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平成13年(2001年) 第 2回 沖縄県議会(定例会)
第 2号 2月22日
西銘恒三郎
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私は、自由民主党県議団を代表しまして、さきに行われました稲嶺県知事の所信表明演説に対し質問をさせていただきたいと思います。
最初に、去る1月9日の少女わいせつ事件、1月15日及び20日の連続放火事件と21世紀冒頭より米軍人による不祥事で我が沖縄県議会の第1回臨時議会が開会されました。そして新年度予算を審議する極めて重要な第2回の2月定例県議会では、開会の初日に抗議決議が可決され、21世紀の扉を開く沖縄県議会がスタートしたことはまことに残念きわまりないことであります。被害に遭われた県民や関係者の方々に心よりお見舞いを申し上げると同時に、米軍関係各位にはたび重なる不祥事を二度と繰り返すことのないよう厳重に抗議し、猛省を促し、綱紀の粛正を強く求めるものであります。
このように抗議決議と再発防止を求めて我が沖縄県議会は、これまでに何度同じ趣旨の決議を繰り返してきたでありましょうか。
ちなみに、今回の決議が復帰後29年間で106回目の決議であります。終戦直後から今日に至るまで56年間に米軍人による事件・事故は、県民被害の精神的、肉体的な負の遺産として厳然と積み上げられてきているのであります。その意味では稲嶺県知事の発言された56年間の歴史とマグマの話、点と線の話は、まさに戦中戦後の沖縄県の歴史を鋭い切り口で表現する至言であります。
私は、政治にかかわる者として稲嶺県知事の歴史認識に敬服するものであります。
このような歴史認識のもと、我が自由民主党沖縄県連は、政治の原点をしっかりと踏まえ、県民の生命と生活を守るべく献身的に全力投球で県民のために頑張り、保守・中道の政治理念のもと、稲嶺県政・与党の役割を分担してまいります。
さて、いよいよ21世紀の新たな100年が始まりました。このときにあたり、我が琉球王国の歴史遺産群が世界遺産として登録されたことは、我が祖先の営みが中国大陸、東アジア地域から東南アジア、そして太平洋の島々に至る広範な地理的広がりの中で世界的な歴史として評価されたものであり、県民の誇りとして心から喜びを表明したいと思います。
私は、みずから生まれ育った地域の持つ歴史を大切にしながら、歴史に耐えてきた普遍的な価値判断基準、具体的には家族のきずな、親子のきずな、兄弟愛、そして友達を思う心、郷土を愛する心などを大切に守り次の世代へつないでいく、このことが人間の生きざまとして一番の自然体であると考えるのであります。そして地域のよき伝統を土台にして時代に見合う沖縄県の飛躍を求めていきたいと考えております。
そこでまず、21世紀の沖縄はどうあるべきなのか。知事就任以来、県民福祉の向上に誠心誠意取り組んでこられた稲嶺県知事の考えておられる21世紀の沖縄像をお聞かせください。またその実現に向けて政治はどうあるべきなのか、県知事の政治理念を含めて率直なお考えを聞かせてください。
次に、ことしの1月6日、21世紀の幕あけとともに、明治維新や戦後改革にも匹敵する第3の改革として中央省庁の再編が行われました。21世紀の沖縄像を描くとき、県政の組織を地方の独自性を維持しつつ中央省庁の再編に対応すべき点がないのか、機構改革について知事の所見を伺います。
次に、知事は、平成13年度を「基礎づくりの年」と考えておられますが、まさに県政の最重要課題は目前に迫った沖縄振興新法の制定と沖縄振興新計画の策定であります。この法律と計画こそが21世紀の沖縄の方向性を決めると言っても過言ではありません。これまでの取り組み状況と現時点での課題や問題点、さらに今後のスケジュールを県議会とのかかわりをも含めて御説明してください。
次に、21世紀は地球環境問題が大きなテーマの一つになりますが、島々から成り立ち、東西1000キロ、南北400キロの広大な県域を有する沖縄県としては率先垂範して地球環境問題に貢献していく県づくりを進めるべきだと考えます。環境問題と経済成長が両立するという認識のもとで、「新法」と「新計画」の中で地球環境問題を明確に取り込むべきだと考えますが、県知事の御所見を伺います。
泡盛製造業に見られるような家内工業的製造業のあり方は、大きな景気変動の影響を受けにくいのではないでしょうか。地道に人間の健康にいいものをつくる健康産業の育成についても何かを示唆していると考えます。「新法」と「新計画」の中でどう取り組みますか、沖縄型の製造業のあり方を知事はどう考えますか、所見を伺います。
ところで、今から100年前、20世紀初頭の沖縄は、琉球王国から沖縄県に変わって22年が経過した時期であります。1903年には税制の改革が行われ、年貢型の公租から租税に変わり、いわゆる土地整理が完了して農民が最終的に土地の所有権を確認することができ、納税の主体となっておりました。また悪名高い人頭税も1903年には廃止されております。1908年には民権運動家の謝花昇先生が参政権運動に身を投じ43歳で亡くなられております。沖縄が国政に参加できるようになるのが1912年であります。しかし宮古、八重山の人たちに参政権が認められるのは7年おくれて1919年のことです。県政が知事の権限が強い特別県政から全国の他府県並みの自治権を獲得するのは1920年であります。
経済的には、1914年に勃発した第1次世界大戦で沖縄は砂糖景気に沸きます。しかし戦争の終結で国際的な価格暴落が起こると県経済も大不況に陥ります。大正の末期から昭和初期──1920年代から30年ごろまで──の経済恐慌は、農民の生活状況を「ソテツ地獄」と表現し悲惨な生活状況を例えております。そのころ多くの県民が新天地を求めて海外への移民となり、他府県への出稼ぎも急増します。移民の人々は海外での厳しい生活の中から沖縄県に送金しますが、その金額は県の年間財政収入の40%から65%にも及び県民生活の大きな支えとなっておりました。
20世紀の100年を25年間のスパンで大ざっぱに4期に分けて概観すると、第1期の25年間は王朝時代の制度から全国他府県並みの制度へと社会変革の四半世紀であります。第2期の25年間は戦争の四半世紀です。第3期の25年間は米軍施政権下の四半世紀です。第4期の25年間は復帰後の四半世紀であります。
さて、過去100年間を概観してみましたが、世の中の変遷は想像を絶するものがあったかと考えます。それでも人間の営みは一日一日の積み上げで未来永劫に続いていきます。だからこそ政治にかかわる者としては、志をみずからの心に高くしっかりと掲げながら県民福祉の向上を目指して邁進しなければなりません。その実現のためには県の財政をしっかり確立しなければなりません。20世紀の一時期に大変厳しい状況の中で、海外の移住者からの送金が県財政収入の40%から65%にも及んだ事実を私は初めて知りました。
昨今の財政状況は大変厳しい状況が続いております。国も地方自治体も含めて平成13年度末には長期債務残高が666兆円にも達するという厳然たる事実の中で、地方交付税や国庫支出金に全体の約75%近くを依存している沖縄県の財政状況はどうなっているのでしょうか、現状と今後の見通しを説明してください。
次に、少し具体的になりますが、福建・沖縄友好会館については補助金の総額の推移等今後の見通しをどうするおつもりか、県の考え方をあわせて伺っておきます。
次に、大那覇国際空港の沖合展開についてお尋ねします。
ヤポネシア構想という文化論があります。作家の島尾敏雄氏によって提唱されております。北は北海道から南は沖縄県の与那国島までを太平洋の西北に浮かぶ細長い島々の連なりとして考え、南太平洋に広がる4つの島嶼群のインドネシア、メラネシア、ミクロネシア及びポリネシアと対置させた広い視野でとらえ直そうという構想であります。
法政大学の外間守善先生によりますと、宇宙開闢神話の一つで、東アジアや東南アジア、ポリネシアに広く分布している兄と妹、兄妹始祖型洪水神話については沖縄にも同型の神話が見られ、古宇利島、宮古島、石垣島その他に残っているそうであります。しかもそれは日本神話のいざなぎ、いざなみ神話とも通ずると言われております。
もう一つ、琉球音階がインドネシアのジャワ島やバリ島のガムランとの類似性が指摘され、さらに同様のものがインド、スリランカ、ビルマ、ネパール、ブータン、ミクロネシア、ポリネシアにまで奥地に孤立した形で広く分布しているという調査報告がなされているようであります。
このように、沖縄の持つ歴史性や地理的な位置からくる文化論、すなわち太平洋文化圏の中の沖縄を考えるとどうしても那覇空港の沖合展開は、アジア・太平洋地域における国際交流拠点として県政の自立経済発展の基礎として取り組んでいかなければなりません。現状からの発想にとらわれることなく、ダイナミックな発想で沖縄の将来像を語るべきと考えます。県知事の実現に向けた決意及び基本計画策定の時期、国土交通省や防衛庁との調整状況はどうなっているのか、お伺いします。
次に、観光・リゾート産業とバス会社の統合問題についてお尋ねします。
本県のリーディング産業である観光・リゾート産業について知事は将来の観光入域客をどの程度まで伸ばしていこうと考えておられますか。また、その受け入れ体制として特に重点的にどのような施策を展開するのか、お伺いします。
バス会社の統合問題については、古くから県政の課題でもありました。私企業と県民の足を確保するという公共性の問題や、現代では特に車社会の弊害として二酸化炭素排出から地球温暖化問題など公共の交通機関としては環境問題に貢献すべく考える視点が重要になっております。
そこで伺います。
バス会社統合問題について、現時点での最大の問題点は何ですか。今後どう展開していくのか、県の基本的考え方を説明してください。
次に、無認可保育園についてお尋ねをします。
沖縄県では公立と認可の保育園で2万2793人、無認可の保育園で2万3979人の子供を預かっております。現実に50%の子供が無認可保育園で保育されております。同じ沖縄県の子供でありながら行政の光は、具体的には税金の使われ方として相当大きな格差があると言われております。
ある無認可保育園の経営者が開発金融公庫に借入金の相談に行ったら、保育園だから対象にならないと言われ、県に行ったら認可保育園の基準に合致しないので児童福祉法の対象にならないと言われ、現実に子供たちを預かっているのに社会的に認知されていないと報告をしておりました。また、ある園長先生は、固定資産税を90万円、消費税を190万円払っている、この金額の分だけでも免除できたら保母さんの待遇改善ができるとの報告もありました。
私が一番胸を打たれたのは、子供のときには税金の光を当てられてない子供たちが、成長して大人になると、高齢者を支えていくときには同じように負担をしていかなければならないと訴えられたときであります。子供の側に立って子育て支援の条例を制定し、政治の光を当てるべきではないでしょうか。県知事の無認可保育園に対する見解をお伺いします。
次に、去年の11月に沖縄県少年育成ネットワークが設立されております。子供は国の宝であります。このネットワークの設立の経緯及び今後の活動をどう展開していくのか、説明してください。
次に、米軍基地問題について伺います。
21世紀初頭から米兵の不祥事が続き、ハワイでは大変な事件が起こりました。「水産高校の実習船」というニュースの第一報を聞いたとき、私は沖縄水産高校と勘違いをし、一瞬頭の中が真っ暗になってしまいました。事故に遭われた関係者の皆様には心よりお見舞いを申し上げます。
さて、稲嶺県政もいよいよ折り返し点を通過して第3コーナーに向かいました。私は、稲嶺県政誕生の大きな原因は、前の県政が米軍基地問題、特に普天間飛行場移設問題で全くのどん詰まり状況に陥り、県政全般が閉塞状況になり、社会全体が暗く沈んだ状態になっていたことにあると考えております。そこへ困難な問題を解決するためにさっそうと登場してきたのが稲嶺県知事であります。問題を解釈するのではなく解決するためにという知事の発言は、県民の心にしっかり受け入れられたのであります。早いものであれから2年が過ぎ、これまでの助走期間からいよいよ歴史の残した重い課題解決に敢然と力強く疾走していかなければなりません。
まず、普天間飛行場の移設についてお尋ねします。
これまでに代替施設協議会が5回開催されております。15年使用期限問題については、政府の閣議決定の文言以外に明確な考え方が示されておりません。15年問題に対する政府の明確な考え方はいつの時期にどのような形で示されるのでしょうか。知事の明確な御答弁を求めます。
また、着工までに15年問題が進展すると考える知事答弁の根拠は何でしょうか、説明してください。
次に、那覇軍港の移設について伺います。
那覇市の翁長市長に続いて浦添市の儀間市長が誕生しました。県知事と同じ政策の市長が誕生したことになります。このような政治状況下で那覇軍港の移設はどのように進展していきますか、知事の所見を伺います。
海兵隊の兵力削減についてお尋ねします。
アメリカの独立戦争が始まって間もなく、アメリカ海軍の中に、後に合衆国海兵隊と呼ばれる一つの組織が誕生しております。1775年11月10日、大陸会議は、大陸海兵隊と呼ばれる小さな軍事組織──2個大隊1400人程度かと思いますが──の創設を決議しております。
アメリカ海兵隊がつくられたのは特別の戦略的な配慮があってのことではありませんでした。イギリス本国でイギリス海兵隊(ロイヤルマリーンズ)という組織があったので、それをまねてアメリカ海兵隊が創設されただけのことだったようであります。しかし当時の将軍ジョージ・ワシントンは、みずから率いる陸軍から2個大隊1400名程度も引き抜かれるのは陸軍の力を弱めると考え、消極的でありました。そのため海兵2個大隊はすぐには実現されておりません。
海兵隊の最初のリクルート新兵募集は、タン・タバーンと呼ばれる居酒屋で、その所有者キャプテン・ロバート・ムランによって始められております。この居酒屋が海兵隊の生誕の地とされております。
一説によると、当時海兵隊といってもだれも知らないので、酒場で泥酔させて入隊のサインをさせ、引き立てていったそうであります。当初集まったのは10人の将校と約200人の兵にすぎませんでした。最初の海兵隊司令官はサミュエル・ニコラスという居酒屋経営者でありました。
このように見てくると、アメリカ海兵隊は生まれたときから問題含みだったのかもしれません。しかし創設以来、独立戦争を初めとして2度の世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などにおいて重要な任務を遂行し、存在感を誇示しながら米国の軍事・外交に大きな役割を果たしてきております。
ミリタリーバランス94年版によりますと、アメリカ海兵隊は3個師団18万3000人、うち女性8100人の現役人員を有しております。陸軍58万6200人、海軍51万600人、空軍44万9900人の現役人員と比較すると相対的には規模の小さい軍事組織であります。
海兵隊は、創設以来その存在が絶えず疑問視されてきた組織であります。海兵隊は、その存在のために戦い続けてきたとさえ言われております。海兵隊の歴史を組織論的に考察すると、海軍所属のほとんど取るに足らない荒くれ者集団が今日のエリート集団へと自己革新をしてきた姿が浮かび上がります。海兵隊は、太平洋戦争で日本軍と戦うために水陸両用作戦という概念を創造し、一連の作戦を通じてそれを実行する組織的能力を構築していっております。それは、世界の戦史上最も画期的なイノベーション、革新の一つであったと言われているようです。
海兵隊と沖縄の関係は、1853年5月にペリー提督率いる東インド艦隊の海兵隊が沖縄の那覇に上陸しているのが最初であります。同年7月8日に浦賀に来航したときに、約200人の海兵隊がアメリカ側使者に随伴して上陸をしております。
長々と海兵隊について発言をしましたのは、相手を知る必要性からであります。軍人といえども人間であります。人間と人間の交渉が政治でもあります。
さて、沖縄県議会は1月19日に「海兵隊を含む兵力の削減」を抗議決議の中に盛り込みました。私は、軍事の専門家ではありません。しかし、県議会議員として政治的視点からの強力なアプローチとしてより具体的な提言として海兵隊の新人教育の6カ月プログラムを米国本国で実施すべきであり、在沖の海兵隊員は家族持ちの隊員を中心に派遣をすべきかと考えます。
基地の整理縮小という概念は当然の帰結として兵力の削減を含みます。県議会の決議は、県知事の政治姿勢に含まれる範疇にあると考えます。
そこで、海兵隊の兵力削減について知事の所見をお伺いいたします。
最後に、地位協定の見直しと知事訪米についてお尋ねをします。
国際政治を考えるとき、現実としてアメリカの政治動向を無視することはできません。むしろ注意深く見守りながら沖縄の県益、国益を考えなければなりません。これだけ米兵による事件・事故が繰り返されますと県政の最高責任者、県知事として心休まるひとときもなく、心労もストレスも大変な御苦労かと推察申し上げます。それでも県知事は、県民の声を政府や米国関係者に強力に伝えなければなりません。そろそろ県知事として関係省庁と連携を十分とりながら県民の声を米国政府に直接訴える時期到来かと考えます。
そこで伺います。
まず、地位協定の見直しについては日米両国政府に訴えるべきと考えます。河野外務大臣の対応が少し変わってきたかの印象を受けますが、どうでしょうか。米国関係者の対応はどうでしょうか、知事の所見をお聞かせください。
次に、ブッシュ政権発足後、県知事としてワシントンDCに乗り込み、県民の声を米国政府関係者に直接訴えるべきかと考えます。知事訪米の時期とそのときに要請する項目について知事の所見を伺います。
沖縄県の県知事職は、他府県の知事職と違って我が国の安全保障の75%を背負っていること、さらに沖縄の持つ歴史からくる不利益、具体的には長期間国政に代表を送ることができなかった事実などを考えると、県知事職は大変に重たく極めて重要な職責を負っているものであります。稲嶺県知事を筆頭に県執行部の皆さんにおかれては、どうか健康に十分留意され、思い切って県民の負託にこたえてください。
自由民主党県議団は、与党の一員としてしっかり県知事以下県執行部の皆さんを支えてまいります。そして県民に信頼される政治を目指して全力投球することをお約束申し上げ、私の質問を終わります。(拍手)
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