要旨
陳情者の父は、戦後、米軍基地に莫大な面積を接収された沖縄県北谷地域の住宅地不足解消を目的として、1966年3月25日公有水面埋立免許申請を行い、許可、認可を受け約19万坪の大規模な海岸埋立事業を行い地域に大きく貢献した。しかし、琉球政府の指導に基づきさきに免許された埋立地と隣接した箇所について「免許申請」を行ったものの、1972年5月15日の日本復帰の行政事務繁忙期と相まって、免許されることなく所有権を取得できず無願埋立地として扱われ、当該埋立地は現在、国の所有となっている。当時、琉球政府は「追認相当」として1972年3月23日北谷村へ諮問、同年6月22日同村から「原案通り」と答申されたが、1974年の公有水面埋立法改正(追認制度の廃止)までに県が処分(認可)しなかったため「無願埋立地」とされた。昭和58年、県は県内各地の無願埋立人(父を含む)に対し原状回復義務の申請を行うよう通知した。父は、自分に過失はなく県の不作為だとして県を相手に訴訟を起こしたが、裁判では却下、棄却が繰り返され、結局、国所有となった。
その後、支援者の尽力で当時の資料が収集され、裁判に提出されなかった「実施設計申請書」と「実施設計認可書」等が入手できた。これらは父の主張を裏づける重要な証拠である。平成28年1月、父の代理人であるA弁護士及びB会計士(以下「Aら」という。)が浦崎副知事と面談し、同副知事の依頼を受けてAらが国土交通省等に出向き相談したところ、同省から本事案は沖縄県が判断するもので国が口を挟むものではないとの回答があった。これを受け、Aらは同副知事に上申書を提出したものの、土木建築部長から、法改正があったからできない、裁判で決着しており行政財産から普通財産に移行するとの考え方が示され、当時の県の瑕疵をも認めようとしなかった。その後もAらは担当副知事が変わるたびに、知事公室長や土木建築部長等にも経過等を説明した。令和4年4月に知事宛て嘆願書を提出した後、Aらは同年11月14日、池田副知事、島袋調整監、土木建築部長と協議したが、土木建築部長は当初から県の結論に変わりはないとして、最終的には知事も了解済みであるとして協議が終了した。
私たちは、琉球政府の指導を受けながら行ってきた埋立てが「無願埋立」とされた父の冤罪を晴らすべく資料を提示し、宇賀意見書により合法的な解決策を提案してきた。しかし、県当局は、提出された資料等を真摯に検討して解決しようとする姿勢が全くなかった。
こうした中、令和6年12月初旬に私が当該土地の現状を視認したところ、ボーリング調査に係る機材と思われるものが設置されており、何らかの作業が行われていることを確認した。北谷町がこの土地を活用したいということは町の計画にも入っていることから承知しているが、以前、この土地を埋め立てた経緯や土地の所有権に関して県と折衝していることを北谷町長宛て文書で伝えているもかかわらず、町が本土地の所有を県に要請することは全く考えられない。県民の納めた税金の無駄遣いになることからも、県にこの調査の中止を申し入れたが、議会としても中止の申し入れに対する理解と担当部局への指導をしてもらいたい。
ついては、下記事項につき配慮してもらいたい。
記
1 平成28年10月11日に提出した「出願承継届出書」を受理すること。
2 1968年10月30日付公有水面埋立申請について免許、許可、認可すること。 |