平成12年(2000年) 第 1回 沖縄県議会(定例会)
第 9号 3月30日
伊波 洋一
 

 そもそも一坪反戦地主会は1982年12月12日に結成されました。一坪反戦地主会会則は、第2条が会の「目的」として「この会は戦争に反対し、軍用地を生活と生産の場に変えていくことを目的とする。」とうたっています。そしてその「アピール」の中で、「私たちは今日、戦争を憎み平和を求めて共働する1000名の労働者、家庭婦人、学生、大学人、ジャーナリスト、宗教人などが結集して、「一坪反戦地主会」を結成しました。 私たち一坪反戦地主は、平和のため常に沖縄民衆の先頭に立ってこられた反戦地主の呼びかけに応え、沖縄の土地の一かけらたりとも戦争には使わせない鉄の決意に立って未契約軍用地を購入共有しました。このことを起点として、すべての軍用地を解放させ、それを生産と生活の場に取りもどすことにより、人間の厳粛な生に仕えようとするものであります。」、このようにアピールではうたっているのであります。
 そして第3条で、「1、一坪反戦地主を拡大し、相互の団結を強化する。2、反戦地主と連帯する。3、未契約軍用地を返還された反戦地主を支援する。4、契約拒否運動を拡大する。5、その他、反戦平和運動に関する活動を行なう。」と活動内容を定め、ほぼそのとおり活動してきているのであります。
 さらに第4条で、「会の目的に賛同し、1人1万円で土地を購入して共有登記をした一坪反戦地主をもって会員とし、この会を構成する。」としているように、嘉手納基地及び普天間基地の中にある反戦地主の土地を共同で購入し共有しているのであります。
 なぜ、一坪反戦地主会が1982年に結成されたのか、最初から説明すると沖縄戦と米軍の沖縄占領、米軍基地建設のための強制土地収用にまでさかのぼることになります。
 皆さんも既に御承知のように、1953年4月3日に出された布令第109号土地収用令によって1週間後の4月11日に真和志村字銘苅で強制土地収用が行われました。12月5日には小禄村具志で強制土地収用が行われました。さらに1955年3月11日から14日にかけて伊江島では強制土地収用が強行され、同年7月19日から20日は伊佐浜で強制土地収用、このように県内各地での強制土地収用が占領によって既に強制収用されていた土地に加えて行われたのであります。その軍用地に対する闘いは、伊江島でもう45年も続いております。
 皆さん、昨日オープンした摩文仁の新平和祈念資料館の米軍占領と1955年から始まる土地闘争、復帰闘争、反基地闘争の展示資料の中でこのことは明らかであります。
 今日も全国の米軍専用基地の75%が集中している沖縄では、強制接収された土地をあきらめてきたわけではありません。伊江島の阿波根昌鴻さんはもう45年も土地の強制接収に抗議し、返還を求める闘いを続けてまいりました。
 米軍の占領や強制接収で米軍基地となった土地の返還を求めて契約を拒否していた地主は復帰前から多く、復帰直前には約3000名もおりました。復帰を半年後に控えた1971年12月9日、軍用地契約をしていなかった地主たちは、権利と財産を守る軍用地主会──通称反戦地主会──を結成し、反戦地主会に参加する地主は、戦争に結びつく基地には自分の土地を提供しないという理念を堅持した中で、復帰と同時に米軍基地の土地が返ってくることを求めていました。
 しかしながら政府は、公用地法(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律)を5年間の時限立法で制定し、米軍基地の未契約地主の土地の強制使用を継続しました。公用地法は、沖縄県民の財産権を踏みにじると同時に、二度と戦争には加担しないとする反戦地主の思想信条を否定する悪法であります。
 日本政府は、この最初の5年間で軍用地料を値上げし契約地主をなだめ、反戦地主の切り崩しにかかりました。契約をしない地主には周囲を含めて返還すると脅して契約を迫ったりして、復帰時の1972年に2941名いた反戦地主は、1977年までに500名を割るところまでになったのです。1977年5月15日に期限の切れた公用地法は、同年5月18日に地籍明確化法が成立して生き返り、さらに5年間延長されました。そして1982年までに反戦地主はさらに153人までに減じたのであります。まさに、日本政府の真綿で首を絞められているようだと反戦地主に言わしめたほどの締めつけが反戦地主に対してなされたのであります。
 このような状況のもとで、先ほどの規約のように反戦地主を支えるために一坪反戦地主会が同年12月に結成されたのです。その後の米軍基地をめぐる強制使用問題で、一坪反戦地主会は反戦地主とともに沖縄県民の権利を回復する運動を展開してきたのであります。一坪反戦地主会の運動がなければ今日のような米軍基地の返還問題にまで進むことはなかったと言っても過言ではありません。(傍聴席にて拍手する者多し)

 
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