平成13年(2001年) 第 6回 沖縄県議会(定例会)
第 7号 12月20日
当山 全弘
 

 ただいま議題になりました那覇港管理組合の設立について、乙第17号議案に対し社大・結の会を代表いたしまして反対討論を行います。
 初めに、那覇軍港は1945年米軍による軍事占領に伴い港湾改良工事が施行され、1972年5月15日の復帰に際し、那覇軍港は港湾施設として提供施設となりました。
 1974年日米安全保障協議委員会で那覇軍港の移設条件つき全面返還が合意された。ところが1974年2月22日付のマスコミ報道によると、当時の山中防衛庁長官は2月21日の衆議院予算委員会において、那覇軍港の代替港は県や那覇市、浦添市と相談の上、浦添市に建設されることを明らかにした。1993年11月、県が那覇軍港返還を優先順位の高い重要3事案の一つに位置づけた。
 1995年1月4日、沖縄タイムスは、「日米、「3事案」解決へ動く」、「米 牧港案を提示」と報道した。1995年5月11日、早矢仕那覇防衛施設局長が浦添市を訪問、日米合同委員会で軍港移設先が浦添地先に決まったと同日日米合同委員会で移設先を浦添地先と合意していることを説明した。移設反対は市民の総意であるにもかかわらず、防衛施設局は強引に調査費を計上、那覇軍港の現況調査を実施検討した結果、移設場所はこの場所しかないと防衛施設庁はコメントをしております。
 1995年9月に発生した米軍による少女暴行事件に端を発した県民運動は、1996年9月の県民大会へと拡大した。県民投票の意思は、米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを求める声が大多数を占めた。ところが、返還移設の対象となった11施設は県内移設が条件となっている。その1つが那覇軍港である。27年前に返還が合意されて動かなかった遊休化している軍港を新たに12基の大型クレーン等の設置、水深11メートルから15メートルの水域に空母や大型艦船が入港できる軍港につくりかえるということにつながり、基地の整理縮小どころか基地機能の強化は明らかである。
 また、浦添市の面積の15%を占める牧港補給地区の永久固定化につながり、浦添市の経済発展(振興)を含む将来発展の道を閉ざすことにつながる。
 以上のことから見て、那覇港湾施設の現状と浦添埠頭に新基地が新設された場合、浦添の将来においてどのような形で影響を及ぼすかはかり知れない課題が山積し重くのしかかることは明白である。那覇軍港の返還合意から四半世紀が経過している。この間、軍港跡地利用が待望されたが、先行きが不透明で地主の不安を招く結果になり、県内移設条件つきが障壁となり現在に至っている。
 ところで、那覇港湾管理組合の設立は、もともと狭隘で貧弱な那覇港を国際的な港湾に整備することを目指していた。ところが、今回提案された議案の中身は、組合の設立は軍港受け入れが前提になっている。しかし、その中身は浦添市長が受け入れ表明の中にあるように、那覇港湾施設の受け入れを前提に一部事務組合の設立を進めてまいりましたと明言しているように、一部事務組合をつくって港湾改訂作業を行い軍港の位置決定を進めようとしていることが明らかになった。利害論議が先行し、ハブ港湾開発をどう進めるか展望が見えないまま県がまとめた港湾計画の総事業費5500億円の数字を見ても、高率補助をもっても通常の予算執行では困難な莫大な金額になる。県も那覇も浦添の軍港受け入れを前提に議論している。浦添市は、那覇市の債権・債務の承継や新たな裏負担分とあわせて軍港という負の財産を永久に背負うことにつながるのは明白である。
 県は、2003年3月をめどとする那覇港の港湾計画改訂に向けた那覇港長期整備構想検討委員会を開いて、那覇港浦添地区に移設されることになっている那覇軍港の位置づけについては、来年2月の会合で話し合うことで合意し、那覇港の新たな管理者となる一部事務組合を発足させ、管理者には稲嶺知事がついて港湾計画の改訂作業に着手し、この改訂作業において軍港の位置や規模などが決められ、県庁の一室で日米政府、県(管理組合)の協議によって事は進められていく順序になります。
 以上のように今回提案されている議案は、浦添埠頭に那覇軍港の移設を前提にしたものであり、到底認めることはできないことを表明し、多くの議員が賛同するようお願いを申し上げ、反対討論といたします。

 
20010607020220