平成20年(2008年) 第 3回 沖縄県議会(定例会)
第 4号 9月29日
瑞慶覧 功
 

 お疲れさまです。
 社大・結の瑞慶覧です。最後ですのでよろしくお願いします。
 さて、沖縄県は海外移民を多く送り出している県です。実に日本の海外移民の12%から13%を占め、約36万人もの県人がいると言われております。
 沖縄県の海外移民は、1899年にハワイに27人が、沖縄移民の父と言われた当山久三氏によって送り出されました。その後、南北アメリカ大陸、東南アジア、南洋諸島、台湾、満州へと渡りました。明治以降の近代沖縄の歴史は、海外移民なくして語れないと言っても過言ではありません。
 1974年に発行された沖縄県史の移民編によりますと、移民県としての背景には、耕す土地も働くべき仕事もなく、南海の孤島で暴風や干ばつによる飢餓の中、やむにやまれない選択であったことがうかがえます。いわゆるソテツ地獄と言われたころで、また政治的な背景に沖縄差別に抗し、謝花昇や当山久三らが自由民権運動で奈良原知事に弾圧されたころであります。
 1908年から移民が始まったブラジルでは、沖縄移民はしばしば劣悪移民として排斥され、一時期送り出しが中断されたこともありました。劣悪移民とされた理由は、1つに、契約を守らずに逃亡する者が多い、1つに、郷土的な団結心が強過ぎる、1つに、永住する気がなく郷里に送金することを目的としている、すなわち同化能力がないと酷評されました。
 しかし、後の1939年に沖縄県当局が移民政策を従来の出稼ぎから永住に切りかえたことと、太平洋戦争の敗戦により永住へと意識が変わっていきました。かつては劣悪移民の要因とされた団結力で優良移民に変わっていったのです。
 沖縄移民の歴史と背景が詳しくありますので、この機会に皆さんも県史の移民編を一読してください。
 東南アジア、南洋諸島、台湾、満州などの移民は戦後財産を没収され、帰国を余儀なくされました。ちなみに、私の父もサイパン生まれでした。
 太平洋戦争直後、壊滅的な打撃をこうむった沖縄に海外の同胞から物心両面の支援活動が行われました。照屋大河議員からも報告がありましたが、ハワイの豚のお話もその一環です。戦後復興と今日の発展は、海外の同胞の支援なしにはなかったと言われています。
 また、ブラジルでは戦争の勝ち組、負け組の抗争により県系人同士が対立し死者まで出すという痛ましい事件もありました。
 アルゼンチンでは、1975年から1978年に県系人12人の若者が軍に拉致され行方知れずになったままという悲しい出来事もあります。
 県系移民の皆さんは、歴史に翻弄されながらも多くの困難を乗り越え今日に至っています。そして、ことしブラジル・アルゼンチンの沖縄県人移民は100周年という記念すべき節目を迎えました。
 今日、ブラジルには約17万人、アルゼンチンには2万5000人の県系人が住んでいます。今回の式典に参加されました安里副知事並びに髙嶺議長を団長とした県議会の交流団の皆さん、ハードな日程、大変お疲れさまでした。
 それでは伺います。
 今回の県人移民100周年記念式典に参加されての県当局の報告を伺いたい。
 今回、私は自費でブラジル・アルゼンチンに行ってまいりました。親戚訪問などのため御一緒できませんでしたが、ブラジル・サンパウロでの式典には参加させていただきました。特に芸能祭での移民100年の流れをテーマとした劇、そして歌と踊りの構成にはとても感激しました。
 私は、30年前も70周年記念式典と県人会館の落成式に参加しましたが、そのときと比べ今回は現地の演目や事業がとても充実しておりました。それだけ100周年に対する意気込みがひしひしと伝わってまいりました。
 その大きな要因として、沖縄県がこれまで行ってきた海外移住者子弟の留学生受け入れ事業などの成果だと評価できます。県費留学生や市町村研修生のOB・OGなどで組織された二世・三世のグループ「うりずん」の皆さんが今回の記念行事を一生懸命に取り組んでおりました。残念だったのは、フィナーレのカチャーシーの場面で沖縄から参加された皆さんのほとんどがいらっしゃらなかったということです。このことは、旅行業者の事情によるものと理解しておりますが、次回はぜひ最後のカチャーシーまで参加してほしいと思います。
 アルゼンチンにおいても県費留学生や市町村研修生で組織した「沖留会」が今回の事業を支えたことが新聞で報じられておりました。
 伺います。
 (2)点目、今回100周年という大きな節目になぜ仲井眞県知事は出席されなかったのか。
 (3)点目、今回、記念式典に沖縄県からおよそ何人、その他の国から何人参加されたのか。
 (4)点目に、海外移住者子弟留学生の受け入れの制度の説明と実績について伺う。
 (5)点目に、県に進出したブラジル国営企業ペトロブラス社への表敬訪問をされたのか。されたのであれば、内容の報告をお願いしたい。
 今回、私は33年前のブラジル県費留学生の実家にお世話になりました。現在、彼女は結婚して沖縄に住んでおりますが、娘さんが県費留学生としてサンパウロ大学に留学し、移民史について勉強しております。100周年記念事業成功のため、ボランティアとして献身的にかかわっておりました。私は、今後、ブラジルなど海外の県系人と沖縄県との交流はどうあるべきか、当事者としての意見を聞かせてほしいとお願いしました。
 メールが送られてきましたので、要約して読み上げたいと思います。
 ブラジルの沖縄県系人の中心組織である沖縄県人会は、ブラジル全土に44の支部を抱え、組織運営や沖縄の文化継承、沖縄を初めそのほかのウチナーンチュとブラジルのウチナーンチュとの交流を積極的に行っている。また、ブラジルに数多くの琉球芸能団体が存在し、定期的に発表会やコンクールを行うといったような沖縄文化の実践が日ごろからなされている。県費留学生や市町村研修生、OB・OGたちによるグループ「うりずん」も沖縄県人会の活動を支えている。「うりずん」のメンバーは、主に20代・30代の沖縄県系二世・三世から成るグループであり、メンバーのほとんどが沖縄長期滞在経験者である。彼らは、沖縄を肌で感じたことによってますますウチナーンチュとしての意識や誇りを得ることができたと話している。そして、彼らが見て、聞いて感じてきた沖縄をブラジル社会にもっと浸透・発信したい、すべきだと考えており、ブラジル社会にも溶け込んでいる二世・三世という立場を生かして積極的にブラジル社会に沖縄をアピールしている。一方で、県費留学生や市町村研修生などの派遣人数が年々減少してきていることを危惧している。沖縄の人々と海外の沖縄県系人両者ともに沖縄や移民の歴史の再認識が必要になってきているのではないだろうか。
 そこで、今後は留学生や研修生をブラジルから沖縄へ派遣するといった一方向だけでなく、沖縄からブラジルへも派遣するといった双方向の人材育成が沖縄とブラジルの交流をより強力にすると考えられる。
 また、ブラジルは著しい経済発展を見せており、南西石油がペトロブラス傘下に入った現在、沖縄経済とブラジルは今後さらに密接なものになってくるだろう。その点から考えても、沖縄とブラジルの橋渡しを行える人材の育成は重要になってくるに違いない。WUBのようなウチナーンチュをキーワードとした世界的なネットワークが市民レベルでも構築されることが望ましいのではないか。
 「うりずん」のメンバーの一人が感想で言っていたことが、私の世代で留学制度を終わらせたくない。将来生まれてくる私の子供も孫も、その制度などを通して私が感じたような沖縄に対する思いや経験をしてほしい。だから今こうやって一生懸命活動しているといった言葉が印象的だったと言っております。
 県費留学生や研修制度の意義というのは、ブラジル社会への貢献や沖縄文化の習得や交流というもののほかに、長い目で見れば次の世代へというのがとても大切な意義の一つではないかと思いますというメッセージが届いておりました。
 伺います。
 (6)点目、WUBの活動、実績について伺う。
 (7)点目、沖縄県の国際交流・人材育成として県費留学、研修制度について伺う。
 (8)点目、中国、台湾、東南アジアには経済交流の拠点が置かれているとのことであるが、県系人の多い南米・北米大陸への設置はどうなっているか伺う。
 今回の100周年記念事業を通して感じたのは、現地の取り組みは大変充実していたのに対して、沖縄県の取り組みが見えないということです。100周年という大きな節目に県としてこれまでの移民政策や交流事業を総括することが今後の世界のウチナーンチュになるために必要なことではないかと考えます。そういった観点から、今回多くのマスコミが力を入れて取材もしておりました。ですから、これからでも県はまとめて多くの県民に伝えていただきたい。そしてますます国際交流・人材育成事業を推進していただきたいと思います。
 「しまくとぅばの日」について。
 9月18日は「しまくとぅばの日」とする条例が県議会で2006年3月29日に可決されております。郷土の文化を誇りに思い、守り、大切に育てるために方言を忘れてはならないと思います。
 私の子供たちは方言を話せません。家庭でふだん方言を使わないので当たり前のことですが、地域のお年寄りなどとの交流が少なく、方言を耳にする機会もなくなっています。学校ではサンシンやエイサーをクラブ活動や運動会などで習っていますが、肝心の言葉の意味がわからなければそれこそ意味がありません。
 伺います。
 (1)点目、県では、「しまくとぅばの日」にどういった事業を取り組んでいるのか。
 (2)点目、各市町村の小中学校での取り組みはどうなっているか伺います。

 
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