平成23年(2011年) 第 8回 沖縄県議会(定例会)
第 8号 12月 8日
池間  淳
 

 再質問を行います。
 まず、日米地位協定改正についてでありますが、私もここに来てもう15年と6カ月になります。これは先ほども話しましたように、この40年間、議会でも毎回のように、地位協定を改定させようと、抜本的な改正をさせようというふうなことで取り上げてずっといろんな行動をやってきているんですが、全く進展が見られないんですよね。アメリカの好意的考慮がなければ日本の法律は適用されないよというふうなことで、好意的考慮があればできるというふうなところまではちょっと前進かなというふうには思うけれども、しかし、これは我々が願うところではないんです。ですから、これは一日も早く抜本的な見直しをしなければいけない。
 しかし、従来の運動方針では執行部は執行部でやる。そして県議会は県議会でやっているけれども、前進がない。そこで何をやればいいかと言いますと、私は、宮古の農民が人頭税廃止運動を展開をして、そして本当に体を張って死に物狂いになってこれを廃止させた。この方法をとれないのかなというふうな思いを持って、先ほどの質問の中にも国民世論を喚起しなければいけないんじゃないかというふうなことも述べたんですが、まず知事、この人頭税が宮古と八重山にあったことはおわかりですよね。実際にこれはあったんです。
 それで、人頭税がいかに過酷な税であったかというふうなこと、これはその参考の一つの文献なんですが、これは渡久山寛三さんという人が書いた本なんですが、(資料を掲示) これを一晩で読みました。涙なくしては読めない本なんです。本当に政治家として恥ずかしい思いをしながら読みました。ですから、この40年間、議会の皆さん方も一生懸命やっているやっていると言いながら、私を初め40年間まだ前進しないというふうなことは何もやっていないということと一緒なんです。ならば、どうすべきかというふうなことをやらぬといけないんです。
 この「島燃ゆ」、これは島が燃えたんです。農民が燃えたんです。この過酷な人頭税をどうすれば廃止できるかというふうなことでやった。しかし、やっぱり言葉を話せない。先ほど宮古の言葉でやったんですが、全部は聞き取れなかったと思うんです。この農民は一生懸命頑張るけれども、当時の沖縄県の皆さん方は――琉球政府かな――門前払いで全く問題にしなかったんです。そして、これが260年間も続くんです。しかも人頭税といって、宮古に行ったらぜひ見てもらいたいんですが、この自然の岩――1メートル30から40ぐらい――より大きくなったら税金を課しますよと、こんなばかな税金があったんです。これを何としてもかち取ろうというふうなことで一生懸命やったんです。島は燃えたんですが、本当に厳しかった。二百六十何年間も厳しかった。そこに沖縄県からさとうきびの指導員として城間正安という方がいらっしゃるんですけれども、余り農民の肩を持つものですから、約8年間勤めた職をやめざるを得なくなった。この役人とのぎくしゃくでやめて、彼は那覇の出身だから帰ろうとするけれども農民がとめるんです。とめて、ここで結婚してここに住んで、農民と一緒に行動をするんです。
これでもだめ。そして、新潟出身の中村十作さんという方が八重山に真珠を養殖したいというふうなことで来るんですが、宮古に寄って、この話を聞いてこれに参加するんです。真珠を養殖したいというふうなことで資金も準備したけれども、この廃止運動に全部つぎ込むんです。全部つぎ込んで、農民代表2人、彼らは共通語を使えない、そして聞けないわけですから、帝国議会に訴えようと思ってもできないんです。先ほど言った城間正安さんは宮古に8年も住んでいますから通訳ができるんです。宮古の言葉を日本語で通訳できる。国会に行って、この要請を強く訴えられるのがこの中村十作さん。これはもう島を挙げて、これまで260年間もできなかったことをこの4名でもって帝国議会に訴えて、これを決議させるんです。そして確実にかち取ったんです。このまねをしないといけないですよ、知事。
 40年間も動かないんです、地位協定。どうすればいいんですか、知事。だから、小さい小さい力が島を燃やして、一丸となって大きな力を生んだんです。今、執行部も一生懸命やっている。議会も一生懸命やっている。しかし、何の進展もない。ならばどうすべきかなんですよ。知事、いい考えは今浮かばないですか。

 
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