平成20年(2008年) 第 1回 沖縄県議会(定例会)
第 7号 2月26日
教育長(仲村守和)
 

 それでは教育行政についての御質問で、沖縄盲学校の歴史的経過の評価についてお答えいたします。
 沖縄盲学校は、宮崎県出身の全盲の高橋福治先生が、1921年に私財を投じて創設した「私立沖縄訓盲院」が始まりであります。このことは、視覚障害児の教育が十分でない当時において画期的なことでありました。
 その後、1943年には県立盲聾唖学校として視覚障害教育及び聴覚障害教育が行われました。1959年には琉球政府立沖縄盲学校となり、1972年の祖国復帰に伴い、沖縄県立沖縄盲学校と改称され、現在に至っております。
 同校の卒業生の多くは、あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師として病院や治療院等に就職し、社会に貢献しております。
 幾多の歴史的変遷を経た沖縄盲学校は、本県の視覚障害教育に多大な貢献をしてきたものと認識しております。
 次に、「デイゴの花かげ」の感想についてお答えいたします。
 「デイゴの花かげ」は、本県における盲教育・福祉の父と言われている高橋福治先生の伝記であり、全盲というハンディを負いながらも、大正・昭和の激動期の沖縄で盲学校をつくるという偉業をなし遂げた足跡をつづった本であります。
 高橋先生は、視覚障害者が自立した生活を送るための教育の必要性を訴え、盲学校の前身である訓盲院を創立し、点字教育や職業教育に取り組みました。
 また、多くの離島に赴き盲学校への入学を勧めるなど、その行動力や障害のある子供たちに対する教育愛の深さに感銘を受けたところであり、特別支援教育の重要性を改めて実感いたしました。
 次に、併設型の学校の弊害についてお答えいたします。
 近年の障害の重度・重複化や児童生徒一人一人の教育ニーズに適切に対応するため、従来の盲・聾・養護学校は障害種を超えた教育を実施することができる特別支援学校制度へ改められました。
 視覚障害と知的障害など、複数の障害に対応する学校においては、障害種ごとの学級編制や教育課程によって教育活動を行うことや、障害の特性に応じた教室等の区分により安全性や専門性を損なうことがないよう対応してまいりたいと考えております。
 次に、単独型の養護学校の設置についてお答えいたします。
 県教育委員会では、学識経験者や保護者代表等から構成された懇話会から、地域の教育ニーズに対応する特別支援学校の整備について提言を受け、特別支援学校編成整備計画(案)を作成したところであります。
 これからの特別支援学校は、障害の重度・重複化や地域の教育ニーズに応じて複数の障害種に対応する学校として整備することが求められていることから、今後は制度の趣旨に沿った学校整備を進めていきたいと考えております。
 県教育委員会としましては、引き続き保護者や関係団体等に十分な説明と意見交換を行いながら理解を得ていきたいと考えております。
 次に、沖縄学生会館の存続についてお答えいたします。
 県教育委員会としましては、県外で勉学に励む県出身学生のための学生寮が人材育成に果たしてきた役割は大きなものがあると認識しております。
 沖縄学生会館は、建築後45年が経過しており、入寮生の安全確保の観点から建物の老朽化状況を早目に把握する必要があり、平成20年度中に耐力度調査を実施したいと考えております。
 今後、耐力度調査の結果を受け、沖縄県国際交流・人材育成財団及び入寮生等の意向を聴取するなど、適切な対応をしてまいりたいと考えております。
 以上でございます。

 
20080107200070