうなっているんです、現に。
ですから私がここで改めて問いますが、いずれにしても監修委員の了解を得たと言っている。ところが了解しなかったといって抗議がなされている。だとするならば、ましてや専門委員会との原稿のやりとりもあったかなかったか、僕はなかったと思っているんですけれども、言うならそれはどこであれ県がたたき台はあったにしても、独自にキャプションをつくったということではないんですかと聞いているんです。それをどこでつくったのか、だれの責任でやったのかと聞いているんです。
そのことの明確化がなければ、僕はそんなに揚げ足取ろうとは思ってないですよ。非は非として認めなさいよということを言っているんですよ。
それが違う、違うと言うから、現にその実態が出ているわけですから、まずそれを明らかにして、そこで求めます。これは三役に求めますけれども、いいですか、要するにこの間、手続が不十分であったということはきのうの答弁でも出ているわけです。だとするならば、再度展示方針に戻って、そして監修委員会と協議、遺族の意見も聞きながら八重山平和祈念館の展示内容を変えるつもりがあるかないかだけは、明確にお答えいただきたいと思います。
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
展示の経過に際しまして、修正方法とかその経過について十分でなかったという御指摘もございますことから、今後、地元の意向が十分に生かされるような協議の場を設けまして祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
以上でございます。
○島田 力 議長、休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前11時5分休憩
午前11時6分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
石川副知事。
〔副知事 石川秀雄君登壇〕
○副知事(石川秀雄) 昨日もお答え申し上げましたが、八重山平和祈念館につきましては、監修のあり方その他について委員会の先生方、また本島在住の先生方からも監修のあり方について問題点を指摘されております。
また、そういう関係での要請も承っておりますので、今展示の内容については、今後協議の場を設けて展示内容について協議させていただきたいと思います。
また、今後の会館のあり方についての要請等もございますので、それらについてはまた行政として今後どう対応するかを検討させていただきたいと、こう思っております。
○島田 力 確認をいたしたいと思います。
これだけ大きな問題であるわけですから、ぜひ先ほども申し上げましたように住民の視点に立って、遺族や地元の皆さんが納得するような、ぜひ展示内容も変えることがあり得るということだけは明確にしていただきたい。
これはもちろん協議をしなければわかりません。ということだけは、明確にしていただきたいことを再度求めて終わります。
○副知事(石川秀雄) 先ほども申し上げましたように、展示の内容を含めて今後検討させていただきたいと思います。
○伊波 洋一 知事、通告に従って質問をしていきますけれども、基本的に監修委員会の議事録、あるいはそれぞれ八重山を含めて事実に基づいて話をしておりますので、ひとつよろしくお願いします。
「戦争の悲劇を二度と繰り返さないため新しい平和祈念資料館では沖縄戦の実相を展示し、その教訓を次の世代に継承するとともに、平和を求めるメッセージを沖縄から世界に発信していきたい」とこのように知事は2月の定例会で答えましたが、現在でも同様の見解ですか、お答えをお願いしたいと思います。
知事、沖縄県史の中の9巻、10巻は証言になっております。(資料を掲示)
この証言の中にたくさんのことが書かれております。非戦闘員の県民がガマなどを転々として戦場を3カ月もさまよい、日本軍は動けない病人を薬殺し、県民に集団自殺を強要し、沖縄県民をスパイ視して処刑するなど、他の戦争に見られないようなことがありました。これらのことは沖縄戦の実相の核心であると知事は考えますか、見解を求めます。
(3)、沖縄戦では、なぜ10万人もの非戦闘員である県民が殺されていったのか、知事の見解を求めます。
沖縄戦では、なぜ多くの県民が米軍によってガマの中で焼き殺されたり、毒ガスで殺されたり、爆弾を投げ込まれて殺されたのでしょうか、知事の見解を求めます。
(5)、沖縄戦では多くの子供たちが死にました。何名の子供が沖縄戦で亡くなりましたか。そしてこのような多くの子供まで巻き込んだことについて知事の見解を求めます。
(6)、沖縄での戦時体制は、県民の玉砕を前提にした戦争ではありませんでしたか。なぜこのような戦争が沖縄で行われたと考えますか、知事の見解を求めます。
このような沖縄戦で日本軍は県民を守ったと言えるのでしょうか。むしろ日本軍は沖縄県民を守らなかったというのが沖縄戦の実相ではないでしょうか。
新平和祈念資料館についてお伺いいたします。
9月2日の沖縄タイムスは、県三役が平和祈念資料館の展示内容について旧日本軍の加害行為や残虐性を薄める見直し案を了承し、この見直し案をもとに展示業者に展示内容の見直しを指示したと報道しております。
平和祈念資料館の展示内容の見直し変更が県三役の指示で行われたとする一連の報道をしてきた同紙は、9月27日の知事の調査報告について29日の社説で、展示内容見直しについては県三役の関与があり、監修委員会に諮られることなく県独自で進められたことが事実であると批判しております。この報道は事実か。知事を含む県三役は展示の見直しにどのように関与したのか、お答えください。
ところで、ここに現資料館の久手堅資料に関する文書があります。これは3月まで平和祈念資料館に嘱託としていた久手堅さんに係ることですが、そのことは3月23日に知事に平和祈念資料館職員が説明した模様が書かれております。
どう書かれているか。知事説明から帰ってきた職員と課長は、口々にとんでもないことになった、展示シナリオの全面書き直しだと頭を抱え込んでいた。どうしたんだと久手堅が聞くと、知事が、政府と対立するものの展示はいかがなものかと言っている、これまで県民の戦争体験に基づいて構成した展示の流れを変えなければならなくなった、このようなことを全員が異口同音に語ってくれたと、このように言っているわけであります。
平和推進課の資料館関係職員が新資料館を説明した際に、知事は、政府と対立するものを展示するのはいかがなものかという趣旨の発言を、指示をしたのではありませんか。現在のすべての混乱の発端がこの3月23日の知事の指示にあるのではありませんか、知事の見解を求めたいと思います。
県担当部局では、展示見直しは担当者の勉強会の資料として見え消し資料の公表を拒み、何事もなかったかのようにしようとしているが、県は工事業者に変更指示を出してガマの日本兵像を改ざんしたのだから、見え消し資料の公表を含めすべての事実関係を明らかにすべきだと思います。
既にこの見え消し資料2枚が行われておりますが、出されておりますが、(資料を掲示)これはすべてではないはずであります。31日に資料が知事に説明が行われたときに、その後ろに幾つもの資料が入っていたはずであります。すべてを明らかにするべきであります。
平和推進課が展示業者に変更を指示したのは、ガマの銃だけですか、それともほかにもあったのか、その後どうなっているのか、すべてを説明してもらいたいと思います。
今後の平和祈念資料館の開館までの現監修委員会の委員の任期の継続と監修責任と権限の付与について知事の見解を伺いたいと思います。
次に、沖縄戦体験者の映像記録の現状と編集、展示について説明をしていただきたいと思います。放置されているという報道が行われております。
3番目に、戦争マラリアの実相についてお伺いをいたします。
「もう1つの沖縄戦」とも言われる八重山の戦争マラリアについて、92年2月に県は調査報告書「戦時中の八重山地域におけるマラリア犠牲の実態」を報告しました。この報告書は、日本軍による八重山郡民のマラリア有病地への強制退去を明らかにし、国の「八重山地域マラリア慰藉事業」の根拠となった重要な報告書でありますが、稲嶺知事はどのように評価をしておりますか。
次に、同報告書は、「疎開」、「避難」、「緊急避難」、「退去」等についての定義を明らかにしております。昭和20年4月から実施された波照間島、黒島等住民の西表島への移動と6月1日から命令された石垣、大浜地区住民の第3避難所への移動をどれに該当するとこの報告書は言っておりますか。
この強制退去によるマラリア罹患者数、死亡者数は石垣町、大浜村、波照間島、それぞれ何名だったとしていますか。当時の各地区総人口数及びパーセンテージで示してください。
同報告書は、当時波照間島に牛、馬800頭、豚400頭、ヤギ1700頭、鶏5000羽が飼育されていたことから、石垣島に駐屯する日本軍の食料確保のために波照間島住民の強制退去が行われていると思いますが、そのとおりですか。
同報告書が指摘した沖縄戦を前に八重山の各離島に配置された離島残置工作員の役割は何でしたか。
波照間国民学校の青年学校教員として赴任された山下軍曹が、1945年3月下旬には正体をあらわし、日本刀を抜剣してマラリア有病地の西表への退去に反対する者はこの日本刀で切るとした記録が沖縄県史にありますか。
次に、八重山平和祈念館について伺います。
公務において、後任の担当は通常は前任者が進めたことは尊重していくものであります。4月に着任した課長補佐は、開館間際になって八重山の戦争マラリアの歴史的事実を伝えるために制作された展示パネルやキャプション、展示物をどうして変更しなければならなかったのですか。
平成11年2月22日の第3回監修委員会の記録によれば、担当の前課長補佐が「星になった子供達」の詩は、インパクトや象徴的なものを考え、波照間の学童慰霊碑の前で子供たちが歌う写真の上にのせることにしたと説明し、入り口の大パネル展示を決定し制作したにもかかわらず、開館直前に展示を取りやめた理由を説明していただきたいと思います。
平成10年11月20日の第1回監修委員会議事録によれば、展示スペースのために窓をふさぐことが提案されましたが、当時前課長補佐が、上の窓はふさがず、カーテンなどを張って消防法等に抵触しないように方法を講じながら行うとこのように説明し、歴史年表については、学生の来館者に対して年表によって沖縄戦とマラリアの歴史を勉強してもらい、展示室に入るという筋立てを考えていると説明し、歴史年表の展示を確認をしております。
しかしながら、4月になって消防法に抵触するからと偽ったのはなぜか。年表の歴史的事実を問題にしてとめたのではありませんか。
平成11年4月の八重山平和祈念館展示内容説明資料によりますと、4月26日以後に新任の現課長補佐が修正した複数の見え消し資料、ここに4枚の見え消し資料があります。この見え消し資料のパネル13、14、15をすべて「強制退去」を「避難命令」に変更していますが、変更の理由を示していただきたい。なぜ強制退去という表現を展示計画書の原案どおり可決された監修委員会、これはこの中で4回も出ております。それから基本計画書の中にも「強制退去」が出ております。どうしてこの用語を外さなければならなかったのか、明確にお答えください。
「戦時中の八重山地域におけるマラリア犠牲の実態」報告書では、マラリアの症状を「高熱地獄」と表現し、水をかける、あるいは芭蕉の幹をまくらに使って水が床下に流れるようにした、このような表現がありますが、これをすべて削除し、「マラリア患者の看病風景」に変えたのはなぜですか。
見え消し資料の削除された言葉を考えますと、この削除は何らかの指示もしくは基準に基づく「言葉狩り」ではありませんでしたか。展示資料説明の変更の根拠は何ですか、明らかにしてください。
監修委員会、専門委員会の専門家、学識経験者などが決定した展示内容を作成した写真説明の変更にかかわった職員は何名か。
その職員の戦争マラリア及び沖縄戦について専門性、学識経験は監修委員会や専門委員会の決定を覆せるだけのものであるのか、明確にお答えください。
知事の特命を受けて調査した比嘉政策参与の事情聴取に対し、八重山平和祈念館の展示制作を受託した業者が「八重山平和祈念館に関する事実関係の全容について」という報告書を参与に提出しております。
しかし、これを参与は無視をしているわけでありますが、その中で9日に課長補佐が展示資料の見直しもあり得るとの打診を受けると。13日には、場合によっては基本コンセプト、基本理念そのものの見直しも必要であると言われたと。さらに4月28日には、歴史年表はマラリアだけに絞り、削除、単純化する方針と打診されたと、このように説明されております。事実でありますか。
着任早々の課長補佐は、課長も病気休暇でいない中、だれの指示で4月9日、13日の早い時期に展示資料の見直し、基本コンセプト、基本理念そのものの見直しも必要であるということになったのか、説明をいただきたいと思います。
八重山平和祈念館の展示改ざんは、戦時八重山マラリア問題の根幹をゆがめるものであり、長年にわたり戦争マラリア問題を取り組んできた多くの関係者の怒りを買っているばかりか、八重山地域マラリア慰藉事業の本質を見失わせ、多くの関係者の努力を無にするものになっています。県は、この責任をどのようにとるつもりですか。
次に、県知事の調査について伺います。
稲嶺知事は、比嘉政策参与に命じ、9月27日にその調査結果として指摘を受けていた事項について、そのような批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないとの結論に達したとの報告を了承し、公表しました。
しかし、調査結果に対して多くの関係者から反発が沸き起こっているだけでなく、同問題を取り上げてきた琉球新報は社説で同報告と知事の対応に大きな失望を表明し、真相の究明を求めています。
このような怒りと失望の声に知事はどのように対処し、真相を究明していくつもりですか。
調査を担当した比嘉政策参与は報告記者会見で、監修委員会委員を知的緊張が足りないとか、あるいは最終的なチェックをしなかったのではないかという心証を得ていると批判し、責任を監修委員会に転嫁しています。
県は、去る9月17日に石川副知事と金城局長が元監修委員や専門委員に対して県が変更を説明しなかったことを認め陳謝し、要請内容を検討すると約束したことを今回撤回する考えですか、知事の見解を求めたいと思います。
あわせて、「知的緊張」というのと「最終的なチェック」について説明を願いたいと思います。
受託業者が詳細な経過報告を政策参与にしておりますが、そのようなものは対象にならないからと事実調査を切り捨てております。比嘉参与はですね。
今回の調査報告を行っている件で、八重山平和祈念館について調査をしたのか、だれを対象に調査をしたのか、報告書の全面公表と調査対象、見え消し資料を含めて関係資料の全面公開を求めたいと思います。
知事の見解をお願いしたいと思います。
最後に、代表質問との関連でお伺いをしますが、3月23日に知事に説明する前に、3月17日に監修委員会は全体会議をしております。議事録があります。
その中で、当時の宮城会長代理は、本委員会は、実施計画を受けて具体的な制作に入る前の最終のまとめになりますので、忌憚のない御意見、御審議をよろしくお願いいたしますと言ってスタートをしております。つまりこれは何かというと監修委員会の最後の確認なんですね、制作に入る前に。
しかし、それを持って知事に説明に行ったときに、知事が指示をしたからすべてが御破算になっているわけであります。
つまり、金城局長はこれまで代表質問に対して、最後は監修委員会に諮るんだとこのように言っているわけですが、全く逆なんですね。諮ったものを知事はこれを拒否をした。
それから八重山もそうであります。
そのことについてすべて覆したわけであります。
以上、答弁を聞いて再質問をしたいと思います。
○翁長 雄志 議長。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午前11時23分休憩
午前11時29分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 伊波洋一議員の御質問にお答えいたします。
沖縄戦の実相について、沖縄戦ではなぜ10万人もの非戦闘員である県民が殺されていったのか、次の沖縄戦ではなぜ多くの県民が米軍によってガマの中で焼殺されたり、毒ガスで殺されたり、爆弾を投げ込まれて殺されたのでしょうか、次の沖縄戦では多くの子供たちが死にました、毒ガスや爆弾、銃弾だけでなく、病気や栄養失調で死んでいった子供も多く、肉親が手にかけ死んでいった子供たちもいます、何名の子供が沖縄戦で亡くなりましたか、そしてこのような多くの子供まで巻き込んだことについて見解を聞きたいという、以上3点を一括してお答えしたいと思います。
沖縄戦戦没者の中に占める一般県民(非戦闘員)は推計で9万4000人と言われています。多くの一般県民が犠牲となった原因は、沖縄戦が一般住民を巻き込んだ地上戦であったことにあると認識しています。沖縄戦の中で老若男女の別なく多くの人たちが犠牲となったこともよく承知しており、平和への願いと人権の尊厳を肌身で感じております。
次に、沖縄戦の実相についての御質問の中で、沖縄戦では日本軍は沖縄県民の家畜の戸籍までつくって軍用食料を確保し、ひめゆり学徒隊など軍隊のための病院や医療体制を整えていましたが、戦場で県民は住むところも、けがしても治療することもなく戦場をさまよいましたと、入っていたガマからも多くが日本軍に追い出されました、沖縄での戦時体制は県民の玉砕を前提にした戦争でした、なぜこのような戦争が沖縄で行われたと考えますか、知事の見解を求めますということと、このような沖縄戦で日本軍は沖縄県民を守ったと言えるでしょうか、むしろ日本軍は沖縄県民を守らなかったというのが沖縄戦の実相ではないでしょうかと、知事の見解を求めるという点について一括してお答えします。
沖縄戦においては各市町村を中心に活発な証言記録の活動が行われております。それらの証言記録によれば、戦場となった県内の各地域で起こった悲惨な出来事が記録されており、沖縄戦の実相について知ることができます。戦争の要因や分析については多くの研究・論考がなされており、さらにその成果の深まりが期待されているところであります。
次に、平和祈念資料館の問題で、知事の調査報告について新聞社の社説で、展示内容見直しは県三役の関与があり、監修委員会に諮られることなく県独自で進められたことが事実であると批判している、この報道は事実か、知事を含む県三役は展示見直しにどのように関与したのかというのと、展示見直し作業は三役に対する新資料館の概要説明後に始まり、担当副知事と文化国際局の間で数回にわたり調整が続けられてきている、現在のすべての混乱の発端は知事の指示にあるのではないか、知事の見解を求めるという2点を一括してお答えします。
展示内容については、県と展示業者の間で検討を積み重ね、その結果を展示案として監修委員会にお諮りします。このような作業を繰り返しながら展示内容を決めていくことになります。県としては検討結果を尊重してまいります。
次に、今後の平和祈念資料館の開館までの現監修委員会の任期の継続と監修責任と権限の付与について県知事の見解を聞きたいという点でございます。
現在の監修委員の任期は、ことしの11月9日までとなっておりますが、任期内に監修が完了しない場合には開館までは引き続き現体制で監修に務めていただきたいと考えております。県としては、監修委員会の検討結果を尊重してまいりたいと考えております。
次に、平和祈念資料館及び八重山平和祈念館問題について、政策参与の調査結果に対して関係者から多くの反発が沸き起こっている、知事はこのような怒りと失望の声にどのように対処し真相究明していくつもりかということと、政策参与は監修委員会を批判している、今回の報告で監修委員への陳謝や県の瑕疵を撤回するのかということ、報告書の全面公表と調査対象、見え消し資料を含めて関係資料の全面公開を求める、知事の見解を伺いたい、この3つの点についてお答えいたします。
政策参与の調査は、八重山平和祈念館の展示及び平和祈念資料館についての事実関係を整理し県民の前に明らかにすることにあります。
調査の結果、報道されている批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないこと、そしてこれらの批判や懸念を払拭するためには広く情報の公開が不可欠であると報告されています。
真相を究明していくことについては、報告で指摘しているように平和祈念資料館や八重山平和祈念館に係る情報を公開することで県民の御理解が得られるものと思います。
八重山平和祈念館に関する事実関係が明らかになったので、今後は御遺族を初め地域の皆様の意向が反映されるよう協議の場を設けるなど適切に対応していきたいと考えております。
冒頭の沖縄戦の実相について、知事は2月の定例会の私の質問に答え、「戦争の悲劇を二度と繰り返さないため新しい平和祈念資料館では沖縄戦の実相を展示し、その教訓を次の世代に継承するとともに、平和を求めるメッセージを沖縄から世界に発信していきたい」と考えておりますと答弁しましたが、現在でも同様の見解ですか、それとも4月を前後に考えを変えてしまわれましたかという御質問でございます。
私の考えは、2月定例会で答弁したとおりであり現在でも変わっておりません。
その次の質問でございまして、沖縄戦では沖縄県史第9巻、第10巻の「沖縄戦記録1、2」に証言されているように、非戦闘員の県民がガマなどを転々として戦場を3カ月もさまよい、日本軍は動けない病人を薬殺し、県民に集団自殺を強要し、沖縄県民をスパイ視して処刑するなど他の戦争に見られないようなことがありました、これらのことは沖縄戦の実相の核心であると知事は考えますか、見解を求めますということです。
すべての戦争は、人間のとうとい生命を奪うということにおいて人間性に反する行為であり許されるものではありません。
平和祈念資料館の基本理念は、沖縄戦の実相を正しく伝え、広く世界に平和を発信することにあり、現在、そのための展示作業を行っているところであります。
沖縄戦の実相はさまざまな形で指摘されており、質問の中で取り上げられている事柄もその中の一つだと考えております。
○文化国際局長(金城勝子) 伊波議員の御質問にお答えいたします。
平和祈念資料館につきまして、担当部局では展示見直しは担当者の勉強会の資料として見え消しの資料の公表を拒み、何事もなかったようにしようとしているが、県は工事業者に変更指示を出してガマの日本兵像を改ざんしたのだから、見え消しの資料の公表を含めすべての事実関係を明らかにすべきであると、それから平和推進課が展示業者に変更を指示したのはガマの銃だけか、それともほかにもあったのか、どうなっているのか、すべてを説明してもらいたいということでございます。
御指摘の部分については、県と展示業者の間で行われた検討段階において県から出されました考え方の一つの案でございます。
県は、展示内容については監修委員の意見を尊重して決めていく方針をとっております。
ガマの展示につきましても、監修委員の沖縄戦拡大部会において話し合いを行い、それに従って展示作業を進めているところであります。
次は、沖縄戦体験者の映像記録の現状と編集、展示、対象人数、予算、委託先及び展示計画について説明をしてもらいたいということでございます。お答えをいたします。
沖縄戦体験者の証言の映像記録については、平成7年度から平成9年度までに280名が収録されております。
そのうちの100名分については、平成9年度に締結された展示委託契約の中で、第4展示室、これは「証言の部屋」で活用する分として展示工事業者において編集されることになっており、現在、サンプルを作成しながら編集方針を固めつつあるところであり、最終的には監修委員会に監修をお願いすることになります。
なお、残りの180名分については、年次的に編集に努める予定でありますが、当面は新資料館の情報ライブラリーのAVブースで未編集のまま活用することを考えております。
それから、戦争マラリアの実相についてでございます。1992年に出された県の調査報告、戦時中の八重山地域におけるマラリア有病地への強制撤去を明らかにし、国の戦争マラリア慰藉事業の根拠となった重要な報告書であるが、その報告書についてでございます。
当該調査報告書については、沖縄戦中のマラリアの被害がその異常に高い罹患率と死亡率によって激戦地にも劣らぬ多数の犠牲者を出し、マラリアの悲惨な実相を詳細にあらわした貴重な調査報告書であると理解しております。
それから同じくマラリアの実相についてでございます。同報告書は、昭和19年8月閣議決定の総動員警備要綱に基づく八重山地区での計画における疎開、避難、緊急避難、退去等についての定義を明らかにしているが、昭和20年4月から実施された波照間、黒島等住民の西表島への移動と6月1日から命令された石垣、大浜地区住民の第3避難所への移動をどれに該当するとしたのかとのお尋ねでございます。
八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によりますと、昭和20年4月から実施された波照間島、黒島等住民の西表島への移動、それから6月1日に命令された石垣島(石垣町、大浜村)住民の第3避難所(於茂登岳山麓一帯)への移動がこの退去に該当すると記述されています。
同様に、戦争マラリアの実相についてでございます。この強制退去によるマラリア罹患者数、死亡者数は石垣町、大浜村、波照間島それぞれ何名だったとしているか、当時の各地区総人口及びパーセンテージはどうかというお尋ねでございます。
平成4年2月に発刊された八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によると、石垣町総人口1万3531名、罹患者数が5130名、罹患率は37.91%です。そのうち死亡者が1388名、死亡率は27.06%です。
大浜村におきましては総人口5519名、罹患者は4930名、罹患率が89.33%です。
波照間島は総人口が1590名、罹患者が1587名、罹患率は99.8%です。死亡率が30.6%という報告になっております。
なお、死亡者は罹患者数に対する割合でございます。
同じく戦争マラリアの実相についてでございます。同報告書は、波照間島住民の強制退去に伴い、すべての家畜を軍の命令で殺し、住民の持っていける分以外のすべてを日本軍の食料として軍人を派遣し挑発した、このことから同報告書は石垣島に駐屯する日本軍の食料確保のために波照間島住民の強制退去が行われたとしているがという御質問でございます。
八重山地域マラリア犠牲者部会の報告書によると、波照間島は牛、馬、豚等の家畜の豊かな島として記述されており、また、日本軍としてはみずからの食料を確保するために住民を西表島に強制退去させたとも記述されています。
同じく戦争マラリアの実相についてでございます。山下軍曹が1945年3月下旬には正体をあらわし、日本刀を抜剣してマラリア有病地の西表島への退去に反対する者はこの日本刀で切るとした記録が沖縄県史にあるかというお尋ねでございます。
山下軍曹がマラリア有病地の西表島への退去に反対する者は、この日本刀で切るとした記録が沖縄県史にあるかということについては、その当時の住民の証言により沖縄県史に記録されております。
それから、八重山平和祈念館についてでございます。
1つ目に、八重山平和祈念館の開館間際になって戦争マラリアの展示物をどうして変更しなければならなかったのか、監修委員会で決定した波照間小学校児童慰霊祭の写真パネルを開館直前に展示を取りやめたのはなぜか、年表の展示を取りやめたのはなぜか、消防法に抵触すると言って偽ったのはなぜかというお尋ねでございます。一括してお答えをいたします。
展示業務につきましては、本来的には監修委員の先生方と意見交換を行い、展示方法等の調整をしなければならないものであります。
しかしながら、5月28日の開館に間に合わせるには管理運営体制に関する条件整備や開館式典に係る諸準備等があり、先生方とのきめ細かな協議を行うことができませんでした。
このことが先生方と県の間で意思の疎通を欠く結果となり、展示内容全般に関する問題提起として取り上げられてきたものと受けとめております。
八重山平和祈念館の展示公開までの経過について、その概要を申し上げますと、平成11年2月に監修委員会が終了しており、その後、委託業者において専門委員会が設置され、展示細目の検討調整がなされ、その展示内容案については事務局で検討を進め、その結果については5月10日に本島在住のお2人の委員の先生方に説明し、また5月13日には八重山在住の5名の委員に説明したところでございます。
その結果、波照間小学校児童慰霊祭の写真大パネルは展示しており、また年表については小冊子として印刷し祈念館に備え置くことになったのであります。
なお、展示写真の説明文の検討に当たりましては、正確であること──これは明確でないものは除くということです。出所・根拠を十分に確認すること、推量的表現は避けること、簡潔な表現とすることに留意して実施したものであります。
しかしながら、展示経過に関しまして修正方法やその他の経過について十分でなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分に生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
同様に八重山平和祈念館についてでございます。
八重山平和祈念館展示内容説明資料に修正された複数の見え消し資料は、「強制退去」を「避難命令」に変更しているが、変更の理由について示していただきたいというお尋ねでございます。
「軍命による強制退去」を「避難状況」としたことについては、展示内容が避難場所を示す地図であったことからそのように表示したものであります。
なお、印刷物として祈念館に備え置くこととしたマラリア関係略年表では、「軍命による強制避難はじまる」と記述されております。
次も八重山平和祈念館についてでございます。
戦争マラリアに罹患した人々は体が焼けるような高熱で苦しんだ、患者の熱をさますために井戸水が使われ、芭蕉の幹が水まくらの代用として使用されたを削除し、「マラリア患者の看病風景」に変えたのはなぜか、見え消し資料の削除された言葉は、「黙祷を捧げる」、「あやうく一命をとりとめた」など何らかの指示もしくは基準に基づいた言葉狩りではなかったか、資料説明の変更の根拠は何かというお尋ねでございます。一括してお答えをいたします。
写真の説明文の検討に当たっては、1つ目に正確であること、2つ目に出所・根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現とすること、このことに留意をいたしまして文章を検討してきました。その結果、現在の説明文になったものでございます。
同じく八重山平和祈念館についてです。
監修委員会などの決定した展示内容の変更に携わった職員は何名か、その職員の専門性、学識経験は監修委員会の決定を覆せるだけのものであるかとのお尋ねでございます。
展示内容に関しましては、1つ目に正確であること、2つ目に出所・根拠を十分に確認すること、3つ目に推量的表現は避けること、4つ目に簡潔な表現をすることに留意して文章を検討してまいりました。その結果、現在の説明文になったものでございます。
しかしながら、展示の経過に関連し修正方法やその経過について十分でなかったという指摘もあることから、今後、地元の意向が反映されるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
同じく八重山平和祈念館についてでございます。
展示制作を受託した業者が展示資料の見直しや基本理念の見直しもあると県から説明を受けたのは事実か、展示内容の修正案については監修委員会に諮るよう提言したと言っているが、なぜ変更を監修委員会に諮らなかったのか、着任早々の平和推進課課長補佐はだれの指示で基本理念そのものの見直しも必要であると言ったのか説明をということでございます。一括してお答えいたします。
展示については、監修委員会に検討をお願いし、その検討結果を監修委員の先生方に説明し、また開館の前に最終案を説明するなど監修委員会を尊重して進めてきたものでございます。
この作業過程の中で展示制作業務委託業者との連絡調整を図ってきたものであり、展示内容の具現化や全体の構成に関する意見交換を行ってきました。
展示内容案については、このような委託業者との共同作業を通して積み上げてきたものを最終的に監修委員の先生方にもお諮りし展示案を決定していただいたものでございます。
なお、基本理念の見直しについて発言したことはないとの報告を受けております。
同じく八重山平和祈念館についてでございますが、展示改ざんは戦争マラリア問題の根幹をゆがめるものであり、長年にわたり戦争マラリア問題を取り組んできた多くの関係者の怒りを買っている、県はこの責任をどのようにとるかというお尋ねでございます。
展示内容に関しては、八重山平和祈念館の監修委員会は平成11年2月に終了しておりますが、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から展示内容の最終案を5月10日に本島在住の2名の委員に、また5月13日に八重山在住の5名の委員にそれぞれ報告いたしました。
その結果、集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関して意見が出されました。そのことについて再度監修委員にお諮りをするために6月11日に八重山地域の元監修委員に御検討をいただきました。その結果、同意が得られたものと理解をいたしまして展示業務を完了したものでございます。
しかしながら、展示の経過に関して修正方法やその経過について十分ではなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
以上でございます。
○伊波 洋一 休憩お願いします。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後0時 休憩
午後0時6分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 伊波議員の御質問の中で答えが出てなかったんじゃないかということで、このような沖縄戦で日本軍は沖縄県民を守ったと言えるのでしょうか、むしろ日本軍は沖縄県民を守らなかったというのが沖縄戦の実相ではないでしょうか、知事の見解を求めたいということにお答えをいたします。
このケースにおきましては、日本軍が沖縄県民を守らなかった例もいろいろのケースがあると思います。
いずれにしろ戦争の要因や分析については、多くの研究論考がなされており、さらにその成果の深まりが期待されるところであります。
それから、何名の子供が沖縄戦で亡くなりましたかということでございますが、多くの子供たちが犠牲となったことは事実でございますが、今、正確な数字の把握は困難であります。今、調査をしております。
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
監修委員会の決定した展示内容の変更に携わった職員は何名か、その職員の専門性、学識経験は監修委員会の決定を覆せるだけのものであるかとのお尋ねでございました。
展示内容に関しましては、八重山平和祈念館の監修委員会は平成11年2月に終了しておりますが、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から展示内容の最終案を5月10日に本島在住の2名の監修委員に、また5月13日に八重山在住の5名の委員にそれぞれ報告をいたしました。
県といたしましては、戦争マラリアの実相に関することやマラリア根絶事業について行政では十分対応できない分野について専門委員である監修委員の先生方に監修をしていただいたもので、これを尊重して展示を実施したものでございます。検討は局内で行いました。(発言する者多し)
○伊波 洋一 代表質問との関連で質問したことの答弁漏れがありますね。
私は、代表質問との関連で言ったのは、3月17日の監修委員会全体会議は知事説明のための最終監修会議だったんじゃないかと。そのことに対して知事が注文をつけたから今日の混乱が起こっているんじゃないのかということですね。だから監修委員会に最終決定権があるとずっと金城局長は言ったんだけれども、実際は逆じゃないのかと、こういう質問をきのう通告もし、きょうは冒頭言ったわけですが、これについてもお答えを準備してきてください。
○議長(友寄信助) ただいまの伊波洋一君の質問及び質疑に対する残りの答弁は、時間の都合もありますので午後に回したいと思います。
休憩いたします。
午後0時12分休憩
午後1時35分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
午前の伊波洋一君の質問及び質疑に対する残りの答弁を願います。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
まず、ガマの部分ですけれども、変更を提案したことにつきまして、日本刀以外にもあったのではないかというお尋ねがございました。
ごうの中に置かれるものの中にコンデンスミルクのことがありましたけれども、そのことについても御提案申し上げてあったということです。コンデンスミルクについても変更の検討をやっていたということでございます。
それから、八重山の展示作業のいろんな見直しを検討した職員の数は何名かということでお尋ねがありました。
課の担当職員、それから課長等を入れまして、事務局次長、局長を入れまして約8名ということでございます。
それから、3月17日のことで、監修委員会が全体会議が開かれて決められているんだけれども、その後にいろんな変更問題が出たんだけれども、これは監修委員会の意思を尊重するというのはおかしいんじゃないかというお尋ねでございますけれども、3月17日に監修委員会がありまして、そのときにお決めになったのはいわゆる大枠、基本計画に沿った先生方の意向でできました概略設計でございまして、これはいわばフレーム、大枠でございますね。それぞれの展示の流れはどうなっていて、そこにはどういう部門があって、どういう形で、グラフィックであるとか映像であるとか、そういったものをやるというふうな大きな概略設計でございます。それは3月17日に行っているわけです。
そしてその概略設計に向けまして一つ一つのものをまた私どもと業者との間でもキャッチボールしながら、具体的にここはどういう写真が来て、どういう色が来て、どこからのパネルが来てというふうなことで具体的に一つ一つを行ったり来たりしながら一つの案を示し、またできましたならばその都度部会、監修委員会にまた再度かけていく作業でございます。今はこの作業の途中なのでございまして、3月17日に先生方がお決めになりました概略設計、これは変わりません。その後の実際具体的な展示作業の具現化するための資料づくりでございますね。それのことがいろいろと行ったり来たりしながらやっているわけでございます。そのことでございまして、3月17日の先生方がお決めになった概念につきましては、これは変更はございません。
それから、八重山の件につきまして業者から県のものに、もし説明文等について変更があるのであれば監修委員会の方にも相談すべきだという御提言があったのになぜしなかったかというこの辺でございますけれども、これは実質4月28日に私どもは受け取りまして、連休明けの5月の第1の週の末ぐらいから一応仕事を始めているわけですけれども、そして5月10日、13日はそれぞれの本島と八重山在住の監修委員の方に、終了はしておりますけれども先生方の意見を尊重して一応御相談を申し上げているわけです。ですから業者の方から、うちの担当に話があったのは5月13日以降ではないかと思うんでございます。
以上でございます。
○伊波 洋一 議長、ちょっと休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後1時40分休憩
午後1時41分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
少ない職員で限られた時間内で大急ぎでやったわけですけれども、当然専門の先生方の学識にこれは私どもはまさるわけでは絶対ありませんでございまして、いろんな書籍なども読んだりはいたしましたけれども、それは当然及ばないことは多々あるわけでございます。
ただ、私どもはまた設置者の県としての立場からのいろんな検討ですね、そういったのも大変、検討をいたしました。
以上でございます。
○伊波 洋一 幾つかの点を再質問いたします。
まず最初に、局長は概略について変更はしなかったと言いますが、皆さん、変更したんですよ。ほら、この見え消しの資料をね。(資料を掲示) それで7月31日に知事に提示をしたわけです。まさにこれは概略なんです。この概略を変更したのはなぜなのか、それを明確にお答えください。
それから、説明したときに後ろにも幾つかの資料があったはずです。その資料も明確に出してください。
それから、3月23日の知事の説明会での発言、どういうことを言ったのか含めて明確にしていただきたいと思います。政府に対立するものを展示するのはいかがなものかと言ったのではありませんか。
それから、なぜ強制退去という言葉は全部切り抜いたのか。これは10年5月の八重山平和祈念館の基本計画です。(資料を掲示) この中に強制退去は明確に書かれております。そのコンセプトもですね、全部それを取り除いている。それは3月23日の知事の指示があったからじゃありませんか。
その後、課長補佐も課長も変わっております。そのときに明確に事務引き継ぎがなされたはずですよ。その事務引き継ぎ文書を提出して明らかにしてください。
だから、どういう指示が稲嶺県政の指示としてあって、それを明確に実行するために現課長や課長補佐がやっている、このことを明確にしていただきたいと思います。
○知事(稲嶺惠一) お答えいたします。
3月23日、これは一切指示はいたしておりません。
ただですね、私は常にきのうの兼城先生の答弁の中にもございましたけれども、私としては世界平和につながるすばらしい施設にしたいというのが願望でございます。その意味で世界平和につながるようなすばらしいコーナーを大きく設けてほしいというのが願望でございました。そのためいろいろと調べてもらったところ、既に概略の方は決まっておりましたので、それで私の方のこの要望です、要望というのは、決めるというのは最後は監修委員会でございますから、監修委員会に出す前提としてお願いをしましたところ、きのうのお話に出ました「国連」の、形が変わりまして、それはその中で世界平和に結びつくというものの多くの中でごく小さなコーナーしかとてもできないということで、その中で国連が出てまいりました。そしてその問題が先般の監修委員会にも出されました。私も新聞記事で拝見したんですけれども、宮城悦二郎先生からそういうものにNGO等も含めるべきだという大変貴重な御提言をいただいているとお聞きしております。
すべてその意味で監修委員会にかける、最終的には監修委員会がすべて決定すべきものであって、その前で変えるということはございません。
○文化国際局長(金城勝子) 先ほど引き継ぎの中でそういった見直し云々の指示があったのではないかというお尋ねがございましたけれども、そういうことは全くございません。
それから、先ほど私、ちょっと舌足らずでございましたけれども、5月10日、13日に本島、それから八重山地域の監修の先生方に御相談申し上げたのは、やはり業者の方からもそういった説明文の表示の変更があるのであれば、先生方にちゃんと相談すべきだよというのを業者からの提言を受けての結果だということを今、私報告を受けました。
以上でございます。
○伊波 洋一 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後1時48分休憩
午後1時49分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
○文化国際局長(金城勝子) 先ほど御説明申し上げました概略設計の後、それを具体化するために業者と県の間でいろいろと情報の交換、資料の交換なんかいろいろいたします。その中の一つの私どもの案の一つとしてこういう形でまとめたのがあるわけでございます。これは、これがそのまま永久にこれじゃなくして、しょっちゅう変わってまいります。これは私どもの案の一つですから、経過の。
○伊波 洋一 議長、休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後1時50分休憩
午後1時51分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) 3月17日に先生方がお決めになった概略設計についてはそれは変えておりません。
以上でございます。
○伊波 洋一 再質問いたします。
この消さない前のものは概略設計ではないのですか。(資料を掲示) このことを明確にしてください。
それから事務引き継ぎ文書は、当事者間でやりとりは行われております。それから口頭の場合もあります。
そのことを局長は、その職員の事務引き継ぎ文書をすべて見たのですか。
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
先生お持ちのその見え消しの資料は、あくまでも事務方が業者といろんな情報交換をするためにこれをまとめましたその過程の中の一つの案の形でそうなっているわけでございまして、私どもは先生方がお決めになりました概略設計についてはそれは触れてはおりません。
それから事務引き継ぎの件ですけれども、新旧の課長の事務引き継ぎが私のところに来るわけですけれども、先ほどはっきり申し上げましたのは事務引き継ぎにはそういったことはありませんということで申し上げたつもりでございますけれども、各それぞれの平和推進課の新旧の課長の事務引き継ぎにつきましてもその件はなかったかと思います。
もし何でしたらコピーを……。
○伊波 洋一 知事にお伺いします。
これは概略設計ではないという局長の言うことは正しいことですか。(資料を掲示) これは概略設計ですよ。
それとあと1つ、局長に提出を求めたいと思いますが、事務引き継ぎの内容を明らかにしてください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後1時55分休憩
午後2時1分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
先ほどの表の件でございますけれども、展示体系表でございまして、言うならば目次に相当するもので、概略設計というものではないということでございます。
それから引き継ぎの件でございますけれども、今手元に引き継ぎ書というのはないんでございましたけれども、八重山の資料館関係につきましては八重山平和祈念館開館事業、そしてそれは開館予定は5月7日であること、それから開館に伴いまして人の配置だとか、そういった細々とした規則のいろんな手続があるということで引き継いでいるとそういう報告を受けてございます。
○伊波 洋一 議長、休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後2時2分休憩
午後2時6分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えいたします。
今、先生お尋ねの表の件でございますけれども、あれはあくまでもいわゆる見え消しと申しますけれども、展示の体系表でございまして、ほかにはございません。先生方がお決めになりました概略設計を私どもは一切の変更はしてございません。
○嘉陽 宗儀 一般質問を行います。
初めは、新平和祈念資料館の展示物の改ざん問題であります。
マスコミによって報道されてから県民の間に大きな怒りが渦巻いています。
これは1982年に高校「日本史」検定で日本軍の住民虐殺を政府・文部省が全面削除したことに対し、「沖縄戦史実を抹殺」と県民が怒りの声を挙げ、本県議会でも全会一致の決議を行うなど抗議行動が相次ぎ、ついに教科書に日本軍の沖縄県民に対する残虐行為の記述は復活しました。
今回の沖縄戦の実相を覆い隠す動きに県民が敏感に反応し、反対に立ち上がっている状況は、沖縄戦を覆い隠すことは県民への裏切り、政治的な都合で史実をゆがめるものは許されないという声に代表されているように、沖縄戦がいかに県民にとって消し去ってはならない重大な問題であるかを改めて示したものであります。
教科書問題では、政府・文部省による沖縄戦の実相隠蔽に対する闘いでしたが、今回は事もあろうに最も沖縄戦の実相を広く世界にも発信しなければならない立場にある沖縄県政によって沖縄戦の実相の改ざんが行われてきているところに深刻な問題があります。
それだけに本議会の果たすべき役割も、県民の負託にこたえて真相を徹底究明する上で極めて重大になってきました。
私ども日本共産党は、真相を究明するために八重山平和祈念館、平和祈念資料館に行って調査し、また多くの監修委員の方々から直接お話を伺い実態を掌握してまいりました。
そういう立場から、昨日、きょうの知事と関係当局の答弁を聞いていましたら、平気でしかも民主主義の実践の場である本県議会で事実をあくまで押し隠し通そうとしている態度がはっきり見えました。
複数の監修委員からは、展示内容の変更を監修委員の了解を得て行ったという局長の答弁に、研究者としての生命まで奪うものであり絶対に許さないという抗議の意思が表明されています。
この沖縄戦の実相を改ざんする動きの背景には、相当な大がかりな動きがあるのではないかということを感じました。
私は、最初に知事並びに執行部に強く要望しておきます。
この議会は多くの県民が注目しています。ぜひ答弁は県民の期待にこたえるべく誠実に真実を述べていただきたい。
そこでお聞きします。
(1)、3月23日、知事は平和推進課の職員に新平和祈念資料館の展示の件でどのような発言、指示をしましたか。なぜ展示内容を変更する必要があるんですか。
(2)、展示内容の変更が具体的に進められてきました。その見直しの内容である見え消し資料について、知事は一貫してその存在を知らないと記者会見までしていました。現在に至ってその存在を知っていたことを認めました。全く不可解です。なぜ知らないと言ったのか、またなぜ今になって知っていたことを認めたのか、真意を明らかにしてください。
(3)、知事が政府と対立するものの展示はいかがなものかと発言されていますが、その政府と対立するとは具体的にどのような内容ですか。またその真意は何ですか。
(4)、平和祈念資料館の沖縄戦の実相に関する展示は知事がかわれば変えるべきだと考えていますか。
(5)、沖縄戦の実相は特定の専門分野であります。これまで専門家の調査研究で実績を積み上げてきているが、県の担当者がそれを変更しようとしました。八重山では事実、変更しました。現在の監修委員や専門委員よりもすぐれた専門家を職員として配置していますか、とりわけ八重山の専門家はだれですか、それから何名いますか。
(6)、沖縄戦研究で県の元嘱託学芸員の久手堅氏が150点の資料を引き揚げるが、その理由は何ですか。
(7)、現在、全国の中高校生は教科書で沖縄の住民虐殺などを史実として学習しています。現在使用されている教科書で日本軍の住民虐殺など残虐行為を記述したものはどれだけありますか。具体的に列挙してその主な内容を紹介してください。
(8)、展示内容の見直しが旧日本軍による住民への加害行為、残虐性を薄める方向で展示全体に及んでいたことが明らかになりましたが、このような事態は他県でも起こっています。それから見ると今回の展示内容の見直しが政府の指示によるものではないかと疑われますが、事実はどうですか。他県でのこのような動きをどう思われますか。
(9)、牧野副知事は6月議会で著書の内容についての質問に、「沖縄の県政をリードしていくための一つの指導理念の一端を提示できたんじゃないかと思っております。」と答弁していましたが、私どもの県政に対する申し入れの中で、書いた本はプライベートなものでありと、私どもに対して矛盾した発言をしていますが、本意は何ですか。
(10)、今回の事件で、これでは二度も殺されることになると多くの県民が怒りを表明しています。ところが、知事は調査結果なるものを発表して監修委員に責任を転嫁してきました。県民の怒りに油を注ぐ結果になっています。改めてどのような調査をしたのか、具体的に明らかにしてください。また本当に県には責任はないと考えておられるのか、伺います。
2、八重山平和祈念館について。
(1)、八重山平和祈念館の展示内容が監修委員会と県の担当者で3月31日までに一致して確認した内容が一方的に変更されて展示されていますが、どこで、だれが、どこからの指示で変更したのか、明確にしてください。
(2)、八重山平和祈念館の監修委員の任期はいつまでで、展示内容の変更作業はいつ行い、監修委員はそれとどのようなかかわりを持っていますか。
変更された内容は日本軍の残虐性を薄めるものになっています。変更した内容を具体的に本議会に明らかにしてその変更した理由を説明してください。
例えば現在の平和資料館に展示されている集団自決の写真説明が同じ写真が、八重山平和祈念館では「沖縄戦で犠牲になった人々」と説明され展示されています。一貫性という意味で同じ写真が別々の説明になっている、その理由の説明を求めます。
(5)、開館式で局長のあいさつは、戦争マラリア関係者の大きな批判を浴びています。あいさつの中から、日本軍の残虐性をなくする意図があって戦争マラリアを認めさせるための関係者の努力を無視したそういうあいさつをしたのですか。
(6)、八重山平和祈念館は、監修委員や県の当時の関係者で確認した内容に展示を変更すべきです。そのためには前任の監修委員、専門委員を再任してその作業に当たるべきだと思いますが、所見を伺います。
今後の課題について。
今回の改ざん事件は、単なる事務的ミスではなく八重山平和祈念館では既に沖縄戦の実相の改ざんが実行されています。知事の政治的責任は極めて重大です。我が国が戦争法の成立、有事法制、憲法改悪への道が進められている情勢の中で、唯一住民を巻き込んでの地上戦に見舞われた県の知事としての責務はその流れを許さないために発言し行動すべきであるのに、その流れを促進するような事態は絶対に許されません。今回の事件の責任をどうとりますか。また識者と言われる人の中には館ができ上がってから変更すればいいという発言もあります。今後の方針を明確にしてください。
牧野副知事は、これまで著書や講演会などで政治的にアメリカ覇権主義を擁護し、これまでの県民の野蛮なアメリカの全面占領時代の勇敢な闘いを傍観者的に見て批判までしています。あげくの果てには米軍基地をなくせという県民の願いまで攻撃しています。日米両政府の代弁者になって見えます。その一連の発言の真意を伺います。
4、SACO合意について。
(1)、現在の沖縄の米軍基地の問題は、SACO合意の実施をめぐってのものです。日米両政府が完全実施を迫っていますが、現在それぞれの移設先では県民の反対運動が展開されています。どのような運動があるか、どのような声があるか、県は掌握していますか。
(2)、知事は、その実態を踏まえてSACO合意に基づく米軍基地の県内移設が可能だと考えますか。この問題点の現実的対応とはどういうことですか。
(3)、県民は、米軍基地の県内移設を絶対に許さない決意で復帰闘争のような壮大な運動をつくり上げるために組織も結成しています。その県民の闘いを無視して県内移設ができると考えますか。
(4)、特に普天間基地の移設問題は選挙公約の軍民共用との関係では完全に破綻しています。この際、それを認めるべきではありませんか。
SACO合意について米軍自体が踏みにじっている実態もあると思います。その実態を掌握していますか、それを具体的に明らかにしてください。
(6)、欠陥機のハリアーの訓練中止、撤去を求め、北部訓練場への新たなヘリパッドの建設に反対すべきですが、決意を伺います。
(7)、米国自治領のプエルトリコでは米軍の軍事訓練に反対運動が発展し、米議会の公聴会まで開かれています。米国が、自国内の領土での訓練を許さないなら、他国の国民は、どうして米国はその国での訓練を許すよう求めるのかという声も出ています。なぜ米国民も反対する米軍基地を知事は県民に押しつけるために協力する必要があるんですか。
(8)、21世紀まで県民が米軍基地の重圧で苦しめられるのを断ち切るためにこの際、米軍は米国に引き揚げよと勇気を出して態度表明したらどうですか。
5、泡瀬通信施設について。
現状とその基地の任務はどうなっていますか。
それから、制限水域を埋め立てて米軍に提供するのは新たな基地提供になりませんか。
それから、通信施設の強化が図られているという訴えがあります。実態をつかんでいますか。
最後に、国道330号横断暗渠改修の進捗状況について、これまでの取り組み状況について報告してください。
○知事(稲嶺惠一) 嘉陽宗儀議員の御質問にお答えします。
最初は、新平和祈念資料館について、3月23日、どのような発言、指示をしたか、何ゆえ展示内容を変更する必要があるのかという御質問へのお答えでございます。
平和祈念資料館の展示に当たっては、当然沖縄戦の実相をきちんと伝えていくことがその基本であり、あわせて世界平和に結びつくような資料館をつくっていくことが大切であるという趣旨の発言をしました。
次に、知事が政府と対立するものの展示はいかがなものかという、その真意は何かということでございますが、そのような発言をしたことはございません。
平和祈念資料館の実相に関する展示は、知事がかわれば変えるべきだと考えるかということですが、沖縄戦の実相を正しく伝えていくためには専門家等で構成する監修委員会に検討していただくべきであると考えております。
次に、新平和祈念資料館について、展示方法は全体的に薄める方向が明らかになったが、政府の指示によるものかと疑われると、そして他県の同様な動きをどう思うかということでございます。
展示内容の見直しについて日本政府からの指示は一切ありません。
なお、他県の状況については承知しておりません。
次はSACO合意についてでございます。1つは、SACOの合意に基づく移設先での反対運動を、どのような声があるか把握しているかということと、2番目の、実態を踏まえて県内移設は可能か、この現実的対応とは何かということと、こうした反対運動を無視して県内移設ができると考えるかという3点の御質問を一括してお答えいたします。
基地問題は、国際情勢や県土の有効利用、軍用地主や駐留軍従業員の生活、環境の保全、経済振興策等多くの問題が複雑に絡み合っていることから、県としてはSACOの合意事案を着実に実施し、実現可能なものから一つ一つ解決していくことが基地の整理縮小を促進する現実的で実現可能な方法であると認識しています。
SACO合意に基づく県内移設については、県民の間で賛否の意見があり、それぞれの立場で運動を展開していることは承知しています。
県は、基地の県内移設に対する県民の意見や意向について県への要請等を通じて幅広く聞いてきており、今後とも地元市町村の意向を踏まえ、幅広く県民の理解と協力を得ながらSACOの合意内容の着実な実施に向けて前向きに取り組んでいきたいと考えております。
次に、SACO合意について、普天間の移設問題は、選挙公約の軍民共用との関係では完全に破綻していると、これを認めるべきではないかという御質問に対してのお答えでございます。
普天間飛行場の返還は、地元宜野湾市を初め、沖縄県から強く要請を行い、日米両国政府が精力的に協議を行いSACOの合意に至ったものです。
本県が過重に負担している米軍基地については、まず、SACOの合意事項を着実に実施し、段階的に整理縮小を図ることがより現実的で実現可能な方法であります。県民の利益を確保するため県民の財産となる新空港を建設させ、一定期間に限定して軍民共用空港とし、当該地域に産業振興策とセットするという基本方針は現在も変わりありません。
次に、SACO合意について、米国自治領のプエルトリコの例を挙げられまして、米軍基地を県民に押しつけるために協力する必要があるかということと、次にこの際米軍は米国に引き揚げるよう態度を表明してはどうかとの2点の御質問へのお答えでございます。一括してお答えします。
日米安全保障条約は、国際連合下の安全保障体制及びアジア情勢などから見て、我が国の平和と安全のため必要であるということは今日の国際政治の現実であり、本県に所在する米軍基地が日米安保体制を維持する上で重要な役割を果たしていると認識しています。
しかしながら、本県には在日米軍専用施設面積の約75%の広大な米軍基地が存在し、県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与えていることは厳然たる事実であり、多くの県民が基地の整理縮小を強く望んでいることについても十分に認識しております。
基地問題は、国際情勢や県土の有効利用、軍用地主や駐留軍従業員の生活、環境の保全、経済振興策等多くの問題が複雑に絡み合っていることから、県としてはSACOの合意事案を着実に実施し、実現可能なものから一つ一つ解決していくことが基地の整理縮小を促進する現実的で実現可能な方法であると考えております。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○副知事(牧野浩隆) 嘉陽先生の御質問にお答えいたします。
最初の御質問は、私ども友人と3名で「沖縄の自己検証」という本を出しましたけれども、その本に関しまして去る6月の県議会におきまして玉城先生の御質問に対しまして私が、「沖縄の県政をリードしていくための一つの指導理念の一端を提示できたんじゃないかと思っております。」という発言がありました。
また、せんだって共産党の県議の先生たちの要請をいただいたときに、そこでその本が話題になりましたので、その本につきましては、私、公務につく前のプライベートとして出した本でございますという、そういうことでした。
それに対しまして嘉陽先生の方としましては、プライベートという、指導理念という、そこには矛盾があるんじゃないかということが1つの質問でございます。まずお答えいたします。
同書が発行されましたのは、1997年の秋ごろに私どもが準備した次第であります。それまでの県内における政治、社会、経済状況が前提であります。
そのときの閉塞感の中で、余りにも情念型と評価されていました沖縄の動きに対しまして、もう少し客観的あるいは科学的なフィルターを通して自己を見る方法、あるいはスタンスを身につけることが必要であるということ、すなわち本のとおり自己を検証しながら行動をする姿勢が我々にとっては必要ではないかということを主張したものであります。
本そのものはプライベートで出版したものですけれども、こうした認識で現在の公務を担当することは何ら矛盾するものではないと認識しております。
それから2番目の御質問でございますけれども、これは私は著書を四、五冊出しておりますけれども、著書や講演などで政治的にアメリカ覇権主義を擁護していると、あげくの果ては県民の基地返還の要求を攻撃していると、これはまるで日米両政府の代弁者じゃないかというふうな御指摘でございますけれども、これは極めて基本的な認識、視点にかかわるものでございますので、若干時間をとらせて答えさせていただきたいと思います。
まず最初のアメリカの覇権主義の擁護ということでございますけれども、問題は、現在の国際情勢の中で最大のポイントは平和をつくり、それを保持し、平和が侵された場合に、どのような形で平和を回復していくかという方法や手段、認識にかかわる問題でございます。
そういった中で、私も確かに1つの方法としては戦争放棄や戦力不保持を宣言しまして、それが世界平和への最善の道と説き続けていれば平和が実現、保持されるというような主張があることも承知しております。
それからまた、武装することは平和が破壊されることになる、あるいは平和イコール非武装中立という主張があることも承知しております。
しかしながら昨今、現在の国家の安全保障という死活にかかわる問題は、ひとりよがり的な非武装中立によって実現できるものではないと思っております。
国際社会での安全保障には相手があり、190カ国余の利害を異にした国民・国家が存在しており、しかもそれらの国家の利害を調整する上位機関が現在ではないといったそういう国際関係のもとで、例えば歴史的に見ましたら、あの第1次大戦の教訓としまして余りにも理想的なベルサイユ体制の中で軍縮を進めてしまった。その結果、現在の国連の前身であります国際連盟には、今言われているような多国籍軍を持ってなかった。あるいは不戦条約が締結されまして徹底的に軍縮して、極めて理想的な姿になった結果が残念ながら第2次大戦を勃発することを阻止できなかったという、そういう歴史的な国際学会の反省に基づきまして国際政治学やあるいは世界のリーダーたちがそのベターな方法として現在の国連憲章に基づく集団安全保障政策を採用しているということは、現在の事実だということは御承諾いただけると思います。
それと同時に、また平和国際部隊だとか、あるいは予防外交などの各国の努力がなされていますけれども、やはり話し合いに応ずる、あるいは話し合いに応じさせるにも何がしかの武力が背景にあるということは厳然たる事実で、そういった意味では現在の国連の安全保障理事会に基づくものが今の国際政治を動かしているという、そういう認識を持っております。
そういったのを受けまして、我が国の安全保障としましても国内の軍備としまして自衛隊を持っていますし、それから同盟としては日米安保条約を持っているわけです。
問題は、日米安保も自衛隊もいわゆる憲法の合憲だいう判決があるということを我々は現実に認識する必要があると思います。
例えば、自衛隊につきましては1952年の違憲訴訟、82年の訴訟、89年、ありますけれども、いずれにしましても自衛のための必要な最小限は第9条が禁じていないという判決が出ております。
それから、日米安保につきましてもやはり砂川事件の上告審でこれは憲法に反するものではないというような判決が出ていることを我々は法治国家として認識する必要があると思います。
それともう一つは、1994年の4月にいわゆる自民党、さきがけ、社民党で内閣ができましたけれども、そのときの内閣の首班は社会党出身の村山内閣でございましたけれども、そのときの村山内閣の首班になったときの国会における演説でこういう演説をなさっております。社会党政権ですけれども、私の政権のもとでは、今後とも日米安保条約及び関連取り決め上の義務を履行していくとともに、日米安保体制の円滑かつ効果的な運用を確保していく所存でありますと。
自衛隊に関する憲法上の位置づけについての御質問についても、専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限の実施組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識するものであるというような演説がなされております。
それともう一つは、やはり我々沖縄県が駐留軍臨時措置法の中で最高裁まで行った係争事件がありましたけれども、その中でも残念ながら最高裁の15人の裁判官の全員一致で負けたという事実を我々は厳粛に受けとめる必要があるかと思います。
そういった法治国家の中における者としまして、やはり私どもは先ほど申しましたような形で別にアメリカを擁護しているとかそういうことでなくて、先ほどの知事の御答弁の中にもありましたように現下の安全保障体制というのは、国連を中心にしたものが主なものになっているということを我々は認識しているということが、それが1つでございます。
それと、そういった状況を踏まえました場合に、あとは県民の基地返還要求を攻撃しているということがありましたけれども、決してそうではなくて、やはり我々としましてはこういった状況を認識した場合に、おのずから基地問題に対する我々の行政的な取り組みはそれなりの制約を受けているものがあるかと思います。
そういった意味で、基地問題に対してもやはりそういった法制の枠組みの中で対応をしていくということが必要になってくるかと思います。
そういった面から見ますと、決して私は日米両政府の代弁者ではありませんし、先生もおわかりいただけるかと思いますけれども、私の著書、いろんなところで講演でしゃべっていますけれども、あくまでも130万県民の目線で書いたりしゃべったりしておりますので、代弁者ということはありません。
これからも130万県民の目線に視点を置いた形で仕事をしていきたいと思いますので、よろしく御理解をお願いいたします。
○文化国際局長(金城勝子) 嘉陽議員の御質問にお答えをいたします。
まず、新平和祈念資料館について展示内容の変更の見直しの内容とその見え消しの資料を県民に公表してくださいということについてでございますが、展示内容については県と展示業者との間で検討したものを監修委員会に諮り決定することになっており、県の側で一方的に行うことはございません。
県のいわゆる「見え消し」資料につきましては、9月29日の監修委員会とマスコミ各社との記者会見で配布・公表されているところであります。
それから、沖縄戦の実相は特定の専門分野であると、県の担当者がそれを変更しようとしていたが、現在の監修委員や専門委員よりもすぐれた専門家の職員がいるか、何名配置しているかというお尋ねでございます。
現在、平和推進課には、職員及び嘱託の学芸員が6名配置されて新平和祈念資料館の開設準備に当たっています。そのうち2名は沖縄県教育・文化資料センターの専従の事務局長を務め、「平和教育」を専門に研究してきた実績を有しております。
それから、同じく新平和祈念資料館ですけれども、沖縄戦研究家で県の元学芸員の久手堅さんが資料の引き揚げをということで言っているんですが、その理由は何ですかということでございます。
現平和祈念資料館における久手堅氏寄託資料は、昭和53年に展示内容が刷新されたとき専門委員であった同氏より寄託されたもので、7年後の昭和60年作成の寄託目録によりますと96件181点となっております。
その後、平成元年6月に7件33点、また最近は新聞報道にもありましたように平成11年の9月10日、収蔵庫内の6点を本人の要望により返却をいたしております。同資料については昭和60年ごろ順次買い取りの要望もあったようでございますが、具体化には至らなかったようでございます。
新聞報道によりますと、同氏は、私が集めた資料は今の行政とは相入れないものだと思うとの理由で寄託資料を引き揚げたいとの意向のようでありますが、同資料は貴重な資料であり、監修委員会の意見を尊重して展示を行うという知事の方針を御理解いただいて、引き続き寄託していただきますようお願いをしてまいりたいと考えています。
それから、現在使用されている教科書で日本軍の住民虐殺などの残虐行為を記述したものはどれだけで、具体的に列挙して内容を紹介してくださいというお尋ねがあります。
沖縄戦について記述した高校日本史教科書は、私どもが掌握できた分は7社25冊でございます。そのうち日本軍の住民虐殺などについて記述した教科書は7社16冊であります。
具体的には、例えば「三省堂」発行の「明解 日本史A 改訂版」では、日本軍に集団自殺を強いられたり、戦争の邪魔になるとかスパイ容疑をかけられて虐殺された人々も多く、沖縄戦は悲惨をきわめたと記述されています。
また、中学校歴史教科書では、6社のうち4社の教科書で沖縄戦においてスパイ容疑で殺されたことなどが記述されています。
それから、同資料館についてでございますけれども、調査結果なるものが発表されましたが、どのような調査をしたか具体的に明らかにと、また本当に県に責任はないのかというお尋ねでございます。
八重山平和祈念館に関する政策参与の……
議長、ちょっと失礼いたします。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後2時45分休憩
午後2時46分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) 失礼いたしました。続けます。
八重山平和祈念館の調査結果についてでございますけれども、それを発表して責任転嫁をしてきたが、県民の怒りに油を注ぐようなことである、改めてどのような調査をしたか具体的に明らかにして、本当に県に責任はないかというお尋ねでございます。
八重山平和祈念館に関する政策参与の調査は、祈念館の展示についての事実関係を整理し、県民の皆様の前に明らかにすることでありました。
参与の調査結果が、報道されています批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないということ。
それと、これらの批判や懸念を払拭するためには、基本計画や作業工程を広く県民に理解してもらうことが必要で、そのためには情報の公開が必要であると報告をされております。
それから、当八重山平和祈念館についてでございますが、監修委員会と県の担当者が3月31日までに一致して確認したが、一方的に変更されて展示されているが、どこで、だれが、どこからの指示で変更したのか明確にせよというお尋ねです。
現八重山平和祈念館に関しましては、八重山平和祈念館の監修委員会は平成11年2月に終了をしておりますが、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から展示内容の最終案を5月10日に本島在住の2名の委員に、また13日には八重山在住の5名の委員にそれぞれ報告をいたしております。
その時点では、集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関して意見が出されましたので、このことについて再度監修委員会にお諮りするために6月11日に八重山地域の元監修委員に御検討をいただきました。その結果、3点の要望につきまして同意が得られたものと理解をいたしまして展示作業を完了したものでございますが、しかしながらその展示の経過に関して修正方法やその他の経過について十分でなかったという指摘もあることから、今後地元の意向が十分に生かされるように協議の場を設け、祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
同じく同平和祈念館の監修委員の任期はいつまでで、展示内容の変更作業はいつ行われたか、監修委員はそれとどういうかかわりがあるかというお尋ねでございます。
展示内容については、県と展示業者との間で検討を積み重ね、その結果を展示案として監修委員にお諮りをいたします。
このような作業を繰り返していくわけですけれども、2月22日に開かれました最終の監修委員会の論議を踏まえ、まとまった形での展示案が4月下旬に委託業者から県に提出されました。
監修委員の任期につきましては、開館、完成までとなっていることから、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から、その最終案を5月10日と13日に本島と石垣の監修委員にそれぞれ報告をいたしました。
さらにそのとき、要望にあった事項につきましても6月1日に提案し、了解を得たものと理解しております。
しかし、展示の経過に関しましては、修正方法、その他経過について十分ではなかったという指摘があることから、今後地元の意向が十分に反映されるよう協議の場を設け、祈念館の充実を図ってまいりたいと考えております。
それから、八重山平和祈念館の変更された内容は、日本軍の残虐性を薄めることになっているか、変更した内容を具体的に説明してくれと、例えば現在の平和祈念資料館に展示されている集団自決の写真説明が、同じ八重山平和祈念館では「沖縄戦で犠牲になった人々」と説明されている、その理由の説明をということでございます。一括してお答えをいたします。
県においては、監修委員会の決定事項に基づき展示内容の具現化と根拠資料の明確化を図り、展示内容の充実に努めてまいりました。
これらの作業を経てまとめた展示案を、去る5月10日に本島在住の委員に、また同13日に八重山在住の委員に説明をいたしました。
その結果、次の3点の要望事項が出されました。
1つ目は、沖縄戦における住民の集団死の写真を展示することであります。
この写真の説明については、文献等によって説明が異なり、集団死や集団自決としての活用が困難であることから、「沖縄戦で犠牲になった人々」として同写真を展示することになりました。
2つ目は、波照間児童慰霊祭のパネル写真を玄関口の正面の壁に展示することであります。
展示物については、展示室内に展示することが基本であるとの考えから室内展示を提案いたしましたが、了解が得られなかったので、6月11日に再度お諮りしました。
その結果、戦争マラリア犠牲者の祈念施設等についてはほとんどが石垣市にあり竹富町にはないことから、せめてこの写真パネルは展示してもらいたいという地元からの強い要望もありまして御希望の場所に展示することになりました。
3つ目に、戦争マラリア関係略年表を廊下に展示することについてであります。
このことについては、通路としての廊下の安全性と利便性に支障を来すことから小冊子にして来館者に配布することを提案いたしました。
このことを監修委員会で協議していただいたところ、印刷物なら手軽な資料としても活用できるし、だれでも利用できるということで賛成をしていただきました。
以上、3点の要望事項を含め展示内容案全体にわたって同意が得られたものと理解いたしまして展示を完了したものでございますけれども、先ほども申し上げましたようにその経過に関し修正方法、その他にいろいろと十分でなかったと指摘もあることから、今後地元の皆様の意向が十分生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図ってまいりたいと思います。
それから、八重山祈念館の開館式の件で、局長のあいさつは戦争マラリア関係者の大きな批判を浴びていると、あいさつの中から、日本軍の残虐性をなくす意図があって戦争マラリアを認めさせるための関係者の努力を無視したものですかということなんでございますけれども、八重山平和祈念館の開館式典では、私は知事の式辞に続きまして、祈念館の経過報告を行う役割でございました。そういうことから、祈念館の開館までの事実の経過を述べたものでございます。
同じく祈念館の監修委員や県の当時の関係者で確認した内容に展示を変更すべきで、そのためには前任の監修委員を再任して作業に当たるべきだと思うがというお尋ねでございます。
八重山平和祈念館の最終内容につきましては、平成11年2月の最終の監修委員会の検討結果を受けて事務局案を作成し、5月10日に本島在住の2委員、5月13日に八重山在住の5委員に報告いたしました。
その中で集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関していろいろな御意見がありましたので、事務局としては6月11日に八重山在住の元監修委員に再度その処理方策を提案し検討していただました。
その結果、3点の要望事項について同意が得られたものと理解いたしまして展示業務を完了したものでございます。
しかしながら、展示の経過に関し修正方法、その他の経過について十分ではなかったという指摘もあることから、今後、地元の意向が十分生かされるような協議の場を設けるなど適切に対応してまいりたいと考えております。
今後の課題につきまして、今回の改ざん等事件は単なる事務的なミスではなくて事件の責任をどうとるか、また識者と言われる人の中には館ができ上がってから変更すればいいという発言もありますが、今後の方針を明確にしてくださいということでございます。
八重山平和祈念館の展示につきましては、監修委員会の意見を尊重する立場から委員の方々と協議をして展示を行ってまいりました。
しかしながら、展示内容について監修委員の同意を得る手続に関しまして先生方の御指摘があり、これを是正するための協議の場を設ける必要があると考えております。
また、新平和祈念資料館の展示に関しては、開館後、多くの方々が資料館を見学して、それぞれの立場や視点からその展示内容についての意見が出されているものと思いますが、資料館の内容を充実させるために建設的な論議が行われることは必要であると考えております。
以上でございます。
○知事公室長(親川盛一) 嘉陽宗儀議員のSACO合意についての質問事項のうちの5番、SACO合意について米軍自体が踏みにじっている実態もあると思うが、把握しているかという趣旨の質問にお答えをいたします。
SACOは、沖縄県民の負担軽減を図るため日米両国政府が真摯に協議を行い合意に達したものと理解しております。
県は、このような認識に立って嘉手納飛行場でパラシュート降下訓練が実施された際には、SACO合意の趣旨に沿って実施するよう日米両国政府に要請したところであります。県としては、引き続き県民の基地負担を軽減するというSACOの基本的な考え方に沿って基地問題の解決を図っていきたいと考えております。
次に6番目の、ハリアーの訓練中止、撤去を求め北部訓練場への新たなヘリパッドの建設に反対すべきだがどうかという趣旨の御質問にお答えをいたします。
県は、嘉手納飛行場でのハリアー機墜落事故について、事故直後に米軍及び日米両国政府の関係機関に対し、事故原因の徹底究明と公表、同機種の安全点検及び安全管理の徹底が図られるまでの間の飛行停止を求めるとともに、事故の再発防止に一層努めるよう強く要請してきたところであります。
また、ジョーンズ米海兵隊総司令官が来県した際にも、同司令官に対し、米海兵隊ハリアー調査委員会の報告書の中で、事故率の高さやパイロット、整備員の水準の低下等が指摘されており、同機の運用に係る安全性の確保については特段の配慮をするよう申し入れております。
さらに、ハリアー機が飛行再開されたことについて去る9月17日、在日米軍沖縄地域調整官、在沖米国総領事、外務省沖縄事務所政府代表特命全権大使、那覇防衛施設局長に対し遺憾の意を表明するとともに、早期に事故原因の徹底究明と公表を行うよう、また今回の飛行再開に当たっての安全性について詳細な説明を行うよう強く要請したところであります。
県としては、今後とも引き続き県民の生命、生活及び財産を守る立場から事故の再発防止と安全管理の徹底を日米両国政府に強く求めていきたいと考えております。
北部訓練場のヘリパッド移設については、現在、国において移設候補地の環境影響調査が実施されており、県ではヘリパッドの移設場所の決定に際しては、当該移設場所の自然環境への影響やその対策等について県及び関係市町村に十分に説明するよう国に申し入れているところであります。
県としては、今後とも引き続き国の環境影響調査の状況を見守りつつ、関係する市町村の意向も踏まえながら当該地域の自然環境に十分配慮した移設場所の選定を国に求めていきたいと考えております。
次に、泡瀬通信施設についての関連の1番目の現状と任務はどうかと、それから2番目の制限水域を埋め立てて米軍に提供するのは新たな基地の提供にはならないか、3番目の通信施設の強化が図られているという訴えがあるが、実態をつかんでいるかということにつきましては、関連しますので一括してお答えをいたします。
泡瀬通信施設は、米海軍第7艦隊との通信業務を行うことを目的とした施設で、施設内にはアンテナと通信管理用の建物が設置されております。
去る9月9日の日米合同委員会では、泡瀬通信施設に係る提供水域内の一部埋立地について共同使用することが合意されました。
今回の合意によって、地元沖縄市が大きな期待を寄せている東部海浜開発計画や県が進める中城湾港泡瀬地区の開発に向けて同事業がスタートするだけでなく、従来、制限水域として米軍が排他的に使用していた専用区域が共同使用となり、地域の産業振興や県民のレクリエーションの場として実質的に有効利用できることから、基地の整理縮小において一つの前進だと考えております。
なお、通信施設の強化が図られているか等については、現在照会中でございます。
以上でございます。
○土木建築部長(銘苅清一) 国道330号横断暗渠改修の進捗状況についての御質問にお答えいたします。
2級河川比謝川の改修につきましては、第9次治水事業7カ年計画に基づき整備を進めているところであります。
当河川は、中流部から国道330号横断暗渠まで延長約5.9キロを重点区間として整備を進めております。アカギ群落のある区域及び水辺プラザ計画の区域を除いて概成しております。
アカギ群落のある区域については、河川断面が狭小であるため平成11年度から改修を実施しているところであります。
御質問の横断暗渠の改修に当たっては、ボトルネックとなっているアカギ群落のある区域の通水断面を確保し、下流域のはんらんの解消を図った上で国道330号の改築計画、その下流部の沖縄市の水辺プラザ計画と一体的に整備することとしております。
平成12年度においては、国道管理者が横断暗渠の実施設計をすることとしており、また県においては水辺プラザの河川改修の実施設計を行う予定であります。
今後、双方調整の上、早期の事業化に向け取り組む考えであります。
以上でございます。
○嘉陽 宗儀 休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時5分休憩
午後3時7分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
石川副知事。
〔副知事 石川秀雄君登壇〕
○副知事(石川秀雄) 先ほど嘉陽議員の御質問の中で、知事は一貫してその存在は知らないと記者会見までしていましたということでございますので、知事はそのようなことは申し上げてないと思います。
ただ、これまでの過程で私あるいは局長がこのことについては作業過程のものがございますということは申し上げてありますので、そういう意味で私がかわって申し上げております。
それから2番目の御質問の八重山の件でございますが、これについては監修委員会の皆様に変更の部分についての調整の段階で、先ほどから局長も申し上げているように若干の行き違いがあったと思います。
そういう意味で、展示内容について御不満もあるわけでございますので、今後協議の場を設けて展示内容について検討させていただきたいと、こういうことでございます。
○嘉陽 宗儀 再質問します。
まず、牧野副知事の大演説でありましたけれども、要らぬことまで答えていますけれども、ユーゴのあの攻撃もアメリカが国連を無視する、そういう問題があるし、新戦略があります。
それから日本を初めアジアでは、新ガイドラインでアメリカが文字どおり国連を無視した世界戦略体制がある。そういう事実も認識がなかったんじゃないかということがあるし、確かに考え方としては戦争をする側としない側、反対する側はありますよ。僕が見たら完全に知事は、県民の立場から言えば県民を苦しめた側の立場の論客だということを言ったものですからそれを聞いたわけですよ。しかしそれは再質問しません。
再質問しますけれども、まず、知事はあくまで監修委員会の意見を尊重するということを一貫して答弁されています。ところで八重山の場合にはもう既に監修委員会のもとに専門委員会がつくられて既に県の事務方と一緒になって展示内容も決定されたと。ところがそれを事務方がいじって、業者と、これを変えているというのがあるわけですよ。
それで、私は直接そこの監修委員の方にあるいは専門委員の方に会いましたけれども、その監修委員の怒りは、自分たち専門家がやったものを素人の事務方が勝手にいじくり回したと、大変な怒りの声を出しているわけです。自分たちの方針を踏みにじられたと。それであるにもかかわらず、踏みにじられたものが現在の会館の内容になっている。
それで複数名の監修委員の方からは、これは自分たちの専門家としてのまさに生命そのものをじゅうりんする、踏みにじるものである、断固として許せないと。さっき局長が4つの理由を挙げて変えたというけれども、それそのものが専門的な知識が必要なんだと。
八重山のこの監修にかかわった、見え消しにかかわった人は主に課長補佐だと思うんですけれども、八重山のこの監修委員、見え消しにかかわった人で本当に今まで沖縄戦の実相を解明するために頑張ってきた先生方、蓄積を得た専門の方、それを平気で変えられるほどの専門家がいるのかどうか、これをはっきりさせてください。これが中心問題ですよ。
それで、そういう専門家の皆さん方が無視されたと怒っている。ところが課長補佐は、最終権限は監修委員にあるんじゃない、自分たちの方に権限があるんだと公然と監修委員にそういう発言をしている。これは知事の姿勢とも矛盾する。これははっきり言って統一しないといけない。
それから、知事は尊重すると言うけれども、実際上は踏みにじられていると、この事実、これについて知事はどう答弁しますか。これについてははっきりさせてください、責任問題。
それが専門家がだれか、これもはっきり氏名を言って、本当に専門家がやったものに耐えられるような、それを平気で改ざんできるような人がいるのか、八重山の件でよ、それをはっきりさせてください。
○知事(稲嶺惠一) 今まで再三私が申し上げていますように、現在の監修委員会の任期は11月9日まででございますが、開館まで全力を、皆様方に監修できるまでお願いをしたいと考えております。
そして八重山につきましては、いろいろ行き違いがあったようでございますが、これも再三お話したように今後とも協議の場を設けてしっかりとやっていきたいと思っております。
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
私どもが原案を委託業者の方から受け取りましたのは4月の28日でございまして、5月の28日の開館に向けまして実質週明けの5月から作業に入りまして、行政の立場からいろいろと検討いたしまして、また先ほど申し上げました4つのことに留意しながらそれぞれ検討したわけでございます。
そうしまして平成11年の2月に監修委員会は終了はしておりますけれども、私どもはやはり監修委員の意向を尊重するために5月に入りまして5月の10日と13日にそれぞれ御説明を申し上げたわけでございます。そして開館当日にもそれぞれの監修委員の先生方、それから専門員の方にも会館にもおいでをいただきました。
しかしながら、展示の経過に際しましてやはりいろんな修正方法、その他の経過について十分ではなかったという御指摘も多々ございますので、今後地元の皆さんと関係者の方と協議の場を設けて意向が十分反映されるように考えていきたいと思っております。
以上でございます。
○嘉陽 宗儀 休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時17分休憩
午後3時19分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
先ほど私どもは事務局で検討して行政の立場でいろいろ検討したと申し上げましたけれども、これは当然私どもは行政の人間でございまして、研究者とか専門家と、そういったようなことではございませんで、この辺では大変力不足でございました。
○嘉陽 宗儀 休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時20分休憩
午後3時24分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) 専門分野に関してでございますけれども、沖縄戦の実相につきましてはそれぞれの専門分野がございまして、現在、先ほども申し上げましたけれども、平和推進課には職員及び嘱託の学芸員が6名配置されております。今、平和資料館の開設準備に当たっております。
八重山につきましても局内で検討いたしますので、局内の学芸員なりいろいろと相談はするわけでございます。
すぐれた専門家という定義についてはよく存じませんけれども、6名の学芸員のうち、そのうち2人は県の教育文化資料センターの専従の職員も務めまして平和教育を専門に研究してきた実績を有しております。
八重山のそういった展示につきまして、監修委員の先生方とのいろんな手続のところで手違いとか十分に私ども説明を申し上げなかったことがありましたので、その後いろいろ御指摘を受けているわけですけれども、今後またよりいい資料館にするために協議の場を設けて充実を図りたいという、こういう考えでございます。
○嘉陽 宗儀 今、答弁がありましたように八重山の祈念館、これは高度な専門的な知識を有している専門委員の皆さん方がつくったものを、ずぶの素人の皆さん方が改ざんをしているという怒りの声を寄せています。専門家はそういう話をしています。
それで自分たち専門家としては……(発言する者多し)
ちょっと休憩してください。
○議長(友寄信助) 静粛に願います。
○嘉陽 宗儀 この専門委員の皆さん方がやったものを勝手に改ざんされている。ところが知事は、監修委員の意見を最大限尊重すると言いながら、実際の今までの事務方がやってきたのは監修委員会の任務も踏みにじってこういう一方的な会館になっている。これは重大な問題ですよ。
そういう意味では改めて事態をさらって、県民が納得できるような会館にするようにしてください。
○知事(稲嶺惠一) 先ほども再三申し上げておりますように、監修委員の方にはしっかりとお仕事をしていただき、この来るべき開館にはそのままの形でできるように努力をいたします。
○玉城 義和 お疲れさまであります。
一般質問をいたします。
質問に入ります前に知事に一言申し上げておきますが、私ども県議会議員は、それぞれの地域で厳しい選挙を経てこの議場に臨んでいるわけであります。したがって我々は、与野党の別なく県政をチェックする義務と、そして今県政が何をやっているか、やろうとしているかということについて、これを県民の前に明らかにする当然の責務を持っております。そういう意味では知事は明快な御答弁でひとつお願いをいたします。あらかじめそのことを申し上げておきたいと思います。
1982年の文部省の歴史教科書の検定で中国への侵略を「進出」と書きかえ、そして朝鮮の3.1独立運動を「暴動」に書き改めることが起こりました。そのことは、中国を初めとする諸外国、関係国の非常に強い反発を呼びまして、まさに国際問題に発展をしたわけであります。
同時に、沖縄戦の高校の歴史教科書の記述にも県民の殺害問題が削除されたと、こういうことがありました。数字に根拠がないとか、あるいは沖縄県史が研究書ではないなどということがありました。
今、この私ども県議会の中で議論の中心点になっていること、平和祈念資料館関連もこれらの問題とよく私は類似をしているというふうに考えております。沖縄戦の実相をどのようにとらえていくかという極めて重要な歴史的な認識にかかわる問題をめぐってであります。
それについて県三役の重要な一角を担っておられる牧野副知事、私は、6月議会でも牧野さんのこの「沖縄の自己検証」という本、鼎談集でありますが、私は何回も読み返させてもらいました。友人にも薦めたわけでありますから相当売れたのではないかと、こういうふうに思っておりますが、この鼎談集の中から私は副知事にぜひとも真意をお伺いをしたい、こういうふうに思っているわけであります。
この問題をまずとっかかりにして平和資料館問題も含めて議論を深めたいと思いますが、この牧野副知事の「沖縄の自己検証」、あと2名で鼎談をしておりますが、この中に沖縄戦の戦争体験、被害というのは軍国主義時代の体験でこれを絶対化してはならないとの趣旨を述べておられる箇所があります。60ページから61ページです。これはどのような立場で、また何を言おうとされているのか、明確にされたいと思います。
2番目に、牧野副知事は今回の平和祈念館や資料館の展示内容の変更で指導的役割を演じたと言われております。これは、1番目に述べた沖縄戦の被害実相を絶対化するなという思想の必然的な帰結かどうかですね、それをお聞きをしたい。
3番目に、今、非常に売れている漫画があります。「戦争論」という分厚い漫画でありますが、この小林よしのり氏の「戦争論」に対してどのような御感想をお持ちか。また、同氏の戦争観と副知事の沖縄戦に関する史観は同じであるか。
4番目に、牧野副知事は私の6月県議会での「沖縄の自己検証」 のこの本に関する質問にお答えになって、この本は、沖縄の県政をリードしていくための一つの指導理念の提示ができたと、こういうふうに胸を張って言われておられる。
知事に伺いますが、知事はこの本に書かれているようなことを稲嶺県政の指導理念としてこの県政を運営をされておられるか、そして副知事の考え方に賛同されるかどうか、知事の御所見を賜ります。
5番目、沖縄戦の特徴は非戦闘員、戦闘員の区別のない戦いであり、そのことから日本軍による住民の集団死を初めとする数々の悲劇が起こっております。牧野副知事は、この沖縄戦の基本的な性格をいかようにとらえられるか、明確にお答えください。
次に、平和祈念資料館、八重山平和祈念館問題についてであります。
9月27日の知事の記者懇メモによれば、問題点として以下の4点に集約をされているというふうに述べています。
1、沖縄戦の実相をゆがめる方向にあると批判されている、2番目、その方向性は県首脳部(時には政府)の意向を反映したものと懸念されている、3番目、そのことは監修委員会の存在を無視して行われていると批判されている、4番目、そのため監修委員会開催の回避、内部文書公表の拒否、不適切かつ不透明な行政手腕がとられていると現県政の姿勢が批判されているとした上で、調査結果ではそのような批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないとの結論に達したと、知事コメントメモにあります。
しからば、その結論に達した根拠は一体何なのか。きのう、きょうの議論を総括する面もあります。
その次に、また必ずしも事実を反映したものではないとの表現は日本語的に言えば事実である部分が相当数を占めるというふうに読めるわけですが、事実と言われる部分はどの辺を指すのか、御提示を願いたい。
その次に、県資料館を含めていわゆる「見え消し」についてすべてを公表されたい。
金城局長の記者会見によれば、2枚の見え消しだけではなくしていろんな構造物に関してもあるのではないかという記者の質問に対して、探してみればあるかもしれないと、こういうふうな記者会見での受け答えがあるようでありますが、それはあるということでありますから、ぜひひとつ出していただきたいと思っております。
その次に、開館後の運営については所期の目的に沿うように客観性を持たせ、恣意的運営や管理を排除する必要があるが、そのためにどのように対処するか、それを保証するシステムは何か。
4番目に、非常勤である政策参与に調査を求めたこと、これは行政内部の信頼関係を損なうことになりはしないか。担当局長も担当の副知事もいらっしゃるわけであります。それをなぜに非常勤の政策参与にこういう極めて焦点になっている問題について調査を任せなければならないか、そういう事情がどこにおありなのか、それは行政の手法として適切であるかどうか、そこをお答えいただきたいと思います。
次に、普天間基地の移設問題についてであります。
去る9月27日、宜野湾市民会館におきまして基地の県内移設の反対県民会議の結成大会が開催されました。800名余が結集しまさに燃え上がるような熱気の中で新しい全県組織の船出になりました。取りざたされている北部の名護市、浦添市、津堅島等々のすべての地域の団体が網羅された形になりまして、どこに移設先が決まっても直ちにこれらに対して対応が可能という全県組織が可能になったわけであります。
知事、今議会でも知事与党は早く移転先を1本に絞れと主張され、私どもは反対とこう言っているわけです。
私は、名護におりまして海上基地建設が持ち上がって以来、まさに兄弟姉妹がお互いに敵対をし、長い間培ってきた友人の友情が仲たがいをしていくというこういう現実にさらされてまいりました。そして地域社会はまさにそういう意味でずたずたになっていくのであります。
私は、なぜにお互いウチナーンチュ同士がこのようなことにならなくてはならないのか、こういう強い憤りと深い悲しみを覚えるものであります。
知事、仮に知事が本当にこの世紀末の沖縄を担う県知事として、まさに稲嶺知事は非常に沖縄にとってかえがたい知事であったと、こう言われるためにも、これ以上お互いで争うような、お互い沖縄県民を争いの中に入れるようなそういうことは沖縄県の知事として私は避けなければならない、こういうふうに思います。
したがって普天間が動くこと、これは動かないと思われる普天間が動いた、これは沖縄県民がまさに不退転の気持ちで日本政府やアメリカ政府に要求を突きつけたからであります。したがって年内、県内とおっしゃらずに、どうして県外の移設をお考えにならないのか、このことを私は申し上げておきます。そういう意味で知事にはぜひ英断をしていただきたいと思いますが、以下質問を申し上げます。
6月29日に開催された政策協議会の前日28日の野中・稲嶺会談の中身について明らかにしてください。
2番目、現段階における県の作業状況について公表されたし。
3番、取りざたされている名護市辺野古キャンプ・シュワブについて、名護市民投票で明確に建設拒否をされています。県はそのことをどのように認識されるか。親川知事公室長は、否定されたのは海上基地だと、こういうふうに申し上げている、そのことに関してであります。
辺野古区の行政委員会(9月24日)、久志地区の行政委員会(9月21日)、豊原地区(昨日9月30日)、名護市議会も含めて全会一致あるいは多数決で基地の建設や、あるいは空港建設に反対の決議をしている。民意はそろっているわけであります。そういう意味でぜひともこの大いなる私に言わせばまさに幻想である県内移設、これをやめるべきである、いかがでありましょうか。
5番目に、何をもって県外移設は現実的ではなく県内移設が現実的と判断されるか、根拠を示されたい。
6番目、サミットは成功させたい、基地の県内移設は遠慮していただきたい、これが私は県民の意向であると思います。大多数の世論だろうと思うんです。このことを知事は踏まえて対処をすべきであろうと思います。
7番目に、毎回お聞きしておりますが、北部地域・軍民共用・期限15年という稲嶺3点セットは現在も不変か。
以上であります。答弁によって再質問いたします。
○知事(稲嶺惠一) 玉城義和議員の御質問にお答えします。
最初は、牧野副知事の平和観・戦争観について、このような牧野副知事の考え方に賛同されるかという御質問のお答えでございます。
まず背景がございます。同書が発行された時期は1997年秋ごろであり、当時の政治、社会、経済状況が前提にあります。
そのときの閉塞感の中での沖縄の動きに対し、もう少し客観的、科学的なフィルターを通して自己を見る方法、スタンスを身につけていくこと、また自己検証しながら行動する姿勢が必要ではないかということを主張しているものであり、耳を傾けるに値するものと認識しております。
次に、沖縄県平和祈念資料館、八重山平和祈念館問題について、その結論に達した根拠は何か示されたいということと、事実を反映したものではないとの表現がある、事実である部分はどこかと、あるいは非常勤である政策参与に調査を求めたことは行政内部の信頼関係を損なうものではないかという3点について一括してお答えいたします。
政策参与の調査は、平和祈念資料館、八重山平和祈念館の展示について関係者から事実関係を事情聴取する必要があったことから、特命事項を担当する政策参与に指示して調査させたものであります。
調査の結果、報道されている批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないこと、そしてこれらの批判や懸念を払拭するためには広く情報の公開が不可欠であると報告されています。
この結論に達した根拠は、当該事業推進過程の実態を把握した結果、沖縄戦の実相をゆがめる事実はなかったこととしています。
また、政策参与に調査を求めたことは沖縄県政策参与設置規程に沿ったものであります。
次に、普天間飛行場の問題で6月29日の政策協議会の前日、野中・稲嶺会談の内容ということでございます。
去る6月29日に開かれた第12回沖縄政策協議会への出席の折、その前日、野中官房長官と会食をしました。
会食の際には、沖縄政策協議会の議題となっております、翌日のテーマである沖縄経済振興21世紀プラン中間報告についてざっくばらんに意見交換を行ったところであります。
次に、普天間飛行場の移設問題について、名護市辺野古のキャンプ・シュワブについては明確に拒否されていると、県はそのことをどのように認識しているかということのお答えでございます。
名護市民投票は、名護市が投票条例を制定し実施したものです。したがって名護市民投票の解釈については、地元名護市長が市議会において答弁した内容に沿って理解しております。
次に、同じく普天間飛行場の移設問題で、辺野古地区行政委員会などで基地や空港建設に反対決議が行われ、県はこの県内の基地たらい回しをやめるべきと、所見を聞きたいということ、何をもって県内移設が現実的と判断するのか、根拠は何かという御質問に一括してお答えいたします。
県としては、普天間飛行場を含め本県が過重に負担している米軍基地については、まずSACOの合意事案を着実に実施し段階的に整理縮小を図ることがより現実的で実現可能な方法であると認識しています。
このような観点に立って、県内移設に向けて現在さまざまな観点から政府へ提示する案についての検討を進めているところであり、県民の理解と協力を求めていきたいと考えております。
次に、知事公約の3点セットは現在も堅持しているかという御質問についてでございます。
普天間飛行場の移設については、県民の利益を確保するため県民の財産となる新空港を建設させ、一定期間に限定して軍民共用空港とし、当該地域に産業振興策をセットするという基本方針は現在も変わりありません。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○副知事(牧野浩隆) 玉城県議の御質問にお答えいたします。
まず初めに、拙書を何度も何度もお読みいただきましたことに対して改めてまたお礼を申し上げます。
御質問の内容でございますけれども、まず最初にちょっと順序が逆になりますけれども、牧野副知事は今回の平和資料館の展示内容の変更に主導的な役割を演じたんじゃないかという御指摘でございますけれども、私は、これは先生はたしか新聞報道にあったのをそのまま御指摘したかと思いますけれども、私はその件に関しまして新聞に抗議しております。
私は、その件に関しまして2度説明を受けてそれぞれ感想を述べておりますけれども、作業過程には一切タッチしておりませんし私の担当でもありませんので、主導的な役割ということは全く新聞報道の誤りでございますので、そこは理解していただきたいと思います。
それと、2つ目の小林よしのり氏の「戦争論」についてどう思うか、同じ考えなのかという御指摘でございますけれども、その本に関しましては去年の夏ごろから大変評判であることは私も存じております。書店に買いに行きましたけれども、400ページぐらいの本でおやっと思ったんですけれども、ぱっとめくったら漫画なんですね、私は買いませんでした。それで読んでいませんので、そのコメントは避けさせていただきたいと思います。
それともう一つのものは、沖縄戦の基本的な認識をどう思っているかということでございますけれども、これについては私も戦争被害の世代でございます。
そういった意味では沖縄戦の持っている悲惨な体験、あるいはアジア・太平洋戦争における各国の惨状については読んだり体験したりしていますので、私は平和の礎だとか現資料館だとか、あるいは長崎、広島、いろんなところのそういったものを見ていますので、その持っているものに対する思いというのは人後に落ちないものを持っているつもりでございます。
次の、一番ポイントになっていますのは、沖縄戦の体験を絶対化してはいけないという御指摘で、その真意は何なのかということでございますけれども、私、思いますに、沖縄戦の悲惨な体験から学ばねばならない最大のことは、私はあのような悲惨な戦争を二度と起こしてはならないということが基本だと思います。
そういった意味では、しかしながら沖縄戦のいわゆる言われております例えば沖縄戦の体験が基本となっています沖縄の心ということがよく言われています。人間の尊厳を重く見て、戦争に通ずるようなこういう姿勢に反対し、平和を求め人間性の発露である文化をこよなく愛する心だとか、あるいは沖縄戦の教訓と言われております軍部は住民を守らなかったとか、住民の被害が多かっただとかあるいは幾つか挙げていますけれども、そういった中のもの、そして最終的には今の現行の平和憲法でありますそういったのを守っていくべきだという主張があることも私はよくわかっております。
そういったのを踏まえますけれども、問題は今のようなものをやはり私どもは今言ったようなもので基本的には戦争を起こさないことにはどういうことが必要かということで一番のポイントかと思います。
その件につきましては、先ほどの嘉陽先生の御質問にもお答えしましたように我々は幅広いいろんな意味から物事を考えていく必要があるかと思います。そういった意味では先ほどの沖縄の心、あるいは沖縄戦の教訓ということも一つの主張として立派に受け取っております。
しかしながら、それがすべてではなくて、やはり私どもは自分の体験に学ぶと同時に、空間的にも歴史的にも大きな意味で歴史に学ばなければならない面があるわけですから、自己のそういった思いを絶対化することはなくて、沖縄戦の教訓を生かすためにはどういったことをしなきゃならないかということで自分自身も相対化して考えていく必要があるんじゃないかということを指摘したものでございます。
ちなみに、この本の前書きにもありますようにやはり私どもの社会というのは一元的な方程式ではなくて、多元方程式であると私どもは認識しております。
そういった中では理念はもちろん重要性を持つが、同時に現実主義に立脚した科学的な客観的な対応が準備されなければならない。沖縄問題を単に情念の世界で論ずるのではなく、知的枠組みの中で検証される必要があるんじゃないかということで絶対的なものじゃなくて、相対的な中から沖縄の持っている進むべき道をいろいろ国際情勢だとか、法的な枠組みだとか、沖縄の持っている資力だとか、そういったのを考えながら沖縄の進むべき道を自己検証しながら進んでいく必要があるということで総体的に考えていこうということを主張したものであります。
御理解をよろしくお願いいたします。
○文化国際局長(金城勝子) 玉城議員の御質問にお答えいたします。
まず資料館関係のいわゆる「見え消し」についての公表をされたいということの御質問でございます。
この資料につきましては、9月29日の水曜日に監修委員会、それからマスコミ各社との記者会見で配布・公表されているところでございます。
同じく資料館ですけれども、開館後の運営について客観性を持たせて、恣意的運営や管理を排除する必要があるが、それに対処するためにどういうシステムがあるかということを明らかにしていただきたいということですが、まず新資料館につきまして平和祈念資料館移転改築基本計画によりますと、新資料館での平和の創造と発信を実効性のあるものにするために第三者機関として運営協議会を設置することになっております。
八重山につきましては、これまでも申し上げましたとおり地元の意向が十分反映されますような運営協議会的なものをつくりまして、協議の場を設けていきたいということでございます。
以上でございます。
○知事公室長(親川盛一) 玉城義和議員の普天間飛行場の移設問題についての質問の2番目の、現段階における県の作業状況について聞きたいということについてお答えをいたします。
普天間飛行場の移設につきましては、現在国に提示するための絞り込み作業を進めており、最終的な段階でありますが、移設後の跡地利用問題や移設先の振興策について特段の配慮がなされる必要があると考えております。
そうした中で、できるだけ早く決定できるよう全力を挙げて取り組んでまいりたいと考えております。
あわせて関係市町村の理解と協力が得られるよう十分に調整していきたいと考えております。
それから次に、6番目のサミットは成功させたいが基地の県内移設は反対というのが県民の意向である、そのことを踏まえて対処すべきであるがどう思うかということについてお答えをいたします。
SACOの合意事項は、県、地元市町村の要請や基地の整理縮小を求める県民の要求にこたえ、日米両国政府が精力的に協議を行い、普天間飛行場の全面返還を初めとする米軍基地の整理縮小などについて合意に達し、県民の基地負担の軽減を図ることとしたものであります。
したがいまして、まずSACOの合意事項を着実に実施することが米軍基地の整理縮小を図るためより現実的で実現可能な方法であると認識しております。
以上でございます。
○玉城 義和 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時57分休憩
午後4時 再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
牧野副知事。
〔副知事 牧野浩隆君登壇〕
○副知事(牧野浩隆) 改めてお答えいたします。
やはり沖縄戦の体験というのは、私は先ほどお話しましたように私もその世代で、その体験の重さを思うことには人後に落ちないつもりです。問題は、その体験から何を学ぶべきかということが私にとっては大きな意味があります。
そういった意味でそこから学ぶべきことは、先ほどお話しましたように沖縄の心とか沖縄の教訓とかいろいろ言われていることもよくわかります。
そういう事実関係を相対化とか実体とか言っていることではなくて、そこは事実関係のものは沖縄戦の重さというのはだれよりもわかっているつもりです。あとはそういう体験から何を読み取って将来にどう生かしていくかということが私の課題でした。
そういった意味でその沖縄戦の体験は、沖縄の戦争、そういったものを二度と決して起こしてはいけないということを私は学び取るわけです。そこからどういう方式でやっていくかは、先ほどお話しましたような形でいろんな主張や今の国際情勢の中であるわけですから、そういった中で我々は適正なものは何なのかということを幅広く相対的にしながら考えていきたいということで、それは学ぶことの意味を相対的に考えようというのが趣旨でございます。
○知事(稲嶺惠一) 名護市長の答弁ということでございます。
県としての考え方も名護市長が市議会において答弁した内容に沿って理解しております。
名護市長の答弁は、「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例」の(目的)第1条では、「この条例は、名護市字辺野古地先の公有水面に建設計画されている米軍の普天間基地の返還に伴う代替ヘリポート基地の建設について、市民の賛否の意思を明らかにし」と規定されております。私は、建設計画されている米軍の代替ヘリポートとはSACOの最終報告にあります撤去可能な海上施設であると認識しておりますと。同意見でございます。
次に、普天間飛行場の問題についてございましたけれども、私の公約の中には例えばというところで、私が北部地域と言ったので、私の公約の中には県内にと言っております。
そしてその状況を御説明しますと、普天間飛行場の移設については現在国に提示するための絞り込み作業を進めており、最終的な段階でありますが、移設後の跡地利用問題や移設先の振興策について特段の配慮がなされる必要があると考えております。そうした中でできるだけ早く決定できるよう全力を挙げて取り組んでおります。あわせて関係市町村の理解と協力が得られるよう十分に調整していきたいと考えております。その方向で進んでおります。
それと先ほどの政策参与の件でございますが、この結論に達した根拠は、当該事業の推進過程の実態を把握した結果、沖縄戦の実相をゆがめる事実はなかったということにしてあります。
○玉城 義和 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後4時6分休憩
午後4時7分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) これは「チャンスを活かそう!」と、私の公約でございます。公約の普天間基地の代替施設についてのみ読みます。
「「海上ヘリ基地案」については責任をもって政府に見直しを求める。そのかわり県民の財産となる〝新空港〟を陸上に建設させ、一定期間に限定して軍民共用とし、当該地域には臨空型の産業振興や特段の配慮をした振興開発をセットする。」というのが私の公約でございます。
○玉城 義和 休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後4時8分休憩
午後4時9分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
玉城義和君。
〔玉城義和君登壇〕
○玉城 義和 再質問をいたします。
知事の今の発言は非常に意外なことでありまして、この選挙中におっしゃられた政策発表だとか、あるいは新聞社のインタビューだとか、そういうものも全部これは精査をしないとできません。これをやらないと前に進まないわけであります。これが一つであります。
それからもう一つ、副知事ですね、時間がなくて沖縄戦の流れは追えませんが、その絶対化するなという意味は沖縄の被害とか実相とか、日本兵がやったこととか集団自決とか、そういうものを全部戦争被害として、戦争というのはこういうものだということでやっちゃいかぬということなんですよね、絶対化するなというのは。
だから、そうしないとおっしゃるような国連の展開だとか軍部の問題が展開できないものだから、副知事はそういうふうに論理をされていると私はそう思っているわけですね。
したがって、今日から沖縄戦を見て都合の悪いところは絶対化しちゃいかぬというのが私は論理ではないかと思っております。反論がありましたら、どうぞやってください。
それからヘリ基地は、これはもう御承知のとおりSACOの最終報告も言っているとおりでありますが、当初は1996年の段階で嘉手納統合案が出て、キャンプ・シュワブの陸地案が出て、そしてこれがいずれも安全とかそういう面において非常に問題があるということで海上になったわけですね。
これは海上は陸上が安全面とか騒音だとか、そういう面で非常に問題があるということでこの海上になった。これは沖縄の県民がこの基地をなるべく置きたくないという撤去可能というところも含めてぎりぎりの許容できる範囲だろうということが提案の理由なんですね。その代表選手である海上基地が住民投票、それも名護市の市長がつくった案ですよ、これは。住民団体がつくった案に手を加えたわけですね。それでやった市民投票でノーと言われたわけですよ。
したがって、この陸上はだめで海上に行ったものが、海上がだめだということは陸上もだめだということなんですよ。これは当たり前のことなんですよ、そんなことぐらいは。そのことを無視されて、いやこれは海上だけだったという話ですね。これはおかしいでしょう。
それともう一つは、もう一つ言うならば名護市長は埋め立てはいいと言っているわけですよね、今おっしゃるような話で言えば。すると、公有水面云々でいえば埋め立てはどうなるんですか。つまり海上基地はこの第1条にある公有水面で言ってだめだというんであれば、これは埋め立てもだめでしょう、公有水面にかかるわけですから。そうすると知事のおっしゃるのは陸上のみとなってしまいますね、それでいいですか。
それともう一つは、知事の今回のお話と6月、私は違うと思っているのは、6月議会では知事は確かにこうおっしゃったと思うんですね。数案を絞り込んでいると、数案ですね。今議会は皆さんよく注意して聞かれたらわかると思うんですがね、数案がなくなっているわけですね。つまり絞り込みの最終段階と言っているわけです。
これは知事、1本に絞り込んでいると理解していいんでしょうか。つまりもう一つは、その振興策とそれから基地跡利用が前提だといっている。もし数案だとすれば、数案を出すんであれば数カ所の振興策をセットしなきゃならぬわけですね。これはどうですか、その関係は。それをお答えください。最初のものも含めてお答えをしていただきたいと思っております。
それからもう一つちょっと時間がありませんが、政策参与が出した案文ではこうなっているんですね。そのような事実はなく、批判や懸念は杞憂となっているんです、杞憂。杞憂というのはあり得ないことなんですね。これを知事は記者会見では、そういう可能性はなかったというふうに直されているわけです。だから知事は、この参与が出した文書自体も行政でまたこれを改ざんされているわけですよね。
行政ではどうなっているかというと、さっき言ったようにそのような批判、懸念は必ずしも事実を反映したものではないとの結論に達したと。杞憂をそういうふうに直しているわけですね。その辺の関係はいかがですか。
○知事(稲嶺惠一) 普天間飛行場の移設についての基本的な考え方について再度述べたいと思います。
普天間飛行場の移設については、現在国に提示するための絞り込み作業を進めており、最終的な段階でありますが、移設後の跡地利用問題や移設先の振興策について特段の配慮がなされる必要があると考えております。
そうした中で、できるだけ早く決定できるよう全力を挙げて取り組んでまいります。
あわせて関係市町村の理解と協力が得られるよう十分に調整していきたいと考えております。
そして今議会で複数案をなぜ言わなくなったのかという御質問のお答えでございます。
普天間飛行場の移設先選定に当たっては、国内の類似施設の実態調査を初め空港建設の可能性や地域の振興開発、産業振興策等さまざまな観点から検討を行っているという移設先の絞り込み作業の状況を申し上げたところであります。
なお、移設先については複数案を含めて検討を行っているところであります。
○副知事(石川秀雄) 先ほど御質問の中で、政策参与の報告書の表現とそれから知事のコメントの表現が違うんじゃないかという部分についてお答えいたします。
確かに政策参与の調査結果の中には、そのような事実はなく批判や懸念は杞憂と書かれておりますが、私どもはその部分を引用し知事の立場で申し上げたときに、そのような批判や懸念は必ずしも事実を反映したものでないとの結論に達したという形での引用をさせていただきました。
そういうことでございます。
○玉城 義和 休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時19分休憩
午後3時22分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 先ほど私は公約のこのもとを言っているんで、従来の話し方では常に北部を含めてということは言っております。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後3時23分休憩
午後4時57分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
休憩前に引き続き質問及び質疑を行います。
平良長政君。
〔平良長政君登壇〕
○平良 長政 新平和祈念資料館について。
(1)、平和推進課の平成10年度事務概要(平成11年3月発行)によると、現資料館の「設立理念」と「展示のむすびのことば」の精神を継承し、沖縄の視座から世界の恒久平和を希求する平和祈念資料館を移転改築するとあるが、継承する設立理念と「展示のむすびのことば」の精神及び沖縄の視座とは何か。
(2)、沖縄戦は、沖縄県民にとってどういう戦争だったのか。他の戦争との違いは何か。日本軍は県民に何をやったか。
(3)、沖縄戦について県史を初め県内の市町村史が沖縄戦体験者の証言収集とそれと並行した調査研究によって戦後の半世紀に仕上げられた研究成果は、内外から多大な評価を受けていると聞いているが、一方でこれらは歴史資料としては一級品とは言えないと評価しない学者が沖縄にも出てきたと聞いているが、知事はこれら研究成果をどう評価しているか。
(4)、国策を批判するような展示はいかがなものかとの3月23日の知事発言(知事は否定しても事務方はそのようにとらえた)が事の発端である。知事発言の真意は何か。沖縄県史、市町村史や沖縄戦研究者の研究成果を尊重して展示に活用するのか。中央政府の意向や行政の立場が優先するのか。
(5)、資料館問題で、ましこ・ひでのり氏は9月17日付沖縄タイムス紙上で次のように述べている。「ともあれ、かりに韓国政府が日本の経済援助を期待して、「日本軍や警察の残虐行為を強調しないようにしよう」とか、「韓国の経済成長の基盤は日本統治期のインフラ整備にあった」などとして、歴史館の展示を変更したり、日本批判の記述を教科書から締め出したらどうだろう。日本の保守派や官僚は喜ぶだろうが、それは良心に基づく歴史観の選択ではなく、単なる政治的迎合だろう。」。
知事の所見を伺いたい。
(6)、監修委員会の任務と権限は何か。監修委員会設置要綱によると、展示内容の監修の仕事は監修委員会にあり、平和推進課は監修委員会の庶務の仕事ではないか。だれが監修の仕事を担当課(局)に命じたか。知事か、副知事か。
(7)、18項目に及ぶ変更項目案はだれが作成したか。この見直し案が6月下旬の三役調整で了承されたとの新聞報道は誤りか。この変更項目が7月上旬に担当部局から、メモや録音を制止して、口頭で展示工事業者に伝えられたという。この報道も誤りか。
(8)、稲嶺県政になってから県外類似施設の調査を行ったか。その報告書はあるか。
(9)、展示内容について政府や外部団体から圧力があったか。県政与党からはどうか。
(10)、最近全国的に問題となっている「自由主義史観」や「新しい教科書をつくる会」について知事はどのように評価をしているか。
(11)、1982年(昭和57年)9月4日の臨時県議会において、県民殺害の記述の回復を求めて全会一致で採択された「教科書検定に関する意見書」について知事はどのように評価しているか。
(12)、見え消し作業について、ア、だれとだれが作業に関与したか。時期はいつか。
イ、作業はだれの指示で行ったか。
ウ、業者に展示変更を指示したのはだれか。いつしたか。
エ、業者に展示変更を命じておきながら、勉強会だったとか、作業途中だと言っているのはどういうことか。
オ、見え消し作業の全容を公表せよ。
カ、今度の事件で、県民は多くの疑問と稲嶺県政に対する不信を募らせた。この責任はだれが、どのようにしてとるのか。
(13)、沖縄戦証言ビデオについて、ア、ビデオ映像について監修委員会に諮ったか。
イ、ビデオ制作に要する総予算、発注済み額と発注先、発注方法と発注内容はどのようになっているか。
ウ、ビデオの編集作業は未発注と聞いているが、そうか。もし発注済みならなぜ倉庫に眠っているのか。
(14)、資料館の運営について、ア、運営の基本として自主、民主、公開の原則を持つべきだと思うがどうか。
イ、学芸員の配置はどうなっているか。
ウ、平和を目指す県民のとりで、平和運動のとりで、世界に平和を発信するとりでにするため学識経験者、平和学研究者、平和運動家、NGO代表、県議会議員、県職員などバランスのとれた運営協議会を構成して、政権の変遷に左右されない運営を保証する資料館設置条例をつくるべきと思うがどうか。
また、運営協議会は有名無実にしないためにも定例に県民への報告会を開催して運営状況をガラス張りにするなどを明記した条例にすべきと思うがどうか。
エ、財源的にも運営が十分できるよう保証すべきと思うがどうか。
2、基地の環境汚染浄化について。
(1)、米本国における基地閉鎖後の環境浄化施策についての知事の認識はどうか。
(2)、環境を汚染した者が汚染除去についても責任をとるべきとの見解について、どう考えるか。
日米地位協定第4条のアメリカは原状回復義務を負わないという規定は改正すべきだと思うがどうか。
(3)、日米地位協定とNATO軍地位協定及びボン補足協定の違いをどう考えるか。
(4)、過去に返還された基地についても徹底した環境汚染調査をすべきと思うがどうか。
(5)、基地汚染浄化については、基地への立入調査を含めて米本国と同じように有害汚染物質の完全除去を求めて、県は日米地位協定と軍転法の改正を求めるべきと思うがどうか。
3、国際都市「オキナワ」を目指して。
(1)、国連機関の沖縄誘致について。
基地ゼロになっても沖縄が自立して生きていけるために県の国際都市形成構想があった。国際都市オキナワの一つの象徴として国連機関を沖縄に誘致すべく国連沖縄研究会(下地玄栄会長)も結成されている。
国連機関と言っても主要機関、専門機関、自治機関、その他の機関等63の機関があるという。沖縄誘致案として1、国連人権高等弁務官事務所のアジア・太平洋地域事務所案、2、国連本部移設案、3、国連アジア本部案等がある。
いずれにせよ、県としてしっかり討議して県案をまとめ沖縄経済振興21世紀プランに盛り込むべきだと思うがどうか。
(2)、アジア歴史資料センターの沖縄誘致について。
同センターは、1995年8月15日に我が党の村山富市首相(当時)が打ち出した平和友好交流事業の一つであるが、4年ぶりに同構想が動き出したことを大きく評価したい。
同構想の趣旨からすれば、アジア諸国との信頼関係のある沖縄に設置するのが一番妥当と思う。県は、誘致に積極的に動くべきだと思うがどうか。
4、沖縄向け週刊誌の航空輸送について。
情報化社会と言われる時代において、沖縄への週刊誌は依然として船便であり6日おくれとなっている。速報性の高い週刊誌で1週おくれでは読む人が少ないのは当然のことである。国民全体の知的水準を高めるためには、情報や知識が全国どこでも平等に確保されなければなりません。離島県だからといって1週間もおくれていいわけはありません。
沖縄向け週刊誌を航空輸送にして、出版文化情報の本土格差是正を図るべきと思うがどうか。そのため県は、どのように政府や関係機関に働きかけるか。
5、交通政策について。
(1)、バス4社統合問題について、ア、統合合併の進捗状況はどうか。
イ、統合に向けての県の対応は十分か。
ウ、4社統合とモノレール導入後の雇用対策を県としてどのように考えているか。
(2)、米軍スクールバスの契約方法の変更の動きがある。今回から車両と運転手と別々の契約となり、車両は大手自動車の入札参入が図られた。失業率の高い沖縄でさらに雇用不安が高まっている。これまで23年間も琉球バス1社のみで入札、契約してきた。しかも琉球バスは現在会社再建途上である。大きな問題である。県は、どのように対応するか。
(3)、二種免許取得のための受験機会の拡大について、ア、沖縄県におけるバスとタクシーの輸送人員の実績はどうなっているか。全国と比較してどうか。
イ、本島内のタクシーの企業数、保有台数、乗務員の必要人員と不足人員はどうなっているか。
ウ、二種免許の技能試験及び不合格者に対する再試験は、沖縄では2から4週間の日時を要している。他県では、即日ないし二、三日が普通である。失業率が高く、タクシー会社での乗務員不足を考えても他県並みに受験用車両や技能試験官をふやして受験機会を拡大すべきと思うがどうか。
待ち日数は、できる限り短縮するよう努力すべきであるとの通達も出ている。
以上です。
○知事(稲嶺惠一) 平良長政議員の質問にお答えいたします。
最初は新平和祈念資料館についてでございまして、沖縄戦は、沖縄県民にとってどういう戦争だったのか、他の戦争との違いは何か、日本軍は県民に何をやったかと。お答えでございます。
沖縄戦は、今次大戦における国内を戦場とした唯一の地上戦であり、非戦闘員である多くの住民が戦闘に巻き込まれて戦場を逃げまどうという悲惨な状況であったと理解しております。
また、その戦場において県民の各種の証言等に見られる状況もあったということも承知しております。
続きまして、同じく沖縄戦について県史を初め県内の市町村史が証言収集、調査研究、これらの評価について最近歴史資料としては一級品とは言えないと評価しない学者が出ているが、どう考えるかという御質問についてでございます。
沖縄県史は、1965年(昭和40年)から77年(昭和52年)にかけて琉球政府及び沖縄県教育委員会によって刊行されました。1967年からは沖縄資料編集所が編集に当たりました。
また、県内53市町村のすべてにおいて市町村史あるいは写真集などが発刊されています。これら県史や市町村史の編さんに携わってこられた方々の業績に心から敬意を表したいと思います。
さて、お尋ねの件ですが、知事としてもこれらの沖縄県史や市町村史の評価につきましては、一級品と評価すべきものと考えています。
次に、新平和祈念資料館について、国策を批判するような展示はいかがなものかとの発言真意は何か、あるいは県史、市町村史の展示を活用するのか、中央政府の意向や行政の立場が優先するのかということと、資料館問題でましこ・ひでのり氏の内容につきまして知事の所見を伺いたいということへのお答えでございます。
一括してお答えいたします。
平和祈念資料館の展示に当たっては、当然沖縄戦の実相をきちんと伝えていくことがその基本であり、あわせて世界平和に結びつくような資料館をつくっていくことが大切であると考えております。
次に、展示内容について政府や外部団体、県政与党から圧力があったのかということでございます。お答えでございます。
展示内容に外部から圧力があったということはございません。
次に、最近全国的に問題となっている自由主義史観や新しい教科書をつくる会について、知事はどのように評価しているかという点についてのお答えでございます。
自由主義史観や新しい教科書をつくる会について、知事としての立場で評価することは差し控えたいと考えます。
ただ、言えることは、歴史学なり歴史教育は、客観的な科学的検証を踏まえた歴史的事実をきちんと教えることが基本だと考えます。
次に、1982年(昭和57年)9月4日の臨時県議会において、県民殺害の記述の回復を求めて全会一致採択された教科書検定に関する意見書について、知事はどのように評価しているかについてのお答えでございます。
教科書検定に関する意見書は、沖縄戦の体験を正しく伝え、悲惨な戦争を再び起こさないようにするために県議会において全会一致で決議されたものと承知しています。
平和祈念資料館の展示に当たっては、沖縄戦の実相をきちんと伝え、広く世界の平和に結びつくようなものにしていきたいと考えています。
次に、基地の環境汚染浄化についてでございます。
米本国における基地閉鎖後の環境浄化施策についての知事の認識はどうかと。お答えでございます。
米本国では、国家環境政策法に基づき、連邦政府が環境に重大な影響を与えるおそれのある事業を行う場合には、事前の環境影響評価とその公表を義務づけています。
また、土壌等の汚染を防止、是正するための資源保護回復法や既に汚染された土壌等を浄化するための基金を設置し、当該基金により浄化を行った後に汚染の原因者にその費用を負担させるためのスーパーファンド法が制定されているなど、基地の環境調査及び環境浄化等に関する制度上及び財政上の措置が整備されているものと認識しております。
次に、国際都市「オキナワ」を目指して、沖縄への国連機関の誘致を検討し21世紀プランに盛り込ますべきであると思うがどうかという御質問へのお答えでございます。
国連機関を誘致することは、我が国の南における交流拠点の形成、太平洋・平和の交流拠点(パシフィック・クロスロード)の形成を目指す本県にとって大きな意義を持つものと考えています。しかしながら国連機関が設置されている東京都、福岡県などの自治体では、その維持運営に関し相当な財政的負担を行っていると聞いております。
御提言の国連機関の誘致につきましては、今後国連機関や国の動向、国連と密接な関係にあるNGO組織の活動などに注視するとともに、本県に誘致する効果等を総合的に勘案し、前向きに検討してまいりたいと考えております。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○文化国際局長(金城勝子) 平良議員の御質問にお答えいたします。
まず、新平和祈念資料館についてでございますが、新資料館に継承いたします現資料館の設立理念と「展示のむすびのことば」の精神、それから沖縄の視座とは何かというお尋ねでございます。
本県は、去る大戦で一般住民を巻き込んだ地上戦が展開され、20万人余のとうとい人命が失われたという特異な歴史的体験から戦争の不条理と平和の大切さを身を持って感じております。
このような観点に立って、沖縄戦の教訓を正しく次の世代に伝え、世界の恒久平和に寄与することであると理解をしております。
次に、監修委員会の任務と権限は何か、展示内容の監修の仕事は監修委員会にあって、平和推進課は庶務の仕事ではないか、だれがその仕事を担当課に命じたかという御質問でございます。
監修の仕事は、すべて監修委員が行うものではなく、まず事務局案を作成して、これを監修委員に提示して監修してもらうことになっております。したがいまして、事務局案を作成する担当課の作業は本来の業務でございます。
それから、18項目に及ぶ変更項目案はだれが作成したのか、6月下旬の三役調整で了承されたとの新聞報道、それが7月上旬に口頭で展示業者に伝えられたという報道についてのお尋ねでございます。
この項目は、展示内容を検討する中で、特に十分な検討が必要であるとのことで整理されたものであります。最終的には、変更が必要なものも含めてすべての展示に関し監修委員に諮るという姿勢に変わりはございません。
御質問の内容が新聞報道と若干異なるようでございますけれども、報道されている時期と内容ともに言われているようなことはございません。
それから、稲嶺県政になってから県外類似施設の調査を行ったかということでございます。そしてその報告書はあるかというお尋ねでございますけれども、新平和祈念資料館は基本構想や基本計画の策定の過程では委員等による類似施設の調整が行われておりますけれども、稲嶺知事が就任してからは建築工事も終盤に差しかかっており、特に調査はございません。
それから、新平和祈念資料館につきまして、だれとだれが作業に関与したか、またその時期、作業はだれの指示で行ったか、作業に展示変更をしたのはだれか、業者に展示変更を命じておきながら、勉強会とか、作業途中だというのはどういうことか、見え消し作業の全容を公表せよ、今度の事件で県民は多くの疑問と不信を募らせたのだけれども、この責任はだれが、どのようにとるのかというお尋ねでございます。
まとめてお答えいたします。
県の事務方の検討過程での考え方の一つでありまして、それがそのまま展示内容となるものではありません。展示内容については、県と業者の間で検討した結果を監修委員会に諮り、決めていく手順を踏んでおります。したがいまして監修委員会へ諮ることなく展示内容を変更するということはあり得ません。
なお、資料の公開につきましては、9月29日の監修委員会と記者クラブにおきまして配布・公表されているところであります。
次に、ビデオ映像について監修委員に諮ったか、ビデオ制作に要する総予算、発注額と発注先、その方法と内容、ビデオの編集作業は未発注と聞いているがそうか、もし発注済みならなぜ倉庫に眠っているかというお尋ねでございます。
一括してお答えいたします。
沖縄戦の証言の映像記録については280名が収録されておりますが、担当部局において適当な収蔵設備がないことから、マスターテープは委託契約によって収録業者において保管してもらっておりますが、予備のテープはすべて平和推進課に納品されております。
そのうち、第4展示室、新しい資料館の「証言の部屋」でございますけれども、そこで活用する分として100名分については展示委託契約の中で展示業者において編集されることになっており、現在、サンプルを作成しながら編集方針を固めつつあるところであり、最終的には監修委員会に監修をお願いすることになります。
総額では15億余りの展示委託契約でございますけれども、その中に今言いましたテープの件が入っているわけでございます。
それから、新しい平和祈念資料館の運営の基本として自主、民主、公開の原則を持つべきであるがどうかということです。学芸員の配置はどうなっているか、また平和を目指す県民の心のとりで、平和運動のとりで、世界に平和を発信するとりでにするために学識経験者や平和研究学者、平和運動家等のバランスのとれた運営協議会を構成して政権の変遷に左右されない運営を保証する資料館設置条例をつくるべきだと思うがどうか、また同協議会は有名無実にしないために定例に県民への報告会を開催して運営状況をガラス張りにする条例にすべきと思うがどうか、財政的にも運営が十分できるように保証すべきだと思うがどうかという御質問でございます。
一括してお答えをいたします。
平和祈念資料館移転改築基本計画によりますと、平和の創造と発信を実効性のあるものにするために第三者機関として運営協議会(仮称)が設置されることになっておりますので、これによって開かれた運営が保証されるのではないかと考えております。
さらに、学芸員の配置等の管理運営面での問題についても、その機能が十分発揮されることを念頭に現在検討しているところでございます。
以上でございます。
○知事公室長(親川盛一) 平良長政議員の基地の環境汚染浄化についての質問のうち、2番目の日米地位協定第4条のアメリカは原状回復義務を負わないという規定は改正をすべきじゃないかということと、3番目の日米地位協定とボン補足協定の違いをどう考えるかという点と、5番目の基地汚染浄化については米本土と同じように取り扱うよう地位協定と軍転特措法の改正を求めるべきだと考えるがどうかという質問事項について、関連しますので一括してお答えをいたします。
日米地位協定第3条第3項は、「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行なわなければならない。」ことを規定し、また同協定第16条では日本国の法令尊重義務を規定しております。
しかしながら、政府は、一般国際法上、外国の軍隊が駐留する場合に、地位協定あるいはそれに類する協定に明文の規定がある場合を除いては接受国の国内法令の適用はないとの見解を示しており、我が国の環境法の適用はないとされております。
このようなことから、基地内への立入調査が容易に認められず、県は基地の環境汚染の実態を把握することができない状況にあります。
また、日米地位協定第4条第1項で、米国は、施設・区域を返還する際の原状回復義務を免除されていることなどが基地の環境問題に関する地位協定上の問題点だと考えます。
県では、去る8月、国に対し駐留軍用地の返還に際し環境浄化処理の確認調査など国の行うべき措置について明示するよう「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」いわゆる軍転特措法の改正を要請したところであります。
また、来る11月には、いわゆるボン補足協定で駐留NATO軍に対して国内法を適用するなど制度が整備されているドイツを実地調査することにしており、その調査結果などを踏まえて日米地位協定の見直しを含め環境調査及び環境浄化に係る制度上及び財政上の措置を政府に求めていきたいと考えております。
以上でございます。
○文化環境部長(宮城光男) 過去に返還された基地について、環境汚染調査をすべきじゃないかという御質問にお答えします。
返還された地域において有害物質が発見された事例としては、平成7年11月に返還された恩納村通信所跡地の汚水処理施設の貯留槽の汚泥からPCB等が検出され、また平成11年3月に返還された嘉手納弾薬庫地区ではバルブボックス内の土壌から六価クロムと鉛が検出されたことなどがあります。
その他の返還跡地については、環境が汚染されたとの情報がなく調査は行われておりません。
しかしながら、これら返還された跡地について、今後PCB等の有害物質で環境汚染が疑われるような新たな情報があれば、当該地域については迅速に調査することを国等に要請するなど適切に対処してまいりたいと思います。
次に、沖縄向け週刊誌を航空輸送にしてはどうかという、航空輸送に関する御質問にお答えします。
週刊誌を本土からおくれることなく、県内においても同時に見ることができるよう輸送手段を船から飛行機に変更することは必要であると思います。
しかしながら、変更に伴いまして多額の経費が必要となります。その経費を助成することは、特定の商品に対する助成になるということなどから困難であると思われますけれども、今後、課題や問題点などについて検討していきたいというふうに思います。
以上です。
○企画開発部長(宮城正治) 国際都市「オキナワ」を目指しての関連で、県は、アジア歴史資料センターの誘致について積極的に動くべきだと思うがどうかという御質問に対してお答えいたします。
「アジア歴史資料センター」──これは仮称でありますが──の設立検討のための有識者会議の提言によりますと、アジア歴史資料センターは、日本とアジア近隣諸国等との近現代におけるかかわりに関する史料、文献・図書等の資料の収集、保存、整理、検索及び利用に関する事業などを行う施設として位置づけられております。
御提言の同センターの誘致につきましては、沖縄経済振興21世紀プランに提示されておりますアジア・太平洋の交流拠点の発展に関連する事業等との整合性を検討するとともに、国の動向も見ながら総合的に勘案して検討していきたいと考えております。
以上です。
○地域・離島振興局長(山川一郎) バス4社統合合併の進捗状況についてお答えをいたします。
沖縄本島バス4社は、モータリゼーションの加速による業績悪化、乗り合いバス事業の規制緩和、都市モノレールの開業等バス企業を取り巻く環境の著しい変化に対応するとともに、公共交通の使命を認識し経営の健全化を図るため統合することで平成9年6月23日、4社で合意がなされております。
平成10年4月には4社の代表者で構成する企業統合委員会が設立され、同年5月には事務局が発足し、そのもとに総務部会、財務部会、運輸部会が設置されております。
平成10年12月には、沖縄総合事務局から乗り合い部門を新会社に統合するバス4社統合スキーム案が提示されております。
平成11年6月29日には、バス4社間において平成13年度の乗り合いバス事業の規制緩和の実施までに4社の乗り合い部門を統合することを目途として本年内に結論を得ることとする合意がなされております。
現在、4社統合委員会の中で新会社の組織、資本、財務事業等について具体的な検討を進めているところであります。
次に、バス4社統合に向けての県の対応は十分かについてお答えをいたします。
バス企業の統合については、基本的には当事者が主体的に取り組むべき問題でありますが、バス企業の公共性や厳しい現状を踏まえ、県としては沖縄総合事務局、バス4社の社長と数度にわたり統合問題について意見交換を重ねてきたところであります。
県としては、今後、4社統合委員会の中での具体的な協議状況を踏まえつつ、国と緊密な連携を図りながら関係者による協議機関の設置等も含めて積極的に取り組んでいきたいと思います。
次に、4社統合後の雇用対策についてお答えをいたします。
バス企業の統合については、現在、4社統合委員会の中で新会社の組織、資本、財務事業等について具体的な検討を進めているところであり、また労使間で組織するバス4社の統合を進めるための労使協議会を設置する合意がなされております。
県としては、統合の進捗状況等を踏まえつつ総合的な観点から対応を検討していきたいと思います。
次に、沖縄県におけるバスとタクシーの輸送人員の実績はどうなっているか、全国と比較してどうかについてのお答えでございます。
平成9年度の本県におけるバスとタクシーの輸送人員の実績は、バス4785万3000人、タクシー7036万9000人であります。これを平成5年度と比較いたしますとバスは22%、タクシーは16%の減少となっております。
また、全国の平成9年度の輸送実績は、バス53億9984万8000人、タクシー26億1496万人で、同じく平成5年度と比較しますとバスは13%、タクシーは10%の減少となっており、全国より本県の減少率が高くなっております。
次に、本島内のタクシーの企業数、保有台数、乗務員の必要人員と不足人員はどうなっているかについてお答えをいたします。
平成10年度末における沖縄本島のタクシーの企業数は135社、その保有台数は3389台となっております。
乗務員の必要人員と不足人員につきましては、沖縄県タクシー協会の平成11年8月末の調査によりますと乗務員の必要人数は9695人、確保されている人数が8874人、差し引き821人が不足人員となっているとのことであります。
以上でございます。
○土木建築部長(銘苅清一) モノレール導入後の雇用対策についての御質問にお答えいたします。
県では、平成15年度の都市モノレール開業時に予定されている那覇市域のバス路線再編実施に向けてことし3月に学識経験者、関係行政機関及びバス事業者で構成する検討委員会を設置し、開業2年前の平成13年度をめどに再編実施案を策定することにしております。
この実施案によって生じる雇用対策については、バス事業者との協定書及びバス路線再編検討委員会の審議状況を踏まえながら行政機関、学識経験者等による検討機関を設置し対処していきたいと考えております。
以上です。
○商工労働部長(宮城春一) 平良長政議員の交通政策についての御質問の中の、米軍スクールバスの契約方法が変更され、その入札に大手自動車会社が参加している、これまで琉球バスが23年間契約を継続してきており会社も再建途上である、県はどう対応するかという趣旨の御質問にお答えいたします。
軍スクールバスの運行業務については、琉球バスが昭和51年から継続して米軍と契約を締結し同業務を誠実に履行しておりますが、2000年7月末の契約期限を前に次回に向けた入札が行われております。
これまでは車両部門、メンテナンス部門、運転部門の一括入札が行われてきましたが、今回から車両・メンテナンス部門と運転部門に分けた入札方法に変更されております。
車両・メンテナンス部門は本土企業1社を含む5社による入札が行われ、9月中旬に本土企業が落札した旨の通知が出されております。残る運転部門の入札は12月に予定されております。
今回の落札通知に対し県内企業から疑問点等が寄せられていることから、近日中に米軍関係機関に対し入札手続、落札根拠等についての事実確認を行う予定にいたしております。
その調査結果を踏まえて適切に対処する考えであります。
以上でございます。
○警察本部長(西村泰彦) 運転免許のうち、二種免許取得のための技能試験の受験機会を拡大すべきではないかとの御質問にお答え申し上げます。
当県では従来、平良議員御指摘のとおり、二種免許の受験申請から受験までのいわゆる待ち日数が他県と比べまして長いという現状がございました。
これは例えば再試験の場合、申請日から試験日まで練習のためある程度の日数の確保を希望する方が多いこと、また本県の場合、他県に比べまして離島が多いことなどといった事情もありまして、受験者が多い場合にはやむを得ず長期になるといった状況でございました。
しかしながら、こうした現状を踏まえまして種々内部努力を行いまして、現在では待ち日数は5日程度に短縮されております。今後とも効率的に事務を処理し、できる限り受験までの期間を短縮し受験者の御希望に沿えるよう努力してまいりたいと考えております。
○平良 長政 議長、休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後5時43分休憩
午後5時46分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) ただいまの件についてお答えいたします。
事実を事実として伝えるということが大変重要であると考えております。
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
稲嶺県政になってから県外類似施設の調査を行ったか、その報告書はあるかというお尋ねでございました。
私は、それはありませんということをお答えしたんですけれども、せんだってお答えしたのは、私は報告書をつくるというそういった本格的な調査の意味でこれはとりまして、私が参りましたのは3月25日の夜行って、26日にかけまして大阪にあります「ピースおおさか」に出張いたしまして、展示業務の最中を参観いたしまして、いろんな業務を聞いてまいりまして、そういった意味での出張でございまして、報告書をつくるような調査と、そういう意味ではございませんでしたので、きょうはそういう調査はございませんというふうにお答えしたわけでございます。
そして、私が出張に参りましたものにつきましてはちゃんと復命書はございます。
以上でございます。
○平良 長政 再質問いたします。
3月23日の知事の、国策を批判するような展示はいかがなものかというところからすべては始まっただろうと思います。しかし知事はそういうことは言ってないというようなことでありますが、新聞によりますと、いわゆる知事への説明会を終わって課に戻った職員は、困ったね、どうしようと。知事から展示の見直しを迫られたというふうに受けとめたというふうに言っていますし、また知事もかわったので知事からも出さないといけないというところから、そういう課内でのいろんな勉強会が始まっただろうというふうに思います。
そして8月13日にはある幹部が、私の責任で、私が指示して直させたという報道もあるわけで、こういう問題は三役の関与を否定して部下へ責任を転嫁をするということは絶対間違ったことでしょうし、また情報の漏えいで犯人捜しをするなどもってのほかだろうというふうに思います。
そこで、3月23日の説明会で知事は何を見られて、どういう説明を受けて何を指示したのか、お答え願いたいと思います。
そして新聞報道がずっとこの間やられているわけで、半年ぐらいですね。それに対して、もし新聞報道に重大な誤りがあれば知事は当然のこととして誤りであると、毎週月曜日は定例記者懇もあるわけですから、そういうことをしっかり言わないと、抗議、訂正を求めないといけないんではないかと思いますが、それに対してどうでしょうか。
それから、沖縄にとどまらずに世界平和に結びつけてほしいというふうに言ったときょうも言っておりますが、これは言葉どおりにとればとてもいいことですが、実際しかしやったことは、監修委員会に秘密裏に18項目に及ぶそういう一つの歴史観によるやはり改ざんだっただろうというふうに思うわけです。
それは例えば慰安所マップは展示しない、スパイ取り締まりは常設展示はしないと、日本の加害は削除する、日本軍の対沖縄人観は削除する、捨て石作戦ではなくて持久戦に変更するとか、集団死ではなくて犠牲になった人たちに変更するとか、虐殺は犠牲にするとか、あるいはガマの中での日本兵の残虐性が強調されないように配慮するという局長や次長や課長などの勉強会でそういうことを言って、そして展示業者にそれを指示しているわけですが、やはり沖縄戦の残虐性を薄めることで世界平和、世界につながるのかとても疑問であります。
世界にはこれまでいろんな戦争がありまして、同時に、二度と戦争をしないという意味でおのおの戦争の資料館があるわけです。アウシュビッツではナチの残虐性を示す資料館ですし、中国の平頂山では日本軍の残虐性が示され、そして広島、長崎では原爆の残虐性が展示をされているわけで、沖縄の資料館というのはやはり沖縄の戦争の実相をきちっと知らせていく。例えば日本軍が何をしたか、幼児虐殺、スパイ視虐殺、集団虐殺ということもありましたし、国体護持の捨て石作戦というのもあったわけで、そういう個別沖縄の戦争を通じて普遍性を得るというのか、世界平和の希求が生まれると思うんですが、いかがでしょうか。
それから、9月30日に局長、次長、比嘉政策参与の記者会見で、局長は具体的な展示に関する見え消しの資料はあるかについて、あるかどうかわからない、探せばあるかもというような無責任な発言もしているわけです。見え消し作業を自分たちがやったと認めながら、その資料を隠そうとするそういう姿勢に今日の混乱があるのではないかというふうに思います。
それを説明してください。
それから、見え消しの全資料を含めていつ全面公開をするかということも答弁を求めたいと思います。
それから4番目に、比嘉政策参与の調査報告書は一方的であり認めがたいわけですが、知事に雇われた人がやはり知事に矢を向けることはできないはずであります。本人も不十分さを認めて再調査をするという表明をしましたが、いつまでに再調査をするのか、そして再調査の項目は何かということもお聞きしたいと思います。
6番目に、問題は県と業者が今話を聞きますといろいろアイデアを出しながら、そして最終的には監修委員にやるんだと。だから作業途中だと言っていますが、実際はもう監修委員を怒らせて、結局監修委員には諮らずにずっとやってきたというところが一番の問題ですね。
18項目に及ぶ変更項目を展示業者に口頭で伝えたのはいつか、そして文書で伝えたのはいつかということをお示し願いたいと思います。
メモ、録音を制止して、口頭で伝えたことが事実であれば、だれが責任をとるのか、お伺いをしたいと思います。
○知事(稲嶺惠一) 平良長政議員の再質問にお答えします。
最初は、3月23日、これは初めていろいろなセットができまして、それを全員で、全員というのはかなり多くの員数でそれをぐるぐる回ってお話をお聞きしたところでございます。
私が非常に強く、これは基本的におわかり願いたいのは、この平和祈念資料館については、最終的には監修委員会がすべてをきっちりと監修するということになっているわけです。したがって用語一つも事務局案としたものじゃなくて、用語もきっちりそこで決めるというルールになっているわけです。
そこでその一例は、私の方としては世界平和に結びつくようなものをしてほしいということの強い要望を出しているわけです。
そこで、私の考え方としても世界平和に結びつくというのはどういうことかといいますと、当然その原点は私の平和論の中でもこの議会でも申しましたけれども、今までに比べますと、逆に今の時期は一番世界で紛争が多いのではないか。二極構造が、冷戦構造が崩れた後、かえって従来の国ごとの戦争ではなくて、非常に細かい形の紛争が多いわけです。これは民族の問題、宗教の問題、あるいは思想の問題、それ以外に多くの例えば貧困の問題だとか、あるいは環境の問題だとか、数多くのいろいろな問題が複雑に絡み合っているわけです。ぜひそれを世界に、そういうような今の世界に平和を発信できるすばらしい施設にしたいというのが私の考え方でございました。
しかし、現実の形としていろいろ調べてみますと、もう既にかなりの形での基本計画の本体が決まっておりまして、私の実際の申し入れというのは昨日、兼城先生からの御質問の中にもありましたように、ごく一部に私の世界平和に発信する何かの施設と、しかもこれも監修委員会で許可を得てということでございまして、まだあくまでも一つの案の段階になったわけです。
その中で、ですから考え方を持っていたとしても、現実的な形ではそのような監修委員会を通らない限りはこれはできないわけでございます。その意味で私の基本的な考え方というのもほとんどの形では現実的な形ではあらわれなかったわけです。
それと、訂正を何で求めないかということですが、これは従来毎回記者会見の中でもいろいろお話はしてございます。
それから、再調査については、私、実はまだ聞いておりませんので、政策参与の再調査についてはまだ報告を受けておりませんので調査したいと思っております。
○文化国際局長(金城勝子) 平良議員の御質問にお答えいたします。
まず、7月29日の記者会見で資料等探したらあるかもという発言をしたがというんでございますけれども、私としてはいろんな資料等、展示体系表もそうなんですけれども、毎日の業務の中でいっぱいありますので、ほかにもそれはあるかもしれないという趣旨の発言でございまして、もしありましたらそれも可能な限り……(発言する者多し)
毎日の通常業務の、私なんか勉強会の中での一過程の、一つの案でございますから。(発言する者多し)
○議長(友寄信助) 静粛に願います。
○文化国際局長(金城勝子) それから、展示業者に口頭で伝えられたメモや録音を制止して、口頭で伝えられたということにつきまして、職員が実際に業者とは対応するわけでございますけれども、時期としては6月の中旬から7月の初めごろにかけて業者に打ち合わせの段階でメモ等を意見交換の資料としてこれはあげたと。
ですけれども、メモや録音等そういったものはなかったということでございますけれども、そういう報告を受けております。
口頭ではいつか、文書ではいつかというお尋ねでございました。
打ち合わせの段階でこれも同時にという形でございますね。
以上でございます。
○平良 長政 答弁漏れ。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後6時3分休憩
午後6時5分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) お答えをいたします。
本当に私のところにありましたのは2枚でございまして、それは関連のほかの資料も毎日の勉強の中のことですから、探せばあるというふうな表現で私はそのとき言ったんでございます。
それから、業者にいつ会ったかとのお話でございますけれども、私は乃村工藝さんとは1月14日に就任してから、あちらの方は多分監修委員会でこちらにおいでになるときに一度か二度、年度の初めごろに名刺交換的にお会いしただけでございます。業務について話したことはございません。
以上でございます。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後6時6分休憩
午後6時7分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
文化国際局長。
〔文化国際局長 金城勝子君登壇〕
○文化国際局長(金城勝子) 関連するおっしゃるような、どういう表といいますか、資料といいますか、それはもうございましたら全面的に……(発言する者あり) 銃のですか、それはもしあれば当然お見せするわけでございます。
以上でございます。
○喜納 昌春 こんにちは。
平成11年第6回沖縄県議会(定例会)に際しまして一般質問を行います。
私は、本来ならばこの9月定例県議会の焦点は、稲嶺県政の努力や日本政府との太いパイプの中でも何ら変わらない高い本県の失業率や不況の克服とか、地域の混乱を深めこそすれ何ら進まない普天間飛行場や那覇軍港の返還の問題とか、あるいはどう県民的な課題としてサミットを実りあるものにしていくのか、また迫りくるコンピューター2000年問題の対処とか、そうした論議に時間とエネルギーが費やされるべきだったと考えます。
ところが、実際は稲嶺県政の運営のまずさでそうはならずに、8月以来県民がさまざまに論議、問題提起をしてきた沖縄県平和祈念資料館、八重山平和祈念館問題に論議が集中する結果となっています。
これまでの論議での県の立場、主張を聞いていますと、9月24日の政策参与の同問題での報告の中身にあるように、県としては何ら問題はなく批判や懸念は杞憂と考えているようで、県民やマスコミなどが大山鳴動してネズミ一匹といわんばかりの誠意を欠いたもので、では何を我々県民や監修委員会は問題にし、叫び、訴えてきたというのか。
いずれにしても、稲嶺県政の新平和祈念資料館の展示問題等の問題を惹起してきた功罪については、県民の良識で早晩糾弾されると私は考えます。
だが、私は、県当局や与党諸氏が何を騒ぐかと、不当に扱われようとも、これまでの県民の問題提起や県議会での論議で明らかにされてきた幾つかの事実からこの問題の重要性が浮き彫りにされ、幅広い県民コンセンサスと今後の方向性と展望が築かれたものと一定の評価をしています。
県当局の主張や論拠には承服しがたいものがありますけれども、それでも1つには沖縄戦の実相の歪曲は許されないという共通認識、歪曲はしないということ、2つには、県三役首脳といえども介入は許されないということ、今後はしないということ、3つには、監修委員会の意見を最大限に尊重していくということ、そして4つには、監修委員の皆さんが提示、公表を要求しても公表しなかった見え消しの文書が9月28日に金城文化国際局長の手で公表されるに及んで、今後すべての情報を開示していく方向が確認されたことであります。
そこで、昨日の我が党の当山全弘議員の代表質問との関係や、29日の金城局長ほかの会見等に関して以下の質問をいたします。
これは、通告してありませんから、新たなルールにのっとってのあれですから、知事、メモをお願いしますね。3点あります。
第1点目には、9月29日の記者会見で金城局長は、7月31日の稲嶺知事ほか三役への報告業務の場で見え消しを提出し見てもらったと明らかにしましたが、知事は見ましたか。また、そのときその見え消しに対して知事は何とコメントされましたか。
2点目には、知事はこれまで、知事や三役の関与の問題について論議の中で、3月23日の話し合いの中で具体的な指示はしていない、しかし総論的に世界平和につながるような展示にしてほしいと要望してきたと言われておりますが、7月31日に提示された担当部局の見え消しの案を見て、知事はその要望の線に沿うもの、あるいはこたえるものと考えましたか。
3点目に、これまでの論議からすると新平和祈念資料館の監修委員や、任期を終えました八重山平和祈念館の監修委員の意見と県当局の意見や主張には相当食い違いが感じられます。これは、今後沖縄戦の実相を正しく反映した両会館の建設、運営オープン、とりわけ新会館は建設オープンという大きな課題からは誤解を解きながら共通認識を深めるための必要があると私は考えます。
昨日も公明党の糸洲議員からもありましたけれども、所管する委員会で監修委員や県三役、当局に経過と今後のあり方についてじっくり論議されるべきと考えますが、知事及び三役はその場合出席される意思はありますか、御答弁を求めます。
次に、以下通告に従って質問を行います。
第1点目に、この新平和祈念資料館展示改ざん問題の発端は何ですか。また、県は今日の幅広い同問題に対する県民の怒りと抗議をどう認識されておりますか。
第2点目に、稲嶺県政になって9カ月余、この間の監修委員会の会議開催と協議の内容について明らかにしていただきたい。
第3点目に、平成7年11月の新平和祈念資料館移転改築基本構想における同祈念館の目的と役割はどう位置づけられておりますか。
4点目に、移転改築の基本構想は県議会でも論議され県民にも広く開示され決められたものであり、新館は当然基本構想に沿って建設され、展示についても同様の取り扱いになるべきと考えますが、そのように推進されてきましたか。
第5点目に、新館の建設や展示の内容に仮に変更があるとすれば、所管責任のある監修委員会はもとより当然県議会にも案が提示され論議されるべきと考えますが、今回の展示変更騒ぎに関して県の所見を求めます。
6点目に、新平和祈念資料館の展示に関して監修委員の皆さんの意見やマスコミ報道等で沖縄戦の実相をゆがめるゆゆしい行為として指摘されている事項は具体的には何が、どう改ざんされようとしてきたのか、すべて明確に例示をしてもらいたい。これは見え消しが出る前のことですからね。ひとつお願いします。
第7点目に、9月27日の知事の新資料館問題の県の調査報告に関して、ア、この調査の目的は何だったのか。
イ、県はこの報告書をどう位置づけて評価をされておりますか。
ウ、報告書の内容は真相究明にはほど遠く、一層同問題と県のやり方に対する県民の疑問と不信を増幅させたと考えますが、県の見解を求めます。
第8点目に、この問題の根幹をなす沖縄戦の実相をゆがめる方向にあることから端を発した今回の新平和祈念資料館の展示改ざんの暴挙に対する監修委員や県民の怒りと抗議は当然と考えますが、こうしたマスコミを含めての動きに対し報告書の中で、事実を反映していないというのであれば改ざんの事実、なかったことを含めて展示の実施計画や論議などすべて県民に明らかにし釈明する義務があると考えますが、県の御所見を求めます。
第9点目に、新平和祈念資料館の展示計画は今後どのように論議をし、どのように私たち県議会、そして県民に明らかにし実施していくつもりですか。
10点目に、新平和祈念資料館の設置目的は、膨大な沖縄県史の中で証言された沖縄戦における日本軍の実態など沖縄戦の実相を後世に語り継ぎ、二度と国策による戦争の犠牲を受けない、過ちを犯さないための県民の決意と国内外に平和の発信の役目を担ってもらうというのが県民共通の願いであり期待であると考えます。
こうした使命の新平和祈念資料館の展示のあり方に関して、県民のぬぐいがたい不信と怒りを生じせしめた今回の事態に対し、稲嶺知事の責任は重大だと考えますが、責任のとり方を含めて知事の御所見を求めます。
次に、八重山平和祈念館の展示変更問題について質問いたします。
この問題は、さきの新平和祈念資料館の問題とは展示改ざんの問題という点では同じでありますけれども、既に館そのものが問題を残したまま5月28日に開館し、監修委員の皆さんの任期もことし2月で切れた中での地元八重山の郡民や県民、前監修委員の皆さんからの抗議、要請等問題提起となっており、一層迅速で誠意ある対応が県当局に求められていると考えます。
そこで、以下の質問をいたします。
第1点目に、県は同問題の発端、所在をどう考え認識されていますか、具体的に答えてもらいます。
2点目に、ことしの2月4日、県議会文教厚生委員会が建設完了した新祈念館の視察を行ったが、この段階では一切展示内容の変更は説明がありませんでした。この段階での展示計画の内容はどうなっていましたか。
3点目に、同問題での比嘉政策参与が特命された調査の目的は何ですか。
第4点目に、9月27日の同問題で調査した比嘉政策参与は記者会見で、県、監修委員ともにそれぞれの役割を十分に把握していなかった、その点で知的緊張感が足りなかったと言わざるを得ないとの発言に関してです。
ア、稲嶺知事の認識もそうですか。
イ、県が役割を十分に把握していなかったことになるが、具体的にはどういうことですか。また、県が知的緊張感を欠いていたために何が起こったということか、明確にしてもらいたい。
ウ、監修委員が役割を十分に把握していなかったと批判しておりますけれども、何が不十分だったというのか、また委員が知的緊張感を欠いていたために何が起こり、どんな責任があるということですか。
第5点目に、戦争マラリア犠牲者の御遺族を初めすべての八重山郡民や県民の怒りと不信を買っている同問題に対し、県は率直に非を認め当初案での展示と民主的運営を早急に表明し事態の収拾解決に当たるべきと考えますが、この問題に対して県は今後どう対処されるお考えか、明確な答弁を求めます。
次に、コンピューター2000年問題について質問いたします。
この問題に関しては、県議会内でも超党派の議員団で研究会をつくり私もメンバーの一員ですが、自民党の翁長雄志議員を代表にして、研究会としてこれまで学習会を中心に調査研究をし意識を高め、企業や県民の皆さんに問題を提起し、その早急な対策の必要性を訴えてきました。県議会においても何名かの議員諸兄から県当局に真剣な取り組みの提案がなされてきました。
一方、民間の団体でも沖縄コンピューター2000年研究の大城龍昭氏など、問題認識の先端で精力的に活躍される皆さんがこの問題の県民的な課題としての運動を展開されていることに心から敬意を表し、私なども大きな勉強と刺激をいただいていることに感謝をしております。
この2000年問題は、いよいよ2000年の1月1日まで3カ月足らずのところまで来ており、食料の59%、石油の99.7%を輸入に頼る日本は、世界の中で最も2000年問題の影響を受ける国と言われております。その中でも本県は食糧の自給率は脆弱で、エネルギーも石油などによる電力に100%依存している状況にあり、県民生活が危機にさらされる危険性が最も高い県と言われています。
コンピューター2000年問題は、私たち人類にとって初めての体験であり、本当のことその影響、被害の規模や形態、同時多発による相乗効果等は起こってみなければだれにもわからないと言われています。少なくともわかっていることは、コンピューターの中で圧倒的に多数を占める埋め込みチップスは世界の中でその使われている数は約700億個と言われ、膨大な量のソフトの改修など物理的、時間的には対応困難、不可能な部分が残り混乱は避けられないと言われております。
その結果、コンピューターの誤作動などが世界で同時発生した場合は電力、水道、交通などインフラが壊滅的な打撃を受けるおそれがあると言われております。
本県での卑近な例としては、台風18号の通過後、西原増圧ポンプ場のコンピューターの故障で那覇市の3分の2の地域と浦添市、西原町の一部を合わせて約6万世帯が断水し、糸満市などの南部市町村の制限給水と合わせて34万人に影響を与えた事例が記憶に新しいところです。
本県においても公的機関や民間を含めて県民の関心が弱く、大丈夫論が先行している現状で県民が関心を高めみずからの生活の安全と平和に直結する課題としてとらえ、それぞれの機関、企業の対策はもとより個々人の心の用意、生活防衛によるショックと混乱をできるだけ少なくする最低限の努力が急務と思われます。
そこで、県当局の精力的な努力を期待し以下の質問をいたします。
第1点目に、同問題を県はどう認識されておりますか。また県民生活に及ぼす影響をどう想定し、どう点検し対応しておりますか。
第2点目に、県内にある国の機関、県当局及び市町村の同問題に関しての密接な連携と協議が必要と考えますが、どう対応されておりますか。公、私の機関がすべての情報を開示し、予想される混乱に対応できる県民生活の備えと心の準備を早急にPRすべきと考えますが、国の施策と県の施策等を含めての見解を求めます。
第3点目に、県内の食料問題に対する認識と対応等の体制はどうなっていますか。
第4点目に、沖縄電力など県民のエネルギー、電気、電力の供給体制はどうなっておりますか。
第5点目に、水道供給施設の点検、海水淡水化施設のコンピューター等の点検はどうなっておりますか。
第6点目に、県民の生命を守る県立病院など県内医療福祉施設の点検、対応はどうなっておりますか。
第7点目に、観光客の主要交通機関の航空関係の点検と県としての要請を含めての対応はどうなっておりますか。
第8点目に、NTTなど県内の通信施設等のサービス機関の対応はどうなっておりますか。
第9点目に、県内の交通機関の信号機などの安全運行、交通のための施設の点検などの対応はどうなっておりますか。
10番目に、県内行政機関の年金や社会保障、金融業務等に関する対応はどうなっておりますか。
最後に、雇用失業問題について質問いたします。
確かに稲嶺県政になって政府との太いパイプの存在や話し合いの場、協議会などが再開された点の変化は認めます。また、振興策に対する国の側の前大田県政の対応との違いも認めます。
しかし、それでも今日本県における県経済の沈滞と高失業率の実態には何の変化も見せずに一層深刻さを増しつつある状況を、経済に強いと言われる稲嶺県政はどう見、どう努力されているのでしょうか。
そこで、以下の質問をいたします。
第1点目に、総務庁が発表した7月の県内失業率は8.7%で過去2番目に悪い数字となっておりますが、稲嶺県政はこの県政不況をどう分析し、どう対処されるつもりですか。
第2点目に、県職業安定課によると県内の来年3月の高卒者の求人数は、求人が開始された7月末現在で前年同月比の7%減少、特に求人の大部分を占める県外求人が減少し、前年同期の3115人に対し今年度は73.9%減の812人にとどまる深刻な状況となっているとのことですが、この状況をどう打開、対応されますか。
第3点目に、政府が中高年の雇用機会の目的で創設し、他地域に先駆けて県内でことし1月30日から実施された緊急雇用創出特別奨励事業の利用状況とその効果、特に失業率の高い本県での利活用の向上に関しての今後の対策と見通しについて伺います。
第4点目に、県内琉球銀行の公的資金導入の社会的背景と同行の社会的責任をどう考えますか。
それから5点目には、今回の19億6000万円が補正される緊急雇用対策特別事業の中身が高失業に悩む本県にあって、真に雇用の拡大につながる上での施策と展望について答弁を求めます。
○議長(友寄信助) ただいまの喜納昌春君の質問及び質疑に対する答弁は、時間の都合もありますので休憩後に回したいと思います。
休憩いたします。
午後6時29分休憩
午後7時38分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
休憩前の喜納昌春君の質問及び質疑に対する答弁を願います。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 喜納昌春議員の御質問に答弁いたします。
最初は、7月31日の展示体系表の件についてでございますが、7月31日は、その時点における監修委員会に向けての事務方の作業の中間報告を受けました。内容としては、資料館の展示作業の進捗状況や監修委員会に向けての検討状況でありました。
いずれにしましても監修委員会にかけるという前提のもとに作業は進められるものであり、私としては監修委員の先生方の監修結果を尊重してまいりたいと考えております。
次に、新平和祈念資料館の問題でございまして、この調査の目的は何だったのか、県はこの報告書をどう位置づけ評価しているのか、報告書の内容は真相の究明にほど遠いと、かえって不信を増幅させたと考えるが県の見解はどうかということで御質問に一括してお答えいたします。
この調査の目的は、新平和祈念資料館の展示内容をめぐるマスコミの報道等に関し、事実関係を整理し県民の前に明らかにすることにあります。
その結果は建設費約74億円、年間ランニングコスト約3億円を要する一大プロジェクトであるにもかかわらず、事業計画の内容等が県民の多くに理解されておらず、情報公開が必要であるとの結論が示されております。
これを受けまして、県としましては一層情報公開を推進し県民の理解を得るべく努めてまいりたいと考えております。
次に、同じく新平和祈念資料館の問題で、新平和祈念資料館の展示改ざんに対しての怒りと抗議は当然であるということで、その展示の実施計画や論議などを県民に釈明する義務があると考えるが、県の所見を求めるという御質問にお答えいたします。
新平和祈念資料館の展示は、県と展示業者の間で検討を積み重ね、その結果を事務局案として監修委員にお諮りし監修してもらうことになっており、展示内容を県が独断で決定することはありません。
一連のマスコミ報道は、その過程の情報公開の不足から派生した問題であると思われるので、一層の情報公開を推進し県民の理解が得られるよう努めてまいりたいと考えております。
なお、監修委員会の会議録も全委員の了承が得られれば公表していきたいと考えております。
次に、同じく新平和祈念資料館の問題で、新平和祈念資料館の設置目的は、日本軍の実態など沖縄の実相を後世に語り継ぐということと、過ちを犯さないためにも県民の決意と国内外に平和の発信の役目を担うことであると、こうした新平和祈念資料館の展示のあり方に関し稲嶺知事の責任は重大と考えるがその所見を求めるという点についてのお答えでございます。
私は、沖縄戦の実相を正しく伝え、世界平和に結びつくようなすばらしい資料館を完成させることが務めであると考えております。
次に、八重山平和祈念館の展示変更問題について、最初は比嘉政策参与の調査目的は何だったのか、政策参与の県、監修委員ともにそれぞれの役割を十分に把握していなかったと、緊張感が足りなかったと言わざるを得ないとの発言に関してと、知事の認識もそうなのかと、次の県が役割を十分に把握していなかったことになるが具体的にはどういうことかという御質問と、また監修委員が役割を十分に把握していなかったと批判しているが、何が不十分だったのかという5つの御質問に対して一括してお答えします。
八重山平和祈念館に関する政策参与の調査は、祈念館の展示についての事実関係を整理し県民の前に明らかにすることであります。
政策参与の調査の結果は、報道されている批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないこと、そしてこれらの批判や懸念を払拭するためには基本計画や作業工程を広く県民に理解してもらうことが必要であり、そのためには情報の公開が不可欠であると報告されています。
そのようなことを私も認識しております。
そして、県民に理解していただくため広く情報を公開し、地元住民の意向が反映されるよう協議の場を設け祈念館の充実を図っていくことが重要であると考えております。
次に、2000年コンピューター問題に関して、県はどう認識しているか、また県民生活に及ぼす影響をどう想定、点検、対応しているかとの御質問でございます。
御承知のように、コンピューターは金融、医療、エネルギー、交通等私どもの生活全般に深く浸透しており、2000年問題によって生ずる影響を最小限に抑え、2000年への円滑な移行を図ることは重要な課題と認識しております。
県としましては、去る4月に副知事を本部長とする沖縄県高度情報化推進本部のもと、同問題の基本方針となる対応指針を策定し全庁を挙げて取り組んでいるところであります。
現在、各部局等における対策本部及びプロジェクトチームのもと、県民の生命、財産、企業活動または公共の安全と秩序の維持にかかわる重要業務を中心にシステムのチェック、修正、模擬テスト等の総点検及び危機管理計画の策定を完了したところであります。今後とも引き続き総点検の実施及び危機管理計画に基づく取り組みを強化し、万全を期していくこととしております。
次に、総務庁が発表した7月の県内失業率8.7%であるが、これをどう分析、対処するつもりかという御質問に対してでございます。
本県における完全失業率は7月で8.7%、8月は8.6%と若干低下したものの、全国を大幅に上回る水準で推移するなど厳しい状況が続いております。
こうした雇用情勢の抜本的な改善を図るためには、産業振興による雇用の機会の拡大が重要であり、引き続き既存企業の育成や新規企業の誘致等の諸施策を推進しているところであります。
その結果、平成11年8月現在で19社のコールセンター等情報通信関連企業が県内に進出し、既に1104名もの人が雇用されており、今後もIBM沖縄サポートセンター(仮称)やオリックスカスタマーセンター(仮称)等の進出が予定されております。
最近においては、県内景気に改善の動きが見られることも反映して県内有効求人数が卸・小売業やサービス業を中心に7カ月連続して前年同月を上回るという動きもあり、こうした動きを失業者の再就職につなげ、雇用情勢の改善に結びつけていくことが重要であると考えております。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○文化国際局長(金城勝子) 喜納議員の御質問にお答えをいたします。
まず新平和祈念資料館展示改ざん問題について、その発端とまたその問題に対する県民の怒りと抗議をどう認識しているかというお尋ねでございます。
監修委員会の監修は、まず事務局で作成した原案を提示して行うことになっており、今回人事異動等により陣容が変わり内部で行いましたいわば勉強会によって作成された資料が表に出てこのような事態になったものでございます。
県といたしましては、監修委員会の監修を尊重して沖縄戦の実相をきちんと伝え、世界の平和に結びつくようなすばらしい資料館を完成させることが務めであると考えております。
2番目に、稲嶺県政になってから9カ月余り、その間の監修委員会の会議開催と協議の内容について明らかにしてもらいたいというお尋ねでございます。
現在監修委員会においては、各委員会の部会議事録の公開につきましては県の外部資料公開との間で調整中でございます。
3番目に、平成7年11月の新平和祈念資料館移転改築基本構想における同祈念館の目的と役割はどう位置づけされているかというお尋ねでございます。
新平和祈念資料館の移転改築の目的は、沖縄の地から人類普遍の願いである平和を広く内外へ向けて発信し、世界の恒久平和の確立に寄与することを目指し平和の礎の建設にあわせて整備するものであり、その役割は全戦没者への追悼と恒久平和の場、平和の発信と創造の拠点、平和教育、交流及び人材育成の支援、平和のネットワークの構築、平和のデータベースの構築と調査研究となっています。
4番目に、移転改築の基本構想は県議会でも論議され、県民にも開示され認められたものであり、新館は当然基本構想に沿って設立されるものであり、展示についても同様の取り扱いになるべきであるが、どのように推進してきたかということと、新館の建設や展示内容に仮に変更があるとすれば県議会にも案が提示され論議されるべきと考えるが、今回の騒ぎに関連しての御質問でございます。
一括してお答えいたします。
新平和祈念資料館は、基本構想及び基本計画に基づき進められております。
なお、今回のいわゆる「見え消し」と言われるものは、内部の勉強会における資料であって決して監修委員会を無視したものではありません。
県としては、監修委員会の監修結果を尊重して沖縄戦の実相をきちんと伝え、世界平和に結びつくようなすばらしい資料館を完成させることが務めであると考えます。
6番目に、新平和祈念資料館の展示に関して、監修委員の意見やマスコミ報道等で沖縄戦の実相をゆがめるゆゆしい行為として指摘されている事項は、具体的に何が、どう改ざんされようとしていたのか、全部明確に例示してもらいたいというお尋ねでございます。
平和祈念資料館の展示に当たっては、沖縄戦の実相をきちんと伝え広く世界の平和に結びつくようなものにしていきたいと考えております。
なお、県側の資料につきましては9月29日の監修委員会と県庁記者クラブで配布、公開されているところであります。
次に、新平和祈念資料館の展示計画は今後どのように論議をし、どのように県議会、そして県民に明らかにして実施していくのかというお尋ねでございます。
展示計画については、監修委員会の承認のもとに作成された基本計画、展示設計シナリオに基づき進められていきます。
展示計画の公開については、監修委員会に諮り決めていきたいと考えております。
次は、八重山平和祈念館の展示変更問題でございます。県は、同問題の発端、所在をどう考え認識されているか具体的に答えてほしいということでございます。
八重山平和祈念館の展示内容については、平成11年2月の最終の監修委員会の検討結果を受け、事務局案を作成し、5月10日に本島在住の2委員、同13日に八重山在住の5委員に報告をいたしました。
その中で集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関していろいろな御意見がございましたので、事務局として6月11日に八重山在の元監修委員に再度その処理方策を提案し検討していただきました。
その結果、3点の要望事項について同意が得られたものと理解いたしまして展示業務を完了したものでございますが、展示の経過に関し修正方法やその経過について十分でなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分生かされるような協議の場を設け同祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
次に、ことし2月4日に県議会文教厚生委員会が建設完了した祈念館の視察を行ったが、一切展示内容の変更は説明がなかった、この段階での展示計画の内容はどうなっていたのかということでございます。
展示内容に関しましては、八重山平和祈念館の監修委員会が平成11年2月に終了しておりますが、県としては監修委員会の意見を尊重する立場から、5月10日に本島在住の2名の委員の方に、また同13日には八重山在住の5名の委員にそれぞれ報告をいたしました。
その結果、集団自決の写真パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、戦争マラリア略年表のパネルに関して意見が出されました。
そのことについて再度監修委員会にお諮りするために、6月11日に八重山地域の元監修委員に御検討いただきました。
その結果、3点の要望事項につきまして同意が得られたものと理解いたしまして展示業務を完了したものでございますけれども、その経過に関して修正方法や、その経過について十分でなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分生かされるような協議の場を設け、祈念館の充実を図ってまいりたいと思います。
それから同じく八重山平和祈念館ですけれども、県は率直に非を認め、当初案での展示と民主的運営を早急に表明し事態の収拾、解決に当たるべきだと考えるが、この問題に対し県はどう対処するかということでございます。
八重山平和祈念館の展示内容については、平成11年2月の最終の監修委員会の検討結果を受け、事務局案を作成し、5月10日に本島在住の2委員、5月13日に八重山在住の5委員に報告いたしました。
その中で集団自決の大パネル、波照間小学校児童慰霊祭の大パネル、それから戦争マラリア略年表のパネルに関していろいろと御意見がありましたので、翌6月11日に事務局として八重山在の元監修委員に再度その処理方策を提案し検討していただきました。
その結果、3点の要望事項について同意が得られたものと理解いたしまして展示業務を完了したものでございます。
しかしながら、その経過に関し修正方法や、その経過について十分ではなかったという御指摘もあることから、今後地元の意向が十分生かされるような協議の場を設けて祈念館の充実を図っていきたいと考えております。
以上でございます。
○企画開発部長(宮城正治) コンピューター西暦2000年問題に関連いたしまして、県は国や市町村との連携についてどう考えているか、また県民への広報についてはどうかという御質問にお答えいたします。
国においては、平成10年9月に内閣総理大臣を本部長とする高度情報通信社会推進本部でコンピューター西暦2000年問題に関する行動計画及びコンピューター西暦2000年問題対応指針を決定し、各領域において官民を挙げた具体的な行動が必要であるとしております。
また、地方自治体や金融、エネルギー、情報通信、交通、医療など社会経済活動上重要な分野に対しても一層の取り組み強化を求めております。
県におきましても、先ほど知事が答弁いたしましたように沖縄県高度情報化推進本部のもと、国のコンピューター西暦2000年問題対応指針に準じたコンピューター西暦2000年問題沖縄県対応指針を平成11年4月に策定しております。
これに基づきまして後ほど各部局長から答弁がありますが、各部局等に対策本部及びプロジェクトチームを設置し、重要業務等の危機管理計画を策定するなど全庁を挙げた対応を進めてきたところであります。
さらに県内市町村等との連携を密にしながら、県民生活に支障が生じないようインターネット、テレビ、ラジオ、新聞等を活用し適切な広報活動に努めていくこととしております。
同じく3の(8)を先に答弁させていただきたいと思いますが、NTTなど県内の通信施設等のサービス機関の対応はどうなっているかという御質問であります。
県内の通信事業者のいわゆるコンピューター2000年問題への対応につきましては、その取り組み状況を照会いたしましたところ、西日本電信電話株式会社──NTT西日本でありますが──におきましては、本年6月までに通信系及び支援系の重要なシステムについて修正措置及び模擬試験を完了しております。
また、対応の確実性を確保するため本年7月に第三者による監査を実施するとともに、危機管理計画を策定して同計画のもとに2000年4月末まで特別な管理体制を確保しています。さらに同沖縄支店内にも西暦2000年問題対応連絡会を設置して危機管理体制の強化と対応の徹底を図っています。
また、沖縄郵政管理事務所に照会いたしましたところ、郵政省による本年6月末の調査結果では、電話専用線等の通信系重要システムの99.7%、携帯電話の97.8%が模擬テストを完了し、9月末までに100%完了するとのことであります。
危機管理計画については、本年9月末までに99.2%の事業者が策定を完了するとのことであり、県内の第一種電気通信事業者全般の対応につきましては、万全な対応をするため徹底した取り組みがなされている状況であります。
以上です。
○農林水産部長(小那覇安優) 2000年コンピューター問題に関して、県内の食糧問題に対する認識と対応等の体制についてお答えします。
本県は、米及び小麦等食料のほとんどを移入に依存しており、不測の事態の発生による食糧需給の逼迫に備える必要があると認識しております。
現在、県内における食糧等の備蓄状況は米が約2カ月分1万1000トン、飼料用穀物が約1カ月分1万1000トンとなっております。
2000年問題に関する県の体制については、危機管理計画を策定し緊急時に備えた組織体制を整えております。
○商工労働部長(宮城春一) 2000年コンピューター問題に関連して、県民のエネルギー供給体制はどうなっているかという御質問にお答えいたします。
沖縄電力株式会社の対応状況についてでありますが、電力の供給をコントロールしているシステムには日付情報を使用していないため、2000年問題に起因する供給トラブルが生ずる可能性はないことが確認されております。
他方、事務処理系システムについてはすべての対応を完了しております。
運転監視等のシステムについては、ソフトウエアの改修作業がほとんど完了しており、一部については本年の10月までには完了する予定であります。
次に、都市ガスなどの供給についてでございますが、沖縄ガス株式会社においては制御系及び事務処理系システムの対応策についてすべての作業を完了しております。
また、両社とも危機管理計画を策定し、年末から年始の時期において待機要員の大幅な増員を図るなど不測の事態への対応に万全を期することとしております。
同じく2000年コンピューター問題に関連しまして、県内金融業務に関する対応はどうなっているかという御質問にお答えいたします。
県内金融機関のコンピューター西暦2000年問題の取り組み状況につきましては、県内地銀3行に対し照会したところ、預金、融資等の管理を行う基幹システム及びその他のサブシステムについての対応をほぼ完了しております。
全国ネット等への対外接続テストも積極的に行われるなど各銀行における2000年問題への対応は、経営の最重要課題として位置づけられ、万全な取り組みがなされている状況です。
また、信用金庫等その他の金融機関においてもその対応は順調に進められていると聞いております。
次に、雇用失業問題に関する御質問で、県内の来年3月高校卒の求人数が減少している──これは7月末の時点──が、この状況をどう打開し対応されるかという御質問にお答えいたします。
本県の新規学卒者の就職環境は極めて厳しい状況にあるため、新規学卒者の雇用対策は県政の最重要課題の一つとして位置づけ、県内、県外企業を対象とする求人説明会の開催、県外企業職場体験実習及び県外企業職場見学会等の事業を展開しているところであります。
しかしながら、御指摘のとおり平成12年3月高等学校卒業予定者を対象とする求人は、全国的な景気の低迷と企業の高学歴志向や即戦力を求める傾向もあって大幅に減少しており、来春の就職環境も厳しくなるものと懸念いたしております。
こうしたことから、これまでも県幹部が事業主団体を直接訪問して求人要請を行ったことを初め、求人確保に全力で取り組んでいるところであります。
また、11月16日には新規高卒者県内企業合同選考会を、12月15日には東京、神奈川、愛知、大阪及び滋賀の5都府県の協力のもと、コンベンションセンターにおいて新規高卒者県外企業合同選考会の開催を予定いたしております。
今後とも教育行政とも連携を密にしながら引き続き求人開拓に努め、新規学卒者の就職状況の改善に向けて努力してまいりたいと考えております。
同じく雇用失業問題についての緊急雇用創出特別奨励金事業の利用状況と効果、特に本県での利活用の向上に関しての今後の対策と見通しはどうかという御質問にお答えいたします。
緊急雇用創出特別奨励金事業は、45歳以上60歳未満の非自発的失業者を採用した事業主に対して、一人当たり30万円の奨励金が支給される制度であります。
本事業の発動要件は、本県においては連続する2・四半期の完全失業率の平均値が8.1%を超える場合となっており、本年1月30日から4月30日まで実施されたところです。
同奨励金事業の利用状況、効果につきましては、本事業により就職件数は32件となっております。
なお、現在においては本事業は実施されておりませんが、今後再び発動される可能性もあり、その場合には本事業の周知、広報を徹底し、その効果的活用を図ってまいりたいと考えております。
同じく雇用失業問題について、琉球銀行の公的資金導入の社会的背景と同行の社会的責任をどう考えるか、また同行のリストラにより失業者の増大は避けられず他産業に波及する懸念があるが、こうした事態を県はどう考え、どう対応されるかという御質問にお答えいたします。
琉球銀行の公的資金導入の社会的背景としては、金融ビッグバンの総仕上げとも言える2001年4月のペイオフ解禁などの金融機関を取り巻く厳しい経営環境の到来に向け、経営体質の強化と競争力の向上を目指す必要があったことが挙げられます。
調達した資金は、県内の中小企業や個人の資金ニーズに安定的に信用供与され、県の金融システムの安定と地域経済の発展に貢献することにより同行の社会的責任が果たされるものと理解しています。
また、リストラ計画の実施に当たりましては、1、希望退職者を募る、2、定年退職者の補充を控える、3番目に、出向や配置転換を進めるなどの方法により行い、退職者の再就職のあっせんについても誠意を持って取り組むと伺っています。
県といたしましては、人材移動特別助成金や緊急中高年再就職促進訓練事業等の活用を促進するとともに、雇用促進事業団沖縄雇用促進センター等との連携のもとに雇用対策を推進してまいります。
同じく雇用失業問題で、緊急雇用対策特別事業の雇用の拡大につながる上での施策と展望についてという御質問にお答えいたします。
本県の厳しい雇用情勢に対処するため、緊急的な雇用対策として国の緊急地域雇用特別交付金事業により19億5900万円の基金を設置し、平成13年度までの間に取り崩して緊急性の高い事業を実施することといたしています。
今年度、県が実施する事業として教育用コンピューター活用支援事業、テレ・ビジネス産業等人材育成事業、製造業振興普及対策事業、離島における訪問介護員養成研修事業等17事業を予定しています。
平成12年度以降については、11年度からの継続事業に加えて雇用効果の高い新たな事業を追加して実施することといたしています。
また、市町村においては環境美化、福祉・介護、行政情報のデジタル化等の事業を計画しているところであります。
これらの事業は、将来の産業振興や雇用機会の拡大につながるなど、今後の発展性が大きいため雇用情勢の改善に効果があるものと考えています。
以上でございます。
○企業局長(又吉辰雄) 御質問にお答えをする前に、このたびは台風18号による影響、またうちの西原増圧ポンプ場、北谷浄水場の機器の故障によりまして那覇市を中心とする中南部の皆様に断水等で多大な御迷惑をおかけしたことを心からおわびを申し上げます。
今後は、一層施設の点検整備を行いまして故障の防止に努めるとともに、どのような事態にも迅速に対応できるよう体制の整備に努めてまいりたいと考えます。
それでは、2000年コンピューター問題に関しまして、水道の供給施設の点検、海水淡水化施設のコンピューターの点検はどうなっているかとの御質問にお答えいたします。
企業局におきましては、国及び県の指針に基づきましてメーカーとも連携し、西暦2000年問題に対する全コンピューターシステムの点検を行い、供給施設や海水淡水化施設等対応の必要なシステムについてはプログラムの修正と模擬テストを実施し、正常に機能することを確認しております。
また、万が一コンピューターが正常に機能しない事態となった場合は、供給施設を手動に切りかえて対応することになっております。
現在、企業局で策定した西暦2000年問題危機管理計画に基づき実地訓練を行うとともに、ダムを管理する国、市町村、電力会社等との調整を進めているところであり、今後とも関係機関との十分な連携を図りながら万全を期してまいりたいと考えております。
なお、喜納議員の総論の部分で、西原ポンプ場の故障の件でせっかくの御意見、また御迷惑、御心配をかけましたので答弁をさせていただきます。
今回の西原増圧ポンプ場のコンピューターの故障につきましては、直接的にはコンピューター2000年問題とは関係ございません。
復旧に時間を要しましたのは、原因を特定しないまま性急に手動運転に切りかえますと機器に重大な故障を引き起こすおそれがあるため、今回周辺機器の点検作業を含め慎重に故障原因の調査を進めながら手動への切りかえ作業を行いました。その結果、西原増圧ポンプ場の復旧起動に長時間を要したところでございます。
2000年問題で仮にコンピューターがストップした場合には、原因が特定されていること、また今から想定して準備を進めておりますので、手動への切りかえ操作が迅速に行えるため、今回の機器故障に比べ早期に復旧できるものと考えております。
以上でございます。
○福祉保健部長(平良健康) 2000年コンピューター問題に関しまして、県民の生命を守る県立病院など県内の医療福祉施設の点検、対応状況、それから民間の総合病院等につきましても連携を含めましてどうなっているかとの御質問でございます。
お答えいたします。
医療福祉施設における対応状況につきましては、全医療機関、関係福祉施設に対しまして、問題となる医療機器等の把握をすること、模擬テストを実施すること、危機管理計画の策定をすることなど自主的総点検の報告を求めておりまして、適切な対応を図るよう文書や電話等による指導を行ってきたところであります。
なお、県立病院におきましては、医療機器を初めシステム全般にわたって修正や模擬テスト等の点検作業を行い、ほぼすべての作業が終了しております。
現在、2000年問題が発生した場合に患者の生命・健康への危険性が高い救急病院等の重点医療機関を含む全病院と人工透析設備を有する診療所の取り組み状況の調査を行っておりまして、その結果を踏まえて取り組みがおくれている施設に対しましては個別に指導の徹底を図ることとしております。
また、年末年始における2000年問題による障害の発生に備えて福祉保健部内や重点医療機関に職員を待機させまして、国や医療機関との情報連絡体制を確立することによって相互の連携を図ることとしております。
続きまして、同問題に関しまして県内行政機関の年金、社会保障等に関する対応はどうなっているかとの御質問にお答えいたします。
厚生年金、国民年金、健康保険等の社会保険制度においては、コンピュ-タ-処理による年金の支払いや年金の裁定及び健康保険の給付等の業務におきまして国民生活へ影響が生じないようシステムの修正等が実施されまして対応済みであります。また同時に年金等の受け取り機関との接続テストも実施されている状況であります。
また、国民健康保険については、沖縄県国民健康保険団体連合会におきまして保険者である市町村の診療報酬等の事務をコンピュ-ター処理していますが、すべてのシステムについて修正済みであります。また模擬テストも完了しておりまして、不測の事態に備えて危機管理計画も策定する予定との報告を受けております。
○地域・離島振興局長(山川一郎) 2000年コンピューター問題に関して航空関係の対応についてお答えをいたします。
航空分野における2000年問題について、国は航空事業者に対して同問題に関する周知を徹底するほか、模擬テストの実施や危機管理計画の策定等を含む自主的な総点検の実施と四半期ごとの国に対する報告を求めるなどの対応を指示し、現在、作業はほぼ完了していると聞いております。
航空業界では、社団法人全日本航空事業連合会に委員会を設けて対応をしております。
また、那覇空港においては空港管理者、CIQ関係機関及び航空会社等の那覇空港関係者により那覇空港コンピューター西暦2000年問題対策協議会を組織し対応をしております。
各航空会社においては、航空機製造メーカーによる部品、機材の影響調査の実施による安全結果を受けて独自に実際の機材による地上及びフライトデモンストレーションを実施し、安全運航に問題がないことが確認されています。
また、事務処理系、制御系の地上システムについても模擬テストを含めてすべて完了していると聞いております。
このように、国や関係機関、航空業界においては2000年問題に対し万全の体制で対策を講じていることから県としましては特に要請等は行っておりませんが、今後とも2000年問題に関心を持ちつつ、情報収集に努めていきたいと考えております。
以上でございます。
○警察本部長(西村泰彦) 2000年コンピューター問題に関しまして、信号機など交通のための施設の対応状況についてお答え申し上げます。
交通関係施設のうち、2000年問題への対応が必要な機器は、県警察本部交通管制センターにおいて信号機、可変標識などの端末機の制御を行う中央装置であります。
本装置につきましては、本年6月までにコンピューターソフトの改修を行うとともに、模擬試験を実施した結果、問題なく既に対策を終えております。
○糸数 慶子 こんばんは。
通告に基づきまして一般質問をさせていただきます。
まず、知事の政治姿勢について、平和行政について伺います。
稲嶺知事の基地問題、あるいは平和行政に対するスタンスをお伺いいたします。
いまだいえることのない沖縄戦で受けた県民の心身の傷口を再びえぐるような県首脳の行為を考えると、稲嶺県政の県民の心を無視した体質が浮き彫りにされ、危機感すら覚えます。
稲嶺知事の背後には、就任以来総理大臣や内閣官房長官の影が見え隠れし、県民の代表というより、日本政府から出向してきた役人というイメージさえ思い浮かぶとの世評さえあります。
したがって、今回の新平和祈念資料館に係る問題は、新ガイドラインを初めあらゆる戦争準備法遂行のための条件整備の一環として、いつまでも過去の戦争を引きずる沖縄の環境浄化のため国家レベルの施策ではないかと思わざるを得ません。
今回の県の取り組みは、日本政府からいい子として御褒美をいただけるとでも思ったのか、戦前の県の指導者をほうふつさせるような行動です。
もっとも知事は無関係で、部下が勝手にやったような印象を与え、部下に責任を押しつけているような観さえいたします。職員の皆様は、同情を禁じ得ません。行政マンとしての職責を県民の一人として誇りを持って毅然とした態度で全うをしていただきたいと思います。
知事は9月28日、一転して知事は見直しに関与したと認めました。
このような事実関係が二転三転する中で、この事実関係を整理するために知事の特命を受けたはずの政策参与が一片の報告書を提出しただけで、こうした事実解明の場に姿がありません。
政策参与の立場は、本会議の説明要員にはなり得ないのでしょうか。また委員会では可能でしょうか、当局の御見解をお尋ねいたします。
知事は、前大田県政でつくられた平和の礎を高く評価されているようですが、このような事実を踏まえた上で今後この平和の礎を稲嶺県政の平和行政にどのように位置づけていかれるつもりですか、御所見を賜ります。
次に、新平和祈念資料館について、監修委員会の提案していた展示内容がいつ、だれによってなぜ変更されたのか、明らかにしていただきたい。行政内部の責任の所在をも含め、情報の全面公開を行っていただきたい。
また、現行の監修委員会と各部会の会議についても情報公開をしていただきたい。
次に、県は新平和祈念資料館の慰安所マップの展示の取りやめを検討していたと伝えられていますが、これは事実ですか。事実であるならば、その理由を伺います。
さらに、平和の礎には23万人以上の多くの戦没者が刻銘されていますが、朝鮮人従軍慰安婦はだれ一人として入っておりません。彼女たちの多くが朝鮮半島から拉致同然に日本に連れてこられて、日本軍の性の相手としてぼろきれのように扱われ、戦時下では命を奪われ、辛うじて生き残った人もふるさとに帰れる保障がない、そのまま戦場にほうり出されたのです。
そして、そのまま便宜上の日本名さえ明らかでないばかりか、人数さえ正確には掌握されていないのです。
1993年、沖縄女性史を考える会のメンバー数人は、慰安婦の実態がわかれば、せめて県内の慰安所の場所を確認しようと行動を開始しました。131カ所の慰安所があることがわかり、慰安所マップを作成いたしました。
全員がいわゆる家庭の主婦で、夫や子供を送り出した後、手弁当で県内各地を歩き回り、苦労の末確認した数字であります。これが予定していた慰安所マップであります。(資料を掲示)
女性史のメンバーは、困難な慰安婦調査にかわるものとして慰安所の数を掌握し、地元の人たちから証言をとりながら慰安婦の実態に迫ったのです。知事を初めとする県幹部にとって、もし慰安所マップが取るに足らないものと思っていらっしゃるのならば、平和祈念資料館の建設そのものの意味を問わなければいけません。
来年開催されるサミットでは、「平和・安全」、「人間の安全保障」がテーマになっておりますが、この慰安所マップ、そしてこの隣のアジアの国の女性たちの実態を明らかにできない、そういう平和祈念資料館から平和の発信ができるのでしょうか。
新平和祈念資料館の展示変更の18の項目の中で、なぜ慰安所マップは展示しない方向で検討されたのか、その理由を伺いたい。
また、監修委員会の権限の範囲は展示内容の最終的な決定までではないのか伺います。
次に、新平和祈念資料館の開館後の運営について、沖縄戦の史実や占領期の史実、平和教育に詳しい専門職員の配置、条例制定、財源の確保をする必要があると思いますが、いかがでしょうか、知事の御所見を賜りたい。
次に、基地問題について伺います。
普天間飛行場代替地について辺野古、久志、豊原、名護市議会と反対を決めましたが、知事はこの件についてどう思いますか。
また、国立高専の誘致を要請していますが、基地の移設とかかわりがあるのか。移設反対でも辺野古に国立高専を設置されるのでしょうか。
次に、普天間飛行場代替地については、複数の案を検討していると6月議会で知事は答弁なさいました。県案はまとまったのか、お伺いいたします。
読谷補助飛行場用地の戦後処理としての所有権回復については、地主会からの強い要請がありますが、県は国にどう働きかけていくのか、お伺いいたします。
次に、福祉・保健医療行政について伺います。
通院患者リハビリテーション事業について。
医学の発達により、精神障害者が比較的短時間に社会復帰できるようになった今日でも、もとの仕事に戻りたい、あるいは再就職をしたいと思っても社会の精神障害者を受け入れる環境は必ずしも十分とは言えません。
そこで、精神障害者やその家族を取り巻く環境が厳しい状況にあっても、地域の中で暮らし、地域の中で働きたいという願いのもと、小規模作業所をつくり、社会復帰への足がかりを模索しながら、軽作業を中心に共同作業所での生活を営むところも出てきたと聞いております。
そういう状況の中で、通院リハビリテーション事業の予算が削除され、新規者の助成が打ち切られ、関係者は大きな不安を訴えています。
今年度の事業の概要と今後の課題、また県下の通院患者リハビリテーション事業の対象者は何名で、そのうち新年度事業の対象者は何名か、お伺いいたします。
次に、身体障害者の更生医療について伺います。
更生医療の対象者の実態を把握していらっしゃいますか。
移送費助成制度の枠を重度の心疾患患者にも広げられないか、お伺いいたします。
次に、病状が変わらないのに特別児童扶養手当が1級から2級に認定されたケースがあり、不服申し立ての申請をしたら診断書にも再度費用がかかった。非課税低所得世帯の住民票や診断書にかかる費用の免除は可能か、伺います。
次に、こども病院設立について伺います。
母子総合医療センターについてお伺いしたいと思います。
母子保健、小児医療に対しての経費は、福祉かつ未来への投資だと思います。母子総合医療センター設立を考えるとき、沖縄では常に指摘される課題となるのが財政の問題であります。
今、全国あちらこちらにこども病院ができました。そのすべての病院で30%から50%の赤字が出るにもかかわらず、この赤字は子供たちへの福祉であり、未来への投資であるとの認識で県民に支えられています。
新たに宮城県や愛知県で子供専門病院の設立が決定されました。国としても、少子化が進み深刻さを増す日本の社会状況の中で子供たちを大切に守り育てなければという考えから周産期医療センターへの補助、3歳児未満の医療費の無料化、保育園の支援策などを検討し始めています。
この沖縄県において、大切な小さな命を守るため県としても母子総合医療センター、こども病院を設立、運営していくことは将来への大きな投資であり、財産になるとの視点に立って考えていただきたいと思います。
お伺いいたします。
離島県である本県でこそ母子総合医療センターが必要だと思いますが、国立の母子総合医療センター誘致について県は積極的に取り組む意思がありますかどうか、お伺いいたします。
次に、環境行政について。
赤土問題について。
平成7年度から監視調査を行っている12のモニタリング海域の実態調査の実情について伺います。
流域ごとに協議会を設置し、それぞれの河川、海域の特性に応じた対策を総合的に進めていくとの答弁が6月の定例会でありましたが、その後の取り組みについて伺います。
愛知県の矢作川方式を本県も取り入れて、今後の赤土対策の事業に組み入れていただきたいのですが、せんだって平良市の大浦地区でありまし矢作川方式をどう評価されるか、お伺いいたします。
次に、エコ・コースト事業について、本県の進捗状況と今後の事業展開について伺います。
次に、米軍基地の環境問題について。
米国では、環境汚染浄化責任の法的根拠が明確で、財政的基盤が確立され、汚染した側が浄化して返還することが常識になっています。日米地位協定第4条が米軍の原状回復義務を免除しているのがネックになっているが、日米地位協定の見直しについて国にどう働きかけていくか。
米軍用地の環境浄化について、返還後ではなく、事前に立入調査、情報公開ができるよう国に申し入れていただきたい。
嘉手納基地内のPCB調査については、国は補完調査を開始しましたが、PCB以外の有害物質についても調査しないと地元住民の不安解消にはならないと思うが、県は国に対して再度有害物質すべてを対象に調査すべきだと働きかけるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
次に、子供の人権と教育行政について伺います。
児童虐待が急増する中で、都道府県、政令指定都市の6割が児童相談所の今年度の事業費、運営費を前年より削減していますが、特に児童虐待が多発している首都圏の自治体でカットされています。
本県においても、昨年より事業費、運営費が削減され、削減率は神奈川県に次いで2番目だと言われておりますが、予算が削減された経緯について伺います。
次に、この児童虐待については未然防止、児童虐待の実態とそれから救済策、それについて警察本部長、文化環境部長、教育長にお尋ねいたします。
早期発見、早期援助に向けての関係機関の連携が必要だと思いますが、学校現場、児童相談所、警察などの連携プレーはうまくいっているかどうか、お伺いいたします。
次に、我が党の代表質問との関連について、先ほどもお伺いいたしましたけれども、知事は基地問題について、普天間飛行場代替地については移転地が絞り込まれているとの答弁がありました。
地元辺野古区を初め、それから久志、豊原、名護市議会でも反対をしている現状ですが、公約に掲げた陸上、一定の期間に限定した軍民共用、振興開発とのセットの空港はできるのでしょうか、知事の所見をお伺いいたします。
知事の答弁に関しては、1つの案に絞っているのか、振興策とセットするのか、それについてお伺いいたします。
次に、八重山平和祈念館では、悲惨な戦争マラリアという事実を二度と繰り返さないようにという趣旨に基づき、実際のマラリア被害の実態を中心に展示内容やスペースが配分されるべきと考えますが、館内の展示にはマラリア防除、防圧に対するスペースがかなり割かれている。それは本来の目的とは違うのではないでしょうか。
そのようなスペース配分をしたのは、どのような意図や事情があるのか、お伺いしたいと思います。
それと、今回知事は平和祈念資料館に関して関与してないとおっしゃいましたが、新聞の報道によりましたら関与したというふうに報道がなされています。もしこの報道が否定されるならば、知事は報道機関に抗議するつもりはあるのかないのか、お伺いしたいと思います。
答弁によって再質問いたします。
○知事(稲嶺惠一) 糸数慶子議員の御質問にお答えをいたします。
まず最初に政治姿勢についてでございまして、平和の礎をどう評価しますか、また新平和祈念資料館の設立についてお伺いいたしますという御質問についてのお答えでございます。
平和の礎は、沖縄戦などで亡くなられた方々を敵味方なく刻銘しており、戦争の悲惨さ、命のとうとさを訴えるとともに、異質なものに対する沖縄の寛容さがあらわれたもので高く評価しております。
また、新平和祈念資料館の設立理念は、昭和50年に建設された現平和祈念資料館の理念を継承するものであり、県民の個々の戦争体験を結集し、戦没者の追悼と沖縄戦の教訓を正しく次の世代に伝え、世界の恒久平和に寄与することであります。
次に、政治姿勢についてで、普天間飛行場代替地について、辺野古・久志区も反対を決めたけれどもどう思うかと、また国立高専の誘致を要請しているが、移設とのかかわりがあるのかということについてのお答えでございます。
普天間飛行場の移設については、現在、さまざまな観点から政府へ提示する案についての検討を進めているところであり、特定の場所については申し上げられません。
国立高等専門学校の設置については、名護市からの要請等を踏まえ、本県の均衡ある発展や教育の振興を図る観点から名護市辺野古地区が適地であると判断し、今月27日、国へ推薦したところであります。
次に、同じく政治姿勢について、普天間飛行場の代替地については複数の案を検討していると6月定例会で答弁をされたが、県案はまとまったのかということについてのお答えでございます。
普天間飛行場の移設については、現在、国に提示するための絞り込み作業を進めており、最終的な段階ではありますが、移設後の跡地利用問題や移設先の振興策について特段の配慮がなされる必要があると考えております。
そうした中で、できるだけ早く決定できるよう全力を挙げて取り組んでまいります。
次に、福祉・保健医療行政について、通院患者リハビリテーション事業の概要と今後の課題、その次の県下の対象者数と今年度事業について一括して御答弁をいたしたいと思います。
通院患者リハビリテーション事業は、精神障害を持つ方が社会的自立を促進し、社会復帰を図るため一般の事業所において、病気により低下した作業能力や対人関係能力などを取り戻すための訓練を作業を通して行うものであります。
この事業の対象者は、通院中で症状が安定し、働くための訓練を主治医が承認している者となっております。
今年度は、訓練希望者75人のうち新規15人、継続45人の計60人を選考し、36事業所の御理解と御協力を得て実施しております。
本事業開始以来、訓練を受けた方は544人おり、そのうち155人が社会復帰を果たすなどその効果は大きいものがあります。
なお、課題としては対象訓練生の増員、協力事業所の開拓、訓練生及び協力事業所への支援強化、訓練終了者への就労支援などがあります。
次に、同じく福祉・保健医療行政について、国立の母子総合医療センターの誘致について県は取り組む意思があるか伺いたいということについてのお答えでございます。
本県においては、少子化社会における環境づくりを積極的に推進するため、乳幼児医療費助成の3歳未満児までの拡大や、心臓障害等の育成医療に対する医療援護の推進に取り組んでおります。
一方では、本県の乳児死亡率や低体重児出生率等の指標が全国水準をかなり上回っていることから、その改善を図りつつ出生前からの保健指導の充実と合わせて、リスクの高い母児へ適切な医療が提供できる周産期医療体制の整備が求められております。
このため、周産期保健医療協議会において今後のあり方について検討を重ね、去る7月に会長から御提言をいただきました。
この中で、総合周産期母子医療センターの整備を核として保健指導の充実や医療施設間のネットワークの構築を図るとともに、その体制整備に当たっては政策的配慮をもって対応されるよう求めております。
御質問の趣旨につきましては、本県の総合的な周産期保健医療体制の整備を進めていく中で既存の医療資源を十分に活用しながら、母子総合医療の充実強化に努めていく考えであります。
続いて、代表質問との関連から2点ございました。
1つは普天間基地の移設の問題でございます。
普天間の問題について、基本的なお話をいたしたいと思います。
普天間飛行場の移設については、現在、国に提示するための絞り込み作業を進めており、最終的な段階ではありますが、移設後の跡地利用問題や移設先の振興策について特段の配慮がなされる必要があると考えております。
そうした中で、できるだけ早く決定できるよう全力を挙げて取り組んでまいります。
あわせて、関係市町村の理解と協力が得られるよう十分に調整していきたいと考えております。
次に、同じく代表質問との関連で、平和祈念資料館に関連する問題でございます。
7月31日は、その時点における監修委員会に向けての事務方の作業の中間報告を受けました。
内容としては、資料館の展示作業の進捗状況や監修委員会に向けての検討状況でありました。
いずれにしましても、監修委員会にかけるという前提のもとに作業は進められるものであり、私としては監修委員の先生方の監修結果を尊重してまいりたいと考えております。
○文化国際局長(金城勝子) 糸数議員の御質問にお答えいたします。
まず、新平和祈念資料館について監修委員会の提案していた展示内容がいつ、だれによって変更されて、それから行政内部の責任の所在を含め明らかにしてほしいということと、情報の全面公開を行ってほしい、それから現行の監修委員会と各部会の会議についても情報公開してほしいというお尋ねでございます。
展示内容につきましては、県と展示業者との間で検討を積み重ね、監修委員会について諮り、決めていく手順でございます。
議事録などの情報の公開につきましては、現在、監修委員会で検討中でございます。
それから同じく2番目に、新平和祈念資料館の展示変更案の18項目の中で、なぜ慰安所マップは展示しない方向で検討されたのか、その理由を問いたいと、それから監修委員会の権限の範囲については最終的な決定までではないのかというお尋ねでございます。
このことにつきましては、事務段階における検討過程での議論の一つでございました。
いずれにいたしましても、展示内容については監修委員会の意見を尊重して決めていくというのが県の姿勢でございます。
3番目に、新平和祈念資料館の開館後の運営について、占領期の史実・平和教育に詳しい専門職員の配置、そして条例制定、財源の確保をする必要があるがどうかという御質問でございますけれども、新平和祈念資料館の運営の形態、専門職員の確保など、管理運営面の問題についてはその機能が十分に発揮されることを念頭に現在検討しているところでございます。
最後に、八重山の平和祈念館についてでございますけれども、マラリアの被災状況以外の部分にスペースが多くてという御指摘でございましたけれども、それは展示の流れとしてはまず沖縄戦、それからマラリア被災、防圧がありまして、また世界のマラリアというふうに展開するストーリーでございます。
県としてはマラリア関係、もっとたくさんというあれがあったんですけれども、まず第一にマラリア被災関係の実際の実物の資料が使えるものが大変少のうございました。
それと防圧関係につきましては、やはり沖縄のそういった医療を通して、また世界の医療にも貢献しているというそういった子供たちの意識を気づかせる意味でも必要ではないかということで、特にそれは意識的にマラリア関係を少なくしてほかを多くしたということではございませんで、事情はそういうことでございます。
以上でございます。
○総務部長(與那嶺恒雄) 一番最初に、糸数先生の質問の中で、政策参与の常任委員会への出席についての見解についてお伺いしたいという御質問がございましたが、それについてお答えいたします。
政策参与は、地方公務員法第3条第3項第3号に定める非常勤の特別職であります。
その職務は、沖縄県政策参与設置規程に定めており、知事から特命を受けた事項を調査研究し、知事に進言をすることであり、いわゆるアドバイザーとしての位置づけとなっております。
県行政の執行は、知事をトップにして副知事、各部局長等で組織的に対応しているところであります。
政策参与は、事務の執行に関し県行政組織の中で職務権限を付与されたものではなく、執行部の見解を述べる立場にはございません。
このようなことから、政策参与には説明員として知事からの委任はいたしておりません。
なお、平成11年第6回沖縄県議会における議案の説明者につきましては、平成11年9月17日付で知事から県議会の議長あてに通知したところでございます。
以上でございます。
○知事公室長(親川盛一) 糸数慶子議員の知事の政治姿勢に関する質問のうち、(2)のウ、読谷補助飛行場用地の戦後処理としての所有権回復について地主会からの強い要請があるが、県は国にどう働きかけていくのかという御質問にお答えをいたします。
国においては、旧日本軍による接収用地問題について昭和48年から昭和52年にかけて調査を行い、昭和53年、衆議院予算委員会に調査結果を提出しております。
それによりますと、沖縄において戦時中、旧軍が取得した土地は、私法上の売買契約により正当な手続を経て国有財産になったものと判断されるとなっております。
国においては、旧日本軍によって接収された読谷補助飛行場用地の所有権問題について、昭和54年11月28日の参議院決算委員会において、当時の竹下大蔵大臣が、地元地方公共団体から振興開発計画にのっとった利用計画を出していただければ、関係省庁とも十分協議して沖縄振興開発特別措置法、国有財産法等現行法に沿って、できるだけ早く地元地方公共団体に対し払い下げる等の措置を行ってまいりたいと答弁しており、県としても跡地利用計画に基づいて国が払い下げ等を行うことによって解決が促進されるものと考えております。
なお、旧日本軍によって接収された嘉手納飛行場の土地所有権確認訴訟については、平成7年4月25日の最高裁判決において、当時の所有者から売買契約によって旧陸軍省がその所有権を取得したものと認められるとして、旧地主側の上告が棄却されております。
次に、環境行政についての質問のうち、(3)の日米地位協定第4条が米軍の原状回復義務を免除しているのがネックになっているが、日米地位協定の見直しについて国にどう働きかけていくかという御質問にお答えをいたします。
日米地位協定第3条第3項は、「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行なわなければならない。」ことを規定し、また同協定第16条では、日本国の法令尊重義務を規定しております。
しかしながら、政府は、一般国際法上、外国の軍隊が駐留する場合に、地位協定あるいはそれに類する協定に明文の規定がある場合を除いては、接受国の国内法令の適用はないとの見解を示しており、我が国の環境法の適用はないとされております。
このようなことから、基地内への立入調査が容易に認められず、県は基地の環境汚染の実態を把握することができない状況にあります。
また、日米地位協定第4条第1項で、米国は、施設・区域を返還する際の原状回復義務を免除されていることなどが基地の環境問題に関する地位協定上の問題点だと考えます。
県では去る8月、国に対し駐留軍用地の返還に際し、環境浄化処理の確認調査など国の行うべき措置について明示するよう「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」いわゆる軍転特措法の改正を要請したところであります。
また来る11月には、いわゆるボン補足協定で駐留NATO軍に対して国内法を適用するなど制度が整備されているドイツを実地調査することにしており、その調査結果などを踏まえて日米協定の見直しを含め環境調査及び環境浄化に係る制度上及び財政上の措置を政府に求めていきたいと考えております。
次に、同じく環境行政についての質問のうち、(3)のイ、米軍用地の環境浄化について返還後ではなく事前に立入調査、情報公開ができるように国に申し入れたかという御質問にお答えをいたします。
県は、これまでたびたび米軍基地への立入調査や情報公開を求めてきたところであります。
例えば、嘉手納飛行場のPCB問題に関してその情報の公開を求めるとともに、嘉手納マリーナ周辺の立入調査について日米両国政府に対して要請しております。
また、基地の所在する14の都道県で構成する渉外知事会を通して米軍基地及び基地周辺の生活環境の保全等を確保するため、国内法の適用や地方公共団体が立ち入りを希望した場合は速やかに応じるよう要請しております。
さらに、沖縄県と基地の所在する市町村等で構成する沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)においても、基地内の環境浄化対策の強化を要請しております。
次に、同じく環境行政についての質問のうちの(3)のウ、嘉手納基地内のPCB調査について県は国に対して再度有害物質すべてを対象に調査するよう働きかけるべきと思うがどうかという御質問にお答えをいたします。
県は去る9月24日、外務省沖縄事務所及び那覇防衛施設局に対して、補完的調査を実施するに当たってサンプリングポイントの選定等に県の専門家の意見を反映すること及び調査の立ち会いを要請いたしました。
さらに調査の結果、PCBが検出された場合には調査範囲を拡大するとともに環境庁の指針及び基準に基づいた所要の対策を講ずるよう、またPCB以外の有害物質の汚染調査についても実施するよう要請しております。
それから、我が党の代表質問との関連についての中で、移転先地が絞り込まれているとの報道がある中で、地元は辺野古を初め反対している状況であるが、公約で掲げる陸上、一定期間に限定した軍民共用、振興開発とのセットの空港はできるのか所見を聞きたいということについてお答えをいたしたいと思います。
移設先については、現在さまざまな観点から検討中であり、特定の場所の取り扱いについて申し上げることはできません。
普天間飛行場の移設については、県民の利益を確保するため県民の財産となる新空港を建設させ、一定期間に限定して軍民共用空港とし、当該地域に産業振興策をセットするという基本方針は現在も変わっておりません。
以上でございます。
○福祉保健部長(平良健康) 福祉・保健医療行政についての御質問のうち、更生医療の対象者の実態についての御質問にお答えいたします。
更生医療の対象者は、身体障害者手帳を持っている18歳以上の方で、治療することによってその障害の程度が軽くなり、仕事や日常生活能力が高まることが期待できると判定される場合となっております。心臓疾患患者へのペースメーカーの埋め込み術や腎疾患患者への人工透析療法などがあります。
平成10年度に更生医療を受けた者は3520人で、身体障害者4万3296人の約8%に相当しております。そのうち心臓機能障害で更生医療を受けた者は997人であります。
続きまして、更生医療の移送費助成制度の心疾患への適用についての御質問にお答えいたします。
更生医療の移送費は、障害等により移動が困難な者が指定医療機関の医師の指示によって一時的、緊急的な必要性があって、医療機関または業者に依頼して移送を行う場合に給付されるものであります。障害の種別による制限はないため心臓疾患患者にも適用されております。
ただし、検査のための通院や家族による移送などは対象となっておりません。
この事業の実施主体は市町村となっておりまして、県としましても制度の周知及び事業の円滑な執行がなされるよう市町村と協力してまいります。
続きまして、福祉・保健医療行政についての質問のうち、特別児童扶養手当認定請求に伴う非課税低所得者の住民票や診断書にかかる費用の免除は可能かとの御質問にお答えいたします。
特別児童扶養手当の認定請求には住民票及び障害認定診断書の添付が必要でありまして、それに要する費用については原則として申請者の負担となります。
住民票に係る費用については、多くの市町村が手数料徴収条例に基づき生活保護世帯からの徴収については免除ができるように基準が定められております。
また、診断書の費用については、例えば県立病院においては生活保護世帯に準ずる者であって現に生活保護を受けていない者につきまして減額や免除の対象となっております。
続きまして、母子総合医療センターは全国に幾つあるか、それをどう評価するか伺いたいとの御質問にお答えいたします。
全国的には日本小児総合医療施設協議会が設置されておりまして、小児病院及びそれに準ずる医療施設が連携を図りながら活動しております。
この協議会では小児総合医療施設を3つの型に分けております。
それによりますと、子供専門の総合病院型が15施設、心身障害児施設併設型が4施設、一般総合病院併設型が6施設で、合わせて25の施設となっております。
このような小児総合医療施設は、子供たちを安心して健やかに生み育てるための医療環境を包括的に整備していく上で重要であると考えております。
続きまして、子供の人権と教育行政についての御質問のうち、児童虐待の実態、平成5年から10年についての実態と救済策及び未然防止策についての御質問にお答えいたします。
子供に対する虐待は全国的にふえておりまして、本県においても児童相談所が取り扱った虐待の件数は平成5年度が12件、平成6年度が37件、平成7年度は51件、平成8年度は64件、平成9年度は103件、平成10年度は124件と年々増加しております。
救済策としては、子供が置かれた危険性を判断し、子供の身の安全を確保するため入院や児童相談所での一時保護等を行っています。
未然防止策としては、早期発見、早期対応が必要であり、平成9年度に作成した「子どもの虐待防止のための手引」等を活用し、関係機関等による地域ネットワーク化を図るとともに、講演会を開催するなど虐待防止の周知を積極的に推進しております。
続きまして、児童虐待に関する学校現場と児童相談所の連携についての御質問にお答えいたします。
児童虐待の未然防止、早期発見、早期対応のためには、学校現場を含めた関係機関との連携が重要であります。
そのため、「子どもの虐待防止のための手引」を作成し関係機関・団体に配布するとともに、これら関係者による虐待防止ネットワーク会議を開催しております。
特に学校関係については、各地区校長会及び各地区養護教諭研修会等で児童虐待防止について説明するなど緊密な連携を図っております。
続きまして、中央児童相談所の今年度の予算が削減された経緯についての御質問にお答えいたします。
中央児童相談所の運営費の予算は、平成10年度が1917万円でしたが、平成11年度は1732万5000円となっており、金額にして185万円、率にして約9.6%の減となっております。
これは、県の厳しい財政事情のもとで同相談所の予算についても経費の節減を図るべく計上されたものであります。
○文化環境部長(宮城光男) 赤土のモニタリング調査に関する御質問にお答えします。
県では、海域及び河口域における赤土等による底質の汚染状況、サンゴの生育状況等を継続的に監視するため、平成7年度から本島周辺の9海域及び阿嘉島海域の計10海域において調査を実施しており、本年度からはさらに石垣島周辺の2海域を追加しております。
これまでの調査結果によりますと、平成7年度から9年度にかけては条例施行に伴い陸域からの赤土等流出が減少したことを背景として、海域における底質の改善が見られました。しかし、平成10年度におきましてはほとんどの海域で底質の悪化が観測されており憂慮いたしております。
悪化の理由といたしましては、9年度末に記録的な降雨があったこと、梅雨期にも平年を上回る降雨があったことに加え、海域の浄化に大きな役割を果たしている台風の接近が極めて少なかったことなど異例の気象条件が重なったことが影響したものと考えております。
また、サンゴにつきましては、昨年の7月の調査時点ではほとんどの観測地点で前年度と比較して目立った変化は見られておりません。
なお、昨年8月ごろからは海水温度の異常な高温が続いたため、県下全域で造礁サンゴ類の大規模な白化現象が起こりました。平成11年2月における目視調査によると、これらの調査海域においても死滅に至ったサンゴがかなりあることが確認されております。今後の調査においては、その定量的な把握を行うとともに回復の状況についても注目していきたいと考えております。
次に、流域協議会に関する御質問にお答えします。
現在、県におきましては赤土等の流出防止対策を個々の河川状況に応じて総合的に推進していくため、地域住民と関係機関で構成する住民主導の流域協議会の設置に向け取り組んでいるところであります。
今回、県内で初めて去る9月14日に八重山農業協同組合、赤土監視ネットワーク、社団法人石垣市観光協会等会員38名により「石垣島周辺海域環境保全対策協議会」が設立されております。
また、県では東村において昨年度から流域協議会の設立機運を盛り上げるため環境教育及び勉強会等を実施するとともに、同村の関係者による先進地視察を行っております。
今年度も引き続きワークショップやシンポジウムを開催し、流域協議会の設立に向けた地域住民の意識の高揚を図っていきたいと考えております。
今後は、石垣島周辺海域環境保全対策協議会をモデルに、随時各流域での協議会設立に向けた働きかけを行っていきたいと考えております。
以上でございます。
○農林水産部長(小那覇安優) 環境行政について、矢作川方式の事業展開と今後の取り組みについて伺いたい、さらに平良市大浦地区の赤土対策(矢作川方式)をどう評価されますかとの御質問にお答えします。
御質問の濁水処理施設は、愛知県の矢作川流域で実施されているものであります。この濁水処理施設は、濁水を仮設沈砂池から処理槽に流し、処理槽内に竹そだ流路を蛇行させてろ過するものであります。
同じような濁水処理施設としては、仮設沈砂池において布団かご、砕石、そだ、砂等を利用した赤土流出防止対策のためのろ過施設があります。
このことから、平良市大浦地区で試験的に行われている濁水処理施設については、今回の実証試験の結果を踏まえ、竹そだの経済性及び耐久性等を考慮しつつ、事業での取り組みの可能性について検討していく考えでございます。
次に、本県のエコ・コースト事業の進捗状況と今後の事業展開について具体的に伺いたいとの御質問にお答えします。
沖縄県における海岸事業は、国の第6次海岸事業7カ年計画に基づき高潮対策事業、侵食対策事業、海岸環境整備事業等を実施しているところであります。
特に生態系や自然景観に配慮する必要性の高い地域においてはエコ・コ-スト事業として位置づけ、砂浜、緑地帯の創出や景観の維持を図るための事業を実施しています。
現在、中城村中城2地区、多良間村水納地区、城辺町保良地区はエコ・コ-スト事業として位置づけ整備しております。
また、他の海岸事業地区の実施においても生態系や自然景観に配慮する等の工夫をしているところであります。今後とも良好な自然環境は保全し、失われた環境は回復を図る環境に優しい海岸事業を積極的に推進していく考えであります。
以上でございます。
○教育長(翁長良盛) 糸数議員の子供の人権と教育行政についてに関連いたしまして、児童虐待に関する学校現場と児童相談所の連携についてということにお答え申し上げたいと思います。
このことにつきましては、先ほど福祉保健部長から回答したところでございますけれども、教育庁にも御質問がございましたので、教育行政の立場からお答え申し上げたいと思います。
学校現場におきましては、子供の人権を尊重し、その子のよりよい発達を目指した教育に取り組んでいるところでございます。
いじめ、暴力などの問題や家庭における教育に関しましては、児童民生委員や児童相談所などとの相互連携のもと学校、家庭、地域が共同体制を図り、子供の人権を尊重した取り組みを行うよう強く指導しているところでございます。
そのことにつきましては、私どもの方から毎年冊子にまとめて、いわゆる「学校教育における指導の努力点」という冊子にまとめて学校などに指導しているところでございます。
先ほどは福祉保健部の方から児童虐待についての状況のお答えがございましたけれども、年々ふえておりますことに私どもも大変懸念しているところでございます。
そのことにつきましては、やはり学校現場と児童相談所が連携をし問題解決を図ることがとても大事だと、こう考えているところでございます。
これまでの事例におきましても、児童相談所と連携することによって問題解決のケースが大分ございますので、私ども県教育委員会といたしましても今後ともこの児童相談所との連携を強化してまいりたいと、かように考えております。
以上でございます。
○警察本部長(西村泰彦) 児童虐待の実態と警察としての対策についての御質問にお答え申し上げます。
まず、警察において児童虐待事案として平成5年から10年までの6年間に取り扱いした実態についてお答えします。
性的虐待、身体的虐待やニグレクト、これは保護を怠ることにより児童の健康状態や安全を損なう行為のことでありますが、これらで相談を受け児童を保護し児童相談所に通告した件数は、過去6年間で32件であります。
その内訳は、性的虐待9件、身体的虐待13件、ニグレクト10件となっております。
また、過去6年間で幼児あるいは児童虐待に関する事案で事件化した件数は16件で、その内訳は殺人9件、強姦2件、略取誘拐1件、強制わいせつ1件、傷害致死1件、遺棄2件であります。
次に、児童虐待に対する警察としての対策についてでありますが、刑罰法令に触れる場合には今後とも厳正に対処してまいります。
また、心身の発達がいまだ十分でない児童が虐待の被害に遭った場合、その精神的打撃は成人に比べて大きく、児童の健全育成の障害になっております。
そこで、警察といたしましては、県警察少年サポートセンターの少年補導職員などによる被害児童に対する精神的負担軽減のための支援活動を積極的に行っております。
さらに、専門的な支援活動を必要とする被害児童につきましては、県警、県の児童福祉機関、医師会、臨床心理士会及び弁護士会などの関係機関・団体で構築した少年被害者支援現場ネットワークを活用した支援活動を推進しております。
○糸数 慶子 答弁漏れがあります。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後9時25分休憩
午後9時26分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 常に記者懇談会では私の話をきっちりとしております。
○糸数 慶子 再質問いたします。
先ほど政策参与に関しての権限はないという答弁をいただきましたけれども、では、県のアドバイザーの立場ということで記者会見に臨んで知事の特命事項ということで調査したことを公表するという意味に関しては、やはり県の立場に立って答弁をしたと思うんですね。ですからそういうことができるのであれば、委員会に対しても参考人として出席いただくことはできないかどうか、再度お伺いいたします。
それからもう一つ平良部長にお伺いいたしますけれども、先ほどの児童虐待の件に関してなんですが、今、中央児童相談所の方で過去5年間にこれだけ子供たちの児童虐待の件数がふえてきているという状態で、実は一時預かり所がもう満杯の状態で本来の業務ができないということも聞いております。
予算にいたしましてわずか185万円の減になっているだけなんですが、やはり活動の状況から考えていきますと、行革の中に一緒に取り込んでこういう状況で困っている子供たち、虐待で苦しんでいる子供たちの待機する場所もないような状況から考えていきますと、ぜひ予算をふやしてそういう子供たちに対する職員の対応、それから緊急で外で保護しなきゃいけないときに交通費も出ないような状況であるということが今、実は若夏学院や、それからこの児童相談所などで職員の皆さんがそれこそ手弁当で出かけていくという状況になっておりますが、そのことについても再度ぜひ予算をふやして、その子供たちの緊急対策にこたえていただきたいと思います。
そのことについて再度お伺いします。
それから基地問題なんですが、先ほど知事は普天間の代替地については一つの案に絞られるかどうかということに関する答弁はありませんでしたけれども、一応知事の陸上、それから一定期間に限定した軍民共用、そして振興開発とのセットの空港はできるか。知事は解釈ではなく実行ある県政を担当していきたいということで公約をしていらっしゃいますけれども、知事就任してから今日までまだ代替地は表明されておりませんけれども、具体的にぜひこちらで表明をしていただきたい。
絞られている場所があればぜひ表明していただきたいと思います。
○知事(稲嶺惠一) 普天間基地の問題についてお答えいたします。
現在、できるだけ早く決定できるよう全力で取り組んでいるところでございますが、現在のところまだ確定、発表できる段階ではございません。
○福祉保健部長(平良健康) 中央児童相談所の予算等に関しましての御質問にお答えいたします。
児童虐待の防止のために児童虐待防止ネットワーク会議の関係者の方々、それから各学校の関係者の方々、いろいろな立場の方がそれぞれの立場で御協力いただいておりまして、非常に広範なネットワークの中でこの仕事が取り組まれております。
御指摘の中央児童相談所における予算の問題につきましては、私たちとしましても最善を尽くして予算が確保できるように努力してまいりたいと、このように思っております。
○総務部長(與那嶺恒雄) 政策参与の常任委員会への出席の問題でございますが、政策参与は、知事から特命を受けた事項につきまして調査研究し知事に進言することがその職務内容になっております。そういったことから、政策参与は事務の執行に関し県の行政組織の中で職務権限を付与されたものではございません。
したがいまして、執行部としての見解を発表する立場にはございません。そういったことから議会での議案等の説明員として知事から委任をやってないわけでございます。
先ほど記者会見のお話がございましたが、記者会見につきましては知事からの特命事項の範囲内だというふうに考えております。
○石川 修 一般質問を行います。
沖縄戦が終結して54年が経過をしております。あの熾烈な戦争、いわゆる鉄の暴風は美しい沖縄の姿を変え、先祖が営々と築いてきた貴重な文化財の、文化遺産のほとんどを失い、そしてさらに20万余のとうとい人命も奪ったのであります。
ある者は砲弾に吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自分から命を絶ち、またある者は飢えやマラリアで倒れた人、敗走する自国の軍隊によって無念の死に至った人、さらには船舶遭難の犠牲など県民は極限の状況の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって経験をしてまいりました。
戦争が終結しても、本県はまたまた悲惨きわまりない軍事支配による祖国分離の道を歩まされ、27年にも及ぶ米軍統治のもとで耐えがたい人権抑圧や基地被害の中で苦痛の生活を余儀なくされたのであります。
県民による統治権、いわゆる三権も形はあってもそれを上回る軍事権力が存在し、全くなきがごとしでありました。唯一県民がみずからの身を守る手段は軍事権力との戦い、住民運動ではなかったでしょうか。島ぐるみの土地闘争、教公二法の闘争、全軍労の闘い、コザ騒動、主席公選の闘い、祖国復帰運動など後世に誇れる数々の歴史的運動を残してまいりました。
自治は神話だと言っておりましたが、主席公選制をかち取り、いよいよ主席公選を迎え祖国復帰を推進する革新陣営と復帰を拒む保守陣営、県民を二分した熾烈な選挙戦となりました。
結果は、祖国復帰を軸に誠実な政策がごまかしの復帰阻止保守陣営に圧勝いたしました。祖国復帰の実現はそのことによって加速したものだと私は思っております。
昭和47年5月15日、祖国復帰が実現し沖縄県が発足いたしました。あれからまた27カ年が経過をいたしました。復帰以来本県は3次振計が推進され、確かに県民生活は物的には便利さと豊かさを覚えるようになりました。しかし、心の豊かさはどうでしょうか。基地問題は決して本土並みにならず全国に存在する米軍専用基地の75%が存在し、基地あるがゆえに発生する事件・事故は後を絶たず、県民生活は今なお苦痛なものとなっております。
10・21の県民大会8万5000人の大結集の中で決議した地位協定の見直し要求は無視され、改善の跡は見られないのであります。地位協定は、まさに基地所在地の不利さを決める協定のような感じがするわけであります。
第2条では、米軍基地は日本国内どこでも置くことができるようになっている、第3条では、先ほどもお話がありましたけれども、基地運用に当たって公共の安全に妥当な考慮をしなくちゃならないということになっておりますけれども、飛行機の事故、重大な事故が発生してもその事故の原因報告もなしに再開し、地位協定違反が平気でなされている。
復帰後の米軍機の事故は実に120件を超しております。第9条によって米軍人の入国をする場合に、動物、植物とも検疫はなしで入国できるわけであります。
裁判権については、事故ごとに問題になるが全く改善されない。復帰後これまで米軍人等による犯罪は実に4700件を超えております。米兵が引き起こす人身事故の処理も被害者の日本人は実に惨めな扱いとなっております。
石川市において、3年前1996年5月に米兵の乗用車にひかれ死亡した事故がありました。賠償を求める訴訟で総額2600万円の支払いを命ずる判決が確定したのでありますが、米政府は示談額をわずかに10%にも足らない249万円を提示、自賠責保険の支払い199万円を加えた額の差額は日本政府が支払いすることになります。
注目すべきことは、地位協定によって被害者は示談額に対し異議申し立てができないことになっております。
平和な世の中と言いますけれども、現実に被害者は本当にこれで浮かばれるのか、遺族の思いは耐えがたいものがあります。
基地が存在し、軍隊がある限り続出する基地被害に苦痛はこれからも続くことでありましょう。
私は、戦後沖縄の一片を述べましたけれども、戦後54年県民は平和を破壊する基地との対峙を述べたつもりであります。
このような沖縄だからこそ、今回の資料館問題に厳しい批判が集まるのだと私は思うのであります。
では質問をいたします。ひとつ的確な答弁をお願いしたいと思っております。
資料館問題でございますので、これまでたくさんの方から質問が出ておりまして、削除したものも随分ございます。また、後で我が党の代表質問との関連で質問を加えてございますので、よろしくお願いします。
知事は、今回の県民批判は、この事業の計画、基本構想や議事録などの公開が乏しいので、この批判を招いたものだというような節の言い方をしておりますが、県民の批判は実相を曲げる作業が明らかになり、そのことに対する怒りであると私は思うんですが、知事はやはりその中身をいわゆる公開すれば県民は納得するんだというふうに思うのですか。
それから監修委員や作業部会が月に1回の頻度で開かれていたのでありますけれども、3月17日に最後に開かれております。また、3月23日には知事に平和推進課から説明がなされております。
監修委員会の会議の開催と知事に対する説明と何か関連があるのかないのか、お尋ねをします。
次に、平和資料館の開館が来年3月に予定されているが、貴重な沖縄戦体験者の証言映像記録の原本の編集作業が進められてないが、開館に間に合うのかどうかお答えを願います。
それから、八重山平和祈念館についてお伺いをいたします。
八重山平和祈念館は、国と遺族、そして県が一体となって長い時間をかけ繰り返し話し合いの結果、国が示す慰藉事業に合意したものと考えておりますが、事業に至るまでの経緯を御説明お願いします。
次に、今回の展示行為に監修委員や地元関係者から極めて強い不満と怒りを示しておりますが、県はどのように対応いたしますか。
次に、我が党の代表質問との関連でございますけれども、米軍基地の移設に対する県の考え方、県は基地移設の問題を論ずるときにSACOの合意を繰り返し言っております。
一体SACOの構成員は、何なのか。言うまでもなく我が国の政府と米国政府であり、当事者の本県は全く関係をしておりません。
我が国政府は、政治全般にわたってアメリカの言いなりだと、自主性のないことを国民の批判を受けております。
また、本土に新たな米軍基地をつくることは真剣に取り組まない、北海道の苫小牧から誘致の声がありましたけれども、見向きもしなかったのであります。
また、アメリカは自国の軍隊が効率よく行動できるのみを考えるのであり、双方とも沖縄の苦痛に配慮したものではなく、各自自分の利益を優先するものであることを認識すべきであります。
知事、沖縄の基地問題は決してSACOでなく、沖縄県がしかできないのです。金をやるから基地を頼むという態度に迎合するようなことがあってはどうにもなりません。
百年の大計で基地行政に当たり、SACOに振り回されることなく独自の基地問題解決のプランも策定すべきだと考えますが、いかがですか。
それから、知事は基地を語るときに国際情勢に配慮するとよく言っております。県政は、県民の苦痛に顔を向けるべきであって、何ゆえに沖縄の県知事が県民の犠牲を優先せず、国際感覚で基地の行政を行うのであるか。前の大田知事が訴えたことは、安保条約が認める日本にとって必要であるならば、全国平等に基地を負担すべきだということを論じておりました。
私は、県民の幸せを守る立場から後者を選びますけれども、知事はどう思いますか。
次に、牧野副知事にお尋ねいたしますけれども、基地返還アクションプログラムを否定しているようですが、政治に目標と計画が伴わなければ前進はあり得ない、私はそう思います。
SACOの動きのみに頼って沖縄の基地の課題解決、県民の幸せはいつまでもできないというふうに思います。
そういう考え方に私は非常に疑義を申し上げるわけでございますけれども、このことについてお答えを願います。
御答弁によっては再質問をいたします。
○知事(稲嶺惠一) 石川修議員の御質問にお答えいたします。
最初は、平和祈念資料館の問題でございまして、県民の多くにほとんど理解、政策参与の調査結果に対しての御意見がございました。それに対するお答えでございます。
資料館や祈念館は、構想から完成までに巨額な費用と数年間を要する一大プロジェクトであるにもかかわらず、事業計画の内容、その作業工程が関係者を含めて県民の多くにほとんど理解されておらず、それが批判と懸念を生む主な原因となっていると思います。
このような批判や懸念を払拭するために、基本構想から実施計画に至る事業計画、とりわけ実施設計に基づく作業工程の過程を広く県民に理解してもらうことが必要であると思っております。
次に、同じく資料館の問題で、監修委員会の作業部会が月一度で開かれていたけれども、これを3月17日を最後に開かれていないということと、次の平和推進課が説明をしたのが23日となっていると、以来監修委員会が開かれていないが、双方に関連性はないかということです。
その後開かれておりますけれども、時期がたったということでございます。
展示内容の変更と言われている点については、県と業者の間の検討段階における県側からの一つの考え方を示したものであり、最終的なものではありません。最終的には、監修委員会に諮り決定されることになります。
監修委員会が開かれなかった理由については、大幅な人事異動や規模の大きくなった資料館の内容を理解するために時間を要したことなど内部事情によるものであります。
次に、八重山平和祈念館について。八重山平和祈念館は国の慰藉事業としての事業と考えますが、事業に至るまでの経緯を説明してくださいということでございます。お答えでございます。
御承知のとおり、八重山平和祈念館は国の「八重山地域マラリア死没者慰藉事業」により、県が事業主体となって平成8年度に建設されました。
同慰藉事業については、平成元年5月に遺族らが「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」を結成し、国に対して国家補償を要請してきたことから始まったものでありますが、その際に援護法の適用に必要な根拠として軍命による強制疎開の事実を国に訴えてきた経過があります。
その援護会の熱心な要請活動の結果、国家補償として認められなかったものの、慰霊碑の建立や八重山平和祈念館の建設、マラリア死没者慰藉のための資料収集及び編さん事業、追悼式の実施のいわゆる慰藉事業として結実したものであります。
それから、SACOの関連事項がございまして、SACOだけでなくて別の方法もというお話がございましたが、それに関してお答えでございますが、現在私どもにとっては基地の整理縮小というものはこれは大変重要なことだと認識して、それに全力を尽くしているところでございます。
その基地の整理縮小に当たっては、SACOの合意を一歩一歩進んでいくことが最も現実的な対応だと考えております。
○副知事(牧野浩隆) お答えいたします。
今の御質問は、基地返還アクションプログラムに対して批判的なんだけれどもその真意をお伺いしたいということでございますけれども、それに対する考え方をお話させていただきたいと思います。
まずその前提になりますけれども、やはり私どもは先ほどの答弁の中でも話させていただきましたように、自衛隊は合憲である、日米安保条約も合憲である、それから自民・社会・さきがけのときにいわゆる当時の首班が自衛隊、日米安保、そういったのを全部受け入れたということで、言ってみれば憲法的にもそれから政治的にも決着がついたと私は認識しております。
それともう一つは、やはり沖縄県が土地収用法のもので裁判を起こして最高裁まで行ったことをよく知っております。あのときの沖縄県側の陳述書を私は10回近く読ませていただいています。
あの中には、基地があるために沖縄では人権が侵されている、基地があるために財産権が侵されている、基地はもろもろの諸悪の根源である、基地はいわゆる地方自治というのを何度か侵されているということでいろんなことをきれいなことを書いていましたので、あれだけ読みますとほれぼれしまして、実はああいうのを中学校、高等学校、小学校の教科書にしたいなと思うぐらい美しい文だと思いました。
ところが、残念なことに最高裁で15人全員の一致で敗訴しております。
といいますのは、沖縄の情念というのは、沖縄の情念としては立派であるし私もほれぼれしましたけれども、今の法治国家の中では市民権を得られなかったという現実だと思います。そういったことを私どもは厳しく認識する必要があると思います。
そういった中で、基地問題に対する行政としての取り組みはおのずから制約を受けてくるだろうと思います。
そういった意味では、今の時点で基地返還アクションプログラムというのはもう皆さん御存じのとおり、2015年までに3期に分けて基地を返還していって、2015年までにゼロにしろというのが基地返還アクションプログラムの内容だったかと思います。
しかしながら、その今の時点、現時点において基地の2015年までに全面返還しろというのはいわゆる沖縄の行政的な面から要求するには、若干指導理念としては弱いんじゃないかということを感じております。
もちろん沖縄には75%ありますので、それを現状を全部是認するということも決していけないことだろうと思います。願わくはゼロと75%のどのあたりをいわゆる日本国家の中の一構成体として沖縄が受容し得るのか、そのあたりは十分検討していく必要があると思います。それが言ってみれば基地の整理縮小だということを私は思います。
この基地の整理縮小というのは決してゼロということではなくて、段階的に整理縮小していくということで、去る1995年の10月21日の県民総決起大会でも基地の整理縮小ということが県の基地問題に対する段階的な取り組みであるということは県民大会で承認していただいたわけですから、いわゆる基地問題に対する県民の健全なスタンスだと思っております。
そういった面から見ますと、いわゆるSACOの合意を着実に実行していくことは整理縮小という概念に合致したと私は思っております。
もちろん何と言いましても、沖縄には余分な日本の安全保障という面からいわゆる公益、国益のためからある程度の犠牲をこうむっているわけですから、そういった意味では憲法の定めます適正補償を求めることは当然のことだろうと思っております。
そういった意味では、言ってみれば沖縄の振興開発ということがそういうことになるかと思います。そういった意味では、基地問題というのは確かに沖縄にとっては大切な問題でありますけれども、いわゆるもろもろの多くの数ある問題の中のトータルバランスの中で基地問題を考えていく必要があるだろうと。
そういった意味では、2015年にゼロにしろというのは今の時点では若干指導理念としては弱いんじゃないかと、整理縮小ということがいわゆる現実的な問題だろうとそう思っております。
○文化国際局長(金城勝子) 石川議員の質問にお答えをいたします。
まず、平和祈念資料館のことでございますが、平和祈念資料館は来年3月を予定しているんですが、沖縄戦体験者の証言映像の原本作業が進められていないようだが、大丈夫かというお尋ねでございます。
沖縄戦体験者の証言ビデオの編集については、第4展示室(証言の部屋)で活用する100人部分については、展示業者において編集されることになっており、現在サンプルを作成しながら編集方針を固めつつあるところでございまして、開館には十分に間に合うものと考えます。
それから、八重山の平和祈念館についてでございますけれども、削除した展示資料等の取り扱い等についていろいろと御意見もありますけれども、今後どうするかというお尋ねでございます。
県といたしましては、八重山の平和祈念館は戦争マラリア犠牲者援護会の皆さんの粘り強い行動のたまものでございますので、そのことを十分に踏まえて展示していく必要があると思っています。
そのために、援護会や遺族の皆様の御意向が十分に生かされるように協議の場を設けるなど適切に対応してまいりたいと思います。
以上でございます。
○石川 修 休憩。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後10時2分休憩
午後10時5分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) SACOの構成員には沖縄は入っておりません。
しかし、SACOの合意事項というのは、95年11月28日の沖縄米軍基地問題協議会において沖縄が返還要求したものを参考に進められたものであります。
○石川 修 あのですね、知事、SACOといういわゆる構成員、SACOの構成員でこれは知事も御存じのとおり当然沖縄のトップがそれに一言も物も言えないわけですよ。
そういう中で、今まで基地の整理縮小はSACOの合意を忠実にやれば成っているというように県民の前にそうおっしゃっているわけです。そうじゃなくして、沖縄県としてはどういうふうにやるかということをちゃんと持っていて、SACOにこういうことも県としては持っているということを訴えるぐらいのことがなければいけないんだ、いいですか。だから県にはそういうものが必要じゃないかということを言っているわけですよね。
それから副知事も同じようなことを、これに似たようなことを言っております。
アクションプログラムは、大田前知事の基地の整理縮小のプランなんですよね、計画ですよ。こういうものを持ちなさいであって、これを批判して、批判して自分にはそういうものは持たないでいいのか。変わったものでもいいんですよ。何もそれと同じようなものをやった方がいいということは言っていない。いわゆる県独自の目標、整理縮小の目標というものがあるべきだ、計画というものはあるべきだということを言っているんであって、批判だけにとどまってはだめなんですよ。
そこをお答え願います。
○知事(稲嶺惠一) 石川修議員の質問にお答えします。
先ほどの日付が違っておりましたので訂正させていただきます。
SACOの合意は、96年1月の30日の沖縄米軍基地問題協議会において沖縄側が返還要求したものを参考に進められたものであります。
そして私どもは言っておりますのは、まずSACOの合意を着実に実施してということでございます。それを実施して段階的に基地整理縮小に一歩一歩進んでいきたいと思っております。
○外間 久子 一般質問を行います。
私は、アメリカにおける基地環境汚染の実態調査に参加しまして痛感したことは、環境は一たん汚染されるとその浄化のためには莫大な費用を要するものであり、発生源で汚染対策防止が必要であることを改めて痛感しました。
嘉手納や普天間基地は、アメリカ以上に環境汚染が懸念されます。
環境汚染除去の困難さ、莫大な費用の支出を考えたとき、県内の米軍基地における汚染物質の保管、管理、処分をアメリカの環境保護回復法に基づき日常的に規制をしコントロールすることを政府を通してアメリカに要求することです。
そこで質問をいたします。
1、今回マスコミ報道で、政府は基地汚染の実態調査をするということですが、米軍のアメリカ環境法違反の処罰を求める立場からの調査なのですか。
2つ、日本の環境基準に照らして県内の米軍基地の汚染の実情はどうなっていますか。
3つ、県内の米軍基地内で汚染防止対策の担当部署は組織上どこに位置していますか。担当部署の人数、年間予算を調べたことがありますか。
4、職務内容と職務権限はどうなっていますか。
5、基地内で汚染が起きたとき、または汚染が放置された場合の基地司令官は、汚染責任者の責任問題を初め処罰などはどうなっていますか。
6、他国に駐留する場合の駐留軍の基地は、毎年定期的に環境汚染の有無を点検していると言われていますが、普天間や嘉手納基地における環境汚染の点検結果の報告を求めたことがありますか。
7つ、県民の健康及び環境を保護することは、日米両国にとって憲法上の義務であります。また国際的な義務でもあります。
地位協定第3条3項の「公共の安全」には、環境基準と義務が含まれていると解するのが司法の常識となっています。それだけに環境規制については、より厳しい基準に従い法の適用が原則となっています。アメリカは、基地の汚染に積極的に取り組み、もとの土地にして返すことを知事は国やアメリカに要求すべきだと思いますが、御見解を伺いたい。
次に、新平和祈念資料館と八重山平和祈念館の問題について質問いたします。
まず最初に、「見え消し」という言葉、これは行政用語ですか、それとも業界用語ですか、教えてください。
2つ目に、平和推進課は、5月から7月にかけて監修委員会や専門委員に相談もなく新平和祈念館の展示計画に大幅な見え消しを行い、その一部は既に業者におろして作業を進めていました。また現場では、今後は行政の権限でやるという担当職員の声が聞こえたということです。
たまたま、「銃を持たない日本兵の人形」が監修委員に見つかり、大幅な展示変更計画の事実がマスコミで明るみになり、事務局当局は大慌て、事務局内での検討であったとか、勉強会であったとかと弁解しています。しかも監修委員会には事前に一言の説明もないまま作業を進めている中で、事務局内の検討会や勉強会ということは、監修委員会を作業から外して秘密裏に事を進めようとした意図しか見えません。
しかも新年度になって監修委員会は一度も開かれないまま、担当課職員が総がかりで展示変更作業を進めていた事実は、ただの勉強会で説明できるものではありません。
もし勉強会なら、見え消し案を業者に渡すことはできないはずです。監修委員会参加のもとでのこの作業がなぜ進められなかったのか、お答えください。
八重山の平和祈念館の場合は、実際に県の見え消し案によって展示変更が行われました。八重山の監修委員を中心に当時の関係者で確認した展示内容に変更することで確認できますか、お答えください。
3つ目に、見え消し資料の公開について質問します。
知事は、監修委員の議事録など6点の資料を公開することで県民への情報公開の責務を逃れようとしていますが、問題の焦点になっている見え消し資料というのは特に文書、図面、スケッチなどはいつ公開しますか。
4つ、問題になっている見え消し案は、全面的に撤回されたと理解してよいですか。
監修委員会では、すべての見え消し資料の提出を求めています。いつ提出できますか、明確に答えてください。
特に、3月段階と事務局が変更した段階、現段階の3段階の新旧対照表を提出するように求めていますが、その要求に応じますか。
5つ目、現資料館に多数の戦争資料を寄託している久手堅氏は、知事が、政府と対立するものの展示はいかがなものかという発言をしたことを伝え聞いて寄託資料を全部引き揚げると申し出ていますし、私の友人も現在の県の姿勢なら寄託資料を返してもらわなければならないと訴えています。
知事が、政府と対立するものの展示はいかがなものかと部下に発言したことは、一連の流れからして事実ではありませんか。
知事は、今回の2つの館の展示変更の問題について、これまで関与したことはないと断言できますか。
また、今回の事件によって寄託資料が引き揚げられ、展示作業や展示内容に支障を来した場合、責任はどこにありますか、お答えください。
6つ目に、日本兵の人形から銃を取り上げた経過について説明を求めます。
太田文化国際局次長は、私が職員に銃を持たない姿を描いてみたらと指示したのが、そもそもの発端ですと公式の場で発言していますが、局長はこのことを承知していますか。
7つ、八重山平和祈念館変更問題に対する比嘉政策参与の調査について質問いたします。
八重山の平和祈念館では、監修委員や専門委員と十分に協議も調整もなく、県の事務局の一方的な指示で「強制退去」を「避難命令」に書きかえさせています。
平成4年の調査では、八重山住民のマラリア有病地への移動は、一般の疎開や避難とは異なり、軍命による強制的退去であると結論づけています。このことが国との補償問題の突破口となり、八重山平和祈念館設立の基礎となっています。
退去を避難と書きかえることは、同館の根本理念を覆す重大事であり、沖縄戦の実相をゆがめるものであります。にもかかわらず、比嘉政策参与は知事の命でこの問題を調査した結果を受けて、知事は、批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないと記者懇メモでそのように述べています。
しかし、政策参与の報告ではそのような事実はなく、批判や懸念は杞憂との結論に達したとの報告です。知事の記者懇メモとは180度の違いがありますが、どちらが正しいのですか。
また比嘉政策参与は、監修委員に責任をなすりつけて、知的緊張感が足りないなどと公人として発言をしてはならない暴言を吐くなど県民の反発と不信感を買う結果になっています。
知事は、このことをどう考えていますか、県民の前に明らかにしてください。御答弁を求めます。
次に、介護保険問題について質問をいたします。
99年度版の高齢社会白書によりますと、在宅要介護高齢者は全く寝たきりが13万人、ほとんど寝たきりが15万人、寝たり起きたりが40万人、その他18万人の計86万人と推定しています。
また、特別養護老人ホームに入っているのが25万人、老人保健施設に入っているのが14万人、病院、診療所に6カ月以上入院しているのが30万人、計69万人の高齢者が入所しております。
今、国民的に提起されている介護の問題は、これらの高齢者の介護をどうするのかです。とりわけ86万人の在宅要介護高齢者の介護はほとんど家族によって担われています。
政府の調査によっても、年間8万人の国民が仕事をやめて家族の介護に当たっています。その8割が女性であります。
国民が政治に求めている切実な介護の問題は、在宅での家族介護を政治の力で何とか解決してほしいということです。ところが厚生省が進めている介護保険は、ますます在宅要介護高齢者をふやしていくものであることが明確になりました。
厚生省は、介護保険事業計画をつくる際には、要介護高齢者の介護保険施設入所者率を現在の全国水準の3.4%にするように指示しました。
県内の施設入所者は1万101名です。入所率が5.9%です。2004年の最終年度には3.4%にするとしています。2004年も現在の入所率5.9%でいきますとその差は約5114名、この5114名が施設を追い出されることになります。
今日まで、国や県の指導でゴールドプラン計画の実現に一生懸命に頑張ってきた県ほど、今度は大変な状況になってきたのです。このことが保険料にはね返り県民一人一人に負担が過重になります。
このような介護保険事業計画で県民の願いにこたえた介護保険と言えるのでしょうか、御答弁を求めます。
このように国と県の積極的な考えと指導で特別養護老人ホーム整備率全国一です。老健施設が2位、このことが直接介護保険の施設での費用につながり、本県では介護費用全体の8割が施設での介護費用になり、2割が在宅での介護費用になるという構造になっています。
このことが直接保険料にはね返り、高齢者所得では全国一低い本県の高齢者が、介護保険料では全国平均の1.2倍になります。このことは県民だれもが納得できません。恐らく厚生省でさえ自己矛盾に陥っているのではないでしょうか。
この矛盾の解決は、当然国と県が責任を持って解決すべきだと考えますが、御見解を伺いたい。
全国の市町村が調査をいたしました要介護者実態調査の集計を見ますと、第1号被保険者の所得の段階別区分で見ますと、第1段階が生活保護、そして老齢福祉年金受給者、第2段階が家族全員が住民税非課税世帯です。そして第3段階が住民税非課税者の合計が全体の76%に達しています。
今、政府・自民党の一部からも、当面、高齢者の保険料を半額にすべきだとの意見が出されたように政府・与党がつくった介護保険制度の矛盾が噴き出ています。
自民党政府は、1989年の高齢化社会における高齢者福祉の財源の確保のためと宣伝をして長年の夢であった消費税を導入しました。ところが導入後はますます社会保障の予算は削られる。法律は改悪される中で、今度は介護保険引き下げのためと称して最大与党の自民党や他の与党も消費税で賄うための税率引き上げの論議が出ている根拠の1つになっています。
この消費税で賄うという意見は、赤ん坊まで含めてすべての国民から、またあらゆる流通の過程から介護保険料を取るものであり、消費税を引き下げよという国民の声に逆行するものであり、我が党は絶対反対であります。
さて、本県の基盤整備率33%、ところが高齢者の所得の状況から見てこの介護保険は本県の高齢者にとって保険あって介護なしだけではなく、保険あって高齢者の生活なしの状況をつくり出すことを指摘したいと思います。
本県は、県民所得が低く、日ごろから高齢期に備えての蓄えはありません。高齢者の所得はほとんどが公的年金に依拠しております。
95年度の年金受給状況を見ましても、月平均受給額4万8464円、年間58万1580円。そして受給者の2割を占める厚生年金の老齢給付は月平均6万1423円、年間73万7000円余、老齢福祉年金月額は2万8668円、年間34万4000円余です。
県の資料でも年金を受給していない高齢者が3.1%、高齢者人口に換算しますと5000人に達します。
また、同調査の第1号被保険者の所得の段階別調査によりますと、第1段階が生活保護者、老齢福祉年金受給者、第2段階が家族全員が住民税非課税世帯、第3段階が住民税非課税者までが全体の83%を占めているのが我が県の実態です。
先日、県が発表いたしました本県の全国平均の一番高い段階の第5段階が4327円を269円も上回っています。
本県の高齢者の年間所得は、平均70万から80万円。厚生省が示している最低生活保障額は、老人2人世帯でこの那覇市では年間165万6000円余、町村では139万4000円余。本県の圧倒的多くの高齢者の所得が生活保護水準以下の所得である現状です。
高齢者の年金から強制的に徴収されますと、高齢者の日常生活が極めて困難な状況に追い込まれるのは明白なことです。介護サービスの利用料1割を支払うことは不可能になります。
このような状況から、介護保険は本県の高齢者にとって保険あって高齢者の生活なしとなることは明白です。このことに対する御見解を伺います。
最後に、台風被害について識名の分譲住宅――住宅公社がつくっておりますこの住宅地一帯は、この20年来、台風のたびごとに高台の真地の畑や市営体育館の方面からの土砂が流れて、今回の台風でも床上まで土砂が来ています。排水溝を広げてもらいたいという住民の意見が寄せられています。
御答弁を求めます。
○知事(稲嶺惠一) 外間久子議員の御質問にお答えいたします。
最初は平和祈念資料館の問題でございます。変更を指示したことはないかということでございます。
私は、新平和祈念資料館及び八重山平和祈念館の展示内容の変更を指示したことはございません。
続きまして、今回の事件で寄託資料が引き揚げられ、展示作業や展示内容に支障を来した場合に責任はどこにあるかという御質問へのお答えでございます。
寄託者のお一人から資料の返還が求められていますが、引き続き協力をお願いしていきたいと考えております。
新資料館におきましては、県内外からたくさんの貴重な資料の提供も受けており、多くの方々の資料館に寄せる期待は大きなものがあると感じております。今後とも県民の皆様の御協力を得てすばらしい資料館づくりに努めてまいりたいと考えております。
続きまして、八重山平和祈念館展示変更問題に対する比嘉政策参与の調査及び発言に関しての御質問に対してのお答えでございます。
政策参与の調査の結果は、報道されている批判や懸念は必ずしも事実を反映したものではないこと、そしてこれらの批判や懸念を払拭するためには、基本計画や作業工程を広く県民に理解してもらうことが必要であり、そのためには情報の公開が不可欠であると報告されています。
そういうことから私としては、広く情報を公開し地元住民の意向が反映されるような協議の場を設け、祈念館の充実を図っていくことが重要なことであると考えております。
次に、介護保険についての御質問でございます。
高額保険料に加え、1割の利用料を払うことは困難であると、次の減免制度の設置を国に要請する考えはないか、また県と市町村で実行する考えはないかとの2つの御質問を一括してお答えいたします。
介護保険制度は、老後の最大の不安要因である介護問題を社会全体で支えるものであり、国民の共同連帯の理念に基づき40歳以上の国民に応分の保険料とサービス利用に対する公平な負担をしていただくことになっています。
65歳以上の1号保険料については、所得に応じて5段階に区分されており、低所得者には最も低い保険料を適用することになっています。
また、利用料の1割自己負担が一定の額を超えた場合は、高額介護サービス費として超えた分が払い戻される仕組みとなっていますが、低所得者についてはさらに低い限度額が設定されることになっています。
保険料や利用料の負担が困難な低所得者に対する引き下げや減免制度については、現在、市町村が介護保険事業計画の策定中であり、これらの結果や他県、国の状況等を踏まえ検討をしていきたいと考えております。
その他の御質問につきましては、関係部局長等から答弁させます。
○知事公室長(親川盛一) 外間久子議員の基地環境問題についての質問事項のうち、1番目の今回の政府の基地汚染の実態調査は、米軍のアメリカ環境法違反の処罰を求める立場からの調査なのかという御質問にお答えをいたします。
国は、米側の嘉手納飛行場におけるPCB調査結果を一定の科学的な合理性に基づくものと評価すると同時に、地域住民の不安の解消にこたえるとの観点から、念には念を入れ、我が国の基準に基づいて今回の補完的調査を実施するものと承知しております。
次に、同じく基地環境問題についての3点目の県内の米軍基地内で汚染防止対策の担当部署は組織上どこに位置しているか、またその部署の人数、年間予算を調べたことがあるかという点と、4番目の職務内容と職務権限はどうなっているか、5番目の基地内で環境汚染が起きた場合、基地司令官等の責任問題等はどうなっているかという点について一括してお答えをいたします。
在日米軍は、環境に関して日本の国内法令も考慮した環境管理基準を作成し、各部隊はこれに基づいて環境管理行動をとっていると聞いております。
しかしながら、米軍の具体的な環境汚染防止体制や環境管理行動の実態についてはその大部分が公開されておらず、人数や予算等、詳細が把握できない状況にあります。
県としては、米軍基地から派生する環境問題の解決を図るため引き続きこれらの情報の公開を求めていきたいと考えております。
なお、当該管理基準については法的拘束力がなく、したがって責任問題や処罰などは科せられないものと理解しております。
次に、同じく基地環境問題についての質問事項の6点目の他国に駐留する場合、米軍は毎年定期的に環境汚染の有無を点検していると言われているが、普天間や嘉手納基地における環境汚染の点検結果の報告を求めたことがあるかという御質問にお答えをいたします。
県は、これまでたびたび基地における環境汚染の点検結果の報告を求めてきたところであり、去る平成10年8月にも嘉手納飛行場のPCB問題に関して、嘉手納飛行場内の過去の環境調査等の結果の公表を含む情報の公開を要請しております。
次に、同じく基地環境問題についての7点目のアメリカ環境法に基づいて基地の汚染に取り組むようアメリカ政府に要求すべきだと思うがどうかという御質問にお答えをいたします。
米軍基地から派生する環境問題については、日米安全保障条約及び日米地位協定の締結当事者である日米両国政府の責任において取り組むべき課題と考えておりますが、県においても基地周辺住民の安全な生活環境の確保の観点及び基地の計画的かつ段階的な返還の促進と返還跡地の有効利用の実現の観点から、米軍基地の環境問題について積極的に取り組んでいるところであります。
県では去る8月、国に対し、駐留軍用地の返還に際し、環境浄化処理の確認調査など国の行うべき措置について明示するよう沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律(軍転特措法)の改正を要請したところであります。
また来る11月には、いわゆるボン補足協定で駐留NATO軍に対して国内法を適用するなど制度が整備されているドイツを実地調査することにしており、その調査結果などを踏まえて日米地位協定の見直しを含め環境調査及び環境浄化に係る制度上及び財政上の措置を政府に求めていきたいと考えております。
以上でございます。
○文化環境部長(宮城光男) 県内の米軍基地の汚染の実情はどうなっているかという御質問にお答えします。
県では、昭和51年度から基地内の汚水処理施設からの排出水を監視する基地排水監視調査を10施設11地点、また基地周辺の河川や海域などの水質、底質、魚類の調査・分析を行う基地周辺公共用水域監視調査を6施設13地点で実施しており、可能な限り基地の環境汚染の実態把握に努めているところであります。
平成10年度の調査結果によりますと、有害物質23項目についてはすべて環境基準値以下でありました。
また、生活項目については、嘉手納飛行場及びキヤンプ・キンザーの2施設の排水溝で大腸菌群数が排水基準を超過したことがあります。
このことに関して、去る4月に行われた米軍基地環境保全担当者連絡会議において施設維持管理の徹底及び改善等を申し入れしております。
その他の環境汚染の実態については、立入調査ができないため十分に把握ができない状況であります。
以上でございます。
○文化国際局長(金城勝子) 外間議員の御質問にお答えいたします。
平和祈念資料館について、見え消し案をもとに業者が作業を進めている意図は何かと、そして同資料をなぜ公開しないかというお尋ねでございます。一括してお答えをいたします。
展示内容につきましては、県と展示業者との間で検討したものを監修委員に諮ります。このようなことを繰り返して、最終的には監修委員会で決定することになっており、県の側で一方的に行うことはありません。
また、県のいわゆる「見え消し」資料につきましては、9月29日の監修委員会とマスコミ各社との記者会見で配布・公表されているところでございます。
次に、問題になっている見え消し案は全面的に撤回されたのかというお尋ねでございますが、見え消し資料と言われているものは事務方と展示業者との間の検討の過程で事務方の一つの考え方として出されたものでありまして、その中にはその後監修委員会にお諮りいたしまして了承されたものもございます。
それから、日本兵の人形から銃を取り上げた経過の説明でございますが、展示内容の検討過程での事務方の考え方の一つで最終的な決定ではございません。
展示内容については、監修委員会の意見を尊重して決めていくというのが県の姿勢でございます。
以上でございます。
○福祉保健部長(平良健康) 介護保険についての御質問でございます。
来年実施される介護保険事業計画で、県民の願いにこたえる介護保険と言えるのかとの御質問にお答えいたします。
市町村が策定する介護保険事業計画においては、高齢者実態調査の結果や事業者が提供を予定している介護サービス供給量をもとに、平成12年度から5年間にわたる基盤整備の目標を策定することとしています。
計画の策定に当たっては、各市町村とも策定委員会に被保険者や住民代表が委員として参加しており、住民の意見が反映できるようになっています。
県においては、市町村の目標値をもとに老人保健福祉圏域ごとに施設サービスや在宅サービスについての調整を行うこととしており、地域住民の要望等を反映できるものと認識しております。
次に、施設整備が進んでいることが要因で保険料が高くなっていることについての御質問にお答えいたします。
本県は、小規模離島町村が多いことから在宅サービス面での人材確保が困難であり、施設利用を中心にサービス提供が進められてきた経緯があります。
保険料は、市町村における施設や在宅サービスの整備状況が反映されることから、7月に取りまとめた中間報告では全国平均より高くなっています。
保険料が高額になっている市町村に対して何らかの財政的支援ができるかどうかについては、他県や国の状況等も踏まえながら検討していきたいと考えています。
○土木建築部長(銘苅清一) 識名分譲住宅一帯の排水溝の整備についての御質問にお答えいたします。
当該地域の排水施設につきましては、昭和54年度から住宅供給公社が整備しその後那覇市へ譲渡され、現在は那覇市が管理する排水路であります。
台風による床上浸水等の被害が出ている原因は、上流付近を含む周辺地域の宅地開発により排水量が増加し、当該排水施設の排水能力が不足したためと考えられます。
浸水対策について那覇市に問い合わせたところ、既設排水施設の上流側から分水する新たなルートの排水施設を整備するための実施設計を平成11年度に行い、平成12年度には事業着手する予定と聞いております。
以上でございます。
○文化国際局長(金城勝子) 外間議員のお尋ねで、通告以外のものがございましたので、お答えできる分についてお答えをさせていただきます。
まず、見え消し資料という、見え消しというのがあるんですけれども、これは業界用語であるか学術用語であるかというお尋ねでございましたけれども、多分事務用語だと私は思うんです。事務用語でございますね。事務上の用語だと思います。
あと、太田次長が鉄砲を持たない兵隊の図を書いてごらんというのはこれは自分が指示したという発言を知っているかということでございますけれども、これは監修委員会にかけることを前提に担当部署、局長、次長を入れまして、学芸員も入れましての勉強会の中で発言したことは存じております。これはあくまでも勉強会は監修委員会にかけることを前提としての勉強会での発言でございます。
それから、3段階の比較表の提出はいつできるかというお尋ねがございました。
これは3月17日時点の状況と、それから現在の状況、その間の状況というのを9月20日の監修委員会でお話が出まして、私どもはできるだけやってみましょうということで監修委員には御返事申し上げておりまして、次回の監修委員会部会には事務方の方から委員の方にはお示しできると思います。
以上でございます。
○外間 久子 ちょっと休憩してください。
○議長(友寄信助) 休憩いたします。
午後10時48分休憩
午後10時50分再開
○議長(友寄信助) 再開いたします。
稲嶺知事。
〔知事 稲嶺惠一君登壇〕
○知事(稲嶺惠一) 政策参与の知的緊張感は足りないということの公人として発言してはならない暴言をどう考えているかということでございますが、私は、お互いに県側も委員会側も100%完全にはフォローしてないということをこういう表現で言ったと解釈しております。
○文化国際局長(金城勝子) 外間議員の御質問にお答えをいたします。
いわゆる見え消しの資料につきまして、スケッチとか文書、それから図面等の公開はいつかということでございましたけれども、スケッチとか文書、図面、そういった等の見え消しはございません。ないと理解をいたしております。
○外間 久子 環境問題で国が調査に入るんですけれども、これから定期的に点検を求めることができますか。
あと1つ、やはり国防総省から出されている環境統制基準というのがあるんですが、それに沿うと嘉手納にしても楚辺にしてもアメリカの担当官がいるということは法律を調べてきちっとこれは実施させていただきたいということ、それについて答えてください。
○知事公室長(親川盛一) 外間久子議員の再質問にお答えをいたします。
環境問題について、米側に対して定期的に求めることができるかと、こういう御質問かと思いますけれども、お答えをいたします。
環境問題については、返還予定地については当然これは求めていかぬといけませんが、現在あるものについても積極的に環境問題、あるいは環境浄化対策等についても機会あるごとに申し入れをしていくという考え方でございます。
それから担当官でございますけれども、先ほどの質問の補足になりますけれども、在沖米軍の環境問題を担当している部署としましては、例えば海兵隊では施設技術部の環境課というのがございます。そこですべての海兵隊施設及び普天間飛行場の環境保全プログラムを管理していると聞いております。
以上でございます。
○議長(友寄信助) 以上で本日の一般質問及び議案に対する質疑を終わります。
本日の日程はこれで全部終了いたしました。
次会は、10月4日定刻より会議を開きます。
議事日程は、追って通知いたします。
本日は、これをもって散会いたします。
午後10時56分散会